コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

浅田真央、全日本選手権2011出場…母・匡子さんへの供養

きのうのブログ「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」に続いて・・・。

⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。

このブログの記事はたいてい書き溜めである。
先日、浅田真央に関して動きがあった。

浅田舞・真央が所属するマネジメント会社IMGは、姉妹の母・匡子さんの葬儀が名古屋市内で近親者のみで執り行われたこと、二人が年末年始の活動を予定どおり行うことを発表した。

浅田真央は12月23日開幕の「全日本フィギュアスケート選手権2011」に出場する。

私は驚いた。
浅田真央は練習に集中するどころか、その時間を確保することもままならない状態と推察されるからだ。
しかし、佐藤信夫コーチと相談しつつ、2年ぶり5回目の優勝を目指して地元で練習を再開する。
年明けのアイスショーにも出演する。

本人もマネジメント会社を通じてコメントを発表した。
グランプリファイナルの欠場により関係者やファンに迷惑と心配をかけたことを詫びた。
このところ名古屋を離れるときにはこれが最期になるかもしれないと思っていた。
母はぎりぎりの闘病生活を続けており、浅田真央は覚悟ができていたようだ。

                       ◇

GPファイナルのフリーから一夜明けた高橋大輔は、「僕たちは何もしてあげることができないけど、温かく見守ってあげたい」と、最愛の母を亡くした浅田真央を気づかった。
そのうえで、「絶対にまた試合に出てほしい。スケート好きのお母さんもそれを望んでいると思う。僕も浅田選手のスケートを見たい」と話した。

さらに、「次に会ったときにどうしてあげればいいのか考えてしまう。みんなで一緒にいて忘れているほうがいいのかもしれない」と、なるべく浅田真央の近くにいて心の支えになりたいと語った。
高橋大輔はやさしくあたたかい。

浅田真央は大会に出場することが母への一番の供養になると考えている。
悲しみを乗り越えてリンクに立つ姿を天国の母にどうしても見せたいのだ。
凄まじい気迫である。

浅田真央が5歳でスケートを始めてから練習や試合に付き添ってきた母。
バンクーバーオリンピックで銀メダルに終わり、浅田真央は2014年ソチオリンピックで金メダルに輝きたいと、佐藤信夫コーチのもとで再スタートを切った。
これまでの競技人生を命がけで支えてくれた母の魂を感じながら全日本選手権で滑る決意を固めた。

私としては、浅田真央に心身をいたわる時間を取ってもらいたかった。

                      ◇◆◇

浅田真央が12月12日に発表したコメントは以下のとおり。
660字に母への思いが綴られている。

                        ◇

応援してくださっている皆さん、スケート関係、及びマスコミの皆さんへ

この度は、大変ご心配をおかけするとともに、試合直前の欠場となり、大変ご迷惑をおかけしました。

最初ケベックで連絡を受けたときは、今すぐに帰りたい、という気持ちと、試合を欠場しても良いのか?という思いで複雑でしたが、すぐに帰国して良かったと思っています。

帰る飛行機の中では、色々な事を考えましたが、きっとお母さんは自分が帰ってくるのを待っていてくれると信じて、ずっと祈っていました。

しかし、成田空港に到着してすぐにメールを確認すると、「ママは頑張れなかった」というお父さんからのメールを見て、涙が止まりませんでした。

それでも、もしかしたら、と思い、名古屋の病院に駆けつけ、何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。

でも、充分頑張ったし、もう、痛い思いをしないで済むんだ、と思うと、少しホッとする部分もあります。

この半年、容態が良くない時が時々あり、名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。

私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。

生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやることが、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。

皆さん、今後とも応援よろしくお願いします。

                   浅田真央

                      ◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。

⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

⇒2011年12月9日「トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦」はこちら。

⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。

⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。

⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。

⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。

⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。

⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。

⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。

⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。

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企業再生コンサルタント…成果とスピードの両方が必須

きのうのブログ「無気力な社長が急増…経営・業績を諦めるな講演会」に続いて・・・。

⇒2011年12月13日「無気力な社長が急増…経営・業績を諦めるな講演会」はこちら。

コンサルタントが迷っていたら、クライアントの業績はとても立て直せない。
営業再建・経営再生のプロを自負する私は、小難しいことは一切要求しない。
子どもでも分かる基本中の基本を徹底させる。

全員に対して「これをこうやれ」とシンプルかつストレートに述べる。
指示でなく命令。
極限までぜい肉をそぎ落とした「What」と「How」を、剛速球で投げ込むのだ。

そして、「文句はやってから言え」。
さらに、「やらない理由を探すな」。
数字がよくなれば、雑音など消える。

今日、クライアントが経営の余力をなくしている。
ゆえに、コンサルタントはすぐに数字を変えるつもりで臨まないと、信頼を得られない。
単に成果を上げるだけでなく、そのスピードが求められる。

それにはコンサルタントが、こうすればかならず収益を上げられるというセオリーとノウハウを築いていることだ。
つまり、クライアントへ乗り込む前に「結論」を持っていないと務まらなくなった。

コンサルタントは結果を出せるかどうかがすべて。
市場環境が過酷になるほど、実力がはっきりする。
最初は激しく衝突しても、勝利の美酒を分かち合えればそれでよい。
互いにどんな苦労も報われる。

この商売は滅茶苦茶楽しいぞ!

