先週の「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

⇒2014年7月14日「模様替えの後にフウからダメ出しを食らう」はこちら。

⇒2014年7月15日「フウの肉球…アメショー」はこちら。

私は新潟・直江津生まれです。
小さい頃から野良猫に好かれました。
戦後十年ほどで、食生活が貧しかった時代です。
亡くなった両親によれば、私は家の外で野良猫と戯れていたようです。
2〜4匹に囲まれていた記憶がうっすらと残っています。
私が直江津小学校に通う頃から、捨て猫が家までついてくるようになりました。

私は、最初の捨て猫「太郎」に始まり、小鳥、多くの鳩、犬、猫と飼いつづけました。

私はいま横浜・港北ニュータウンの大規模団地に暮らしており、管理組合の取り決めで野良猫に餌をやることが禁じられています。
むろん、それを守っています。
しかし、母猫が2〜4匹の子猫を引き連れている姿を見てしまうと、心が揺れます。
豊かな時代といっても、親子が生き延びるのは大変です。
私はまれに団地の敷地外に野良猫を誘い、栄養価の高いドライタイプのキャットフードを与えています。
とくにやせ細っていると、放っておけなくなります。

40年ほど前に暮らしていた杉並・松庵の2階のアパートは1階が大家でした。
その屋根の上を野良猫が行き来し、やがて窓から部屋に入ってくるようになりました。
ペット禁止なので飼ったわけでありませんが、野良猫が無警戒でくつろいでいたことを思い出します。

私はこれまでに猫だけで11匹を飼いました。
そのなかでもフウは飛び切りの癒やしを与えてくれました。
深刻な更年期障害、そして書斎での過酷で孤独なデスクワークを乗り切れたのは、そのおかげです。
いつも手の届くところにいて、私の呼びかけや話しかけに応えてくれました。

Copyright (c)2014 by Sou Wada

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