コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

2010年09月

つべこべ言わず仕事をしろ…言い訳を許すな

私がプランナーから著者、講師、コンサルタントへ転職を目指したのが1991年、40歳である。
長年仕事(企画業務)の締め切りに追われ、精根を使い果たした。
生き地獄みたいな毎日から解放されたかった。

が、実際にはその後数年間は締め切りに追われた。
なぜなら、1991年に出版社へ営業活動をかけた。
日本経済新聞社、ダイヤモンド社、日本実業出版社など…。
私は何の実績もなかったので、5社のうちの1社でも乗ってくればラッキーと考えていた。
むろん、得意の「提案営業」に持ち込んだ。
5冊の本を書くことになった。
想定外。
筆が遅いために5年近く生き地獄。
途中、大量喀血で生死の境をさまよった。

私は1990年代半ばまで“外圧”に責め立てられた。
食事は数分間。
パソコンを使っていない頃は、左手でフォークかスプーンを操り、右手でペンを滑らせる。
食事が飛んでしまうこともしょっちゅう。
あれっ、1日飲まず食わず…。
顧客と仕事に感謝しており、たいして苦にならなかった。
いや、苦にする余裕がなかっただけの話かもしれない。

私は1990年代半ばから講師の仕事が軌道に乗るように…。
多忙に変わりないが、締め切りが消えた。
同時に、堕落が始まった。
十年弱、ピークの状態が続き、日本中を飛び回った。
仕事に締め切りがあったことすら忘れた。
この間、堕落が深まった。

怠け者は締め切りに支えられ、助けられる。
それは、最近気づいたことだ。

                       ◇

私は、いまの不甲斐ない自分が我慢ならない。
しかも、2005年前後から知的生産にとり生命線の「集中力」が大幅に低下した。
自らに命じたタスクを何一つやり遂げられない。
これではいかんと、やる気を奮い立たせるのだが、ズルズルの状態が続いている。
いたずらに時間が過ぎ、あっという間に還暦目前。
できない言い訳を探してばかり…。

「つべこべ言わず仕事をしろ」。
最近、自分を叱っている。
この言葉は、職業人としての基本ができていない若者に使うものだろう。
我ながらあまりにレベルが低い…。

                      ◇◆◇

締め切りと自己実現に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月25日「人生の教科書・ゲゲゲの女房…仕事・夫婦・家族」はこちら。

⇒2010年8月26日「心の太鼓を打ち鳴らせ…ゲゲゲの女房」はこちら。

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水木しげる、フリーランスの恐怖…ゲゲゲの女房

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
私はこのところ体調不良や出張などで、ときどき見られない。

水木しげる(村井茂。向井理)は、1980年代初頭に大スランプに陥った。
当然、株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)も存続の危機に瀕した。

長く続いた売れない時代には食べるために必死で働いた。
売れた時代には押し寄せる注文をこなすために、またアシスタントなど社員を養うために懸命に働いた。
立ち止まって考える余裕はなく、しゃにむに突っ走ってきた。
が、仕事がパタッと途絶えた。

朝ドラでは、母・村井絹代(竹下景子)が嫁・村井布美枝(松下奈緒)に、「苦しいのは走るのを急にやめたとき。がっくりせんように…」と、息子への言葉を託した。

親の心配が的中した。
水木しげるは自信を失った。
大切にしてきた宝物をガラクタと呼んだり、世の中に妖怪はいないと言ったり…。
表情から生気が消え、しょぼしょぼ歩きに変わった。
軽い「うつ病」だったのでは?
長女・藍子も次女・喜子も父に“異変”を感じていた。

水木しげるは、売れた時代に仕事をセーブすべきだった。
しかし、収入の保障のないフリーランスは食べられなくなる恐怖が染みついており、それができない。
私は、水木しげるの気持ちが痛いほど分かる。

                       ◇

私は、水木しげるのような大スランプを経験していない。
講師は、企業研修にしろ公開セミナーにしろ既存顧客との関係がわりと継続するので、仕事がパタッと途絶えることはない。

記憶が曖昧だが、1998年〜2004年の7年間は超人。
なかでも1999年〜2001年の3年間はクレージー。
この頃と同じ頑張りをもう一度と思っても、絶対に不可能である。
とくに21世紀の初頭まで大家族と社員とNPO法人を、ほぼ私一人の売り上げで支えた。
それを可能にするエネルギーがどこに潜んでいたのか不思議だ。

働こうとしても働けない…。
私が職業人生でそうした感覚を初めて持ったのが2006年以降だった。
2008年以降、それを自覚するに至った。
すでに5年、もしくは3年…。
体の内部から頑張ろうという「力」がどうしても湧いてこないのだ。
ゲゲゲの女房の水木しげるのありさまと照らし、これは世間で言う「スランプ」でないかと…。

私は高校時代に父の転落に接し、社会に対する不信、会社に対する不信、そして人間に対する不信が募った。
もともとそうした気質を有していたのかもしれないが、心に「虚無感」が巣食った。
自分のために頑張るということが難しくなった。
受験勉強にまったく取り組めず、明治大学を5年間で出られなかった。
また、どのような仕事もつまらなかった。

私が死に物狂いで働いたのは結婚後である。
家族ができた。
そして、従業員が増えた。
頑張ろうと努めたわけでなく、おのずとそうなった。
自分でも驚く変化だった。

しかし、ここ数年は家族や従業員のために頑張ることもできなくなっていた。
蓄積疲労か、老いか。
いずれにしろ生命力の低下が関係していよう。
私はずっとトンネルのなかを歩いている気分・・・。

                      ◇◆◇

人生の教科書「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。
ドラマの進行と私の半生を重ねたり照らしたりしながら、心の内を綴った。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

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⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。

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⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

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⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。

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⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

⇒2010年9月6日「水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出」はこちら。

⇒2010年9月7日「水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声」はこちら。

⇒2010年9月8日「水木しげる渾身妖怪画、点々アシスタント万歳!」はこちら。

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⇒2010年9月10日「調布・水木プロダクション社長…家族経営の幸せ」はこちら。

⇒2010年9月11日「鳥取境港と島根安来…ゲゲゲの女房観光ブーム」はこちら。

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鳥取境港と島根安来…ゲゲゲの女房観光ブーム

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
山陰の静かな小都市、鳥取県境港市と島根県安来市が、この朝ドラのブームに沸き立っている。
放送が始まり、視聴率が高まるにつれ、観光客が増えていった。

境港は、水木しげる(武良茂)が育ったふるさとだ(生まれは大阪)。
「水木しげるロード」や「水木しげる記念館」などがあり、街はこの漫画家と妖怪たちに染め上げられている。
ネットで調べたら、妖怪レンタサイクルや人力車が備わり、レトロな風情を楽しめる。
また、妖怪ポストに投函すれば、鬼太郎の消印で手紙や葉書が届く。
なお、妖怪グルメ、妖怪雑貨・小物などが揃う商店街のアーケードのたどり着いた先が一番の名所「水木しげる記念館」。
妖怪のジオラマ、世界中のコレクション展示が自慢である。
このほか10代頃の習作や愛用品、写真パネルなどで半生を振り返る「げげの間」、仕事場の再現など…。
水木しげるの人となりと作品世界、妖怪世界は見応えがありそう。

すでに述べたとおり、境港はもともと水木しげるで町おこしを図ってきた。
妖怪漫画家・妖怪研究家の第一人者は根強い人気を保つ。
そこに朝ドラの追い風が吹いた格好。

そして、売れない時代から夫(水木しげる)を信じて支えつづけた武良布枝が生まれ育ったふるさとが安来である。
実家は、兄家族が暮らす大塚町の飯塚家。
5代にわたり酒屋を営む。
ゲゲゲの女房のヒロイン・村井布美枝を演じた松下奈緒が訪れて大きな話題になった。
放送が終わると両市の観光関連産業に痛手だが、安来のほうが打撃を受けやすい。

余談…。
私は武良茂と武良布枝(飯塚布枝)は距離的に近い県内の見合いだと思い込んでいた。
ところが、境港は鳥取県、安来は島根県。
隣だった。
地図を確認し、ようやく分かった。
県境が入り組んでおり、間違いやすい。

                      ◇◆◇

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調布・水木プロダクション社長…家族経営の幸せ

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
苦しいことが多くても、それを乗り越えていく夫婦と家族の絆、さらに周囲の人々との絆がリアルに描かれる。
向井理と松下奈緒は、偉大な漫画家・水木しげる(武良茂。村井茂)とその妻・武良布枝(村井布美枝)の半生を懸命に演じている。
ドラマが進行し、実年齢との隔たりが大きくなってきた。
役者の経験が浅い二人にとり、老け役は簡単でない。
私は、放送が残りわずかになり、さみしい。

                       ◇

さて、ウィキペディアの記載をもとに推測すると、調布市の「株式会社水木プロダクション」は身内で経営している。

旗揚げから長い間、水木しげる(武良茂)本人が代表取締役社長を務めていたと思われる(不確か)。
しかし、現在は長女の尚子(村井藍子)が社長に就いている。
また、次女の悦子(村井喜子)は社員である。
父の血を引いたのか、著書『お父ちゃんと私−父・水木しげるとのゲゲゲな日常』を刊行している。
実の弟・武良幸夫(村井光男)はゼネラルマネジャーである。
朝ドラでも水木プロダクションの事務のほか、水木しげるの秘書に近い役割を担っている。
漫画など仕事(注文)の受け付け、そしてスケジュールの管理など。
実の兄・武良宗平(村井雄一)の娘夫婦は、鳥取県境港市の水木プロダクション中国支部を任されている。
ここは、水木しげるが育ったふるさとだ(生まれは大阪)。
ゲゲゲの女房の追い風も受け、漫画家にして妖怪研究家・水木しげるをテーマもしくはモチーフにして町おこしを図っている。

株式会社水木プロダクションは、文字どおりの「家族経営」である。
いまはおそらく著作権などの管理を主体としている。
いまだに漫画のアシスタントを置いているのだろうか?

それにしても水木しげるは膨大な作品を残している。
怠け者の私は、その量に圧倒される。
アシスタントを雇い、分業制を敷いたとしても、自らが壮絶な努力を積み重ねなくては絶対に不可能!
水木しげるは右利きだから、左腕を失ったのはそれほど影響がないような気がする。
が、仕事の効率は非常に悪くなるはずだ。
作家でない私でさえデスクワークで何かと左手を使っている。
また、貸本漫画家時代から1966年に「講談社児童漫画賞」を受賞して“売れっ子”になるまで一人でほとんど描いていた。
この年に株式会社水木プロダクションを設立した。

身内にどうやら漫画家はいないようだ。
とすると、全員が水木しげるの“実績”を土台に食べていることになる。
いやぁ、凄いっ!

