コンサルの引き出し|和田創ブログ


だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。

2009年12月

新型インフル急患…シティクリニック

先ほど、子どもがセンター南のシティクリニックでインフルエンザと判明した。
A型。
恐らく新型とのこと。
詳しい検査はしなかった。
何せ、病院内は大混雑だ。

子どもは3日前から微熱が出ており、月曜夜間、火曜夜間、本日昼間と3度、シティクリニックを訪れている。
これで、わが家は正月気分が吹き飛んだ。
家族の接触もままならない。

例年なら大晦日の深夜は横浜市営地下鉄センター北駅前の杉山神社に並び、初詣を行う(2009年は取り止め)。
そして、隣のすかいらーく(ジョナサンに変更)で夜食を楽しむ。

新しい年を迎えるというのに、私もきのうから風邪気味…。
家で年越そばを食べて早めに眠ろう。

余談だが、シティクリニックはセンター南駅前に建設していたビルが完成し、12月初めに移転した。
バスロータリー広場に面した一等地だ。
これまで五十嵐力院長は年中無休で頑張ってきた。
24時間、急患を受け入れる。
個人病院なのに…。
まさに港北ニュータウンの住民のホームドクター。
年末年始も休まない。
凄い!
わが家はどれほど先生に助けられてきたことか…。

最新の医療機器も導入されたようだ。

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和田創ブログ 2009年12月タイトル一覧

◇2009年12月31日(木) 新型インフル急患…シティクリニック
◇2009年12月30日(水) 社長年頭所感・方針ヒント集(再録)
◇2009年12月29日(火) 開き直り起業へ…倒産・リストラ
◇2009年12月29日(火) 社長年頭挨拶・訓示ヒント集(再録)
◇2009年12月28日(月) 雇われない生き方の延長としての起業
◇2009年12月28日(月) 「SPIN質問話法」を学ぶ(再録)
◇2009年12月27日(日) 初の“自分商品”の開発に取り組む
◇2009年12月27日(日) 販売・受注回復のポイント(再録)
◇2009年12月25日(金) 神保町「三幸園」に出版不況が直撃?
◇2009年12月25日(金) 社是・社訓・クレド制定資料(再録)
◇2009年12月24日(木) 営業の命「質問力」を鍛える
◇2009年12月24日(木) 商工会議所年頭挨拶ヒント集(再録)
◇2009年12月23日(水) 創造への挑戦、成功への失敗…MBA
◇2009年12月23日(水) 営業テコ入れ、業績立て直し(再録)
◇2009年12月22日(火) 和田創研、閉鎖のお知らせ
◇2009年12月22日(火) 同友会・協議会年頭挨拶資料(再録)
◇2009年12月21日(月) 寝台特急北陸、急行能登が消える
◇2009年12月21日(月) 経済団体年頭挨拶・所感資料(再録)
◇2009年12月20日(日) 巨大カボチャ風呂に入る…富山・入善
◇2009年12月20日(日) 新年経営戦略・方針策定資料(再録)
◇2009年12月19日(土) MBA教員・学生交流忘年会…六本木
◇2009年12月19日(土) 伊豆群発地震でホテル旅館は危機!
◇2009年12月17日(木) 二人の妻の励ましに支えられ…
◇2009年12月15日(火) 氷点下の景気…師走の街角は深刻
◇2009年12月14日(月) 「心が開く」「勇気を授かる」
◇2009年12月13日(日) 日本を覆う閉塞感…MBA講師
◇2009年12月12日(土) 柳生家家訓…人生の達人の心得
◇2009年12月10日(木) 彼らはなぜ成功したか?(再録)
◇2009年12月9日(水) 食べないで痩せる…私のなれの果て
◇2009年12月9日(水) ヤマト、パート集中投入…人件費抑制
◇2009年12月9日(水) 営業強化・業績向上教材(再録)
◇2009年12月8日(火) 読者へのお詫び
◇2009年12月8日(火) サンタさん営業になろう!(再録)
◇2009年12月7日(月) ボケ防止…活脳手帳は仕掛け満載!
◇2009年12月7日(月) すき家が先陣、280円コシヒカリ牛丼
◇2009年12月6日(日) 石原裕次郎と木村拓哉、孤独の宿命
◇2009年12月6日(日) 有名人46人の名言に学ぶ成功のヒント
◇2009年12月6日(日) ボチェッリ「カルーソー」(再録)
◇2009年12月5日(土) スターと役者…木村拓哉に思う
◇2009年12月5日(土) 平山郁夫を偲ぶ…略歴と作品
◇2009年12月4日(金) いい子にならない…新聞奨学生物語
◇2009年12月4日(金) デフレ嵐で客離れ牛丼は大幅値下げ
◇2009年12月4日(金) 経営者のための学習教材(再録)
◇2009年12月3日(木) たまごかけご飯、TKGは笑える
◇2009年12月3日(木) 新聞配達の実際…新聞奨学生物語
◇2009年12月3日(木) 営業力を伸ばす急所(再録)
◇2009年12月2日(水) 直江津のマイミク…新聞奨学生物語
◇2009年12月2日(水) チラシ折り込み…新聞奨学生物語
◇2009年12月1日(火) 流行語大賞は「政権交代」…民主圧勝
◇2009年12月1日(火) いざ新聞配達!…新聞奨学生物語

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開き直り起業へ…倒産・リストラ

きのうのブログ「起業排泄論」の続き。

起業はたいていうまくいかず、失う。
それゆえ、失うものが少ない人は気楽に挑める、大胆に試せる。
もっと起業の知識を持ってから、もっと仕事の経験を積んでからというのは現実的でない。
それらはむしろ起業にブレーキをかけるほうに働く。
人は賢くなるにつれ、リスクを取らなくなる。
成功を半ば諦めることに…。
起業は若いほどよい、早いほどよい。

どんなに用意周到に準備を行ったつもりでも、いざ起業に踏み切ると、想定外の事態に見舞われる。
人は行く手など見通せない。
肝心なのは、さまざまな困難に体ごとぶつかっていく勇気だろう。
起業はめったに計算どおりに運ばない。
失う覚悟が前提である。

まして、すでに得ている人は起業に踏み切りにくい。
例えば、有名大学を卒業し、一流企業に入社する。
安定した生活を手放すのは怖い。
家庭を持っていれば、なおさら。

しかし、いまや平穏無事の職業人生を送れる人は例外だ。
私たちは幾度か岐路に立たされる。
例えば、サラリーマンが倒産やリストラにより職場と仕事を失う。
一大事なのは確か。
が、なかには会社に雇われない働き方を探るきっかけを与えられたと思う人がいるかもしれない。
起業も選択肢に含まれよう。

私たちは失うと肝が据わるし、何とかせざるをえない。
後に振り返り、大きく変わる転機だったりする。
やけくそとは言わないが、どこかに開き直りがなくては、起業へ突き進めない。
それが成功するかどうかは結局のところ、やってみなければ分からないからだ。

景気の悪化やそれにともなう自分の危機は、起業の踏み切り板となる。
また、どん底期の起業は先行きが明るい。
事をなす好機だ。

以下は、MBAと起業に関する私の最近のブログ。
⇒12月13日「日本を覆う閉塞感…MBA講師」はこちら。
⇒12月19日「MBA教員・学生交流忘年会…六本木」はこちら。
⇒12月23日「創造への挑戦、成功への失敗…MBA」はこちら。
⇒12月28日「雇われない生き方の延長としての起業」はこちら。

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2010年1月公開講座

雇われない生き方の延長としての起業

会社をつくるのは、がっかりするほどたやすい。
登記さえ必要がない。
名刺を作成するのみ。

しかし、つくった会社を継続させるのは、さらに成功させるのは非常に難しい。
たいていは失敗する。
これは事実である。

とはいえ、会社をつくらないかぎり、失敗も味わえない。
まして成功にたどり着けない。
これも事実である。

起業を大げさに考え、起業を本気で案じる人は、前へ進めない。

例えば、会社や職場に対する不満をたびたび口にする。
その文句が自分を腐らせ、心身のエネルギーを奪う。
一生は台無し…。

ならば、会社に雇われない働き方の延長としての起業を試みたらよい。
それは生き方を変えること。
これだけでもわくわくする。

私にとり、「起業とはウンコである」。
それが言いすぎだとしたら、「起業とは排便である」。
同じかぁ。
自然な排泄欲求。
ちょっとトイレに行く感じ。
うまく出たり、ほとんど出なかったり…。

「起業とは作品である」。
真剣な表現欲求と思うと、結果として立ち止まってしまう。

MBAの授業、公的機関主催のセミナーなどで起業を学ぶ人は、たいてい起業に踏み切らない。
起業とは縁のなさそうな人が教えているせいか?

「下手の考え休むに似たり」。
何も考えないことだ。
「やってみなはれ」。
何も案じないことだ。

起業の知識は、起業の決断を鈍らせやすい。

以下は、MBAと起業に関する私の最近のブログ。
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2010年1月公開講座

初の“自分商品”の開発に取り組む

私は3年弱、自分にブログの更新を課してきた。
いろいろな振り返りを記したり、ちょっとした考えをまとめたりするのによい。
また、子どもを含めた次世代へメッセージも残せる。
一種のノルマとして始めたブログだが、私はほどなくはまった。
流行遅れの言葉を使えば、「マイブーム」。
やがて読者がついて張り合いが増し、かなり頑張った。

ところが、私は今月に入って商品開発に取り組むようになり、そちらに関心も手間も奪われた。
他人(顧客企業)の商品企画などをずいぶん手伝ったが…。
初の“自分商品”だ。
客観視がきわめて難しい。
しかも、私が長らく行ってきた仕事、したがって収入源の全否定である。
また、営業一筋の私が商品を“販売”で売るのも初体験だ。
すべての面でリスクが大きい。

このところ、ブログの優先順位ががくっと落ちた。
もともと余裕があったわけでなく、休む時間や眠る時間を削って書いてきた。

ふと思った。
私がブログに燃えられたのは、仕事や生活に変化が乏しかったせいでないかと…。
平板な毎日の繰り返しのなかで、それはアクセントになっていたようだ。
60歳の節目に転職を企ててみると楽しくて仕方がなく、身も心ももっていかれる。
商品構想は3年間で第7弾まで固まっている。
数年間、温めてきた。
静かに立ち上げ、2年目の第4弾からインパクトが俄然強くなる。

私はブログに時間を割けない。
多い日は千人弱の読者が、2百人足らずに落ち込んだ。
まあ、それは私サイドの話である。
拙いブログでも楽しみに訪れてくれた方が大勢おり、申し訳なく思う。
以前の手間はかけられないにしろ、1日1本をアップできるようにしたい。
再開は年明けを目指していたが、2月くらいにずれ込むかもしれない。

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2010年1月公開講座

神保町「三幸園」に出版不況が直撃?