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浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出

私は、久し振りに好調な浅田真央の演技を見られると、非常に楽しみにしていた。
フィギュアスケートグランプリファイナル2011に出場した日本勢3選手はむろん健闘した。
高橋大輔と鈴木明子が銀メダル、羽生結弦が僅差の4位。
しかし、スーパースターの突然の不在は喪失感が大きかった。

浅田真央は名古屋市内の病院に直行したが、母・匡子さんはすでに息を引き取っていた。
最期を看取ることができなかった。
無念だったろう・・・。

浅田舞と浅田真央の姉妹。
フィギュア選手としての成長を支えようと、母はスケートを学び、もっとも身近なコーチとして寄り添った。
浅田真央が小学2年生のとき、母は体調を崩して入院した。
もともと丈夫でなかった。
当時、浅田真央が「スケートを頑張るから、早く良くなってね」と書いた手紙を母は宝物として持っていた。

浅田真央は母を煩わせるわけにいかないと、自立を心がけた。
昨季直前から佐藤信夫コーチの指導を仰ぎ、新幹線で新横浜まで一人で練習に通った。
母の送迎に頼らなくてすむように、今夏に運転免許を取って中京大学に通っている。
炊事も始めた・・・。

浅田真央は、世界フィギュア選手権2011モスクワ大会に気の毒なほどやせた状態で臨んだ。
すでに過酷な闘病生活を送っていた母を案じた心労も大きく影響したようだ。
そうした事情をまるで知らない私はウエイトコントロールの失敗が原因だと考えていた。
浅田真央は公開のインタビューや番組でそれを表情にも言葉にも表さなかった。
敬服に値する。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

私がほっとしているのは、滑りの矯正中だったとはいえ、昨季のどん底から脱し、GPシリーズNHK杯2位、ロシア杯1位、そして3季ぶりのGPファイナル進出の朗報を届けられたことだ。
2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)へ向けて進化する姿を見せられた。
母も少し安心したのでないか・・・。

                       ◇

来年3月開催の世界フィギュア選手権2012フランス大会への代表最終選考会を兼ねた全日本フィギュア選手権2011が12月23日から行われる。
浅田真央は欠場することになるかもしれない。

結婚後のほとんどすべての時間を娘の競技人生の成功に注ぎ込んだ母。
むろん、その母は浅田真央が全日本選手権に出場して優勝することをだれよりも望んでいる。

しかし、フィギュアスケートはメンタル面が出来を大きく左右する。
もしも気持ちの整理がつかないなら、遠慮なく全日本選手権を辞退したほうがよい。
心はいくらか落ち着きを取り戻したとしても、葬儀の後もさまざまな用事があり、練習に集中することは望めない。

浅田真央は実績からいって世界選手権への出場が約束されるのでないか。
日本のフィギュアスケートの人気の興隆にこれほど貢献した選手はいない。
私は日本スケート連盟の好意に甘えるのもよいと思う。
伊東秀仁フィギュア委員長が記者に対し、特例で選出する可能性を口にした。

浅田真央はGPシリーズからGPファイナルにかけ、調子が明らかに上向きだった。
私が懸念するのは、最悪のコンディションで全日本選手権に出場し、悪い結果で終わることだ。
そうなると、世界選手権の代表に彼女を選考しにくく、話がややこしくなる。

なお、来年の世界選手権の日本女子は3枠。
選考基準は、GPファイナルの日本勢上位3人、全日本選手権の3位以内、世界ランキングの日本勢上位3人。
いずれかを満たす選手という曖昧な表現ながら、全日本選手権の出場を必須としている。
ただし、過去の世界選手権で6位以内に入った選手に限り、ケガなどで条件を満たさなくても選考の対象に加えることがあると定めている。

                      ◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

⇒2011年12月9日「トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦」はこちら。

⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。

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無気力な社長が急増…経営・業績を諦めるな講演会

きのうのブログ「値引き対策・値引き封じの決め手…SMBCセミナー東京」に続いて・・・。

⇒2011年12月12日「値引き対策・値引き封じの決め手…SMBCセミナー東京」はこちら。

私は3日間の都心出張から金曜日に戻った。
この間、3百名弱の製造業で企業講演「短期間で業績テコ入れを成し遂げよ」を行った。
当日はすべての営業関係者に加え、製造と技術の主要メンバーが顔を揃えた。
もちろん、社長を含む全役員も…。
会場が凍りつく、激辛の内容である。

理詰め、理詰め、理詰め・・・。
実は、クライアントを全否定する講師にも非常に大きなエネルギーが必要になる。
喉はがらがら、体はくたくた・・・。

1〜2年はともかく5〜6年会社が縮んでいるとしたら、これまでのやり方を思い切って変えるほかにない。
売り上げの低迷は、顧客からの“ダメ出し”の結果である。
子どもでも分かる当たり前のことだが、それを業績不振企業の社長や役員、管理職などに分からせるのはとても難しい。

