「われ遂に富士に登らず老いにけり」。
いまの私の心境そのものです。
ノーベル文学賞受賞作家・川端康成の1954年の小説『山の音』の一節です。
季語がありませんので、俳句でなく川柳になります。
私は同書を読んだわけでありませんが、1954年の東宝映画、成瀬巳喜男監督の『山の音』のなかで知りました。
主演の原節子が嫁役、山村聰が義父役、上原謙が夫役というキャスティングです。
私は小学生で標高2454mの妙高山に登り、中学生で2956mの木曽駒ケ岳(西駒ケ岳)に登りました。
また、子どもの頃からどこまでも歩いていくことが大好きでした。
軽い放浪癖があり、「四国巡礼」に憧れていました。
私は「日本に生まれたからには一度は富士山に登りたい」と思いつづけてきました。
膨大な労力と時間を費やして開発中の「営業社員育成全自動化AI」をリリースしたところで踏み切ろうという夢が、下半身のマヒをともなう腰痛でついえました。
常軌を逸したデスクワークも一因かもしれません。
Copyright (c)2023 by Sou Wada
いまの私の心境そのものです。
ノーベル文学賞受賞作家・川端康成の1954年の小説『山の音』の一節です。
季語がありませんので、俳句でなく川柳になります。
私は同書を読んだわけでありませんが、1954年の東宝映画、成瀬巳喜男監督の『山の音』のなかで知りました。
主演の原節子が嫁役、山村聰が義父役、上原謙が夫役というキャスティングです。
私は小学生で標高2454mの妙高山に登り、中学生で2956mの木曽駒ケ岳(西駒ケ岳)に登りました。
また、子どもの頃からどこまでも歩いていくことが大好きでした。
軽い放浪癖があり、「四国巡礼」に憧れていました。
私は「日本に生まれたからには一度は富士山に登りたい」と思いつづけてきました。
膨大な労力と時間を費やして開発中の「営業社員育成全自動化AI」をリリースしたところで踏み切ろうという夢が、下半身のマヒをともなう腰痛でついえました。
常軌を逸したデスクワークも一因かもしれません。
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