コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

2007年04月

営業治療薬の開発・製造へ

GW前半、3連休の最終日―。
私は、午後から渋谷のセルリアンタワーで、若くしてIT企業を率いる社長と、業務の包括提携に関する話し合いを行う。
私が提案営業のコンサルタントとしての経験とノウハウを踏まえて考案した“営業治療薬”を共同でシステム化し、さらにビジネスモデルへ仕立てて世に送り出す…。
それにしても、エキサイティングでクリエイティブな2時間だった。
彼は、日本の最高大学を卒業し、日本の最高企業に入社し、すぐに退社した。
ほんとうに才能がある人は、一時的に既成の枠組みに収まったとしても、早晩はみ出してしまう。
私は、彼の話し振りが好きだ。
ある種、無愛想な愛嬌は、「野茂英雄」に見られたように、絡みつく社会に飽き足らず、何かを希求してやまない人が、その思いを率直に吐露するときの表情であろう。
彼は歩みを着々と進め、開花が目前に迫っている。
それに引き換え、この私は…。
仕事らしい仕事もしていないのに、もう4月が終わってしまった。充実感も充足感もない、中身の薄い1カ月だった。
その私を救ってくれたのは、最短での株式公開を目指すベンチャーへの参加と、きょうの営業治療薬に関する業務の包括提携の話し合いである。
感謝しつつ、おやすみなさい。

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和田創ブログ 2007年4月タイトル一覧

◇2007年4月30日(月) 営業治療薬の開発・製造へ
◇2007年4月30日(月) イチローと松坂大輔、2人で決まり
◇2007年4月29日(日) 営業力判定の尺度を知っておこう!
◇2007年4月28日(土) 目からウロコというよりも脱皮!
◇2007年4月28日(土) 自分の営業力が丸裸同然になる!
◇2007年4月27日(金) 新卒、第二新卒の方へ言っておこう
◇2007年4月26日(木) 企画力とソリューションについて執筆
◇2007年4月26日(木) 学ぶ目的とは、いったい何か?
◇2007年4月25日(水) 生まれ故郷・直江津へ自分探しの旅
◇2007年4月24日(火) 親不孝、富山の実家に寄りつかず
◇2007年4月23日(月) 懐かしさが込みあげてくる、富山…
◇2007年4月22日(日) 知識は所詮、他人のものでしかない
◇2007年4月21日(土) 講座/職業学習の順序と方法(2)
◇2007年4月20日(金) 講座/職業学習の順序と方法(1)
◇2007年4月19日(木) あなたの「営業力」はいかばかり?
◇2007年4月18日(水) 私は女性の愛情に応えただろうか?
◇2007年4月17日(火) 映画「ラストコンサート」を観る
◇2007年4月16日(月) 勉強が目指す最終的な姿とは何か?
◇2007年4月15日(日) 松下幸之助の言葉にただただ溜め息
◇2007年4月14日(土) 自分がリストラされる可能性は?
◇2007年4月13日(金) ハーバード・ビジネス・レビュー
◇2007年4月12日(木) カナガワビエンナーレ審査結果
◇2007年4月11日(水) 職業人生でどう頂点を極めるか?
◇2007年4月10日(火) 営業実践大学での教えになるほど!
◇2007年4月9日(月) お客さまの目に、うっすらと涙が…
◇2007年4月8日(日) こどもエコ絵画コンクール審査結果
◇2007年4月7日(土) 黒崎輝男氏の凄い言葉に、イタタッ
◇2007年4月6日(金) 学んだあげくダメになった人の話
◇2007年4月5日(木) “横串学習”をもっと大切にせよ
◇2007年4月4日(水) 悲しいかな、知的生産性が半減した
◇2007年4月1日(日) 年度手帳と暦年手帳、さあどちら?

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イチローと松坂大輔、2人で決まり

イチローと松坂大輔。
日本人のプロ野球選手の最高峰は、この2人で決まり―。
私は、野球というよりスポーツ全般をあまり見ないし、よく分からない。だから、私の直感に基づく“独断”にすぎない。
イチローと松坂大輔に共通点がある。
頭が素晴らしくよいこと。それは、マスコミのインタビューに対するコメントなどから明白だ。
若いのに自分の「頭」で考え、自分の「言葉」で語っている。借りものが一つも混じっていない。存在の根幹に根差す。
ゆえに、彼らが発する言葉は、思想や信念の域に達している。ぶれることがない。
2人とも「高卒」というのも面白いし、また励まされる。私は明治大学経営学部を5年間で中退したので、ほんものの高卒でないが…。
“女子アナ”としては比較的地味だった、姉さん女房をもらったという話は置いておこう。
さて、「メジャーリーグ」では、体力で太刀打ちできず、「知力」で勝負することになる。この知力において、2人は突出しているように思う。
いかなるホームランバッターも、アメリカへ渡れば中距離ヒッターである。投手も、事情は同様だ。勢いに任せてバットを振り回すとか、ボールを投げ込むとかは、きわめて通用しにくい。
イチローだけでなく松坂大輔も、日本で培った基本を大切にしながら、「環境変化」への適応を怠らないだろう。
マスコミは、両者の対戦を「天才対怪物」とはやし立てる。だが、大人の2人はリップサービスはするものの、それに乗ってくることはない。
実際、初対決でさえ、日本での真っ向勝負とは趣きが違っていた。松坂大輔がイチローに投じた第1球は、ストレートでなくカーブだった。「変化球」。
松坂大輔は、力一辺倒から知恵重視の投球へ変わっていくのではなかろうか。
それはそれでおおいに楽しみである。
そして、この2人は、グローバリズムの潮流と中国の台頭のなかで、急速に存在感を低下させている日本が進むべき方向を明示している。

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営業力判定の尺度を知っておこう!

