女子サッカー、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会。
日本代表「なでしこジャパン」は世界一に輝いた。
日本2(PK3−1)2米国。

日本は0−1の後半36分にMF宮間あやのゴールで同点に追いついた。
延長前半14分に勝ち越しを許したが、延長後半12分にMF沢穂希のゴールで再び同点に追いつき、PK戦へ。
そのPK戦はGK海堀あゆみの好守などで3−1とし、初制覇。
日本は米国に過去3分21敗と未勝利だった。
男女を通じ、初めて世界大会の優勝を果たした。
東日本大震災に見舞われて苦しむ日本人に勇気と感動、元気を与えてくれた「なでしこジャパン」に感謝したい。

女子サッカーは国民の関心と人気が爆発的に高まり、ニュース番組などに露出する機会が増えた。
テレビをほとんど見られない私が幾度も目にしたくらいだ。
「なでしこジャパン」は「国民栄誉賞」を贈られた。
1977年の創設以来18人が受賞しているが、団体の受賞は初めて。
大小さまざまな表彰が行われ、選手たちは引っ張りだこに…。

                       ◇

世界ランク1位の米国との決勝戦。
実力で上回る米国は前半に点を取れず、焦りが生じた。
0−0で後半を迎えるのは日本が狙った展開だった。
1−1で延長戦へなだれ込んだ。
上出来・・・。

ほとんどの日本人が敗戦を覚悟した延長後半12分、沢穂希が宮間あやの左コーナーキックを右足で合わせた。
ボールはネットを揺らした。

「絶対に諦めない」。
私はありきたりな表現しかできないが、勝利への執着が奇跡の同点ゴールを呼び寄せた。
文字どおり“神がかり”だった。

直前に打ち合わせを行ったとはいえ、あそこまで見事に決まってしまうとは・・・。
日本は長身の米国選手とのヘディング勝負を避け、低いボールを落とすポイントを決めた。
その狙いもタイミングもどんぴしゃ。
沢穂希がゴール前の集団からするりと抜け出し、相手守備陣の前に割って入った。
そして、蹴り込まれたボールにジャンプした足で触った。
入れたのか、入ったのか、素人の私には分からない。
おそらく入れた。
しかし、サッカーの神様が微笑んでくれなければ入らなかった。
私は運まで味方につけた、凄まじい執念に鳥肌が立った。
あのような場面を想定して猛練習を繰り返してきたに違いない。
PK戦に持ち込んだところで、勝負の決着はついていたのかもしれない。
結局、沢穂希の同点ゴールが世界一の座を手繰り寄せた。

紙吹雪が派手に舞うなか、優勝トロフィーを高々と掲げた沢穂希の笑顔が目に焼き付いた。
日本代表での国際Aマッチ通算ゴール数は男子の釜本邦茂を上回り、前人未到の「80」に達した。
初の得点王と最優秀選手(MVP)に輝いた。

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「沢穂希(さわ・ほまれ)」という名前からして奇跡である。
親が「穂希」には「五穀豊穣」と「希望」の意味を込め、「ほまれ」には「名誉となることを成し遂げる人になってほしい」との願いを込めたようだ。

沢穂希は小学校から都内の男子強豪クラブで“天才少女”としてプレーし、15歳から日本代表の中心選手として君臨した。
苦節18年。
女子サッカー界を背負ってきた。
五輪は3大会、W杯は5大会に出場している。
途中、日本女子サッカーの低迷期、米国でプレーし、スピードと判断力を磨いた。
沢穂希のサッカー人生は日本女子サッカーの歴史と重なる。

「サッカー人生の集大成としてメダルを取りたい」と意気込んで臨んだワールドカップ(W杯)ドイツ大会。
頂点に立ったことにより、当面の現役引退は消えた。
2012年ロンドン夏季五輪への期待が一気に高まった。
もちろん、欲が出た選手らはオリンピックで金メダルを狙う。
2008年北京夏季五輪で4強に入っている。

このブログは優勝の翌日か翌々日に書きかけた記事(素材)を仕上げてアップした。
凄い試合だった・・・。

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なでしこジャパン・沢穂希に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年6月26日「なでしこジャパン澤穂希、川島永嗣の眼光…W杯」はこちら。

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