日本は衰退が進んでいる。
これが長期化すると、凋落が決定的になる。
西欧から私たちはエコノミックアニマルとからかわれながら、経済大国を築いていった。
もともと時代が右肩上がりで、企業は成長余地が大きかった。
が、いまや右肩下がり。
頑張るものの、成長が難しい。
規模の縮小を止めるのが精一杯…。

巷に優良企業がないわけでないが、それはおもに経営に長けているからだ。
先人などだれかがつくったビジネスを踏襲したり利用したりして、それをうまく回している。
昨今の環境下で黒字を実現するのは立派だ。
また、雇用に貢献しているのも事実だ。
私はこうした経営者を尊敬する。
しかし、旧来のビジネスで数字を伸ばしているとしたら、どこかの会社から社員が移っているはずだ。
雇用の確保は認められても、創造に至らない。
既存企業の好業績は、そこに革新的な取り組みがなされていようと結局、広い意味での「管理」の勝利でないか…。

日本では有望なビジネスが芽生えるとか新しい産業が育つとか、次なるうねりがなかなか湧き起こらない。
とくに世界に通用するもの。
先行きに希望を見出しにくい。

その原因として指摘されるのは、私たちが「創造」を不得手とすること。
まったくそのとおり。
しかし、それ以上に苦手なのは「破壊」である。

つくろうとすると難しい。
実際、創造らしい創造はきわめて限られる。
ところが、先に壊してしまえばつくらざるをえない。
破壊が創造をもたらす。
この認識が重要だ。
私は、破壊があるから創造があると考える。

言い換えれば、評価すべきは、挑戦による失敗である。
私が知る範囲では、天才が幸運に恵まれた場合にしか成功が先行しない。
多くの失敗の向こうにわずかな成功があるのでないか。
そして、この成功が次の社会や世代を支える。
むろん、いま手に入れている成功が次の社会や世代を支えるわけでない。

私は、とりわけ成熟社会や飽和市場において大事なのは「破壊」だと思う。
まして、行き詰まりが顕著になり、閉塞感が覆っているとしたら…。

では、なぜ破壊できないか。
教育の堕落だ。

本来有為の人材が知識を持つのと引き換えに覚悟を失ったからだ。
例えば、わざわざMBAに入り、起業コースで学んだ挙げ句、行動を起こさない学生がほとんどである。
中途半端…。
評論家になれない評論家ばかり。
それが言いすぎだとしたら、自分が携わる仕事をうまくやろうとする人ばかり。
志が低い…。

創造は凶暴であり、たいていは知性と馴染まない。
そして、成功は創造の報酬である。
正確に述べれば、成功は失敗の報酬である。
ゆえに、成績と成功の間にたいした相関関係はない。

教育の目的は、失敗する人材を社会へ送り込むことだ。
それを第一に担うべきはMBAである。

人は怖くて壊せない。
ゆえに、新しい何かを生み出せない。
経営者の集まりでさえ守りに汲々とする人ばかりで退屈極まりない。
会社が縮むわけだ。
私は、いくつかの経済団体の会合に顔を出したことがあり、化石となっている現実を思い知らされた。
この人たちはいったいいつの時代に生きているのか。

破壊はエリートの特権。
MBAの学生の使命はそれ。
私がアルバイトの時給くらいで講師を引き受けた理由も、壊せる人材を育てたかったから…。
優れたリーダーに日本を救ってほしい。

学生に強調しているのは、「授業を信じるな」。
社会人大学院の基本は実学のはず。
にもかかわらず、例えば起業関連講座の教授や講師が失敗していない。
大問題!
なぜなら、教えることを仕事にしているからだ。
失敗しようがない。
大丈夫、人は行えば、しくじる。
私は断言する。

授業は、自ら考える材料かきっかけにすぎない。
ありがたがって教わっている学生を見ると、がっかりする。
「MBAを取得したい」。
大学や大学院の卒業資格の延長と考える学生も…。