自分の、営業としての「市場価値」をどのように見極めるか。
有力かつ客観的な尺度の一つが、自分に対する「スカウト」の多寡である。
営業担当者は既存顧客へ通うほか、新規顧客へ飛び込むなど、仕事を通じて多数の顧客と接することになる。
そうした顧客のなかには、「商品を買う前に、営業担当者を買う」と言い切る人もいる。つまり、営業担当者はいつも顧客から“品定め”されている。
5年や10年の営業経験があれば、複数の顧客からスカウトされた経験を持っていて当然だろう。「どうだ、うちでやってみないか」。
なお、そうした言葉をかけてくれるのは、窓口や現場などの担当者でない。「決定権者」や「キーマン」である。彼らと接触していない営業担当者がスカウトされることはまれといえよう。
さて、いまは「情報社会」である。
あなたが真に優れた営業ならば、その情報は地獄耳の「人材会社」にかならず入っている。
そうした企業から、どれくらいお誘いが舞い込んだだろうか。
以前、優良企業へ「提案営業研修」に伺い、レベルの高さに驚嘆したことがある。私は不適切と思いながら、ついつい受講者に尋ねてしまった…。
顧客からの声かけを除き、スカウト会社からの「勧誘」を受けた人が、全体の8割にのぼった。5割は、2社以上である。彼らは自信がみなぎっている。
ここは、仕事の権限と自由度が大きく、とても働きやすい。また、会社への社員のロイヤリティ(忠誠心)がきわめて高い。
会社が商品の品質に絶対の自信を持っていることもあり、自社を愛する社員だらけである。スカウトされても、ほとんど動かない。人材の定着率が恐ろしく高い。
有名な話がある―。
「リクルート」では一人の定年退職者も出していない。確か、創業40年を経過した2000年頃に耳にした。いまも状況はあまり変化していないだろう。
同社では、キャリアアップや自己実現を目指し、転職するか、スカウトされるか、独立・起業する社員しかいない。
戦後、私たちの硬直した職業観や人生観を揺さぶり、人材の流動化と最適化を牽引してきた会社だから、当然といえば当然なのだが…。
また、アントレプレナーや社長の輩出を通じ、日本経済の発展に大きく寄与する会社でもある。
そうした企業文化や組織風土をつくりあげた「創業者」が凄かった。それは、リクルートの社員のDNAとなっている。
ところで、私は若い頃、中堅企業や中小企業を含めると、30社くらいからスカウトされた。日本を代表する大手企業だけでも、10社近くになる。
そして、すべて丁重にお断りした。
私にとって最重要の関心は「自由」であり、それは何物にも代えがたい。
また、私の場合、スカウトされると、給料がかなり減ってしまう。だが、報酬の問題は、二の次である。
この経験は、私が、自分の職業人としての「市場価値」を客観的に評価するきっかけになった。さらに、職業人として生きていくうえで、絶大な“自信”になった。
私は、何度か試練に見舞われたが、このお陰で乗り越えられたと断言できる。
スカウトされたからといって、「転職」しなければならない理由は何もない。
皆さま、たくさんスカウトされましょう。選択肢のある、ゆとりの職業人生を楽しみましょう。

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目からウロコというよりも脱皮!

昨夜、富山での公開セミナーの受講者から、メールをいただいた。
「最初は理解に苦しみましたが、話を聞くうちに目からウロコというよりも“脱皮”に近い状態で勉強していました。今後とも和田さまの言葉を胸に秘め、営業活動を頑張ります」。
ごめんなさい、唐突に「営業マンをきっぱりとやめよ」とか、「商談やビジネスなんて後回しだ」とか、言いたい放題で…。
さぞかし驚いたことでしょう。
でも、メールを拝見し、私の意図や主張を正しく理解してくれていると確信した。
どうか提案営業を掘りさげてください。ご丁寧にありがとうございました。遠くて大変ですが、ときどき「営業実践大学」にいらしてください。

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自分の営業力が丸裸同然になる!

自分の「営業力」をどのように判定するか。
いくつかの観点や尺度があり、さらに考慮すべき事柄がある。
一般には、売り上げや利益などの金額、社内や部内での順位といった「個人成績」が大きな目安となる。
19日のブログでは、自分の営業力を評価するにあたり、企業の規模や業界地位を勘案することの重要性を説いた。
きょうは、乱暴であるが、すぐに実行できる簡単な「判定法」を紹介したい。リトマス試験紙並みの手軽さである。ただし「名刺」を用いる。
自分の名刺から、会社や商品、部署や肩書などをすべて消し、飛び込んでみることである。業種により、テルアポを絡めてもよい。以前なら公衆電話に頼るしかないが、現在ではケータイを使える。
すなわち、企業に属さない一個人として「新規開拓」に挑戦する。
実際にはアプローチやコンタクトの段階が中心になり、顧客とリレーションが形成された段階で“種明かし”することになる。ここで、おおいに受けよう。
いまや、名刺をつくるのにかかる時間は10分程度、費用は千円以下である。その気なら、自らパソコンでカラー名刺さえ作成できる。
そうした一個人としての営業活動は、私が20歳から長らく、フリーランスとして行ったものである。
これにより、自分の営業力は“丸裸”になる。
判定の「信頼性」は非常に高い。それで結果が思わしくなかったとしても、営業力の強化や伸長のための手立てを講じられる。いいこと尽くめ―。
このやり方による営業力の判定は、職業人生を守り抜くとか切り開く局面において、重大な意味を持つ。
第1は、「転職」する場合。
大手企業や上位企業で働く人が、顧客からの問い合わせや引き合いがきわめて少ないか、まったくない零細企業や下位企業へ転職し、それなりの「営業成績」を残していけるかどうかが、きわめてリアルに、実感レベルで分かる。
倒産や再編、リストラなど、いざというときの備えにもつながるだろう。
一つの企業、とくに大手企業や上位企業で働いてきた人は、自分の営業力を客観視することが難しい。
私は仕事柄、こんな提案書や企画書をつくったと持ってこられることが多いが、大半は粗末な出来だ。自分が案件を決めたわけでなく、会社が案件を決めたのである。
第2は、「独立」「起業」する場合。
自分の営業力を確かめられると、独立や起業への不安が和らいで、踏み切ることが可能になる。社員が数人の零細企業は、社長が仕事を取ってこられれば続く。独立や起業の是非を、営業力の有無で判断するのは基本中の基本といえる。
以前、知人から「創業後10年の会社の生存率は、3パーセントくらい」という話を聞かされたことがある(真偽のほどは分からない)。先の判定を踏まえて起業するなら、この数値はかなり改善されるのではなかろうか。
なお、これは旧来型の一人起業を念頭において述べている。また、会社を大きくできるかどうかは別問題である。
もっとも、個人名刺での飛び込みは、会社にこっそりやるしかない。ばれると、大目玉を食らうかもしれない。
ただ、「トップセールスパーソン」と呼ばれる人のなかで、そうした経験を持つ人が少なからずいることを知ってほしい。
彼らは、つねに働き方を考えており、しかも自己評価を怠らない。忙しさに流される人との開きは、広がる一方である。
説明を補足するなら、先のやり方だと、会社案内や製品カタログ、商品パンフレットを使えないので、自社都合の「推奨営業」を脱却することになる。
いきなり会社説明や商品説明から入ることができないため、顧客を知ることから始めざるをえない。結果として、営業成績はぐんぐん伸びる。
私は一個人として営業活動を行うにあたり、会社案内や製品カタログ、商品パンフレットを持ち歩いたことがない。つくっていなかったのだから。
そして、その習慣は私の営業体質として染みついており、「和田創研」の代表を務める今日でも変わっていない。いまだに会社案内すらない。
実際、きのうは最大手クラスの物流会社を訪れ、重要人物との面談に臨んだが、先方のヒントになりそうな情報を持参しただけである。
私は、これを「おみやげ」と呼んでいる。いかなる場合も商談やビジネスは後回しにし、プレゼントやボランティアを先行させている。
さて、結論―。
いきなり転職、独立・起業するのは、あまりにもリスキーである。
こうした経験を幾度か積むことにより、自分の営業力が信頼に値するかを正確に見極められ、転職、独立・起業してから後悔するという最悪の事態は避けられる。
キャリアアップや自己実現を真剣に望む人は、積極的に試みるべきだろう。

