コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

2009年12月

新聞配達の実際…新聞奨学生物語

「新聞奨学生物語」第5回。
私が日経育英奨学会を通じて配属された「日本経済新聞高円寺専売所」。
先輩に教えられ、一人で新聞配達を行えるようになるまでの過程は第3回「いざ新聞配達!…新聞奨学生物語3」で述べた。
私は一度も経験がなかったので多少の不安があったが、1週間は要しなかった。
アルバイトの経験もゼロ。
正直、拍子抜け。
今回は新聞配達の実際について述べよう。
正直、苦労した。

◆配達
自分が配達する新聞をすべて自転車に積み込み、新聞販売店を出発する。
前のかごは交互に差し込んだ新聞であふれた。
前方の視界がふさがれ、また重みでハンドルがふらついた。
後ろの荷台は積み上げた新聞であふれた。
自転車はがっしりとした業務用であり、新聞の総重量と合わせ、ペダルが非常に重かった。
が、1カ月を過ぎた頃から慣れていった。
人の能力は凄い。

配達は、自転車を飛ばす。
団地やマンションなどでは自転車を降りて走る。
いずれも現在は社会的に許されない猛烈なスピードだ。
自転車については、夕刊時は人通りが多くても構わず飛ばした。
通行人の後ろで急ブレーキをかけると凄まじい金属音が出て、道を開けてくれた。
そうでなくては配達の時間が延びる。
「コンプライアンス」という言葉がなかった。
いまや宅配便でもかつてのように駆ける人は減ったはず。
例えば、佐川急便のドライバーは走らないのでなく、走られないのだ。
まして台車をガラガラ鳴らしたら、すぐにクレームが来る。
奨学生は良識のあるスピードで新聞を配っているのでないか。
様変わり。

私が最初に担当した区域はそれでも2時間半を要した。
夕刊は自転車が軽くなるのでいくらか楽だったが、なかなか2時間を切れなかった。
懸命に頑張り、朝夕刊で4時間半。
天候が悪かったり体調が悪かったりすると、5時間。
入店後しばらくして人の手当てがつき、所長の指示により先輩がときどき“中継”をやってくれた。
配達ルートの途中1〜2カ所にあらかじめ新聞をまとめて置いておいてくれる。
これは助かった。
ただし、新聞の重い朝刊時に限られた。
この中継は専売所の事情により、配達の面積や部数により、徒歩や自転車、バイクといった配達手段により、まちまち。
また、夕刊の中継をやってくれるところもある。

記憶が曖昧だが、新人(奨学生)が入店して人が入れ替わる1年後に、私は配達区域が変更になった。
恐らく所長にかけ合って変更してもらった。
受け持つ部数は5割増くらいか。
ところが、配達は朝夕刊で3時間〜3時間半に縮まった。
1時間半も一気に浮いた。
新聞販売店の近くの区域で、面積もぐっと狭まった。
大手企業のほかに独身寮などもあり、まとまった部数を一括で置くところが含まれていたためだ。
平たく言えば、配達区域が住宅街から繁華街へ。
それまでが地獄だったので、天国のよう。
1年間、耐え抜いたご褒美?

当時、日本経済新聞高円寺専売所は計8区だった。
これは絶対に忘れない。
しかし、配達区域の線引きの仕方のせいで、奨学生の負担に極端な不公平が生じていた。
所長の問題だろう(感謝はしても、恨みはない)。
私は40年程を経た現在でも、「第7区」から「第2区」へ変わったことをはっきりと覚えている。
いかに嬉しかったか。
入店時は配達区域の運不運に左右される。
長く勤める奨学生ほど楽な区域へ回れる。
当然、顔つきも“主(ぬし)”になろう。

配達の大変さは、一人が受け持つ部数の多寡とあまり関係ない。
区域内の読者の密度が重大。
大部数の新聞ほど楽になる傾向が強い。
当時、日本経済新聞はようやく百万部に届いた?
朝日新聞や読売新聞と比べると、配達部数はずっと少ないのに配達時間はだいぶ長かった。
彼らは繁華街や住宅密集街では自転車をポイントごとに停めて徒歩で配ることが多かった。
そのほうが効率がよいからだ。
日本経済新聞は発行部数が当時の4倍前後に達した。
首都圏、とくに東京地区では読者の密度が濃くなり、先の2紙と大きなハンディはないのでないか。
都心、それもオフィス街では逆転している可能性もある。

もう一つ。
日本経済新聞は読者が固定していた。
一般紙は出入りが激しく、配達先がかなり変わるようだ。
そうすると、「順路帳」をしょっちゅう手入れしなくてならない。
書き込みが増えてくると、新たにつくり直すことに…。
面倒だ。
ただし、日本経済新聞は部数の増加につれて“一般紙化”している。
読者の変動は、当時はほとんどなかったが、現在はいくらかあるのでは?