神保町の交差点そばに「三幸園」という街の中華料理店がある。
1階も2階も客で賑わう繁盛店。
カウンターの向こうでは十人近いコックが凄まじい勢いでオーダーをこなす。
フライパンから立ち上る煙と炎は迫力がある。

わが人生0705はっきり言って、店がきれいなわけでない。
壁や床、テーブルや椅子は油汚れを感じる。
また、とくにおいしいわけでない。
ただし、メニューは非常に多い。
そして、価格は激安でないが、こなれている。

私は数年来、月1回「三幸園」に寄るのが楽しみだ。
それはNPO法人営業実践大学公開講座の終了後。
会場のJAICセミナールームを出て1分足らず、ほとんど隣である。
わが人生0706時刻は午後10時頃で、たいてい満席。
食べるのは、決まってボリューム十分の「五目焼きそば」。
ニンニクの詰まった餃子も大好きなのだが、還暦間近の私は焼そばで腹一杯になる。
以前はときどき食べた。

40年近く前、国電東小金井駅南口に中華料理屋ができた。
真正面、広場の一角といった印象が残っている(曖昧)。
この店は厨房が標準化されており、私は感心した。
分業を基本に、実に手際がよい。
注文を受けるとすぐに調理に取り掛かれるよう、あらかじめ材料が刻まれ、チャーハンなどはベースが用意されていた。
客はわずかな待ち時間で食べられる。
わが人生0707おいしく、わりとリーズナブル。
外食が奮発の時代。
まして、貧乏学生。
ここでときどき食べることが貴重なデートだった。

神保町の三幸園もやはり厨房が標準化されている。
それでも「五目焼きそば」はつくる人により出来が大きく違い、味がかなり変わる。
ほかの料理もそうだろう。
私は毎回同じメニューなので、がっかりすることも…。
が、概して五目焼きそばはおいしい。

                       ◇

わが人生0708活気に溢れる三幸園だが、実は秋口から店内の様子が変わってきた。
月を追って客が減り、コックやスタッフが少なくなった。
先日、厨房は4人。
1〜2年前、コックがぶつかり合っていたのに…。

神保町界隈は日本を代表する出版社が集まる。
岩波書店、集英社、小学館、三省堂…。
しかし、不況と構造不況のWパンチを食らい、書籍や雑誌は売れ行きの下落が止まらない。
出版社の社員は締め切りに追われ、仕事が夜遅くにずれ込みやすい。
わが人生0709そうした残業族は三幸園の上客だったはず。
いまや残業が厳しく制限される?
それとも近隣に強力なライバル店が出現した?

大繁盛店でも深刻な影響を受けはじめた。
会社からチケットが支給されなくなったせいか、無線を待つ個人タクシーの台数もだいぶ減ったのでは…。
この辺り一帯の景気は、二番底、三番底に入った?

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2010年1月公開講座

営業の命「質問力」を鍛える

私が理事長を務める「NPO法人営業実践大学」では 第163回公開講座を行う。
実は、本大学は、現在のスタイルでの運営を2011年3月に終了する。
ついては、2010年1月〜9月は過去の大好評セミナーのアンコールとする。
長らくのご支援に対し、心より感謝したい。
第1弾の案内文は以下のとおり。

私たち営業は、顧客と面談することが仕事といっても過言でありません。
その時間の大半は相手への質問に当てますので、私たちの質問の力量が商談の成否、成績の良し悪しを決定することになります。
「SPIN式質問話法」は有効性が実証された技法です。
約3万5千件の商談を分析するなかで、商品が高額かつ複雑になるほど、その商談を成功させる営業パーソンの質問に共通するやり方があることを発見しました。
これを体系化したのが「状況⇒問題⇒示唆⇒解決」という4つの質問です。
今回は、潜在ニーズを掘り起こし、顧客を納得へ導く質問と説明を学びます。

概要は以下のとおり。

日 程◆2010年1月13日(水)
時 間◆午後7時40分〜9時20分(1時間40分)
会 場◆ジェイック(地下鉄神保町駅至近)
演 題◆営業の原点「SPIN式質問話法」勉強会
副 題◆今年こそ“質問力”を鍛えて売り上げを伸ばそう!
ゲスト◆大堀滋氏(株式会社スピン・ラボ代表取締役)

氏は、日本NCRで営業に従事。営業部長として新規開拓で多大な実績を挙げる。
その後、大塚商会を経てケンブリッジ・リサーチ研究所に入社し、教育事業の責任者、SPINの主席講師として活躍。
2002年スピン・ラボを設立し、SPIN式話法の伝道師として講演・研修などに奔走する。
著書に『営業の聴く技術』などがある。

私・和田創は前座として、「社長スクール」で講演を行う。
演題は、「営業は提案型でなく問題解決型へ!」
時間は、午後6時50分〜7時20分(30分間)。
先だってテレビ東京の「カンブリア宮殿」に登場したアサヒビールの荻田伍社長は、営業一筋、叩き上げの指揮官。
氏が番組で発した名言を取りあげ、営業のあり方を考える。

当日の受講料は一般4千円、会員2千円。
NPO法人なので、収益事業でなく社会貢献事業。
ぜひお気軽にご参加ください。
初めての方、営業未経験者、学生、大歓迎です。

なお、途中の20分間はフリータイム(名刺交換会&休憩)。
毎回、ゲストと参加者、参加者同士で大盛りあがり。
どうか名刺をお忘れなく。
お持ちでない方は、手書きなどでも結構。

では、会場でお目にかかりましょう。

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2010年1月公開講座

創造への挑戦、成功への失敗…MBA

私はMBAの講師を引き受けたが、いい点数を取る人や知識をたくさん持つ人をつくりたかったわけでない。
「失敗」を恐れない人を育てたかった。

成功教本0242失敗を恐れないとは、「挑戦」を恐れないこと。
人は挑めば、しくじるようにできている。
私は、そうしたエリート中のエリートをつくりたかった。
むろん、私にできることは、ささやかな手伝いくらい。

一般に、人は失敗に懲りる。
挑戦をやめ、小さくまとまり、無難に生きていこうとする。
結果、世の中は挑む前にブレーキを踏む人だらけ…。
私が期待を寄せるMBAでさえ、骨太で粗削りな人は多くない。

私はマーケティング・プランナーや経営コンサルタントとしての経験から、失敗を恐れたら創造を行えないことを知っている。
私がMBAで見たいのは、そこで学ぶ人の失敗である。
それは、学生がMBAで得たものを「行動」に変えないかぎり出てこない。
行動の代表例は「創造」、なかでも「起業」。
私は、携わっている業務か携わるだろう業務をうまくこなすためにMBAで学ぶ人を見るとがっかりする。

成功教本0243私は思う。
知識は体験、とりわけ失敗を経て知恵や気づきに高まる。
職業人生で成功を収めるうえで大事なのは、どれだけ挫折を味わったかだろう。
若い頃は失敗を増やすことを追い求めればよい。
いきなりの成功は幸運にも恵まれないと不可能であり、それはきわめて稀なケース。

自分は“例外”と思わないこと。
失敗を経ることによってしか成功へたどり着けないと考えるべきだ。
ユニクロの柳井正に「一勝九敗」という名言がある。
九敗を避けようとする人は、人生で一勝も上げられないというふうに、私は解釈した。
真理だ。

成功教本0244ところで、人はなぜこれといった失敗を犯さないのか?
自分ができそうなことをやってきたから。
果敢な挑戦を避けてきたから。
ほかに理由はない。

若い頃は失敗が少ないことを恥じなければならない。
将来が見えており、ちょぼちょぼ。
挑まない人は、右肩下がりの経済下で確実に下降線を描く。
MBAでわざわざ学び、それでは情けない。
まして親にカネを払わせているとしたら…。

成功教本0245失敗は、挑戦の証だ。
失敗なくして創造なし。
失敗なくして成功なし。

「失敗は恥」という固定観念がはびこる日本の凋落は決定的だろう。

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提案営業研修1日体験版20100114

和田創研、閉鎖のお知らせ

人はそこそこやっていけると、変わるのが難しい。
職業でも人生でも現状を変えることはリスクそのもの。
やがて変わろうとの思いも消える…。

わが人生0710むろん、変わることは目的でない。
自分が納得して働き、生き、それでいくらか豊かさや幸せを手に入れられればよい。
変わらないでやっていけるなら、それに越したことはない。
しかし、果敢に変わらないと、先々までやっていけないかもしれない。
人それぞれの職業観や人生観に左右されるが、私たちは「変化」を決断しなければならないこともあろう。

私は大雑把に言って、40歳までの20年間はマーケティング・プランナーとして生計を立ててきた。
この40歳のことを、心理学者のユングは「人生の正午」と呼んだらしい。
学問的な意味は分からないが、なるほどと思う。
わが人生0711私は行き詰まりを覚え、仕事を変えようと誓った。
プランナーは感度の鋭敏さや発想の柔軟さが不可欠で、若い頃のほうが有利だ。
また、プランニングの職能の伸び代が少なくなっていた。
そして、何より徹夜の連続という生活が精神的にも体力的にも耐えられなくなっていた。
いろいろな面で限界が噴き出した。

そこで著者を、ほどなくそれと関わる講師を志した。
要は“先生商売”を目指した。
当然、どのような職業もやっていくのは大変だ。
まして、ちゃんと生計を立てられるようになるのは…。
40歳を過ぎての転職は危険極まりなかったが、それをやり遂げないかぎり、自分と家族の生活を守れなくなると感じた。

わが人生0712ついては、私が真っ先に行ったのは、プランナーとしての営業活動をやめること。
企画業務の受託が減り、収入がなくなった。
何とか食べられるとそれに引きずられるため、将来が覚束ない。
退路を断つ。
この頃を思い出してつくった川柳に、「電気ガス 水道止まり 子はあきれ」がある。

1990年代半ばに企画講師として、1990年代後半に営業講師として活躍の場が広がった。
振り返れば、ここまでが険しい道のりだった。
覚悟を決めていたとはいえ…。
地獄は3年ほど続いただろうか。
いつしか営業コンサルタントへ。
自分の持ち味として“変革系”の色彩を強めていった。
わが人生0713とりわけ1997年から2003年にかけての7年間は、毎日が出張の気分だった。
3人の子どもがカネのかかる時期に当たり、いまの妻の子どもを授かったとはいえ、なぜあれほど無茶をできたのか、自分でも不思議…。
狂気に近い頑張りだったようで、顧客がしばしば呆れ、また案じてくれた。

