私は、職業人生の残りがわずかになり、できないことをやりたいという思いが一段と強くなっている。
わが人生0455ここ1〜2年、営業活動を仕掛けて受託したのは、自分ができない仕事が少なくない。
案件が決まったときは嬉しいが、それをこなす段階になると気が重い。
最終的にCS(顧客満足)を得るのは容易でない。

私は若い頃から「できることはもうやらない」を職業人生での戒めとしてきた。
とりわけ仕事場を武蔵野市の自宅(と言っても賃貸)から千代田区のオフィスビルに移した20代後半以降(30歳近かったかも知れない)は、つねに意識するようになった。
和田創 講演メニュー
せっかくフリーランスのプランナーになってしまった(追い詰められた挙句の必然)。
いまから振り返れば、30年前の日本で個人の頭の中身(アイデアや知恵)だけを取り出して換金するというのは画期的を通り越し、無謀以外の何物でもなかった(単なる世間知らず)。
わが人生0456それらは、顧客が受け入れた後の制作や製作、実施や実行に関わる請求に含まれていた(まれに上乗せされていた)。
私の場合は企画の採用・不採用にかかわらず、単独の請求。アイデアを生むとか知恵を絞るという行為に対し、相応の報酬を払ってもらった。
当時、同業の相談相手もいない。

わが人生0457私一人に生活がかかっていたから、家族の口をまかなうために不本意な仕事を受けたこともある。
しかし、例の方針を極力貫きながら、できない企画業務を受託していった。
仕事を行うときは夢中なのだが、できないので「必死」と表現したほうがよいか。
私は夢中と必死の違いがよく分かっていない。

月刊トップセミナー仕事を断り、仕事をつくったおかげで、生活水準が少しずつ高まっていった。
企画力が伸び、顧客へ提供しうる価値も上がることに…。
かろうじて自己実現を犠牲にしないで済んだ。
社会に出てからというもの、本も含め、私にはカネを払って学ぶという発想がまったくない。
わが人生0458かならずカネをもらって学んできた(私が主宰するNPO法人は社会貢献なので、話は別)。
また、そうでなければ5人の暮らしが回っていかなかった。

私は老い、昔の思いが再び頭をもたげてきた。
気づくと、身の回りはできないことだらけ。
しかし、いまの気力と体力、体調で取り組み、成し遂げるのは大変である。
わが人生0459つい弱音を吐きたくなる。
また、受託業務に限らない。
ジョイントベンチャーの設立準備や社会人大学院での授業もその一つ。
自分の身の丈を大きく超えていたせいか、地獄の苦しみを味わった(いや、いまも味わっている)。

ほかにも温めている構想がいくつか。
「年寄の冷水」にならなければよいが…。

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