昔はそれはそれは大変な長旅でした。
1951年生まれの私にその記憶が残っているのは1950年代後半から1960年代初頭の数年です。
列車がSL(蒸気機関車)でのろく、移動にとんでもない時間を要しました。
暑い季節は窓を閉めておくわけにいかず、煙が石炭の灰とともに容赦なく入ってきました。

背面が垂直の座席は恐ろしく固く、座り心地が最悪でした。
(背板だったかもしれません。)
さらに、前の座席との間隔が狭く、大人だと膝がぶつかり、脚が窮屈でした。
体が痛くても疲れても、姿勢を崩しようがありません。
ほとんど身動きが取れない状態で、ひたすら耐えなければなりませんでした。
(こうした座席はわりと近年までありましたが、10時間に迫る乗車では珍しいはずです。)

記憶が曖昧ながら、信越本線の鈍行(各駅停車)で直江津駅から上野駅へと向かいました。
(やがて「急行」に乗るようになったはずです。)

山間地帯を抜け出して関東平野に出ると一気に視界が広がりました。
高崎駅(高崎市)は最初の都会、東京の入口という印象でした。
団塊の世代の方ならお分かりいただけるでしょう。

目的地(終着駅)にたどり着いたわけでもないのに、胸をなでおろしました。
小学生の私だけでなく、両親も同じだったと思います。

気が遠くなるような道中、横川駅で「峠の釜めし」を土瓶入りの緑茶と買い求めることが唯一の楽しみでした。
ウィキペディアによれば、「駅弁=折詰」という常識を打ち破った峠の釜めしが発売されたのが1958年でした。
直江津小学校の2年生に当たります。

手元に写真が残っていれば、当時をいくらか振り返れます。
例えば、上京が何回だったか、東京で何を楽しんだかなどです。
しかし、私は1990年代後半(40代後半)以前の記録を何一つ持っていません。
誕生、幼児、園児、小学生〜高校生、社会人、結婚・・・。
いつ頃か分かりませんが、卒業文集も卒業アルバムも卒業証書も失いました。
亡くなった両親の昔の写真もありません。

老いが深まるにつれて、過去を懐かしく感じる気持ちが膨らんでいます。
当時に戻れると思っていませんが、手がかりがないのはさみしいかぎりです。
死ぬ前に写真でもいいから会いたい人がたくさんおり、触りたい暮らしがたくさんあるのです。

生きた記録を大切にしなかったことを悔やんでいます。

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