ポール・ポッツの動画に寄せられたコメントのなかには、彼がつかんだ栄冠に疑問を呈するものもある。
オーディションの決勝(ファイナル)はたいてい接戦であり、審査は困難を極める。
出場者の年齢がまちまちな場合には、将来性を加味するかどうかでも結果は違ってくる。
まして横一線では、だれが勝ったかを判定するというより、だれに勝利を与えるかを決断することになろう。

そして、勝利は幸運に恵まれない限りもたらされない。
しかし、もっと大事なのは、その幸運は努力を惜しまない人にしか訪れないこと。
歌もさることながら努力、執念ともいえる努力に対して授けられた栄冠でなかったか。
その執念が気迫となり、オーディション会場に乗り移った。



この世に懸命に頑張る人は星の数ほどいるが、その多くはこれといって報われているわけでない。
ポール・ポッツは代表選手として選ばれた。
私たちにまれに天使が舞い降りてきてもよいのでは…。
「ブリテンズ・ゴット・タレント」の審査結果に異議を唱えることもない。
ポール・ポッツの歌にめくじらを立てることもない。
そもそも同オーディションは歌のコンクールでない。
私は的確なジャッジだったと思う。

ところで、私は日本語のほかはまったく理解不能。
それでも感じるのは、ポール・ポッツの発声法が関係するのかどうか、言葉が分かりにくいのだ。
歌詞の明瞭さはきわめて大事なのでは?
やはりユーチューブで、ミュージカル出身のサラ・ブライトマンの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」を聞いて、私はそんな印象を持った。
彼女の歌唱の巧みさはもとより言葉の美しさに痺れた。

ポール・ポッツは、とりあえずワン・チャンスを生かし、好きな歌を仕事にしたいという夢を叶えた。
しかし、どのようなプロ歌手としてやっていくのか、今後の立ち位置が難しくなろう。
現状は中途半端だ。
アルバム『ワン・チャンス』の驚異的な売り上げは、デビューのご祝儀のようなもの。
ポール・ポッツへの、大勢の期待の表れである。
渾身のエールを送られたら、それに何とか応えたいところ…。



年齢的にも「オペラ」を極めるのは不可能?
素人の私でさえ、ポール・ポッツは声量も技量も及ばないと察しがつく。
したがって、高音を押し出すと平板になり、低音で抑えると聞こえづらい。
目一杯歌おうとするためか、歌唱に深さやニュアンスが乏しく、プロ歌手としての“色気”を欠く。
オペラ歌手と張り合わなければならない理由は一つもなく、私はもっとマイクの使い方に通じるべきだと思う。
少なくとも手に持ったほうがよい。

ポール・ポッツよ。
コメントのなかには、消え去るのは時間の問題との指摘もあった。
どうか独自の世界を築いてほしい。
そして、これから先も私たちを温かい感動に包み込んでほしい。
それは、世界中のごくごく普通の人々に夢と希望を与えつづけること。
私はポール・ポッツの成功を切に願う。

余談―。
私は3名の審査員の真ん中に陣取る女性に惹かれた。
見るからに性格が悪そうな、いや間違えた、性格がきつそうなアマンダ・ホールデン。
彼女の無防備な反応と生意気なコメントが番組を盛りあげ、出場者を引き立てていることに感心した。
外面と内面のギャップが醸し出す雰囲気が憎めない。
ユーチューブの動画を通じて彼女の持つ性根の優しさが漏れ、そして伝わってきた。
とてもチャーミング!

Copyright (c)2009 by Sou Wada

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