私は、岩波書店の「広辞苑」を“版”が変わるたびに買い求めてきた。
40歳以前はプランナーとして企画書を作成し、40歳以後は講師としてテキストや書籍などのコンテンツを作成した。
贅沢にも“総革装”を持ったこともある。
しかし、非常にかさ張るので、本棚に収める。
そこで、合わせて岩波の国語辞典(デスク版)や三省堂の国語辞典(机上版)を備えていた。
どちらもたいして大きくない。
正直に言えば、それでもページを繰るのはきわめてまれだった。
手書きの時代では、漢字が分からないと辞書で調べるしかない。
いくらか使った。
が、ワープロが登場した。
辞書を引くのは、意味が曖昧なときが中心である。
私はその手間が煩わしく、適当に言葉を用いてきた。
結局、ほとんど使わなかった。
辞書とはそうしたものだと思っていた。
ところが、私は電子辞書を購入し、デスクワークに携わる日は幾度も引くようになった。
ちょっとでも疑問や不安を感じると、すぐに当たる。
それまでの横着がうそのよう。
いまはデスクトップパソコンのキーボードの隣に置いている。
一番手近だ。
どうせならとカシオ製の上位機種を購入し、2年少々しか経っていない。
先だって量販店の店頭で見た最新機種は文字がとてもきれいであり、しかもカラー画面だった。
私の電子辞書と別次元。
写真やイラストなどのビジュアル情報が豊富に含まれたコンテンツを楽しめる。
機能も進化しているようだ。
私は、紙の辞典や事典を買い求めることがなくなるだろう。
利便性において比較にならない。
電子書籍端末も登場した。
電子辞書は今後、他の機器と複合するのか、他の機器に吸収されるのか…。
以下に、「電子辞書に驚き!」と題する2008年6月23日のブログを収める。
いくらか手を加えた。
◇◆◇
私は何事も奥手だ。
とりわけ目新しいモノやコトに対し、億劫と感じる。
私は職業柄、辞典や事典を引く機会が多い。
電子辞書がいいという話はしばしば耳にしたが、つい最近まで“現物”にこだわっていた。
使い慣れたものをわざわざ替える必要はないとの気持ちが強かった。
ところが、私が尊敬する知人から呆れ顔とともに電子辞書を強く勧められ、半信半疑で買った。
…実際に使ってみて、あまりの便利さに驚きを隠せない。
コンテンツは百種類!
このなかには百科事典も含まれるので、百冊以上がコンパクトな機器のなかに収められている。
これを本(紙媒体)で購入するとなると金額が膨らむし、何よりもスペースを食う。
電子辞書は机の隅にちょこん。
例えば、私がもっとも頼りにする岩波書店の「広辞苑」は大きく重い。
本棚に取りにいき、机に持ってきて、おもむろに開く。
そして、本棚に戻しにいく。
箱の出し入れもある。
面倒臭い。
それ以前に、私は腰痛・背筋痛・肩痛を抱えており、イスから立ちあがるのが苦労である。
たった一つの言葉を調べるだけなのに…。
これが電子辞書では手軽に行える。
いや瞬時に済ませられる。
机の上はパソコンと周辺機器、当面の仕事に関わる資料などに占領され、それほど使わない辞典を置く余裕がない。
もう一つメリット。
私はひどい近視と乱視に老眼が加わり、大きくなった新聞の本文記事さえ読みにくい。
細かな文字が宿命の辞典だとメガネを外し、ページに鼻を近づけるようにして読まなければならない。
そしてメガネをかけ、パソコンの文書や原稿に向かう。
こうした時間がバカにならず、そのうえ目も疲れる。
電子辞書では自分の視力に応じて文字の大きさを変えられるので、これまでの煩わしさと辛さからも解放された。
そう、老人にやさしい。
変化が激しい時代では、私のような奥手は損をする?
ダメでもともとというくらいの気持ちで、技術革新により誕生する商品やサービスを果敢に試したほうがよいのかもしれない。
こんな優れものならもっと早い時期に使うべきだった。
ホント、後悔している。
ただし、電子辞書では気ままにページをめくる使い方ができにくい。
例えば、名言集やことわざ辞典から“好きな言葉”を見つける場合に適さない。
あくまでも“何か”を調べる際に絶大な威力を発揮することを付け加えておこう。
目的性の強い利用に限られる。
いや、待てよ。
多様なコンテンツの横断閲覧が可能なので、その過程で発見や遊びといった喜びも得られるのか…。
確かに本では叶えられない。
私が単に電子辞書の使い方が分かっていない?
そういえば、通販会社からわが家に電子辞書が届いたとき、私より先に使った小学5年生の子どもが満足気な表情で返しにきた。
説明書など読まなかったようだ。
若い世代はいとも簡単に使いこなす。
ひょっとして彼らは電子辞書を楽しむ?
