コンサルの引き出し|和田創ブログ


だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。

マイライフ

謹賀新年  和田創

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおつきあいください。
皆さまのご健康とご多幸をお祈りします。



私は年末年始休暇に新刊『社長の営業力』の原稿の素読みに追われています。
「素読み」の本来の意味は、原稿と突き合わせを行わずに「校正」を進めることです。
(出版社は著者から原稿をデータで受け取っているはずですので、突き合わせの必要性はほぼなくなっていることでしょう。)

私の場合は著者と編集者を兼ねています。
そこで、書籍の状態に「編集レイアウト」を行った原稿を出力して確認したうえで印刷所にデータで入稿します。
その後に著者として原稿に直しを入れることはありません。
印刷所はそのまま刷るだけです。
したがって、いまは原稿の最終確認と最終校正を行っていることになります。

『社長の営業力』は長い年月をかけてブラッシュアップを重ねてきましたので、原稿にざっと目を通して終えるつもりでした。
しかし、気になるところがちょこちょこ出てきて、手を入れつづけています。
際限がなく、かなりの手間を取られています。
元日に手を放したいと思っていますが・・・。

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昔の上京は鈍行での大変な長旅でした・・・

昔はそれはそれは大変な長旅でした。
1951年生まれの私にその記憶が残っているのは1950年代後半から1960年代初頭の数年です。
列車がSL(蒸気機関車)でのろく、移動にとんでもない時間を要しました。
暑い季節は窓を閉めておくわけにいかず、煙が石炭の灰とともに容赦なく入ってきました。

背面が垂直の座席は恐ろしく固く、座り心地が最悪でした。
(背板だったかもしれません。)
さらに、前の座席との間隔が狭く、大人だと膝がぶつかり、脚が窮屈でした。
体が痛くても疲れても、姿勢を崩しようがありません。
ほとんど身動きが取れない状態で、ひたすら耐えなければなりませんでした。
(こうした座席はわりと近年までありましたが、10時間に迫る乗車では珍しいはずです。)

記憶が曖昧ながら、信越本線の鈍行(各駅停車)で直江津駅から上野駅へと向かいました。
(やがて「急行」に乗るようになったはずです。)

山間地帯を抜け出して関東平野に出ると一気に視界が広がりました。
高崎駅(高崎市)は最初の都会、東京の入口という印象でした。
団塊の世代の方ならお分かりいただけるでしょう。

目的地(終着駅)にたどり着いたわけでもないのに、胸をなでおろしました。
小学生の私だけでなく、両親も同じだったと思います。

気が遠くなるような道中、横川駅で「峠の釜めし」を土瓶入りの緑茶と買い求めることが唯一の楽しみでした。
ウィキペディアによれば、「駅弁=折詰」という常識を打ち破った峠の釜めしが発売されたのが1958年でした。
直江津小学校の2年生に当たります。

手元に写真が残っていれば、当時をいくらか振り返れます。
例えば、上京が何回だったか、東京で何を楽しんだかなどです。
しかし、私は1990年代後半(40代後半)以前の記録を何一つ持っていません。
誕生、幼児、園児、小学生〜高校生、社会人、結婚・・・。
いつ頃か分かりませんが、卒業文集も卒業アルバムも卒業証書も失いました。
亡くなった両親の昔の写真もありません。

老いが深まるにつれて、過去を懐かしく感じる気持ちが膨らんでいます。
当時に戻れると思っていませんが、手がかりがないのはさみしいかぎりです。
死ぬ前に写真でもいいから会いたい人がたくさんおり、触りたい暮らしがたくさんあるのです。

生きた記録を大切にしなかったことを悔やんでいます。

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直江津の映画館…日本映画の全盛期

昭和26年(1951年)生まれの私は先だって、Huluで1957年の「喜びも悲しみも幾歳月」と1954年の「二十四の瞳」を“ながら視聴”しました。
どちらも松竹映画ですが、両親と見たかもしれません。
しかし、私の記憶は幼稚園の年長くらいからですので、少なくとも「二十四の瞳」を覚えているはずがありません。
昔は東京に数年遅れで地方都市に映画がかかったのでしょうか?
それとも情操教育の一環として直江津小学校で見たかもしれません。
悲しいかな、すべてがあいまい・・・。

