あすから4日間にわたり直江津祗園祭(祇園祭)。
私はこの時期、直江津小学校時代(半世紀前)をかならず思い出す。
地域全体を巻き込んだ唯一のイベントの到来を待ち侘びた。

去年は雨にたたられた。
気温も上がらなかった。
今年は梅雨明けが早く、日本海側の地域に特有の夏の暑さが爆発した。
が、日本気象協会の週間天気によれば、上越(高田)は26日〜29日は快晴というわけにいかない(23日17時発表)。
曇〜曇時々晴。
降水確率は40〜30%。
しかも確度がやや低い予報。
要は、自信がないのだ。
何とか持ち堪えてくれますように…。

上越まつりは7日間にわたり、前半は高田地区、後半は直江津地区で行われる。
その中日、直江津地区では関川(荒川)を下ってくる神輿を屋台と花火が盛大に迎える。
「直江津祇園祭」の幕開け。
盛り上がるのは直江津地区。

私は当時、真行寺幼稚園前の自宅兼事務所(オフィス)、呉羽紡績(後に東洋紡績に吸収合併)支所に暮らしていた。
夕食が終わり、花火の音が聞こえると、幼い頃はおそらく親に手を引かれ、直江津小学校時代は親とともに会場へ向かった。
徒歩7〜8分。
決して広くない道の真上に大輪が開いた。
次第に音が体全体に響くようになる。
懐かしい思い出だ。

あす26日はその花火大会。
私は飛んでいきたい気分。
童心に返り、御幸町の屋台を引く…。

以下に「直江津祗園祭、花火大会、舟形屋台」と題する2009年8月16日のブログを収める。

◇◆◇

私が子どもの頃もっとも楽しみにしていたのは、直江津祗園祭(祇園祭)。
それはもう待ち焦がれた。
7月26日〜29日の4日間(当時は不明)。
梅雨明けのタイミングと重なる。
直江津市が高田市などとの市町村合併を経て上越市となった現在、「上越まつり」の一部という位置づけ。
祭は1週間、前半の3日間は高田地区で、後半の4日間は直江津地区で行われる(これは昔から変わらないらしい)。

そして、直江津祗園祭の始まりを華かに告げるのが直江津花火大会。
いまは「上越まつり大花火大会(直江津地区)」。
5千発の打ち上げ、10万人の人出(当時は不明)。
人口3万人の小都市だったから規模は決して大きくないが、地域住民には最大のイベントだった。
花火大会の会場周辺に、後に述べる舟形屋台(山車)が集結して祗園囃子を奏でる様子は壮観である。
八坂神社(祗園社)から高田地区へ貸し出していた神輿(みこし)が両地区を流れる関川を船で下り、直江津地区に戻ってくる。
神輿の関川河口(花火大会会場)の到着に合わせ、ナイアガラとスターマインの豪華競演が繰り広げられる。

直江津地区の19町内会(当時は不明)がそれぞれ1台、装飾を凝らした舟形屋台(山車)を持っている。
昔、直江津は北前船の寄港地として栄え、千石船が絶え間なく出入りしていた。
舟形屋台はそれをかたどったもの。
これを各町内会の小学生がロープで引っ張る。
掛け声は、男の子が「わっしょい」と発し、女の子が「よいやさ」と受ける。
ニュアンスとしては「わぁーっしょい」「よいやさぁ〜」。

当時、直江津小学校の私も御幸町の舟形屋台(山車)を引いた。
かなりの重労働。
まして夏場なので汗だくになるが、それでも嬉しくて仕方がなかった。
「ご苦労さん」ということで、確かビニール袋に入った駄菓子が配られた。
しかし、それが目当てでない。
ひょっとすると、祗園祭に直江津小学校の鼓笛隊もパフォーマンスを披露したのでないか。
ならば、私は隊長だったので、先頭で指揮棒(指揮杖)を振っている。
記憶が曖昧。

この舟形屋台(山車)の後ろに太鼓が2つ据え付けられており、大人が叩く。
その後ろに笛を吹く大人数名が従う。
日が暮れて青っぽい提灯に明かりが灯ると、舟形屋台は優雅で幻想的な雰囲気に包まれる。
私は子ども心に、とても美しいと感じた。
ちなみに、祗園は京都八坂神社の旧称、祗園祭は京都八坂神社の祭礼。
知らなかった。