Copyright (c)2010 by Sou Wada
←応援、よろしく!
40歳以前はプランナーとして企画書を作成し、40歳以後は講師としてテキストや書籍などのコンテンツを作成した。
贅沢にも“総革装”を持ったこともある。
しかし、非常にかさ張るので、本棚に収める。
そこで、合わせて岩波の国語辞典(デスク版)や三省堂の国語辞典(机上版)を備えていた。
どちらもたいして大きくない。
正直に言えば、それでもページを繰るのはきわめてまれだった。
手書きの時代では、漢字が分からないと辞書で調べるしかない。
いくらか使った。
が、ワープロが登場した。
辞書を引くのは、意味が曖昧なときが中心である。
私はその手間が煩わしく、適当に言葉を用いてきた。
結局、ほとんど使わなかった。
辞書とはそうしたものだと思っていた。
ところが、私は電子辞書を購入し、デスクワークに携わる日は幾度も引くようになった。
ちょっとでも疑問や不安を感じると、すぐに当たる。
それまでの横着がうそのよう。
いまはデスクトップパソコンのキーボードの隣に置いている。
一番手近だ。
どうせならとカシオ製の上位機種を購入し、2年少々しか経っていない。
先だって量販店の店頭で見た最新機種は文字がとてもきれいであり、しかもカラー画面だった。
私の電子辞書と別次元。
写真やイラストなどのビジュアル情報が豊富に含まれたコンテンツを楽しめる。
機能も進化しているようだ。
私は、紙の辞典や事典を買い求めることがなくなるだろう。
利便性において比較にならない。
電子書籍端末も登場した。
電子辞書は今後、他の機器と複合するのか、他の機器に吸収されるのか…。
以下に、「電子辞書に驚き!」と題する2008年6月23日のブログを収める。
いくらか手を加えた。
◇◆◇
私は何事も奥手だ。
とりわけ目新しいモノやコトに対し、億劫と感じる。
私は職業柄、辞典や事典を引く機会が多い。
電子辞書がいいという話はしばしば耳にしたが、つい最近まで“現物”にこだわっていた。
使い慣れたものをわざわざ替える必要はないとの気持ちが強かった。
ところが、私が尊敬する知人から呆れ顔とともに電子辞書を強く勧められ、半信半疑で買った。
…実際に使ってみて、あまりの便利さに驚きを隠せない。
コンテンツは百種類!
このなかには百科事典も含まれるので、百冊以上がコンパクトな機器のなかに収められている。
これを本(紙媒体)で購入するとなると金額が膨らむし、何よりもスペースを食う。
電子辞書は机の隅にちょこん。
例えば、私がもっとも頼りにする岩波書店の「広辞苑」は大きく重い。
本棚に取りにいき、机に持ってきて、おもむろに開く。
そして、本棚に戻しにいく。
箱の出し入れもある。
面倒臭い。
それ以前に、私は腰痛・背筋痛・肩痛を抱えており、イスから立ちあがるのが苦労である。
たった一つの言葉を調べるだけなのに…。
これが電子辞書では手軽に行える。
いや瞬時に済ませられる。
机の上はパソコンと周辺機器、当面の仕事に関わる資料などに占領され、それほど使わない辞典を置く余裕がない。
もう一つメリット。
私はひどい近視と乱視に老眼が加わり、大きくなった新聞の本文記事さえ読みにくい。
細かな文字が宿命の辞典だとメガネを外し、ページに鼻を近づけるようにして読まなければならない。
そしてメガネをかけ、パソコンの文書や原稿に向かう。
こうした時間がバカにならず、そのうえ目も疲れる。
電子辞書では自分の視力に応じて文字の大きさを変えられるので、これまでの煩わしさと辛さからも解放された。
そう、老人にやさしい。
変化が激しい時代では、私のような奥手は損をする?
ダメでもともとというくらいの気持ちで、技術革新により誕生する商品やサービスを果敢に試したほうがよいのかもしれない。
こんな優れものならもっと早い時期に使うべきだった。
ホント、後悔している。
ただし、電子辞書では気ままにページをめくる使い方ができにくい。
例えば、名言集やことわざ辞典から“好きな言葉”を見つける場合に適さない。
あくまでも“何か”を調べる際に絶大な威力を発揮することを付け加えておこう。
目的性の強い利用に限られる。
いや、待てよ。
多様なコンテンツの横断閲覧が可能なので、その過程で発見や遊びといった喜びも得られるのか…。
確かに本では叶えられない。
私が単に電子辞書の使い方が分かっていない?
そういえば、通販会社からわが家に電子辞書が届いたとき、私より先に使った小学5年生の子どもが満足気な表情で返しにきた。
説明書など読まなかったようだ。
若い世代はいとも簡単に使いこなす。
ひょっとして彼らは電子辞書を楽しむ?
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