私は、それほど重くない仕事とはいえ、月曜日の締め切りを3本抱えており、間に合わせるのに必死。
頭から湯気が昇っている。
連日、夢のなかでうなされ、すぐに目が覚めてしまう。
今年は遅咲きの桜も、見ないうちに終わりそう・・・。

私はすっかり世相に疎くなっているが、そろそろダルビッシュ有が登板するはずだ。
現役時代を知る投手でナンバーワンと考える。
お気に入り。

ところで、オリンピック4冠の北島康介。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。

⇒2011年6月9日「北島康介、ロンドンオリンピックへの苦闘と挫折」はこちら。

北島康介は、2004年アテネ五輪、2008年北京五輪に続いて2012年ロンドン五輪の日本代表になった。
私は代表選考会を兼ねた日本選手権をスポーツニュースで見た。
百メートルは余裕のゴール。
得意の2百メートルは立石諒に追い上げられたものの逃げ切った。
これにより日本の競泳選手では史上初の4大会連続出場を決めた。
素晴らしい。

北島康介は依然として男子競泳平泳ぎの第一人者だった。
強じんな意志を持ち、壮絶な努力をいとわない。
また、自らを客観的に眺め、オリンピックで勝つための戦略を定めて計画を立てられる。
4年に一度の大舞台での無類の勝負強さはそこから生まれる。

⇒2010年12月14日「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」はこちら。

北島康介はとうにピークを過ぎた29歳。
ロンドンオリンピックで金メダルが獲れればもちろんうれしいが、私は決勝に進出するだけでも快挙だと思う。
百メートルか2百メートルで3連覇を達成することがあれば「怪物」を通り越して「化け物」と表現するしかない。
これまで大きな勇気と感動を与えてくれた北島康介には、ロンドンオリンピックを存分に楽しんでもらいたい。

⇒2011年6月30日「北島康介の勝負脳、浅田真央の脱皮計画を応援しよう!」はこちら。

名選手が名コーチになると限らない。
しかし、北島康介は間違いない名コーチになると考える。
オリンピックで結果を残せる選手を育ててほしい。

私は、北島康介と高橋大輔が互いの活躍に刺激され、オリンピックへの情熱を再燃させたことを思い出した。
実績十分の二人は、台頭著しい若手のなかに身を投じて厳しい戦いに挑む。
いや、それどころか若手を引っ張っている。
「人間力」が突出する。

⇒2011年6月24日「北島康介と高橋大輔、五輪への思い再燃…現役続行」はこちら。

私にとり、浅田真央とイチローは「畏敬」の対象である。
見ているとつらくなるが見てしまう。

⇒2012年4月1日「浅田真央、ライバルと戦う前に自分に負ける…世界選手権」はこちら。

⇒2009年9月15日「イチロー、心が折れる」はこちら。

北島康介と王貞治は「尊敬」の対象である。
憧れの気持ちが混ざる。

高橋大輔は「親愛」の対象である。
要は、好きだ。
世界フィギュア選手権後、世界フィギュア国別対抗戦での主将に任命された。
日本チームをまとめ、優勝へ導いていくはずだ。
故障の羽生結弦に代わり出場する小塚崇彦に頑張ってほしい。

⇒2012年3月31日「高橋大輔は別格、芸術性の高い熟練の演技で魅了」はこちら。

ちなみに、長嶋茂雄は別格。
選手時代から監督時代まで、突き抜けた存在でありつづけた。
私が子どもの頃の世相を明るく照らした太陽(おひさま)であり、まぶしかった。
多分に神格化されているが、そうでなければ戦後最大のヒーローは生まれなかった。
スーパースターとは、そういうもの。

⇒2009年9月25日「ONの時代…両雄並び立つ奇跡!」はこちら。

以下に、「浅田真央は五輪4冠の北島康介の脱皮計画に学べ」と題する2010年12月14日のブログを収める。

                      ◇◆◇

日本男子競泳平泳ぎの第一人者・北島康介。
2004年アテネ五輪(オリンピック)の百メートル、2百メートルで金メダルを獲得した。
2008年北京五輪(オリンピック)の同じ種目で2冠。
男子百メートル平泳ぎの2連覇は世界初。
平泳ぎで2大会連続2種目制覇は世界初。
私が考えていた以上の快挙である。

北島康介は中学2年生で東京SCコーチの平井伯昌に才能を見出された。
図抜けた何かを持っていたのだろう。
そして、初めて臨んだ2000年シドニー五輪(オリンピック)の百メートルで決勝に進出したが、4位入賞に留まった。