直江津祗園祭の4日間の大雑把なスケジュールは以下のとおり(当時は不明)。
1日目は、神輿が関川河口に到着。花火大会が開催。舟形屋台(山車)も会場周辺に集結。
2日目は、舟形屋台が市街巡回。
3日目は、舟形屋台が市街巡回。民謡流し(佐渡おけさのパレード)。
4日目は、舟形屋台がメーンストリート(八坂神社付近の商店通り)に集結。1台ずつ八坂神社に御饌米(おせんまい)を奉納。舟形屋台が解散(各町内会へ)。
なお、奉納では重い俵を担いだ大人が、露店が両脇を埋める八坂神社の百メートル強の参道を本殿目がけ、一気に駆ける。
なかなか勇壮!

私がグーグルで検索したら、生まれ育った直江津を深く愛する方のホームページが見つかった。
小学生、高校生、大学生、青年会と祗園祭にのめり込んだ経験が成長の糧となったと述べている。
氏は、さらに祗園祭が果たしてきた教育面の効用に言及し、その重要性を強調している。
祗園祭は長らく直江津地区で学校とは別の、地域社会のなかでの“学び”の機会になっていたとのこと。

近年、若者が祗園祭を支える青年会に入りたがらず、また小学生が少なくなり、永続が危ぶまれるのだとか…。
そのため、大人が担ってきた太鼓と笛を、中高生を含めた子どもが受け持つように…。
町内会によっては舟形屋台(山車)を引く小学生がほとんどいない。
また、地方衰退と人口減少の影響が祗園祭の沿道に現れている。
舟形屋台が集まっても人出が少なく、かつての熱狂が失われている。
地域住民の祗園祭に対する関心がかなり下がった。
私が子どもの頃は皆、祗園囃子が聞こえてくるだけで家の外に飛び出し、舟形屋台を探し歩いた。

ところで、私は「直江津屋台会館」ができたことは知っていたが、食べ物の屋台が揃う、観光客向けの飲食施設をイメージしていた。
何と食い意地が張っているのか。
そうでなく、祗園祭で繰り出される19町内会の舟形屋台(山車)を収蔵・展示しておくためにつくられた施設だった。
となると、明るい照明のもとですべての舟形屋台を四方八方から眺められる。

私は元気なうちに、直江津祗園祭を4日間じっくりと楽しみたい。
子どもの頃に覚えた胸の高鳴りを、もう一度取り戻したいのだ。
夢は叶うか?
両親と一緒というわけにいかない…。

◇◆◇

直江津祗園祭に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月8日「夏の風物詩・花火大会ランキング」はこちら。

⇒2009年8月16日「直江津祗園祭、花火大会、舟形屋台」はこちら。

ホテルハイマートの駅弁「鱈めし」に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月15日「絶品駅弁! 直江津ハイマート鱈めし」はこちら。

⇒2009年9月21日「漁師まかない飯…直江津漁港」はこちら。

かなざわ総本舗「出陣餅」に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月4日「上杉謙信・出陣餅と武田信玄・信玄餅」はこちら。

⇒2009年8月29日「筑紫もち、信玄餅、出陣餅、三つ巴」はこちら。

直江津途中下車に関するブログは以下のとおり。

⇒2007年4月25日「生まれ故郷・直江津へ自分探しの旅」はこちら。

⇒2008年2月17日「故郷・直江津にマイミク」はこちら。

⇒2009年8月30日「関川と荒川…直江津を流れる川」はこちら。

⇒2010年3月10日「直江津ホテルハイマートに宿泊予約」はこちら。

直江津小学校時代に関するブログは以下のとおり。

⇒2007年3月11日「NHK・桜井洋子さんの活躍が励み」はこちら。

⇒2008年2月26日「上越・高田の観桜会…日本三大夜桜」はこちら。

⇒2009年4月4日「桜の名所、高田城址と高遠城址」はこちら。

⇒2009年4月5日「意外、人口最多は新潟県」はこちら。

⇒2009年7月22日「46年前の皆既日食」はこちら。

⇒2009年7月24日「感激! 生まれ故郷・直江津から…」はこちら。

⇒2010年3月11日「心にぽっかり穴…直江津小学校卒業式」はこちら。

⇒2010年3月17日「卒業式シーズン…大人への通過儀礼」はこちら。

⇒2010年3月20日「校歌を歌ってみなさい…就活・面接」はこちら。

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