私は、シンガーソングライター、アンジェラ・アキの特集番組をいくつか見る機会があった。
例により、ながら視聴。
2つ気になることがあり、インターネットで調べてみた。
第1は「言葉」。
西のほうの言葉というのは分かったが、関西弁、とくに大阪弁とは違う。
が、私は親しみを感じた。
それもそのはず、アンジェラ・アキは徳島弁(阿波弁)を話していたのだ。
私はいまから43〜44年前、徳島県小松島市で1年2カ月ほど暮らした。
粗末な4軒長屋が幾棟も並んだ社宅団地である。
東洋紡績小松島工場の従業員用につくられた。
私は小松島市立小松島中学校を卒業し、徳島県立城北高校に入学した。
短い期間だったので徳島弁を話せなかったが…。
第2は「気品」。
私は、アンジェラ・アキの楽曲に接し、思春期に相当な苦労を味わったとの印象を受けた。
おそらく“貧しさ”から這いあがってきた…。
しかし、アンジェラ・アキはすらりとした外見と合わせ、どこか気品が漂う。
Tシャツとジーンズといういでたちに、トレードマークみたいなメガネ。
知性も漂う。
変だなぁ…。
それもそのはず、裕福な家庭の生まれだった。
しかも教育熱心な家庭…。
本名は、安藝アンジェラ。
父は、英会話スクールイーオン社長・安藝清(あき・きよし)。
母は、イタリア系アメリカ人。
3歳からピアノを習い、小学校卒業までを徳島県で、中学校卒業までを岡山県で過ごす。
その後ハワイ州へ渡り4年制の高校に通い、大学からワシントンD.C.で過ごす。
イーオンの前身は、1973年に開設された徳島市の英会話教室「アンビック」。
外国人と会話を交わせると評判になった。
現在は岡山市が本社である。
「ベネッセコーポレーション(旧福武書店)」を生むなど、教育産業が盛んな土地柄だ。
1977年生まれのアンジェラ・アキの苦労は経済面でなく、ハーフだったことに起因していた。
それと、成功を収めるまでの道のりの険しさ。
が、こちらはほとんどの歌手が辿ったはずだ。
私が四国へ渡り、真っ先に体全体で感じたのは、本州にない“息苦しさ”である。
それは染みついた風土だろう。
アンジェラ・アキはとくに小学生時代、周りから興味本位の視線を浴びせられた。
時代はずっと遡るが、夏目漱石の「坊っちゃん」を思い起こせば、イメージが湧きやすい。
また、地味な片田舎で家庭が豊かだったことも余計注目の的になりやすかった。
本人は番組で「いじめ」という言葉を使わなかったが、からかわれるなど、嫌な思いをしたのか…。
アンジェラ・アキ。
世間の尺度では、生まれ育った環境は恵まれていた。
が、自分がつらいと思うことがつらい。
中学時代まで日本で暮らすことに違和感と疎外感を抱きつづけていたのかもしれない。
この原体験が彼女の音楽を特徴づけていく。
そして、悩める若い世代にエールを送るという独自の音楽世界とブランドイメージを確立した。
ピアノを叩くように弾く演奏スタイルがそれを引き立たせる。
これからも根強い人気を保つだろう。
私はふと思った。
日本は経済どころか社会の国際化が進み、20〜30年も経たないうちに「ハーフ」はステイタスに変わっている。
その頃には「英語」が第2母国語になっているはずだ。
◇
以下に、アンジェラ・アキのプロフィールを示す。
おもにウィキペディアによった。
アンジェラ・アキは学生時代から音楽を通じて人とつながりたいと活動を始める。
大学卒業後はOLやアルバイトのかたわら、クラブやライブハウスで歌う。
2001年に自作の楽曲がCMソングに採用され、それをきっかけにプロを志して帰国する。
下積み生活を過ごし、2005年にシングル「HOME」でメジャーデビューを果たす。。
2006年にアルバム「HOME」がヒットし、日本武道館でピアノ弾き語りライブを開催する。
さらに、NHK紅白歌合戦に出場する。
2008年にNHK全国学校音楽コンクール中学生の部の課題曲に「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」を提供する。
私が見た特集番組の一つは、この課題曲と関連していた。
◇
以前、NHK番組「こころの遺伝子」にアンジェラ・アキが出演した。
「Take a chance on you(自分にかけてみなさい)」。
職場の上司に呼び出され、かけられた言葉を胸に、プロ歌手を目指した。
そして、ついに失敗と挫折を乗り越えた。
以下は、そのブログ。
⇒2010年5月4日「アンジェラ・アキと浅田真央の失敗」はこちら。
