和田創研がジョイントベンチャーを進めている相方・小川誠氏から、私のブログ記事に関連し、考察メールが寄せられた。
月曜日の朝、テーマは「創造性」。
以下に紹介しよう。
                    ◇
先ほど、11月20日の和田創ブログ「つくる人しか輝けない」を読んだのですが、私も似た思想なのでコメントします。
個人の尊厳・存在意義・アイデンティティとは、その人の人生・経験を通して具現化される「創造性」であると思います。
創造性は、無形ゆえに、具現化できなければ価値がありません。
しかし、ときとして、例えば世の中がその創造性に追いつかないなどの理由で、具現化する際に激しい痛みを味わいます。
ところで、無限の創造性は、人類だれしも平等に持っている能力です。
だが、いまの人のなかには、社会に適応するため、自ら創造性を放棄してしまう人が少なくありません。
たいへん悲しいことです。
私たちは、合理性(制約・ルール)と創造性(内から湧き上がるエネルギー)の狭間に、揺れるようにして生きています。
そのギャップを埋める行為こそ、心の平穏を得るための苦行だと感じます。
苦行は本来、心が満たされる楽しいものであり、苦しいものでありません。
しかしながら、既存の合理性を安易に受け入れ、創造性を投げ出した(苦行から逃れた)結果、永遠に苦しめられる人が多いのです。
自分の心に巣食い、やがて心を蝕む、モヤモヤとした「やりきれなさ」のようなものでしょうか。
昔ながらの教育、とくに義務教育は、創造性を発揮させるというより、忠実なロボットとしての動きを求める思想のほうが強いですし…。
どのような職業であれ、個人が創造性を生かし、自分にしかできない仕事をすることは十分に可能です。
にもかかわらず、それを許さない企業・職場があちこちに残っているのも事実ですね。
こうしたところほど、社員に創造性を許さないくせに、「チャレンジしろっ!」と叫んでみたり。
組織・風土が腐り、その矛盾にさえ気づかない…。
個人の単なるエゴとしての創造性でなく、「創造性は、合理性と両立しなければ、現実社会に具現化することはできない」。
私は、それが真理だと考えます。
究極の創造とは、既存社会の合理性を破壊し、より高次元の合理性を実現するものではないでしょうか。
                    ◇
以上。
「創造性」に関する完璧な考察―。
彼は若い。
私は、その思想の深さに、ただただ溜め息…。
しかも、慌ただしい月曜日の出社前のごく短時間で入力したはずだ。
つねに問題意識を持って考えつづけているから可能なこと。
なお、創造性を重視しつつも、合理性とのバランスが保たれているのは、優れた経営者に通じる資質であろう。
私は、両者のバランスを大切と考えながらも、実際は合理性より創造性へ激しく傾斜しがち。
要は、わがままな職人気質。
小川さん、素晴らしいコメントをありがとう。
…ところで、やみくもな創造性は、破壊しかもたらさない。
それがもし許される世界があるとしたら、「芸術」と「革命」だけなのかもしれない。
私は思う。
創造性と合理性のせめぎあい。
まさに人生の醍醐味。
それは自己表現、自己実現そのもの。
そして、そのもっとも分かりやすい形が「起業」なのである。
合理性を踏まえない創造性は叶えられない、続けられない。
平たく言えば、食べていけない。
なぜなら、社会や市場において、最終的に受け入れられることがない。
                    ◇
彼が説くところの「苦行」。
私なりに理解すれば、「苦行とは、生の証であり、創造の喜びである」。

人気ブログランキング