NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
このドラマでヒロイン・村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)の実の父・飯田源兵衛(飯塚藤兵衛)を熱演しているのが、大杉漣(おおすぎ・れん)である。
私が好きな役者の一人だ。
ゲゲゲの女房でもっとも記憶に残った。
私はテレビでおもにビジネス系の番組をつけっ放しにしており、しかもほとんど見ていない。
また、映画はまったく見なくなった。
したがって、大杉漣についてもごくまれに目にするくらいだ。
それも主役でなく脇役を演じているところ。
が、しっかりとした存在感を示す。
プロ意識が強く、“役者魂”が際立つ。
大杉漣は数カ月前、NHKテレビ「スタジオパークからこんにちは」にゲストとして出演した。
私は例により“ながら視聴”で内容がろくに分かっていない。
しかし、人柄は伝わってきた。
記憶が曖昧だが、うまくいっていないときのほうが気持ちが落ち着くと語った。
私は順調なときは何だか自分でないようで、しっくりしない。
仕事を含め、人生はうまくいかないという気持ちが自分の根っこにある。
大杉漣が語ったのは、それに近い感懐だろう。
大杉漣はアドリブが多く、松下奈緒などゲゲゲの女房の出演者は大変だった。
撮影で気を抜けない。
彼が絡むシーンでは、厳格な父親(飯田源兵衛)と接する家族の緊張感が漂った。
幅広い役柄をこなし、幾多の修羅場をくぐってきたベテランならではの心憎い配慮である。
◇
私はウィキペディアなどで大杉漣について調べてみた。
そして、飛び上がるくらい驚いた。
ピョン!
本名は大杉孝。
1951年9月27日生まれ。
私と同い年。
よし、2カ月ほど勝った(先輩)。
へぇ、徳島県小松島市出身。
私は14カ月ほど暮らした。
えっ、小松島市立小松島中学校卒業。
私は長野県伊那市立伊那中学校3年生の10月下旬に小松島中学校へ転校した。
ということは、学年が同じ、卒業式も一緒だった。
あっ、徳島県立城北高等学校卒業。
私は同校に入学した。
ということは、学年が同じ、入学式も一緒だった。
ただし、1年生の12月下旬に東京都立墨田川高校へ転校した。
城北高校へは国鉄佐古駅で降りるしかなく、そのためには国鉄小松島駅(現在は廃止?)で列車に乗るしかない。
小松島中学校からそれほどたくさん城北高校に進学したはずがない。
しかも、列車の本数はきわめて限られる。
ということは、通学時は同じホームに立っていた。
うそ、明治大学入学。
現役か浪人か分からないが、同じ時期に在籍していた。
ただし、私は昼間働いており、通学していなかった。
くっ、明治大学中退。
何年生で去ったか分からないが、私と同じ
ただし、私は堕落の果てであり、明確な目的を持ってやめたわけでない。
中退というより「除籍」に近い(どちらの扱いか不明)。
彼はすでに人生の目標を見つけ、演劇に打ち込んでいたようだ。
私は大杉漣に畏敬の念と同時に親近感が湧いてきた。
公式ブログが存在する。
「風ちゃん(チワワ)と寅子(スコティッシュフォールド)と大杉漣(俳優)の日記」。
長い題名。
カッコ書きの親切のせいだ。
「風(ふう)」という犬と「寅子」という猫を飼っている。
これも恐ろしいほどの偶然である。
私はアメリカンショーヘア(猫)だが、「フウ(♀)」と「トラ(♂)」。
フウは高齢ながら、私の部屋で元気に暮らしている。
この2〜3年で、私はおじいちゃん、フウはおばあちゃんの顔に変わった。
ショボショボ。
大杉漣は2010年8月23日のブログで「『ゲゲゲの女房』クランクアップ!」と題し、「飯田源兵衛さんが いつも僕の中に棲みついているようでした ほぼ十カ月の撮影・・・ とても感慨深く楽しいものでした」と記している。
大杉漣は四方八方から見られる職業だから当然かもしれないが、しゃきっとしていて若い。
かっこいいから、滅茶苦茶もてそう。
◆書き加え1(9月17日)
きょう午前8時15分よりNHKテレビ「あさイチ・プレミアムトーク」に大杉漣がゲストとして出演したようだ。
私は見られなくて、非常に残念だった。
◆書き加え2(9月17日)
私は小松島中学校と城北高校で大杉漣と接したかもしれない。
確かめたくても不可能。
実は、幼稚園から大学までの資料が残っていない。
卒業証書、卒業アルバム、卒業文集、通知表、学級(クラス)名簿…。
何一つ。
30回くらい(不確か)引越しを行うなかで紛失したようだ。
記憶を辿る手がかりはゼロ。
生まれてからの写真も…。
両親は何かと写真を撮ってくれたというのに…。
頭の衰えも進み、自分のことがどんどん分からなくなっている。
◆書き加え3(9月19日)
大杉漣は、小松島市立小松島小学校でなく小松島市立千代小学校を卒業していた。
グーグルの地図で調べると、後者の近くに中田駅がある。
佐古駅(徳島方面)へ向かい、おそらく小松島駅の次だ。
千代小学校は所在地が小松島市中田町(当時の表記は不明)。
大杉漣は中田駅で乗り込んだ?