私はまもなく60歳、還暦を迎える。
あの決断から20年が経つ。
この節目に、最後の変化に挑んでみたい。
私はぬるま湯好きの凡人であり、さらに根が呑気なせいか、自分を追い詰めないと決して変われない。

わが人生0714一つは、公開セミナー、とくに収入源の企業研修の講師をやめること。
55歳を過ぎた辺りから非常に厳しくなった。
終了後にふらつく状態…。
初婚直後から年中無休で働くようになり、35年近く。
同年代と比べ、体が弱り切っている。
前の妻は口癖のように「早死にする」と言っていたし、いまの妻は私と連絡がつかないだけで「倒れているのでは…」と気をもんでいる。

私は有名企業の仕事が大半だったが、数年前から新規開拓の営業活動をやめた。
大手顧客とのつきあいはたいてい数年に及ぶからだ。
3〜5年、まれに十年以上。
こちらから仕掛けて業務を受託しておき、勝手に店仕舞いすることは許されない。
何せ「営業発の全社改革」。
わが人生0715私どもが担ってきた企業研修などは長期の人材育成計画、ときに経営計画に組み込まれる。
ここ2年は、既存顧客への若干の働きかけと、ホームページなどを通じた引き合い対応に留めた。
それも中小企業が主体、しかも淡白な営業活動…。
フォローや深追いはなし。

一部を除き、約束の業務は来年度で終えられる。
このブログで幾度か述べたとおり、15カ月後の2011年3月末日に「和田創研」を畳む。
わが人生0716同時に、「NPO法人営業実践大学」を畳む。
実は、自分なりに温めてきた構想があり、それを実行へ移してみたい。
具体的な内容はいずれ明らかにする。

もう一つは、IT企業とのジョイントベンチャーを立ち上げること。
私なりに構築し蓄積した営業講師としてのコンテンツ、営業コンサルタントとしてのノウハウをシステマチックに提供するビジネスモデルを動かしたい。
わが人生0717私にIPOを果たす経営者としての力量が欠けているので、先方の若い社長に任せる。
私の本質は“職人”だからだ。

以上。
私は、長らく体を酷使する商売を営んできた。
還暦を境に、新聞配達から始まった40年以上の「肉体労働」にピリオドを打つ。
うまくいくなら、劇的変化。

わが人生0718すでに私の両親は横浜に引き取った。
この上ない喜び。
会津で暮らす妻の母親(片親)をなるべく早く呼んであげなくてなるまい。

そして、子どもが独り立ちしたら片田舎に引っ込み、夫婦二人が食べるくらいの作物をつくりながら、若い頃の夢だった書か油彩か陶芸のいずれかを楽しむ。
首都圏に近く、気候の温暖な伊豆がよい。
やはり慣れ親しんだ「熱海」かなぁ。
貧しい家庭に育った妻は、大学へ行けなかったという無念をいまだに引きずっているようだ。
経済的な余裕が生まれれば、それを叶えてやりたい。

わが人生0719が、私はボケているか。
また、日本で食べていけず、物価の安い海外へ渡っているかもしれない。
あくまで私が願う、老後の理想の暮らしだ。

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寝台特急北陸、急行能登が消える

金沢駅と上野駅を結ぶ寝台特急「北陸」と急行「能登」は、2010年3月12日に定期運行を終える。
廃止。
そんな記事を一昨日の日本経済新聞の片隅に見つけた。
JR東日本は、車体の老朽化を理由に挙げている模様。

わが人生0699北陸に限らないが、地方と上野を結ぶ「夜行列車」はおおよそ姿を消したのか。
昔は編成がとても長かった。
列車がホームに入ってくるとき、そして自分が乗り込むときには、特有の気分になった。
さまざまな感情が入り交ざり、一言で表せない。
中高年の地方出身者なら、実感として分かってもらえるのでないか。
私は急に寂しくなり、遠い過去をぼんやりと思い浮かべた。

                       ◇

東京・下町生まれの母は疎開先の富山・朝日(泊)で、入善出身の父と出会ったのか?
私は一度も確かめていない。
そうでないとしても、戦時疎開がなければ両親が結ばれることはなかった。

わが人生0700父は恐らく戦後、呉羽紡績の社員として新潟・直江津と長野・伊那で働き、吸収合併により東洋紡績の社員として徳島・小松島で働いた。
そして、職業人生の勝負をかけ、母の父が営む町工場を継ぐつもりで上京した。
しかし、祖父母とうまくやっていけず、追い出された。
私は8カ月足らず、少し遅れて上京した両親は数カ月の東京暮らし。
行き場を失った家族が父の生まれ故郷に戻ったとき、両親は心がすっかり壊れていた。

50歳手前の父は、吉田工業(現YKK。当時は黒部が本社)の嘱託として働いた。
給料は比べられないほど下がったはずだが、世界のYKKに潜り込めただけでも幸せだった。
恐らくわずかな中途退職金と貯蓄を投じて、1年後くらいに入善に建てた家は大失敗だった。
わが人生0701が、だいぶ後に建てた滑川の家はとても気に入っていた。
ごく普通の一軒家だが、両親にとり理想の住まいだった。
両親は、私が17歳から49歳まで30年以上、富山で暮らしたことになる。

私は親不幸の極みで、富山に帰省しなかった。
過ごした期間が短く、友人がいないことも理由の一つ。
最大の理由は、家庭崩壊の時期を思い出したくなかったこと。
私は、学生時代に働いた楽譜専門取次の松沢書店で、北陸地区を数カ月担当した。
月1回の出張の際に、おおよそ入善に立ち寄ったのでは…。
わが人生0702それ以外は3〜4回?
確かな記憶は3回であり、水彩画、痛飲、結婚の披露。
滑川に3〜4回?
確かな記憶は3回であり、妹の結婚、家族との接触、再婚の報告。
これが正しいとすれば、4〜5年に1回戻った。
実家に寄りつかなかったのだ。

まれな帰省の際にわりと利用したのが夜行列車だった。
出張時にも…。
いつ頃からか信越本線・長野経由から上越線・長岡経由に変わった?
何もかもあやふや。
しかし、私は間違いなく寝台特急「北陸」と急行「能登」に幾度か乗った。

わが人生0703このブログの「新聞奨学生物語(連載中)」で、日経育英奨学制度を利用して明治大学へ進学する際に、入善駅から夜行列車に乗り込む光景を書いた。
恐らく1970年3月。
特急は入善駅に止まらない?
となると、寝台特急「北陸」でなく急行「能登」。
これには寝台車両はないはずだから、私は普通の座席で上京したことになる。
驚いた…。

インターネットで少し調べたが、それは急行「能登」でなく急行「黒部」だった?
そんな名前の夜行列車があったかもしれない。
やはり寝台車両はないようだ。

わが人生0704寝台特急「北陸」と急行「能登」はまもなく通常運行が打ち切られる。
それにつれ、私は若い頃の思い出まで奪われる感慨にとらわれた。
北陸や東北など、年配の地方出身者にとり、夜行列車は特別な存在だった。
我が身を振り返っても、人生の節目、節目に夜行列車が関わっている。
…廃止の知らせは、切ない。

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巨大カボチャ風呂に入る…富山・入善

きょう、巨大カボチャ風呂に入る。
富山県下新川郡入善町では冬至前のこの時期に、お化けみたいなカボチャをくり抜いた「巨大カボチャ風呂」に浸かる。
風邪を引かないとの“言い伝え”らしい。

わが人生0697私は40年程前、富山・魚津高校時代、入善に15〜16カ月暮らしたが、まったく知らなかった。
それとも当時はそうした風習がなかった?
あれ、2百キログラムを超えるジャンボカボチャは入善町の特産品?
町興しの一環としてユニークな行事がつくられた?

私は、新潟・直江津小学校を卒業し、長野・伊那中学校へ転校した。
住環境における最大の変化は「五右衛門風呂」だったこと。
釜の底に木の板を沈めて浸かるのだ。
入浴のコツがつかめるまで、熱いところに触れて飛びあがったりした。
基本は大人一人、無理をすれば小さな子どもが浸かれる。

わが人生0698先ほどの報道番組で、バスタオルを巻いた若い女性が入浴する映像が流された。
当時の五右衛門風呂と同じ大きさ。
決定的な違いは、直火でないこと。

こんな巨大カボチャが実際に取れるとは驚き。
そこに小さなカボチャが幾つも浮かんでいる。
体の芯から温まりそうだ。
それ以前に、楽しそうだ。

入善で、小学校から短大まで過ごした妹は知っているだろうか。

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MBA教員・学生交流忘年会…六本木

木曜日夜、六本木一丁目「泉ガーデンタワー」近くのインド料理店で、私が「実践営業論」の講師を務めるMBAの忘年会が開かれた。
参加者は教員と学生、そして事務局。
学生といっても、会社で重責を担う社会人。

MBAはインターネット授業なので、教員は学生の顔が見えない。
また、学生は多忙な業務、重い疲労を引きずりながら学んでいる。
学生同士がネット上でやり取りする機会は限られる。
まして実際に触れ合う機会はほとんどない。

インターネットMBAは通学不要の利便性が大きい反面、教員も学生も孤独を感じやすい。
こうした事情で、忘年会は私を含め、大勢が待ち望んでいた。
おいしい料理と酒を楽しみながら、交流はおおいに盛りあがった。

MBAはあすの日本経済をリードする起業家や経営者の養成を目的としており、刺激的な話が飛び交う。
会場は熱気が充満した。
午後7時から2時間の予定だったが、気づいたら10時をだいぶ回っていた。
あっという間。
風邪気味の私は一次会で失礼した。

私は、中国古典で有名な守屋洋先生と名刺を交換できたことも嬉しかった。
守屋洋先生と私は、経済誌のプレジデントセミナーで講師を務めた期間が長く、その案内広告がしばしば並んで掲載された。
あらゆる面で大先輩に一度ご挨拶したいと思いつつ、同セミナーそのものが打ち切られてしまった。

なお、私は学生の希望があれば、最多で年4回、リアルの授業を無料で行うつもり。
質疑応答や意見交換、交流は大きな励み、喜びである。
濃密な接触からビジネスプランやベンチャー企業が生まれたら素晴らしいことだと思う。

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伊豆群発地震でホテル旅館は危機!

