先だって「貧幸(ひんこう)」について述べた。
北海道・富良野で自然とともに暮らす脚本家・倉本聰(聡)が実感を込めて語った言葉である。
人生哲学といってよい。

⇒2010年11月18日「倉本聰の名言『貧幸』…ゲゲゲの女房の教え」はこちら。

私は、物質的な豊かさが増すにつれ、精神的な豊かさを感じにくくなったように思う。
昔は、後者をあえて意識することも追い求めることもなかった。
貧しさのなかに幸せが息づいていた。

なかでも日本人が敗戦から立ち直りつつあった昭和30年代〜40年代。
うろ覚えだが、NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が描いたのは、この辺りが中心でなかったか。
あっけらかんとした社会だったと記憶している。

⇒2010年11月19日「松下奈緒が茶の間に届けた『ゲゲゲの貧幸』」はこちら。

叶わないと知りつつ、あの頃に戻りたいと思うことがある。
私が単に年を取っただけの話?

ところで、このブログは書き溜め記事が主体になる。
私はときに1〜2年前の走り書き(素材)を仕上げてアップする。
以下は、それ。

                       ◇

食べるものにも不自由する貧乏はつらい。
だれだってそうした状態は避けたい。
生活に苦労はないに越したことはない。

が、長い人生では厳しい時期が訪れる。
人により幾度も…。

私自身はちょっとしたことでも幸せを感じられる貧乏は嫌いでない。
確かに困りはする。
しかし、心が落ち着く。

幸せとは大げさなものでなく、ささやかなものだ。
幸せとはめったに得られないものでなく、いつもそばにあるものだ。
自分がそれに気づけるかどうか。

貧しいとき、幸せは現れやすい。
心が澄んでいるからか。

豊かなとき、幸せは霞みやすい。
心が濁っているからか。

おそらく幸せはだれにもほほ笑んでいる。
気づく機会が多いのが貧しい人。
そう考えると、老後にいくらか希望が湧いてくる。

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