NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
このドラマでヒロイン・村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)の実の父・飯田源兵衛を演じたのが、大杉漣(おおすぎ・れん)である。
熱が入ると、アドリブが飛び出す。
松下奈緒はとっさに応じなくてならない。
それが厳格な父と向かい合う娘の緊張をお茶の間に伝えた。
さすが。
ゲゲゲの女房では、大杉漣は役者としてのキャリアが浅い松下奈緒と向井理(水木しげる役)を見守り、導いた。
温かい。
⇒2010年9月22日「大杉漣に感動…松下奈緒と向井理の教育係」はこちら。
先頃、大杉漣の姿がライブ会場にあった。
視線の先は、ゲゲゲの女房の主題歌「ありがとう」を歌ういきものがかりの吉岡聖恵。
懐かしそうな表情を浮かべていた。
⇒2010年11月2日「吉岡聖恵・ありがとう…いきものがかりライブ」はこちら。
先日、松下奈緒が紅白歌合戦の紅組の司会者に選ばれた。
白組の司会者は「嵐」の5人グループ。
松下奈緒はそれに対抗すべく、「ゲゲゲの家族」を応援に呼びたいと語った。
夫の向井理はもちろん、父の大杉漣もかけつけよう。
日本の大みそかが盛りあがる。
⇒2010年11月7日「松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦」はこちら。
大杉漣は、「あるがままに」が座右の銘。
故笠智衆の言葉らしい。
「スタジオパークからこんにちは」での発言を聞いても分かるとおり、飾らない人柄である。
ウィキペディアなどによれば、大杉漣はスポーツと音楽の分野に多くの趣味を持つ。
なかでもサッカーとフォークに凝っている。
40代には「大杉漣バンド」を結成した。
また、いまでも「夢はプロのサッカー選手」と語る。
地元そして国内外のサッカー(チーム)に精通しているだけでなく、自らピッチに立ってプレーしている。
◇
大杉漣は、スタートが演劇活動だった。
22歳、別役実作品『門』の「娼婦を買いに来る客A」役で舞台デビューを果たした。
1974年、太田省吾が創設した転形劇場に初期メンバーとして参加し、ここでの活動に打ち込んだ。
途中、日活ロマンポルノや新東宝のピンク映画などに数年出演した。
大杉漣は転形劇場が1988年に解散するまで、全公演に出演している。
37歳で活動基盤を失ったが、多くの実績と幅広い人脈により演劇活動を続けた。
私は大杉漣の足跡を追いかけながら、収入の確保、生活の維持にとても苦労したのでないかと思った。
食べていけない時期が長く、また幾度も訪れたはずだ。
やがて、北野武監督の作品に出演したことがきっかけになり、映画界で演技派として注目を集めるようになった。
国内各映画賞の助演男優賞を受賞している。
さらに、テレビドラマの主役や主要キャストとして出演することが多くなった。
今日では広く知られる。
大杉漣は活動領域の広さ、出演本数の多さ、役柄の多様性はずば抜けている。
役者として演じることに対し、怒涛の情熱とエネルギーを持つ。
バイタリティの塊。
⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学・城北高校出身」はこちら。
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このドラマでヒロイン・村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)の実の父・飯田源兵衛を演じたのが、大杉漣(おおすぎ・れん)である。
熱が入ると、アドリブが飛び出す。
松下奈緒はとっさに応じなくてならない。
それが厳格な父と向かい合う娘の緊張をお茶の間に伝えた。
さすが。
ゲゲゲの女房では、大杉漣は役者としてのキャリアが浅い松下奈緒と向井理(水木しげる役)を見守り、導いた。
温かい。
⇒2010年9月22日「大杉漣に感動…松下奈緒と向井理の教育係」はこちら。
先頃、大杉漣の姿がライブ会場にあった。
視線の先は、ゲゲゲの女房の主題歌「ありがとう」を歌ういきものがかりの吉岡聖恵。
懐かしそうな表情を浮かべていた。
⇒2010年11月2日「吉岡聖恵・ありがとう…いきものがかりライブ」はこちら。
先日、松下奈緒が紅白歌合戦の紅組の司会者に選ばれた。
白組の司会者は「嵐」の5人グループ。
松下奈緒はそれに対抗すべく、「ゲゲゲの家族」を応援に呼びたいと語った。
夫の向井理はもちろん、父の大杉漣もかけつけよう。
日本の大みそかが盛りあがる。
⇒2010年11月7日「松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦」はこちら。
大杉漣は、「あるがままに」が座右の銘。
故笠智衆の言葉らしい。
「スタジオパークからこんにちは」での発言を聞いても分かるとおり、飾らない人柄である。
ウィキペディアなどによれば、大杉漣はスポーツと音楽の分野に多くの趣味を持つ。
なかでもサッカーとフォークに凝っている。
40代には「大杉漣バンド」を結成した。
また、いまでも「夢はプロのサッカー選手」と語る。
地元そして国内外のサッカー(チーム)に精通しているだけでなく、自らピッチに立ってプレーしている。
◇
大杉漣は、スタートが演劇活動だった。
22歳、別役実作品『門』の「娼婦を買いに来る客A」役で舞台デビューを果たした。
1974年、太田省吾が創設した転形劇場に初期メンバーとして参加し、ここでの活動に打ち込んだ。
途中、日活ロマンポルノや新東宝のピンク映画などに数年出演した。
大杉漣は転形劇場が1988年に解散するまで、全公演に出演している。
37歳で活動基盤を失ったが、多くの実績と幅広い人脈により演劇活動を続けた。
私は大杉漣の足跡を追いかけながら、収入の確保、生活の維持にとても苦労したのでないかと思った。
食べていけない時期が長く、また幾度も訪れたはずだ。
やがて、北野武監督の作品に出演したことがきっかけになり、映画界で演技派として注目を集めるようになった。
国内各映画賞の助演男優賞を受賞している。
さらに、テレビドラマの主役や主要キャストとして出演することが多くなった。
今日では広く知られる。
大杉漣は活動領域の広さ、出演本数の多さ、役柄の多様性はずば抜けている。
役者として演じることに対し、怒涛の情熱とエネルギーを持つ。
バイタリティの塊。
⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学・城北高校出身」はこちら。
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