NHK総合テレビで「“ハンカチ王子”と戦った4年間」が放送された。
私は仕事をしており、ときどき聞く程度。
早稲田大学野球部の斎藤佑樹投手に関するドキュメンタリー番組。
本人へのインタビューも含まれる。
ハンカチ王子と戦ったとは、期待の重圧と戦ったという意味だった。

私は大きな期待をかけられたことがない。
半世紀前を振り返れば、直江津小学校(新潟県直江津市)の高学年の頃はそれなりに活躍(?)した。
児童会長、鼓笛隊隊長、勉強、絵…。
60年近い人生で一番輝いていた。
親の期待をいくらか感じた。
しかし、それを面と向かって私に示さなかった。
うれしそうにしていた。
立派である。
ただし、親戚にはかなり自慢したらしい。

私は世間の注目を集めたことがなく、それがどれくらい大変か分からない。

2006年夏の甲子園決勝戦。
前評判が高くなかった早稲田実業・斎藤佑樹は、大会ナンバーワンの呼び声が高かった駒大苫小牧高校・田中将大とぶつかった。
2日連続の死闘を一人で投げ抜き、しかも田中将大に投げ勝った。
マウンド上で額の汗をぬぐったのがハンケチ。
端正なルックス、知的で清潔な雰囲気…。
「ハンカチ王子」の愛称がつけられ、一躍脚光を浴びた。

⇒2010年11月3日「斎藤佑樹は輝かしいスター、大舞台が似合う」はこちら。

斎藤佑樹は語った。
自分の名前が独り歩きし、イメージがどんどん膨らんでいった。
いわゆる「人気」。
それが早稲田大学野球部に在籍した4年間、ずっとついて回った。
周りからこれでもかと期待を寄せられた。

私は、斎藤佑樹がドラフトに不安を感じていたと知り、驚いた。
プロ野球の自分に対する評価を図りかねていたのだ。
当日、4球団の1位指名に笑みがこぼれた。
そして、運命の抽選くじ(当たりくじ)を引いた球団が日本ハムファイターズだった。

斎藤佑樹は群馬県で生まれ、高校から東京で暮らした。
ゆえに、在京球団、とくに東京六大学野球で活躍した神宮球場を本拠地とするヤクルトスワローズを願う気持ちがいくらかあったかもしれない。
しかし、彼は日本ハムの指名権獲得を心の底から喜んでいるように見えた。
いい男だ。

⇒2010年12月10日「斎藤佑樹は日ハムのユニフォームでいいのか?」はこちら。

番組で、斎藤佑樹は苦悩が深いほうだと知った。
表情をあまり崩さないので、これは意外だった。
汗用と思ったハンカチは涙用だった?

私が期待をかけられなかったということは、私が成果を上げなかったということ。
注目を浴びる立場になれなかったことにさみしさを感じた。

期待は人を変える。
おそらくよい方向へ導く。
問題は、大きな期待がかかったときだ。
それを重圧と感じ、逃げ出したくなる、押し潰される…。
本物や一流になるには、周囲の期待を自分のエネルギーに変えられなければならない。

なお、斎藤佑樹の目標は、子どもたちの目標になること(言葉は曖昧)。
やさしさが伝わってくる。
彼は人間として素晴らしい何かを持っている。

                       ◇

このブログで斎藤佑樹を幾度か取りあげた。
私は野球に限らず、スポーツに関する専門知識がない。

裏づけのない直感にすぎないが、斎藤佑樹はプロ野球で活躍する。
ダルビッシュ有が抜けるだろう再来期、日本ハムのエースに育っている。

現時点での実力は、読売ジャイアンツのドラフト1位指名・沢村拓一のほうがだいぶ上だ。
しかし、すでに投手として成長しており、ほぼ完成品。
それに比べ、斎藤佑樹はかなり伸び代が残っているのでは…。

乱暴を承知で、このブログで述べた。
開幕一軍などとケチくさいことを言わず、開幕投手に起用してほしい。

⇒2010年11月6日「斎藤佑樹エースナンバー18番で開幕投手へ」はこちら。

プロ野球人気に陰りが出て久しい。
それくらいのファンサービスが用意されてもよい。
なぜかパ・リーグが注目選手をどんどん引き当てている。
セ・リーグと人気が逆転する日が近い?

⇒2010年11月12日「沢村拓一は巨人の開幕投手、即沢村賞も…」はこちら。

あくまで直観だが、沢村拓一はそれくらいの実力を持っている。
当然、新人王。

⇒2010年11月6日「公家の斎藤佑樹と武士の沢村拓一…セ・パ交流戦対決」はこちら。

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