伊豆半島の東方沖を震源地とする「群発地震」が始まった。
いまのところ震度5弱が最大。
体に感じない地震を含めると、回数は非常に多い。
この群発地震は、数年程の間隔を置いて繰り返される。

そうでなくても現下の大不況。
世間は節約志向を強めて旅行を控えており、ホテルや旅館などの観光業は深刻なダメージを受けていた。
加えて、群発地震が直撃…。
営業に差し支える被害は出ていない。
が、まもなく年末・年始休暇を迎える。
年間最大の書き入れ時への影響は少なくない。
すでにキャンセルの電話が入っている?
正月を前に、関係者は絶望的な気分だろう。
伊東温泉だけでなく、熱海温泉など周辺にも広がるかもしれない。

気象庁は、震度5強程度の地震が起きる可能性もあると、注意を呼びかけている。
しかし、1989年のような「海底噴火」はなさそう。
地元の業者のためにも、一日も早い終息を願う。
大半は経営が崖っぷちだ。

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二人の妻の励ましに支えられ…

月曜日、ケーキを4つ買った。
1つは、前の妻に供えるため。
命日なのだ。
わが人生0692学生時代まれに奮発し、二人で国電西荻窪駅そばの「こけし屋」に入った。
極貧の私にとり贅沢だ。
妻が飲んだコーヒーにびっくり。それが「ウィンナーコーヒー」だった。
妻はストレートコーヒーに、チーズ系やクリーム系のケーキを添えることもあった。
甘いものが苦手な私を前に、はにかみながら、しかしとてもおいしそうに食べた。
40年近く前の記憶がよみがえってきた。
ひょっとしたら私も2〜3回、ケーキ以外を食べたか。
サバランやタルト?
それとも妻に勧められ、妻のケーキをスプーンで一口か二口食べたか。

私は再婚してしばらくし、いまの妻に誕生日を尋ねた。
一度もお祝いをしていなかったことに気づいたからだ。
仕事に追われっ放しで、自分のバースデーを含め、そうしたことに至って無関心。
わが人生0693そして、妻の返事に飛び上がりそうになった。
前の妻が亡くなった日と同一。
このことを当時、母に話したらやはり非常に驚いていた。
いまだに不思議…。

3つは、妻のバースデーを祝うため。
会社だけでなく自宅でも仕事を行い、家事と合わせ、早朝から深夜まで働いている。
私と同様、年中無休に近い状態だが、私より頑張る。
ささやかな感謝の気持ちだ。
自慢するほどのことでない。

                       ◇

前の妻は、三鷹市の杏林大学医学部付属病院で息を引き取った。
9月14日に主治医から「3カ月の命」と宣告され、ちょうど3カ月後だった。
わが人生0694妻は若く、3人の子どもは幼かった。
受け止める力はないと考え、私は事実を伝えなかった。
妻の父も同じ考えだった。

病状は急速に悪化していった。
私は当然、がんが治るという前提で接した。
が、頭のいい妻は察していたと思う。

妻は、末期の痛みを和らげるため、かなりの量のモルヒネを投与されており、頭はボーっとしていたはず。
それでも私が子どもを連れずに一人で尋ねると、快活に話をした。
わが人生0695私に言い残したかったのかもしれない。
この頃はプランナーから著者や講師といった“先生商売”への転換を目指しはじめた時期と重なり、精神的にも肉体的にも経済的にも次第に苦しくなっていた。

妻が繰り返したのは、「お父さんは、持っているエネルギーが凄いのよ」。
自分ではあまり意識していなかったが、私のパワーを幾度も指摘した。
二人部屋のときには、隣の年配の女性にもそう語っていたらしい。

わが人生0696「お父さんは凄い、凄い、凄い…」。
亡くなる直前まで、自分のことは置き、私を褒めちぎった。

その私は還暦が迫り、衰えが目立つ。
エネルギーもしぼんでしまった。
これまでを振り返り、二人の妻の大きな励ましに支えられ、何とかやってこられた。

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氷点下の景気…師走の街角は深刻

妻が「ボーナスって、もう出たでしょう?」と聞いてきた。
「どうして?」と私。
「年の瀬なのに、商業施設はどこもがら〜ん。クリスマスプレゼントを買う家族で、毎年クルマの渋滞ができたトイザらスさえ客がまばらで、ぞっとした」。
わが人生0686私も妻もボーナスをもらった経験を持たない。
また、私が社長を務める和田創研は年俸制であり、賞与を出していない。
二人はボーナスと無縁なのだ。
「公務員は間違いなく出ているし、民間も…。遅いところでも今週中に出るのでは…」。

街角景気は11月頃から一段と深刻になった。
12月に入り急降下。
せわしない活気に満ちた師走特有の雰囲気がまったく感じられない。
クリスマス間近の浮かれた気分も…。
わが人生0687大手企業ではボーナスの減額、中小企業ではボーナスの取り止めが相次ぐ。
だれもが息をひそめて暮らしている?
不気味なほど世間は静まり返っている。

私は横浜・港北ニュータウンに暮らす。
ここ10年、比較的若いプチ富裕層が高額の住宅ローンを組んで大量に流れ込んできた。
子どもの養育費・教育費が膨らむ世代だ。
わが人生0688私も事情は似たようなもの。
還暦間近だが、再婚後の小学生を抱える。
昨秋の景気悪化の影響を大きく受けている人たちが集まるエリアといえよう。

横浜市営地下鉄センター北駅ビル「あいたい」4階に、焼肉でお馴染みの「叙々苑」がある。
私たちが引っ越してきた11年半前に、駅ビル開業と同時にオープンした。
ビル自体の集客力が弱く、テナントはかなり入れ替わった。
わが人生0689しかし、叙々苑は別格だった。
平日でもほぼ満席。
住宅街という立地、それなりの値段を考えると、凄い人気。
週末や祝日では2時間待ちが当たり前だった。

ところが、先日、私がとてもお世話になった知人と相談を交えて食事をしたら、30〜40卓の店内に客が4組。
かつて連日のように笑い声が漏れてきたパーティルーム?に人影はなし。
おいおい、忘年会のトップシーズンだぞ。
わが人生06904階のフロアは大型百円ショップ「ダイソー」が入っているというのに、客が見当たらない。
いまや安くても売れないのだ。
私は寒気がした。

米国の金融危機の影響は軽微とされた日本が、先進国のなかで際立って回復が遅れてしまった。
株価などを見ても、市場は鳩山内閣の経済政策の運営に対して不信感を抱く。
わが人生0691私が街で実感する景気はとっくに氷点下に突入している。
ほんとうに怖いのは、年明け、そして年度末だ。
二番底、三番底に陥っていないか?

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「心が開く」「勇気を授かる」

学生と社会人。
どちらがより「勉強」が必要だろうか。
親の保護下を離れ、自立しなければならない社会人に決まっている。
だから、勉強することは褒められてよい。

学習教本0250しかし、懸命に勉強しているのに、成果があまり上がっていない人も少なくない。
まして、豊かさや幸せを手に入れたという実感をほとんど持てない。
それどころか、勉強するほど、世間や周囲に対して“不満”を募らせるようになる。
社会は自分を分かってくれない。会社や上司は自分を認めてくれない。
苛立ちが顔つきや言動に現れる。
学んだ結果としては最悪だろう。

勉強が目指す、最終的な姿とは何か。
私は2点に尽きると考えている。
第1は、心が開いていること。
学習教本0251第2は、勇気を授かっていること。
すなわち、よりよい人生を切り開いていくうえで根本となる積極的な精神を獲得し、それが体質に昇華した状態にほかならない。

第1について。
心が開いていなくては、人が入ってこられない。
自分の努力は、他者を呼び込み、互いに認め合ってこそ、価値を生み出す。
つまり、努力は他者を触媒として成果に変容する。
そうでなくては努力が空回りし、自分が孤立してしまう。
勉強は、生まれつき持つことのない、この「度量」をもたらすものでなくてはならない。
学習教本0252世の中、出会いや縁を生かせない人であふれ返っている。
それもこれも心が開いていないためだ。
私のような凡人は人を助け、人に助けられるべきである。
どこまで人と広く深く関われるかは、己の心のありようで決まる。

第2について。
勇気を授かっていなくては、未知の行動を起こせない。
頭に取り込んだ知識は、勇気に励まされ、体を巻き込んだ挑戦へ結びつく。
つまり、知識は勇気を触媒として成果に変容する。
そうでなくては知識の実践につきまとう恐怖心に打ち克てない。
勉強は、生まれつき持つことのない、この「覚悟」をもたらすものでなくてはならない。
学習教本0253また、知識を得るには、費用と時間という相当な投資が必要になる。
その典型が「資格」である。
勇気がないと、支出がかさんで、実入りが少ない。

心が開いていること。
勇気を授かっていること。

学習教本0254言い換えれば、勉強が人生に豊かさと幸せをもたらす条件である。
必須の態度。
自分は正しい学び方をしているか、ときおり問いかけよう。
ちなみに、学ぶとは学び方を考えること。

きょうのブログは、2007年4月16日「勉強が目指す最終的な姿とは何か?」にいくらか手を加えたものである。

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日本を覆う閉塞感…MBA講師

私は営業分野の職業講師として十余年にわたり、講演公開セミナー企業研修を行ってきた。
また、NPO法人営業実践大学の理事長として、大きな持ち出しに耐えながら異業種交流勉強会を開いてきた。
目的は、営業の技術確立と営業の地位向上の2点。
これが企業にとり業績拡大、成長持続の前提条件になると考えたからである。

わが人生0684以前、横浜・関内のSBI大学院大学から「営業学」の授業を打診され、使命のようなものを感じた。
私が長らく追い求めてきたテーマであり、また年齢的にその仕上げになるかもしれないと思った。
そこで、二つ返事で引き受けた。

しかし、それだけでない。
MBA(社会人大学院)には最高の人材が集まるので、私はわくわくした。
とくにインターネット授業の同大学院大学には、多忙な社長など、経営の要職に就く社会人が少なくない。
日本の明日は彼らの双肩にかかっている。
わが人生0685そうした次世代にささやかな貢献を果たせるなら、教育者の端くれとして喜びは大きい。
その忘年会がまもなく行われる。
学生とくつろいで交流できる数少ない機会だ。
私はとても楽しみ…。

                       ◇

さて、生命の本質は“保守”でなかろうか。
あるゆる生物は、命が尽きる日まで、わが身を置く環境の維持や存続を願う。
成功教本0239ところが、よりよい未来をつくるため、自らの意思と行動により現状を壊せる例外が人類だ。
地球の歴史から見れば、ごくわずかな期間で文明社会を築くことができた最大の理由でないか。