◆書き加え4(2019年2月7日)
紛失したと諦めていた卒業アルバムの内、新潟県・直江津小学校と徳島県・小松島中学校のそれが両親の遺品から見つかった。
小松島中学校の卒業アルバム(1967年)をめくったが大杉漣(大杉孝)の名前はどこにもなかった。
3年生が12クラスだったことにも驚いた。
私は在籍がごく短期間だったが、担任の先生とクラスメイト数名の顔に記憶があった。
不思議に思い、ウィキペディアを調べて納得がいった。
大杉漣は小松島中学校に在籍していなかった。
(ウィキペディアの記述内容が変わることがあるのだろうか。)
大杉漣は教育者の家庭に生まれ育った4人兄弟の末っ子だった。
父が38歳で小松島市立小松島中学校の校長に抜擢され、徳島県立小松島西高等学校、徳島県立富岡東高等学校、徳島県立城東高等学校の校長を歴任した。
大杉漣が12歳のときに父が徳島県立富岡東高校に転任し、同じ敷地にあった校長官舎に引っ越し、そこで4年間暮らした。
小学校5年生までは千代小学校に在籍し、小学6年生は富岡小学校、中学生時代は富岡中学校に在籍していたとある。
16歳のときに父が城東高校に転任し、城東高校の官舎に引っ越した。
自身は城北高校へ進学して卒業した。
(そうなると、大杉漣は城東高校の官舎から城北高校に通っていたことになる。)
◇◆◇
人生の教科書「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。
ドラマの進行と私の半生を重ねたり照らしたりしながら、心の内を綴った。
⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。
⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。
⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。
⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。
⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。
⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。
⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。
⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。
⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。
⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。
⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。
⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。
⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。
⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。
⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。
⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。
⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。
⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。
⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。
⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。
⇒2010年8月25日「人生の教科書・ゲゲゲの女房…仕事・夫婦・家族」はこちら。
⇒2010年8月26日「心の太鼓を打ち鳴らせ…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年8月28日「松下奈緒・ゲゲゲの女房・撮影秘話…あさイチ」はこちら。
⇒2010年8月29日「松下奈緒&向井理、ゲゲゲの女房の平均視聴率」はこちら。
⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。
⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。
⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。
⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。
⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。
⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。
⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。
⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。
⇒2010年9月6日「水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出」はこちら。
⇒2010年9月7日「水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声」はこちら。
⇒2010年9月8日「水木しげる渾身妖怪画、点々アシスタント万歳!」はこちら。
⇒2010年9月9日「水木プロダクション爆笑アシスタント募集広告」はこちら。
⇒2010年9月10日「調布・水木プロダクション社長…家族経営の幸せ」はこちら。
⇒2010年9月11日「鳥取境港と島根安来…ゲゲゲの女房観光ブーム」はこちら。
⇒2010年9月12日「水木しげる、フリーランスの恐怖…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。
⇒2010年9月15日「竹下景子・イカルと風間杜夫・イトツ…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年9月16日「村井藍子は教員、松下奈緒はスタジオパーク」はこちら。
⇒2010年9月17日「松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた」はこちら。
⇒2010年9月18日「紅白司会は松下奈緒と福山雅治? 向井理?」はこちら。
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このドラマでヒロイン・村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)の実の父・飯田源兵衛(飯塚藤兵衛)を熱演しているのが、大杉漣(おおすぎ・れん)である。
私が好きな役者の一人だ。
ゲゲゲの女房でもっとも記憶に残った。
私はテレビでおもにビジネス系の番組をつけっ放しにしており、しかもほとんど見ていない。
また、映画はまったく見なくなった。
したがって、大杉漣についてもごくまれに目にするくらいだ。
それも主役でなく脇役を演じているところ。
が、しっかりとした存在感を示す。
プロ意識が強く、“役者魂”が際立つ。
大杉漣は数カ月前、NHKテレビ「スタジオパークからこんにちは」にゲストとして出演した。
私は例により“ながら視聴”で内容がろくに分かっていない。
しかし、人柄は伝わってきた。
記憶が曖昧だが、うまくいっていないときのほうが気持ちが落ち着くと語った。
私は順調なときは何だか自分でないようで、しっくりしない。
仕事を含め、人生はうまくいかないという気持ちが自分の根っこにある。
大杉漣が語ったのは、それに近い感懐だろう。
大杉漣はアドリブが多く、松下奈緒などゲゲゲの女房の出演者は大変だった。
撮影で気を抜けない。
彼が絡むシーンでは、厳格な父親(飯田源兵衛)と接する家族の緊張感が漂った。
幅広い役柄をこなし、幾多の修羅場をくぐってきたベテランならではの心憎い配慮である。
◇
私はウィキペディアなどで大杉漣について調べてみた。
そして、飛び上がるくらい驚いた。
ピョン!