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新卒、第二新卒の方へ言っておこう

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」。
阪急・東宝グループの創業者、「小林一三」の言葉である。
私は、企業研修や公開セミナーで、このブログで、「仕事は、与えられるものでなく、つくるものである」とたびたび述べている。
それは「働く」うえで基本となる心構えであり、「職業人生」で多少の成功を収めようとすれば必須の考え方といえる。
とはいえ、会社に入りたての頃は上司や先輩から仕事を命じられる。それも「つまらない」としか思えない作業が中心になる。
今年は、好景気を背景に、労働市場は圧倒的な売り手優位である。「新卒」はもちろん「第二新卒」についても同様だ。
ちなみに、第二新卒とは、自分が思い描いていた職場や仕事でないとの理由で、2〜3年で会社を辞めた人のこと。ゆえに、キャリアらしいものを持たない。
転職先に困らないご時勢だが、私は若手に忠告したい。
「会社を見切る前に、冒頭の言葉を反すうせよ」。
努力と辛抱の大切さを分かってほしい。

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企画力とソリューションについて執筆

発売されたばかりのビジネス雑誌2誌について。
「フォーブス日本版」6月号で、トップセールスの企画力を取りあげている。私も営業コンサルタントの立場からコメントを寄せている。
「ダイヤモンド・ビジョナリー」6月号で、営業実践大学の公開講座に招いたトップセールスパーソンの取り組みを3ページにわたり紹介している。また、私が「ソリューション」について、2ページにわたり執筆している。
ぜひご購読ください。

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学ぶ目的とは、いったい何か?

当然、学ぶほどに「悩み」が少なくならなければならない。
顔に光が差し、目に力が増してくる…。
では、なぜ学ぶほどに悩みが少なくなるのか。
ものごとを“単純”に考えられるようになるためである。
私たちは、仕事や人生において、ありとあらゆる現実に直面する。
ものごとを“単純”に考えられると、頭や心の霧が晴れるように、その本質や核心が見えてくる。混乱や錯誤から解放され、冷静かつ的確に対処することができる。
「悩み」とも無縁になる道理である。
ものごとを“複雑”に考えたがる習性は、学ぼうとして学べなかった人に特有のものである。
「知識」を取り込むことが学ぶことだと勘違いしている人が多い。知識の過信や偏重は、自信のなさの裏返しである。それでは飢餓感や強迫観念が高じて、悩みを深めてしまう。
松下幸之助に「悩んでも悩まない」という言葉がある。
正しく学ぶと、そういう境地に達するのだろう。
学ぶ目的は、入り組んだ“迷路”のような様相を呈する仕事や人生をシンプルに解きほぐし、ゆったりと楽しむことにある。

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生まれ故郷・直江津へ自分探しの旅

きのう、富山での公開セミナーが終わった後、「直江津」へ向かった。といっても、帰路の途中の駅である…。
通常はその日のうちに横浜の自宅に戻るか、次の場所に移る。
このところ疲れ気味で長距離移動が億劫だったこともあるが、せっかくの機会なので生まれ故郷の土を踏んでおきたかった。
また、営業実践大学が発行する『月刊営業人』で連載中の、直江津在住の池田秀敏さんとお会いしたかった。
今年1月の大学セミナーで、「図解商談」の講師を引き受けてくださった。先だっては、横浜の大学事務局を尋ねてくださり、つたないホームページに対し、率直な助言をいただいた。すべてボランティアで、ありがたいことである。
先週は、ご自分で採ったウドを送ってくださった。自生のせいか、青々としていてびっくり。ご自宅の周辺に、豊かな自然がいっぱい残っているのだろう。妻が煮物と炒め物にしてくれたが、そのおいしいこと―。
私は、直江津駅の真ん前、「ホテルセンチュリーイカヤ」に宿泊した。ロータリーが狭いので、歩いて1分もかからない。不確かだが、半世紀前は木造の「いかや旅館」があったのではなかろうか。ビジネスホテルに建て替えられていた。
小さな地方都市に、堂々たる建物である。館内・室内ともに快適で、しかも宿泊費が安い。スタッフは若手主体で、接客は気持ちよい。満足。
そういえば昨日、富山から直江津に向かう「はくたか」で車内販売の幕の内弁当を食べた。これが、同ホテル製だった。名門なのだろう。
私は、池田さんとこのホテルの2階のレストランで午前10時から2時間半ほど、連載原稿の単行本化の打ち合わせを行った。また、老婆心ながら、彼の仕事などについて、思うところをざっくばらんに話した。
私は、池田さんがビジネスの「図解」の分野で成功することを信じている。関心がおありでしたら、「テオリア」「池田秀敏」「仕事の図解」などで検索してください。 
さて昨夜、駅前に立ったら、子どもの頃の記憶が、家族のさまざまな表情や出来事とともに甦ってきた。妹も直江津で生まれたが、幼児だったので記憶はないはずだ。
ロータリーから直線道路沿いに、当時「呉羽紡績」の出張所を兼ねた自宅があった。「真行寺幼稚園」のそば、直江津警察署の裏辺りである。私たちが引っ越して間もなく「東洋紡績」の出張所となる。
ただし、訪ねて悲しくなった。生まれ育った木造家屋が取り壊され、更地になっていた。
私は、暗闇にしばらく立ち尽くす…。
気を取り直し、周辺を歩いたが、商店通りは確実に衰退している。
全国を転々とした私にとって「故郷」と呼べるのは、ここだけである。市町村合併にともない、直江津市は上越市に名称が変わったが、愛着は薄れることがない。それどころか、歳月が経つにつれて強くなる。
私の過去を振り返り、文字どおり無条件で「楽しい」といえる思い出は、すべてここに凝縮されている。私の原点である。
その後、私はどこへ行ってもよそ者という気持ちを、完全に拭い去ることができなかった。次に好きな伊那市においても…。
故郷を離れたとき、私の心に「喪失感」が巣食いはじめ、それは今日まで癒されることがない。それくらい好きだった。
できるならば、小さな子どもを直江津へ連れて行きたい。
そして、私が何よりも愛した「日本海」を見せてやりたい。さらに、一緒に海で遊んでみたい。夏は、自宅から海水パンツ一つで毎日のように通ったものである。全身、真っ黒だった。
…私は齢を重ねるほどに「私」が分からなくなってきている。
センチメンタルな気分に浸りたいというわけではない。先が短くなり、曖昧にしてきた自分を知りたい欲求が募る。
公開セミナーで四国へ渡って驚いた。40代や50代のサラリーマンが長期の有給休暇を取り、「お遍路さん」になっている。
これが「自分探しの旅」なのか。
私の場合、それは自分が生まれ育ち、働き生きたすべての土地を、記憶の糸を手繰り寄せながら訪れることである(40箇所くらい?)。
今回は、最初の一歩。
おやすみなさい。