売れる前の食べるものにも困る貧しさ、売れた後の支出の急増、中だるみ期の仕事がない状態…。
半生は苦難の連続だった。
が、朝ドラの原案となった武良布枝の自伝『ゲゲゲの女房』は副題が「人生は……終わりよければ、すべてよし!!」である。
2008年3月の刊行(実業之日本社)。
素晴らしい晩年を迎えられた。

長女が社長、次女が社員…。
職場で大勢の家族に囲まれる。
水木しげるは人生最高の幸せと喜びを噛み締めていることだろう。

                      ◇◆◇

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つくる人しか輝けない…プロフェッショナルの条件

20世紀までに知識の時代は終わった。
21世紀からは行動の時代に入っている。
とくに経済や市場が成熟した日本は閉塞感に覆い尽くされている。
知識に頼って頭を巡らしたところで、ほとんど分からない。
体を張って行動に踏み切るしかない。
すなわちリスクを取る。
知識はないよりもあったほうがましという程度であり、行動を起こしている人しか成果を収めていない。
才能とは、度胸である。

以下に、「日日創造、生涯挑戦」と題する『月刊営業人』2008年1月号の巻頭言を収める。
いくらか手を加えた。

                      ◇◆◇

一流の店で厳しい修行を積んだ料理人が、満を持して自分の店を出す。
腕が確かなら、独立はさほど難しいことでない。

さて、開店。
近隣で話題にのぼり、地元で評判になる。
「やれやれ」。
主(あるじ)は胸をなで下ろす。
そして、数年は繁盛が続く。

ところが、いつしか空席が目立つように…。
一人、また一人と、客が離れていく。
十年も経たずに、その他大勢の店に埋もれてしまう。
料理がマンネリに陥った結果である。
とくに料理人が“守り”に入ると、味はどこまでも落ちる。

私は思う。
料理人に限らず、仕事のプロフェッショナルは、顧客へ小さな「サプライズ」を提供しつづけなければならない。
そのサプライズとは、生涯挑戦の姿勢から日日創造される産物である。
そう、ちょっとした感動!
実際、客の舌はどんどん肥える。
ビジネスでも同様で、顧客の期待水準は年々上昇する。

ちなみに、「日日創造、生涯挑戦」という言葉は、私がつくった座右の銘である。
職業人生のメインテーマといってよい。
著書を何冊か出した頃、読者にサインを求められると、私は生意気にも一筆添えていた。

…ビジネスでもっとも難しいのは、好ましい状態を「長く続ける」こと。
次々とライバルが出現する以上、現状の維持は大幅な後退である。
やがて、消滅へ…。

結局、好ましい状態を長く続けるとは、創造を繰り返すことなのだ。
「挑戦を忘れたとき、人も組織も老いていく」。
かつての名門企業、いまの日本がそれである…。
「存在の輝きは、無限の創造連鎖からもたらされる」。

                       ◇

と、締め括ったものの、当の私がいま一つピンと来ないので、引き続き考えてみたい…。

まず、無限と連鎖に、意味の重複がある。
「無限の創造連鎖」は、単に「無限の創造」か「創造の連鎖」とすれば済む。
私は「無限の創造連鎖」に、たゆまぬ「破壊(否定)⇒創造」のニュアンスを織り込みたかったようだ。

また、「連鎖」では「つながる」だけで、「高まる」ことにならない。
もっとも「バリューチェーン」などという言葉もあり、これには価値の付加や向上がともなう。
私は「連鎖」に、上昇する「スパイラル」のイメージを塗り込めたかったようだ。

結局、言いたかったこと。
「存在の輝きは、たゆまぬ破壊(否定)と創造という、上昇するスパイラルによってもたらされる」。

しかし、これだと、ひどくつまらなくなってしまう。
「存在の輝きは、無限の創造連鎖からもたらされる」。
あっ、岡本太郎の顔が浮かんできたぞ…。
やはり、このままでよい。
要は、「つくる人しか輝けない」。
世の中を見回してもそうだ。

⇒2009年9月21日「岡本太郎の言葉と生き様」はこちら。

ところで、創造する人に何か共通した傾向はあるか?
その一つは、「きのうと違わない己を恥じる」こと。
自分はいったい何をやっていたのだろう、と…。
なお、「きのう」だが、文字どおり昨日であったり、あるいは去年であったりする。
若いほど短くなる。
年齢に関係なく10年は不可、3年も問題。
また、個人だけでなく企業についても同様。

私は、わずかでも「きのうより高みにいたい」と願う。
そのため、「日日創造、生涯挑戦」を座右の銘にしている。
また、「できることは、もうやらない」を仕事の戒めとしている。

出版界の革命児、幻冬舎・見城徹社長が言い切った。
「迷ったら、前に出る」。
名言だ。
気迫に圧倒される。
「挑戦しないと、心のさみしさが癒やされない」とも…。
この気持ちは、私にもいくらか分かる。

                       ◇

ところで、考える人は起業家に向かない。
南極探検家の西堀栄三郎に有名な言葉がある。
「石橋を叩けば渡れない」。
これは「起業」についても当てはまる。
明日へのヒント 西堀栄三郎起業はリスキーなので、手続きを踏んできちんと考えれば、否定的な結論に落ち着く。
「石橋を叩いたら渡る勇気を持て」とも…。
考えたら起業せよ。

⇒2009年9月29日「西堀栄三郎の言葉と生き様」はこちら。

起業への踏ん切りは、サラリーマン経験が短いほどたやすい。
会社からある程度の保障を与えられる生活に慣れてしまうと、無意識でそれを求めるようになる。

起業の教科書 ―次世代リーダーに求められる資質とスキル起業は、抑えがたい衝動だ。
知力より行動力の為せる業。
私は「考えてから歩く」のでなく、「歩きながら考える」。
ときに「歩いてから考える」。
だが、私が巡り合った成功者の大半は、「走りながら考える」。
いや「走ってから考える」。

起業する際には、「志⇒情熱⇒行動⇒思考」の順序がいいのでは?
高い志と大きな情熱を持ち、「行いながら考える」「行ってから考える」。
平たく言おう。
正しいと信じるなら、突き進む。

なかでも起業に関しては、学習者のわりに実践者が少ない。
MBAなどで起業を目指して猛烈に勉強し、せっかく修了したのに行動を起こさない。
彼らがつぎ込んだ時間とカネの大きさに比べ、「起業率」は目を疑うほど低い。

起業の知識と起業の行動に、さほど関連性はない。
学ばないと行えない人は、起業家に不向きである。
つまり、「起業は知識でなく勇気から始まる」。

人は、現実より知識が先行すると、迷いが膨らみやすい。
結果として「臆病者」に…。
学び方を間違えると、知識が「力」にならず、行動から遠ざかってしまう。
幻冬舎・見城徹社長の名言を思い起こしてほしい。

…私は、満たされないものを埋めようとして起業するのかもしれない。
その意味で、「起業は自己確認であり、自己表現である」。

また、資本主義社会は「自信」を土台とする。
心のなかは不安だらけでも、それを拭い去り、一歩を踏み出す人に味方する世界である。

                      ◇◆◇

最初の原稿は以下のとおり。
3本のブログを編集加工した。

⇒2007年11月16日「「日日創造、生涯挑戦」」はこちら。

⇒2007年11月20日「つくる人しか輝けない」はこちら。

⇒2007年11月21日「考える人は起業家に向かない」はこちら。

◆書き加え1(9月1日)

私は先頃、ビジネス系の老舗出版社「東洋経済新報社」から『起業の教科書』という共著を出版した。
起業の教科書 ―次世代リーダーに求められる資質とスキルSBI大学院大学(MBA)の教官12名が執筆。
私が担当したのは2万4千字、通常の単行本の4分の1以上の分量である。
題して、「起業を円滑・確実にする営業力 〜出会いと巻き込みによる成功法」。

基本テーマは「営業発のネットワーク型起業」であるが、「創造」についても言及している。
以下は引用。

「創造とは、失敗の体験のゴミ捨て場に咲いた一輪の花だ。失敗を養分にして育まれるのが『創造性』である。」。

素晴らしい!
自画自賛。
ぜひお読みいただきたい。

⇒2010年7月23日「『起業の教科書』刊行…SBI大学院大学」はこちら。

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水木プロダクション爆笑アシスタント募集広告

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
水木しげる(武良茂。村井茂)は心の迷いが吹っ切れ、再び創作に向かいはじめた。
妻・武良布枝(村井布美枝)と家族、そして周囲の温かい励ましが、どん底からの脱出のきっかけだった。
漫画の注文と並行し、妖怪画の制作というライフワークに取り組んでいる。
私は、生気のない向井理と松下奈緒をしばらく見てきたが、一安心…。
二人には笑顔が似合う。
私はこの朝ドラに嵌まってしまい、向井理と村井茂、さらに水木しげる(武良茂)、松下奈緒と村井布美枝、さらに武良布枝がごちゃごちゃになっている。

社長の立ち直りにより、株式会社水木プロダクションは存続の危機を乗り切った。
家族同然のアシスタントを解雇せずに済んだようである。
創設時のメンバーの一人、「点々」の菅井伸(柄本佑)は、これで結婚に踏み切れると胸をなで下ろした。
彼は、水木漫画の濃密な背景の仕上げを根気よく支えてきた……………。

                       ◇

さて、ネットで調べたら、水木しげるが作品を寄せていた「月刊漫画ガロ」1968年6月号に、水木プロダクションのアシスタント募集広告が載っているということが分かった。
それを見つけた人がいた。
いまから40年以上も前のガロを持っているとは驚きである。
漫画のファンは当然として、ガロのファンだったのか。
彼がそうかどうか分からないが、いわゆる「オタク」が持つ情報は実に詳細で正確である。

同誌の読者は大学生など、年齢層がわりと高かったようだ。
販売では苦労続きだったが、少数の若者から熱烈な支持を得ていた。
世の中を変えようとする人たちといってもよい。
このガロの初代社長兼編集長が青林堂創業者の長井勝一である。
朝ドラでは「月刊漫画ゼタ」、そして嵐星社の深沢洋一社長(村上弘明)。

「月刊漫画ガロ」は、商業性よりも作品を重視し、独創性を第一とした。
新人に門戸を開放していたため、作品の持ち込みや応募が絶えなかった。
そして、気鋭の新人を輩出した。
漫画界に果たした貢献は非常に大きい。

話が横道に逸れた。
株式会社水木プロダクションのアシスタント募集広告は、内容(文案)がユニークかつユーモラスである。
たかが求人広告なのに、私は“作品”の趣を感じる。
水木しげる以外に作成できないはずだ。

プロダクションを回していくうえで、優秀なスタッフの確保が必須となる。
漫画家(作家)のような個人商売の場合には、作品の出来栄えさえ左右されかねない。

以下は、募集広告のあらまし。
漫画の腕前により、給料に2倍以上の差をつけている。
が、だれにも1日コーヒー2杯つきの思いやり。
そうか、松下奈緒が心を込めて入れてくれる(何を言っているんだ…)。
すぐやめる人は嫌いと、応募者に覚悟を促している。
大丈夫、徹夜の翌日は休めるぞ。
また、毎日勤務でなくても可。
安心の宿泊施設付き。
朝ドラの自宅兼仕事場がさらに宿泊施設を兼ねるのか、それとも近くのアパートの一室を与えるのか。
勤務時間が午後2時から10時までというのは、朝遅い水木しげるらしく、吹き出しそうになった。
アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌にもそうした一節があったかもしれない。
近くに住む人は午後12時まで頑張ろうね。
だれでも2〜3年で絵はうまくなる。
終わりに常時募集と添えられている。

株式会社水木プロダクションでは現在、アシスタントの募集を行っていないようだ。

                       ◇

私は、「長井勝一漫画美術館」に関連するホームページで知った。
朝ドラで、敏腕秘書だった加納郁子(桜田聖子)。
経理も広告営業も販売営業も編集も何でもこなす。
村井布美枝がその才媛振りに溜め息をついていた。

そのモデルは長井勝一の妻、香田明子と記されている。
ということは、深沢洋一の経営方針に失望して会社を去った加納郁子は結局、戻ってきたことになる。
二人は結ばれたのだ。

                      ◇◆◇

「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。

⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

⇒2010年9月6日「水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出」はこちら。

⇒2010年9月7日「水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声」はこちら。

⇒2010年9月8日「水木しげる渾身妖怪画、点々アシスタント万歳!」はこちら。

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日経電子版、突出した利便性と使い勝手!