本名は大杉孝。
1951年9月27日生まれ。
私と同い年。
よし、2カ月ほど勝った(先輩)。
へぇ、徳島県小松島市出身。
私は14カ月ほど暮らした。
えっ、小松島市立小松島中学校卒業。
私は長野県伊那市立伊那中学校3年生の10月下旬に小松島中学校へ転校した。
ということは、学年が同じ、卒業式も一緒だった。
あっ、徳島県立城北高等学校卒業。
私は同校に入学した。
ということは、学年が同じ、入学式も一緒だった。
ただし、1年生の12月下旬に東京都立墨田川高校へ転校した。
城北高校へは国鉄佐古駅で降りるしかなく、そのためには国鉄小松島駅(現在は廃止?)で列車に乗るしかない。
小松島中学校からそれほどたくさん城北高校に進学したはずがない。
しかも、列車の本数はきわめて限られる。
ということは、通学時は同じホームに立っていた。
うそ、明治大学入学。
現役か浪人か分からないが、同じ時期に在籍していた。
ただし、私は昼間働いており、通学していなかった。
くっ、明治大学中退。
何年生で去ったか分からないが、私と同じ
ただし、私は堕落の果てであり、明確な目的を持ってやめたわけでない。
中退というより「除籍」に近い(どちらの扱いか不明)。
彼はすでに人生の目標を見つけ、演劇に打ち込んでいたようだ。
私は大杉漣に畏敬の念と同時に親近感が湧いてきた。
公式ブログが存在する。
「風ちゃん(チワワ)と寅子(スコティッシュフォールド)と大杉漣(俳優)の日記」。
長い題名。
カッコ書きの親切のせいだ。
「風(ふう)」という犬と「寅子」という猫を飼っている。
これも恐ろしいほどの偶然である。
私はアメリカンショーヘア(猫)だが、「フウ(♀)」と「トラ(♂)」。
フウは高齢ながら、私の部屋で元気に暮らしている。
この2〜3年で、私はおじいちゃん、フウはおばあちゃんの顔に変わった。
ショボショボ。
大杉漣は2010年8月23日のブログで「『ゲゲゲの女房』クランクアップ!」と題し、「飯田源兵衛さんが いつも僕の中に棲みついているようでした ほぼ十カ月の撮影・・・ とても感慨深く楽しいものでした」と記している。
大杉漣は四方八方から見られる職業だから当然かもしれないが、しゃきっとしていて若い。
かっこいいから、滅茶苦茶もてそう。
◆書き加え1(9月17日)
きょう午前8時15分よりNHKテレビ「あさイチ・プレミアムトーク」に大杉漣がゲストとして出演したようだ。
私は見られなくて、非常に残念だった。
◆書き加え2(9月17日)
私は小松島中学校と城北高校で大杉漣と接したかもしれない。
確かめたくても不可能。
実は、幼稚園から大学までの資料が残っていない。
卒業証書、卒業アルバム、卒業文集、通知表、学級(クラス)名簿…。
何一つ。
30回くらい(不確か)引越しを行うなかで紛失したようだ。
記憶を辿る手がかりはゼロ。
生まれてからの写真も…。
両親は何かと写真を撮ってくれたというのに…。
頭の衰えも進み、自分のことがどんどん分からなくなっている。
◆書き加え3(9月19日)
大杉漣は、小松島市立小松島小学校でなく小松島市立千代小学校を卒業していた。
グーグルの地図で調べると、後者の近くに中田駅がある。
佐古駅(徳島方面)へ向かい、おそらく小松島駅の次だ。
千代小学校は所在地が小松島市中田町(当時の表記は不明)。
大杉漣は中田駅で乗り込んだ?