「仕方がない…」。
リーマンショック以降、抜本的な手立てを講じることなく、ひどい数字に甘んじる中小・中堅企業が増えている。
業績を諦めているかのような、無気力な経営が気になる。
私はとくに社長に頑張れと言いたい。

Facebookの友達が「思うような結果が得られなければ、アプローチを変えなければならない」というジェームス・スキナーの言葉を教えてくれた。
まったくそのとおり。

私は公開セミナーでも企業講演でも参加者に端的に伝えるため、これまでと営業の「アプローチ」を真逆にしなさいと述べている。
やり方を変えなさいと言っても、なかなかピンと来ないようだ。
最初の働きかけを引っ繰り返すと、その後のやり方を劇的に変えざるをえない。
営業再生のキモである。

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羽生結弦トップ3波乱…全日本フィギュア選手権表彰台へ

きのうのブログ「高橋大輔、世界一の演技でチャンを圧倒!…GPファイナル」に続いて・・・。

⇒2011年12月12日「高橋大輔、世界一の演技でチャンを圧倒!…GPファイナル」はこちら。

高橋大輔とともに、カナダ・ケベックで開催されたフィギュアスケートグランプリファイナルに出場したのが羽生結弦(はにゅう・ゆづる)だった。
当地で17歳の誕生日を迎えた注目の成長株である。

シニア2年目の今季はバタバタの状態だった。
東日本大震災で仙台の自宅が被災し、避難所暮らしも経験した。
練習拠点のスケートリンクが使用不能になり、各地のアイスショーに参加して練習時間を確保した。
被災地の人々を勇気づけると心に誓い、シーズンに突入した。

ところが、羽生結弦はグランプリシリーズ中国杯で4位に終わった。
GPファイナル進出には優勝以外にないという追い詰められたなかで、ロシア杯を制した。
むろん、GPシリーズ初優勝だった。

⇒2011年11月27日「羽生結弦、小塚崇彦先輩を置いていく…GPファイナル2011」はこちら。

                       ◇

羽生結弦はGPファイナルの公式練習でジャンプが安定していた。
試合前、緊張を和らげるかのように「平常心」を口にした。
硬くなっている証拠だ。

男子ショートプログラム(SP)。

羽生結弦は 79.33点で僅差の4位につけた。
冒頭の4回転と3回転の連続ジャンプは、最初の着氷で手をつき、次が跳べなかった。
それでも3回転をその後の3回転ルッツの後に加え、点数を挽回した。
が、スピンでミスが出た。
本人によれば、会場の雰囲気に飲まれた。

男子フリースケーティング(FS)。

SP4位の羽生結弦は166.49点でFS3位。
自己ベストを更新したものの、合計245.82点で4位。
表彰台まで2点ちょっと届かなかった。

羽生結弦は冒頭の4回転トゥループを鮮やかに決めた。
そして、3回転を含む連続ジャンプもノーミスでこなした。
さらに、終盤のステップでおおいに魅せた。
しかし、ここで精根尽きた。
最後のトリプルサルコウで左手をついた。

足にきたのだろう。
羽生結弦は大人の体力が備わっていない。
疲労で集中力を失った・・・。

羽生結弦は小顔で手足がすらっと長く、フェイスもスタイルも抜群にいいので、演技が大きく美しく見える。
体の柔軟性も関係している。
とても得である。
私は2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)が非常に楽しみだ。

羽生結弦は終了後、「海外で認められたが、過信せずにしっかりと全日本フィギュア選手権に挑みたい」と先を見据えた。
世界フィギュア選手権への出場を明らかに狙っている。
このところ波乱がなかったが、高橋大輔・織田信成・小塚崇彦と熾烈な代表選考争いになりそうだ。
トップ3が入れ替わるかもしれない。

⇒2011年11月27日「羽生結弦、小塚崇彦先輩を置いていく…GPファイナル2011」はこちら。

                       ◇

小塚崇彦は世界選手権の代表最終選考会となる全日本選手権へ向け、遅れ気味の調整に努めている。
世界の頂点に立とうと、大きな課題の克服に取り組む彼には何よりも練習の時間が必要だ。
このブログで述べたとおり、GPファイナル進出を逃したことは彼に幸いだった。

⇒2011年11月15日「高橋大輔と小塚崇彦の比較…スケーターの特性と演技」はこちら。

                       ◇

村上佳菜子はシニア転向の昨季、目覚ましい成長を遂げた。
滑るたびによくなった。
が、それも一服…。
ソチオリンピックをにらんで課題の克服に立ち向かう。
あえて苦手なジャンプなどをプログラムに取り入れており、得点を伸ばせない。
焦りは不要だ。

⇒2011年11月18日「村上佳菜子と山田満知子コーチ、ソチ五輪への本気」はこちら。

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値引き対策・値引き封じの決め手…SMBCセミナー東京

今年は東日本大震災の影響で自粛気味とはいえ、街がいくらか「師走」らしくなってきた。
忘年会も行われているようだ。
しかし、大声で騒ぐとか、千鳥足で歩くといった浮かれた光景は影を潜めている・・・。

                       ◇

私は3日間の都心出張から金曜日に戻った。
この間、三井住友銀行系列のシンクタンク・SMBCコンサルティング東京で新テーマのビジネスセミナー2本「値引き対策 値引き営業から脱却するポイント」と「顧客の課題解決に貢献する ソリューション営業」を行い、大きな反響があった。