日本は成熟期を迎え、何もかも硬直して行き詰まっている。
私たちは先行きに希望を抱きにくい。
閉塞感が社会全体に厚く垂れ込める。
私がMBAで講師を引き受けたのは、「壊し屋」を育てたかったから。
戦後半世紀以上にわたり築きあげられたものを壊すには、途轍もないエネルギーがいる。
成功教本0240世間や周囲との戦いになろう。
しかも、無秩序に壊すわけにいかない。
また、新しく伸びる芽を残さなくてなるまい。
それはエリート中のエリートにしかできない。

創造の前提は破壊である。
大丈夫、壊せばつくらざるをえない。
私はここが急所と考える。
先行させるべきは破壊だ。
破壊なくして創造なし。

成功教本0241壊れれば、つくる人はいくらかいる。
最大の問題は、壊す人がいないこと。
淵に沈んだ企業でも同様だ。
従来の延長線で何とかしようとする。
ますます深みに嵌まっていく。
展望は開けない。

日本が一向に変われないのは、壊せないから。
小泉純一郎の汚点は、自らの手で自民党をぶっ壊さなかったこと。
再建屋雑記帳1011名相になれたのに…。
代わりに民主党が壊した。
夢の持てる未来をつくるのは民主党か自民党かみんなの党か、それとも…。

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柳生家家訓…人生の達人の心得

徳川将軍家の剣の指南役、「柳生家」に有名な家訓がある。
江戸時代の初期に、家康、秀忠、家光の3代に仕えた柳生宗矩の言葉らしい。
徳川家が3百年の太平の礎を築くうえで、少なからず貢献した。

成功教本0230小才は、縁に出合って縁に気づかず。
中才は、縁に気づいて縁を活かさず。
大才は、袖すり合うた縁をも活かす。

剣術から武道へ―。
先の言葉には、敵をも味方に変えてしまう「活人剣」という深遠かつ高邁な思想が込められているそうだ。
剣を通じて自分を磨き、相手を高める…。
成功教本0231私には、敵を“縁”と見なすこと自体が驚きであり、それだけで「人生の達人」と呼ぶに値する。
だが、そうした時代背景は置いておき、一般的な縁という意味合いで解釈しても名言といえよう。
柳生家の家訓に触れ、私なりに考えを巡らせたので述べてみたい。

さて、それなりに学んでいるつもりなのに幸せにも豊かにもなれない社会人は、「出会い」を生かせていないのでないか。
成功教本0232会社、地域、社会…。
どれも人の集まりだ。
ここで成功を収めるには、人との“関係性”を掘り下げることが絶対条件である。

小才は、縁に出合って縁に気づかず。
学び方を間違えており、人を見る目が狂っているか備わっていないタイプだ。
概して自己評価が甘く、相手のよさに思い至らない。
目の前の縁が見えないので、ぶつけようのない不満や怒りの感情に苦しめられる。
ひとまず本を閉じ、きちんと人と相対する訓練を積んでいくしかない。
成功教本0233そして、相手の悪いところが先に飛び込んでくる状態が解消されたとき、中才に近づいたことになる。
当然だが、他人の弱点や欠点に捉われることほど、人間として孤独なことはない。
出会いを通じた成功と、永久に無縁である。

中才は、縁に気づいて縁を活かさず。
学び方を外しており、一番肝心な度量と度胸が備わっていないタイプだ。
つまらないプライドが邪魔し、相手の懐に飛び込めない。
目の前を縁が通り過ぎるので、言いようのない淋しさや虚しさの感情に苦しめられる。
成功教本0234進んで名刺を差し出し、じっくりと人と話し込む習慣をつけていくべきである。
そして、「私」をさらし、相手とくつろいだ時間を共有できたとき、大才に近づいたことになる。
当然だが、自分の弱点や欠点を覆い隠すことほど、人間として窮屈なことはない。
出会いを通じた成功と、相当な距離がある。

大才は、袖すり合うた縁をも活かす。
このタイプは凄すぎて、私には言及できない。
溜め息をつくばかりだ。
成功教本0235ただし、NPO法人営業実践大学の公開講座にゲストとしてお招きしたトップセールスパーソンのなかに、この言葉がぴったり当てはまる方がわずかにいらした。
また、営業コンサルタントとしてお会いした経営者、とりわけ創業社長のなかに、やはりわずかにいらした。
私はそのときの感動を覚えている。

ところで、わが身を振り返るなら、職業人生でほとんど縁を生かせなかった。
ごくまれな縁も、私がつかんだのでなく、相手から差し延べられたものだ。
言い訳がましいが、その理由の一つは「多忙」である。
成功教本0236文字どおり「心が亡ぶ」状態に陥っていた。
忙しさにより失いつづけてきたものの大きさに、私はようやく気づいた。
これまでの懸命な頑張りが、あまり報われないはずである。

私は思う。
人間にとり、第一の才能とは、人と人との間の縁を生かす、己の心のありようであろう。
成功教本0237それが人生で手にする幸せや豊かさをもっとも左右する。
「才能は心」なのだ。
気づくのが遅すぎた。
が、2011年の還暦を節目に、違った生き方、働き方を楽しんでみたい。

                       ◇

この柳生家の家訓だが、「中才」と「大才」の間に、もう一段階を設けてほしかった。
両者の距離が開きすぎており、リアリティに欠ける。
むろん、これは「中才」の私の嫉妬や愚痴にすぎない。

成功教本0238それと、「剣を通じて自分を磨き、相手を高める」と述べたが、剣を「営業」と置き換えられそうだ。
「営業を通じて自分を磨き、相手を高める」。
営業の仕事とは、そういうこと。
私たちは、“誇り”の世界で働いている。

きょうのブログは、2007年7月16日「才能とは、縁を生かす心のありよう」にいくらか手を加えたものである。

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食べないで痩せる…私のなれの果て

私は、インスタントダイエット(こんな言葉があるかどうか分からない)を長年繰り返してきた。
訪問先でご馳走になることも多く、とくに長期出張から戻るとベルトの上に脂肪がせり出している。
我ながら醜い。

が、外見の問題で済まない。
私は、立ちっ放し、しゃべりっ放しの講演や公開セミナー、企業研修の講師がおもな仕事だ。
スーツのスラックスがきつくなり、腹部が締め付けられて辛いし疲れる。
ガスも溜まり、さらに腹部が膨れる。
また、話の流れで大きな声を出すと、ホック(ボタン)がとびそうになる。

そこで、私は大慌てで“食事制限”を行う。
例えば、1日絶食する。
「創生水(そうせいすい)」のほかは飲まない。
あるいは、2〜3日間、1日1食にする。
それもおかずに限り、ご飯を口にしない。
そして、何とか乗り切る…。

ところが、食べないで痩せようとしていけないらしい。
なぜなら、大事な“筋肉”から先に落ちてしまう。
これを繰り返していると筋力が衰え、やがて日常生活に支障が現れる。
また、筋肉が落ちると、太りやすい体に変わるとのこと。

思い当たった。
私がそう。
原則無休、起きている時間はすべて仕事。
外では立ちっ放し、内(家やホテル)では座りっ放し。
同じ姿勢を続けているだけで、腰痛や背筋痛が出てくる。
筋肉がないからだ。

私は痛みが高じて身動きがままならなくなると、自宅の近くの接骨院に助けを求めてきた。
Jリーガーがよく訪れる。
私は先生の腕を信頼しているのだ。
しかし、「筋肉をつけないと、同じことの繰り返しですよ」と、厳しく叱られる。

「食べないで痩せる」。
これは弊害が大きすぎると、実感として分かった。
やや反省…。

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ヤマト、パート集中投入…人件費抑制

年末に差しかかり、デフレが一段と加速している。
食料品や日用品、衣料品といったモノに留まらず、サービスも値下げが止まらない。
宅配便も例外でない。

日本経済新聞によれば、「クロネコヤマト」で知られるヤマト運輸が配達業務にパート社員を投入する。
売上高の過半に達する人件費を思い切って抑制し、収益の確保を目指す。

ヤマト運輸は、荷物の取り扱いの丁寧さには定評がある。
理由は、顧客と接する配達をおもに「セールスドライバー」と呼ぶ正社員に担わせてきたから。
パート社員はおもに荷物の積み込みや仕分けを担ってきた。
今後は、在宅率の高い午前8〜12時と午後6〜9時にパート社員を集中投入し、配達効率を向上する。
それにより、正社員の時間外労働も減少させられる。

ヤマト運輸は、新たに採用するパート社員への「教育」を重視するはず。
そうでなければ、自慢の配達品質(配送品質)が低下する。

また、パート社員を集配拠点は当然として、「宅急便」などのトラックの停車地点に待機させて荷物を台車で配達させるという。
賢い!
が、となると、近場の人間。
パート社員のコンプライアンスの徹底に加え、配達先のプライベート感情への配慮も欠かせない。
顔見知りが荷物を届けに来たら、互いに気まずい思いをする。

                       ◇

荷物の減少と単価の下落のWパンチで、物流業界は大手といえど厳しい。
年明けから年度末へかけ、景気は坂を転げ落ちるのか?
他の業界同様、再編や淘汰の嵐が吹き荒れそう。

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読者へのお詫び

私はバタバタの状態で、ブログのストックが底を突いた。
かなり先々まで書き溜めることが多いのだが…。
ラフな素材(メモ)は豊富だが、アップできる状態に仕上げる時間をまったく割けない。
今後のブログの更新が覚束ない。

私は「ライブドア」のブログを2007年2月半ばに始めた。
現在では「アメーバ」「FC2」「ヤフー」の3つのミラーサイトを含め、1日約3百人〜千人の方々にお読みいただいている。
ここ1カ月は平均5百人弱。
その過半〜大半はライブドア。
著名人ブログでも人気ブログでもないので人数は多くないが、わりと安定している。
固定した読者が訪れてくれる?
拙い内容ながら、楽しみにしてくれる方がいるのだ。

これまで、より多くの方々に読んでいただきたくて、眠る時間を削って書いてきた。
ときどきでなく、しばしば…。
文字どおり「ブログ三昧」。
とても辛く、とても楽しい経験だった。
心より感謝したい。

まことに申し訳ないが、1カ月くらい、ごく簡単な雑文しかアップできない。
数行か。
原則として休止…。
全20回前後を予定していた「新聞奨学生物語」も1カ月ほど中断する。

ついては、2007年に書いたライブドアブログのなかから、自分なりに力を入れたものをピックアップして載せることもある。
私のブログを早い段階から読んでいただいている方には、同じ内容になるため、お詫びしたい。

時間のゆとりが生まれたら、気合いを入れてブログを更新する。
幾多の困難に直面するだろう子どもにも残しておきたい。
だから、かならず再開する。

                       ◇

私は職業人生のリタイアを迎えようとしている。
また、アルツハイマー発症の恐怖と闘っている(両親とも家系)。

20年間続けてきた「和田創研」、16年間頑張ってきた「NPO法人営業実践大学」を、約15カ月後の2011年3月末日に閉鎖する。
予定どおり。
私は残り少ない人生に大きな変化を求めたい。

来年度はいわば“総仕上げ”の時期になる。
最後を飾るにふさわしい最良の1年にしたいと考えている。

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2009年12月公開講座

ボケ防止…活脳手帳は仕掛け満載!

