プロ野球ドラフト会議2011(新人選手選択会議2011)で読売巨人軍(ジャイアンツ)が菅野智之獲りを逃すという大失態を演じた。
巨人に続いて北海道日本ハムファイターズが指名すると、会場に招待された千人の野球ファンから拍手と歓声が沸いた。
巨人はまさかの抽選に、予定と異なり監督の代役として清武英利球団代表兼GMが壇上へ。
肉親の情を考慮したものだ。
そして、津田敏一球団社長が運命の当たりくじ「交渉権確定」を引くと、清武英利GMは顔色を失った。
会場は大きくどよめいた。

巨人は過去最速となる昨年12月14日、球団としてドラフトでの1位指名を表明した。
菅野智之は最速 157キロの本格派右腕、即戦力。
一級品の直球に加え、多彩な変化球を投げ分ける。
制球力も抜群だ。
東海大学側も巨人以外ならメジャー挑戦もしくは社会人入りを示唆し、各球団をけん制していた。

ドラフト当日まで、菅野智之投手の1位入札は巨人だけだと予想されていた。
原辰徳監督の甥(おい)という血縁関係。
2009年の長野久義、2010年の澤村拓一と逸材の単独指名に成功した巨人は、そこに割り込む球団はないと警戒心が薄かった。
その隙を日本ハムに突かれた。
これでドラフトの超目玉の3年連続“一本釣り”が阻止された。

監督の身内ゆえ、巨人に油断があったのは事実。
マスコミも単独指名が確定したかのように報道した。
無競争で長野久義と澤村拓一を獲得したとされるが、実際には巨人と本人の努力の結果だった。
それが今回は詰めが甘く、ダメを押せなかった・・・。

菅野智之は伯父である原辰徳監督の引退試合を観戦した小学1年生(6歳)でプロ野球選手を目指しはじめた。
高校生でプロ野球へ進めた。
しかし、伯父や祖父のおかげと言われるのが嫌だった。
そこで、大学で文句なしの実力をつけたうえでプロ野球に行きたいとして進学を選んだ。

菅野智之はあの日以来、巨人でプレーすることが夢となり、それを叶えるために努力を重ねてきた。
ところが、待ちに待った晴れの日が一転した。
神奈川・平塚の大学での記者会見で困惑と失意を隠せず、ぼう然・・・。
相思相愛の巨人入りはならず、ナインによる胴上げ、記念撮影は取りやめた。

                       ◇

日本ハムはダルビッシュ有がポスティング移籍で退団することになりそうで、先発投手の補強が最優先だった。
春の時点から菅野智之を1位指名と決め込んでいたらしい。
ドラフト会議後、東海大学関係者と連絡がつかず、当日の指名挨拶を断念した。
むろん、入団交渉が難航することを覚悟のうえで指名に踏み切っている。

ただし、日本ハムは手続きがまずかった。
事前に指名の挨拶をまったく行っていない。
ドラフト戦略上やむをえなかったとの見方があるが、どうだろう?
むろん、そうしたからといって入団交渉が容易になるわけでないが、最低の礼儀はあってしかるべきだ。
選手本人はもちろん、親は子の職業人生をその球団に託する。

私は、相手の態度を硬化させる方向にしか働かないと思う。
実際、祖父の原貢・東海大学野球部顧問、そして父は強い不信感を口にした。
日本ハムに昨年のドラフトで斎藤佑樹を射止めた驕りがあるのでないか。
菅野智之は監督や両親と相談して11月中旬に態度を明らかにするようだが、入団拒否の可能性も出てきた。

なお、スポーツマスコミに「強行指名」や「交渉権強奪」という表現が見られた。
これはおかしい。
ドラフトは「戦力の均衡化」が趣旨だ。
2008年、一部の人気球団、有力球団に逸材が集中する旧制度が改められ、現在の形になった。
日本ハムはドラフトのルールに則って入札しており、それを非難するのは間違っている。

また、菅野智之が日本ハムへの入団を拒否したとして、それを非難するのも間違っている。
選手には職場(チーム)を選ぶ権利がある。
冷静になって自分が野球に打ち込める結論を導き出すことだ。
時代は変わり、地域密着型の球団経営を志向するパ・リーグに勢いが見られる。

日本ハムは菅野智之の入団にこぎ着ける秘策か別ルートの強力な伝手(ツテ)を持っているのだろうか・・・。
今後の成り行きが注目される。

                      ◇◆◇

菅野智之に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年10月27日「菅野智之、巨人を逆指名…長野久義、澤村拓一に続け!」はこちら。

⇒2011年10月23日「菅野智之は横浜と巨人が指名…ドラフト会議12球団1位予想」はこちら。

⇒2010年11月14日「東海大・菅野智之は巨人、興南・島袋洋奨は中央大」はこちら。

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