NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)は漫画の注文がぱったりと途絶えた。
仕事がなければ、こうした会社はつぶれる。
水木しげる(村井茂。武良茂)はずっとアクセルを吹かして職業人生を突っ走ってきた。
食べるのがやっとだったから、仕事漬けの状態。
したがって、人生そのものを突っ走ってきたことになる。
長年の蓄積疲労が噴出したのか、これまで打ち込んできた「妖怪漫画」に価値を見出せなくなった。
それは自分の存在を完全に否定することだ。
水木しげるに大きな異変が起こっていた。
顔から、全身から生気がすっかり失せた。
大変なときは数え切れないほどあったが、つねに前向きに頑張ってきた夫、父…。
それは、家族が一度も見たことのない姿だった。
村井布美枝(武良布枝)はもとより、藍子も喜子も激しいショックを受けた。
「おとうさん、変」。
中学3年生の喜子は勉強が嫌いだから高校に進学しないと言い出した。
皆が家計を心配していた。
水木家に“貧乏神”が戻ってきた。
今度は水木プロダクションまで巻き込む。
布美枝は何もできなくてつらいと、娘たちにつぶやいた。
夫が困っているというのに…。
稼げるのは水木しげる以外にだれもいない。
「先生商売」とはそうしたものだ。
結局、先生がすべて。
私は、意気消沈した松下奈緒と向井理を初めて見た。
夫婦はどんなときにも元気だけは失わなかった。
私がドラマにのめり込んでいるせいか、違和感を持った。
二人に笑顔を取り戻してほしい。
なお、久し振りにアシスタントが登場した。
水木プロダクションの創設時からいる3人のうちの1人「点々」を含め、2人が残っていた。
毎日が仕事場の資料整理である。
私は思い出した。
リーマンショック後に「提案営業研修」に伺った製造業(メーカー)では、毎日が工場の清掃だった。
建物の内外、ガラス、生産ライン、どこも十分にピカピカである。
従業員の不安そうな表情を忘れられない。
◇
息子と同居したいと一方的に押しかけてきたとはいえ、水木しげるは両親がいる。
事務員兼マネジャーの実弟もいる。
重圧が両肩にのしかかっていた。
といっても、左腕が付け根からない。
水木しげるはぎりぎりの精神状態に追い込まれていた。
それを助けられない布美枝はもっと苦しんでいた。
信じるしかない、祈るしかない…。
◇◆◇
「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。
絶頂からどん底へ急降下!
⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。
⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。
⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。
◆書き加え1(9月1日)
水木しげると次元はまったく違うが、私も先生商売である。
ただし、稼げるのは私以外にいないという点は、完全に一致する。
妻は、私が困っても何もできなくて、さぞかしつらかろう。
私に頼るしかない。
水木しげるは「仕事のことに口を出すな」の一点張りだった。
だから、布美枝はまだ救われた。
しかし、私は自分の仕事に対していろいろ言ってほしいし、少しでも手伝ってほしいと考えるほうだ。
とくに知恵を求めている。
そして、それを妻はよく分かっている。
が、私の期待に応えることができない。
そこに妻は苦悩と負い目を感じている。
自分がそれ以外でいかに頑張っているか、私にアピールしたがる。
私は、妻がさぼっていると思ったことは一度もない。
とても感謝している。
私の仕事をいくらか助けてもらいたいと願うのは、ムリな注文なのだろうか?
◆書き加え2(9月1日)
わが家は最多で8人家族だった。
私が両親を呼び寄せた。
さらに、アメリカンショートヘアが5匹。
2000年前後のこと。
ほかに、株式会社和田創研、NPO法人営業実践大学。
当時は講師が私一人であり、すべてを支えたことになる。
どこからそんなエネルギーが湧き出たのか、いまとなっては不思議である。
私は老いた…。
Copyright (c)2010 by Sou Wada
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株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)は漫画の注文がぱったりと途絶えた。
仕事がなければ、こうした会社はつぶれる。
水木しげる(村井茂。武良茂)はずっとアクセルを吹かして職業人生を突っ走ってきた。
食べるのがやっとだったから、仕事漬けの状態。
したがって、人生そのものを突っ走ってきたことになる。
長年の蓄積疲労が噴出したのか、これまで打ち込んできた「妖怪漫画」に価値を見出せなくなった。
それは自分の存在を完全に否定することだ。
水木しげるに大きな異変が起こっていた。
顔から、全身から生気がすっかり失せた。
大変なときは数え切れないほどあったが、つねに前向きに頑張ってきた夫、父…。
それは、家族が一度も見たことのない姿だった。
村井布美枝(武良布枝)はもとより、藍子も喜子も激しいショックを受けた。
「おとうさん、変」。
中学3年生の喜子は勉強が嫌いだから高校に進学しないと言い出した。
皆が家計を心配していた。
水木家に“貧乏神”が戻ってきた。
今度は水木プロダクションまで巻き込む。
布美枝は何もできなくてつらいと、娘たちにつぶやいた。
夫が困っているというのに…。
稼げるのは水木しげる以外にだれもいない。
「先生商売」とはそうしたものだ。
結局、先生がすべて。
私は、意気消沈した松下奈緒と向井理を初めて見た。
夫婦はどんなときにも元気だけは失わなかった。
私がドラマにのめり込んでいるせいか、違和感を持った。
二人に笑顔を取り戻してほしい。
なお、久し振りにアシスタントが登場した。
水木プロダクションの創設時からいる3人のうちの1人「点々」を含め、2人が残っていた。
毎日が仕事場の資料整理である。
私は思い出した。
リーマンショック後に「提案営業研修」に伺った製造業(メーカー)では、毎日が工場の清掃だった。
建物の内外、ガラス、生産ライン、どこも十分にピカピカである。
従業員の不安そうな表情を忘れられない。
◇
息子と同居したいと一方的に押しかけてきたとはいえ、水木しげるは両親がいる。
事務員兼マネジャーの実弟もいる。
重圧が両肩にのしかかっていた。
といっても、左腕が付け根からない。
水木しげるはぎりぎりの精神状態に追い込まれていた。
それを助けられない布美枝はもっと苦しんでいた。
信じるしかない、祈るしかない…。
◇◆◇
「株式会社水木プロダクション(調布市。武良茂社長)」に関するブログは以下のとおり。
絶頂からどん底へ急降下!
⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。
⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。
⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。
◆書き加え1(9月1日)
水木しげると次元はまったく違うが、私も先生商売である。
ただし、稼げるのは私以外にいないという点は、完全に一致する。
妻は、私が困っても何もできなくて、さぞかしつらかろう。
私に頼るしかない。
水木しげるは「仕事のことに口を出すな」の一点張りだった。
だから、布美枝はまだ救われた。
しかし、私は自分の仕事に対していろいろ言ってほしいし、少しでも手伝ってほしいと考えるほうだ。
とくに知恵を求めている。
そして、それを妻はよく分かっている。
が、私の期待に応えることができない。
そこに妻は苦悩と負い目を感じている。
自分がそれ以外でいかに頑張っているか、私にアピールしたがる。
私は、妻がさぼっていると思ったことは一度もない。
とても感謝している。
私の仕事をいくらか助けてもらいたいと願うのは、ムリな注文なのだろうか?
◆書き加え2(9月1日)
わが家は最多で8人家族だった。
私が両親を呼び寄せた。
さらに、アメリカンショートヘアが5匹。
2000年前後のこと。
ほかに、株式会社和田創研、NPO法人営業実践大学。
当時は講師が私一人であり、すべてを支えたことになる。
どこからそんなエネルギーが湧き出たのか、いまとなっては不思議である。
私は老いた…。
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