続きは、あした。

以下は、新聞配達(新聞奨学生制度)に関する私の一連のブログ。
⇒11月24日「日経BP社・日経ビジネスの行く手」はこちら。
⇒11月29日「親を捨てる口実…新聞奨学生物語1」はこちら。
⇒11月30日「奨学金の今と昔…新聞奨学生物語2」はこちら。
⇒12月1日「いざ新聞配達!…新聞奨学生物語3」はこちら。
⇒12月2日「チラシ折り込み…新聞奨学生物語4」はこちら。

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2009年12月公開講座

直江津のマイミク…新聞奨学生物語

マイミクの「げらっち」氏。
私の生まれ故郷・新潟県直江津市(現上越市)に暮らす。
「げら」はあの辺りの方言で、「〜したらしい」。

きのうのブログ「いざ新聞配達!…新聞奨学生物語」にメッセージを寄せてくださった。
本人の許可を得られたので、以下に転載する。

ブログの更新、お疲れさまです。
最新のブログ、新聞奨学生の記事は、とても身につまされました。
私の同級生にもおり、これまでに何度も話を聞かされてきました。

昔は国全体がそれほど裕福でなく、そのために進学を諦めたり、働きながら学校に通ったりという話はそこらじゅうにありましたね。

私も決して裕福でない家庭にありながら、親が苦労して大学を出させてくれたことを感謝しております。

カネもモノもない時代の苦労を思えば、いまの不況や円高なども気構えで乗り越えていける力を、我々日本人は持っているのではないでしょうか。

以上。
メッセージ、まことにありがとうございます。

私は「新聞奨学生」と「新聞配達」について、自分の体験を土台にブログを書いている。
若い頃の生活を振り返ることのほかに、もう一つ社会的な意味がある。
実は、新聞の「宅配制度」はそれほど長く続かないだろうと考えている。
それを記録に残しておきたい。

以下は、新聞配達(新聞奨学生制度)に関する私の一連のブログ。
⇒11月24日「日経BP社・日経ビジネスの行く手」はこちら。
⇒11月29日「親を捨てる口実…新聞奨学生物語1」はこちら。
⇒11月30日「奨学金の今と昔…新聞奨学生物語2」はこちら。
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チラシ折り込み…新聞奨学生物語

「新聞奨学生物語」第4回。
新聞奨学生は苦労が大きい。
中途半端な覚悟でやり通せるものでない。
私の頃は文字どおり“地獄”だった。
今の奨学生に叱られるかもしれないが、昔の奨学生は肉体的にも精神的にも数倍は過酷だったと思う。

家庭の経済事情から新聞奨学生制度を利用し、大学や短大、専門学校などへの進学に踏み切ろうとする高校生は少なくない。
私は向学心に燃えて頑張る人を尊敬するし、応援したい。
そこで、40年程前の実情や実態を紹介しながら、奨学生が経験するであろう業務や環境などについて述べてみたい。
ただし、私は現在の状況や様子を正確に把握しているわけでない。

◆折り込み
別刷(本紙以外)とチラシがあるときには、配る前に朝刊に折り込まなくてならない。
真面目な奨学生は、その分早めに起きていた。
私は、偉いなぁと感心したものだ。
当時はすべて手作業。
日本経済新聞はチラシがないのが普通だった。
現在もそれほど多くない(ただし、併売店では一般紙のチラシが日本経済新聞にも割り当てられることがある)。
日本経済新聞ではチラシよりも別刷のほうに時間を奪われた。
週に1〜2回だった(うろ覚え)。
別刷はおもに8〜16ページだが、折り込む手間はチラシ1枚分とそれほど変わらない。
あっという間に片づけられる。
ごくまれにチラシが多いことがあり、いやになった。
それでも数枚止まり。
あ、夕刊にチラシが入ることは例外で、まずない。

