気が遠くなるくらい長期にわたり市場が縮小しつづけるであろう日本…。
半世紀? 1世紀?
私たちは一生の間に数回は「大不況」に見舞われると覚悟しなければなるまい。
そうした非常事態でも自分と家族の生活を守るにはどうすればよいか、個人の「労働」のあり方にフォーカスして本質的な解決を探りたい。
つまり、ビクビクから解き放たれるという次元でなく、職業人生を悠々と楽しめるように…。

実は、それほど難しくない。
当人が豊かさと幸せをつかむために努力を払うという気持ちを持っていることが大前提になるが…。
頭の良し悪しはさほど問題にならない。
さて、私たちは生涯に8千日から1万日ほど労働に従事する。
膨大な時間だ。
そこでの“働き方”に尽きよう。
「作業」の比重を落とし、「仕事」の比重を高めていく。
自分の年齢や経験なども考慮に入れるべきだろう。
以前のブログ「職業人生でどう頂点を極めるか?」でも述べたとおり、「できることは、もうやらない」。
これは自己実現の極意。
そこまで望むのが酷だとすれば、とりわけ習慣性の作業を意識的に減らす。
仕事と作業の違いはむろん「考える」要素の多寡である。

気づいたと思うが、私たちの収入も地位もこの「仕事」に正比例する。
仕事しか、自分と家族の生活を守ることができない。
“格差”が社会問題になっている。働いているのに貧困から抜け出せない。そうした人は、労働時間の大半が作業に終始しているはず。
実際、多くの人が手馴れた作業に就きたがる。何せラク。仕事に挑みたがる人は恐ろしく少ない。
例えば、営業職なら、顧客の引き合いに対して「見積書」で応じる。
しかし、こうした作業を何年、何十年こなしたところで、これといったノウハウは残らない。
いざというときに路頭に迷う。
営業職は「忙しくて…」とこぼす。労働時間の長さも尋常でない。
だが、中身の検証を怠るな。
作業で忙しいのか、仕事で忙しいのか。

ところで、労働時間における仕事の比重を一気に高めることはできない。
なぜなら、「頭は筋肉」だから(余談だが、私はこれを和田創学説と称している)。
これまであまり考えたことのない人が急にしかも激しく頭を動かそうとすれば“筋肉痛”になる。
筋肉断裂さえ起こしかねない。
となると、職業人生は中休み。
焦らない、焦らない…。

では、どうすればよいか?
答は簡単。
愛用の手帳にその日の「仕事」の時間を“分単位”で書き込む。大雑把で構わない。
ただし、自信を持って頭を使ったと言えるものに限る。
自己実現への希求が突出して強い人は、できないことに取り組んだ時間に絞ったほうがよい。
会社を退く前、あるいは眠りに就く前、一番目立つ日付の横に記す。
初めのうちは悲しいほどわずかな時間かもしれない。人によっては何日も「0分」。ということはいままでだって0分。
これが分かるだけでも格段の進歩である。
そして“月単位”で折れ線グラフにする(日単位でない)。
徐々に右肩上がりになるので励みが得られる。
自分の成長が一目瞭然。
これを1年も続ければ、あなたは作業から仕事へ軸足を移している。
さらに3年も続ければ、あなたは“別人”に生まれ変わっている。
情報社会の今日、スカウト会社が放っておくはずがない。
余談ながら、自分の“市場価値”はスカウトの質と量で判断せよ。
そして、職業人としての市場価値が、非常事態において自分と家族の生活を守ってくれる。

なお、習慣性の作業にも、仕事に疲れた頭を休ませるという効用がある。
私は歯を磨いたり顔を洗ったりするときはボーっとしており、その磨き方や洗い方はいかにあるべきかと考えているわけでない…。
脳が停止していても何とか作業は済ませられる。
高い意識と強い意欲を持つ人は、仕事の息抜きに作業を行うようにすること。

ちなみに、これまでに述べたことを営業職が行おうとすれば、注目の「提案営業」「コンサルティングセールス」「ソリューションセールス」となる。
が十余年、指導してきたのはこれ。
「作業より仕事を!」。
がっかりするほど主張は明快。
現実に、「提案営業」を行える人は引っ張りダコであり、高い収入が得られる。
さらに、それを教えられる人は高い地位が与えられる。中小・中堅企業なら営業系の役員。
提案営業とは営業職における仕事、それも相当に高度な仕事といえよう。

Copyright ©2008 by Sou Wada

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