昨日、私のブログで、「本は読み終えてからが勝負となる」と述べた。
仕事に関わる読書においては、「読む」ことで満たされると、「学ぶ」ことから遠ざかりやすい。
また、読むことで満たされると、やがて読むことが学ぶことだという勘違いが起こりかねない。
昨日明かした時間配分は、あくまでも私自身の頑固な流儀であるから、それは置いておこう。
さて、職業人生で多少なりとも成功をつかもうとする人が、肝に銘じたい本との“つきあい方”がある。
それは、「読む」が1、「考える」が2〜3、「行う」が3〜9という“黄金則”だ。
分かりやすい話をしよう。
なお、「行う」にはいろいろあるが、ここではその一つの「まとめる」に絞りたい。
1冊、本を「読む」。
そうしたら、そのテーマなり内容なりについて引きずりつづける。つまり、じっくり「考える」。
そのうえで、やおら「まとめる」。
…それが、自分の考えをきちんと表していたら、「本から学んだ」ことになる。著者の知識をおおよそなぞっていたら、「本から知った」ことになる。
「知った」と「学んだ」は次元が異なるので、「知った」ことを「学んだ」と思うのは致命傷である。
それは、本を読んでいるわりに血にも肉にもならず、仕事も職業人生もあまり“変わり映え”のしない人の共通項だ。
念を押したい。本は「読後勝負」である。考えること、まとめる(行う)ことに注力せよ。
読む、考える、行う。
この3つのうち、もっとも楽なのは「読む」である。
「本に逃げない」。
ある分野に関して、他人の本を10冊も読んだとしたら、自分の本を1冊は書かないと…。
誤解がないよう、説明を補足したい。
私は、何も本を読むことを否定しているわけでない。大事なのは、本とどうつきあうかだと主張している。
本をせっかく読むのだから、本から多く学んでほしい。
切にそう願う。
…ところで、本から正しく学べない人が犯しがちな最大の過ちは、持っている知識の多寡で人の価値を判断することである。
それは、持っているモノの多寡で人の価値を判断することと変わりがない。
どうです、皆さんの周りにいませんか?
そうした人は、もっとも下品な部類に属する。
Copyright ©2007 by Sou Wada
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仕事に関わる読書においては、「読む」ことで満たされると、「学ぶ」ことから遠ざかりやすい。
また、読むことで満たされると、やがて読むことが学ぶことだという勘違いが起こりかねない。
昨日明かした時間配分は、あくまでも私自身の頑固な流儀であるから、それは置いておこう。
さて、職業人生で多少なりとも成功をつかもうとする人が、肝に銘じたい本との“つきあい方”がある。
それは、「読む」が1、「考える」が2〜3、「行う」が3〜9という“黄金則”だ。
分かりやすい話をしよう。
なお、「行う」にはいろいろあるが、ここではその一つの「まとめる」に絞りたい。
1冊、本を「読む」。
そうしたら、そのテーマなり内容なりについて引きずりつづける。つまり、じっくり「考える」。
そのうえで、やおら「まとめる」。
…それが、自分の考えをきちんと表していたら、「本から学んだ」ことになる。著者の知識をおおよそなぞっていたら、「本から知った」ことになる。
「知った」と「学んだ」は次元が異なるので、「知った」ことを「学んだ」と思うのは致命傷である。
それは、本を読んでいるわりに血にも肉にもならず、仕事も職業人生もあまり“変わり映え”のしない人の共通項だ。
念を押したい。本は「読後勝負」である。考えること、まとめる(行う)ことに注力せよ。
読む、考える、行う。
この3つのうち、もっとも楽なのは「読む」である。
「本に逃げない」。
ある分野に関して、他人の本を10冊も読んだとしたら、自分の本を1冊は書かないと…。
誤解がないよう、説明を補足したい。
私は、何も本を読むことを否定しているわけでない。大事なのは、本とどうつきあうかだと主張している。
本をせっかく読むのだから、本から多く学んでほしい。
切にそう願う。
…ところで、本から正しく学べない人が犯しがちな最大の過ちは、持っている知識の多寡で人の価値を判断することである。
それは、持っているモノの多寡で人の価値を判断することと変わりがない。
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