待望(?)の「下ネタ特集」第2弾。
ずいぶんと間隔が空いてしまった。
第1弾は以下のとおり。

⇒2010年9月1日「キンタマ・シンポジウム…率直・真剣・比較」はこちら。

人は何歳くらいから将来の職業を考えはじめる?
生まれ育った環境により大きく異なろう。
また、成長につれ、夢に近いものから目標と呼べるものへ変わっていこう。
さらに、本人がしっかりしていれば計画に近いものを描こう。

タレントなど有名人の生い立ちを紹介する番組などでよく用いられるのが、小学生時代の作文である。
卒業文集のテーマが「将来の夢」だったりする。
多くの子どもは職業について綴るのでは…。

おそらく現実的な目標を持つのは就職を考える時期、高卒なら高校生、大卒なら大学生になってからだ。
もとより進学先の選択の際に、職業のおおよその分野や領域くらいは固めている。

日本では21世紀に入り、経済の低迷どころか衰退が鮮明になった。
労働市場では「就職難」が慢性化している。
若者はこうした社会情勢を感じ取り、概して堅実である。
希望を持てないにもかかわらず、サラリーマン志向を一段と強めている。
なかでも新卒学生は「就活」と称し、実際には壊れてしまった雇用にしがみつこうとする。
変化の時代にもっともリスクが高い生き方は、保守的であろうとすることだ。
若者を眺めれば、押し寄せる波を楽しむ「サーファー」は減るばかり…。
この国の凋落は決定的である。

私は40年以上前に富山県から上京して明治大学へ進学したが、サラリーマンは眼中になかった。
どこが有利かくらいの目先の判断で“就社”する能天気な周囲をうらやましく思う気持ちがなかったわけでない。
しかし、私自身は会社を信用しておらず、ゆえに学歴に執着していなかった。
学歴でも会社でも食えないとの結論をすでに持っており、それが職業人生の出発点だった。
言い換えれば、社会通念を疑ってかかっていた。
幸い「日経育英奨学生制度」で地獄の新聞配達を経験したおかげで、何をやっても食っていける自信が身についた。
したがって、生きていける自信も…。
大学で勉強に励んでいい成績を取ったら、最悪だった。

私は、当面に関しては、きょう食べるものを得ることしか考えていなかった。
日々を乗り切るなかで将来の進路を探り、職業を決めていく感覚だった。
つまり“いい加減”。
具体的な目標、まして計画を定めていたわけでない。
自分にこれといった才能は備わっていないと自覚しており、流れ着いた先でやっていこうと・・・。
なるようにしかならないと腹を括っていた。

以下に、「オシッコ飛ばしとフルチン走り」と題する2009年10月21日のブログを収める。
内容を大幅に書き足した。

◇◆◇

若い頃のでたらめな思い出が甦ってきた。

18歳で富山の実家を無一文で飛び出した私は、何となく芸術家に憧れていた。
いつの時代も、若者は食えない職業に憧れる。
食えると尊敬を集められ、カッコいいからだ。
カネはほしいが、カネをバカにする矛盾を抱えている。
また、私自身は求道的な面持ちをしてみたい。
写真に収まれば、様になりそうだ。

とはいえ、書も絵画(油彩)も陶芸もどれ一つとして学んだことはなかった。
学ぶには遅すぎる。
また、学ぶにもカネがない。
仮に学べても、それで食べていくのは絶望的…。

所詮叶わぬ夢と分かっていながら、どこかで諦め切れない。
腹を括っていたはずなのに、食べるための仕事(アルバイト)に満たされない自分を持て余した。
正社員の成果を簡単に凌いでしまい、がっかりした。
その程度の仕事に己の人生をかけられるはずがない。
世の中の職場がつまらなく思えた。
辞めると言うと、経営者が残るように懇願した。
ますます失望が深まった。
私は悶々とした時期がかなり続いた。

寝付かれない夜はつらく、街中を長時間歩き回った。
疲れたかったのだ。
そして尿意を催すと、高級住宅の塀に大きな文字を書道家の気分で書いた。
カニ歩きしながら…。

やがて排泄量の加減と止めるタイミングがつかめ、草書体もどきになった。
よく膀胱炎にならなかったなぁ。
なかでも大物俳優の豪邸は最高のキャンバス!
ときどき通行人に見つかったが、とがめられもしないおおらかな時代だった。
世間が立ち小便にうるさくなったのはいつからか…。

いま、ふと思った。
なぜ、この豪邸なのか?
通りに沿って高く築かれた塀自体が素晴らしかった。
しかも、水分の吸収のいい天然石で、うまく書ける。
それと、だれもが知っている映画スター。
根底に成功者への嫉妬があった?

私はその日口に入れるものを手当てすることに精一杯だった。
いまになり、自分が本気だったら学ぶ道は開けたのでないかと思わないわけでない。
いや、どんな困難も受け入れるつもりなら、少なくとも学ぶ道は開けた。
私にそこまでの覚悟がなかったという話である。
また、結局それで食べていけなかった。
最後は才能だ。

もう一つ。
気の合う女の子がいた。
あくまで友だち(ホント)。
午後9時頃、彼女の下宿を訪れ、大家にすぐに戻るからと言われた。
外で帰りを待っている間に尿意を催した。
例により塀に文字を書き終わった直後、手桶を持った彼女が銭湯から戻ってきた。
一瞬びっくりした表情を浮かべたが、無言だったことを覚えている。
呆れたのでは…。

還暦目前の私は、かつてオシッコ飛ばしに生き甲斐のようなものを感じていた自分がとても不思議…。
バカばかりやっていた。

確か日本映画で若者がオシッコをどれくらい遠くまで飛ばせるか競うシーンがあった。
それ自体に価値はないが、生命力の噴出だろう。
河原での後ろ姿だった。
青春とはそうしたものか?



午前4時15分頃、慶応大学の学生9人が東急東横線日吉駅の構内をフルチン(フリチン)で走り回った。
女子学生1人がその様子をビデオカメラで撮影していた。
いずれも1年生、広告サークルに所属する18〜19歳。
半数は酒を飲んでおり、盛りあがった末に騒ぎを起こした。
始発前で改札やホームは無人だったが、通行人に110番通報された。
「夏の思い出に、面白い映像をつくろうと思った」。
その程度ではつまらん。
買う人はいないはずで、純粋なメモリアルイベントだった?

それにしても、バカなことをしでかしたと思う。
が、当時の私と大差ない。
どうか許してやってほしい。
ごめんなさい。

◇◆◇

若者の希望職種アンケートに関するブログは以下のとおり。

⇒2010年8月4日「いかに食べるかでなく、いかに生きるか」はこちら。

しかし、これは“夢”を述べたにすぎない?
いまどきの若者は足下を見詰めているように思う。

◇◆◇

新卒、第二新卒の就職活動などに関するブログは以下のとおり。

⇒2010年3月23日「新卒・中途就活で面接官の心をつかむ」はこちら。

⇒2010年3月24日「2011年新卒就活、勝負名刺の作成技法」はこちら。

◆書き加え1(9月27日)

私はこのブログを、冗談を交えながら書いた。
そして、9月中旬にアップする予定だった。

ところが、慶応大学法学部の学生が笑ってすまされない不祥事を起こした。
明白な犯罪だ。

一流私大ゆえに波紋が大きいのかもしれないが、このところ早稲田も慶応も綻びが目立つ。
根底にあるのは、学生らの驕りだ。

…タイミングが悪すぎる。
そこで、きょうに先送りした。

Copyright (c)2010 by Sou Wada

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