そこで、北島康介はアテネオリンピックへ向けて大きな脱皮に挑んだ。
スポーツ選手にとり最高の舞台で頂点に立てる泳ぎを追求したのだ。
さらに、北京オリンピックへ向けて脱皮に挑んだ。
しかも、2012年ロンドン五輪(オリンピック)へ向けて脱皮に挑んでいる。
私は、二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチのもとを離れたという話を耳にした(不確か)。
驚きだ。

北島康介は五輪を節目に「進化」を遂げてきた。
もう一度言うが、「勝つ」ためだ。
逆に言えば、それまでの泳ぎでは勝てないと判断を下した。

私は思う。
北島康介の最大の凄みは、オリンピックをしっかりと見据えた準備にある。
過酷極まりない計画。
2〜3年がかりで古い泳ぎを脱ぎ捨てる。
いや、新しい泳ぎをつくりあげる。
いかなる変化もリスクをともなうが、それを強固な意志でやり遂げてきた。

年齢的にきわめて微妙なロンドンオリンピック。
それでも北島康介は諦めていない。
参りました。

2014年ソチ冬季五輪(オリンピック)で表彰台の一番高いところを目指す浅田真央がもっとも学ぶべきアスリートは、北島康介を置いてほかにいない。

                      ◇◆◇

浅田真央に関するブログは以下のとおり。

⇒2012年4月5日「溺れる浅田真央は内村航平をもつかむ…立て直しのヒント」はこちら。

⇒2012年4月4日「浅田真央抜き視聴率…フィギュア国別対抗戦放送予定」はこちら。

⇒2012年4月1日「浅田真央、ライバルと戦う前に自分に負ける…世界選手権」はこちら。

⇒2012年3月29日「浅田真央、半伽思惟像のほほえみ…世界フィギュア選手権」はこちら。

⇒2012年3月25日「浅田真央は頂点へ…世界フィギュア選手権2012放送予定」はこちら。

⇒2012年2月12日「浅田真央、ソチオリンピックで金メダルはムリ・・・」はこちら。

⇒2012年1月11日「浅田真央、女王復活のシナリオ…世界フィギュア選手権2012」はこちら。

⇒2011年12月28日「浅田真央、視聴率の化け物…日本唯一のスーパースター」はこちら。

⇒2011年12月26日「浅田真央優勝、天上の母へ金メダルのクリスマスプレゼント」はこちら。

⇒2011年12月25日「浅田真央、全日本選手権感動大賞(女子部門)決定!」はこちら。

⇒2011年12月24日「浅田真央、明るい受け答え…笑顔に隠す深い悲しみ」はこちら。

⇒2011年12月23日「浅田真央の調子…全日本フィギュア選手権5度目の優勝へ」はこちら。

⇒2011年12月15日「浅田真央、全日本選手権2011出場…母・匡子さんへの供養」はこちら。

⇒2011年12月14日「浅田真央、好意に甘えるのもよし…特例で世界選手権代表選出」はこちら。

⇒2011年12月11日「鈴木明子、浅田真央の分まで頑張る…GPファイナル銀メダル」はこちら。

⇒2011年12月10日「浅田真央、母・匡子さんの願い『娘よ、悲しみを乗り越えて…』」はこちら。

⇒2011年12月9日「トゥクタミシェワは3Aを跳び、浅田真央を揺さぶる…GP決戦」はこちら。

⇒2011年12月6日「浅田真央、トリプルアクセル回避…グランプリファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月3日「浅田真央、トゥクタミシェワと激突!…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年12月2日「佐藤信夫、はれものに触る…浅田真央に遠慮と我慢」はこちら。

⇒2011年12月1日「グランプリファイナル2011…鈴木明子と浅田真央が出場」はこちら。

⇒2011年11月28日「浅田真央、トリプルアクセルは代名詞から疫病神へ・・・」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、見事なダブルアクセル…GPファイナル2011」はこちら。

⇒2011年11月26日「浅田真央、心のなかで『たかちゃん、ごめんね』」はこちら。

⇒2011年11月25日「浅田真央、跳びたいから跳ぶのは幼い…GPシリーズ2011」はこちら。

⇒2011年11月23日「浅田真央、GPファイナル2011進出の条件…ロシア大会」はこちら。

⇒2011年11月20日「浅田真央に負けるわけにいかない小塚崇彦…全日本選手権2011」はこちら。

⇒2011年11月13日「浅田真央、納得の笑顔…ソチ五輪金メダルへ確かな手応え」はこちら。

⇒2011年11月12日「浅田真央、完全復活は間近…GPシリーズ2011NHK杯復調」はこちら。

⇒2011年11月2日「浅田真央をあたたかく見守ろう…心強い小塚崇彦の存在」はこちら。

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