前者は、顧客の値引き要求に泣かされたり、ライバルとの値引き競争に巻き込まれたりしている営業関係者が多いため、私が保有するセオリーとノウハウを明かした。
「値引き封じ」の決め手といえる。

どちらのセミナーも終了後、会場で受講者から社員や部下、同僚に聞かせたいとの評価が寄せられた。
ありがたい。
すでに来年度の開催が決まっている。

                       ◇

ところで、金曜日に自宅に戻ってくると、妻が温かい「豚汁」をつくって待っていた。
ひどい疲れと寒さを感じていた私は、とてもうれしかった。

具だくさんで超ヘルシー。
これ自体が立派な“おかず”になりそうなボリューム。
そこに普段より多めに七味唐辛子を振った。
ご飯が進み、腹が膨れてしまった。
体がぽかぽかし、すぐに眠気に襲われた。

が、新講演の開催が間近に迫っているので、そのまま仕事に突入した。
例により間に合わせられるかどうか、ぎりぎりの状態である。

テレビをつけたら、冬型の気圧配置になり、日本各地で初雪を観測したとのこと。
どうりで冷え込んだはずだ。
非常に寒かった・・・。

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高橋大輔、世界一の演技でチャンを圧倒!…GPファイナル

きのうのブログ「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」に続いて・・・。

⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。

フィギュアスケートグランプリファイナルがカナダ・ケベックで行われている。
男子シングルが終わった。
日本勢の出場は高橋大輔と羽生結弦(はにゅう・ゆづる)。

                       ◇

昨季の世界選手権とGPファイナルを制したカナダのパトリック・チャンが優勝候補の筆頭である。
4回転ジャンプをショートプログラム(SP)で1回、フリースケーティング(FS)で2回跳んでいる。
得点力に関しては突出している。

対抗馬は高橋大輔。
今季はSPで4回転ジャンプに挑んでいない。
が、GPファイナルの順位は世界選手権の代表選考にあまり響かないため、挑戦の意向を示している。
現役続行への迷いが吹っ切れた高橋大輔は、スケーティングの基礎の見直しに取り組んだ。
それがジャンプとスピンのレベルアップにつながっている。

⇒2011年10月29日「高橋大輔、燃え尽き症候群克服か…GPシリーズ&ファイナル」はこちら。

今季のGPシリーズで2戦2勝の30ポイントを獲得したのはパトリック・チャン一人である。
かたや、2戦の合計得点がもっとも高いのは高橋大輔である。
両者の“一騎討ち”の展開になりそう・・・。

                       ◇

男子シングルのショートプログラム(SP)。

高橋大輔は 76.49点で5位と大きく出遅れた。
冒頭の4回転トゥループが両足着氷になり、回転不足と判定された。
その後の2連続3回転ジャンプは最初の着氷が乱れ、次を跳べなかった。
曲の関係でその後のジャンプに加えて挽回することもできず、技術点を伸ばせなかった。
焦りの悪循環に陥り、表現も冴えなかった。
高橋大輔は演技後、悔しさをにじませた。
が、フリーでは果敢に攻めると気持ちを切り替えた。

パトリック・チャンは1位に立った。
冒頭の4回転に、予定外の3回転を加えて連続ジャンプとした。
が、目測を誤り、着氷後に壁に激突して転倒した。
それでも演技を立て直した。

ちなみに、アメリカのジェレミー・アボットを除く5選手がSPから4回転ジャンプを取り入れた。

                       ◇

男子シングルのフリースケーティング(FS)。

SP5位の高橋大輔が172.63点でFS2位。
これは今季の自己ベスト。
合計249.12点で2位に入った。
冒頭の4回転トゥループで両手をついたが、その後のジャンプを完ぺきに決めた。
世界一と称されるステップは、最高評価のレベル4。
抑揚が小さくテンポがゆったりとしたブルースの曲調が、高橋大輔の演技の切れ味を引き立てた。
「どうだっ!」。
観客を総立ちにさせた。

高橋大輔は驚異的な集中力で得点を伸ばし、GPファイナルで4年ぶりの表彰台にのぼった。
鈴木明子とともに銀メダルを獲得した。
本人は「全日本選手権では4回転を降りたい」と次を見据えている。

パトリック・チャンは2つの4回転ジャンプでミスが出た。
ちゃんと跳べなくてもFS1位。
合計260.30点で2連覇を成し遂げた。
採点システムに則った得点とはいえ、地元開催のアドバンテージがいくらか働いたのかもしれない。
私は素人なので競技としての出来は分からないが、演技としての出来はよくない。
パトリック・チャンは調子が明らかに下降していた。
メンタルが大きく影響するフィギュアスケートでは、最高のコンディションを長く保つのは至難である。

高橋大輔はインタビューで、GPファイナルを欠場せざるをえなかった浅田真央への思いを語った。
鈴木明子、高橋大輔、羽生結弦の3選手はチームジャパンとして結束して戦い、立派な成績を残した。
お疲れさまでした。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