きのうのブログ「電子辞書の利便性…紙の辞典・事典は不要?」で、私は紙の辞典や事典を買い求めることがなくなるだろうと述べた。
利便性において比較にならない。

⇒2010年9月7日「電子辞書の利便性…紙の辞典・事典は不要?」はこちら。

私は、日経奨学生制度を利用して明治大学に進学してから40年以上にわたり日本経済新聞を購読している。
日経高円寺専売所(現NSN高円寺)に入店し、読みはしないが新聞に触れた。

その私が「日経電子版」を併読しはじめた。
朝・夕刊セットの新聞購読料金4,383円にプラス1,000円で済む。
これが電子版単独だと、なぜか4,000円に跳ね上がる。
長年紙に親しみ、一気に切り替えるのは抵抗があった。
様子見で「日経Wプラン(宅配+電子版)」を選択した。

実際には、電子版は利便性に加えて使い勝手がよい。
むろん、速報性も…。即時性かな…。
最初からこれだけの完成度を有すると、私は思わなかった。
素晴らしいの一言。
今後どんどん改善が図られ、進化を遂げていくはずだ。

私は、自分仕様のカスタマイズなど、多彩な機能やサービスをまったく用いていない。
熱心な読者でなく、利用法が分かっていない。
パソコンなどで朝・夕刊の紙面と、それ以外のさまざまな記事を眺めるくらいだ。
それでも電子版が圧倒的に優れている。
紙をめくる手間もスペースもいらない。
ホント、凄い。
また、用紙(製紙)・印刷・配送(輸送)・宅配なども不要で、環境負荷が激減する。
社会的な意義がきわめて大きい。

日経電子版は、料金体系や課金方法の模索が続いているのでは?
そこに法人需要の掘り起こしが絡む。
ほかにも多くの課題を抱えていよう。
が、壮大な実験は始まったばかり。
日本経済新聞社の挑戦は非常に立派である。

電子書籍端末も登場し、新聞や雑誌、書籍などの紙媒体は姿を消すのでなかろうか。
世の中は劇的かつ急速に変化する。
私は遠からず紙(新聞)をやめる。

以下に、紙の新聞、そして電子の新聞に関する2009年10月14日の2本のブログを収める。
いくらか手を入れた。

1本目は「溜まった新聞にうんざり…出張帰り」。

                      ◇◆◇

出張から自宅に戻り、一番気が重いのは新聞が溜まっていること。
うんざり。
九州帰りの私を「日本経済新聞」が待ち受けていた。

私は、宿泊先のホテルではなるべくブロック紙や地方紙を読むようにしている。
講師やコンサルタントという仕事柄、当地の状況を知っておきたい。
今回は「西日本新聞」などを読むことができた。
また、それが物足らなかったわけでない。
私は1951年(昭和26年)生まれの古い人間なので、新聞を取った以上は読まなければならないとの強迫観念がいまだに抜け切らない。
1週間を超える出張では、溜まった日本経済新聞は憂鬱というより恐怖。
疲労性の重い腰痛に苦しみながら、日付順に片付けていく。

ここまで書いてきて、誤解する方がいるかもしれないと思った。
私の場合、新聞を読むといっても“眺める”感じ。
見出しを拾う程度。
決して律儀な性格でない。
まして、いまや視力が衰え、本文が見えない。
それでも新聞がうず高く積もっていると、絶望的な気分…。
購読を取り止めればよいのだが、なかなか踏み切れない。
日本経済新聞が紙でなくデジタルに変われば、こうしたストレスも解消されよう。
私は待ち遠しい。

2本目は「凄い! 日経が電子版で読める!」。
当時の不確かな情報に基づいて記したものだ。

                      ◇◆◇

先のブログは日曜日の執筆。
が、月曜日の日本経済新聞にビッグニュース。
2010年に「電子新聞」を創刊する。

これにより、出張中に溜まった新聞にうんざりすることもなくなる。
しつこい新聞勧誘員(新聞拡張員)に悩まされることもなくなる。
読売新聞や朝日新聞はどうする?
日経に先行したり追随したりするのか。
それにつれ、このブログで再三述べたとおり、新聞販売店は歴史的な使命を終える。
日本の新聞を世界有数の発行部数に育てた「戸別配達制度(宅配制度)」は消滅へ。

とはいえ、日本経済新聞社が「日経」と同じものをインターネットで読めるようにするとは思えない。
新聞販売店が一気に潰れてしまう。
それ以前に、日本経済新聞社は販売部数が激しく減り、経営が大きく揺らぐ。
「経済の日経が世に送り出す、あくまで新しい電子新聞ですよ」となるのでは?
電子版では編集上の差別化を図ったうえで、それならではのサービスを打ち出すはず。
日本経済新聞社は「単に新聞紙面を電子化したものでなく、多彩な機能を搭載する」と誓った。

日経の電子版の特色(メリット)を具体的に見てみよう。
第1に、紙との最大の違いとして「即時性」が得られる。
朝刊と夕刊という区分けがなくなり、紙面がつねに最新の状態に更新されるのか。
移動時にも携帯電話の画面で読める。
第2に、紙幅の都合で捨てられた詳細な情報が得られる。
掲載スペースの制約がなくなるから、当然だ。
第3に、自分の興味に応じた記事を優先して読める。
閲読傾向を踏まえて記事が自動的に選び出されるのか。
この辺りは情報の検索機能とリンクするだろう。
となると、過去の膨大な記事データベース、さらに企業データベースなどを合わせて使える?
電子版の利便性は紙の比でなく、飛躍的に向上する。
情報サービスが異次元!

電子版の発刊に踏み切る日本経済新聞社は内心びくびくでは…。
社内で強硬な反対意見は出なかったのか。
天下の日経ゆえに完成度の低い電子版は出さないにしろ、手探りのマーケティングが続く。
これで盤石という有料のビジネスモデルを確立することは並大抵の苦労でない。
私は、日経の果敢なチャレンジに拍手を送りたい。
パチパチパチ。
が、ある意味で遅すぎた。
日本経済新聞社は、自社の収益を守り抜くとの思惑から、そして二人三脚で読者を増やしてきた新聞販売店に対する遠慮から、「紙との共存を目指す」としている。
う〜ん。

                       ◇

日経はCMががらっと変わった。
購読者でなく“利用者”を増やそうとしはじめた。
このブログで幾度か述べたとおり、読む人は不安定であり、新聞をあっさりやめる。
が、使う人は安定しており、新聞をなかなかやめられない。
CMでは、大事なプレゼンテーションに勝負をかけるビジネスパーソンのタクシー内でのやり取りが流れる。
女性(池田香織)編は「あ、もしかしたら、あの記事も使えるかも…」。
男性(竹財輝之助)編は「後もう一押し、何かないかなぁ。そうだ、あの記事…」。
どちらも締めは同じで、二人が顔を見合わせて「今朝の日経に…」とハモッちゃう。

新聞を利用すると、新聞を購読せざるをえない。
この着眼が重大!
日経のCMは購読促進でなく、明らかに利用促進を意図している。
そして、利用という観点では、紙でなく電子版が圧倒的に使い勝手がよい。

                       ◇

インターネットの普及により、だれでもいつでもどこでも情報の発信者になれるようになった。
その結果、情報爆発が起こった。
しかし、大半は取材を経ておらず、信頼性が低い。
匿名に近い情報も少なくない。
言い換えれば、相対的に事実情報が減り、主観情報が増えている。
だからこそ、プロが発する情報の重要性が高まる。
新聞社が先行きをいたずらに悲観するのは間違い。
問題は、ビジネスに関わるセンスと知恵の欠如である。
平たく言えば、世間知らずのボンボンボン(ボンが一つ余分なので厄介)。

コンテンツは、信頼できないと使いものにならない。
日本経済新聞社が電子版の発行を通じ、情報の利用に踏み込んだサービスを提供するのは、社会の要請、そして時代の潮流に叶っている。
私は、新しいビジネスモデルの成功を心より願う。

                      ◇◆◇

新聞と宅配、販売店、マスコミなどに関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月20日「新聞が消える、宅配がなくなる」はこちら。

⇒2009年8月21日「新聞販売店の生き残り」はこちら。

⇒2009年11月20日「書籍・雑誌・新聞、紙媒体消滅へ」はこちら。

⇒2009年11月23日「新聞・テレビ・広告は構造不況業種」はこちら。

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水木しげる渾身妖怪画、点々アシスタント万歳!

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
水木しげる(武良茂。向井理)が極端なスランプに陥ったのは、1980年代の初頭らしい。
ウィキペディアに、妻・村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)が外で働くと切り出すほどのピンチだったと記されている。
それは、戦後の高度成長の「最後の十年」の始まり。
世の中、あらゆる面で合理性が追求されていた。
水木しげるにとり逆風になったのかもしれない。
主因は第1にブームの反動、第2に作品のマンネリと思われるが、鬼太郎人気、妖怪人気が急速にしぼんだ。

さて、月曜日の放送は、1984年(昭和59年)4月。
水木しげるの父・村井修平(風間杜夫)は急に衰えた。
元気がなく、頭もいくらかボケた。
死への親近感を口にしはじめた。
もう十分に生きたというように…。
人はそろそろ休みたくなる。
母・村井絹代(竹下景子)も交番に保護され、布美枝が引き受けた。
親はかなりの高齢である。

私は2000年頃、富山・滑川に暮らす両親を横浜・港北ニュータウンに呼び寄せた。
実際の面倒は妻が見てくれた。
あるとき、父が小学校に保護されているという連絡が警察から入った。
かなりの距離だ。
迷いながら歩いているうちに、自宅からどんどん遠ざかったのだろう。
妻が迎えに行くと、校長室のソファーで普段どおり茶を飲んでいたという。
プライドの強い父なので、内心恥じたはず。
地理に不案内ということもあるが、やはりボケが進んでいたのだ。
私は、この事件(?)を思い出した。

1922年3月生まれの武良茂は62歳に、1932年1月生まれの武良布枝は52歳に達している。
朝ドラでは、向井理も松下奈緒もメイクが若すぎる印象を受ける。
ムリに年を取らせると、かえって違和感が大きくなるからか…。

水木しげるは妖怪事典が世に出て、仕事の注文が戻りつつあった。
再び手応えを感じていた。
暇なときに一点ずつ描いた渾身の「妖怪画」は、漫画というよりイラスト。
村井布美枝によれば、怖くなる出来栄えだった。
点々のアシスタント・菅井伸(柄本佑)が異様に張り切ったのでないか。

妖怪は、実在しない。
大勢に印象づけるには「妖怪」をシンプルに描きたい。
が、それにリアリティを与えるには「背景」を精緻に描きたい。
点々は、妖怪漫画(イラスト)の第一人者、水木しげるに不可欠の描画要素である。
アシスタント、万歳!

                       ◇

このブログは原則として、ゆとりのあるときに書き溜めた原稿を数日から1カ月ほどのスケジュールに落とし込み、マネジャー(秘書)にアップしてもらっている。

そこに、外出時や出張時、移動中の空き時間に記したブログがはさみ込まれる。

「ゲゲゲの女房」に関するブログに限らないが、時間の流れが前後したり入り組んだりすることが頻繁に起こる。
ご容赦いただきたい。

                      ◇◆◇

「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。

⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

⇒2010年9月6日「水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出」はこちら。

⇒2010年9月7日「水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声」はこちら。

◆書き加え1(9月7日)

村井絹代が交番に保護されたのは、迷子になったせいでなかった。
マナーの悪い若者を注意し、それでも言うことを聞かなかったので杖を振り回した。
心臓が悪かったはずだが、元気一杯である。

水木しげるは妻に対し、長女・藍子が大学を卒業したら会社(水木プロダクション)を手伝わせたいと語った。
わりと早くからそうした考えを温めていたのか。

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電子辞書の利便性…紙の辞典・事典は不要?

