私は1970年に日本経済新聞社の奨学生制度(日経育成奨学会)を利用して明治大学に進学した。
そうしなくては地元の国立大学(当時二期校)しか選択肢がなく、上京を諦めるしかなかった。
私は勉強、まして四年制大学卒業という資格にまったく興味がなく、東京に出たいという一心だった。
そうすれば自分を変えられるのでないかという漠然とした思いである。

私は上京した当日に日経高円寺専売所(当時)に住み込み、翌日から朝・夕刊の配達を行った。
むろん、数日は先輩についていき、仕事を教わった。
そして、集金なども行った。

⇒2010年3月7日「地獄の新聞奨学生制度へようこそ1」はこちら。

当時、日本経済新聞は発行部数が百万部前後。
実は運・不運があり、私は非常にきつい7区(当時)を担当した。
読者の密度が高いオフィス街や商店街でなく、純然たる住宅街ということ。
自転車を飛ばし、駆け足をしないと朝刊の配達は3時間、夕刊の配達は2時間半かかった。
ただし、2年目に楽な2区(当時)に変更してもらった。
朝・夕刊の配達はそれぞれ1時間近く短くなった(40〜50分か)。
1年間頑張ったご褒美である。

⇒2010年3月7日「地獄の新聞奨学生制度へようこそ2」はこちら。

現在は新聞配達の時間が短いのでないか。
また、おそらく集金も行わない。

さて、そうした経験から、私は新聞販売店の経営の内情はいくらか分かっている。
当時もそれほど楽でなく、いまはかなり厳しいはずだ。

⇒2009年8月20日「新聞が消える、宅配がなくなる」はこちら。

私は新聞配達の仕事に就くことで、親に負担をかけずに東京暮らしを叶えた。
だから、心情としては新聞(紙)を取ってあげたい。
しかし、実際には日経電子版しか取っていない。
紙に電子版を加えるとプラス千円なのに、電子版だけだと紙と同じ購読料になる。
用紙・印刷・製本(折り)・梱包・配送・配達など、コストがまったく違う。
高すぎる!

⇒2009年8月21日「新聞販売店の生き残り」はこちら。

私は当初の日経Wプラン(併読)から、地球環境にも優しそうだからと、電子版の単独購読に切り替えた。

何せ電子版は圧倒的に利便性が高い。
情報が速く、しかも使い勝手が抜群にいい。
購読(といっても見るくらい)の時間が短くて済む。
ページをめくる手間がいらない。
文字も大きくできる。
至れり尽くせり・・・。

⇒2010年9月8日「日経電子版、突出した利便性と使い勝手!」はこちら。

ところで、私が紙を取らなくなったのには、もう一つ大きな理由がある。
約40年に及ぶ営業活動を58〜59歳でやめた。
私は重点顧客の上層部へ働きかける際に、日本経済新聞などの記事の切り抜きを持ち歩いていた。
面談の導入が円滑になるだけでなく、商談への誘導が自然になる。
こちらが情報を引き出さなくても、切り抜き記事を介して相手がしゃべってくれることが多い。
重宝した。

また、私は「情報営業」として企業研修やSMBCコンサルティング主催の公開セミナーなどで、新聞や雑誌、業界紙や専門誌の切り抜き記事を用いた営業活動の進め方とポイントを指導してきた。
が、私自身は営業の現役を退いた。

おそらく、紙に戻ることはないだろう。

                       ◇

新聞と宅配制度に関するブログは以下のとおり。

⇒2009年8月20日「新聞が消える、宅配がなくなる」はこちら。

⇒2009年8月21日「新聞販売店の生き残り」はこちら。

⇒2009年10月14日「溜まった新聞にうんざり…出張帰り」はこちら。

⇒2009年10月14日「凄い! 日経が電子版で読める!」はこちら。

⇒2009年11月10日「地方紙危機、北日本新聞が夕刊廃止へ」はこちら。

⇒2009年11月20日「書籍・雑誌・新聞、紙媒体消滅へ」はこちら。

⇒2009年11月23日「新聞・テレビ・広告は構造不況業種」はこちら。

⇒2010年9月8日「日経電子版、突出した利便性と使い勝手!」はこちら。

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