東京圏では朝日新聞や読売新聞などの全国紙にチラシが膨大に入る(他地域は不明)。
数枚以上、金・土・日曜日、祝日には優に十枚以上。
現在は平日でも十枚を超えたりする。
それ以外の日は30〜50枚に達したりする。
昔も今も一般紙はチラシが多い。

当時はこれを手作業で折り込んでいた(一部の先進的な専売所では機械作業だった可能性がある)。
私の推測にすぎないが、新聞配達より時間がかかった。
ゆえに、前日の夕食後にチラシのなかにチラシを折り込んでおく。
ならば、朝刊にチラシセットを折り込むだけなので、あっという間。
ただし、チラシは折り込み手当てがついた。
新聞販売店がスポンサーから折り込み料を受け取っているのだから当然である。
そうでなくては、奨学生はやっていられない。

新聞を配っているうちに一般紙の奨学生と顔見知りになり、会話を交わす機会が増えてきた。
折り込み手当てがかなりの金額にのぼり、給料のとてもよい専売所があった。
かたや、雀の涙ほどの金額しかもらえない専売所があった。
しかし、不満が募ったとしても、大学の入学金や授業料などの“一時金”を負担してもらった奨学生は、他の専売所や新聞社へ移ることができない。
なぜなら、途中で退店する場合には、勤続年数に応じた一定の割合の金額を一括で返還しなくてならない。
要は、やめられないような制度設計がなされている。

チラシの多寡により奨学生の生活が変わってくる。
手当てが大事か、時間が大事か。
勉強を重視すれば後者だ。
私は呑気に過ごすために後者が欲しかった。
日経の専売所で働いていた私はチラシの苦労をほとんど知らない。
それと、チラシは良質な紙を用いているものも少なくない。
30〜50枚に及ぶと、新聞をポストに投函する際に新聞を折り曲げるのも苦労でないか。
それ以前に、新聞がかなり重くなる。

現在、問題は自分が配属される新聞販売店が手作業か機械作業かだろう。
後者だとチラシが何枚あろうと、折り込みはなし(チラシセットを新聞に折り込むのは奨学生か)。
ゆえに、折り込み手当ては見込めない。
ただし、折り込みが機械作業だとして、だれかがついていなくてならない(恐らく)。
奨学生が行うのか、それとも専業が担うのか。
なお、チラシの少ない日経の専売所では機械を置いていないかもしれない。

大手新聞社の奨学生制度を通じて専売所に入店した奨学生は、奨学会が約束した労働条件や待遇はおおよそ順守される。
当時もそれなりだったが、現在はさらに…。
しかし、零細な新聞販売店のなかには労働条件や待遇が悪いところがあるはず。
昔、奨学生が折り込み手当てがつかないと嘆いていた。
新聞販売店の経営状態、そして所長(経営者)のモラルにより奨学生の運不運が決まったりする。
これは会社にも通じよう。

続きは、あした。

以下は、新聞配達(新聞奨学生制度)に関する私の一連のブログ。

⇒11月24日「日経BP社・日経ビジネスの行く手」はこちら。
⇒11月29日「親を捨てる口実…新聞奨学生物語1」はこちら。
⇒11月30日「奨学金の今と昔…新聞奨学生物語2」はこちら。
⇒12月1日「いざ新聞配達!…新聞奨学生物語3」はこちら。

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流行語大賞は「政権交代」…民主圧勝

2009年(第26回)の流行語大賞は「政権交代」に決まった。
これは国民の多くが予想したとおり。
年間大賞の選考は簡単だったのでは…。
民主党政権、鳩山内閣の支持率は一時より低下したものの、依然として高水準をキープしている。

先の衆院選における民主党の1丁目1番地の主張は、「国民を幸せにするが、そのためにカネは追加で出さなくてよい」。
ところが、3カ月もしないうちに自信満々だった財源確保が何の根拠もなかったことが露呈した。
それどころか来年度の財政不足(赤字)は過去最大規模に達するのは間違いない。
このブログで再三述べたとおり、世の中にそんなうまい話はどこにもない。
まったくのデタラメ。

とはいえ、政権交代により、自民党しか知らなかった有権者が民主党から学んだことが多いのも事実である。
私は、政治家が一生懸命に働く姿を初めて見た。
ときに感動すら覚える。
後に振り返り、2009年が日本の再生へ向けた第一歩だった。
そんな判断が下されることを、私は切に願う。
トップテンには「事業仕分け」や「脱官僚」も入り、政治色がわりと出ている。
それだけ私たちの目が今年一年、政治に注がれた証だろう。

なお、恒例の「ユーキャン新語・流行語大賞」は、一年間の世相をもっとも色濃く反映した話題の言葉に贈られる
主催は「現代用語の基礎知識」でお馴染みの自由国民社。
その大賞審査委員会と大賞事務局が選考した。
ここでも民主圧勝!

