「新聞奨学生物語」第3回。
私は、日経育英奨学会で無愛想な所長に引き取られ、「日本経済新聞高円寺専売所」に入店した。
所在地は杉並区高円寺南1丁目。
中野区と杉並区の境界辺り、大久保通り沿いに立地する4階建てビル。
新築後それほど年月が経っていないのでは…。

最寄り駅は国電中央線「中野駅」、徒歩で8分程。
隣の「高円寺駅」、12分程。
私は高円寺駅に出たことがない。
地下鉄丸ノ内線「東高円寺駅」、5分程。
なお、高円寺専売所はいわゆる「新聞販売店」。
とはいえ、おもな業務は販売でなく配達である。
長らく新聞の宅配制度を支えてきた。

また、「専売所(専売店)」とは、1社の新聞しか扱わないという意味。
かならずしも1紙でない。
私が日経高円寺専売所で配ったのは「日本経済新聞」。
日本経済新聞社(本社)が配達請負の契約でも結んでいたのか、ほかにスポーツ紙1紙と業界紙数紙。
こちらは、合計10部に届かなかった。
やがて「日経流通新聞(現在は日経MJ)」が創刊された。
週3回の発行で、こちらも負担になる部数でなかった。
「併売店」は2社以上の新聞を扱う。
東京地区の繁華街やオフィス街、開けた住宅街は、大手新聞社については「専売所」が中心だろう。

しかし、昨今では「専売所」という言葉が消え、カタカナの名称に置き換えられた。
それにともない、「専売」「併売」の区分けもぼやけてきているのかもしれない。
新聞社は実売部数が落ち込めば、配達についても思い切った合理化を推し進めなくてなるまい。
将来、電子化の流れが加速すると、全紙を扱う新聞販売店が登場するのでなかろうか?

                       ◇

私は専売所に到着し、所長から大雑把な説明を受けた。
日経育英奨学会のパンフレットに担当業務は記されていたが、いささか乱暴だった。
まあ、単純な肉体労働だから…。
私はすぐに「新聞配達」に携わった。
それが翌日の朝だったか、翌々日の朝だったか記憶がない。
配達時の運動靴や汗拭きタオル、自室で茶を飲むための湯沸かし(ポット)など雑貨は欲しいはずで、その買い物に中野駅方面に出かけたのでないか。
1日の猶予が与えられた?

最初、私が先輩(前任者)につく。
互いに自転車。
新聞を積むのも配るのも先輩。
冷え込みの厳しい日の朝刊だったことを覚えている。
1軒目の塀の投函口がありありと目に浮かぶ。
その部分だけを忘れない。
もちろん、辺りは真っ暗。
私は、実際の道筋と配達先を「順路帳」に記されたそれと照らし合わせる。
街灯や玄関の明かりが頼り。
しばらくして空が少しずつ白んできた。
このときは先輩に遅れないようにするのが精一杯で、順路帳はまともに見られなかった。
夕刊は明るいので、順路帳を見やすく、周囲の光景などを覚えやすかった。
朝刊と夕刊では人通りがまったく違う。
徐々に新聞を積むのも配るのも私。
最後、先輩が黙って私につく。

多くの配達先を覚えられるか不安に感じる人がいるかもしれない。
しかし、「順路記号」はきわめてシンプルでありながら、とてもよく考えられている。
私は4〜5日間かかった(不確か)。
早いといえないが、とくに遅くもない。
皆がこれくらいの日数で覚えるらしい。
私は方向音痴だが、新聞配達に影響はない。
記憶力の良し悪しもあまり関係がない。
ベテランだと、1日どころか朝刊か夕刊のいずれかにつくと大丈夫。
配達に不可欠の情報は順路帳に記されているからだ。
なお、前任者のつくったそれに自分なりのワンコメントなどを添えると完璧だろう。

先輩は入店し、一人で配達するようになったばかりで退店した。
理由は聞かされなかったし、聞かなかった。
だから、本人に余裕がなく、指導される側は大変だった。
私が覚えたら即座に辞めるとプレッシャーをかけられた。
気性の激しい人だったが、幾度か軽く叱られたくらい。
新聞販売店で働く人はだいたいが穏やかで優しい。
そうでない人もそうなってしまうようだ。

私は初めて一人で配ったとき、3時間半はかかった?
ふらふらになって専売所に戻ってきた。
所長と奥さんが温かく出迎えてくれた。
皆は朝食が済んでおり、一人で食べた。
そのときの味噌汁のおいしさは忘れられない。
大げさと笑われそうだが、感動!
後日、仲間に尋ねたら、全員がそうだった。

私は自室に戻り、ベッドに横たわった。
そして、ささやかな充実感を味わった。
同時に、これが毎日続くのかとも思った。
4年間。
いまは大学が始まっていないから苦にならない。
社会人として仕事をやっているにすぎない。
まもなく学生を兼ねることになる。
しかも、そちらがあくまで「主」。
う〜ん。
それと、生活のリズムをつくっていくのは容易でないと感じた。

実際に引き返せないし、また新聞奨学生になったことに後悔の念はこれっぽっちも持たなかった。
私にとり第一の目的は「上京」。
それがこうして叶ったわけだから…。
しかし、前途は多難だ。

続きは、あした。

以下は、新聞配達(新聞奨学生制度)に関する私の一連のブログ。
⇒11月24日「日経BP社・日経ビジネスの行く手」はこちら。
⇒11月29日「親を捨てる口実…新聞奨学生物語1」はこちら。
⇒11月30日「奨学金の今と昔…新聞奨学生物語2」はこちら。

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