今年もまた徳島阿波おどりの夏が近づいてきた。
地元では本番前の練習がピークに達しているのでないか。
蒸し暑い徳島の蒸し暑い盆休みに催される。
街中が踊る阿呆の熱狂と見る阿呆の感動に包まれる。
8月12日〜15日の4日間、すべてが沸き立つ・・・。

私にとり徳島での生活、そして阿波おどりは特別の感懐がある。
父が職業人生を転落しはじめた時期と重なるからだ。

以下に、「日本の祭『阿波おどり』の天水たち」と題する2009年11月14日のブログを収める。
ついては、いくらか手を入れた。

                      ◇◆◇

以前、NHKで「日本の祭2009 こころ踊る天水の夏 徳島阿波おどり」を見た。
徳島がもっとも燃えるのが阿波おどり。
「天水」とは、天からの水と踊りさえあればいいという踊り好きのこと。
番組は、天水たちが熱狂する阿波おどりの世界を伝えた。
ゲストは、倉科カナ(連続テレビ小説「ウェルかめ」ヒロイン)、羽田美智子、星野知子。
解説は、岡秀昭(娯茶平連長)、山田実(天水連連長)。
場所は、藍場浜演舞場。

「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」。
三味線、太鼓、鉦、横笛などの2拍子の伴奏に乗り、踊り手の集団である「連」が踊り歩く。
女は優雅に、男は腰を落として豪快に…。

私は40年以上前を思い出した。
高校1年生の夏に1度だけ家族で阿波おどりを見たことがある。
東洋紡績の桟敷席だった(うろ覚え)。
目の前で踊りが延々と繰り広げられた。
額の汗が見えるのはもちろん、激しい息づかいが聞こえる。
男踊りは体力の消耗が凄まじい。
非常に過酷だ。

                       ◇

私は徳島県小松島市で14カ月暮らした。
小松島市立小松島中学校が5カ月強。徳島県立城北高校が9カ月弱。
実は印象が悪い。
それは徳島のせいでなく、私、正確に言えば家族の問題だった。
呉羽紡績が東洋紡績に吸収され、出世街道を着実に歩んでいた父は肩書を奪われ、徳島へ飛ばされた(徳島が辺ぴという意味でない)。

降格にともない、住環境が一戸建てから、東洋紡績小松島工場の従業員が暮らす長屋へ。
生活が一変した。
両親は愚痴をこぼさなかったが、つらかったろう。
家庭から笑い声が消えた。
何もかもつまらなかった私は、滑稽な踊りも表情もむなしく思えた。

後に富山県から上京し、若い頃は中野(杉並区高円寺南)、東小金井、西荻窪、三鷹と一貫して中央線沿線に暮らした。
にもかかわらず、高円寺の商店街(?)で催される「東京高円寺阿波おどり」に一度も行っていない。
いまや百万人程が繰り出す、東京の代表的な夏祭の一つ。
私のなかで阿波おどりは徳島時代の苦しい記憶とつながっていたのだ。

40年以上の歳月を経て、当時のわだかまりから解き放たれ、阿波おどりを心から楽しむことができた。
番組の進行につれ、懐かしい感情が広がってきた。

                       ◇

ところで、当時もそうだったのだが、改めて徳島の経済的な貧しさを感じた(私の印象であり、データは確かめていない)。
阿波おどりは、道路と人力があれば、たいしたカネがかからない。
地元の人たちは長らく情熱を注ぎ、大切に祭を育てあげた。
約4百年の歴史があり、日本三大盆踊りに数えられる。

番組では、阿波おどりに自分の人生を重ね合わせる人が大勢いることが紹介された。
1年が祭を中心に回っているのだ。
まさしく阿呆…。
また、私には変わらないように見えるが、天水たちはつねに新しい阿波おどりを創造しようと努力を惜しまないらしい。
当時はとても思い至らなかった。

父は、この後何もかもうまくいかなくなっていく。
それをすぐそばで見るのは嫌だった。
両親は経済面でも大変だったが、精神面でも地獄の状態が十年ほど続くことになる。

私は富山の実家を飛び出したい一心で、日本経済新聞社の奨学制度(日経育英奨学会)を利用し、明治大学への進学を強行した。
地元に残ってほしいとの両親の希望、とくに父の願いを振り払って…。

                       ◇

私はナマで阿波おどりに触れたいと思った。
徳島を訪れる機会が得られるだろうか。
それが難しいなら高円寺へ出かけたい。

⇒2009年11月14日「日本の祭『阿波おどり』の天水たち」はこちら。

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