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親不孝、富山の実家に寄りつかず

みずほ総合研究所のご紹介により、北陸経済研究所で「提案営業」の公開セミナーを行った。
私は、魚津高校の卒業だが、これまで企業研修を含め、富山県とまったく縁がなかった。感激はひとしおである。
私の十余年の講師経験では、「提案営業」の公開セミナーは、大都市でないと成立しにくい。実は、一地方都市で受講者が集まるのか、かなり心配した。
ところが、大盛況。
皆さま、まことにありがとうございました。
…そうか。富山県は、偉大な実業家を輩出しているし、世界の「YKK」を筆頭に優良企業も少なくない。私は、底力を思い知らされた。また、ぜひ呼んでください。
余談になるが、私は、魚津で有名な、富山湾の「蜃気楼」を一度も目撃したことがない。昔読んだ「井上靖」の小説に、魚津の蜃気楼の記述があったような…。記憶違いだろうか。
私は親不孝の極みで、大学進学で上京して以来、実家に寄りつかなかった。でも、気まぐれ(予告なし)に帰省すると、父と母が大騒ぎして、夕食にかならず豪華な「ぶり」の刺身を出してくれたような…。記憶違いだろうか。
それにしても、両親がこれほど喜んでくれるのだったら…。なぜ、もう少し戻ってあげられなかったか…。
さみしかったろう。「悔い」が残る。
おやすみなさい。

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懐かしさが込みあげてくる、富山…

私は、いまから「富山」へ向かう。
新幹線ときと特急はくたかを乗り継いで、同県で初の公開セミナー。
嬉しい…。
父が生まれ育ったのが「入善」。母が疎開したのが「泊」。父が勤め終えたのが「YKK」。私が卒業したのが「魚津高校」。両親の自宅があり、いまは妹夫婦が住まうのが「滑川」。
懐かしい…。
夜7時から富山第一ホテルで妹とゆっくり和食を楽しむ約束。
待ち遠しい…。
そして、私はそのまま泊まる。明日のセミナー会場なのだ。
もう気持ちが高ぶりはじめている。今晩、うまく寝つかれるかなあ。
そうだ、秘書がチケットを手配してくれたが、「JR東日本は全面禁煙です」と告げられたとか。
苦しい…。

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知識は所詮、他人のものでしかない

私は思う。
「知識は他人のもの。気づきは自分のもの」。
その証拠に、「知識」の大半は、自分のものとして堂々と発表することができない。遠慮がちに引用するのが関の山である。
世の中、他人の知識をたくさん持っているくらいで「学んだ」と言い放つ人が多すぎないか。
そもそも、学んで自分のものにならないなんて悲しすぎる。まして、学ぶためにわずかでもカネを使っているとしたら…。
知識は、実践を得て、「気づき」へ高められる。咀嚼され消化され吸収されて、自分の養分に変化した状態である。
知識そのものを競う一部の職種は例外として、私たちは広い意味での行動の「成果」によってしか評価されない。
気づきの豊かさと深さが、職業人生で手にする“果実”の大きさを決定づける。
仕事に関わる「勉強」については、明確な目的のもとに、必要不可欠な手段と位置づけて進めることが大事である。
何かに役立つかもしれないと思ってする勉強では、なかなか何かに役立てられない。
おやすみなさい。

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講座/職業学習の順序と方法(2)

第2は、「他人」から学ぶ。
人を“見る”ことである。優れた人から学ぶ。劣った人を「反面教師」にするやり方もないわけでない。だが、能力が要るし、効率も悪い。劣った人からは、優れた人との比較において学ぶのが正解だろう。
さて、私たちは、人と接した瞬間に感じることがある。
例えば、「自分より豊かそう」「自分より幸せそう」。
そう思うとき、その人は相当に“上”である。
だれしも年に数回くらいは、そうした人に出会う。名刺を交わし、懐に飛び込んで、その働き方や生き方に触れていく。
学ぶうえでの最大の“障害”は、他人の優れている点に気づくことのできない自分にある。勉強に励むわりに、仕事で成果を出せない人の共通項といえる。
自分より優れているから“上”にいる。上から何をつかみ取れるかは、本人次第である。
以上、私にとっての学ぶ順序と方法の基本である。これを実行できる人は、職業人生で多少いい思いを味わえるのでないか。
なお、自ら行うにしろ、人を見るにしろ、「因果関係」を突き止める。そして、就寝前に大学ノートに走り書きしておく。この継続―。
そのためには、とことん「考える」しかない。
だが、それはつらく孤独な行為である。どうしても「本」へ走りたくなる。考えることから逃げてならない。
例えば、自分や他人を参考にしてこの内容を考えることは、本で知ることと比べて、十倍や百倍は大変である。
第1と第2で精一杯のはずだが、もしも時間が余ったなら…。
第3は、「書籍」から学ぶ。
第1と第2はタダということもあり、こちらを優先させるのが賢明だろう。

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講座/職業学習の順序と方法(1)

職業人として、どのように「学ぶ」ことが、もっとも効果的だろうか。
学ぶ順序と方法の基本があるに違いない。2日間にわたり、私が大切にするやり方を述べてみたい。
第1は、「自分」から学ぶ。
自ら“行う”ことである。挑んだ現実と経験から学ぶ。身近な機会でありながら、圧倒的に貴重である。
何かを試みたら、なぜうまくいったのか、なぜうまくいかなかったのかを納得できるまで振り返る。昼食休憩や通勤電車、風呂やトイレ、ながら視聴や散歩など、くつろげる時間や場所で…。あ、ベッドに入ったら忘れよう。
私は、学ぶ場合に、これが最上位に位置すると信じる。
学ぶうえでの最大の“不幸”は、自分の現実と経験から多くを気づくことのできない自分にある。勉強に励むわりに、仕事で成果を出せない人の共通項といえる。
続きは、あした。

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あなたの「営業力」はいかばかり?

あなたの「営業力」は、いかばかりか。
市場で、顧客先で、営業担当者がぶつかり合いながら、勝敗が決まる。
そうした商談結果を左右するものが営業力である。売り上げや利益などの数値、すなわち「個人成績」が大きな目安となる。しかし、それをもって自分の営業力と判断するのは乱暴だし、危険すぎる。
やはり、大手・中小・零細企業、上位・中位・下位企業といった、企業の規模や業界地位を考慮に入れる必要がある。
個人でやっている場合を除き、すべての営業担当者は、会社という土台に乗って、営業活動を進めている。各人が他社と闘う際の土台の高さがまるで違うわけで、「企業力」とはこのことである。
大手企業や上位企業で働く人は、そうした“有利さ”を貪欲に生かして成果を上げるのは当然だろう。
ただ、怖いのは、それを自分の“実力”と勘違いすること―。
本当は会社の看板やブランドの力で売れているだけなのに、自分の力で売っていると錯覚してしまう。
大手企業や上位企業に勤める人が、何らかの事情があって、とりわけ“中高年”で転職する際には、いまより規模が小さい企業や業界地位の低い企業になると考えなければならない。
私は昔、大手企業で長年やってきた人を採用したことがある。
おおいに期待したものの、いい報告が一向に上がってこない。給料の設定で相当な無理をしたので、これでは困るし、放っておけない。
営業活動に同行してみて、あまりのひどさに愕然とした。
「私はずっと******で働いていた」というところから始まる。結局、4カ月ほどで去っていった。
そうそう、破綻した証券会社の営業担当者を採用した知人が、似たような感想を漏らしていたっけ…。
一生会社に留まれる時代なら、まして「固定給」の時代なら、自分の営業力をそれほど気にしなくてよかった。出世を諦めればよい。
しかし、私たちはバブル崩壊後にリストラや再編をいやというほど見聞きしてきた。この先も恐らく、景気の変動にともなって幾度も繰り返される。
……私たちは、自分の営業力を正しく見極めるべきである。言い換えれば、それは営業としての「市場価値」を知っておくことである。
「営業力=個人成績−企業力」。
大手企業や上位企業で働く人は、自分の営業力は実際よりも大きく“かさ上げ”されたものだという認識を片ときも忘れてならない。
そうでないと、いざというとき、自分の精神や家族の生活があっけなく壊れてしまう。

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私は女性の愛情に応えただろうか?

