きのう、富山での公開セミナーが終わった後、「直江津」へ向かった。といっても、帰路の途中の駅である…。
通常はその日のうちに横浜の自宅に戻るか、次の場所に移る。
このところ疲れ気味で長距離移動が億劫だったこともあるが、せっかくの機会なので生まれ故郷の土を踏んでおきたかった。
また、営業実践大学が発行する『月刊営業人』で連載中の、直江津在住の池田秀敏さんとお会いしたかった。
今年1月の大学セミナーで、「図解商談」の講師を引き受けてくださった。先だっては、横浜の大学事務局を尋ねてくださり、つたないホームページに対し、率直な助言をいただいた。すべてボランティアで、ありがたいことである。
先週は、ご自分で採ったウドを送ってくださった。自生のせいか、青々としていてびっくり。ご自宅の周辺に、豊かな自然がいっぱい残っているのだろう。妻が煮物と炒め物にしてくれたが、そのおいしいこと―。
私は、直江津駅の真ん前、「ホテルセンチュリーイカヤ」に宿泊した。ロータリーが狭いので、歩いて1分もかからない。不確かだが、半世紀前は木造の「いかや旅館」があったのではなかろうか。ビジネスホテルに建て替えられていた。
小さな地方都市に、堂々たる建物である。館内・室内ともに快適で、しかも宿泊費が安い。スタッフは若手主体で、接客は気持ちよい。満足。
そういえば昨日、富山から直江津に向かう「はくたか」で車内販売の幕の内弁当を食べた。これが、同ホテル製だった。名門なのだろう。
私は、池田さんとこのホテルの2階のレストランで午前10時から2時間半ほど、連載原稿の単行本化の打ち合わせを行った。また、老婆心ながら、彼の仕事などについて、思うところをざっくばらんに話した。
私は、池田さんがビジネスの「図解」の分野で成功することを信じている。関心がおありでしたら、「テオリア」「池田秀敏」「仕事の図解」などで検索してください。 
さて昨夜、駅前に立ったら、子どもの頃の記憶が、家族のさまざまな表情や出来事とともに甦ってきた。妹も直江津で生まれたが、幼児だったので記憶はないはずだ。
ロータリーから直線道路沿いに、当時「呉羽紡績」の出張所を兼ねた自宅があった。「真行寺幼稚園」のそば、直江津警察署の裏辺りである。私たちが引っ越して間もなく「東洋紡績」の出張所となる。
ただし、訪ねて悲しくなった。生まれ育った木造家屋が取り壊され、更地になっていた。
私は、暗闇にしばらく立ち尽くす…。
気を取り直し、周辺を歩いたが、商店通りは確実に衰退している。
全国を転々とした私にとって「故郷」と呼べるのは、ここだけである。市町村合併にともない、直江津市は上越市に名称が変わったが、愛着は薄れることがない。それどころか、歳月が経つにつれて強くなる。
私の過去を振り返り、文字どおり無条件で「楽しい」といえる思い出は、すべてここに凝縮されている。私の原点である。
その後、私はどこへ行ってもよそ者という気持ちを、完全に拭い去ることができなかった。次に好きな伊那市においても…。
故郷を離れたとき、私の心に「喪失感」が巣食いはじめ、それは今日まで癒されることがない。それくらい好きだった。
できるならば、小さな子どもを直江津へ連れて行きたい。
そして、私が何よりも愛した「日本海」を見せてやりたい。さらに、一緒に海で遊んでみたい。夏は、自宅から海水パンツ一つで毎日のように通ったものである。全身、真っ黒だった。
…私は齢を重ねるほどに「私」が分からなくなってきている。
センチメンタルな気分に浸りたいというわけではない。先が短くなり、曖昧にしてきた自分を知りたい欲求が募る。
公開セミナーで四国へ渡って驚いた。40代や50代のサラリーマンが長期の有給休暇を取り、「お遍路さん」になっている。
これが「自分探しの旅」なのか。
私の場合、それは自分が生まれ育ち、働き生きたすべての土地を、記憶の糸を手繰り寄せながら訪れることである(40箇所くらい?)。
今回は、最初の一歩。
おやすみなさい。

Copyright ©2007 by Sou Wada

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