私はたまたま、昭和32年(1957年)の直江津市に4つの映画館があったことを知りました。
「直江津銀座劇場」「直江津第一劇場」「直江津東映劇場」「みなと劇場」。
当時は人口3万人未満(?)の地方都市でした。

日本映画は1950年代前半〜半ばが全盛期のようです。
戦後、数少ない娯楽として大衆に愛されたのでしょう。
ちなみに、黒澤明の「七人の侍」は1954年の作品でした。
彼の代表作であるとともに、映画の黄金期の代表作でした。

私は両親と映画館に足を運んだ記憶がいくらか残っています。
しかし、映画館のなかの独特な雰囲気とにおいはわりとはっきりと覚えています。

当時、真行寺幼稚園前の自宅(呉羽紡績直江津支所)と直江津小学校の通学路の途中に映画の看板屋がありました。
道路(雁木)に面したガラス戸を開け放し、広い土間(コンクリート?)で映画館にかける横位置の大看板を巧みな筆さばきで描いていました。
私は下校時に足を止め、ほれぼれするような職人技に見入っていました。
まもなく上映される映画のタイトルと象徴的なシーン、そして主演の役者などでした。
看板屋の斜め向かいに映画館があった気がしますが、勘違いでしょうか。
直江津東映劇場?

おそらく半世紀以上隔てて「喜びも悲しみも幾歳月」と「二十四の瞳」に触れ、直江津小学校時代の両親と暮らしの思い出がぼんやりとよみがえり、とても懐かしくなりました。
戻れるものなら戻りたい・・・。

◇◆◇

生まれ故郷・直江津に関するブログは以下のとおり。

⇒2016年4月15日「直江津駅乗降客激減…北陸新幹線開業」はこちら。

⇒2014年10月20日「直江津小学校同窓会…半世紀振り」はこちら。

⇒2013年10月7日「直江津駅は北陸新幹線が通らない」はこちら。

⇒2012年7月13日「直江津港はエネルギー港湾へ…佐渡沖石油・天然ガス田」はこちら。

⇒2012年7月10日「直江津市街の衰退…北陸新幹線開業」はこちら。

⇒2011年11月10日「直江津駅から上野駅まで各駅停車の旅…直江津に関するブログ」はこちら。

⇒2010年7月25日「直江津祗園祭花火大会、山車集結の賑わい」はこちら。

⇒2010年5月1日「鱈めしと磯の漁火は名作駅弁…直江津」はこちら。

⇒2010年4月30日「直江津マイミクとセピオーラで歓談」はこちら。

⇒2010年4月29日「特急はくたか、強風で全面運休」はこちら。

⇒2010年4月8日「大正期の洋館・いかや旅館…直江津」はこちら。

⇒2010年3月20日「校歌を歌ってみなさい…就活・面接」はこちら。

⇒2010年3月17日「卒業式シーズン…大人への通過儀礼」はこちら。

⇒2010年3月11日「心にぽっかり穴…直江津小学校卒業式」はこちら。

⇒2010年3月10日「直江津ホテルハイマートに宿泊予約」はこちら。

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伊那中学校の親友・・・卒業50周年の同窓会

きょうのブログは伊那中学校時代のいまは亡き親友に捧げます。

1951年(昭和26年)生まれの私は来年2016年(平成29年)に66歳を迎えます。
1967年(昭和42年)、伊那中学校卒業50周年の節目となります。

私は父の転勤にともない、日本海を望む新潟県直江津市(現上越市)から、アルプス山脈に囲まれた長野県伊那市に引っ越してきました。
直江津小学校では卒業式の前日に移動したため、出席することが叶いませんでした。

伊那中学校ではクラス替えが行われず、友人がたくさんできました。
とりわけ仲がよかったのが4人であり、学校の帰りがしばしば一緒でした。
休日の遊びや遠出もまま・・・。
なかでも一人は互いの自宅が国鉄伊那市駅のすぐ裏手であり、歩1分の距離でしたので、夕食後に部屋を行き来しました。
くっついていた時間がとにかく長かった。

私は中学3年で卒業式を意識しはじめた10月中旬に徳島県小松島市(小松島中学校)に引っ越しました。
伊那は寒冷な盆地なので学校は冬季の休みが長く、登校日は3か月ほどを残すだけでした。
がっかり・・・。