これまで、女性からいっぱい「愛情」を注いでもらいながら、女性へほとんど愛情を返せないでいる。
これは、昨日のブログの一節である。
ふと思った…。なかには“誤解”する人も出てくるのではないか。
「女性からいっぱい愛情を注いでもらいながら…」であって、「いっぱい女性から愛情を注いでもらいながら…」でない。
「いっぱい」は、愛情に係り、女性に係らない。
私は、女性が多くて、愛情を返せないわけでない。私は、注がれた愛情の大きさと深さに、どれくらい応えてきたか、「自責」の念に駆られるという意味である。
したがって、冒頭の言葉は、第一に、ともに暮らしともに働く「妻」を念頭に置いたものであることは、言うまでもない。
おやすみなさい。
とくに、妻の誤解が怖い。

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映画「ラストコンサート」を観る

映画「ラストコンサート」を観る。
みずほ総合研究所で、恒例の「提案営業」の公開セミナーを行った。 
きのうは東京、きょうは大阪。受講者の皆さま、ありがとうございました。
本サイトには、提案営業に関連する情報が盛り沢山です。どうか講義内容の確認や補強、掘り下げに活用してください。また、「営業実践大学」にご参加ください。
…さて、研修やセミナーが続くと、体はくたくたに疲れているのに、頭が興奮して寝つかれないことがある。とくに年をとってから、ひどくなった。体調の維持がとても難しい。
きょうがその日で、早めにベッドに入ったが、どうしても寝つかれない。
ここで眠ろうと焦ると最悪の事態を招いてしまうことを、長い講師経験から知っている。
何とはなしにテレビをつけると、深夜映画をやっていた。NHKのBS2である。
若い娘と老いた男という不思議な二人連れ、そして魅力的な旋律…。
結局、1時間ほどで、全体の半分か3分の2くらいを観たことになるのだろうか。
前半を欠いたので、ストーリーが分からない。タイトルも終わって分かった。
不治の病に侵された、余命いくばくもない娘に励まされつづける、売れない作曲家・ピアニスト…。
情けない。男と自分が次第に重なってくる。
そういえば、母も前妻も病の床で弱音を吐かず、私を励ましつづけた。
これまで、女性からいっぱい「愛情」を注いでもらいながら、女性へほとんど愛情を返せないでいる。
つらい映画だ。

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勉強が目指す最終的な姿とは何か?

学生と社会人。どちらがより「勉強」が必要だろうか。
親の保護下を離れ、自立しなければならない社会人に決まっている。だから、勉強することは褒められてよい。
しかし、懸命に勉強しているのに、成果があまり上がっていない人も少なくない。まして、豊かさや幸せを手に入れたという実感をほとんど持てない。
それどころか、勉強するほどに、周囲に対して「不満」を募らせるようになる。会社や上司は自分を認めてくれない、顧客は自分を分かってくれない…。
学んだ結果としては最悪の状態である。
勉強が目指す、最終的な姿とは何か。私は、2点に尽きると考えている。
第1は、心が開いていること。
第2は、勇気を授かっていること。
つまり、よりよい人生を切り開いていくうえで根本となる積極的な精神を獲得し、それが体質に昇華した状態にほかならない。
第1について―。心が開いていなくては、人が入ってこられない。
「他者」を呼び込めないと、自分の努力が孤立してしまう。異質の努力を受容・吸収し、互いの努力を共鳴・増幅させる前提といえる。
世の中、出会いや縁を生かせない人であふれ返っている。それもこれも心が開いていないためだ。私のような凡人は人を助け、人に助けられるべきである。
どこまで人と広く深く関われるかは、己の心のありようで決まる。勉強は、生まれつき持つことのない、この「度量」をもたらすものでなくてはならない。
第2について―。勇気を授かっていなくては、未知の行動を起こせない。
頭に取り込んだ知識は、勇気に励まされ、体を巻き込んだ挑戦へ結びつく。つまり、知識は、勇気を触媒として、「成果」に変容する。
知識の実践につきまとう「恐怖心」に打ち克つ前提といえる。勉強は、生まれつき持つことのない、この「覚悟」をもたらすものでなくてはならない。
また、知識を得るには、費用と時間という相当な投資が必要になる。その典型が「資格」である。勇気がないと、支出がかさんで、実入りが少ない。
心が開いていること、勇気を授かっていること。
自分は正しい学び方をしているか、ときおり問いかけよう。
ちなみに、「学ぶとは、学び方を考えることである」。
私は、大阪のホテルに宿泊。おやすみなさい。

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松下幸之助の言葉にただただ溜め息

昨日の話に関連して…。
「リストラ」の嵐が吹き荒れていた21世紀初頭、営業実践大学の公開講座でのこと。
大手系列の中堅企業に勤める「トップセールスマン」をゲストに招く。
話が終わり、最後に会員から質問を受け付けた。
「定年は何歳ですか」。
「定年は、会社が決めるものでなく、自分が決めるものです」と、即答した。
やはり、能力の問題である。
当時、この業界はどん底に沈んでいたが、彼の「職業人生」を何ら左右しない。
……私は、リストラされた人を間近で見てきた。
負う傷は深く、長らく癒えない。
心のどこかで、「自分をリストラした会社が潰れればいい」。でも、実際には会社が甦ったりする。気持ちは複雑だろう。
潰れれば寂しいし、甦れば悔しい。
「リストラされ、いい転機になったよ」と、家族にも友人にもそしてかつての同僚にも、心からそう言えるようでありたい。
そのために、「有事に備える」。
10日に開催された営業実践大学の「懇親パーティ」で、とても勉強熱心な会員が私に語った。「先生、一寸先は闇ですから」。同感。
「松下幸之助」に、溜め息が出るほど、すごい言葉がある。
「何事も結構」。
穏やかにそう言えるようになるには、どれほどの努力を積み重ね、どれほどの試練を乗り越えたらよいのだろう。
私が知る範囲で、経営者の名言ナンバーワンである。
すごい、頭がくらくらする…。
私は、都心のホテルに宿泊。おやすみなさい。

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自分がリストラされる可能性は?

