チューリップのリーダー、財津和夫が歌う「青春の影」はなぜヒットしたか?
むろん、“別れ”を癒やしてくれる楽曲と受け止めた人がいたからだ。
それを間違いと笑うのは愚かしい。
自分がどう感じたか、それがすべて。
私は思う。
この楽曲は、愛に留まらず、人生の掛け替えのなさを歌っている。
「青春の影」の曲名と歌詞の意味をどのように解釈するか、その答は聞く人それぞれの愛と人生のなかにあるはずだ。
ところで、「青春の影」の楽曲がセブン‐イレブンのおでんのCMで流れている。
幸福感を強調するため、歌詞が分かりやすい個所を使っている。
CMは認知の向上、販売の促進を意図しているから当然だろう。
放映当初はピンと来なかったが、気温の急降下につれておでんの温かさと懐かしさが伝わってくるようになった。
「青春の影」がこのCMに採用されたことにより、おめでたい楽曲という“お墨付き”を頂戴した。
これまではためらう人が多かったが、結婚式披露宴での人気ソングに名を連ねそう。
ときを同じくして(不確か)、財津和夫が歌う「サボテンの花」もYKKap「MADOショップ」のCMで流れている。
人々が疲弊と孤独を深め、ぬくもりの感じられる楽曲を求めている。
以下に、「財津和夫『青春の影』歌詞の意味…昭和の名曲」と題する2010年8月13日のブログをそのまま収める。
◇◆◇
私は、財津和夫(ざいつ・かずお)の「青春の影」に惹かれてきた。
きっかけが何か、時期がいつか思い出せないが、自分のなかに根を下ろしていた。
しかも、楽曲が先で、ミュージシャンは後だ。
井上陽水(いのうえ・ようすい)とその楽曲から浴びせられたようなインパクトはなかった。
以前、青春の影を久し振りに聞く機会があり、自分なりの考えをまとめた。
そして、「財津和夫『青春の影』不朽の名作の謎解き」と題し、このブログにアップした。
が、読み返してみると、どこかしっくりしない。
⇒2010年8月1日「財津和夫『青春の影』不朽の名作の謎解き」はこちら。
私は例によりうだうだと考えつづけた。
楽曲の感動と向かい合いたかったのだ。
それは自分を見詰めること。
練り直した原稿をきょうアップした。
◇◆◇
音楽にほとんど関心のない私が聞き惚れてしまうのは、財津和夫の「青春の影」。
かならず胸が熱くなる…。
財津和夫は、ニューミュージック系のポップスグループ「チューリップ」のリーダー。
ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がけた。
1948年、福岡市生まれ。
博多はミュージシャンや芸能人を多く輩出する土地柄だ。
貧乏学生の私が授業を放り出し、楽譜取次の松沢書店の一員として飛び回っていた頃、チューリップの楽譜が急に売れはじめた。
インターネットで調べたところでは、3枚目のシングル「心の旅」を出した1973年だったようだ(姫野達也がリードボーカル)。
1974年に「青春の影」と、立てつづけにヒットを飛ばした。
心の旅はストレートなラブソングだ。
おそらく愛する人を故郷に残し、自らの意志を貫いて上京する。
これが別れになりそうと、互いに思っている。
どこか切ない。
青春の影もラブソングだが、深い。
人間的な成熟が感じられる。
財津和夫が20代半ばで書きあげたことに驚かされる。
私は、昭和を代表する名曲だと思う。
歌詞の1番をそのまま受け取れば、愛する女性と生涯をともにする決意を固めた男の歌である。
2番の終わりは、プロポーズに向かう途中に湧いてきた、あるいは噛み締めた大人への自覚だろう。
青春の影の「影」は、青春を過去に押しやるとの思い、そして惜別の念か…。
おそらく青春時代の幕を下ろし、家庭生活の扉を開ける。
愛のあり方もこれまでとは変わっていく。
二人の旅が始まるのだ。
それは途方もなく長いデコボコ道…。
自分を振り返るなら、つきあいと同棲が長かった私と妻(前妻)は機が熟するように結婚へ進んだ。
が、挙式では、独身を手放す喪失感と所帯を構える責任感が一気に押し寄せた。
形容しがたい感慨があった。