                       ◇

採点競技は、その基準(方法)で得点が、したがって順位がまったく変わる。
私としては、フィギュアスケートでいえば、芸術性の評価を高くするなどして、21〜22歳から25〜26歳くらいの年齢がピークになるような設計をしてほしい。
そのほうが選手寿命も長くなる。
幼少期から練習と競技に自分のすべてをつぎ込んできた彼らにとっても望ましいはずだ。

私がフリーを見て改めて感じたのは、高橋大輔が世界一ということだった。
体全体に、そして四肢の隅々まで、表現の魂が宿る。
卓越した演技でパトリック・チャンを圧倒した。
まったく問題にしない。

このことはフィギュアスケートの男子シングル史上でも当て嵌まる。
4回転ジャンプを精密機械みたいに決めていた頃のロシアのエフゲニー・プルシェンコよりも上である。

                      ◇◆◇

高橋大輔に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年11月17日「高橋大輔・大ちゃんの魅力…子犬のような人懐っこさ」はこちら。

⇒2011年11月15日「高橋大輔と小塚崇彦の比較…スケーターの特性と演技」はこちら。

⇒2011年10月29日「高橋大輔、燃え尽き症候群克服か…GPシリーズ&ファイナル」はこちら。

⇒2011年9月30日「ジャパンオープン2011…安藤美姫、高橋大輔、小塚崇彦が出場」はこちら。

⇒2011年5月17日「浅田真央と高橋大輔の関係をすっぱ抜く」はこちら。

⇒2011年4月28日「高橋大輔、世界フィギュア優勝へのスイッチ」はこちら。

⇒2011年4月26日「高橋大輔は2位じゃダメなんでしょうか」はこちら。

⇒2011年2月20日「高橋大輔、金メダル宣言…世界選手権東京大会」はこちら。

⇒2010年12月7日「高橋大輔は心に訴えない…内臓を揺さぶる泥臭さ」はこちら。

⇒2010年10月25日「浅田真央を気づかう高橋大輔と村上佳菜子」はこちら。

⇒2010年4月16日「妹真央を兄大輔が気遣う春の園遊会」はこちら。

⇒2010年3月26日「高橋大輔、日本男子初の金メダル!」はこちら。

⇒2010年3月4日「あきれた浅田真央と高橋大輔の言葉!」はこちら。

⇒2010年2月19日「高橋大輔、4回転失敗も銅メダル!」はこちら。

⇒2010年2月19日「高橋大輔、攻めか守りかメダル予想」はこちら。

⇒2010年2月17日「男子フィギュアSP、高橋3位、織田4位」はこちら。

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鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル

フィギュアスケートグランプリファイナルがカナダ・ケベックで行われている。
日本勢のシングル出場は、女子が鈴木明子、男子が高橋大輔と羽生結弦(はにゅう・ゆづる)。
優勝候補の筆頭だった浅田真央が母・匡子(きょうこ)さんの危篤の知らせを受け、緊急帰国。
直後、鈴木明子、高橋大輔、羽生結弦は「病状の回復を願う」と語ったが、思いは届かなかった。

鈴木明子は「彼女の代わりはできないが、私ができることをしっかりとやろうとSPに臨んだ」と目を潤ませた。

高橋大輔は「お母さんと親しくさせていただいた」「浅田さんはお母さんが大好きだった。今後どういうふうに向き合っていくのか心配」と気づかった。

羽生結弦は「自分も被災した東日本大震災後の世界選手権で日本選手団が喪章を付けてくれた。悲しい思いを実感した」と話した。

イタリアのカロリナ・コストナーは訃報を知らされてしばらく絶句、「言葉にならない」と涙を流した。 

浅田真央と帰国した佐藤信夫コーチは「しっかり頑張って、と声をかけました」と話した。

母・匡子さんに頭を下げられて浅田真央の指導に当たった山田満知子コーチは「とくに親子の絆が強かった」「ママは真央の将来のためにやりたかったことがあったはず」「スケートだけでなく、今後の人生にお母さんが必要だった」と話した。

浅田真央の父・敏治さんがマネジメント会社を通じて「舞も真央も、母の安らかに眠っているような顔を見て、やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し、いまは気丈にしています」「今後とも娘たちを温かく見守っていただけますようお願いいたします」とコメントを発表した。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

                       ◇

日本勢は残った選手で一丸となって戦うと誓い、揃いのウエアに喪章を付けて試合に臨んだ。

バンクーバーオリンピック金メダリスト、韓国のキム・ヨナ(金妍児)。
昨季の世界女王、安藤美姫。
二人が休養し、浅田真央が欠場して、GPファイナルは混戦が予想された。
グランプリシリーズ2試合の合計点では、浅田真央、カロリナ・コストナー、ロシアのエリザベータ・トゥクタミシェワ、鈴木明子、アメリカのアリッサ・シズニー、ロシアのアリョーナ・レオノワの順になる。

⇒2011年10月2日「安藤美姫、完全休養宣言…現役引退かソチ続行か結論」はこちら。

鈴木明子は技術と表現を磨き、今季は絶好調だ。
課題の修正を地道に繰り返した成果である。
3季連続のGPファイナル進出は彼女一人。
NHK杯でトリプルトゥループ−トリプルトゥループのコンビネーションジャンプをプログラムに組み込み、185.98という今季GPシリーズの女子最高点をマークした。
鈴木明子は安定した5種類の3回転ジャンプ、リズミカルなステップを誇る。
昨季から会場を巻き込むコツをつかみ、それが演技に華やかさを添えるようになった。

