年末にパソコンが破損し、データが消滅した。
私はそれによる仕事の遅れをなかなか取り戻せない。
書き溜め記事が中心のこのブログは実質休止。

以下に、「間寛平、がんに打ち克ちゴールへ…アースマラソン」と題する2011年1月5日のブログを収める。

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マラソンとヨットによる地球一周「アースマラソン」に挑戦中の間寛平がきのう、約2年ぶりに日本の地を踏んだ。
2008年12月17日に大阪・難波を出発し、2009年元日に千葉・鴨川から出航した。
太平洋、北米大陸、大西洋、ユーラシア大陸を自らの足とヨットで突き進んだ。
昨年1月に「前立腺がん」が見つかり、2カ月ほど米国で治療に専念した。
行く手に多くの苦難が待ち受けていたが、間寛平はそれをすべて乗り越えて帰国した。
とりわけ病魔に打ち克ったのは凄い。
スタートからの総距離は約4万キロメートル(海路を含む)。

間寛平は今後、福岡から大阪まで 620キロメートルを走り、1月21日に大阪城音楽堂にゴールする予定。
途中、複数の映画館で凱旋トークイベントを行う。

以下に、「間寛平、人生の地平線をどこまでも走れ」と題する2010年4月25日のブログを収める。
いくらか手を加えた。

                      ◇◆◇

マラソンとヨットで世界一周に挑戦しているお笑いタレントの間寛平。
今年1月に前立腺がんと診断され、経口と注射によるホルモン治療を行いながらマラソンを続けていた。
しかし、体調が思わしくなく、トルクメニスタンで一時中断し、米国サンフランシスコで放射線治療を受けている。
もちろん“完走”するため。
担当医師によると、腫瘍の程度は5段階の4と高いが、2カ月ほどで完治しそう。
再スタートの時期は様子を見て判断する。

アースマラソンは「山あり谷あり」。
間寛平は治療とトレーニングを並行し、一日も早く日本に着けるように頑張りたいと語った。
本人のブログには連日、激励のメッセージが届いている。
間寛平が病魔と闘いながらゴールを目指す姿は、ファンに大きな勇気と感動を与えよう。

人はだれしも“老い”を迎える。
行く末を考えれば不安が膨らみ、来た道を振り返れば悔いが残る。
さまざまな思いが交錯し、心が揺れ動く。
それでも間寛平はひょうひょうとして生きる。

私がやりたくてできないことを、間寛平は代わりにやってくれている。
セカンドライフに誇りと喜びを見出せなくて元気を失いがちな団塊の世代や60代の憧れでもあろう。

「地球を走って一周する」。
ここまで壮大でなくても、一生のうちにこれといった目標を掲げられ、なおかつ実行へ移せる人はどれだけいるだろう。
私たちは何となく歳月を過ごし、気づけば夕暮れにたたずみ、すぐに朽ちていく。

間寛平のチャレンジは、困難そのもの。
入念な準備は当然として、それまでの不断の鍛錬、それに基づく実績の積み重ねがあってこそ可能性が芽生えるし、支援者も現れる。
私には絶対に無理と承知しつつ、うらやましいと思う気持ちがどこかにある。

自然は美しい。
そして厳しい。
吹きすさぶ砂漠、荒れ狂う海原、降り注ぐ太陽…。
行程の大半は過酷極まりないのかもしれない。

間寛平は、人生の地平線をどこまでも走っている。
胸に時折去来する思いは何なのだろう。

還暦間近の私は思う。
垢で汚れてしまった心を空っぽにできたら…。
広辞苑によれば、還暦とは「60年で再び生まれた年の干支に還るからいう、数え年の61歳の称」とある。

私は以前、たまたま見た報道番組で深いため息をついてしまった。
自分の境遇とのあまりに大きな隔たり…。
そこには大海原を背景に、こぼれるような笑顔の間寛平が映し出されていた。

⇒2011年1月4日「間寛平、愛妻と涙の抱擁…アースマラソン日本帰還」はこちら。

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