きのうのブログ「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」に続いて・・・。
⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。
このブログの記事はたいてい書き溜めである。
先日、浅田真央に関して動きがあった。
浅田舞・真央が所属するマネジメント会社IMGは、姉妹の母・匡子さんの葬儀が名古屋市内で近親者のみで執り行われたこと、二人が年末年始の活動を予定どおり行うことを発表した。
浅田真央は12月23日開幕の「全日本フィギュアスケート選手権2011」に出場する。
私は驚いた。
浅田真央は練習に集中するどころか、その時間を確保することもままならない状態と推察されるからだ。
しかし、佐藤信夫コーチと相談しつつ、2年ぶり5回目の優勝を目指して地元で練習を再開する。
年明けのアイスショーにも出演する。
本人もマネジメント会社を通じてコメントを発表した。
グランプリファイナルの欠場により関係者やファンに迷惑と心配をかけたことを詫びた。
このところ名古屋を離れるときにはこれが最期になるかもしれないと思っていた。
母はぎりぎりの闘病生活を続けており、浅田真央は覚悟ができていたようだ。
◇
GPファイナルのフリーから一夜明けた高橋大輔は、「僕たちは何もしてあげることができないけど、温かく見守ってあげたい」と、最愛の母を亡くした浅田真央を気づかった。
そのうえで、「絶対にまた試合に出てほしい。スケート好きのお母さんもそれを望んでいると思う。僕も浅田選手のスケートを見たい」と話した。
さらに、「次に会ったときにどうしてあげればいいのか考えてしまう。みんなで一緒にいて忘れているほうがいいのかもしれない」と、なるべく浅田真央の近くにいて心の支えになりたいと語った。
高橋大輔はやさしくあたたかい。
浅田真央は大会に出場することが母への一番の供養になると考えている。
悲しみを乗り越えてリンクに立つ姿を天国の母にどうしても見せたいのだ。
凄まじい気迫である。
浅田真央が5歳でスケートを始めてから練習や試合に付き添ってきた母。
バンクーバーオリンピックで銀メダルに終わり、浅田真央は2014年ソチオリンピックで金メダルに輝きたいと、佐藤信夫コーチのもとで再スタートを切った。
これまでの競技人生を命がけで支えてくれた母の魂を感じながら全日本選手権で滑る決意を固めた。
私としては、浅田真央に心身をいたわる時間を取ってもらいたかった。
◇◆◇
浅田真央が12月12日に発表したコメントは以下のとおり。
660字に母への思いが綴られている。
◇
応援してくださっている皆さん、スケート関係、及びマスコミの皆さんへ
この度は、大変ご心配をおかけするとともに、試合直前の欠場となり、大変ご迷惑をおかけしました。
最初ケベックで連絡を受けたときは、今すぐに帰りたい、という気持ちと、試合を欠場しても良いのか?という思いで複雑でしたが、すぐに帰国して良かったと思っています。
帰る飛行機の中では、色々な事を考えましたが、きっとお母さんは自分が帰ってくるのを待っていてくれると信じて、ずっと祈っていました。
しかし、成田空港に到着してすぐにメールを確認すると、「ママは頑張れなかった」というお父さんからのメールを見て、涙が止まりませんでした。
それでも、もしかしたら、と思い、名古屋の病院に駆けつけ、何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。
でも、充分頑張ったし、もう、痛い思いをしないで済むんだ、と思うと、少しホッとする部分もあります。
この半年、容態が良くない時が時々あり、名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。
私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。
生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやることが、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。
皆さん、今後とも応援よろしくお願いします。
浅田真央
◇◆◇
浅田真央に関するブログは以下のとおり。
⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。
⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。
⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。
⇒2011年12月9日「トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦」はこちら。
⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。
⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。
⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。
⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。
⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。
⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。
⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。
⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。
⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。
⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。
⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。
⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。
⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。
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⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。
このブログの記事はたいてい書き溜めである。
先日、浅田真央に関して動きがあった。
浅田舞・真央が所属するマネジメント会社IMGは、姉妹の母・匡子さんの葬儀が名古屋市内で近親者のみで執り行われたこと、二人が年末年始の活動を予定どおり行うことを発表した。
浅田真央は12月23日開幕の「全日本フィギュアスケート選手権2011」に出場する。
私は驚いた。
浅田真央は練習に集中するどころか、その時間を確保することもままならない状態と推察されるからだ。
しかし、佐藤信夫コーチと相談しつつ、2年ぶり5回目の優勝を目指して地元で練習を再開する。
年明けのアイスショーにも出演する。
本人もマネジメント会社を通じてコメントを発表した。
グランプリファイナルの欠場により関係者やファンに迷惑と心配をかけたことを詫びた。
このところ名古屋を離れるときにはこれが最期になるかもしれないと思っていた。
母はぎりぎりの闘病生活を続けており、浅田真央は覚悟ができていたようだ。
◇
GPファイナルのフリーから一夜明けた高橋大輔は、「僕たちは何もしてあげることができないけど、温かく見守ってあげたい」と、最愛の母を亡くした浅田真央を気づかった。
そのうえで、「絶対にまた試合に出てほしい。スケート好きのお母さんもそれを望んでいると思う。僕も浅田選手のスケートを見たい」と話した。
さらに、「次に会ったときにどうしてあげればいいのか考えてしまう。みんなで一緒にいて忘れているほうがいいのかもしれない」と、なるべく浅田真央の近くにいて心の支えになりたいと語った。
高橋大輔はやさしくあたたかい。
浅田真央は大会に出場することが母への一番の供養になると考えている。
悲しみを乗り越えてリンクに立つ姿を天国の母にどうしても見せたいのだ。
凄まじい気迫である。
浅田真央が5歳でスケートを始めてから練習や試合に付き添ってきた母。
バンクーバーオリンピックで銀メダルに終わり、浅田真央は2014年ソチオリンピックで金メダルに輝きたいと、佐藤信夫コーチのもとで再スタートを切った。
これまでの競技人生を命がけで支えてくれた母の魂を感じながら全日本選手権で滑る決意を固めた。
私としては、浅田真央に心身をいたわる時間を取ってもらいたかった。
◇◆◇
浅田真央が12月12日に発表したコメントは以下のとおり。
660字に母への思いが綴られている。
◇
応援してくださっている皆さん、スケート関係、及びマスコミの皆さんへ
この度は、大変ご心配をおかけするとともに、試合直前の欠場となり、大変ご迷惑をおかけしました。
最初ケベックで連絡を受けたときは、今すぐに帰りたい、という気持ちと、試合を欠場しても良いのか?という思いで複雑でしたが、すぐに帰国して良かったと思っています。
帰る飛行機の中では、色々な事を考えましたが、きっとお母さんは自分が帰ってくるのを待っていてくれると信じて、ずっと祈っていました。
しかし、成田空港に到着してすぐにメールを確認すると、「ママは頑張れなかった」というお父さんからのメールを見て、涙が止まりませんでした。
それでも、もしかしたら、と思い、名古屋の病院に駆けつけ、何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。
でも、充分頑張ったし、もう、痛い思いをしないで済むんだ、と思うと、少しホッとする部分もあります。
この半年、容態が良くない時が時々あり、名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。
私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。
生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやることが、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。
皆さん、今後とも応援よろしくお願いします。
浅田真央
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浅田真央に関するブログは以下のとおり。
⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。
⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。
⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。
⇒2011年12月9日「トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦」はこちら。
⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。
⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。
⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。
⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。
⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。
⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。
⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。
⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。
⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。
⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。
⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。
⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。
⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。
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