私にも妻にも大きな区切りだった。
青春の影は「心の旅」に出た後の人生のドラマと主人公の成長を歌っているのか。
それが自らの経験を土台にしたものかどうか、私は分からない。
内容としては、ポジティブかつハッピーである。
雄々しい。
しかし、そうした解釈だと、どうも面白くない。
この楽曲の魅力がするりと逃げていく。
全体からにじみ出る“切なさ”もうまく説明できない。
私は、財津和夫は「謎」を残したかったのでないかと思う。
心の旅の歌詞と同様、青春の影の歌詞の1番は明快だ。
意味を取り違えようがない。
ところが、一転して2番が分かりにくい。
なかでも前半と最後の2箇所にキーフレーズが置かれている。
財津和夫は“余白”を忍ばせた。
鑑賞者への贈り物か。
曲名も謎を深めるのに一役買っている。
◇
歌詞の1番と2番にそれなりの時間が横たわっていると考えると、違った解釈ができそうだ。
すなわち、出会い、愛、別れ…
愛のかけがえのなさと厳しさ、まっとうの難しさ…。
それでも人はときを刻み、道を歩みつづける。
財津和夫は、愛すること、生きることへの純粋な情熱を綴った、大きな悔いさえ受け入れながら…。
作者が世の中に作品を送り出せば、独り歩きする。
鑑賞者は気ままに楽曲を楽しむ。
解釈に白黒をつける必要はなかろう。
頭で音楽を聞くなど邪道…。
作者といえど、作品のすべてを理解しているわけでない。
それ以前に、意図が伝わるとは限らない。
そもそも作者はヒットをつくれない。
受け手(鑑賞者)のさまざまな思いが塗り込められ、作品の世界が膨らんでいった結果である。
私自身、失恋を歌った楽曲と捉えるほうがイマジネーションは広がる。
また、一層、心に染み入る。
実際、青春の影に接し、人をまっすぐに愛した記憶がよみがえったり、それゆえの失恋の痛手を癒されたりする方も多いのでないか。
単に結婚に至るストーリーだったら、大ヒットはなかった。
プロポーズソングやウェディングソングとして多用されただろうが…。
◇
青春の影の圧倒的な凄みは、人により、さらにそのときどきで異なった受け止め方を、しかも何の違和感もなくできてしまうことだ。
財津和夫の眼差しは、現実の愛にも、回想の愛にも、やさしく注がれている。
人を愛するのも自分であり、人と別れるのも自分である。
それが人生…。
この楽曲には、懸命に生きる人へのおおらかな包容力がある。
世代を超えて愛されるゆえん。
青春の影は、深い愛情は当然として、重い責任をともなう結婚へ踏み出そうとする心情を歌いあげた。
平凡をよしとする覚悟も…。
そうしたとき、結婚に至らなかった相手との愛がよぎるかもしれない。
私たちは人生の節目に、それまでのさまざまな出来事を喜びや幸せ、悲しみや苦しみなどの記憶とともに重ね合わせる。
なお、4タイプしかない血液型を引き合いに出すと叱られそうだが、O型のよさがいかんなく発揮されている。
楽曲の底に保守的な安心感が流れる。
それが聞く者をじんわりと揺さぶる。
私は先だって、テレビで放送された財津和夫の映像をたまたま見た。
やはり詞も曲も素晴らしい。
不朽の名作。
そして、思った。
これをクラシック風にアレンジし、オーケストラをバックに「アンドレア・ボチェッリ」に歌ってもらいたいと…。
財津和夫とはまた違った感銘や感懐が得られるのでなかろうか。
とてもマッチしそう。
私は40年間、NHK紅白歌合戦をろくに見ていない。
とくに30年間はほとんど…。
ボチェッリが「青春の影」を歌う。
日本の名曲を世界中の人々に聞いてもらうきっかけになる。
大晦日に温かい涙が溢れそうだ。
終わりは始まりである。
なお、ボチェッリはクラシカル・クロスオーバーの火付け役となったイタリアのテノール歌手である。
⇒2009年11月15日「ベスト・オブ・ボチェッリ」はこちら。
◆書き加え1
この楽曲には、おめでたい席(結婚披露宴)で歌うのをためらわせるような深みがある。
歌うとしたら、新郎。
ほかにぜひともというなら、新郎を見守ってきた熟年カップルの男性か。