私は、岩波書店の「広辞苑」を“版”が変わるたびに買い求めてきた。
40歳以前はプランナーとして企画書を作成し、40歳以後は講師としてテキストや書籍などのコンテンツを作成した。
贅沢にも“総革装”を持ったこともある。
しかし、非常にかさ張るので、本棚に収める。
そこで、合わせて岩波の国語辞典(デスク版)や三省堂の国語辞典(机上版)を備えていた。
どちらもたいして大きくない。

正直に言えば、それでもページを繰るのはきわめてまれだった。
手書きの時代では、漢字が分からないと辞書で調べるしかない。
いくらか使った。
が、ワープロが登場した。
辞書を引くのは、意味が曖昧なときが中心である。
私はその手間が煩わしく、適当に言葉を用いてきた。
結局、ほとんど使わなかった。
辞書とはそうしたものだと思っていた。

ところが、私は電子辞書を購入し、デスクワークに携わる日は幾度も引くようになった。
ちょっとでも疑問や不安を感じると、すぐに当たる。
それまでの横着がうそのよう。
いまはデスクトップパソコンのキーボードの隣に置いている。
一番手近だ。

どうせならとカシオ製の上位機種を購入し、2年少々しか経っていない。
先だって量販店の店頭で見た最新機種は文字がとてもきれいであり、しかもカラー画面だった。
私の電子辞書と別次元。
写真やイラストなどのビジュアル情報が豊富に含まれたコンテンツを楽しめる。
機能も進化しているようだ。

私は、紙の辞典や事典を買い求めることがなくなるだろう。
利便性において比較にならない。
電子書籍端末も登場した。

電子辞書は今後、他の機器と複合するのか、他の機器に吸収されるのか…。

以下に、「電子辞書に驚き!」と題する2008年6月23日のブログを収める。
いくらか手を加えた。

                      ◇◆◇

私は何事も奥手だ。
とりわけ目新しいモノやコトに対し、億劫と感じる。

私は職業柄、辞典や事典を引く機会が多い。
電子辞書がいいという話はしばしば耳にしたが、つい最近まで“現物”にこだわっていた。
使い慣れたものをわざわざ替える必要はないとの気持ちが強かった。
ところが、私が尊敬する知人から呆れ顔とともに電子辞書を強く勧められ、半信半疑で買った。
…実際に使ってみて、あまりの便利さに驚きを隠せない。

コンテンツは百種類!
このなかには百科事典も含まれるので、百冊以上がコンパクトな機器のなかに収められている。
これを本(紙媒体)で購入するとなると金額が膨らむし、何よりもスペースを食う。
電子辞書は机の隅にちょこん。

例えば、私がもっとも頼りにする岩波書店の「広辞苑」は大きく重い。
本棚に取りにいき、机に持ってきて、おもむろに開く。
そして、本棚に戻しにいく。
箱の出し入れもある。
面倒臭い。
それ以前に、私は腰痛・背筋痛・肩痛を抱えており、イスから立ちあがるのが苦労である。
たった一つの言葉を調べるだけなのに…。
これが電子辞書では手軽に行える。
いや瞬時に済ませられる。
机の上はパソコンと周辺機器、当面の仕事に関わる資料などに占領され、それほど使わない辞典を置く余裕がない。

もう一つメリット。
私はひどい近視と乱視に老眼が加わり、大きくなった新聞の本文記事さえ読みにくい。
細かな文字が宿命の辞典だとメガネを外し、ページに鼻を近づけるようにして読まなければならない。
そしてメガネをかけ、パソコンの文書や原稿に向かう。
こうした時間がバカにならず、そのうえ目も疲れる。
電子辞書では自分の視力に応じて文字の大きさを変えられるので、これまでの煩わしさと辛さからも解放された。
そう、老人にやさしい。

変化が激しい時代では、私のような奥手は損をする?
ダメでもともとというくらいの気持ちで、技術革新により誕生する商品やサービスを果敢に試したほうがよいのかもしれない。
こんな優れものならもっと早い時期に使うべきだった。
ホント、後悔している。

ただし、電子辞書では気ままにページをめくる使い方ができにくい。
例えば、名言集やことわざ辞典から“好きな言葉”を見つける場合に適さない。
あくまでも“何か”を調べる際に絶大な威力を発揮することを付け加えておこう。
目的性の強い利用に限られる。

いや、待てよ。
多様なコンテンツの横断閲覧が可能なので、その過程で発見や遊びといった喜びも得られるのか…。
確かに本では叶えられない。
私が単に電子辞書の使い方が分かっていない?

そういえば、通販会社からわが家に電子辞書が届いたとき、私より先に使った小学5年生の子どもが満足気な表情で返しにきた。
説明書など読まなかったようだ。
若い世代はいとも簡単に使いこなす。
ひょっとして彼らは電子辞書を楽しむ?

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水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
先週土曜日の放送だろうか、「漫画家魂」という言葉が飛び出した。
水木しげる(武良茂。村井茂。向井理)を尊敬している、かつての少女漫画家の卵・河合はるこ(南明奈)が使った(不確か)。
私にも少し分かる。
作家は厳しい仕事であり、それに本気で打ち込むなかでおのずと身につく。

「石の上にも三年」という諺(ことわざ)がある。
しかし、私自身の職業人生を振り返り、年数が短すぎるように思う。
達人なら、一ケタ違うと言うかもしれない。
仕事を究めるとは、その職業ならではのスピリットをつかむことだ。
水木しげるは漫画家魂を置き忘れていたことに気づかされた。

                       ◇

水木しげるは、教員(先生)になった河合はるこから子どもたちに話をしてほしいと持ちかけられ、迷った末に引き受けた。
そして、小学生と遠足へ出かけた。
そこで、自身は「小豆洗い(あずきあらい)」と出会い、会話を交わした。
小豆洗いは「おれたちを描いてくれ」と仕事を発注した。
このままでは妖怪の存在が消えてしまうと、水木しげるに訴えたのだ。
ただし、報酬は払ってくれない。
長くて暗いスランプのトンネルをくぐり抜けた瞬間である。

水木しげるは仕事でなく、自らの使命として、これまで世話になってきた妖怪を一点一点精魂込めて描く決意を固めた。
ライフワークになりそうだ。
出版を引き受けるところがあるかどうか分からない。

マネジャーの村井光男(永岡佑)が、経営の非常事態に注文以外の仕事をやっていられないと案じた。
「何を言っている。こんなときだから、やるのだ…」。

幸い、暇なときは仕込みができる。
いや、暇なときしか仕込みができない。
フリーランスに限らず、ピンチはチャンスである。
松下幸之助は、「好況よし、不況さらによし」と語った。
不況期には、好況期にやれないことが可能になると…。
そのとおりだ。

これが後に『水木しげるの妖怪事典 正・続』『水木しげるの世界妖怪事典』などとして刊行され、仕事の幅をおおいに広げることになった。
そして、水木しげるは「妖怪研究家(者)」としての地位と名声を確立した。

また、創作への意欲が湧いてきたのか、貧乏時代を綴る決意も固めた。
だいぶ前に出版社から依頼が来ており、それを保留していたのだった。
昭和の歴史を生きてきた数奇な人生が知られ、再びブームを巻き起こすきっかけになった。

                      ◇◆◇

人生の教科書「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。
ドラマの進行と私の半生を重ねたり照らしたりしながら、心の内を綴った。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

⇒2010年8月25日「人生の教科書・ゲゲゲの女房…仕事・夫婦・家族」はこちら。

⇒2010年8月26日「心の太鼓を打ち鳴らせ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月28日「松下奈緒・ゲゲゲの女房・撮影秘話…あさイチ」はこちら。

⇒2010年8月29日「松下奈緒&向井理、ゲゲゲの女房の平均視聴率」はこちら。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。

⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

⇒2010年9月6日「水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出」はこちら。

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人気はヴェルファイア、アルファード、エルグランド

…きのうのブログの続き。

⇒2010年9月5日「エルグランドとアルファードの選択と値引き額」はこちら。

私は2008年5月(デビュー時)、「横浜トヨペットあざみ野店」(横浜市青葉区荏田町131-1)で2代目アルファードに触れた。
また、「ネッツトヨタ神奈川センター北店(横浜市都筑区中川中央1-32-21)」で初代ヴェルファイアに触れた。
兄弟車であり、おもにフロントとリアにおいてデザインの差別化が図られている。
ミドルクラスミニバンのノアとヴォクシーもそうだ。

私が暮らす横浜・港北ニュータウンの大規模団地では数世帯がアルファードとヴェルファイアを用いており、外観はときどき目にする。
しかし、内部の印象が曖昧になっていた。

一連のブログをアップするに当たり、もう一度実車を確かめたくなった。
そこで、ネッツトヨタへ(我ながら好きだなぁ)。

クルマ全体から改めてラージクラスミニバンの“押し出し”の強さが伝わってきた。
アルファードはさらに“こってり”していよう。

私はトヨペット店とネッツトヨタ店の客層の違いから、アルファードがヴェルファイアを販売台数で引き離していると勘違いしていた。
逆に2倍近い差をつけられていた。
消費者が派手さを嫌う不況下で、アルファードの“どうだ”という雰囲気が敬遠されているのか?

さて、ヴェルファイアは内部が箱っぽい。
これはアルファードも同じ。
移動する「部屋(ルーム)」という感覚が強調されているように思った。

新型(3代目)エルグランドは見た瞬間、“走り”のよさが伝わってきた。
安定性、そして乗り心地が先代と別物。
そんな想像が広がった。
が、私は正直、拍子抜けした。
クルマ全体が放つ“迫力”を期待していたからだ。

私は本田技研工業(ホンダ)が初代オデッセイに追加で設定した最上級グレードのプレステージを購入した。
ミニバンと思えない走りに舌を巻いた。
エンジンが気持ちいい。

しかし、私自身はエルグランドにはそちらへ歩み寄ってほしくない。
あくまで“箱っぽく”あれ。

FMC直後の熱が冷めれば、市場での人気はヴェルファイア、アルファード、エルグランドの順か。

                       ◇

私は、神奈川日産ニュータウン都筑店で試乗はできなかったが、「新型エルグランド ご試乗ガイド」を受け取った。
そこに9つの体感ポイント(チェック項目)がコンパクトに記されていた。
参考までに、以下に示そう。
これまで述べてきたことと一部重複する。

第1は「ワンタッチで解錠とドアオープン」。
ワンタッチオートスライドドアは便利。手が荷物でふさがっていても、指先で操作が可能。

第2は「乗り降りのしやすさ」。
低重心プラットフォームにより低床化を実現。

第3は「やさしく包み込むようなシート」。
助手席と2列目にトリプルオットマンを採用、さらに2列目にシートバック中折れ機能を採用。ロングドライブでのくつろぎが可能。