ノミネート60ワードのなかに、「エコポイント」「派遣切り」「貧困」「裁判員制度」「ばらまき」「ぼやき」「育成選手」「こども店長」「婚活」「侍ジャパン」「新型インフルエンザ」「草食男子」「ファストファッション」「弁当男子」などが含まれていた。
考えるまでもなく「政権交代」が大賞だ。
野党によるそれは、戦後初。

                       ◇

民主党政権、鳩山内閣に関わる一連のブログは以下のとおり。

⇒8月17日「郵政4分社見直し…共通政策」はこちら。
⇒8月18日「カネで1票を買う…選挙戦スタート」はこちら。
⇒8月19日「有権者を愚弄する選挙戦…党首胸算用」はこちら。
⇒8月27日「波乱なし、衆院選」はこちら。
⇒8月28日「民主党の獲得議席はどれくらい?」はこちら。
⇒8月29日「神奈川7区鈴木馨祐、比例みんなの党」はこちら。
⇒8月30日「「自民党をぶっ壊す」が今日完結!」はこちら。
⇒8月31日「民主議員に戸惑い、怯えの表情…」はこちら。
⇒8月31日「民主議員のつまらなさ!」はこちら。
⇒8月31日「民主、マニフェスト撤回も…」はこちら。
⇒9月1日「民主、国の財布をのぞく」はこちら。
⇒9月3日「なぜ景気は悪いのか?」はこちら。
⇒9月4日「小沢民主、参院選まっしぐら!」はこちら。
⇒9月4日「霞が関、激震走る!」はこちら。
⇒9月6日「散財する政治家がいなくなった…」はこちら。
⇒9月17日「鳩山新内閣の船出に思う」はこちら。
⇒9月18日「鳩山内閣への熱狂的期待値!」はこちら。
⇒9月18日「お見事、鳩山政権の気持ちよさ!」はこちら。
⇒9月21日「鳩山内閣、わずか1年の命!」はこちら。
⇒9月27日「哀れ、野党総裁選はひっそり投開票」はこちら。
⇒9月28日「河野太郎、みんなの党と新党立ち上げ」はこちら。
⇒10月3日「景気降下…野党感覚で発言する閣僚」はこちら。
⇒10月5日「予算白紙、執行停止で景気急降下?」はこちら。
⇒10月20日「景気悪化…鳩山内閣、年内にも試練!」はこちら。
⇒10月21日「民主政権下、雇用は危険水域に突入!」はこちら。
⇒10月22日「小泉内閣も真っ青の独断専行振り!」はこちら。
⇒10月23日「公共事業、厳格精査、軒並み白紙へ」はこちら。
⇒11月12日「事業仕分け作業…壮絶バトル公開!」はこちら。
⇒11月19日「現世代は友愛、次世代は憂哀」はこちら。

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いざ新聞配達!…新聞奨学生物語

「新聞奨学生物語」第3回。
私は、日経育英奨学会で無愛想な所長に引き取られ、「日本経済新聞高円寺専売所」に入店した。
所在地は杉並区高円寺南1丁目。
中野区と杉並区の境界辺り、大久保通り沿いに立地する4階建てビル。
新築後それほど年月が経っていないのでは…。

最寄り駅は国電中央線「中野駅」、徒歩で8分程。
隣の「高円寺駅」、12分程。
私は高円寺駅に出たことがない。
地下鉄丸ノ内線「東高円寺駅」、5分程。
なお、高円寺専売所はいわゆる「新聞販売店」。
とはいえ、おもな業務は販売でなく配達である。
長らく新聞の宅配制度を支えてきた。