「私の授業など取るに足らない」。
これを冗談と受け止められては困る。

さらに、私が辛くなるのは、自分の持つ知識や技術、手法の豊富さを誇る学生である。
悲惨極まりない。
知識や技術、手法は、そもそも頭の悪い人のためにある。
自ら考えられる人には不要の代物、無用の長物。
この程度のことは子どもでも分かるが、MBAの学生には分からない。
それらを身につけると、創造から遠ざかる。

守っていく力と壊していく力がせめぎ合わない社会は不幸である。
健全性、そして活力が失われていく。
ダイナミックな息吹が感じられない。

失敗と破壊を忌み嫌う日本は、どこまでもすたれ、どこまでも貧しくなる。
凋落は決定的だ。

私自身の生き方や働き方について述べれば、守ってうまくいくより、壊してしくじるほうがしっくりする。
前者に喜びや価値をそれほど見出せない。
もちろん、壊してうまくいくように努力を払ってきたが…。

                       ◇

先頃、私は三菱UFJ東京で「提案営業」の公開セミナーを行った。
あくまで営業強化・再建を主眼としている。

終了後、私は受講者のアンケート用紙をめくり、跳び上がりそうになった。
そこには簡潔な印象がポツンと記されていた。
「破壊と創造を感じた」。

営業セミナーなので、そうした言葉を用いていない。
これは鋭い指摘だ。
剛速球の評価を寄せてくれた。

私は、この仕事をやっていてよかったと思った。
うれしい・・・。

社会にしても企業にしても暮らしにしてもうまくいっていないのに、皆が守ろう守ろうとする。
私はせめてそうした姿勢を突き崩したい。

                       ◇

きょうのテーマと密接に関連するブログとセミナーは以下のとおり。
世界的建築家・安藤忠雄とユニクロ・柳井正を例題に引き、成功のキモを探った。

⇒2009年11月9日「安藤忠雄・柳井正、成功の条件(再録)」はこちら。

このブログに対し、社長からコメントが寄せられた。
「失敗の大切さに気づきました」。
読んでくださったことに感謝しつつ、このコメントは間違いだと思った。
正しくは、「失敗の大切さを知りました」。
私は失敗の大切さを述べており、そのまま。

「知る」と「気づく」の違いが分からない人が圧倒的大多数だ。
「気づき」の最大の特徴は、それを境にして劇的に行動が変わること。
ときに風景が変わる。
一生で0〜3回くらいか。
ごくささやかな気づきは、一年で0〜3回くらいか。
めったにないのが普通だろう。

私たちが気づきを得られるなら、それはもう目覚ましい成長を遂げる。
人の行動を変えさせるのは、気づきレベルに達した認識だけである。
知識はそうでない。
いくらか行動をよくするのが関の山。
自分の成長を遅らせたいと本気で願うなら、知識を得るのがベストだ。

「失敗しないことは努力していないことだと気づきました。あすからどんどん失敗します」。
これはOK。
私はときめく。
が、現実にはこうしたコメントは寄せられない。
それは、知識が行動と交わらないと気づきに変わりにくいこととも関係する。

私は、しくじらない人はサボっている人だと思っている。
まったく評価しない。
できそうなことに甘んじていたり、似たようなことを繰り返していたりするのだろう。

当然ながら、失敗がもっとも必要なのは社長だ。
でなくては、会社を伸ばしていけるはずがない。

今日の経営者の最大の仕事は、会社を変えることだ。
マネジメント、マーケティング、ビジネス、事業、商品、営業・販売…。
変えられない社長は、無能だ。

和田創講演TV人生編「成功の条件を考える」はこちら。
ユーチューブの数分の動画だ。

                       ◇

私はこのブログにおいて「破壊と創造」「知識と気づき」「社会人の学習法」「起業」などについて幾度も述べている。
どうか参考にしていただきたい。

ちなみに、起業とは名刺をつくることである。
気づけない人があまりに多い。

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