NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」。
昭和7年(1932年)。
須藤陽子の少女時代を演じる八木優希が主役。
その父・須藤良一を演じるのは寺脇康文。
航空機開発に携わる研究者だったが、安曇野へ移住するにあたり製糸工場の工場長(?)に職を変えた。
内部の様子が映し出された。
家内工業よりいくらか大きな規模か。

私は父を思い出した。
昭和39年(1964年)、呉羽紡績(現東洋紡績)の直江津支所(新潟県)から伊那出張所(長野県)へ移った。
いわゆる栄転。
工場で働く従業員を確保する仕事だ。
中卒が「金の卵」ともてはやされた時代である。
彼女らが製造現場を支えた。
その労働の過酷さと悲惨さを綴った「女工哀史」が残されている。
この言葉はすでになくなっていた。

昭和41年(1966年)、呉羽紡績は突如、東洋紡績に吸収されて社名が消えた。
私は伊那中学校の3年生だった。
新聞などマスコミでの発表は対等合併(うろ覚え)。
父は何も知らされていなかった。

                       ◇

「おひさま」のヒロイン・八木優希は“おかっぱ頭”がとてもよく似合う。
戦後長らく女の子の髪形の主流として続いた。
私はとても懐かしい。
八木優希はかなりの訓練を積んできたのか、役柄を難なくこなしている。
子役の実績をそれなりに持っているのかもしれない。
かわいいし、演技もうまい。

母の須藤紘子・原田知世は日常生活で和服を着ている。
当時の都会では、そうした女性が珍しくなかったのかもしれない。
安曇野の田舎ではとにかく目立つ。
昭和37年(1962年)、私が直江津小学校の5年生の授業参観、和服を着た女性が現れた。
垢抜けていて、地元の人でないことはすぐに分かった。
クラスのなかでとびきり愛くるしい女の子の母親だった。
私は、この子は普段の洋服が周りと違うと感じていた。
特別の存在で、男の子はもちろん女の子もあまり話しかけなかった。
母親は際立って美しかった。
いまでいうオーラを発するほど・・・。

おふくろが自宅で話題にした。
自分は東京育ち、深川女学院(校名は不確か)卒業という気持ちがあった。
ほめはしたが、悔しさがにじんでいると、子ども心に思った。
懐かしい記憶がよみがえった。

この子はすぐに新潟市へ引っ越していった。
6年生の修学旅行が新潟市であり、その際に宿に訪ねてきてくれた。
私たちの目の前に現れた彼女はちょっと大人びていて、どきどきした。
都会人といった趣・・・。
庶民と、住む世界が別だったのか。

                       ◇

私は直江津小学校の卒業式が行われている時間、伊那市へ引っ越した。
国鉄伊那市駅に降り立ち、真っ先に「盆地」だと思い知らされた。
ショック!
東と西を高い山脈で囲まれていて、日本海を眺めて育った私にとり閉塞感が強かった。
救いだったのは、自宅が駅のすぐ裏手、天竜川から1〜2分の場所にあり、南北は視界が開けていたことだ。

次いで感じたのは、水道水のうまさだった。
直江津のそれがまずいと思ったことはなかったが、地域で水道水が異なることに驚いた。

先日の「おひさま」に、アルプスの雪解け水が流れる音に、母・紘子と陽子が岩に耳を押し当てて聞き入るシーンがあった(不確か)。
紘子は「命ってすごい(台詞は不確か)」と・・・。

伊那市の水道水はどこから取っていたのだろう。
案外、天竜川だったりして…。

                       ◇

紘子は重い心臓病を患っており、夫の良一に3人の子ども、なかでも小さな陽子の将来を託した。
上2人は男の子。
陽子がいとおしくて仕方がないのだ。

私の前の妻も同じ思いだったろう。
告知を行わなかったが、末期がんで覚悟はしていたか。
「3人の子どもを残して、死んでも死にきれない」と、たった一度だけ「死」という言葉を使ったことがある。
泣き言をこぼさず、亡くなった。

「ひまわり」は土曜日に早くも井上真央が登場するらしい。
そうなると、八木優希と原田知世の二人は“御役御免”になるのだろうか。
もうちょっと見たい気がするが・・・。

◆書き加え1(4月6日)

小学校の友人・田中ユキとの別れのシーンはつらかった。
演じたのは、子役・荒川ちか。

当時、米をつくっている農家でも米を食べられないことは珍しくなかった。
私の祖母は、入善・椚山(富山県)の貧農だった。
大正生まれの父を女手一つで育てた。
ほかに男1人、女2人。
もう一人いて、小さい頃に亡くなったという話を聞いた気もするが…。
大正から戦中にかけて4人の子どもを養うのは、想像を絶する苦労だったろう。
しかも、祖母は子どもみたいに体が小さかった。
そのうえ、大やけどで片方の手が溶け、肉の棒と化していた。
これで過酷な農作業をこなさなければならなかった。

長男だった父は家を飛び出した。
後を継がないということは当時ありえない。
どうにもならない貧しさが耐えられなかったのでないか。
大阪へ出て、書生暮らし。
それとて“地獄”に違いない。
向学心と向上心が非常に強かったようだ。
父は自分の苦労を私にも妹にも語らなかった。

昔、極貧の家庭では子どもは小学校にろくに行けず、遠くへ働きに出された。
稼ぎを当てにするというより、口が減るだけでも助かったのでないか・・・。
「おひさま」のシーンは、それだった。
ユキは一番の親友・陽子にさえ事情を明かさずに去らなくてならない・・・。

⇒2011年4月4日「井上真央・おひさま、日本を明るく照らす」はこちら。

⇒2011年4月5日「おひさまの舞台、安曇野の自然の美しさ」はこちら。

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