私は仕事に追われ、風呂もほとんど入れない。
久し振りに頭を洗ったら、髪の毛がごそっと抜けた。
不潔にしていたからか。
おそらく数百本。
てっぺんが一気に薄くなった。

叩きっ放しのキーボードが破損、使いっ放しのマウスバットも摩耗。
PCデポ港北本店で買ってきて仕事を続けている。
キーボードは、ソーラータイプにした。
年明け以降の講演の準備が間に合わないかもしれない。
あせる、あせる・・・。

さて、今年もまた「小学生クラス対抗30人31脚」の季節がやってきた。
・・・と思ったら、昨年で終了していた。
1996年から14回開催された。
私は、テレビ朝日で年末や年始に放送されるのを楽しみにしていた。

視聴率が取れないからか。
それともこうしたイベントは膨大な運営費(制作費)がかかるからか。
テレビ局の懐事情は年々、経済衰退による広告の減少、社会変化にともなうネット広告へのシフトなどで厳しくなるばかり。

ウィキペディアによれば、出場の公平性や勝利の正当性など、予選を含めた大会運営に何かと問題を抱えていたようだ。
足の速い児童を集めてクラス編成を行うなど、一部の学校の行き過ぎた実態も発覚した。

中止の背景としては、参加校や児童数が減少したこと。
さらに、中学受験のための塾通いの増加など、練習時間の確保が困難になったこと。

クラスが勝つためには全員が横一列に並んで50メートルを走らなければならず、猛烈な練習が必要になる。
その様子も放送されたが、小学生には過酷すぎるという批判も寄せられていたらしい。

以下に、「本気で悔しがる生き方、働き方」と題する2010年1月3日のブログを収める。
かなり手を加えた。

                      ◇◆◇

年末、小学生が50メートル走のタイムを競う「30人31脚」の番組をやっていた。
二人三脚のクラス版。
私は一部を視聴。
全国大会への進出をかけてレースに臨み、敗れて涙を流す子どもたちの姿が映し出された。
私は美しいと思った。

我が身を振り返り、悔し涙を流したことがない。
自分ではかなり頑張ってきたつもりだった。
しかし、限界に挑んでいなかったのか。
意識はしていなくても、一歩手前でブレーキをかけている?

私が悔し涙を流したことがないもう一つの理由は、原則として個人の世界で生き、働いてきたからだろう。
チームで困難な目標に立ち向かった経験がない。
一人は「他責」にできない。
厳しいのは確かだが、自分で結果を受け止めればよい気楽さがある。

ところが、皆で力を合わせて取り組むタスクはそうはいかない。
自分のちょっとした弛みやしくじりのせいで、成果を上げられないどころか台無しにしてしまう。
皆が真剣であるほど申し訳なく、もっと厳しい。
ここから、一人は皆のために、皆は一人のためにという言葉が生まれたのか。

団体競技はたいていこれだ。
例えば、甲子園の高校野球で一番つらいのは、自分のエラーが原因で敗れること。
立ち直れないほどの傷を負う。

私は、30人31脚のチーム編成のルールがどうなっているのか分からない。
だが、メンバーが進んで集まったクラブ活動と異なり、各人の意識も能力もバラバラ。
チームとしてまとまるのは非常に難しそうだ。
しかも、基礎的な練習の積み重ねが大事になる。
それは恐らく単調で地味で、その分だけきつい。
レースに対する温度差を乗り越えなくては全国大会に進出できない。

本気で悔しがる。
ありそうでない。
例えば、売り上げが目標に届かなくても、だれも本気で悔しがらない会社や職場が少なくない。
いや、多い。
全員に連帯感が薄く、各人に使命感が乏しい。
白けた空気が漂う。

