私は、自らの意思と行動により、仕事と人生を切り開いてきたという気持ちが強い。
「こう考え、こう行う」「こう決め、こう動く」。
だが、それを疑うようになり、自分の変化に驚いている。
長年のムリがたたり、心が疲れてきたとか、体が弱ってきただけなのかもしれないが…。
冷静に振り返ると、仕事ならば顧客や市場、経済により、人生ならば身内や友人、知人により、かなり左右されている。
私が思い込むほどに自力でやってきたわけでない…。
さらに、最近はこう思うようになった。
自らの意思や行動を通すというのは、賢いやり方でない。
周りの助けを引き出せないからだ。一人で必死にもがいている感じ。
「豊かさと幸せは、外からもたらされる」というのに…。
なぜ、私はこれまで出会った人に、もっと流されなかったのだろう。
そのきっかけは決して少なくなく、悔いが残る。
私に他者を受け入れる度量がなかったというのが真相である。
貴重な“縁”をほとんど生かせていない!
「ちょっと違う」「そうじゃない」。
自分の生き方や働き方と照らし、ことごとく拒んできた経緯がある。
…私は、こだわりを大切にしたいと願っていた。
ところが、十年、二十年とこだわるうちに、いつの間にかとらわれていたのである。
こだわりと、とらわれは、別物だ。
いま、私はようやく気づいた。
他力を得られないと、努力が孤立する、空転する。
「がんばる乞食はもらいが少ない」。

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