彼女のことだから、浅田真央の分まで頑張ろうとする。
どうか初のGPファイナル制覇を果たしてほしい。

⇒2011年12月4日「鈴木明子、フィギュア人生の仕上げ…摂食障害が彼女を強くした」はこちら。

                       ◇

女子シングルのショートプログラム(SP)。
鈴木明子が 61.30点で2位につけた。
冒頭、NHK杯で成功させた2連続3回転より難度を高めたトリプルフリップ−トリプルトゥループのコンビネーションジャンプに失敗した。
フリップは着氷が乱れ、セカンドジャンプは2回転になった。
が、その後はうまくまとめた。

カロリナ・コストナーが 66.43点で1位に立った。
冒頭のトリプルトゥループ−トリプルトゥループのコンビネーションジャンプを決めた。
その後もミスのない演技で技術点、演技構成点ともにトップの得点をマークした。
GPファイナル初優勝へ向けて最高のスタートを切った。

アリョーナ・レオノワは 60.46点で3位につけた。

私が注目していたのは、シニア登場のシーズンでいきなりGPシリーズ2戦2勝の快挙を成し遂げた14歳のエリザベータ・トゥクタミシェワである。
彼女は失うもの、恐れるものがなく、伸び伸びと演技を楽しんでいた。
高難度ジャンプをいとも簡単に決めるが、くるくる回るだけの選手でない。
シニア転向直後の浅田真央に通じるところがある。
一流選手に特有の“華”を持つ。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

エリザベータ・トゥクタミシェワは、冒頭のトリプルルッツ−トリプルトゥループのコンビネーションジャンプを決めた。
しかし、残り2つのジャンプに大きなミスが出て、最下位の5位に留まった。
およそ彼女らしくない。
表情には失意がはっきりと浮かんでいた。

私がSPでもっとも印象に残った選手はやはり彼女だった。
初の最終滑走で入れ込んだか。
エリザベータ・トゥクタミシェワは、直前の選手の演技が終わるのを待ちきれないといった様子でアイスリンクに飛び出していった。

無欲で手に入れたGPシリーズ2戦2勝。
GPファイナルで優勝への欲が出て当然である。
出来も悪く、得点も低かったが、随所に才能が感じられた。
すでにそれなりの演技力を備えており、2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)へ向けて大きな成長を遂げ、金メダルを狙う浅田真央などの日本勢、そしてキム・ヨナの強力なライバルになっているかもしれない。

⇒2011年11月8日「キム・ヨナはこのまま現役引退か…ソチ五輪復活は至難」はこちら。

昨季滑るたびに著しい成長を見せた村上佳菜子は今季、踊り場に差しかかっている。
エリザベータ・トゥクタミシェワもこれからさまざまな壁にぶつかる。
まして、オリンピック開催国の期待の新星には凄まじいプレッシャーがかかるだろう。

ジュニアから転向した選手が得点や順位を意識し、それにつれて競技の怖さや難しさを知ると、すんなり勝てなくなる。
それを乗り越えた選手がシニアで頂点に立てる。

⇒2011年11月18日「村上佳菜子と山田満知子コーチ、ソチ五輪への本気」はこちら。

◆書き加え1(12月11日)

女子シングルのフリースケーティング(FS)。

SP2位の鈴木明子は118.46点でFS3位。
合計179.76点でGPファイナル自己最高の銀メダルを獲得した。
ジャンプで着氷が乱れがちだったが、ミスを引きずらずにスピード感あふれる演技でアピールした。
ベテランはまだ成長を遂げている。

SP1位のカロリナ・コストナーが121.05点でFS1位。
合計187.48点でGPファイナル4度目の出場で初優勝を飾った。
序盤のアクセルがシングルになったほかは無難にまとめ、シーズンベストをマークした。

SP3位のアリョーナ・レオノワが3位に入った。

◆書き加え2(12月11日)

男子シングルのショートプログラム(SP)。

高橋大輔は 76.49点で5位と大きく出遅れた。
冒頭の4回転トゥループが両足着氷になり、回転不足と判定された。
トリプルアクセルは決めたが、トリプルルッツの着氷が乱れてコンビネーションジャンプにならなかった。
技術点をまったく伸ばせなかった。

羽生結弦は 79.33点で僅差の4位につけた。
冒頭の4回転と3回転の連続ジャンプは、最初の着氷で手をつき、次が跳べなかった。
それでも3回転をその後の3回転ルッツの後に加え、点数を挽回した。
が、スピンでミスが出た。
本人によれば、初のGPファイナル出場で雰囲気に飲まれた。

世界王者のパトリック・チャンは1位。
アメリカのジェレミー・アボットは2位。
ちなみに、アボットを除く5選手がSPから4回転ジャンプを取り入れた。

男子シングルのフリースケーティング(FS)。

SP5位の高橋大輔が172.63点でFS2位。
合計249.12点で2位に入った。
冒頭の4回転トゥループで両手をついたが、その後のジャンプを完ぺきに決め、ガッツポーズ!
開き直りが出たのか、猛烈に巻き返した。
鈴木明子とともに銀メダルという結果は立派だ。