本気で悔しがるのは、本気で取り組んだ証である。
本気で悔しがる生き方、働き方ができるのが、成功者の条件でなかろうか。

                      ◇◆◇

以上。

私はその後、このブログでフィギュアスケート女子の浅田真央を取りあげた。
彼女は試合で敗退しても大勢を感動させられる、まれなアスリートである。

以下に、「浅田真央が流した悔し涙の価値とは?」と題する2010年11月21日のブログを収める。
ただし、一部分を抜き出した。

                      ◇◆◇

何事も中途半端で投げ出してきた私は、これまで一度も悔し涙を流したことがない。
「30人31脚」「全日本吹奏楽コンクール」など、子ども(少年・青年)が出場するさまざまな競技が舞台裏を含めてテレビで放送される。
敗者はたいてい大泣きする。
本気で悔しがるのは、本気で取り組んだ証である。
そう、限界まで頑張った。

本気で悔しがる。
ありそうでない。
私自身はこれからも経験せずに一生を終えるのでないか。
本気で数知れず悔しがれるのが、一握り成功者だ。
彼らの最大の共通点は、敗北や挫折の経験が突出して多いことである。
凡人は自らブレーキを踏むので、失敗が少ない。
たいてい、できそうなことでお茶を濁しながら年を取っていく。

⇒2009年11月9日「成功の条件を考える」はこちら。

私は昭和26年(1951年)生まれの古い人間であり、人前で涙を流すのは潔くないという気持ちをどこかで引きずっている。
最近、だれもかれもたやすく泣きすぎる・・・。
そう考える私が感動したのが、2010年バンクーバー冬季五輪(オリンピック)で浅田真央が流した大粒の涙である。
とても痛ましかったが、同時にとても美しかった。
彼女が本番を迎えるまでに重ねてきた努力、乗り越えてきた試練に思いを馳せれば、悔し涙には正当な「価値」が認められる。
その尊さが、私たちの心を強く打った。

バンクーバーオリンピックで浅田真央は敗北を喫したわけでなく、銀メダルを得た。
ただ、彼女が望んでいた表彰台の一番高いところに立てなかった。
そこにすべてをかけ、凄まじい情熱とエネルギーを傾けてきた。
私が過去のオリンピックでもっとも印象に残った悔し涙である。

浅田真央は、自分に厳しい。
そして、周囲に優しい。
とくに気配りが半端でない。
若いのだから、私は気楽に、いや勝手に振る舞ってもらいたい。
が、浅田真央は決してそうしない。
この子が背負うものはあまりに重い。

2006年トリノ冬季五輪(オリンピック)金メダリストの荒川静香はしがらみと無縁だった。
本番では、大勢の期待に応えるのでなく、自分の滑りを見せることに徹した。
彼女が目指したのは、あくまでプロ転向の片道切符を手にすること。
私が知る範囲でもっともエレガントなスケーティングだと感じたが、人気はそれほど高くない。
ちなみに、もっともドラマチックなスケーティングだと感じたのはカタリナ・ヴィット。

荒川静香は目的志向が強く、そこから少しでも外れたものはばさばさ切り捨てられる。
日本人のウエットな国民性とかけ離れた地点に立つ。
これも立派な見識だろう。
そして、自分にとっての至上命題をクリアした。

⇒2010年2月24日「浅田真央と荒川静香、金メダルの苦闘」はこちら。

日本選手が一つもメダルを取れないうちに、トリノオリンピックは最終盤に差しかかった。
私たちが諦めかけていたとき、荒川静香はもっともまぶしいメダルをつかんだ。
努力が大前提にしろ、先の意思(考え)がそれを引き寄せた。
また、運をあわせ持っていた。

この選手に何が何でも金メダルを取らせてあげたい。
国民の多くがそう願うこと自体がとんでもなく凄い。
私は、2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で浅田真央が楽しく滑る姿を見られるなら満足である。
それだけで十分にうれしい。
が、栄冠に輝くことがあれば熱狂するだろう。

浅田真央には頂点が似合う。

⇒2010年5月4日「アンジェラ・アキと浅田真央の失敗」はこちら。

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