先ほどのブログ「豊田章男社長…創業家の誇りと誠実」の続き。
世界で同時に多発したトヨタ自動車のリコール問題に対し、豊田章男(とよだ・あきお)社長が示した手腕は実に見事だった。
本人が消極的だったのか、それとも周囲が“殿”を守ろうとしたのか、最初は表に出てこなかった。
しかし、いったん覚悟を決めてから、豊田章男社長は率先して動いた。
トヨタバッシングの嵐と化した米国では、考えうる最良の対応を取った。
集団訴訟という重いツケは残るにしろ、ブランドイメージの低下、安全神話の崩壊、ユーザーのトヨタ離れなどの損失の拡大を食い止め、一気に騒動の鎮静化を成し遂げた。

また、前3代の社長を引っ張り出さずに一身に責任を負うことにより、就任後ほどなくして社内そしてグループ内を掌握した。
今回の大規模リコールは創業家出身の社長でなければこれほど速やかに終息を図れなかった。
そう思った社員も多かったのでないか。
歴代の社長や経営陣の責任論を封じ込めた結果、自らの権力と勢力を揺るぎないものにした。
だれも豊田章男社長に頭が上がらない。
ただのボンボンと指摘するのは明らかな間違い。
トヨタはそんな男を社長に就かせない。

奥田碩(おくだ・ひろし)社長は低迷にもがき苦しむトヨタを短期で立て直し、その後の「世界一」への足場を築き、道筋をつけた最大の功労者である。
成長に勢いがついてからは「いけいけどんどん」になってしまい、そうした風潮がリコール問題の温床になった。
また、トヨタはもともと閉鎖性・封建性が強く、本社に権限を集中させたまま海外展開を急速に推し進めたこともリコール問題の一因だった(名古屋の土地柄と無関係でない)。
しかし、だからといって、奥田碩社長(会長)を単に批判するのは明らかな間違い。
私は、彼の存在があったからトヨタは今日の名誉と隆盛を得られたと考える。

実際、私は名古屋で公開セミナーの講師を毎年務めてきたが、参加者の反応から大勢がトヨタの「拡大路線」の恩恵に浴していると感じた。
世の中に完璧な経営者はいないということだ。
奥田碩も例外でなかった。
それにより過去の功績が否定されるわけでない。
トヨタを頂上に押しあげた立役者!

⇒2009年7月10日「奥田碩(講演TV賢人編)」はこちら。

稀代の変革リーダー、奥田碩の名言を取りあげ、私なりに思うところを述べた。

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私は明後日、名古屋の三菱UFJリサーチ&コンサルティングでSQUETセミナー「本物の提案営業の考え方・進め方」の講師を務める。
これまでに主要都市を訪れたが、名古屋の営業は“周回遅れ”だ。
もっとも古くさい。
モノづくりニッポンを代表する浜松〜名古屋の一帯はシーズ志向、プロダクトアウト発想が根強く残っている。

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