私の目が日本経済新聞の夕刊の広告に反応した。
「ボケない! 記憶力がアップする!」の「ボケない!」に。
私に限らず、高齢者の大半は「痴呆」への恐れを抱いている。
商品は手帳だ。

「新しい刺激を与えていけば、脳は年齢に関係なく活性化していくことがはっきりしてきました…」。
ほんとうだろうか?
この手帳は使うだけで“活脳”になる仕掛けが随所に盛り込まれているのだとか…。

ベストセラー作家にして医学博士の米山公啓が監修。
名称は「活脳手帳」
発売は土屋書店。
定価は1,680円(税込)。

私は、2011年3月に職業人生に一区切りをつける。
もう大きな「能率手帳」は必要がなくなる。

そこで、2011年からこの手帳を使うことにした。
ほかにこの手のものがないか当たってみるが…。
脳科学者の茂木健一郎が手がけている?

もし脳の老化にいくらかでもブレーキをかけられるとしたら画期的だ。

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2009年12月公開講座

すき家が先陣、280円コシヒカリ牛丼

先日のブログ「デフレ嵐で客離れ牛丼は大幅値下げ」で述べたとおり、すき家が先陣を切って牛丼(並)を280円にした。
大手では最安値だ。
ついては、ブレンド米からコシヒカリへ変更。
となると、超お買い得な新商品の登場といってよい。
すき家は勝負をかけた。
これで、吉野家と松屋も大きく動くはず。

牛丼チェーンを取り巻く環境は厳しい。
以前の不況期との決定的な違いは、2百円台の弁当など異業種のライバルが相次いで出現していること。
他チェーンと戦っているだけではない。

企業にとりデフレがなぜ深刻かといえば、採算を弾いて価格設定を行うことができない。
牛丼チェーンは原材料の高騰を理由に、前回のような値段にできないと口を揃えていた。
が、結局、客が買ってくれる(食べてくれる)水準まで落とさざるをえない。

消費者は1円でも安いところへ流れる。
食品、日用品、衣料品は年末、年明けと値下げラッシュを迎えそう。
2万円高機能テレビも現れる。

⇒12月4日「デフレ嵐で客離れ牛丼は大幅値下げ」はこちら。

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2009年12月公開講座

石原裕次郎と木村拓哉、孤独の宿命

スターが役者を務めるうえでもっとも邪魔なのは、自分自身の圧倒的な存在感だろう。
容易に打ち消せるものでない。
それが共演者の持ち味を飲み込む。
ときにシナリオのよさをぶち壊す。

自分だけ目立てばよいアイドル映画やアイドルドラマならともかく、それでは「作品」と呼べるレベルに達しない。
演技の努力よりも、素の個性や魅力のほうがまさった結果である。
観客や視聴者は、作品を見ているのでなく、スターを見ている気分になる。
その出演作品は、どれも代わり映えがしない「一本調子」という批判にさらされる。

私は映画が好きだ(1951年生まれ)。
小学生時代と日本映画(邦画)の黄金期がほぼ重なる。
当時は年に何度かは家族で映画館へ行った。
何せ「娯楽の殿堂」と呼ばれていた。
大学進学で上京して今日までは仕事に追われっ放しだった。
それでも、ときどきスクリーンで、わりとテレビ画面で楽しんできた。
「映画ファン」と名乗る資格はないが…。
私は昔からスターの映画が好きになれなかった。
何かの折に目に入ったものを除き、ほとんど見ていない。

当時はスターのために映画を量産しても、映画館を観客で埋め尽くすことができた。
その代表格が「石原裕次郎」だった。
押しも押されもせぬ戦後最大のスター。
いまだに全国にファンどころか信奉者がいる。
石原裕次郎がスクリーンで自分のかっこよさを表現できることが興行的に大事だった。
例えば、存分に暴れられるシーンをつくれば、観客は酔いしれた。

石原裕次郎の持ち前の個性が前面に出てくるので、映画を見たい私は退屈だった。
子ども心に“大根役者”だと思った。
歌はもっと退屈だった。
これからというところで亡くなったが、私は80年代に入り、テレビドラマを通じてようやく好きになった。
映画「太陽の季節」(1956年)で始まり、テレビドラマ「太陽にほえろ!」(〜1987年)で終わった。
まさに「昭和の太陽」。

「美空ひばり」は石原裕次郎と双璧だった。
国民的なアイドルであり、歌手だけでなく役者としても大活躍を見せた。
愛称は「御嬢(おじょう)」。
私はやはり映画に面白さを感じられず、苦手だった。
その延長で、歌まで嫌いだった。
ところが、晩年のわずか2曲で美空ひばりが大好きになった。
「愛燦燦」(1986年)と「川の流れのように」(1989年)。
石原裕次郎と同じ、満52歳での他界。
多忙な芸能活動で心身を酷使したのだろう。

二人にやや遅れて登場したのが、清楚なイメージの「吉永小百合」だった。
可愛さと聡明さにあふれていた。
文芸物を志向しており役者らしかった。
1960年代、浜田光夫とのコンビによる純愛&青春映画は大ヒットを巻き起こした。
「青い山脈」「愛と死をみつめて」など。
だが、私はアイドル映画の退屈さを感じていた。
吉永小百合はまぶしいほどの華があり、出演作品は彼女のためにあった。
しかし、いつしか姿が消えた(私の目に触れなくなった)。
かなりの間があって再登場したとき、スターとしての存在感に役者としての円熟味が加わり、美しくなっていた。
私は感動し、大好きになった。

こうしたスターと趣が異なったのは「高倉健」。
生まれは1931年と、一番早い。
どの出演作品でも「健さん」であり、スターだ。
しかし、素の存在感を漂わせながらも、高倉健は役者として主人公を演じきった。
私は彼の名を知らしめた“ヤクザ映画”を見ておらず、1970年代後半の映画から。
ゆえに、先の三人とは比べられないか…。
高倉健は40代半ばを過ぎていた。
不器用な男の役が多かったが、演技は巧みだった。
私は映画そのものを楽しめた。

恐らくスターにはスターならではの苦悩がある。
そもそもスターはきわめて頭がよい。
映画とは何かを理解しているはずだ。
が、できあがった作品に、当人は言葉を失う。
監督やスタッフ、俳優(共演者)と力を合わせてつくったつもりなのに、自分の映画になってしまっている。
役者として“演技”を行ったのに、それを自分の“オーラ”が覆い隠しているでないか。
スターが背負う宿命だ。
それゆえに、スターの熱狂的なファンが生まれる。

ファンがつくるスターには、おのずと限界がある。
スターがファンをつくるのだ。

スターは自分の努力では何ともしがたい苦い経験を味わってきた。
したがって、かならず周囲への“気配り”の人となる。
その根っこに負い目がある。
「孤独」の深さは、想像が及ばない。
スターの代償。
だれが長嶋茂雄の孤独を理解したろうか。
それをいくらか察していたのは、王貞治。

                       ◇

スターは偉大だ。
とはいえ、スターのために映画をつくって成功が保証される時代はだいぶ前に終わった。

役者の活躍の舞台がテレビへ移り、その背景が都会の日常生活へ置き換わったとき、自然なたたずまいで登場したスターがほかならぬ「木村拓哉」だった。

こう述べると、木村拓哉を石原裕次郎と比べるなど、とんでもないと叱られるかもしれない。
「木村拓哉は粒が小さい」。
当たり前だ。
なぜなら、昔のスターと今のスターはファンの人数がまったく違う。
それは当人の問題というより、私たちの価値観や嗜好が多様化し細分化した結果である。

俳優でも歌手でもスポーツ選手でも、かつてのお化けのようなスターはもはや生まれない。
粒が小さいのでなく、世の中が変わったのだ。

私は、木村拓哉は現代のスターだと思う。

続きは、後日。

以下は、木村拓哉に関する私の一連のブログ。
⇒11月28日「木村拓也と木村拓哉の名言に感動」はこちら。
⇒12月4日「スターと役者…木村拓哉に思う」はこちら。

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有名人46人の名言に学ぶ成功のヒント

私は「講演TV・賢人編」として、あすの日本を背負う次世代へ伝えたい“著名人”の言葉と生き様について語った映像を公開している。
内容は、各界の成功者の名言・警句・教訓、略歴・足跡・功績、魅力・素顔・横顔、人物像などのプロフィール。
46名、53本に及ぶ。
それぞれ3分前後のユーチューブの動画。
先行きが見えにくい時代、賢人から生きるヒント、働くヒントをつかんでほしい。

和田創講演TV賢人編「大山康晴」はこちら。
和田創講演TV賢人編「ジャイアント馬場」はこちら。
和田創講演TV賢人編「秋元康」はこちら。
和田創講演TV賢人編「寺田千代乃」はこちら。
和田創講演TV賢人編「岡本太郎」はこちら。

和田創講演TV賢人編「清水宏保」はこちら。
和田創講演TV賢人編「コロッケ」はこちら。
和田創講演TV賢人編「西堀栄三郎」はこちら。
和田創講演TV賢人編「兼高かおる」はこちら。
和田創講演TV賢人編「高橋竹山」はこちら。

和田創講演TV賢人編「永守重信」はこちら。
和田創講演TV賢人編「三波春夫」はこちら。
和田創講演TV賢人編「秋元康2」はこちら。
和田創講演TV賢人編「渥美清」はこちら。
和田創講演TV賢人編「イチロー」はこちら。

和田創講演TV賢人編「中島誠之助」はこちら。
和田創講演TV賢人編「輪島功一」はこちら。
和田創講演TV賢人編「永守重信2」はこちら。
和田創講演TV賢人編「矢野顕子」はこちら。
和田創講演TV賢人編「いかりや長介」はこちら。