第4は「ダイナミックかつ快適な走り」。
トルクフルで滑らかな走りを実現。

第5は「突き上げ感の少ない安定した走り」。
新設計のリヤマルチリンクサスペンションを採用。快適な乗り心地も実現。

第6は「意のままのコーナリング」。
低重心プラットフォームにより低く沈み込むような姿勢でカーブをクリア。

第7は「安心な右左折」。
三角窓や大型ミラーにより死角を減少。

第8は「大きさを感じさせない取り回しのよさ」。
最小回転半径5.4mを実現。路地などの通り抜けが容易。

第9は「スムーズな駐車」。
クルマを上空から見下ろしているかのようなアラウンドビューモニターを採用。駐車をサポート。

                      ◇◆◇

トヨタ・アルファード、ヴェルファイア、ニッサン・エルグランドに関するブログは以下のとおり。

⇒2008年5月11日「新型(2代目)アルファード、予約は上々」はこちら。

⇒2008年5月18日「新型(2代目)アルファード、実車さらによし」はこちら。

⇒2009年9月12日「アルファードハイブリッド仕様」はこちら。

⇒2009年9月13日「エルグランドとアルファードの至福」はこちら。

⇒2010年9月4日「3代目エルグランドと2代目アルファードの比較感想」はこちら。

⇒2010年9月5日「エルグランドとアルファードの選択と値引き額」はこちら。

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水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
先週木曜日、金曜日の放送は感動的だった。
スランプに陥った水木しげるを、皆が気遣った。
以下に多くの台詞を引用したが、記憶が曖昧だ。
また、概して台詞が長く、その一部しか記していない。

水木しげる(村井茂。向井理)は暇を持て余している。
それが、母・村井絹代(竹下景子)に知れた。
同居だから当然といえ、親は子どもがいくつになっても気になる。
母は、村井布美枝(松下奈緒)に「苦しいのは走るのを急にやめたとき。がっくりせんように…」と、言葉を託した。
これまでは息子の分だけだったが、二人に精をつけなさいとうなぎを買ってきた。
しかも、差し入れ(自己負担)。
父・村井修平(風間杜夫)も布美枝に「まだ先は長いけん、ここらで一休みしたほうがいい。養生が大事だ…」と…。

妖怪の絵を描くこともある次女・村井喜子は、大好きな父に「妖怪が住めない世の中は、人間だって住みにくいよね…」。
後日、布美枝も夫に「河童が住めない世の中は、人間だって住みにくい…」。
さらに、喜子は中学校の修学旅行で「目々連」を見た話をした。
これは落ち込む父を喜ばすための“作り話”だったのか?

水木家に不遇時代から作品を高く買っていた戌井慎二(梶原善)が訪ねてきた。
水木しげるの理解者であるとともに、その作品を世間に知らしめたくて零細出版社を立ち上げるほどのファンである。
戌井は大失敗を幾度か味わいながらも妻の資金協力を得て、貸本漫画家時代の水木作品を復刻したいと申し入れた。
しかし、水木しげるは「ゲゲゲの鬼太郎」は人気がなくなり、自分の名前では売れないと答えた。
戌井は、「率直に言って、最近の作品は物足らない。でも、水木さんがこのまま終わるわけがない。本物は消えない。スランプなら、存分に苦しんでください。突破口は開けます…」。

戌井の渾身の忠告と激励に、水木しげるは目が覚めた。
そして、売れている間に見失ってしまった何かを懸命に探しはじめた。
スランプ脱出、復活へのノロシである。

梶原善は、その名が示すとおり、人のよさ、真っ直ぐな気持ちが伝わってくる。
戌井慎二の役柄を見事に演じている。
穏やかな性格だが、こと漫画に関しては愚直なだけでなく熱血漢である。

                       ◇

私の両親は、私の仕事が忙しいと健康(体)を案じ、暇だと生活(収入)を案じた。
私がフリーランスの職人であり、昼も夜もなく、収入の保障もなかったからだ。
40歳以前のマーケティングプランナー、40歳以後の営業講師は、どのような体制で仕事(注文)をこなそうと、本質的に“個人商売”“先生商売”である。
会社勤めの両親には到底理解できない職業、そして働きぶりだった。
心配ばかりしていた。

                      ◇◆◇

人生の教科書「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。
ドラマの進行と私の半生を重ねたり照らしたりしながら、心の内を綴った。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

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エルグランドとアルファードの選択と値引き額

…きのうのブログの続き。

⇒2010年9月4日「3代目エルグランドと2代目アルファードの比較感想」はこちら。

3代目(新型)エルグランドはFRからFFへの変更にともない、目覚ましい進化を遂げた。
ラージクラスミニバンの居住性や使い勝手にこだわりながら、走りと乗り心地を高級サルーンに近づけた。
手放しで喜ぶニッサンファン、エルグランドファンもいるだろう。

しかし、このクラスを所有している満足感にどっぷりと浸かりたいなら、2008年5月にフルモデルチェンジ(FMC)を済ませた2代目(現行)アルファードがよいのでは?
初代(先代)のこれでもかという雰囲気を受け継ぎながら、大人の節度がいくらか備わった。
私が乗っていた頃は、成金の悪趣味が恥ずかしかったが…。
しかも、トヨペット店扱いの「アルファード」に、ネッツトヨタ店扱いの「ヴェルファイア」が加わった。
こちらは初代。
“兄弟車”が設定され、フロントマスクなどでそれなりのキャラクター分けがなされている。

私はクルマに関して素人である。
が、3代目エルグランドでは、ラージクラスミニバンに対するユーザーの嗜好とズレが生じたということはないか?
内外ともに風格や質感がサルーンぽくなった。
ニッサンのマーケティングに疑問を感じる。
私の印象としては、豪華さの2代目アルファードに対し、高級感の3代目エルグランド。
洗練は“おとなしさ”につながる。

3代目エルグランドは月間の販売目標が1900台。
8年の間隔が空いたので、出足が好調なのは驚くに当たらない。
むろん、エコカー減税に適合する環境性能を備えている(ディーラーに確認のこと)。

ユーザーが新型の発売時にどのような選択を行っているか?
駆動は2WD(2駆)、排気量は 2.5リッター、乗員定員は7人乗りが中心。
ボディカラーは黒(ファントムブラック)と白(ブリリアントホワイトパール)が人気。
仕様は「ハイウェイスター」が大半。
フル乗車の機会があれば、 3.5リッターでないと後悔しそう。

私は、3代目エルグランドは販売が厳しいと予想する。
アルファード(ヴェルファイア)の独走にブレーキは掛けられるが、追撃するに至らない。
外したら、ごめん。

クルマは、自分が気に入ったものを選ぶのが何よりだ。
高級サルーンの代わりにラージクラスミニバンの最上級グレードを買うユーザーも増えているらしい。

3代目エルグランドは、ラージクラスミニバンの“成熟版”と見なせる。
これは確か!
トレンド(潮流)に沿っていよう。
日本の消費者の成熟が進んでいれば受け入れられるが、どうか。
3代目アルファード(2代目ヴェルファイア)は全高をいくらか落としてくると思うが…。

                       ◇

ところで、新型エルグランドの“買い時”はいつか?
クルマは、地デジ対応の液晶テレビ(薄型・大画面)と違い、価格の下落がほとんどない。
買いたいときに買えばよいのだが、アルファード(ヴェルファイア)も同じで、購入は早まらないほうが賢明である。
円高の進行、株価の低迷、政治の動揺など、景気が後退しそうな気配だ。
「エコカー補助金」もとりあえず終わった。

私は10月、さらに年明けと、国内の新車販売は急ブレーキがかかると考えている。
2011年2月頃には値引き幅が相当拡大しているはずだ。
買う側としては、クルマ本体にオプションパーツと付属品を含め、30〜40万円をメドにしたい。
上級グレードでは5〜10万円の上積みを狙いたい。
また、3代目エルグランドのほうが2代目アルファードよりも大きな値引き額を提示してこよう。
5〜10万円。

大都市では60万円を超える金額を引き出せる可能性がなくもない。
これだと“武勇伝”になるかもしれない。

続きは、あすのブログで。

                      ◇◆◇

トヨタ・アルファード、ニッサン・エルグランドに関するブログは以下のとおり。

⇒2008年5月11日「新型(2代目)アルファード、予約は上々」はこちら。

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水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
水木しげる(武良茂。向井理)は半世紀近く東京都調布市に暮らしている。
そして、仕事を続けてきた。

2008年3月、ついに「調布市名誉市民」の称号を贈られた。
文化の興隆と市の発展に寄与した功績が認められたのだ。
朝ドラでは一時期、水木しげるは「悪書追放運動」により苦しめられた。
大勢が振りかざす「社会正義」はしばしば危うい。

水木しげるは、その漫画作品とともに調布市の名物になっている。
とりわけ、もっともポピュラーな「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターたち…。

                       ◇

かつて株式会社水木プロダクションは自宅にあった。
朝ドラでも大きな看板がかけられている。
いまは京王線調布駅徒歩3分程の場所へ移っている。
TBSテレビ「ぴったんこカン・カン」で放送された建物内の通路の印象ではオフィスビルであり、ドアの印象ではマンションである。
どちらだろう?
いずれにしろ、高名な漫画家の仕事場というより事務所といった性格でなかろうか…。

また、自宅は場所が変わっていない。
水木しげるは家の増改築が趣味だったようだ。
ウィキペディアによれば、気が向くままに手を加えた結果、トイレ5カ所、浴室3カ所、階段5カ所の2階建て、一部3階建てになったと記されている(現在は不明)。
朝ドラでも村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)が「迷路みたい…」と、来客に申し訳なさそうだった。
家のなかで迷子になるとは、いかにも妖怪漫画の第一人者にふさわしい。
ユーモラスだ。

2階は現在、本人が数十年かけて収集してきた世界各国の精霊の彫像、民芸品などの展示室になっているようだ。
売れない時代にも漫画を描く資料としてスクラップを行っていた。

                       ◇

調布市には、ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターがボディに描かれた「鬼太郎バス」が運行されている。
また、調布駅北口の天神通り商店街には、ゲゲゲの鬼太郎など妖怪のオブジェが並ぶ。
さらに、「ぴったんこカン・カン」でも紹介された深大寺。
水木しげると武良布枝が最初のデートで訪れた思い出の場所である。
むろん、結婚後のこと。
その門前に「鬼太郎茶屋」が営業している。
私が前妻と初デートを楽しんだのも深大寺。
ただし、うっそうとした森(林)へ。

私は調布の鬼太郎の名所に出かけてみたい。
せっかくなので、とびきりうまい「深大寺そば」を食べたい。

ゲゲゲの女房の放送が始まり、視聴率が伸びるにつれ、水木しげる夫妻は街を歩いていて周囲から声をかけられることが多くなった。
調布市民から大変な人気を得ている。
高齢なだけに、戸惑いもあろう。

長年にわたる血の滲むような努力が、地元はもとより世間から認められた。

                      ◇◆◇

「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。

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3代目エルグランドと2代目アルファードの比較感想

3代目(新型)エルグランドと2代目(現行)アルファードについて、比較を交えながら私の率直な感想を綴った。
「評価」というより、この2台が大好きな私の受け止め方である。

日産自動車(ニッサン)は2010年8月、「エルグランド」を約8年振りにフルモデルチェンジ(FMC)した。
3代目の登場を、ファンは首を長くして待ち望んだ。

新型エルグランドにおける最大の変化は、駆動方式がFR(後輪駆動)からFF(前輪駆動)に変更されたこと。
それにより「低床パッケージ」を追求できた。
ここから外観の洗練ほか、乗降性の改善や走行性能の強化など、多様かつ大幅な進化がもたらされた。

