国鉄時代が幕を閉じようとしていた20年前頃だったろうか。
私は、都心の国電駅のすぐそばに仕事場を構えていた。
フリーランスのプランナーとして1日中デスクに向かい、1年中徹夜に近い。睡眠時間を極限まで削り、起きている時間をすべて仕事に当てる。
私は30代半ばで、体力に絶対の自信を持っていた。
働いているのに遊んでいる感覚…。もう夢中…。
頭を使うと、腹がぺこぺこになる。
当時、1日当たり3〜4回の食事で、丼やカレー、定食、立ち食いそばやラーメンなどの主食を6品くらいは取っていた。ただし、噛まずに飲み込むので、時間は奪われない。
さて、私は深夜、空腹を満たすため、線路沿いの立ち食いの寿司屋にときどき行った。
間口が狭く、カウンターしかない。中年のおやじが1人で握っており、営業時間は恐ろしく長い。
無愛想のうえ無口なので、取りつく島もない。気に入らない客へ「来なくていい」と容赦しない。
私も話しかけない。当然、酒を飲んでいないし、仕事で疲れ切っている。
ところが、顔を出すうちに、ぽつりぽつりと話すように…。
1年以上経った頃、おやじが珍しく口を開いた。
2人きり。
歩いて十数分の一等地に自宅兼店舗がもうすぐ完成し、そこへ移転するとのこと。
3〜4階建てのビルの、1〜2階が寿司屋か。
記憶があいまいだが、私はかなり立派なイメージを抱いた。
こつこつ貯めて、現金で叶えたようだ。
「ちゃんとした寿司屋だから、食べにきて。値段がずっと高くなる。あんたからカネはもらわない」。
おやじは自分をおれ、私をあんたか兄さんと呼んだ。
「そうはいかない」に対し、「カネは要らない」の一点張り。
私は、すでにそれなりの収入を得ており、困った。
おやじは追い討ちをかけるように、「おれは家族も親戚もいないから、あんたに財産を全部あげる」。
私の目を見て、真顔で言った。
おやじが“はにかんでいる”ように思えた。
本気だ…。
そのときの直感である。私は一言も問わなかった。
それ以来、おやじの店に足を運んでいない。うまく説明できないが、怖かった。
ほどなく、私は仕事場を移す。その後、何度も引っ越しを繰り返した…。
ひょっとして戦災孤児で、結婚を経験しなかったのか。
後日、そんな考えが頭をよぎった。私の勝手な推測にすぎないが…。
かたくななおやじの表情は、胸の深部に巣食う、何かに対するどうしようもない「怒り」ではなかったか。
言い訳がましいが、財産うんぬんの話を切り出されなければ、私は新しい店に足を運んでいた。
この事実は、いまだに“負い目”として残っている。
十数年経った頃、店を探したが、見つけられなかった。おおよその住所や屋号さえ思い出せない。
あのとき、せめて立ち寄ってあげるべきでは…。唐突に打ち明けられた愛情や信頼だったとしても…。
私はおやじを尊敬していたのだから…。

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