自分は「リストラ」される可能性があるか?
判定は、簡単だ。
自分がいなくなっても、いまの会社や部署が続いていく、やっていけるとしたら、リストラの対象になる。
ここ2年ほどの好況で、私たちは吹き荒れた嵐を忘れかけている。自分と家族の生活を守るには、そうした問いかけを決して忘れてならない。
そして、肝心なことは、その答えが会社の側でなく、自分の側にあることだ。
リストラは、「会社の事情」によると考えたいのは分かる。しかし、「自分の能力」によると考えたほうがよい。放り出して助かるのが会社であり、放り出されて困るのが自分である以上…。
リストラが「他責」と考える限り、能力は伸長しないし、人間は成長しない。それでは、景気が悪くなるたびに放り出される。たまったものでない。
いっとき、リストラされた人がタクシーの運転手にかなり流れた。
長距離乗車などで、私はよく愚痴をこぼされた。黙って聞いていて、気の毒とは思うが、これじゃあ仕方ないかとも思った…。
「転ばぬ先の杖」。
実は「平時にしか備えられない」。つまり、ここ数年である。
まず、いまの部署や会社で、かけがいのない存在になろう。そうすれば、まさかのときに“拾う神”も現れる。
皆さま、一緒に学びませんか。

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ハーバード・ビジネス・レビュー

「クリエイティブ資本主義」。
最近、ご縁ができて、最短での株式公開を目指す「ベンチャー企業」の創設に参画している。私は、プロジェクトチームの端くれにすぎないが…。
無報酬で、しかも見ること聞くこと何もかもが新鮮だから、仕事なのに遊んでいるみたい。こんなエキサイティングな気持ちになったのは、いつ以来だろう。
このことか、クリエイティブって、心も頭も若返る…。
ところで、そのメンバーから「HBR」という言葉が、当然のように出た。当然のように出ると、あせる。
これって、「ハーバード・ビジネス・レビュー」という雑誌のことだったんですね。
帰り道、東京駅そばの八重洲ブックセンターに寄り、同誌5月号「クリエイティブ資本主義」を買い求めた。リチャード・フロリダという大学教授が提唱しているとか…。
色もろくについていないのに2千円、いい値段である。
電車で袋から取り出し、裸で持っていたら、30代の女性から尊敬の眼差しを向けられた。私は、軽く会釈する…。
どのみち理解できないので、読みはしないが、1週間くらい机のかたわらに積んでおく。
これだけのことで、顔つきがちょっと知的になったりするから不思議である。
おやすみなさい。

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カナガワビエンナーレ審査結果

先頃、「第14回カナガワビエンナーレ国際児童画展」の審査結果がホームページ上で発表された。
応募者は、神奈川県と世界百カ国以上の子どもたち。横浜港などを抱える、神奈川県にふさわしい企画である。
ビエンナーレとは、2年に1回という意味のイタリア語。
さて、3月1日のブログで紹介したように、小学3年生の子どもは「みんな仲よし、夢の学校」という空想の作品を応募した。長らく通う、センター南駅そばのお絵描き教室、笠井一男先生が主宰する「横浜画塾」を通して…。
4月8日のブログに掲載した「第4回ブリヂストンこどもエコ絵画コンクール」の応募作品「自然広がる小笠原!」のちょうど倍のサイズ、四つ切り(380ミリ×540ミリ)である。やはり迫力が違う。
巨大な樹木と、その根っこから広がる、奔放なイメージを絵にしたもの。
画用紙の左半分の“影”の部分が「恐竜の時代」である。そして、右半分の“光”の部分が「自然のテーマパーク」である。遠くに校舎も見える。
そこでクラスメイトが楽しく遊んでいる光景である。
精一杯の情熱と手間を注ぎ込んだが、残念ながら選外に…。
なお、写真はひどく黄色っぽく、くすんでいる。原画は全体にかなり青っぽい印象である。赤も強い。きわめて鮮やかな色彩である。
制作の過程は、「自然広がる小笠原!」と同じく、凄まじいものだった(割愛)。
アイデアをあたためた時間…。絵を描くための資料を探し回った時間…。夕食や入浴の後、就寝の前など、気になる箇所に手を加えつづけた時間…。
これらを足しあげるだけで、かなりの時間になる。それを含めないで、スケッチから完成まで、妻が把握している範囲でも40時間以上は費やしている。
合計では「60時間」に達するだろう。
9歳の子どもの限界を超えた集中力と努力、そして上位入賞への執念で、この作品を完成させた。
とくにこだわったのは、「アイデア」と「構図」である。子どもの絵の最大の特徴といってよい。前者については、発想訓練を積んできた。
親のひいき目では素晴らしい作品だが、絵の「才能」が乏しいのか。
まあ、才能が豊かな子どもは、こうした絵を描かない。
アイデアだの構図だの、気合だの死力だのは、ほとんど関係ない。ごく普通に、ごく自然に描いて、なおかつ見る者へ強く訴えかける作品に仕上がる。
私が審査結果を伝えると、子どもは目を伏せた。親といえども悲しい表情を見られたくないのだろう。いとおしい。
最近ではすっかり自信を失くしたようで、「絵は難しい」「絵が分からない」などともらすようになった。
描くことは大好きだけれど、描くことに迷いが出ている。
心底、絵が好きな子どもだった。幼児期、裏が白のチラシを妻にねだっては、来る日も来る日も絵を描いていた。
どうか早く吹っ切れてほしい。頑張っていれば、そのうちにいいこともある…。
お絵描き教室の笠井一男先生からも、そうした言葉をいただいたようだ。
なお、カナガワビエンナーレ国際児童画展は、応募票に明記すれば、選外作品は有料で返却される。
子どもの手元に、まもなく絵が戻ってくる。せめてもの救いである。
おやすみなさい。

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職業人生でどう頂点を極めるか?

「できることは、もうやらない」。
本気で職能開発やキャリアアップを望むなら、これしかない、これだけでよい。
単純明快。
それは、私自身が働くうえで最重視した姿勢であり、決意であった。とくに22〜44歳くらいの、仕事の成長期において―。
誤解がないように、説明を補足したい。
「これに関しては、自分は十分にやれる」と思うことを、決して行わないという意味である。
これを守って働くならば、だれもが職業人生で行けるところまで行ける。その人なりの“頂点”を極められる。
耳慣れた「自己実現」とは、このこと。難しく考えたらダメである。
以前、公開セミナーでそう語ったところ、「私はサラリーマンですから、それは無理です」と、休憩時間に話しかけてきた受講者がいた。
それは誤解です。
いつとはなしに世間や会社から「マインドコントロール」されてしまった人間の、典型的な意識・発想である。
最大の問題は、例えば人事異動に従って当然という本人の「精神土壌」にある。ああ、いったい自分はどこへ行ってしまったのだろう…。
そもそも本人の意思や意向をまったく無視した転勤だのジョブローテーションなど滅茶苦茶だ。実際、最近お会いした社長が、そう怒っていた。
私は、公開セミナーや企業研修の受講者から、丁寧な手紙をいただくことがある。
以下は、日本を代表する大手企業の地方支社で働く方から…。なお、私が一部を抜粋し要約している。
「和田先生に教えていただいた提案営業を、顧客はもちろんですが、本社の上層部へ積極的に行いました。その努力が認められて、社運を賭けたプロジェクトチームのメンバーに抜擢されました。驚きです。ありがとうございます」。
驚きでなく、それは常識です。おめでとうございます。
会社勤めの方であれ、働く部署も、そこでの仕事も、すべて自分が“主導権”を持って決める。あなたが、職業人生を謳歌したいと願うなら…。
そのために懸命に努力したにもかかわらず、それが叶わない会社だというのなら、見切りをつけるだけの話である。
だって、1度限りの人生だもの…。「あいだみつを」ふう。
おやすみなさい。

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営業実践大学での教えになるほど!