◆書き加え4(2019年2月7日)
紛失したと諦めていた卒業アルバムの内、新潟県・直江津小学校と徳島県・小松島中学校のそれが両親の遺品から見つかった。
小松島中学校の卒業アルバム(1967年)をめくったが大杉漣(大杉孝)の名前はどこにもなかった。
3年生が12クラスだったことにも驚いた。
私は在籍がごく短期間だったが、担任の先生とクラスメイト数名の顔に記憶があった。
不思議に思い、ウィキペディアを調べて納得がいった。
大杉漣は小松島中学校に在籍していなかった。
(ウィキペディアの記述内容が変わることがあるのだろうか。)
大杉漣は教育者の家庭に生まれ育った4人兄弟の末っ子だった。
父が38歳で小松島市立小松島中学校の校長に抜擢され、徳島県立小松島西高等学校、徳島県立富岡東高等学校、徳島県立城東高等学校の校長を歴任した。
大杉漣が12歳のときに父が徳島県立富岡東高校に転任し、同じ敷地にあった校長官舎に引っ越し、そこで4年間暮らした。
小学校5年生までは千代小学校に在籍し、小学6年生は富岡小学校、中学生時代は富岡中学校に在籍していたとある。
16歳のときに父が城東高校に転任し、城東高校の官舎に引っ越した。
自身は城北高校へ進学して卒業した。
(そうなると、大杉漣は城東高校の官舎から城北高校に通っていたことになる。)
◇◆◇
人生の教科書「ゲゲゲの女房」に関するブログは以下のとおり。
ドラマの進行と私の半生を重ねたり照らしたりしながら、心の内を綴った。
⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。
⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。
⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。
⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。
⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。
⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。
⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。
⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。
⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。
⇒2010年7月24日「水木プロダクション旗揚げ…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年7月31日「ボチェッリが歌う吉岡聖恵・ありがとう」はこちら。
⇒2010年8月5日「水木プロダクション異様な活気…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年8月9日「ゲゲゲの鬼太郎へ題名変更…主題歌もヒット」はこちら。
⇒2010年8月11日「水木プロダクション…アシスタント人件費」はこちら。
⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。
⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。
⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。
⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。
⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。
⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。
⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。
⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。
⇒2010年8月25日「人生の教科書・ゲゲゲの女房…仕事・夫婦・家族」はこちら。
⇒2010年8月26日「心の太鼓を打ち鳴らせ…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年8月28日「松下奈緒・ゲゲゲの女房・撮影秘話…あさイチ」はこちら。
⇒2010年8月29日「松下奈緒&向井理、ゲゲゲの女房の平均視聴率」はこちら。
⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。
⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。
⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。
⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。
⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。
⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。
⇒2010年9月3日「水木夫婦ゆかりの地巡り…清水ミチコ、松下奈緒」はこちら。
⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。
⇒2010年9月6日「水木しげる、復活へのノロシ…スランプ脱出」はこちら。
⇒2010年9月7日「水木しげるの漫画家魂、妖怪研究家の名声」はこちら。
⇒2010年9月8日「水木しげる渾身妖怪画、点々アシスタント万歳!」はこちら。
⇒2010年9月9日「水木プロダクション爆笑アシスタント募集広告」はこちら。
⇒2010年9月10日「調布・水木プロダクション社長…家族経営の幸せ」はこちら。
⇒2010年9月11日「鳥取境港と島根安来…ゲゲゲの女房観光ブーム」はこちら。
⇒2010年9月12日「水木しげる、フリーランスの恐怖…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。
⇒2010年9月15日「竹下景子・イカルと風間杜夫・イトツ…ゲゲゲの女房」はこちら。
⇒2010年9月16日「村井藍子は教員、松下奈緒はスタジオパーク」はこちら。
⇒2010年9月17日「松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた」はこちら。
⇒2010年9月18日「紅白司会は松下奈緒と福山雅治? 向井理?」はこちら。
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