というわけで、私は伊那中学校を卒業したわけでありませんが、半世紀ぶりの同窓会か同級会が開かれると信じ、2〜3年前から楽しみにしていました。
親友は面倒見がよく、幹事になるはずです。
彼に頼み込んで、仲間に混ぜてもらおう・・・。

私は6月頃から消息を追いかけ、お盆休み明けの8月30日にようやく近隣の方と電話で連絡を取ることができました。
(グーグルマップのストリートビューがなければ、手がかりをつかめませんでした。)
そして、彼がかなり前に亡くなったことを知らされました。
高齢のお母さんは存命のようですが、伊那(実家)に一人で置いておけないと弟さんがロシアに連れていったそうです。
きれいでやさしいお母さんでした。
私まで可愛がってくださいました。

「会っておけばよかった・・・」。
私は1週間、悔いに苦しみ、講師の仕事とクライアントの受託業務のほかは何も手につかなくなりました。
彼はさみしさと喪失感を悟ってか、昔の笑顔で夢にたびたび現れました。
仲がよすぎて距離を取った時期もありましたが、素晴らしくいい奴だった。
ありがとう!

私(富山県立魚津高校卒業)も彼(長野県立伊那北高校卒業)も大学進学で上京しました。
二人とも昼間の学生でありながら昼間の仕事についていました。
彼は有名デパートなどでお得な宝飾品の販売に携わっており、収入が多かったのでしょう。
私は新宿や銀座の盛り場に誘われ、酒をおごってもらいました。
すべてが女の子のいる店です。

やがて彼は札幌など遠隔地に転勤し、さらに私も彼も所帯を持って転々とし、連絡が取れなくなってしまいました。
おそらく音信が途絶えた最大の理由は、どちらも家族を養うのに精一杯だったことでしょう。
私自身は今日まで仕事漬けになりました。

先だって東京生まれの団塊の世代と話していたとき、「同窓会のたびに人が消えていく」と嘆きました。
どうしても会いたい人には早めに会っておくべきですね。
人間はかならず死にますから・・・。

私は直江津小学校の卒業50周年記念同窓会に参加できませんでした。
せめて魚津高校の卒業50周年記念同窓会には参加したいと思います。

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リオ五輪、時差12時間の寝不足、観戦疲れ

私はスポーツに関心が高いわけでありません。
しかし、五輪などの主要な世界大会は別です。
なかでもオリンピックは夏季・冬季を問わず、夢中になります。

ブラジルは地球上の位置が日本の真裏に当たり、時差が12時間です。
リオデジャネイロ五輪の会期中は猛烈な寝不足になりました。
パソコン画面の片隅に最小サイズで放送を流しているだけですが、日本選手が活躍する競技や種目では仕事の手が止まり、つい見入ってしまいます。

台風の襲来をきっかけに気温が大幅に下がりました。
観戦疲れ、応援疲れもようやく抜けてきました。
どかんと溜まった仕事を片づけたいと思います。

◆書き加え(8月31日)

土日や祝日を利用し、新会社の創業メンバーと接触しています。
(若い世代との交流や協業は私の喜びでもあります。)
こちらのプロジェクトにも勢いをつけたいと欲張っています。

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隅田川花火大会の特等席を逃す

「隅田川花火大会」が始まりました。

私は墨田川高校に在籍したことがあり、また花火も大好きなので、一度は出かけてみたいと思っていました。
ところが、混雑とか行列とかが大の苦手で、億劫な気持ちに負けてしまいます。

私は今年、打ち上げ場所の真ん前に立派な自社ビルを持つクライアントから屋上の特等席に招かれました。
おそらく見物には最高です。

とても楽しみにしていましたが、受託業務が押していて、時間の都合をつけられませんでした。
情けない・・・。

私は一生に一回のチャンスを逃したことになるのかもしれません。
テレビ東京の中継を横目で見ながらデスクワークに打ち込んでいます。

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ショック! 介護保険証が届いた!