「サンタさん営業、ドロボー営業」。
たとえが、実に見事だ。
たったいま、営業実践大学の公開講座から自宅に戻ったところである―。
大学セミナーの講師は、YSコンサルタントの「岡田基良」社長である。同社の「佐藤康行」会長が開発したカリキュラムに基づき、講義を行ってくださった。
その教えは非常にシンプルだが、これにより指導先で顕著な業績伸張を成し遂げてきた。
「顧客から得ることを追求する営業から、顧客に与えることを優先する営業へ転換する」。それが、冒頭の比ゆである。
同感だ。私の昨日のブログと通じる。
もう一つ。仕事に限らず、「目標設定」の重要性は、だれしも理解している。もちろん、私も…。
しかし、私たちは「得る目標」を立てることはあっても、「与える目標」を立てることはほとんどない。
耳の痛い指摘だ。いやー、勉強になった。
岡田先生、佐藤先生、まことにありがとうございました。
皆さま、おやすみなさい。

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お客さまの目に、うっすらと涙が…

お客さまの目に、うっすらと涙がにじむ…。
私が営業活動を行うと、そんなハプニングが起こる。年に1〜3回くらい。
私は、何も社長や役員を泣かせようと思って、話をしているわけでない。
まず、営業としての志や信念を伝える。そして、顧客の繁栄や幸福を念頭に置いて、思うところ、考えるところを述べる。ときに、勢いが余って苦言を呈することもある。それが、お客さまの胸を強く打つようだ。
経験上、こうしたときは自然に商談がまとまる。また、すぐに仕事にならない場合でも、後に何らかのきっかけでつながったりする。
責任感の強い営業パーソンほど、顧客に「商品」を売るという商談の結果に拘泥しやすい。それで成績がついてくるなら問題はないが…。
案外、商談の過程で顧客に「感動」を与えることに専念すればよいのかもしれない。
今日はここまで。
明日は営業実践大学の公開講座が開催される。どうか皆さま、ご参加ください。

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こどもエコ絵画コンクール審査結果

先日、「第4回ブリヂストンこどもエコ絵画コンクール」の審査結果がホームページ上で発表された。
同日、わが子の絵が鮮明にプリントされた「Tシャツ」が手元に送られてきた。思いがけないプレゼントに、私と妻はびっくりした。
応募要項に、そんなアナウンスは一切なかった。サプライズの演出が見事だ。
1万7千名を超える応募者全員に、個別対応の記念品を贈るとは…。力のあるブリヂストンでなくては、絶対にできない。
また、応募者に対する、主催者の“心遣い”が伝わってくる。作品を返さない代わりに、作品をメモリーに仕立てて届ける…。
さて、3月1日のブログで紹介したように、小学3年生の子どもは「自然広がる小笠原!」という空想の作品を応募した。八つ切り(270ミリ×380ミリ)である。
麦わら帽子の頭の部分を“島”に見立て、つばの部分を“海”に見立て、それを子どもがかぶっている光景である。さらに周りに小笠原の動植物を配している。
精一杯の情熱と手間を注ぎ込んだが、残念ながら選外に…。
制作の過程は、凄まじいものだった。
「ラフスケッチ」を重ねながら、アイデアを膨らませ、構図を固めていった。個々のモノの形にもこだわる。
そして、画用紙に「下絵」を何枚か描き直した。
ようやく着色。これがもっと大変だった。初の不透明水彩を用いる。重ね塗りが利くので、気に入るまで何度もやり直す。
仕上げがさらに大変だった。思い通りにならず、画材店で細筆を買いそろえる。ある部分を描き込むと、そうでない部分の出来が引っかかるようだ。
完成に近づくほど線が細くなる、点が小さくなる。それはドットのようで、目が悪くなるのではと心配した。気の遠くなるような、緻密な作業の連続だった。
着色と仕上げの繰り返しで、画用紙が重くなる。結局、週末と祝日、平日の帰宅後、さらに冬休みもつぎ込むことに…。
とりわけ苦労したのは、麦わら帽子のつばの部分の「海」に、波の線を入れたときである。楕円状にきれいに引けなくて、恐ろしい時間がかかった。
子どもは幼児からスイミングクラブに通い、泳ぎに自信があるし、海に愛着がある。まだ見ぬ「小笠原」への憧れを、この作品に託した。
アイデアをじっくりとあたためた時間…。絵を描くための資料をいろいろ探し回った時間…。夕食や入浴の後、就寝の前など、気になる箇所にちょこちょこ手を加えつづけた時間…。
これらを足しあげるだけで、かなりの時間になる。それを含めないで、スケッチから完成まで、妻が把握している範囲でも30時間以上は費やしている。
合計では「50時間」に達するだろう。
子どもは応募に先立って、過去のすべての入賞作品を丹念に見た。そして、それらをどうしても“上回る”という決意と気迫で取り組む。
大人でもそこまではムリという、9歳の子どもの限界を超えた集中力と努力、そして上位入賞への執念で、この作品を完成させた。
むろん、時間や労力をかければいいというものでないだろう。やはり、資質や感性が一番大事なのかもしれない。
私も妻も絵に関しては素人なので、「良し悪し」は判断できない。落胆したが、それが複数の専門家が下した客観的な評価だと冷静に受け止めている。審査結果に異議を唱えるつもりは、毛頭ない。
だが、子どもはどうしても納得がいかないのだ。
「なぜ、ぼくの絵はダメなの?」。
そう問われ、私たちは答えられなかった。親のひいき目で、とても素晴らしい作品に思えるからだ…。
私は、制作の過程を振り返り、つくづく思う。
子どもは、私の“血”を引いている。それは、私の姿そのものである。
なぜ、子どもは、度を超して頑張ったか。理由は一つ。「自分に絵の才能がない」ことが、よく分かっているからだ。
私は、才能のなさを、努力の大きさで、ひたすらカバーしてきた。
血は争えない。子どもへの“いとおしさ”が一段と増す機会になった…。
ところで、今回の経験もあり、これだけのエネルギーを注いで絵を描くことは、二度とないだろう。この作品は、子どものかけがえのない「宝物」であり、この時期を精一杯生きた「証」である。
いまとなっては、子どもは、自分の作品が戻ってくることだけを願っている。
私たちも、この作品が消えてしまうことに耐えられない。
実は、3月に入ってから、子どもが「審査結果」をずっと気にしていた。中旬に入ってからは、学校から帰宅すると、親の表情を覗き込むようになった。日が経つにつれ、それは痛々しいほどだった。
私たちは、そうした事情を詳細に手紙にしたためて、こちらの費用負担で作品を返却してくださるよう、礼を尽くして主催者へ申し入れている。
もちろん、応募要項に記載があり、法的には返却されなくて当然なので、ひたすらお願いするしかない。主催者のご厚意にすがるしかない。
本コンクールは、子どもたちに夢や希望を与えるものでもあると思う。
子どもが、作品の返却を待ち侘びているのだ…。
子どもは頑張って描いた。今度は、私たちが頑張って返してもらう番だ。
キャンペーン資材として活用するので返却できないとの返事だが、選外作品はその機会も限られるし、仮に活用されたとしても1年間に留まる。終了後で結構。
私たちは粘り強く、主催者へ作品の返却を求めていきたい。
子どもが大人になったとき、この「悔しさ」を懐かしく振り返れる日が、かならず来ると信じている。
最後に、絵画コンクールの主催者は、希望者への「有料返却」をぜひとも制度化してほしい。
とっくに時代は変わった。なかには、幼少期から絵の専門教育を受け、早い段階からプロフェッショナルを目指す子どもだっているのではないか。
そうでなくても、子どもが命がけで描いた作品を返してもらいたいと願うのは、私たちだけではあるまい。
おやすみなさい。

