「新聞奨学生物語」第6回。
第5回で新聞配達の実際について述べた。
奨学生にとり一番の関心は、それがどれくらい大変かだろう。
学業にエネルギーを割かなくてならない。
奨学生の負担は、新聞社により違ってくる。
やはり大手の専売所で働くのが有利だ。
しかし、細かく見ていくと、「読者密度」が配達時間に重大な影響を及ぼす。
結局、それは配達の面積と部数の関係で決まる。
職業人生と同じで、新聞奨学生は入店先(入社先)と配達先(配属先)の運不運に左右される。

今回は新聞配達に関わる思い出を綴ろう。

新聞販売店(奨学会?)からユニフォームをあてがわれた。
ベージュのジャンパーと焦げ茶のスラックス。
私は、どうしたらこんなにセンスの悪いものをつくれるのかと呆れた。
地味で冴えない。
ところが、先輩はほとんど着用。
内心、みっともないと思った。
基本は自由なので、私は私服だった。同期の奨学生も…。
正直に言う。
私には専売所の“囚人服”に映った。

入店して半年くらい経って、私はユニフォームを着ることに抵抗感が薄れた。
どうでもよくなったのだ。
そういえば、真冬の氷点下の早朝でも汗をかくので、信じられない薄着だった。
私はこのペラペラのジャンパーを肌の上に直接。
専売所に風邪をひく奨学生などいなかった。

また、自転車がときどきパンクした。
その都度、配達区域から新聞販売店に戻ってくるしかない。
時間の大きなロス。
余っている自転車に新聞を積み替えて出かけた。
しかも、パンクの修理は配達が終わってから自分で行う。
寒い季節だと手がかじかんで、泣きたくなるのでは…。
しかし、私は2回程で、それ以外は専業か所長がやってくれた。
なぜなら、やがてパンクしても戻らずに配りつづけた。
自転車が壊れても知ったものかという気持ち。
そして、思い切り遅い時間に「あーあ、パンクした…」と大騒ぎしながら専売所に戻ってきた。
ふてくされた表情で食事を済ませ、自室に引きこもった。
自転車が重くなるために普段より疲れるのは確かだが、うんざりするほどでもない。
次の新聞配達のとき、なぜかパンクは直っていた。
奨学生として身につけるべきコツを早めに掴んだ。

現在、私は街のつくりがゆったりとした横浜・港北ニュータウンに暮らすせいか、この辺りはわりとバイクで配っている。
断然楽。
配達に自転車を使うところがいくらか減った?
都内(外れは除く)や首都圏の繁華街では、いまだに自転車なのかもしれない。
読者の密集地域などでは徒歩も…。
新聞社だから「エコロジー」への配慮が求められよう。
そのうち電動自転車も用いられるかもしれない。

実は、私は入店後4〜5カ月、新聞販売店とのつきあい方が分かった。
所長にとりもっとも困ることは何か?
第1に、私が配達を放棄すること。
第2に、私が配達を遅延させること。
当時は専売所に代替要員や余分な人手がなかった(現在も?)。
第1はやらなかったが、第2は状況に応じて柔軟に取り入れた。
私は夏頃には心の余裕が得られ、マイペースを貫けるようになった。
肝に銘じたのは、“いい子”にならないこと。
所長に頼りにされてしまう。
奨学生は専業員と訳が違う。

第1と第2は、読者に迷惑をかける。
第1は、同僚に迷惑をかける。
私は、やってはならないことだと考えていた。
が、第2をときどき…。

続きは、3日後。

以下は、新聞配達(新聞奨学生制度)に関する私の一連のブログ。
⇒11月24日「日経BP社・日経ビジネスの行く手」はこちら。
⇒11月29日「親を捨てる口実…新聞奨学生物語1」はこちら。
⇒11月30日「奨学金の今と昔…新聞奨学生物語2」はこちら。
⇒12月1日「いざ新聞配達!…新聞奨学生物語3」はこちら。
⇒12月2日「チラシ折り込み…新聞奨学生物語4」はこちら。
⇒12月3日「新聞配達の実際…新聞奨学生物語5」はこちら。

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