《7月5日》

huu01私は6日間の出張からくたくたの状態で自宅に戻ってきました。

私が留守にしていた9日間と6日間の出張中に、高齢のアメショー「フウ(♀)」が一気に弱り、ほとんど食べられなくなりました。
がりがりで横たわり、心臓と肺が苦しそうです。
妻によれば、トイレにふらふら歩いていくくらいで、それも回数が極端に減ったとのこと。

私が呼びかけたら尻尾を盛んに振りましたが、顔をずらすことも顔を持ちあげることも難儀そうです。

実は、9日間の出張後、6日間の出張前、フウは「介護」が必要と考え、私の書斎から妻の部屋に移しました。
私は面倒を見られません。

フウは、今年に入って「老い」による衰えが目立ちはじめました。
2〜3カ月前から私にそれほどちょっかいを出さなくなり、いやな予感がありました。

フウはとくにその頃から、出張支度をする私を「行っちゃうの」といった表情でじっと見詰めるようになりました。
私はその目が切なくて、「大丈夫、すぐに戻ってくるから」と言葉をかけてきました。

私は来週も出張です。
福岡で大型台風の直撃を受けそうです。
最期を看取りたい気持ちはありますが…。

《7月6日》

フウはきょう何も食べず、水も飲みません。
マイペースを貫いた猫ですので、妻と話し合い、栄養剤の注射などによる延命を行わないことにしました。
医者に幾度も連れていくこと自体がフウに重い負担となります。

大好物のマグロの赤身を細かく砕きましたが、それでも受け付けません。
大好きな缶詰のスープを飲ませようとしましたが、やはり受け付けません。

私が声をかけると振る尻尾の動きが小さく鈍くなっています。
ときどき目を開けても、焦点が定まらないせいか、私のほうに目玉を動かそうとしません。
人間を含め、生き物はかならず寿命が尽きます。
私と妻はフウの「死」に直面しています。

《7月8日》

私も妻も6日は観念しました。
夜を越えられないと…。

しかし、フウはこの2日間、ちょっと食べ、ちょっと飲んでいます。
かろうじて命をつないでいます。

フウが少しうんちをしたと聞き、私はうれしくなりました。
いくらかでも腸が動き、踏ん張れたという証拠です。

《7月10日》

フウは食事のリズムがほかの猫とまったく違うため、書斎で飼っていました。
とはいえ、私が出張で不在がちで、実際の世話はすべて妻がやってくれました。

私は一緒に暮らしたという事情もあり、フウのかわいさは格別です。
私に張り付くようにしていました。
また再婚後の子と同じ年に、しかも我が家、それも自室で生まれたこともフウの印象を際立たせています。
17歳を、息子は4月に迎えました。
フウは9月に迎えられるでしょうか。

フウは人が付きっきりでないと生きられないほど衰弱し、6月27日に妻の部屋に移しました。
病気でなく老衰なので、治療の施しようがありません。
心臓と肺(呼吸)がとても苦しそうです。
私はフウの厳しい現実に接するのがつらく、ぼんやりと見守るくらいです。
無力で、自分の気持ちの整理をつけられません。

妻も同じはずなのに、献身的に介護しています。
愛情の深さがそうした気持ちに勝り、妻を突き動かしているのでしょう。
女性の強さに、私は打ちのめされます。

フウは寿命が尽きようとしています。
が、それは飼い主の未練がましい言い方であって、フウ自身は天授を全うすると考えているのかもしれません。

私はフウがスプーン一杯でも食べるとうれしくなります。
スポイト一滴でも飲むとうれしくなります。
フウはほんの一瞬ですが復活します。
ひょっとしたらまだ生きられるのではという期待をどうしても捨てられません。

「もう何もいりません」。
十分に生きたフウはそう伝えたいのでないでしょうか。

                 ◇

フウは人懐っこく、茶目っ気たっぷりでした。
私は自宅にいるときはおもにクライアントの受託業務と教育コンテンツの作成に取り組んでいます。
それは過酷で孤独な作業であり、たいてい深夜や早朝に及びます。
頭が悪いくせに最高品質にこだわった結果です。

フウは仕事に追い詰められている私の邪魔ばかりしました。
私とキーボードの間に転がったり、さらにキーボードとディスプレイの間に転がったり。
それでも私が仕事の手を緩めないとキーボードに頭を載せたり、手(前足)を載せたり。
ついに私に背を向けて座り、面白くもないディスプレイを見つづけました。
これで仕事は完全に止まります。

フウは、私がデスクワークや出張帰りで疲れ切って眠ろうとすると、胸の上にのぼります。
また、自分の目が覚めると、睡眠中の私の口の周りやほおを手で執拗にちょんちょんとやります。
どちらも「起きていてください」ということです。
極端に短い睡眠時間が一段と短くなりました。

私は、そうしたフウのすべてを受け入れてきました。
どれほど癒されたことでしょう。

私は50代後半に更年期障害で苦しみ、とくに58〜59歳がどん底でした。
フウは私の独り言にずっとつきあってくれました。
私は絶望的な時期を何とか乗り切ることができました。

《7月11日》

午前2時に書斎でデスクワークをしていた私のケータイ(スマホ)に着信がありました。
妻からでした。
サイレントモードでノンバイブレーションの私は、日中でもケータイをほとんど見ません。
なのに、このときは気づきました。
私はすぐに妻の部屋に行きました。

フウは妻の部屋に移ってから、たいてい椅子に横たわっていました。
使っていない椅子が一つ、いつも妻の机(椅子)のそばに置かれています(猫用かな)。
そして、おそらく床ずれがつらくなると、床に寝ていました。
また、体調が厳しいときは、家具の影の暗い床に寝ていました。

