読売ジャイアンツ(巨人)の沢村拓一。
合同自主トレ、宮崎1軍キャンプと、評価がうなぎのぼりだ。
華のある斎藤佑樹に目を奪われがちだが、全身から放つオーラなら決して負けない。
武士のような面構えからふてぶてしい印象が先行するが、彼は求道的である。
私はルーキーイヤーから大車輪の活躍を予想している。
むろん、押しも押されもせぬエースへ。

私は野球に関して専門知識を持たない。
素人の直感で述べれば、上原浩治の入団時よりも上である。
馬力が凄い。

その上原浩治。
大阪体育大学から逆指名制度を活用し、ドラフト1位で巨人に入団した。
ルーキーイヤーの1999年、歴代4位タイの15連勝を含め、20勝4敗という素晴らしい成績を残した。
ポンポン投げ込む様は、実に小気味よかった。
バッターは読みを働かせる間を持てない。

新人の20勝到達は木田勇以来、19年ぶり。
最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振の投手3冠、合わせて最高勝率に輝いた。
新人王、沢村賞、ベストナイン(最優秀投手賞)のタイトルをつかんだ。
興行面も意識したローテーションが組まれ、「サンデー上原」と称された。

上原浩治は速球の切れもさることながら、コントロールが精密だった。
それに対し、沢村拓一は剛速球が命。
あまり制球にこだわらないことだ。
重心が非常に低いので案外、コントロールは悪くない?
ただし、入れ込みやすく、故障が心配。
無茶をしそう…。

巨人OBの城之内邦雄が先月、新人合同自主トレの打ち上げの日、川崎市のジャイアンツ球場を訪れ、沢村拓一を絶賛した。
1962年、新人ながら開幕投手を務めた背番号15「エースのジョー」だ。
背番号15、沢村拓一に開幕投手の太鼓判を押した。
さらに、下半身を鍛えればとの前提で、20勝の可能性を告げた。

開幕は3月25日。
沢村拓一が東京ドームで行われる横浜戦で先発を務めれば49年ぶりの快挙。

宮崎1軍キャンプ。
セ・リーグ他球団のスコアラーが偵察に訪れる。
沢村拓一の剛速球は、味方がざわめくほどの迫力だ。
捕手・阿部慎之助は「上原さんの全盛期の球を重くした感じ」と、印象を語った。

⇒2011年2月3日「勝ち星予想…沢村拓一・斎藤佑樹・大石達也」はこちら。

⇒2011年2月4日「沢村拓一15番、斎藤佑樹18番…実力はどちら?」はこちら。

⇒2011年2月7日「沢村拓一が宮崎牛に舌鼓…巨人1軍キャンプ」はこちら。

⇒2011年2月11日「沢村拓一に開幕投手テスト…巨人原辰徳監督」はこちら。

余談。
私が新人投手でもっとも記憶に残っているのは、日本ハムの木田勇である。
化け物だった。
ルーキーイヤーの1980年、22勝8敗4セーブ、 225奪三振、防御率2.28、勝率.733という成績を残した。
投手部門のタイトルを独占。
新人王は当然として、史上初となる新人でのMVPに輝いた。
が、あっという間に燃え尽きた。

◆書き加え1(2月6日)

城之内邦雄の発言を取りあげたら、懐かしさが込みあげてきた。
デビューは、私が直江津小学校の高学年だった。
実は、プロ野球で一番好きなピッチャーである。
記憶がすっかり曖昧になってしまった。
以下は、おそらく。

寡黙というか無愛想というかポーカーフェイスというか…。
バッターに完全に背を向け、ひるがえって体重を乗せて投げ込む変則フォーム。
つんのめる感じ。
野茂英雄の「トルネード投法」みたいなシンボリックなかっこよさはない。
腰はサイドスローの回転なのに、リリースポイントが胸の高さ。
しかも、腕が体に巻きついて出てくるような、わけの分からない投球法。
しかし、きわめて合理的でもある。
武器は、癖のある速球とえぐいシュート。
バッターは打ちづらいし、怖かったろう。
入団から5年で 100勝に到達した投手は城之内邦雄以降、現れていない。

私は堀内恒夫、江川卓、斎藤雅樹をしのぐと思う。
が、マスコミに取りあげられることがなかった。
「伝説」という言葉は、城之内邦雄に贈りたい。

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