SP4位の羽生結弦は166.49点でFS3位。
合計245.82点で4位となり、惜しくも表彰台を逃した。
冒頭の4回転トゥループを鮮やかに決めた。
後のトリプルサルコウが乱れたほかは、ほぼミスのない演技で自己ベストを更新した。

SP1位のパトリック・チャンがFS1位。
合計260.30点で危なげなく2連覇を飾った。
序盤の4回転でやや乱れたが、その後はそつなくまとめた。
順当勝ちといったところ。

振り返ると、SPでの高橋大輔は明らかに精彩を欠いていた。
彼のことだ、仲良しの浅田真央の緊急帰国が心に大きな影を落としていたのかもしれない。

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浅田真央、母・匡子さんの願い「娘よ、悲しみを乗り越えて…」

カナダ・ケベックで開催されるフィギュアスケートグランプリファイナル2011(GPファイナル2011)。
私は3季ぶりに進出した浅田真央の演技を楽しみにしていた。
このブログで幾度も取り上げている。

浅田真央は滑りの矯正中でどん底だった昨季の状態から抜け出し、復調の兆しがはっきりと見えていた。
スケーティングが格段によくなり、それにともないジャンプも安定度が徐々に増していた。
本人も期するところが非常に大きかったと思われる。

                       ◇

ところが、現地での初の公式練習後に母・匡子(きょうこ)さんが危篤という知らせを受け、佐藤信夫コーチとともに急きょ帰国の途に就いた。

9日早朝、母親は肝硬変のため、名古屋市内の病院で亡くなった。
今夏から病状が悪化し、入退院を繰り返していた。
48歳の若さだった。
せめてもう数年、娘に連れ添っていたかったことだろう。

浅田真央は気の毒なことに、最期に間に合わなかった。
ひとことでもいいから、言葉を交わせられたなら・・・。

母・匡子さんは最大の理解者として、長女・舞と次女・真央のスケート姉妹の競技生活を後押しした。
始まりは、舞が7歳、真央が5歳のときのスケート教室。
母は自身のバレエ経験も生かし、アドバイスを与えることがあった。
そして、名高い山田満知子コーチに頭を下げ、トップ選手へ育つ道筋を切り拓いた。

浅田真央は2010年バンクーバー冬季五輪(オリンピック)で宿命のライバル、韓国のキム・ヨナに敗れた。
母は、悔し涙が止まらない娘に「応援してくれた方々がいる。いつまでも泣いていてはダメ」と諭した。
浅田真央は、真っ先にだれに銀メダルを見せたいかと問われ、「お母さんです」と答えた。
いつも「ママ」と呼んでいる?

母・匡子さんは、娘の幼少期からわりと最近まで、ほとんど付きっきりだった。
スケート場で練習する娘を毎日のようにクルマで送迎していた。
浅田真央がオフに自動車教習所に通って免許を取ったのは、母親に頼れないという決意からだった。

熱しすぎる母に、成長した浅田真央が反発した時期があった。
また、試合の本番だけは会場に来させなかった。

バンクーバーオリンピック後、母親のほうが燃え尽きてしまったようだ。
もともと体が丈夫でなかったらしい。
昨季の全日本フィギュアスケート選手権に娘のマッサージ師(?)として現れた。
それ以来、人前に姿を見せなくなっていた。

母親は特別な存在だ。
二人の絆は非常に強い。
匡子さんがいなければ、おそらくフィギュアスケーター・浅田真央は生まれなかった。
ご冥福をお祈りする。

                      ◇◆◇

・・・浅田真央がGPファイナルの出場を取りやめるのはよくよくのことでないか。
私はそう考えていた。
なぜなら、娘のスケート人生を献身的にサポートしてきた母・匡子さんがそれを望むはずがない。

浅田真央はカナダを発つ前、周囲に気丈に振る舞っていたという。
覚悟ができていたのかもしれない・・・。

私は若いときに前妻を全身がんで亡くしている。
3人の子どもがいた。
逝く親の気持ちも、残される子の気持ちも、いくらか分かる。

今年も命日の12月14日が近づいてきた。
大学病院から呼び出され、担当医師から余命3カ月と宣告されたのが9月14日である。
しかし、前妻は頑張った。
正月は自宅で過ごしていいという許可が出た。
妻は、入院後に引っ越した渋谷・松涛の自宅(マンション)を知らない。
家族の暮らしぶりを案じていた妻にそれを見せることができると、私はちょっぴりほっとしていた。
娘と早目のクリスマス・ツリーを病室に届けたら喜んでくれた。
そのわずか数日後だった。

私はいまの妻と再婚した。
だいぶ時間が経ってから、誕生日が12月14日と知り、跳びあがるくらい驚いた。

                      ◇◆◇

浅田真央と浅田匡子。
娘は母と二人三脚でここまで歩んできた。
ショックは大きく深い。

が、浅田真央はかならず悲しみを乗り越える。
それは母親がもっとも願っていることだ。
もちろん、彼女を支えてきた多くの関係者、さらに大勢のファンも・・・。

昨季直前から浅田真央を預かった佐藤信夫コーチは訃報に、「一日も早く乗り越えて立ち直り、お母さまの情熱、遺志を継いでほしい」と静かに語った。

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トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦

フィギュアスケートグランプリファイナル2011(GPファイナル2011)がカナダ・ケベックで行われている。
最大の興味は、浅田真央とロシアのエリザベータ・トゥクタミシェワとの決戦である。
弱冠14歳。
ロシアは地元開催の2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)でのフィギュア王国復活へ向けて“秘密兵器”を仕込んでいた。
女子フィギュア界に君臨する韓国のキム・ヨナと浅田真央への「刺客(しかく)」と呼んでいい。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

グランプリシリーズ2011(GPシリーズ2011)最終戦ロシア杯。
浅田真央はシニア転向後初めてSPとフリーの両方で「トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)」を回避した。
佐藤信夫コーチの助言を踏まえ、あくまでも自分で決断を下した。
3季ぶりのGPファイナル進出を叶えることを優先し、安全策を取ったわけだ。
そして、狙いどおりSPでもフリーでも1位で完全優勝を収めた。
さらに、代名詞を外して得点を出せたことは、これまでと違った自信につながった。

⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。

広く知られるように浅田真央がもっともこだわるのは、ギネスに申請する前に認定されたトリプルアクセル。
2010年バンクーバー冬季五輪(オリンピック)での3度。
ロシア杯で復調の手応えをつかみながら、3Aを外しての勝利に不満が残った。
佐藤信夫コーチはその気持ちをよく分かっており、「次は楽しみにしている」とねぎらった。
やさしい・・・。
それは浅田真央のプライドでありモチベーションである。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

                       ◇

フィギュアスケートは男女ともに高難度ジャンプのリスクを嫌い、無難にまとめる戦略が主流だった。
が、男子は再び4回転ジャンプが必須になった。
かたや、女子は一昔前と同じジャンプコンビネーションで表彰台にのぼれる。
かつて「ジャンプのミキ」と称された安藤美姫は、世界フィギュアスケート選手権2011ロシア大会で2連続3回転ジャンプに挑むことなく2度目の世界女王に輝いた。

こうした閉塞感を打ち破りそうなのが、ソチオリンピックの開催国ロシアのエリザベータ・トゥクタミシェワとアデリナ・ソトニコワの2選手である。
少女体形のせいもあるが、高難度のコンビネーションジャンプを苦にしない。

なかでもエリザベータ・トゥクタミシェワはすでに練習でトリプルアクセルを跳んでいる。
GPデビュー2戦2勝の勢いに乗り、いきなり世界の頂点に立とうと意気込んでいる。
あえてトリプルアクセルをぶつけ、浅田真央を揺さぶってくるかもしれない。
挑発作戦だ。

⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。

浅田真央は自分の調子とライバルの出方を見極め、GPファイナルで“伝家の宝刀”を抜く可能性がある。
ロシア杯終了後、大舞台での3A解禁を示唆した。
そうなると、文字どおり真正面の激突が見られる。
私個人はそうした事態を避けるべきだと考えるが、それはそれで大きな楽しみ・・・。

⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。

なお、ソチオリンピックがジャンプ合戦になると、ブランクの長いキム・ヨナは勝ち目が薄れる。

⇒2011年11月8日「キム・ヨナはこのまま現役引退か…ソチ五輪復活は至難」はこちら。

キム・ヨナが2位では喜んでくれないのが韓国というお国柄である。
現役復帰は現実問題としてかなり難しい。

                       ◇

放送はテレビ朝日系列。
12月10日(土)午後6時58分〜 男女ショートプログラム(SP)
12月11日(日)午後6時56分〜 男女フリースケーティング(FS)
12月12日(月)午後11時15分〜 エキシビション

出場選手は以下のとおり。
◆女子シングル
エリザベータ・トゥクタミシェワ ロシア
浅田真央 日本
カロリナ・コストナー イタリア
鈴木明子 日本
アリッサ・シズニー アメリカ
アリョーナ・レオノワ ロシア

◆男子シングル
カナダ パトリック・チャン
高橋大輔 日本
ジェレミー・アボット アメリカ
ミハル・ブレジナ チェコ
ハビエル・フェルナンデス スペイン
羽生結弦 日本

◆書き加え1(12月9日)

私のブログはたいてい書き溜め記事だ。
それを家人などにまとめて渡し、予約機能を用いてアップしてもらっている。

私は出張中の都心のホテルで、浅田真央がGPファイナルを欠場することを知った。
国際スケート連合(ISU)の発表によれば、母親の深刻な体調不良が理由である。
浅田真央は佐藤信夫コーチとすでに帰国の途についた。
「ご迷惑をおかけします」と語り、気丈に振る舞っていたらしい。
これにより女子シングルはGPシリーズ上位5人で争うことになる。

浅田真央がオフを利用して運転免許を取得したのも、3月頃から入退院を繰り返していた母親に練習の送迎を頼れないという思いからだったようだ。

テレビ報道では「危篤」という言葉が使われていた。
心より回復を祈る。

                      ◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。

⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。

⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。

⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。

⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。

⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。

⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。

⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。

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和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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