私は猛暑のさなか、自宅のそばの「神奈川日産ニュータウン都筑店」(横浜市都筑区北山田5-17-21)に足を運んだ。
この辺りでは最大の店舗。
「エコカー補助金」が9月で終了するせいか、店内はかなりの賑わいである。
実は、トヨタ自動車(トヨタ)が2代目アルファードを発売した際にも「横浜トヨペットあざみ野店」(横浜市青葉区荏田町131-1)へ出向いた。
わりと最近まで2代目エルグランドと初代(先代)アルファードのオーナーだった私は、FMCが行われたと知ると居ても立ってもいられないのだ(クルマの運転をやめたので買わない)。

2002年5月、2代目(先代)の登場時、店舗にはエルグランドが4〜5台置かれていた。
もっと多かったかもしれない。
すべてのボディカラーが揃っていた。
ところが、今回は実車がたった1台しかない。
それも展示車兼試乗車。
期待のFMC直後にどうなのか?
コストの削減が販売現場に及び、来店客は不便を強いられる。

私は試乗の順番待ちを諦め、せめて実車に触れようと思ったが、それもままならない。
初めは我慢、やがてイライラ…。
結局、1時間以上待たされ、クルマとの交流(?)は他の顧客と一緒にわずか5分間。

3代目エルグランドのフォルムは、箱(直方体)にサルーンの要素が加わり、上品でスマートになった。
ロー&ワイドなプロポーション。
ショルダーの張ったボディがそれを強調する。

3代目エルグランドの外観(エクステリア)は、とくにフロントマスクに大きな変化があった。
全高が抑えられたのでフロント部分の厚み(高さ)が減り、結果としてグリル(ビレット状)が薄くなった。
それによりデザイン的なまとまりがよくなった。
反面、インパクトが弱まった。
前を走るクルマを威圧するような2代目の迫力は乏しくなった。
さみしさを覚えるファンも少なくないのでは…。

私は運転席(ドライバーズシート)に着き、低床を実感!
着座位置、したがってアイポイントがかなり低くなった。
先々を見通しながら運転するのは気持ちよく、高速走行時などに女性や初心者は安心感が大きい。
そのよさが失われた。
ドライバーも同乗者も周囲のクルマを見下ろすような感覚が薄れた。
それがラージクラスミニバンに特有の優越感につながっていた。
オーバーな言い方をすれば、ドライビングポジションは2代目とセダンの中間くらい(この変化を好ましいと受け止めるユーザーもいるはずだ)。

その代わり、走行時の安定感を手に入れた。
2代目と、きっと別次元!
先代のオーナーは低重心を実感しよう。
姿勢の変化が小さい。

開発者によれば、足回りを煮詰め、高速だけでなく「ワインディング」を得意科目に加えた。
ミニバンでは、運転者の走りの満足より、同乗者の乗り心地のよさのほうが大事である。
3代目は後席、とくに3列目の揺さ振りが大幅に和らげられる。

私は、2代目の発売と同時に購入した最上級グレード(本革シート、ツインモニター)を2年4カ月で初代アルファードに買い替えた。
最大の理由は、それだった。
ドライバーにとり高速クルージングは申し分ない。
同乗者も快適だ。
ところが、例えば箱根に分け入ると、家族がクルマ酔いになった。
ふわふわするので、船酔い状態。
3代目は高級サルーンに近い上質でしっとりした乗り心地を確保したのでは…。

ラージクラスミニバンはドアが大きく、乗降はしやすい。
新型エルグランドは床(したがってステップ)がぐっと下がったので、運転席も後席もとても楽になった。
負担が少なく、腰や膝(ひざ)が痛む人はありがたみを感じる。

3代目エルグランドの内装(インテリア)は、派手さを抑えて仕上げられた?
インストルメントパネルからサイドへ、木目調パネルを流れるように配した。
大人7人がゆったりと座れる快適性はこのクラスでは常識(共通)である。
シートはモダンで立体的、硬めでしっかり。
助手席と2列目の計3席にシート一体型の大型オットマンを備えた。
さらに、2列目シートに肩甲骨の辺りでリクライニングできる“中折れ機能”をつけた。
シート全体で身体を保持し、長時間ドライブの疲労を軽減している。
足を伸ばせば、自宅のソファーでくつろぐみたいに極楽…。
3列目はシートの格納操作が容易である。
2列目はスライドドアの窓(ガラス)が昇降するようになった(私は未確認)。

3代目エルグランドがFRからFFに変わることで獲得したメリットは大きく多い。
走りと乗り心地はもちろん、居住性や使い勝手など、格段のブラッシュアップを果たしたことは間違いない。

しかし、先代のゆったりとしたおおらかな走りと、ラージクラスミニバンのスケールの大きさはやや失われた。
クルマの開発は難しい。
私は飛ばすわけでなく、走行性は重視しない。
存在感の強い2代目のほうが断然好きである。
「キング・オブ・ミニバン」という称号を捧げたいと思った。
3代目に、印象面や感覚面で物足りなさを感じるファンも出てくるのでは…。

続きは、あすのブログで。

                      ◇◆◇

トヨタ・アルファード、ニッサン・エルグランドに関するブログは以下のとおり。

⇒2008年5月11日「新型(2代目)アルファード、予約は上々」はこちら。

⇒2008年5月18日「新型(2代目)アルファード、実車さらによし」はこちら。

⇒2009年9月12日「アルファードハイブリッド仕様」はこちら。

⇒2009年9月13日「エルグランドとアルファードの至福」はこちら。

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水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
妻が、今晩のTBSテレビ「ぴったんこカン・カン」はこれに関連する内容だと教えてくれた。
そこで、私は仕事に追われながら、ときどき横目で画面を見た。

前回は、安住紳一郎と石塚英彦が調布市の水木プロダクションを訪れ、水木しげる夫妻と対面した。
自宅でなくマンションの一室だった。
また、ゲゲゲの女房で水木しげる(村井茂。武良茂)を演じる向井理があき竹城と新垣結衣、安住紳一郎にプロ並みの手料理を振る舞った。

今回は、「清水ミチコと行く 水木夫婦ゆかりの地巡り」。
冒頭に前回放送されなかった水木プロダクションでの収録分が紹介された。
私は、水木しげるが「80点主義」ということを知り、共感と親近感を覚えた。
ちなみに、私は何事も「70点」を理想とし、頑張ってきた。
人生にこれで満点ということはない。

次いで、清水ミチコが安住紳一郎と水木しげるのふるさと・境港、そして武良布枝のふるさと・安来を訪ねた。
どちらもゲゲゲの女房が大ヒットしたおかげで、観光客が劇的に増えた。
あちこちが土産物屋に早変わりしている。

私は日本海に面した新潟県直江津市(現上越市)に生まれた。
差別につながるからか、「裏日本」という表現が用いられなくなった。
私自身はこの呼称が気に入っていた。
裏日本の街の雰囲気が境港と安来から漂い、心が落ち着くとともに懐かしさが込み上げてきた。

安住紳一郎はTBSのアナウンサーだが、タレント並みの実力と魅力を備えている。
お笑い芸人などにまったく引けを取らない。
ゲストというより、彼の力で「ぴったんこカン・カン」を引っ張っている。
最近、明治大学出身者の活躍が目立ち、私は嬉しい。
向井理もそう。

                       ◇

松下奈緒は「ゲゲゲの女房」の撮影完了後、村井布美枝(武良布枝)の実家がある安来を訪れた。
当の飯塚家はもとより、地元の人々から熱烈な歓迎を受けた。
そして、その様子がNHKテレビ「あさイチ」の「プレミアムトーク」で放送された。

以下に、「松下奈緒『ゲゲゲの女房』撮影秘話…あさイチ」と題する2010年8月28日のブログを収める。

                      ◇◆◇

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
私は最近幾度か見られず、ストーリーが分からなくなってしまった。
村井布美枝は、仲がとくによかった弟(飯田貴司)を亡くしたようだ。
最期に間に合わなかった。
安来の実家から調布の自宅に帰り、独り号泣した。
村井茂(水木しげる)は締め切りを抱え、葬儀に出られなかった。

私はプロ講師になったとき、富山で暮らす両親に対して死に目に会えないと告げた。
満更でもない様子で、黙ってうなずいた。
いつも応援してくれた。

私は新聞社や雑誌社が主催する講演やセミナーをずいぶんと引き受けた。
富山は読売新聞の中興の祖、正力松太郎(大正力)の出身地である。
両親は同紙に掲載された「読売経営セミナー」の告知記事を切り抜いていた。
私の顔写真入り。
近所や知人に見せて回ったらしい。
いくらか親孝行ができた。

ネットのNHK番組表(金曜日)に、当日の“おすすめ”としてゲゲゲの女房のあらすじが載っていた。
弟の葬儀が終わり、布美枝は両親や兄夫婦ら家族と別れを惜しみつつ実家から自宅に戻る。
傷心の布美枝を夫や子ども、義理の両親がやさしく気遣う。
弟が手入れしてくれたミシンを見たら、布美枝はこの世を去った弟に対する思いが込みあげる。

号泣のシーンは、これか?

                       ◇

きのうの朝ドラに続き、松下奈緒が「あさイチ」の「プレミアムトーク」に出演した。
10カ月に及ぶ撮影を無事に終えたせいか、ほっとした表情が浮かぶ。
緊張の連続であり、直後は虚脱感に襲われたはずだ。
1週間経ったいまも喪失感を引きずっているだろう。
就寝前など、さみしさを噛み締めているのでないか。

冒頭は、ゲゲゲの女房の撮影秘話というか裏話。
松下奈緒は、存命のヒロイン(武良布枝)を演じる際のプレッシャーと苦悩を語った。
不安だらけ…。
何とか覚悟が決まり、撮影が始まる。
すると、自分が村井布美枝にどんどん同化していった。

私がゲゲゲの女房でこれまでにもっとも感動したシーンが、松下奈緒にとり村井布美枝と一体になれたと感じたときだった。
父(大杉漣)に対し、夫(向井理)をかばった、あの場面。
もちろん台詞(せりふ)なのだが、自分の心の底から出た言葉だった。
その際に夫の腕を取ったのは、演技でなく無意識だった。
松下奈緒も驚く自分の変化だった。
妻になり切っていた。
朝ドラの大仕事を乗り切れそうという手応えをつかんだのでないか…。

松下奈緒はゲゲゲの女房のクランクアップの2日後、島根県安来市へ向かった。
村井布美枝(武良布枝)の実家がある。
大塚町の飯塚家。
5代にわたり酒屋を営んでいる。
布枝の兄家族から温かく招き入れられた。
大役の苦労をねぎらわれ、演技の素晴らしさをほめられ、松下奈緒は感無量…。

また、近所の住人が大勢集まり、大きな拍手を送った。
子どもたちも…。
松下奈緒は地元に帰った気分を味わえた。
「第二のふるさと」である。

なお、3歳から続けてきたピアノ演奏をスタジオで披露した。
様になっている。
私は楽曲の名前と説明を聞き逃した。
武良布枝のイメージを表現した?
だとしたら、自ら作曲した?