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むろん、“別れ”を癒やしてくれる楽曲と受け止めた人がいたからだ。
それを間違いと笑うのは愚かしい。
自分がどう感じたか、それがすべて。
私は思う。
この楽曲は、愛に留まらず、人生の掛け替えのなさを歌っている。
「青春の影」の曲名と歌詞の意味をどのように解釈するか、その答は聞く人それぞれの愛と人生のなかにあるはずだ。
ところで、「青春の影」の楽曲がセブン‐イレブンのおでんのCMで流れている。
幸福感を強調するため、歌詞が分かりやすい個所を使っている。
CMは認知の向上、販売の促進を意図しているから当然だろう。
放映当初はピンと来なかったが、気温の急降下につれておでんの温かさと懐かしさが伝わってくるようになった。
「青春の影」がこのCMに採用されたことにより、おめでたい楽曲という“お墨付き”を頂戴した。
これまではためらう人が多かったが、結婚式披露宴での人気ソングに名を連ねそう。
ときを同じくして(不確か)、財津和夫が歌う「サボテンの花」もYKKap「MADOショップ」のCMで流れている。
人々が疲弊と孤独を深め、ぬくもりの感じられる楽曲を求めている。
以下に、「財津和夫『青春の影』歌詞の意味…昭和の名曲」と題する2010年8月13日のブログをそのまま収める。
◇◆◇
私は、財津和夫(ざいつ・かずお)の「青春の影」に惹かれてきた。
きっかけが何か、時期がいつか思い出せないが、自分のなかに根を下ろしていた。
しかも、楽曲が先で、ミュージシャンは後だ。
井上陽水(いのうえ・ようすい)とその楽曲から浴びせられたようなインパクトはなかった。
以前、青春の影を久し振りに聞く機会があり、自分なりの考えをまとめた。
そして、「財津和夫『青春の影』不朽の名作の謎解き」と題し、このブログにアップした。
が、読み返してみると、どこかしっくりしない。
⇒2010年8月1日「財津和夫『青春の影』不朽の名作の謎解き」はこちら。
私は例によりうだうだと考えつづけた。
楽曲の感動と向かい合いたかったのだ。
それは自分を見詰めること。
練り直した原稿をきょうアップした。
◇◆◇
音楽にほとんど関心のない私が聞き惚れてしまうのは、財津和夫の「青春の影」。
かならず胸が熱くなる…。
財津和夫は、ニューミュージック系のポップスグループ「チューリップ」のリーダー。
ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がけた。
1948年、福岡市生まれ。
博多はミュージシャンや芸能人を多く輩出する土地柄だ。
貧乏学生の私が授業を放り出し、楽譜取次の松沢書店の一員として飛び回っていた頃、チューリップの楽譜が急に売れはじめた。
インターネットで調べたところでは、3枚目のシングル「心の旅」を出した1973年だったようだ(姫野達也がリードボーカル)。
1974年に「青春の影」と、立てつづけにヒットを飛ばした。
心の旅はストレートなラブソングだ。
おそらく愛する人を故郷に残し、自らの意志を貫いて上京する。
これが別れになりそうと、互いに思っている。
どこか切ない。
青春の影もラブソングだが、深い。
人間的な成熟が感じられる。
財津和夫が20代半ばで書きあげたことに驚かされる。
私は、昭和を代表する名曲だと思う。
歌詞の1番をそのまま受け取れば、愛する女性と生涯をともにする決意を固めた男の歌である。
2番の終わりは、プロポーズに向かう途中に湧いてきた、あるいは噛み締めた大人への自覚だろう。
青春の影の「影」は、青春を過去に押しやるとの思い、そして惜別の念か…。
おそらく青春時代の幕を下ろし、家庭生活の扉を開ける。
愛のあり方もこれまでとは変わっていく。
二人の旅が始まるのだ。
それは途方もなく長いデコボコ道…。
自分を振り返るなら、つきあいと同棲が長かった私と妻(前妻)は機が熟するように結婚へ進んだ。
が、挙式では、独身を手放す喪失感と所帯を構える責任感が一気に押し寄せた。
形容しがたい感慨があった。
私にも妻にも大きな区切りだった。
