テレビ東京で「アスリート感動劇場 1億の心に響く物語」という1時間半番組をやっていた。
私は例により“ながら視聴”。

紹介されたのは、以下の4選手。

東北楽天イーグルス投手の岩隈久志。
グラブには家族の頭文字が刺しゅうされている。

バンクーバー冬季五輪フィギュアスケート女子銅メダリストのジョアニー・ロシェット。
本番直前に、自分を励ましつづけてくれた母を失った。

大宮アルディージャの塚本泰史。
開幕直前に「右大腿骨骨肉腫」に侵されたことを公表し、いまは手術後の治療とリハビリを行っている。

バンクーバー冬季五輪スピードスケート女子団体追い抜き(チームパシュート)銀メダリストの田畑真紀。
チームリーダー田畑真紀は1994年リレハンメル冬季五輪から通算4度目のオリンピック出場で念願のメダルを獲得した。

私は思った。
感動が生まれるのは、自分自身の限界と戦っているからだ。
凡人は一度も経験しないまま人生を閉幕する。
アスリートは凄い。

私は仕事の手を止め、田畑真紀のストーリーに見入ってしまった。
チームメンバー3選手のうちの田畑真紀と穂積雅子が所属するダイチ株式会社が富山市の中小企業だからだ。
私は約40年前に富山県立魚津高校を卒業した。
2選手は富山県民栄誉賞を贈呈された。

番組で、田畑真紀のメダルへの道のりがきわめて険しかったことを知った。
また、彼女の頑張りを羽田雅樹監督がずっと支えつづけたことも…。

                       ◆

以下に、2010年3月9日「五輪銀メダルのダイチは富山中小企業」と題するブログを載せる。

バンクーバー冬季五輪(オリンピック)で日本チームが銀メダルを獲得したスピードスケート女子団体追い抜き(チームパシュート)。
出場3選手のなかの田畑真紀と穂積雅子が所属する「ダイチ株式会社」は富山市の中小企業だった。
社員40名弱の地質調査会社。
私は富山県立魚津高校の卒業だというのに、まったく知らなかった。
父は入善町椚山の出身。
滑川市のかつての両親の実家で暮らす妹夫婦はそれぞれ富山市の会社で働く。
お恥ずかしいかぎり…。

ダイチは公共事業の削減と景気の悪化により、年商がピーク時の半分以下に…。
厳しい経営環境下、田中実会長・洋一郎社長が報酬を削って2人を支援してきた。
年間2千万円〜3千万円の負担は重い。
私は、異業種交流勉強会の時代を含めて「NPO法人営業実践大学」を足かけ16年主宰しているが、持ち出しにひいひい言ってきたので、その大変さがよく分かる。

田中実会長は1994年、「2000年とやま国体冬季大会」へ向けた選手育成を依頼され、地元に恩返ししたいとの一念でスケート部を創設した。
2004年、富士急を退社してスポンサーを探していた田畑真紀を採用。
翌年、高校の後輩の穂積雅子が入社し、五輪を照準に活動を本格化させた。

田中洋一郎社長は社員や家族らと会社で、実会長は現地で応援した。
社長は、「こんな小さな会社でもメダリストを送り出せた。誇りに思う」と涙をにじませた。
会長は会社に戻り、「銀メダルは75年の人生で一番うれしい」と喜びに浸った。
ダイチには祝福の花束やメールなどがたくさん寄せられた。

私はこれも知らなかったが、穂積雅子は初の五輪でありながら出場3種目すべてで入賞を果たした。
非常に立派だ。
相沢病院に所属する小平奈緒も初の五輪でありながら3種目で入賞(出場4種目)。
しかも団体追い抜きのメンバー。
23歳の同年齢。

実会長は温かく厳しい。
穂積雅子について、個人種目のメダルを狙うには、これまで以上の練習が不可欠と指摘することも忘れなかった。
2014年ソチ五輪での金メダルに期待を寄せた。
1年間カナダで武者修行させるプランを練る。
バンクーバー五輪を「競技人生の集大成」と位置付けていた35歳の田畑真紀について、銀メダルは最高の花道になるとねぎらった。

