私たちがいつでもどこでもインターネットから情報を瞬時に的確に無料で手に入れられるようになり、マスメディアは苦境に立たされている。
その代表格が「新聞」。
長らく習慣となっていた“世帯購読”が崩壊の一歩手前。
例えば、アパートが密集するエリアで購読率は極端に低い。
ここ数年、部数の減少が加速し、購読料と広告料の2大収入が深刻なダメージを受けている。
新たな収益源の開拓を先延ばししてきた新聞社のなかには、経営が行き詰まるところが出てこよう。

本格的なインターネット新聞が登場してもおかしくない環境が整ってきた。
新聞社が“紙”にこだわる根拠はすっかり薄れた。
例えば、夕刊。ときに、地方紙では4ページ。
内容を見ても、読む時刻を考えても、わざわざ戸別配達する必要性がまったく感じられない。
また、激減しているとはいえ、全体での発行部数は依然として大変なボリュームである。
用紙、印刷、梱包、輸送、配達…。
一連の環境負荷は恐ろしく大きい。
私は紙面に「地球温暖化」の文字を見つけると悲しくなる。

いまや、家庭はもとより個室にまで大画面・薄型テレビが普及しはじめた。
新聞社はビッグチャンスととらえ、インターネット新聞の実現、つまりビジネス化を急ぐべきだ。
ならば、記事の使い勝手も格段に高まるので、新聞は不安的な購読者でなく根強い利用者を増やせよう。
生産者も消費者もいいこと尽くめ?

かく言う私は日本経済新聞社の奨学制度を利用して明治大学に進学し、その配達に2年ほど携わった。
授業にまったく出なかった怠け者の私がビジネスに関わる勉強をいくらか行えたのは、日本経済新聞に取り囲まれていたからだ。
日々ぼんやり眺めるくらいだったが…。
人は、環境の子。
さらに、私がその後の職業人生で勇気と自信を持てたのは、あのときの過酷な経験のせいだ。
滅茶苦茶きつかった。
感謝!

新聞は戦後の社会に多大な貢献を果たした。
日本人の知的水準も押し上げた。
そして、それを縁の下で支えたのが「宅配制度」であったことは確か。
だが、時代は変わり、宅配制度は意義を失いつつある。
まして、それを維持するために“紙”にしがみつこうとすると、弊害のほうが目立つ。
私たちは「新聞販売店」という呼称にごまかされやすいが、あれは「新聞配達店」なのだ。
宅配を担ってきた新聞販売店が近い将来、一気に姿を消す?

ところで、今回の衆議院議員選挙の前哨戦で、インターネットの活用がだいぶ進んだ。
例えば、立候補予定者が有権者のおもな質問に応えるユーチューブの動画が公開されたらしい(私は視聴していない)。
公開討論会の動画なども…。
一方的で形式的な「政見放送」はやがてすたれる運命なのかもしれない。

何も政治に限らない。
ユーチューブの動画はテレビより有益な情報が得られることもある。
また、面白さという点でも退屈なお笑い芸人よりはるかに勝っていたりする。
これで、画質・音質がよくなり時間も長くなると、テレビ離れが劇的に進みかねない。

テレビ会社は広告収入が揺らぎ、番組の制作費、タレントのギャランティーなどを思い切って切り詰めている。
現場ではコンビニエンスストアの弁当を食べるようになっているという。
コンテンツの劣悪化は目を覆うばかり。
テレビの近い将来についてもきわめて悲観的にならざるをえない。

Copyright (c)2009 by Sou Wada

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