自宅に戻ると、妻が「ショックだった」と言いながら、郵便物を見せてくれました。
差出人は横浜市都筑区役所。
中身は私の「介護保険 被保険者証」。

そういえば、もうすぐ65歳になります。
いわゆる高齢者に属するのです。

私自身もショックでした。
一気に年を取りました。

50代前半までは自分のどこかに「まだ若い」という気持ちがありました。
ところが、50代半ばでがくっと、60代突入でどかんと体力が落ちました。

実は、60代半ばを迎える今年に入り、ますます老いを痛感することが多くなりました。
四捨五入で70歳か・・・。

「介護保険証」が届くと、職業人生の残りを意識せざるをえません。
痴呆が目前に迫っているのかもしれません。

余談。
「濱ともカード」が同封されていました。
おそらく横浜市内の特定の商業施設や店舗などで利用できる優待証でしょう。
カードに金色で「寿」の文字があしらわれており、センスの悪さが私の気持ちをさらに暗くします。

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直江津駅乗降客激減…北陸新幹線開業

生まれ故郷の新潟・直江津は北陸新幹線の開業により交通の要衝の地位を奪われ、衰退に拍車がかかっていました。
7年前に訪れたときも驚きましたが、言葉を失うほどの深刻さです。
何せ土曜日の日中に商店街を歩いていて、だれにも出会いません。
それ以前に、商店がほとんど閉まっています。

私が今回もっともショックを受けたのは、直江津駅の乗降客が激減したことでした。
ホームや改札口までさみしくなりました。

商店街の活性化が大事なのは否定しませんが、もっと大事なのは地元での雇用だと痛感しました。
とくに若い世代向けの職場を増やさなくては、人口減少に歯止めをかけられません。
そうでなくては商店街に賑わいも取り戻せません。
自治体(行政)の支援を得て、有志が抜本的な解決に乗り出すことが急務になっています。

私は新会社の設立と創業後の成長を請け負っており、そのノウハウを上越市の再生にいくらかでも生かせないかと考えているところです。
職業人生の最後に、ふるさとにささやかな貢献を果たしたいという気持ちはあるのですが・・・。

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合格発表、緊張の瞬間、歓喜の光景

「あった!」。
緊張の瞬間、そして歓喜の光景もいいものだと思いますが、時代はどんどん変わっています。

合格発表がキャンパスの掲示板に貼り出されることもないようですね。
この時期、祈るような気持ちで自分の受験番号を探した記憶がよみがえってくる年配の方もおられるのでないでしょうか。

私はきのう妻から、子が最初に受験した私立大学の入試結果を知らされ、ほっとしました。
国公立大学を含め、私も子もこの大学のおっとりとした校風がもっとも気に入っています。
また、港北ニュータウンの自宅から理工学部の校舎まで、横浜市営地下鉄でも自転車でも20分ちょいで通えるので理想的です。

しかし、この大学にずばりの「建築学科」はありません。
資格を取れないというわけでありませんが、子はきわめて早い段階から「建築士」になると決めています。
人生はなかなか思いどおりになりません。

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咳き込むと納骨堂の広告…スマホ感知

私が激しく咳き込みはじめた頃から、都内のあちこちの「納骨堂」の広告が一気に表示されるようになりました。
技術の進化は恐ろしいほどです。
最近のパソコンやスマホは人間の咳まで感知できるようになったのですね。

ビジネスは先手必勝かもしれません。
しかし、私的には、咳き込んだらとりあえず医者を表示してくれるとうれしいです。

「空気清浄器」の広告が一気に表示されると思うと、うかうかおならもできません。
この息苦しさはいったい何でしょう。

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喘息の発作? 呼吸困難に・・・

日曜日の深夜から月曜日の早朝にかけ、激しい咳に苦しみました。
喘息の発作に近い状態で、呼吸困難に陥りました。
肺が軽い炎症を起こしており、そのうちに熱が出てきました。

実は、昨年11月頃にアレルギー性の鼻炎にかかるとともに咳が出るようになりました。
疲労の蓄積、寒暖の差などで症状が一気に悪化することもあるそうです。

私は3〜4日安静にしていなければなりません。
金曜日までの予定をキャンセルするなどし、お客さまにご迷惑をかけることになりました。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。

一時は話もできないひどさでしたが、薬が効き、午後から電話でのやり取りが何とか行えるようになりました。
しかし、咳による極度の睡眠不足に加え、薬による副作用で猛烈な睡魔に襲われています。
頭のなかに幕が張っている感じで、意識がもうろうとしています。