業績はままならないダイチだが、実会長は女子団体追い抜きの3選手を自社で揃えたいとの夢を持つ。
4月には有力選手が入社するらしい。
一段と熱くなりそうだ。

                       ◇

私は、ダイチのホームページを覗いた。
銀メダルの反響の凄さが伝わってくる。
以下に引用。

「お祝い、激励のメッセージ」をありがとうございます。

たくさんの方から、温かいメッセージをいただき、ついに当社のホームページがパンクしてしまいました。大変ご迷惑をおかけしました。
社員一同、感激すると同時に会社始まって以来の反響の大きさにとまどっている状況です。
なかには、「寄付やお祝い金」のお申し出をいただいた方もあり、ただただ感激、感涙に浸っております。しかし、当社といたしましては、お気持ちだけをありがたくいただいておくことにいたしておりますので、悪しからずご了承くださいますようお願い申しあげます。
厳しい経済情勢下ではありますが、今後も会長、社長以下、社員一同、力を合わせてスケート部を支えていく所存ですので、できることならオリンピック後も変わらぬご声援を賜りますようよろしくお願い申しあげます。
ありがとうございました。

ダイチ株式会社 一同

以上。
私は、黒部市のYKK(旧吉田工業株式会社)がいくらか援護できないものかと思ったが、余計なお世話なのかもしれない。
ダイチは富山の誇りだ。
せめて仕事を発注して同社を盛りあげてほしい。
恐らく富山県としてもスポーツ選手の活躍の話題はそれほど多くない。

                       ◆

以下に、2010年3月1日「日本金メダル逃す…女子団体追い抜き」と題するブログを載せる。

バンクーバー冬季五輪(日本語正式名称は第21回オリンピック冬季競技大会)が17日間の会期を終える。
まもなく閉会式。
それにしても惜しかったのは、リッチモンドの「五輪オーバル」で行われたスピードスケート女子団体追い抜き(チームパシュート)決勝。
日本は0.02秒差で本大会唯一の金メダルのチャンスを逃した。
惜しい、足の差!
選手が頑張ったのは事実だ。
しかし、何とかならなかったかというのが、私の率直な気持ち。
選手がもっとも悔しい思いを味わっているのは承知。
最後の五輪出場となる35歳の田畑真紀(たばた・まき)はなおさら…。
何せ対戦相手のドイツは今季ワールドカップ(W杯)の実績では格下だった。
メダルのなかでも「金」は別格!
勝利と呼べるのは、これだけだから…。
それ以外のメダルは、だれかやどこかとの敗北を含む。

日本は1回戦、準決勝、決勝ともにダイチの穂積雅子(ほづみ・まさこ)と田畑真紀、相沢病院の小平奈緒(こだいら・なお)の布陣で臨み、3選手は初の五輪メダルを手にした。
準決勝でポーランドを破って銀メダル以上を決めた後、決勝でドイツに逆転負けを喫した。
しかも最後の1周、いやゴール直前の10メートルで…。
私には、この種目の2連覇にかけたドイツに、日本は「執念」で及ばなかったように映った。
とはいえ、五輪スピードスケートで日本女子は3度の銅メダルが最高であり、銀メダルは快挙。
2006年トリノ五輪では3位決定戦で1人が転倒して4位。

W杯総合1位カナダと2位ロシアが初戦で敗退する番狂わせがあり、3位日本に追い風が吹いた。
団体追い抜きは、W杯ではタイムを競う。
それに対し、五輪では2チームずつ対戦して先着を競う。
勝ったほうが上へ進むトーナメント方式。
3人一組で縦に並び、2チームがリンクの半周ずれた位置から同時にスタート。
空気抵抗の負担を分散するために先頭を交代しながら、女子は6周滑る。
個々の能力に加え、チームワークが大事になる。
そして、3人一組のチームの3番手の選手がゴールした早さで勝敗を決する。

日本選手団最年少、北海道・札内中の15歳、高木美帆(たかぎ・みほ)は補欠に回り、出場機会を得られなかった。
彼女は、「自分はまだメダリストにならなくてよかった。この思いがソチにつながるのかなと思う」と語った。
素晴らしいコメント。
2014年ソチ五輪、日本のエースに成長しているかもしれない。

私の直感がたまたま的中し、日本勢のメダルは5個になった。
内訳は銀メダル3個、銅メダル2個。
金メダルゼロが不幸にも的中してしまった。
だが、この結果は大健闘でなかろうか。
選手に拍手を送りたい。

⇒2010年3月9日「五輪銀メダルのダイチは富山中小企業」はこちら。

⇒2010年3月1日「日本金メダル逃す…女子団体追い抜き」はこちら。

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