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例により、ながら視聴。
2つ気になることがあり、インターネットで調べてみた。
第1は「言葉」。
西のほうの言葉というのは分かったが、関西弁、とくに大阪弁とは違う。
が、私は親しみを感じた。
それもそのはず、アンジェラ・アキは徳島弁(阿波弁)を話していたのだ。
私はいまから43〜44年前、徳島県小松島市で1年2カ月ほど暮らした。
粗末な4軒長屋が幾棟も並んだ社宅団地である。
東洋紡績小松島工場の従業員用につくられた。
私は小松島市立小松島中学校を卒業し、徳島県立城北高校に入学した。
短い期間だったので徳島弁を話せなかったが…。
第2は「気品」。
私は、アンジェラ・アキの楽曲に接し、思春期に相当な苦労を味わったとの印象を受けた。
おそらく“貧しさ”から這いあがってきた…。
しかし、アンジェラ・アキはすらりとした外見と合わせ、どこか気品が漂う。
Tシャツとジーンズといういでたちに、トレードマークみたいなメガネ。
知性も漂う。
変だなぁ…。
それもそのはず、裕福な家庭の生まれだった。
しかも教育熱心な家庭…。
本名は、安藝アンジェラ。
父は、英会話スクールイーオン社長・安藝清(あき・きよし)。
母は、イタリア系アメリカ人。
3歳からピアノを習い、小学校卒業までを徳島県で、中学校卒業までを岡山県で過ごす。
その後ハワイ州へ渡り4年制の高校に通い、大学からワシントンD.C.で過ごす。
イーオンの前身は、1973年に開設された徳島市の英会話教室「アンビック」。
外国人と会話を交わせると評判になった。
現在は岡山市が本社である。
「ベネッセコーポレーション(旧福武書店)」を生むなど、教育産業が盛んな土地柄だ。
1977年生まれのアンジェラ・アキの苦労は経済面でなく、ハーフだったことに起因していた。
それと、成功を収めるまでの道のりの険しさ。
が、こちらはほとんどの歌手が辿ったはずだ。
私が四国へ渡り、真っ先に体全体で感じたのは、本州にない“息苦しさ”である。
それは染みついた風土だろう。
アンジェラ・アキはとくに小学生時代、周りから興味本位の視線を浴びせられた。
時代はずっと遡るが、夏目漱石の「坊っちゃん」を思い起こせば、イメージが湧きやすい。
また、地味な片田舎で家庭が豊かだったことも余計注目の的になりやすかった。
本人は番組で「いじめ」という言葉を使わなかったが、からかわれるなど、嫌な思いをしたのか…。
アンジェラ・アキ。
世間の尺度では、生まれ育った環境は恵まれていた。
が、自分がつらいと思うことがつらい。
中学時代まで日本で暮らすことに違和感と疎外感を抱きつづけていたのかもしれない。
この原体験が彼女の音楽を特徴づけていく。
そして、悩める若い世代にエールを送るという独自の音楽世界とブランドイメージを確立した。
ピアノを叩くように弾く演奏スタイルがそれを引き立たせる。
これからも根強い人気を保つだろう。
私はふと思った。
日本は経済どころか社会の国際化が進み、20〜30年も経たないうちに「ハーフ」はステイタスに変わっている。
その頃には「英語」が第2母国語になっているはずだ。
◇
以下に、アンジェラ・アキのプロフィールを示す。
おもにウィキペディアによった。
アンジェラ・アキは学生時代から音楽を通じて人とつながりたいと活動を始める。
大学卒業後はOLやアルバイトのかたわら、クラブやライブハウスで歌う。
2001年に自作の楽曲がCMソングに採用され、それをきっかけにプロを志して帰国する。
下積み生活を過ごし、2005年にシングル「HOME」でメジャーデビューを果たす。。
2006年にアルバム「HOME」がヒットし、日本武道館でピアノ弾き語りライブを開催する。
さらに、NHK紅白歌合戦に出場する。
2008年にNHK全国学校音楽コンクール中学生の部の課題曲に「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」を提供する。
私が見た特集番組の一つは、この課題曲と関連していた。
◇
以前、NHK番組「こころの遺伝子」にアンジェラ・アキが出演した。
「Take a chance on you(自分にかけてみなさい)」。
職場の上司に呼び出され、かけられた言葉を胸に、プロ歌手を目指した。
そして、ついに失敗と挫折を乗り越えた。
以下は、そのブログ。
⇒2010年5月4日「アンジェラ・アキと浅田真央の失敗」はこちら。
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