私は一日も早く体調を整え、仕事などの遅れを挽回するつもりです。
なお、検索連動型広告の納品は予定どおり終えました。

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危険な情事より所ジョージ

私は夜間のデスクワークのつらさと孤独を紛らわすため、パソコン画面の片隅にHulu配信の動画を流しておくことがあります。

先日の凍えるような深夜に1987年公開のアメリカ映画「危険な情事」を流していました。
この作品は以前、テレビの洋画劇場か何かで2度ほど接したことがあります。
私には身の毛がよだつサスペンスという印象が残っていました。

一夜の関係(過ち)で終わらせまいと、妻子持ちの弁護士役のマイケル・ダグラスにつきまとう雑誌編集者役のグレン・クローズが鬼気迫る演技を見せました。
脚本も演出も超リアル!
グレン・クローズがマイケル・ダグラスの家族まで巻き込み、執拗に追い詰めていく凄まじい展開です。

懲りたはずの危険な情事をクリックしたのが間違いでした。
あまりの怖さに縮みあがり、無意識で探してしまいました。
・・・どこにもありません(ナッシング)。

清廉潔白な私には危険な情事より所ジョージが合います(←ホント)。

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浄土真宗本願寺派本山・西本願寺に参拝

私は先だって京都での新春講演の前に「西本願寺」に寄りました。
半世紀前に伊那中学校の修学旅行で行ったのは「東本願寺」でした(記憶が曖昧)。
かねてより一度は西本願寺に行きたいと思っていました。

さて、私は京都駅から最短の距離を目指し、住宅街をじぐざぐに曲がってたどり着きました。
信号待ちの時間も減らせます。
西本願寺は構え(塀と門)がとても立派でした。
そして、門を潜ると広大な敷地(境内)と建物(堂)が現れました。

仕事の時間が差し迫っていた私が境内に留まったのはわずか3分ほどでした。
とても参拝と呼べませんが、おごそかな空気に触れられました。
足を運んでよかった・・・。

私は三が日に家族と地元・横浜の杉山神社に出向いており、今回の参拝に初詣という言葉は使えません。
しかし、これまでの初詣は神社がほとんどでしたので、お寺はそれと違った気分を味わうことができました。
とてもいいものですね。

ウィキペディアによれば、西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」とのこと。
京都市民から「お西さん」の愛称で親しまれているそうです。
おみくじ、御札(おふだ)、御守(おまもり)などはありませんでした。

もう一度ゆっくり訪れるつもりです。

◆書き加え(1月25日)

和田創ブログはたいてい書き溜め記事を妻にアップしてもらっています。

私が新潟県直江津市(現上越市)に暮らしていたときに通った自宅前の「真行寺幼稚園」は浄土真宗本願寺派です。

私はやがて「直江津小学校」に進みました。
当時は、大晦日の「紅白歌合戦」が終わってから、両親と「除夜の鐘」をつきに真行寺に行ったものです。

また、我が家の納骨堂(墓)がある渋谷区元代々木の「應慶寺」も浄土真宗本願寺派です。

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撮りてぇと思ういいオンナがいねぇのさ

スマホをiPhone5から6に買い替えました。
本体が薄く画面が大きくて気持ちがいいです。

店員との雑談のなかで、ガラケー時代を含めてカメラ(写真・動画撮影機能)を一度も使ったことがないと言ったら驚かれました。
古代人を見るかのような目つきでした。

失礼でしょ!

「せっかくですから、ぜひお使いください」。
「撮りてぇと思ういいオンナがいねぇのさ」。

タバコを吸う人と写真を撮らない人を犯罪者のように扱うのはやめましょう。

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京都人の親切に救われる

私は先だって二条城の近くのANAクラウンプラザホテル京都で新春講演を行い、タクシーで新幹線・京都駅に向かいました。
年配の運転手と意気投合し、話に夢中になってしまいました。
私は若い頃から京都の土地、そして京都の人間、企業が大好きです。

次の乗客が後席の床に落ちている名刺入れを見つけました。
そして、運転手から和田創研に電話がありました。
着払いで送ってくれるようにお願いしたそうですが、先方負担で翌日に届きました。