また、「専売所(専売店)」とは、1社の新聞しか扱わないという意味。
かならずしも1紙でない。
私が日経高円寺専売所で配ったのは「日本経済新聞」。
日本経済新聞社(本社)が配達請負の契約でも結んでいたのか、ほかにスポーツ紙1紙と業界紙数紙。
こちらは、合計10部に届かなかった。
やがて「日経流通新聞(現在は日経MJ)」が創刊された。
週3回の発行で、こちらも負担になる部数でなかった。
「併売店」は2社以上の新聞を扱う。
東京地区の繁華街やオフィス街、開けた住宅街は、大手新聞社については「専売所」が中心だろう。

しかし、昨今では「専売所」という言葉が消え、カタカナの名称に置き換えられた。
それにともない、「専売」「併売」の区分けもぼやけてきているのかもしれない。
新聞社は実売部数が落ち込めば、配達についても思い切った合理化を推し進めなくてなるまい。
将来、電子化の流れが加速すると、全紙を扱う新聞販売店が登場するのでなかろうか?

                       ◇

私は専売所に到着し、所長から大雑把な説明を受けた。
日経育英奨学会のパンフレットに担当業務は記されていたが、いささか乱暴だった。
まあ、単純な肉体労働だから…。
私はすぐに「新聞配達」に携わった。
それが翌日の朝だったか、翌々日の朝だったか記憶がない。
配達時の運動靴や汗拭きタオル、自室で茶を飲むための湯沸かし(ポット)など雑貨は欲しいはずで、その買い物に中野駅方面に出かけたのでないか。
1日の猶予が与えられた?

最初、私が先輩(前任者)につく。
互いに自転車。
新聞を積むのも配るのも先輩。
冷え込みの厳しい日の朝刊だったことを覚えている。
1軒目の塀の投函口がありありと目に浮かぶ。
その部分だけを忘れない。
もちろん、辺りは真っ暗。
私は、実際の道筋と配達先を「順路帳」に記されたそれと照らし合わせる。
街灯や玄関の明かりが頼り。
しばらくして空が少しずつ白んできた。
このときは先輩に遅れないようにするのが精一杯で、順路帳はまともに見られなかった。
夕刊は明るいので、順路帳を見やすく、周囲の光景などを覚えやすかった。
朝刊と夕刊では人通りがまったく違う。
徐々に新聞を積むのも配るのも私。
最後、先輩が黙って私につく。

多くの配達先を覚えられるか不安に感じる人がいるかもしれない。
しかし、「順路記号」はきわめてシンプルでありながら、とてもよく考えられている。
私は4〜5日間かかった(不確か)。
早いといえないが、とくに遅くもない。
皆がこれくらいの日数で覚えるらしい。
私は方向音痴だが、新聞配達に影響はない。
記憶力の良し悪しもあまり関係がない。
ベテランだと、1日どころか朝刊か夕刊のいずれかにつくと大丈夫。
配達に不可欠の情報は順路帳に記されているからだ。
なお、前任者のつくったそれに自分なりのワンコメントなどを添えると完璧だろう。

先輩は入店し、一人で配達するようになったばかりで退店した。
理由は聞かされなかったし、聞かなかった。
だから、本人に余裕がなく、指導される側は大変だった。
私が覚えたら即座に辞めるとプレッシャーをかけられた。
気性の激しい人だったが、幾度か軽く叱られたくらい。
新聞販売店で働く人はだいたいが穏やかで優しい。
そうでない人もそうなってしまうようだ。

私は初めて一人で配ったとき、3時間半はかかった?
ふらふらになって専売所に戻ってきた。
所長と奥さんが温かく出迎えてくれた。
皆は朝食が済んでおり、一人で食べた。
そのときの味噌汁のおいしさは忘れられない。
大げさと笑われそうだが、感動!
後日、仲間に尋ねたら、全員がそうだった。

私は自室に戻り、ベッドに横たわった。
そして、ささやかな充実感を味わった。
同時に、これが毎日続くのかとも思った。
4年間。
いまは大学が始まっていないから苦にならない。
社会人として仕事をやっているにすぎない。
まもなく学生を兼ねることになる。
しかも、そちらがあくまで「主」。
う〜ん。
それと、生活のリズムをつくっていくのは容易でないと感じた。

実際に引き返せないし、また新聞奨学生になったことに後悔の念はこれっぽっちも持たなかった。
私にとり第一の目的は「上京」。
それがこうして叶ったわけだから…。
しかし、前途は多難だ。

続きは、あした。

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プロフィール
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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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