和田創講演TV賢人編「フジ子・ヘミング」はこちら。
和田創講演TV賢人編「田中耕一」はこちら。
和田創講演TV賢人編「山野愛子」はこちら。
和田創講演TV賢人編「鈴木大地」はこちら。
和田創講演TV賢人編「橋田信介」はこちら。

和田創講演TV賢人編「寺田千代乃2」はこちら。
和田創講演TV賢人編「美輪明宏」はこちら。
和田創講演TV賢人編「山下清」はこちら。
和田創講演TV賢人編「綾小路きみまろ」はこちら。
和田創講演TV賢人編「荻原健司」はこちら。

和田創講演TV賢人編「橋田壽賀子」はこちら。
和田創講演TV賢人編「川相昌弘」はこちら。
和田創講演TV賢人編「秋元康3」はこちら。
和田創講演TV賢人編「片岡鶴太郎」はこちら。
和田創講演TV賢人編「三浦雄一郎」はこちら。

和田創講演TV賢人編「寺田千代乃3」はこちら。
和田創講演TV賢人編「陳建一」はこちら。
和田創講演TV賢人編「小出義雄」はこちら。
和田創講演TV賢人編「ライカ」はこちら。
和田創講演TV賢人編「土光敏夫」はこちら。

和田創講演TV賢人編「山本博」はこちら。
和田創講演TV賢人編「有馬秀子」はこちら。
和田創講演TV賢人編「永守重信3」はこちら。
和田創講演TV賢人編「松任谷由実」はこちら。
和田創講演TV賢人編「小津安二郎」はこちら。

和田創講演TV賢人編「奥田碩」はこちら。
和田創講演TV賢人編「清水宏保2」はこちら。
和田創講演TV賢人編「竹内均」はこちら。
和田創講演TV賢人編「野坂昭如」はこちら。
和田創講演TV賢人編「田村亮子」はこちら。

和田創講演TV賢人編「瀬戸雄三」はこちら。
和田創講演TV賢人編「長谷川町子」はこちら。
和田創講演TV賢人編「海老一染太郎」はこちら。

「講演TV・賢人編」。
振り返れば、原稿の執筆も講演の撮影も苦戦の連続だった。
著名人の半生や一生を原稿用紙1枚にまとめること自体が無謀である。
さらに、それを講演に仕立てるのは至難である。
自分の能力を大きく超えた試みだった。
結果として、執筆は50代前半での挑戦、撮影は50代後半での挑戦になった。

取り上げた著名人は、私が苦手な方が大半である。
仮に周囲にいるとして、私が避けて通ったに違いない人を選んだ。
つまり、私が学ぶべき人である。
その成功のキモを探った。

「講演TV・賢人編」の収録では、著名人の偉大な半生や人生に飲み込まれないよう、気合いを入れた。
私が彼らに則して述べている事柄は、真っ先に不甲斐ない自分自身に跳ね返ってくる。
その意味で、己への問いかけであり、己への叱咤激励である。

「講演TV・賢人編」は、拙さばかりが目立つ。
しかし、とにもかくにもゴールにたどり着いた。
やり遂げたという満足感はないが、安堵感はある。

以下は、皆さまに和田創「講演TV・賢人編」シリーズへの認識を深めていただくための講演映像である。
合わせてご視聴をお願いしたい。

「講演TV(賢人編)明日へのヒント」はこちら。
「講演TV(賢人編)明日へのヒント2」はこちら。
「講演TV(賢人編)明日へのヒント3」はこちら。

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スターと役者…木村拓哉に思う

スターと役者は違う。
スターは、“人気(度)”を表す言葉。
夜空に煌めく星であり、陽光に輝く華である。
ミスター・ジャイアンツ、ミスター・プロ野球と称された長嶋茂雄を例に出すまでもなく、斯界で頂点に立っていなくてならないが、最高のプロでなくてもよい。
スターという職業はない。
それは“存在”だ。

役者は、“職業(度)”を表す言葉。
自分に宛がわれたシナリオの登場人物になりきる職人である。
演じるなかで、素の自分はかき消される。
王貞治は最高のプロとしてホームランを量産する打者に徹した。
ついに本塁打の世界記録を更新した。
役者という存在はない。
それは“評価”だ。

スターに対し、役者を期待するのは筋違いである。
それをはみ出してしまう、超えてしまうから「スター」なのだ。
スターは、役目や役割といった枠に収まりきれない、厳しい宿命を負う。

長嶋茂雄も王貞治も現役を退いた後、「監督」に就いた。
王貞治は苦悩の末、選手を捨て、監督に変わった。
自分が演じるべき、新たな役目と役割に気づいたのだ。
ついに名監督へ。

長嶋茂雄はスターを捨てられなかったし、ファンのためにも捨てるつもりはなかった。
極論すれば、現役時代も「選手」でなかった。
長嶋茂雄は半生を通じ、選手でも監督でもなく、スターでありつづけた。

                       ◇

芸能界にあえて飛び込む人は、だれもが持っている目立ちたいとの願望が突出して強いのが普通である。
そうでなくては、熾烈極まりない競争社会の現実に弾き返され、すぐに挫折する。

俳優も同じ。
世間から「役者」と認められるには、どれくらい血と汗を流さなければならないだろう。
まして、「スター」と呼ばれるには…。
全身、努力の塊。

しかし、スターに努力は必須だが、努力はスターを保証しない。
そこにいるだけで放つ、オーラのようなものを身にまとうことが条件だ。
先天的な資質が絡むのでないか。

活躍の時代は異なるが、石原裕次郎と木村拓哉がそれ。

続きは、あした。

以下は、木村拓哉に関する私の一連のブログ。
⇒11月28日「木村拓也と木村拓哉の名言に感動」はこちら。

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平山郁夫を偲ぶ…略歴と作品

佐川急便は琵琶湖の湖畔に保養所とそれに付随する体育館と広大な運動場(グラウンド)を有する。
ゴールデンウィークに恒例の社内行事があり、私は家族で招待されたことがある。
申し訳ないが、運動会に興味があったわけでなく、観光気分でご好意に甘えた。
感謝。

そして、近くの「財団法人佐川美術館」を訪ねた。
経営と人生の名言0243日本画家・平山郁夫の作品のコレクションでつとに名高い。
また、彫刻家・佐藤忠良の作品のコレクションも充実する。
佐藤忠良は、人が平凡な日常のなかで垣間見せる一瞬の美を作品に昇華させ、世界的に高い評価を得ている。
帽子をかぶった若い女性の彫像といえば、分かる方も多いだろう。

私は佐川美術館が楽しみだった。
実は、以前に私一人で立ち寄ったことがある。
このときは帰りの新幹線の時間に追われていたので、慌てて見て回った。
そこで、平山郁夫の作品を中心に家族でじっくりと味わった。

                       ◇

先日、平山郁夫(ひらやま・いくお)が亡くなった。
79歳。自宅は神奈川県鎌倉市。
仏教、とくに仏教伝来の道となった「シルクロード」を題材にし、幻想的な画風を築いた。
それは日本文化の源流を探ることでもあった。
京都や奈良などに取材した歴史的風景画も多い。
叙情的な文学性、物語性が漂う。

《略歴・作品》
1930年、広島県瀬戸田町で生まれた。
1945年、中学3年生のときに勤労動員先の広島で被爆した。
この体験が画家としての、人間としての原点となった。
1952年、東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科を卒業し、そこで後進を指導しながら前田青邨に師事した。
その後も教鞭を執りながら創作にいそしんだ。
教え子には人格を磨くことの大切さを説いた。
おもな活動の舞台となった日本美術院展で、1953年に「家路」が初入選した。1959年に「仏教伝来」が評価され、1961年に「入涅槃幻想」が大観賞を受賞した。
1966年、東京芸術大学からオリエント遺跡調査団の模写班の一員としてトルコに派遣された。
これをきっかけにシルクロードへの取材旅行を重ねた。
1968以降、「平和の祈り」を重ね合わせたシルクロードシリーズを40年以上描きつづけた。
1976年にこの東西交流の道を描いた作品群で、日本芸術大賞を受賞した。
1989年から東京芸術大学学長を2度務めた。
1996年から日本美術院理事長。
1998年、文化勲章を受章した。
2000年、奈良・薬師寺の「大唐西域壁画」を完成させた。
この間、法隆寺金堂壁画の再現模写、高松塚古墳壁画の現状模写に従事した。

平山郁夫は、世界の文化遺産の保存に関わった。
また、中国人を招いて敦煌の石窟群の修復技術を伝授するなど、日中の文化交流を深めた。
日本人初のユネスコ親善大使、アフガニスタンの支援など活動は多方面に及んだ。
ほかに、広島県名誉県民、広島市名誉市民、東京国立博物館特任館長、日中友好協会会長など。
社会的にもこれほどの功績を残した画家は珍しい。
人格者だった。

平山郁夫は、故郷の生口島の自然や人々を深く愛し、講演や著作で「古里が私を育てた」と感謝の気持ちを述べた。
「平山郁夫美術館」が造られている。
1998年に海道沿線の島や橋を描いた「しまなみ海道五十三次」を約1年がかりで制作した。

画家として早い時期から高い評価を得た人はそれほど多くない。
入院先の病床でも創作意欲は衰えなかった。
ご冥福をお祈りする。

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いい子にならない…新聞奨学生物語

「新聞奨学生物語」第6回。
第5回で新聞配達の実際について述べた。
奨学生にとり一番の関心は、それがどれくらい大変かだろう。
学業にエネルギーを割かなくてならない。
奨学生の負担は、新聞社により違ってくる。
やはり大手の専売所で働くのが有利だ。
しかし、細かく見ていくと、「読者密度」が配達時間に重大な影響を及ぼす。
結局、それは配達の面積と部数の関係で決まる。
職業人生と同じで、新聞奨学生は入店先(入社先)と配達先(配属先)の運不運に左右される。

今回は新聞配達に関わる思い出を綴ろう。

新聞販売店(奨学会?)からユニフォームをあてがわれた。
ベージュのジャンパーと焦げ茶のスラックス。
私は、どうしたらこんなにセンスの悪いものをつくれるのかと呆れた。
地味で冴えない。
ところが、先輩はほとんど着用。
内心、みっともないと思った。
基本は自由なので、私は私服だった。同期の奨学生も…。
正直に言う。
私には専売所の“囚人服”に映った。

入店して半年くらい経って、私はユニフォームを着ることに抵抗感が薄れた。
どうでもよくなったのだ。
そういえば、真冬の氷点下の早朝でも汗をかくので、信じられない薄着だった。
私はこのペラペラのジャンパーを肌の上に直接。
専売所に風邪をひく奨学生などいなかった。