                       ◇

このブログでずいぶん前に述べたが、大物の予感はそのとおりになった。
本人が努力を積んだのは間違いないが、私は天賦の才能を感じる。

松下奈緒はそこにいるだけで聡明さがあふれ、それが天然ゆえに周囲を一層明るくする。
大輪の花がぱっと咲いたかのよう…。
ドキドキするほど美しい。

私は今後の活躍が楽しみなのだが、それ以上にゲゲゲの女房が終了することがさみしい。

                      ◇◆◇

松下奈緒と「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。

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水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
人気が急落した水木しげる(村井茂。向井理)は呆然自失…。
妻・村井布美枝(松下奈緒)も平静を装うことしかできない。

作家(漫画家)はアウトプットだけだと、やがて創造の源泉が枯渇する。
まして、それなりの成功を獲得すると、モチベーションを維持しにくい。
創造にはきわめて大きな情熱とエネルギーの両方が必要になるからだ。

水木しげるに限らず、偉くなった作家は孤独であろう。
売れない時代には周囲が面と向かってさまざまな助言を与えてくれた。
が、いまやだれも率直な評価を寄せてくれない。
水木しげるは妖怪漫画の“第一人者”だ。

作家がそれを補うのが、分野は異なったとしても同等の力を持つ人たちとの接触である。
しかし、水木しげるは交友範囲が狭く、交友関係が少なかった。
多忙ばかりでなく、本人の性格なども関係しよう。

もう一つ。
水木しげるは売れない時代、出版社をかけずり回って営業活動を行った。
だが、いったん有名になると、その頃のひたむきさを忘れる。
仮に覚えていたとしても、先生のプライドがそれを許さなくなる。
水木しげるは注文を待つ姿勢に転じていた。

これらの要因が複合し、水木しげるに大スランプをもたらしたのかもしれない。

                       ◇

先生は「先生商売」の落とし穴に嵌まりやすい。

本を何冊か出すと、営業活動をしなくなる。
講師を幾度か務めると、営業活動をしなくなる。

私は長らく営業コンサルタント、営業講師として働いてきた。
そして、大勢の同業者を眺めてきた。
引き合い頼みで、典型的な受け身だ。
営業をしないというより、営業ができない。

営業分野にして先生はこの様である。
ほかは推して知るべし。
ゆえに、サラリーマン時代の半分も稼げない。
先生はおおむね「かつかつの貧乏暮らし」だ。

人は「先生」と呼ばれると、仕事がなくても、自ら進んで動こうとしない。

先生も、会社組織にしていようと、基本は自営業である。
フリーランスと変わらない。
食べていけるかどうかは先生としての「商品力(能力・技術)」もさることながら「営業力」に左右される。

私のプランナーと講師の経験を踏まえれば、こちらがはるかに大事だ。
自助努力でよりよい仕事を得られるなら、注文をこなすなかで商品力はおのずと磨かれていく。

                      ◇◆◇

「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。
絶頂からどん底へ急降下!

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

◆書き加え1(8月3日)

「ゲゲゲの女房」のきのうの放送分で、水木しげるはスランプ脱出の手がかりをつかみかけた。
二女(次女)・村井喜子の言葉と、戌井慎二(梶原善)の忠告だった。
そこには父への、そして水木しげるへの尊敬と激励が込められていた。

人は、長い職業人生で幾度か道を見失ったり、道に迷ったりする。
そうしたとき、助けてくれるのが周囲である。
私は胸が熱くなった…。

水木しげるの復活のノロシについては、あすのブログで取りあげる。

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高円寺阿波おどりの感想評価…見る阿呆になれず

私は富山から上京して20年近く、中野駅〜東小金井駅間の中央線沿線で暮らしたのに、高円寺の阿波おどりに一度も出かけたことがなかった。
その理由については、このブログで幾度か述べたとおり。

長年のわだかまりが消え、今年は行こうと思ったが、すでに約束が入っていた。
けれども、どうしてもという気持ちが強くなり、当日午前にミーティングをキャンセル(延期)した。

高円寺阿波おどりうちわついに妻と子どもを引き連れ、「第54回東京高円寺阿波おどり」へ。
開催時刻は午後6時〜9時(3時間)。

さて、JR代々木駅で乗り換えた総武線がたまたま中野駅止まりだった。
また、JR高円寺駅とその周辺が大混雑していて身動きが取れないと考え、あえてJR中野駅で降りて会場に徒歩で向かうことにした。

実は、約40年前に日経育成奨学制度を利用して明治大学へ進学した私が入店したのが「日経高円寺専売所」だった。
住所は杉並区高円寺南1丁目だが、高円寺駅よりも中野駅のほうがずっと近かった。
最寄駅は青梅街道沿いの地下鉄丸ノ内線・東高円寺駅。

私は新聞配達をやっていたので、この辺りの地理は詳しい。
中野駅を南下して大久保通りに入った。
予定では20分弱で環七通りを越え、JR高円寺駅南口と地下鉄丸ノ内線・新高円寺駅を結ぶ通りの中間点付近に30分弱で達する。
この通りが東京高円寺阿波おどりの会場である。

ところが、立派なマンションが立ち並ぶなど、大久保通りの雰囲気が変わってしまい、私は道を間違えたのでないかと不安が募ってきた。
妻と子どもは呆れ顔…。

そのとき、日経高円寺専売所が突如現れた。
当時は道路を挟んだ真正面に小学校(?)のグラウンドが広がっており、私はそれを目安にしていた。
が、大きなマンション(ライオンズマンション高円寺南)が通りに迫るように建てられていた。
それで、目前に来るまで気づかなかったのだ。

私が入店したときは新築間もないビルだった。
それが建て替えられている。
記憶が曖昧だが、当時は3階建てだった。
4階建てだったとしても、私が目撃したビルは5階建てである。
建て増すという芸当はできないはずだ。
ビルの奥行きも深いように感じた。
裏の土地を買い取ったのか…。
ずいぶん容積が大きい。

私の職業人生の出発点である。
しかも、その後に影響を及ぼした。
日経高円寺専売所での「新聞配達」の経験がなければ、いまの自分はなかった。
1畳半ほどの個室暮らし、苦しい仕事を思い出し、私は胸が熱くなった。
子どもにちょっと思い出を語ろうとしたが、妻は足も止めずに子どもとさっさと行ってしまった。
れれれ…。
ちなみに、店主(経営者)が代わり、私が知る人は一人もいない。
数年前に日本経済新聞の販売店組織で講演を行った際に、参加者から聞かされた。
ほんとうは高円寺専売所に顔を出したかった。

                       ◇

私たちが現地に到着したのは、午後7時半頃。
空が暗くなる7時を目標にしたが、30分遅れ。

で…。
肝心の阿波おどりは、まったく見られなかった。
凄まじい人出だった。
先に述べた「通り」は、全体でなく一部が会場である。
警備員や警察官に「立ち止まらないでください」と言われ、歩かされる。
私たちは会場から遠ざかるばかりで、諦めるしかなかった。
有料の桟敷席を予約すればよかったが、後の祭。
私たちは、出番を待って整列する踊り手(連)を眺めるのが精一杯だった。

見る阿呆(観覧者)に対して会場が少なすぎるし、小さすぎる。
高円寺に限らず、中央線沿線は下町である。
駅周辺は建物が密集しており、商店街も限られ、その通りも狭い。
阿波おどりにとり必須かつ最適な会場は「道」である。
それを確保できていない。

枝分かれする生活道路を利用すれば観覧者が分散するので、踊りを見られないという事態は解消する。
しかし、踊る阿呆も見る阿呆も住宅街になだれ込むことになり、時間を制限したとしても住民から大きなクレームが寄せられるだろう。
これは現実的に不可能。

むろん、私が甘く考えていたのがいけない。
人気のイベントを楽しもうと思えば、それなりの注意や努力を払わなくてならない。
妻は「こんなものよ」と達観。
私は突然行くことにしたので、下調べを欠いた。
子どもがかわいそうだった。

踊りを見にいった人は踊りを見られなかったら、二度と出かけない。
この祭の最大の問題(課題)である。
が、例年のことでは…。
怠慢!
主催者は早急に改善を図るべきだ。

私たちは「東京高円寺阿波おどり」の団扇(うちわ)をもらい、満たされない気持ちを慰めた。
路上の踊りは天空の花火と異なり、楽しめるのは前から2〜3列に限られる。
「ゲゲゲの女房」の松下奈緒や向井理のように長身の人は別だが…。
なぜ主催者は通りに大型モニターを設置しなかったのか。
それだけでも観覧者はイライラが和らぐ。
現状では“見る阿呆”にもなれない人が大勢出てしまう。

なお、帰りはJR高円寺駅に近づくのが難しそうで、反対方向、つまり青梅街道沿いの地下鉄丸ノ内線・新高円寺駅へ向かった。
8時半に引き上げて正解。
10〜20分ほど遅れていたら、おそらく切符売り場や改札口、ホームは大混雑になったろう。

                       ◇

この祭は、高円寺商店街の振興が目的である。
隣の駅の阿佐谷商店街では七夕まつりが行われ、それなりの人気を博していた。
このままでは客を奪われるという危機感が背景にあり、それに対抗する狙いが大きかった。
そこで、夏のイベントに「阿波おどりのようなもの」を導入することにした。

発端は一商店街の催事であり、現在も…。
しかし、2日間で百万人前後(以上?)を動員する東京の夏祭に定着した。
主催者は自らの利益にこだわらず、周辺を巻き込むべき時期に差しかかっている。
ここまで育てあげた関係者の努力と苦労は尊重するとして、エリアを拡大してほしい。
杉並区はもとより東京都の強力なバックアップが不可欠である。

私は、青梅街道を開放しない限り、今後の発展は困難だと断言する。
同街道の地下鉄丸ノ内線・東高円寺駅〜新高円寺駅〜南阿佐ヶ谷駅間を通行止めにする。
阿波おどりは、公道が舞台(ステージ)なのだ。
大動脈(幹線道路)だが、周知徹底により交通への影響は減らせる。

主催者は、観覧者の満足度を高めよ。
あれじゃ、踊り手のストレスも凄い。

以上、私の「東京高円寺阿波おどり」に関する感想を述べた。
締め括りとして評価を記す。
会場に近寄るのが、「ヤットサー、ヤットヤット」。
踊りを見るのが、「ムリサー、ムリムリ」。
踊りのレベルは年々向上しているはずだが、人気の上昇による人出の増加に主催者の運営が追い付いていない。

本場・徳島阿波おどりを凌ぐといった感想をネット上で目にしたが、私はすべての面において大きな差があると思う。

                      ◇◆◇

阿波おどり、夏祭、花火大会などに関するブログは以下のとおり。

⇒2010年8月25日「日本の祭2010徳島阿波おどり…NHKBShi」はこちら。

⇒2010年8月26日「徳島郷土料理『阿波おどり』食う阿呆…銀座名店」はこちら。

⇒2010年8月27日「東京高円寺阿波おどり…徳島有名連+江戸っ子連」はこちら。

⇒2010年8月28日「日本の祭・秋田大曲全国花火競技大会…BShi」はこちら。

◆書き加え1(8月30日)

東京高円寺阿波おどりは現在、「NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会」が主催者。
同協会は桟敷席を販売しているわけでない。
年会費1万2千円の賛助会員や1口5千円の協賛者に、礼として桟敷席を用意している。

本場・徳島阿波おどりでは桟敷席がS席2千円で販売されているらしい。

◆書き加え2(8月30日)

「阿佐谷七夕まつり」は、例年8月7日を中日として5日間行われる。
主催者は阿佐谷商店街組合。
場所はアーケード型商店街の「阿佐谷パールセンター」。
期間中はJR阿佐ヶ谷駅をはじめ、この地区全体が七夕をモチーフにした装飾で彩られる。
正式な表記は「阿佐ヶ谷」「七夕祭」でないようだ。

◆書き加え3(8月30日)

指折りの花火師が腕を競う秋田県大仙市の「全国花火競技大会(通称:大曲の花火)」が90万人の人出を記録したようだ(不確か)。
百周年を迎える今年は過去最多の観客が見込まれ、現地は準備と対策に追われた。
会場内外の仮設トイレは千台をゆうに超えるというから驚き。

