きのうのブログの続き…。
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
私はすっかりはまっている。
一昔前マイブームという言葉があったが、それ…。

私が結婚後、フリーランスとして自立しようと奮闘した過程をそっくり再現してくれているかのようだ。
極貧生活の脱出、その後の仕事とアシスタントの膨張…。
懐かしい!
視聴率も最近の“朝ドラ”ではいいらしい。
原案の重み、そして脚本(シナリオ)の面白さが効いているのは当然として、松下奈緒(村井布美枝)と向井理(村井茂。水木しげる)ほか出演者の好演が光っている。

                       ◇

私は十代後半ぼんやりと絵画や陶芸、書など芸術の道に憧れを抱いていた。
しかし、そうした大学へ進学しようにも、何の素養も持たず、何の訓練も積んでいなかった。
家族の崩壊に直面しており、加えて家庭の経済が困窮していた。

そこで、日経育英奨学制度(新聞社奨学金)を利用し、明治大学経営学部に入学した。
それでも夢を諦め切れず、同人誌に加わって詩を投稿したり、コンサートホールや専門喫茶に通ってクラシック音楽を鑑賞したりした。
芸術家の気分を少しでも味わってみたかったのだろう。

しかし、同棲の長かった妻(前妻)と結婚を決意し、家庭を持った瞬間に夢を捨てた。
青春との決別である。
生活が成り立つかどうかも分からず、食べていくことを優先したのだ。
また、芸術を目指したところでモノにならないことに気づいていた。

チューリップの不朽の名作「青春の影」で歌われる世界にどこか通じる。

⇒2010年8月13日「財津和夫、青春の影、歌詞の意味…昭和の名曲」はこちら。

私は、明治大学5年中退(除籍?)という学歴もネックになり、サラリーマンに収まることがきわめて難しかった。
働きたい職場も就きたい職業も見つけられなかった。
社会からドロップアウトしていた。

自分がやっていけるかもしれないとしがみついたのが、フリーランスのプランナーだった。
世間にまったく認知されていない仕事である。
外部から知恵(企画)を買うという発想や慣行が、企業になかった。

                       ◇

ほかに選択肢がなかったとはいえ、私は絶望的な第一歩を踏み出してしまった。
細い道も敷かれておらず、自力で切り拓くしかないとすぐに感じた。
が、家族の生活がかかっており、途中で引き返すことができなかった。
妻は黙って私についてきた。

当時、奇異な商売に映ったようで、私は周りからよく珍しがられた。
裏を返せば、笑われたことになる。
私自身も勝算が見えていなかったので、当然か。

続きは、あしたのブログで…。

                      ◇◆◇

「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。

⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。

⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。

⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

◆書き加え1(8月20日)

村井布美枝は、「主人は腕のことで愚痴めいたことを一言も言ったことがありませんから…」(うろ覚え)。
私は、水木しげるは凄いと思う。
同時に、その背景もいくらか分かった。

水木しげるは戦地で腕をやられていなかったら、おそらく生きて戻れなかった。
この負傷により後方に退くことに…。
「腕一本失ったおかげで命が助かった」(うろ覚え)。

彼が属した隊は丸ごと消滅した。
総員玉砕の命令に背き、大半がゲリラ戦へ転じたものの命を落とし、残った者は別の隊に組み込まれた。

水木しげるには、死んでいった仲間の叫びが聞こえてくる。
「おれたちのことを描いてくれ」(うろ覚え)。

私の父は、自分と順番が入れ替わって1日(?)先に広島に入った戦友のことをいつまでも忘れなかった。
後年、母から聞かされた。

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