また、自転車がときどきパンクした。
その都度、配達区域から新聞販売店に戻ってくるしかない。
時間の大きなロス。
余っている自転車に新聞を積み替えて出かけた。
しかも、パンクの修理は配達が終わってから自分で行う。
寒い季節だと手がかじかんで、泣きたくなるのでは…。
しかし、私は2回程で、それ以外は専業か所長がやってくれた。
なぜなら、やがてパンクしても戻らずに配りつづけた。
自転車が壊れても知ったものかという気持ち。
そして、思い切り遅い時間に「あーあ、パンクした…」と大騒ぎしながら専売所に戻ってきた。
ふてくされた表情で食事を済ませ、自室に引きこもった。
自転車が重くなるために普段より疲れるのは確かだが、うんざりするほどでもない。
次の新聞配達のとき、なぜかパンクは直っていた。
奨学生として身につけるべきコツを早めに掴んだ。

現在、私は街のつくりがゆったりとした横浜・港北ニュータウンに暮らすせいか、この辺りはわりとバイクで配っている。
断然楽。
配達に自転車を使うところがいくらか減った?
都内(外れは除く)や首都圏の繁華街では、いまだに自転車なのかもしれない。
読者の密集地域などでは徒歩も…。
新聞社だから「エコロジー」への配慮が求められよう。
そのうち電動自転車も用いられるかもしれない。

実は、私は入店後4〜5カ月、新聞販売店とのつきあい方が分かった。
所長にとりもっとも困ることは何か?
第1に、私が配達を放棄すること。
第2に、私が配達を遅延させること。
当時は専売所に代替要員や余分な人手がなかった(現在も?)。
第1はやらなかったが、第2は状況に応じて柔軟に取り入れた。
私は夏頃には心の余裕が得られ、マイペースを貫けるようになった。
肝に銘じたのは、“いい子”にならないこと。
所長に頼りにされてしまう。
奨学生は専業員と訳が違う。

第1と第2は、読者に迷惑をかける。
第1は、同僚に迷惑をかける。
私は、やってはならないことだと考えていた。
が、第2をときどき…。

続きは、3日後。

以下は、新聞配達(新聞奨学生制度)に関する私の一連のブログ。
⇒11月24日「日経BP社・日経ビジネスの行く手」はこちら。
⇒11月29日「親を捨てる口実…新聞奨学生物語1」はこちら。
⇒11月30日「奨学金の今と昔…新聞奨学生物語2」はこちら。
⇒12月1日「いざ新聞配達!…新聞奨学生物語3」はこちら。
⇒12月2日「チラシ折り込み…新聞奨学生物語4」はこちら。
⇒12月3日「新聞配達の実際…新聞奨学生物語5」はこちら。

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デフレ嵐で客離れ牛丼は大幅値下げ

吉野家、すき家、松屋。
不況に強いと言われていた「牛丼チェーン」の苦戦振りが際立ってきた。
客離れが進み、既存店売上高がかなり落ち込んでいる。
ちょっとした経営危機…。

「松屋」が牛めし(並)を380円から320円に一気に引き下げた。
「すき家」も期間限定ながら、すでに実施。
牛丼(並)を299円に…。
となると、「吉野家」の動きが気になる。
大手チェーンを中心に大幅な値下げ合戦が繰り広げられそう。

実は、前回の値下げ合戦では2百円台後半へ雪崩れ込んだ。
政府が初の「デフレ宣言」を出したことがきっかけ。
そして、今回も鳩山内閣が「デフレ宣言」を出したことがきっかけ。
熱烈な牛丼ファンからは、もっと早くすべきだったというブーイングが聞こえる(聞こえない)。
しかし、牛丼チェーンは原材料の高騰により、前回のような価格設定は難しいと口を揃える。
でも、この先、どうなるか分からない…。

当時と状況が決定的に異なるのは、スーパーストアやコンビニエンスストアなどが2百円台後半の弁当を投入し、好評を博していること。
カップ麺に激安品が、おにぎりに低価格品が出回り、たまごかけご飯がはやる。
弁当屋も対抗して2百円台の商品を投入する。
牛丼チェーンには強力なライバルが次々と出現しているのだ。

先だって、日本人の肥満率が低下したとの記事が新聞に載っていた。
消費者の節約志向が「食生活」に及んだ結果だ。
大手牛丼チェーンでさえ、デフレの嵐に飲み込まれようとしている。
サラリーマンの縮んだ胃袋と小銭入れを、競合同士、異業種間で激しく奪い合う構図。
はたして今回の値下げにより顧客を連れ戻すことができるのだろうか?

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たまごかけご飯、TKGは笑える

所得の減少が止まらない。
冬のボーナスはこれまで好調だった業種や企業でさえ大幅に落ち込む。
中小企業ではボーナスがなくなるところが相次ぐ。
生活者は節約志向をさらに徹底させよう。
長らく不況に強いとされてきた“牛丼”も今回ばかりは様相が異なる。
「吉野家」などのチェーンは既存店売上高が前年をかなり下回っている。
サラリーマンがわりと比重の大きい食費をぎりぎりまで切り詰めようとした結果だろう。
かつての2百円台後半の最安値は原材料の高騰があって難しいにしろ、再び値下げ合戦が繰り広げられる?
外食産業は「餃子の王将」に代表されるように、かなりの低価格でしっかりとした満足感を与えられるところが元気。

ところで、時流にうとい私が驚いたのは、都心に「たまごかけご飯(卵かけご飯)」の朝食専門店が次々と登場していること。
ほかにメニューはなし。
不況が追い風になったのは確かだとしても、それだけではこの現象を説明できない。
基本は「こだわり」。
なぜなら、家庭で手軽に食べられる。
調理が不要。
外食なら3百円前後になるはずだ。
ましてビジネスとして成り立たせるには、それに見合った価値を打ち出さなくてならない。

たまごかけご飯はシンプルなので卵と米の品質が大事になり、味噌汁と漬け物も手を抜けない。
卵も米もピン切り。
食材にこだわると、値段が高くなるのはやむをえない。
ただ、スーパーでこだわりの卵と米を買えば済む話だ。
また、牛丼に卵を付けた値段と比べると、割高に感じる。
さらに、いくらお決まりの朝食メニューといえ、毎日たまごかけご飯では飽きてしまう。
そこで、豊富なトッピングが揃う。
しかし、そうなると牛丼などと値段が変わらなくなる。

実は、たまごかけご飯は数年前から静かなブームが起きていた。
専用醤油が登場したのが2005年頃だ。
いまでは数十の銘柄が売られている。
これを見逃さなかったのが、岡山県美咲町。
合併後の町おこしの一環として、2008年1月に専門店「食堂かめっち。」をオープンした。
「。」は笑える。
アイドルグループにあやかりつつ、卵を連想させようとしたのか?
ご飯、卵、味噌汁、漬け物をセットにした「黄福(こうふく)定食」が3百円。
半信半疑で始めたところ、行列ができるほどの盛況となり、観光に一役買った。
同町出身の偉人・岸田吟香(画家・岸田劉生の父)が大好物の「たまごかけご飯」を全国へ広めたとの説があり、また町内に西日本最大級の養鶏場があった。
これより先、2007年3月に兵庫県豊岡市に「但熊(たんくま)」という専門店がオープンしている。

2007年9月に読売連合広告社が「365日たまごかけごはんの本」を出した。
ユニークなレシピが盛り沢山。
これがブームに火を付けた。
頭文字を取った「T.K.G.」という呼称を流行らせた。
これはもっと笑える。

わざわざ「たまごかけご飯」と呼ばなくても、ご飯に卵(生卵)をかけて食べるのは大昔から行われていた。
私は半世紀前の小学生時代から親しんできた。
当時は卵が高く、2個を3人で分けたりした。
黄身と白身が偏らないよう、思い切りかき混ぜた。
「ボクは白身ばかり」とふくれたかどうか…。

私は醤油味を好むので、たまごかけご飯はいまでも好物である。
妻が「しょっぱそう」と顔をしかめる。
それをご飯にかけず、いり卵にしてご飯にのせるのも好きだ。
しかし、醤油の量が多いせいか、家族にすすめてもだれも食べたがらない。
ご飯と卵、醤油の相性は素晴らしい。

専門店が各地にできているとのこと。
しかし、私は「たまごかけご飯」の外食ブームは長く続かないと思う。
不況が直接の理由でないが、不況期における一種のポーズだろう。
むろん、ブームが去っても、家庭でこれからも食べられつづける。
一生に1回くらい、極上のご飯と極上の卵で食べてみるのもよいかもしれない。
飛び切りおいしいはず。

以下は、ウィキペディアに基づく。
卵かけご飯は、生の鶏卵と飯を混ぜ、少量の醤油などで調味してつくる飯料理である。
卵を生のまま用いること、主食の飯と混ぜて食べることなどから、日本特有の食文化とされる。
卵かけご飯には、呼称のバリエーションがある。
「卵ぶっかけご飯」、「卵ご飯」、「たまご飯」、「ぼっかけご飯」などとも呼ばれる。
「卵」の字に「玉子」が当てられることもある。
以上。
そうか、「料理」「食文化」。
となると、私は料理人、文化人。
初めてほめられた気分…。

私はそこそこの醤油を入れるため、ご飯は黄と茶の中間くらいの色になる。
塩分の過剰摂取につながっているか。
もともと濃い味を好むのだが、新聞奨学生になってから体が猛烈に塩分を欲するようになった。
新聞販売店では、だいたい所長の奥さんが朝食をつくっている。
かなりの人数分だ。
夕食もつくらなくてならないので、朝食は手を抜く。
そこで、しばしば生卵が置かれる。
物価の優等生でもある。
私は茶色のたまごかけご飯を食べていた。
1個の卵で2杯の丼飯がいけるからだ。

また、以前は器に生卵を落として醤油を加え、かき混ぜてからご飯にかけた。
だが、昨今は横着になり、ご飯にチキンラーメンの「たまごポケット」みたいなくぼみをつくり、そこに生卵を落として軽くかき混ぜながら醤油を加え、頃合いを計ってご飯全体とかき混ぜるように変わった。
ポイントは、醤油とご飯が直接触れないようにすること。
これは人生の極意に通じる(通じない)。
昔も今も変わらないのは、白いキロキロを取り除くこと。
神経質なのだ。

…思い出した。
私は学生時代、卵も買えないときは「しょうゆかけご飯」を食べた。
こちらは茶褐色。

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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。クライアントとともに77歳までに百社の設立を目指す(内、自ら11社)。

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