私は思う。
「知識は他人のもの。気づきは自分のもの」。
その証拠に、「知識」の大半は、自分のものとして堂々と発表することができない。遠慮がちに引用するのが関の山である。
世の中、他人の知識をたくさん持っているくらいで「学んだ」と言い放つ人が多すぎないか。
そもそも、学んで自分のものにならないなんて悲しすぎる。まして、学ぶためにわずかでもカネを使っているとしたら…。
知識は、実践を得て、「気づき」へ高められる。咀嚼され消化され吸収されて、自分の養分に変化した状態である。
知識そのものを競う一部の職種は例外として、私たちは広い意味での行動の「成果」によってしか評価されない。
気づきの豊かさと深さが、職業人生で手にする“果実”の大きさを決定づける。
仕事に関わる「勉強」については、明確な目的のもとに、必要不可欠な手段と位置づけて進めることが大事である。
何かに役立つかもしれないと思ってする勉強では、なかなか何かに役立てられない。
おやすみなさい。

Copyright ©2007 by Sou Wada

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