フウは10日、食事(スープ)や水をスプーンやスポイトで何とか与えようとする妻に対し、自分の手で「もう何もいりません」という意思をはっきりと示したそうです。

死期が迫っていると感じた妻は深夜、床でフウに寄り添って寝ていました。
ところが、午前2時、フウが身を起こし、その位置から突然、妻のベッドに飛び移りました。
歩くのもやっとだったフウの大跳躍に妻は驚き、ベッドで寄り添いましたが、その様子からいよいよと悟り、私に電話をかけてきました。

私は思いました。
フウは妻のベッドで安らかになりたいと願っていたのです。
私が呼びかけても反応を示しません。
が、隣に横たわる妻に自分の手を延ばし、妻の手にかけました。
つながっていると安心できるのでしょう。
私は絆の深さと妻が流す涙の美しさに心を打たれました。

私は、熟睡していた息子を起こしました。
フウの最期をちょっとでも見てほしかったのです。

しばらくしてフウは呼吸を取り戻し、いくらか容体が落ち着きました。

午前10時20分過ぎ、フウは海で溺れるようにのたうちはじめました。
空気を吸おうともがき、見ていられません。
5分ほどで動かなくなり、おそらく肺を膨らませようとして両手を合わせて力を入れています。
祈っているようにも見えます。
午前10時30分過ぎ、フウは静かに息を引き取りました。
呼吸ができなかったので、目を開いたままです。
直後、閉じさせようとしましたが、無理でした。
目がチャーミングな猫でした。

私は幾度も「ありがとう」と伝えました。
フウと長い時間を過ごせたことは幸せでした。

私は5日間の福岡出張が台風で取り止めになりました。
全日程の延期は20年を超えるこの仕事で初めてです。
そのおかげでというとクライアントに失礼ですが、私はフウを看取ることができました。
フウが満17歳の誕生日を迎えるのは9月11日でした。
その2カ月前でした。

◆書き加え1(7月11日)

夕方5時にペットの葬儀屋にフウを運びました。
息子の帰りを待ちましたが、学校が長引いて最後のお別れをさせられませんでした。

私は、フウを改めて眺めて、何とかわいい猫なのだろうと思いました。
苦しみから解放されたおだやかな顔です。
目が開いており、生きているようでした。

私は何度か呼びかけ、話しかけました。

火葬は12日、納骨は先方の都合で月曜日以降です。
我が家のペットの墓には、フウの母のモモ(シルバータビー)、父のクロ(ブラックスモーク)、そしてトラ(ブラウンタビー)とチビ(ブラックスモーク)が眠っています。
これで、渋谷・松濤時代から飼っていたアメショー5匹はすべてこの世を去りました。
皆で仲良く暮らすことでしょう。

◆書き加え2(7月11日)

私は1996年のGWに皆で東京タワーのペットイベントに出かけ、クロを買い求めました。
再婚後、家族が一つになれる話題をつくりたいと考えたことがきっかけでした。
クロはその日から家族を虜にしました。
幸運にも、最初の一匹が大当たりでした。

私はかわいさに魅了され、アメショーを次々と買い求めました。
あっという間に4匹です。
1997年の残暑が厳しい9月11日、私が「日経ビジネススクール」で講師を務めて汗まみれで戻ると、モモが私の部屋で5匹の赤ちゃんを生んでいました。

近所に猫を大切にしてくださる方が大勢いましたので差しあげるつもりでした。
しかし、妻がせめて1匹を残さないとモモがかわいそうだと主張し、手元に置いたのがフウでした。
ついに5匹になり、私たちは1998年のGW直前に横浜・港北ニュータウンに引っ越してきました。
再婚後の子は満1歳に達し、フウは7カ月を超えていました。

猫は自分の面倒を見てくれるのがだれかをよく分かっています。
クロもモモもトラもチビもそうでした。
皆、最後は妻だけを頼りました。
しかも、安楽死のクロとトラを除き、妻の部屋で息を引き取りました。

フウが厳しくなったここ半月、とくに今週は、やれることをすべてやりました。
人から笑われそうなことを含め、とにかく試しました。
私は延命措置を取らないと誓いながら、9日に獣医で点滴を打ってもらいました。
また、10日深夜(正確には11日0時過ぎ)に自宅で妻が点滴を打つのを手伝いました。
すでにフウの反応は弱々しいものでした。

奇跡が起こることはありませんでした。

よくなついていたクロの死、そしてモモの死に、私がそれほど落ち込まなかったのはフウを残してくれたからです。
父をそのまま小柄の娘にした印象です。
クロは、とにかく人懐っこく、愛情が深かったです。
フウは、気質や性格、行動や仕草を含めて瓜二つでしたが、母の気立てと優しさも引き継いでいました。
私にとりフウを失うことは、クロとモモを失うことでもあります。

急にさみしくなりました。
心に穴が開いたようです。

◆書き加え3(7月12日)

写真は、私が書斎で2008年1月1日に撮影しました。
満10歳です。
私も妻も写真を撮る習慣がなく、ここでやらないとフウの写真が1枚も残らないと考えたのでないでしょうか。
何せ元旦です。

フウは、つねに身内を案じ、その思いを伝えようとする猫でした。
母のモモが網戸に爪が引っかかり、体が延びきったときには妻に助けを求めにいきました。
モモのガンが進み、いよいよというときには付きっきりでした。
フウは生涯一度も病気をしませんでしたが、モモの死後は精神的なショックから拒食症になり、命を落としかけました。
また、息子が病気をすると、心配そうに寄り添いました。

フウは私に対しても、自分の思いを伝えてきました。
それはたいてい相手をしてほしいという甘えでした。

Copyright (c)2014 by Sou Wada

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