青春の影は「心の旅」に出た後の人生のドラマと主人公の成長を歌っているのか。
それが自らの経験を土台にしたものかどうか、私は分からない。
内容としては、ポジティブかつハッピーである。
雄々しい。
しかし、そうした解釈だと、どうも面白くない。
この楽曲の魅力がするりと逃げていく。
全体からにじみ出る“切なさ”もうまく説明できない。
私は、財津和夫は「謎」を残したかったのでないかと思う。
心の旅の歌詞と同様、青春の影の歌詞の1番は明快だ。
意味を取り違えようがない。
ところが、一転して2番が分かりにくい。
なかでも前半と最後の2箇所にキーフレーズが置かれている。
財津和夫は“余白”を忍ばせた。
鑑賞者への贈り物か。
曲名も謎を深めるのに一役買っている。
◇
歌詞の1番と2番にそれなりの時間が横たわっていると考えると、違った解釈ができそうだ。
すなわち、出会い、愛、別れ…
愛のかけがえのなさと厳しさ、まっとうの難しさ…。
それでも人はときを刻み、道を歩みつづける。
財津和夫は、愛すること、生きることへの純粋な情熱を綴った、大きな悔いさえ受け入れながら…。
作者が世の中に作品を送り出せば、独り歩きする。
鑑賞者は気ままに楽曲を楽しむ。
解釈に白黒をつける必要はなかろう。
頭で音楽を聞くなど邪道…。
作者といえど、作品のすべてを理解しているわけでない。
それ以前に、意図が伝わるとは限らない。
そもそも作者はヒットをつくれない。
受け手(鑑賞者)のさまざまな思いが塗り込められ、作品の世界が膨らんでいった結果である。
私自身、失恋を歌った楽曲と捉えるほうがイマジネーションは広がる。
また、一層、心に染み入る。
実際、青春の影に接し、人をまっすぐに愛した記憶がよみがえったり、それゆえの失恋の痛手を癒されたりする方も多いのでないか。
単に結婚に至るストーリーだったら、大ヒットはなかった。
プロポーズソングやウェディングソングとして多用されただろうが…。
◇
青春の影の圧倒的な凄みは、人により、さらにそのときどきで異なった受け止め方を、しかも何の違和感もなくできてしまうことだ。
財津和夫の眼差しは、現実の愛にも、回想の愛にも、やさしく注がれている。
人を愛するのも自分であり、人と別れるのも自分である。
それが人生…。
この楽曲には、懸命に生きる人へのおおらかな包容力がある。
世代を超えて愛されるゆえん。
青春の影は、深い愛情は当然として、重い責任をともなう結婚へ踏み出そうとする心情を歌いあげた。
平凡をよしとする覚悟も…。
そうしたとき、結婚に至らなかった相手との愛がよぎるかもしれない。
私たちは人生の節目に、それまでのさまざまな出来事を喜びや幸せ、悲しみや苦しみなどの記憶とともに重ね合わせる。
なお、4タイプしかない血液型を引き合いに出すと叱られそうだが、O型のよさがいかんなく発揮されている。
楽曲の底に保守的な安心感が流れる。
それが聞く者をじんわりと揺さぶる。
私は先だって、テレビで放送された財津和夫の映像をたまたま見た。
やはり詞も曲も素晴らしい。
不朽の名作。
そして、思った。
これをクラシック風にアレンジし、オーケストラをバックに「アンドレア・ボチェッリ」に歌ってもらいたいと…。
財津和夫とはまた違った感銘や感懐が得られるのでなかろうか。
とてもマッチしそう。
私は40年間、NHK紅白歌合戦をろくに見ていない。
とくに30年間はほとんど…。
ボチェッリが「青春の影」を歌う。
日本の名曲を世界中の人々に聞いてもらうきっかけになる。
大晦日に温かい涙が溢れそうだ。
終わりは始まりである。
なお、ボチェッリはクラシカル・クロスオーバーの火付け役となったイタリアのテノール歌手である。
⇒2009年11月15日「ベスト・オブ・ボチェッリ」はこちら。
◆書き加え1
この楽曲には、おめでたい席(結婚披露宴)で歌うのをためらわせるような深みがある。
歌うとしたら、新郎。
ほかにぜひともというなら、新郎を見守ってきた熟年カップルの男性か。
Copyright (c)2010 by Sou Wada