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黒崎輝男氏の凄い言葉に、イタタッ

「とらわれずに、こだわろう」。
デザインプロデューサー・黒崎輝男氏の言葉にハッとした。
私には、私なりに「こだわり」がある。会社や仕事、生活や人生、家庭や社会…。
とくにオンに関しては、提案営業バカを自認し、提案営業一筋を打ち出した。
私は、営業研修の常識から外れた「8日間」という重いカリキュラムを構築し、営業関係者を教育してきた。
営業ものは、1〜3日間のカリキュラムが主流だ。多忙な営業関係者を何日も拘束するわけにいかないというのが、それを採用する企業の本音である。
しかし、長くて嫌われがちな8日間さえ「基礎コース」という位置づけだ。私は、顧客が主役の時代に働く営業関係者にとり、「提案営業」は必須と考える。また、それは奥が深く、習得が容易でないと思う…。
いつの間にか提案営業研修は、私のブランドと言えないまでも“代名詞”になった感がある。事実、同業者の集まりなどで挨拶する場合は、「提案営業の和田創でございます」と述べている。これで通るし、笑いも起こる。
だが、人は「こだわる」あまり、知らず知らずのうちに「とらわれている」ことがある。
こだわりとは、「特化」による存在の際立ちである。とらわれとは、「呪縛」による存在の硬直化である。存在を「個性」と言い換えてもよい。
両者は、別物だ。
「こだわり」に己が縛られはじめ、そのうち“身動き”が取れなくなる。自分自身をがんじがらめにしてしまった状態で、これが「とらわれ」である。
こうした実例は、私がコンサルタントとして、オーナー企業や名門企業などでしばしば目撃してきた。大半は、業績が低迷するか下落している。
そもそも、こだわりとは、それを捨てると、もう己でなくなってしまうという、のっぴきならない「存在証明」のようなものである。
案外、私たちは、こだわりを捨てても、生きていけたりしないか。
それどころか、こだわりを捨てると、生きやすくなったりしないか。
己の存在証明と呼ぶに値する「こだわり」が、どれほどあるだろう。冷静に検証する必要がありそうだ。
こだわりを持つことで危険なのは、「視野」が狭くなることである。さらに、「環境変化」への適応が難しくなることである。
そして、そうした状態は「とらわれ」に違いない。
こだわりが、自分の働き方や生き方、触れあい方を、窮屈で退屈なものにしていたのではないかと、考えはじめている。
「とらわれずに、こだわろう」。
私にとって、非常に耳の痛い言葉である。

Copyright ©2007 by Sou Wada

学んだあげくダメになった人の話

昨日の続き。学んだあげくダメになった人の話―。
公開セミナーで、休憩時間に参加者が近寄ってきた。いやな予感。
近寄られるのがいやなのでなく、この参加者がいやなのだ。
パンフレットに「基礎講座」と謳ってあったのに、どうやら講義のレベルに不満があるらしい。
「企画関連の勉強を続けてきた」と、誇らしげに言う。私の知識はたいしたことがないというニュアンスを、何としても伝えたいようだ。
私は、無表情を装う。
講義の終了後、じれた彼が「自分が作成した企画書を見てほしい」とやってきた。
初めからそう言いなさいよ、まったく。この手合いが多い。
――やっぱり。私は、あまりのつたなさに、うれしくなった。でも、吹き出してはいけないから、無表情を装う。
「企画書」をすぐに戻したのが、彼は気に食わないようだ。
「なぜ、ちゃんと見ないのか」と、顔に書いてある。
もちろん、見る価値がないからだ。私のほうが、10倍、20倍、30倍は上だなぁ…。だって、その気になれば、それで食べていけるもの。
立案した企画内容、作成した企画書、その出来が肝心なのだ。
たくさん学んだとか、ほとんど学ばなかったとか、どうでもいいことである。
たくさん知っているとか、ほとんど知らなかったとか、どうでもいいことである。
おやすみなさい。

Copyright ©2007 by Sou Wada

“横串学習”をもっと大切にせよ

ホワイトカラーの仕事がどんどん細分化し、高度化している。
一昔前は、仕事の“幹”を知っていればすんだ。現在は、そこから加速度的に“枝分かれ”が進んでいる。
それらをすべて習得しようとすると、年がら年中勉強するハメになる。知識そのものを競う学者や評論家などの職種は別とし、一般の職業人はもっぱら仕事の「成果」によって評価される。あまり賢明なやり方といえない。
仕事を進めるなかで、疑問や壁にぶつかったときに人や本に当たってみるといった“いい加減”な気持ちでよいのではないか。
根が真面目だと、あれもこれも勉強しなくてはという「強迫観念」に追い立てられるようになる。心を患いかねず、要注意の状態である。
ここに、枝分かれしたものに“横串”を通すという、ベーシックな、しかもスキルへ寄せた学習の意義と必要性がある。
業務に直結する部分は掘りさげて学ぶとしても、それ以外の分野は基礎的かつ実践的なところを学べば間に合う可能性がある。
忘れてならないのは、横串となる学習が貧弱だと、枝分かれした勉強に振り回されやすいことである。また、咀嚼率、吸収率が悪くなる。
よく指摘されるが、その会社や仕事に限り使用できる知識と、世間で広く応用できる知識がある。知識の習得では、このバランスに留意する必要がある。
1日は短い。そして、1年は短い。
職業人生を謳歌したいなら、役立てられない勉強を行うヒマはない。
「使うものしか勉強しない。勉強したらかならず使う」。
勉強が目的と化してしまった人からは、どこか“世捨て人”の風情が漂う。
誇るべきは、学習の努力でなく、仕事の成果である。
ここをはき違えないよう、肝に銘じて学んでいこう。

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プロフィール
wada01











和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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