ところが、皆が一斉に動く帰りに大混乱が起こった。
人がはけない。
鉄道などは増便を図ったらしいが、まったく不十分。
大行列ができた。
うんざりした人々の顔がテレビに映し出された。

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2010年9月公開講座

水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)は漫画の注文がぱったりと途絶えた。
仕事がなければ、こうした会社はつぶれる。

水木しげる(村井茂。武良茂)はずっとアクセルを吹かして職業人生を突っ走ってきた。
食べるのがやっとだったから、仕事漬けの状態。
したがって、人生そのものを突っ走ってきたことになる。

長年の蓄積疲労が噴出したのか、これまで打ち込んできた「妖怪漫画」に価値を見出せなくなった。
それは自分の存在を完全に否定することだ。

水木しげるに大きな異変が起こっていた。
顔から、全身から生気がすっかり失せた。

大変なときは数え切れないほどあったが、つねに前向きに頑張ってきた夫、父…。
それは、家族が一度も見たことのない姿だった。
村井布美枝(武良布枝)はもとより、藍子も喜子も激しいショックを受けた。
「おとうさん、変」。

中学3年生の喜子は勉強が嫌いだから高校に進学しないと言い出した。
皆が家計を心配していた。
水木家に“貧乏神”が戻ってきた。
今度は水木プロダクションまで巻き込む。

布美枝は何もできなくてつらいと、娘たちにつぶやいた。
夫が困っているというのに…。

稼げるのは水木しげる以外にだれもいない。
「先生商売」とはそうしたものだ。
結局、先生がすべて。

私は、意気消沈した松下奈緒と向井理を初めて見た。
夫婦はどんなときにも元気だけは失わなかった。
私がドラマにのめり込んでいるせいか、違和感を持った。
二人に笑顔を取り戻してほしい。

なお、久し振りにアシスタントが登場した。
水木プロダクションの創設時からいる3人のうちの1人「点々」を含め、2人が残っていた。
毎日が仕事場の資料整理である。

私は思い出した。
リーマンショック後に「提案営業研修」に伺った製造業(メーカー)では、毎日が工場の清掃だった。
建物の内外、ガラス、生産ライン、どこも十分にピカピカである。
従業員の不安そうな表情を忘れられない。

                       ◇

息子と同居したいと一方的に押しかけてきたとはいえ、水木しげるは両親がいる。
事務員兼マネジャーの実弟もいる。
重圧が両肩にのしかかっていた。
といっても、左腕が付け根からない。

水木しげるはぎりぎりの精神状態に追い込まれていた。
それを助けられない布美枝はもっと苦しんでいた。
信じるしかない、祈るしかない…。

                      ◇◆◇

「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。
絶頂からどん底へ急降下!

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

◆書き加え1(9月1日)

水木しげると次元はまったく違うが、私も先生商売である。
ただし、稼げるのは私以外にいないという点は、完全に一致する。
妻は、私が困っても何もできなくて、さぞかしつらかろう。
私に頼るしかない。

水木しげるは「仕事のことに口を出すな」の一点張りだった。
だから、布美枝はまだ救われた。

しかし、私は自分の仕事に対していろいろ言ってほしいし、少しでも手伝ってほしいと考えるほうだ。
とくに知恵を求めている。

そして、それを妻はよく分かっている。
が、私の期待に応えることができない。

そこに妻は苦悩と負い目を感じている。
自分がそれ以外でいかに頑張っているか、私にアピールしたがる。

私は、妻がさぼっていると思ったことは一度もない。
とても感謝している。

私の仕事をいくらか助けてもらいたいと願うのは、ムリな注文なのだろうか?

◆書き加え2(9月1日)

わが家は最多で8人家族だった。
私が両親を呼び寄せた。
さらに、アメリカンショートヘアが5匹。
2000年前後のこと。

ほかに、株式会社和田創研、NPO法人営業実践大学。

当時は講師が私一人であり、すべてを支えたことになる。
どこからそんなエネルギーが湧き出たのか、いまとなっては不思議である。

私は老いた…。

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キンタマ・シンポジウム…率直・真剣・比較

猛暑は一向に衰える気配がない。
が、私のなかでは、きょうは秋の始まりである。
この際だから「下ネタ特集」を組むことにした(意味不明)。
毎日でなく、数回に分けて…。
おもに過去の好評ブログから。

きょうの内容は、時間を持て余す女どもによる白熱・衝撃の「キンタマ・シンポジウム」である。
私は静かに拝聴したが、異様な盛りあがりだった。

私は思う。
男よ、女に負けるな、もっと肉を食いなさい。

以下に、「キンタマの正しい姿!」と題する2009年9月11日のブログを収める。
かなり手を加えた。

                      ◇◆◇

先だっての話。
時刻は午後2時半頃。
場所は横浜・港北ニュータウンの住宅街。
開発段階で多くの小公園が組み込まれており、その一つ。
砂場で小さな子どもが戯れている。

私は近所に出かけた帰りに腰痛がひどくなり、ベンチに座り込んだ。
幼稚園の迎えに来た母親だろう、3人が立ち話。
頼みもしないのに、声がだんだん大きくなってきた。

「うちの子はタマの大きさが違うの。重いほうが垂れている」。
30代半ばの女性が声を絞り出すように訴えた。
見るからに線が細く、心配症。
軽いほうが垂れていたら事件である。
この人は旦那の金玉をよく見たことがないのか?
たまに手に取るべきだ。

「それでいいの。みんなそうよ」。
40代前半の女性が包み込むように諭す。
人生経験がかなり豊富そう。
昔染めっ放しにしたせいか、髪の傷みが目立つ。
皆とは何人を指すのか?
この手のリサーチでは標本数(サンプル数)が大事になる。

残る一人、30代後半の女性が乗り遅れまいと会話に割り込んだ。
ついにというべきか、やはりというべきか、「うちの主人も…」。
この人は判断材料に事欠き、旦那の金玉を引き合いに出した。
うちの子は女の子?
彼氏の金玉でなくて、ホッ。

戦後初、野党第1党による劇的な政権交代から1週間後、男子の金玉はいかにあるべきか、正しい姿が率直かつ真剣に話し合われる。
私がそばにいることさえ気づかない。
それとも男が終わった老人にしか見えないのか。

白昼、「金玉論議」はエスカレート・・・。
タマタマのバランスからタマの大きさへ、とどまるところを知らない。
うちの子やうちの主人が知ったら、たまげるぞ!
こうしてプチ富裕層の母親たちの1日は回っていく。

私は軽い目まいを覚えながら、小公園を後にした。
今夜風呂に入ったら、じっくりと検証してみよう。

余談だが、港北ニュータウンでは平日、それなりの店で3千円前後のランチを楽しむ専業主婦のグループが少なくない。
とにかく楽しそう。
旦那は案外、会社で3〜4百円のコンビニ弁当を食べさせられているということはないのか?

私の妻は自分にカネを使わず、つねに私と子どもを優先させている。
しかもフルで働く。
感謝しなくては…。

                      ◇◆◇

夏場のキンタマに関する深刻なブログは以下のとおり。
グッドラック!
あなたの幸運を願う。

⇒2010年8月24日「ガマの油並みの効用…オロナインH軟膏の実力」はこちら。

⇒2010年8月27日「君の股間がかゆい…デリケアエムズ池田模範堂」はこちら。

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水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
ドラマの進行につれ、松下奈緒と向井理はいくらか老けた。
メイクが変わった。
二人は声色や表情、姿勢など、演技も変えようとしているが、どこかしっくりしない。
それとも以前のイメージが私に焼き付いているからか…。

さて、水木しげる(武良茂。村井茂)は連載が途絶えた。
読み切りも…。
仕事がなく、手帳はブランク(空欄)のまま…。
徹夜地獄から解放されたと喜んだら、暇地獄に転落した。

フリーランスにとりスケジュールが埋まらないことは、飯が食えなくなることを意味する。
水木プロダクション(調布市。武良茂社長)は経営の非常事態に直面していた。
こうしたプロダクションは、作家(漫画家)個人の人気が業績そして資金繰りに直結する。

読者も視聴者も「妖怪」に飽きてしまった。
もともと実在しない。
熱烈なブームが去ったのだ。

作家と作品が一時的な流行、とくに「社会現象」になると厄介である。
本人にすればコンスタントに売れるのが何より。
人気商売は、人気が爆発すると長続きしにくい。
例外は天才や超人とされる一握りの作家だろう。

加えて、水木しげるは“大スランプ”に陥っていた。
はやりの終焉と作品の低迷はどちらが先というより、両方が絡み合っている。
自信を喪失し、本人が妖怪の存在を疑いはじめた。
実は、売れない頃から漫画を発注し、水木しげるを応援していた人たちは、最近の作品に微妙な変化を感じ取っていた。
どこか違う、何か足りないと…。
彼らは温かく厳しい。

水木しげるは講談社の「少年マガジン」でのデビュー以降、膨大な注文を抱えて締め切りに追い立てられた。
アウトプットだけだと、創造の泉は枯れる。

創造というと、頭や心のなかでつくり出す行為を思い浮かべるかもしれない。
確かにそうなのだが、それを支えるのがインプットである。
これがやせ細ると、作品は質も量も落ちていく。

                       ◇

私は昔、フリーランスのプランナーだった。
「クリエイター」を名乗るほどのことはないが、それでもインプットを重視していた。
納期と連日戦いながらも、新聞や雑誌の記事に触れた。
読む時間は保てなかったが、見ることは怠らなかった。
それしきのことで段違いだ。
当時、定期購読の新聞や雑誌は30種類を下らなかった。
硬いビジネス系から、やわらかいファッション・トレンド系まで多岐にわたった。

私は40歳以降、講師の道を目指した。
1995年2月から異業種交流勉強会「営業実践大学(途中、NPO法人化)」を主宰した。
毎月トップセールスマンなどをゲストに招き、じかに生のノウハウや事例を学んだ(公開講座は2010年9月に終了)。
多大な持ち出しに耐えて続けてきたのは、インプットを重視したためだ。
講師はアウトプットだけになったらお仕舞いと肝に銘じていた。
むろん、最良のインプットは「営業活動」である。
ゆえに、私は講師として多忙になってからも、それに携わってきた。

                       ◇

水木しげるは、これまでの貯えがいくらかあったようだ。
何カ月かはそれで持ち堪えるとして、その先が厳しい。
ドラマではこのところアシスタントが一人も出てこない。
給料を払えなくなった?

還暦前の私は「人生谷あり谷あり」と実感している。
妖怪漫画の第一人者とその妻・武良布枝(村井布美枝)にとっても、案外そうなのか。

以下は、「人生谷あり谷あり」を綴ったブログ。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

ちなみに、朝ドラの原案となった武良布枝の自伝『ゲゲゲの女房』は、副題が「人生は……終わりよければ、すべてよし!!」である。
水木夫妻は「人生は谷ばかり」と実感している?

                      ◇◆◇

人生の教科書「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。
ドラマの進行と私の半生を重ねたり照らしたりしながら、心の内を綴った。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

⇒2010年8月25日「人生の教科書・ゲゲゲの女房…仕事・夫婦・家族」はこちら。

⇒2010年8月26日「心の太鼓を打ち鳴らせ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月28日「松下奈緒・ゲゲゲの女房・撮影秘話…あさイチ」はこちら。

⇒2010年8月29日「松下奈緒&向井理、ゲゲゲの女房の平均視聴率」はこちら。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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