私はGW以降、家を長く留守にすることが多い。
父の日も誕生日も不在だったので、まったく忘れていた。
それを思い出させてくれたのは、中学3年生の子どもだった。

父の日に「エビスビール」や「サントリー ザ・プレミアム・モルツ」などのロング缶6本をプレゼントしてくれた。
誕生日に港北ニュータウンのケーキ屋「RER」のタルトなどをプレゼントしてくれた。
実際は自宅に戻った日に・・・。

⇒2012年5月8日「RERのケーキが一番おいしい…港北ニュータウン」はこちら。

ケーキはともかく、ビールはそれなりの出費になる。
子どもに最低限のこづかいしか渡していないが、少しずつ残して貯めたようだ。
計画性を欠く私には驚きだ。
こづかいはいくらあっても足りない年頃なのに・・・。

子どもは小学5年生くらいから勉強に打ち込みはじめた。
おそらく平日は4〜8時間、休日は8〜16時間。
勉強以外はしない日が長期間続くことがある。
1年を通じて朝が非常に早くて正確であり、登校前にかなりの勉強を済ませている。
しかも自力で起きる。
意志が恐ろしく強い。

私自身は勉強にきわめて不熱心だった。
明治大学も5年中退である。
子どもは妻の血を引いているのかもしれない。
妻は母親に育てられ、家が極貧だった。
大学へ進めなかった無念の思いを50歳近くになっても引きずっている。

私は子どもが勉強ばかりしていることが気になり、ブレーキをかけようとしてきた。
幼少期から青年期まで遊びが第一という思いが強い。
大人になったら、まして結婚に踏み切ったら、家族を食べさせるのに精一杯になる。
私は狂ったように働いたが、それでも5人の食い扶持に追いつかなかった。
どうかいまのうちに遊んでほしい。

ところが、本人は勉強が好きで楽しいと言う。
そう返されると、無理にやめさせるわけにいかない。
子どもは私の理解が及ばないところにいる。
確かに、勉強時の凄まじい集中力はそれを裏付ける。

私にとり勉強は退屈そのものだ。
すぐに飽きてしまい、長く続けられない。
私はせめて行動(仕事)を通じて学びを得たいと頑張ってきた。

あっという間に61歳を迎えていた。

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