私は会社から電話で知らされるまで名刺入れをなくしたことさえ気づきませんでした。
恥ずかしい。
大失態を京都人の親切に救われました。

それはホテルのエントランス(タクシー乗り場)にちょうど入ってきた個人タクシーでした。
私は高齢の運転手の多い個人タクシーに進んで乗りません。
クルマがいいので頼まないのに飛ばす運転手もいます。

思い起こせば、車内での会話に人柄がにじみ出ていました。
心より感謝します。
個人タクシーを毛嫌いすることもやめます。

今回、京都大学のキャンパスに立ち寄る余裕がなかったのは残念でした。

ところで、初めて名刺入れをなくし、ボケが心配になってきました。
自分でもこのところ急に老いた気がします。
私は昔なら、寿命が尽きる年齢に達しています。
1950年代は男の平均寿命が65歳前後でした。

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浅草そば名店・蕎上人・・・平沼孝之

私は年明けの研修で日本そばをごちそうになりました。
クライアントが昼食休憩に招いてくださったのは、浅草の「蕎上人(そばしょうにん)」という名店です。
住所は駒形になります。

蕎上人は店構え、そして店内のつくりと雰囲気からおいしそうだと感じました。
実際に食べてみて、とてもおいしかったです。

私は1960年代に長野県で暮らして信州そばを知り、日本そばにわりとうるさくなりました。
おそらく10年前なら蕎上人のそばを物足りなく思ったでしょう。
しかし、50代半ばから、いかにもという日本そばに体の負担を覚えはじめました。

蕎上人のそばは「どうだ」という味でありません。
控え目で、食べる人に優しい品のいい味わいです。
したがって、浅草を訪れる観光客にそれほど受けがよくないはずです。
良質のそばを好む地元客が中心でないでしょうか。

私はなぜかこの店のことが気になりました。
そこで、仕事を終えた深夜にインターネットで蕎上人のホームページを調べました。
ご主人は平沼孝之(ひらぬま・たかゆき)さんです。
プロフィールの最初に生年月日が記されており、それが昭和27年1月でした。
私は昭和26年7月なので、実年齢では半年ほど先輩になります。
しかし、ご主人は早生まれなので、いわゆる学年は同じになります。
私と同世代の方がそば打ちに励んでいたのかと、妙にうれしくなりました。

さらに「明治大学経営学部」とあり、驚きました。
私は授業にほとんど出ませんでしたので、級友の顔も名前も知りません。
平沼孝之さんと同じクラスだったということも十分にありえます。
ただし、ご主人は卒業、私は5年中退のだらしなさです。

平沼孝之さんは「駒形蕎上人 そば・うどん教室」を運営しており、ここを修了した弟子が全国に4百以上の店舗を開設しているとか。
本を出すほか、マスコミにもたびたび取り上げられてきました。

私は打ち手の人柄が感じられる日本そばだと思いました。
店内は温かくて懐かしい趣(おもむき)があります。
違いの分かる中高年層がくつろぎながらいただくのに最適でしょう。

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杉山神社に合格祈願…センター北初詣

初詣は元日の混雑を避け、2日に行いました。
私は加齢とともに元日の初詣が億劫になってきました。

今年は再婚後の子どもが大学受験に臨みます。
長いといえば長かった、短いといえば短かった…。
親の責任は高校卒業までと考えていますので、ようやく肩の荷を下ろせます。

さて、私は当然、学問の神様・菅原道真公を祀る湯島天神(湯島神社)に合格祈願に行くと思い込んでいました。
しかし、本人の希望により、自宅のある横浜・港北ニュータウン、最寄りの横浜市営地下鉄センター北駅前の「杉山神社」(横浜市都筑区中川6−1−1)に出かけました。
センター試験が丸2週間後に迫っており、その対策になるべく多くの時間を割きたいのでしょう。

センター北・杉山神社がはたして大学受験にどれくらいの御利益(ごりやく)があるかも分かりません。
しかし、たいていの神社では合格祈願や学業成就など、ベーシックな御守(おまもり)を置いていたりします。
あまり神経質になる必要はないのかもしれません。
インターネットで調べたところ、センター北・杉山神社は「第一志望に合格した」など、受験の神様ともされているとのこと。

ウィキペディアなどによれば、センター北・杉山神社は千年以上の歴史を持ち、日本武尊(やまとたけるのみこと)と五十猛命(いそたけるのみこと)などを祀ります。
大晦日の午後10時半から甘酒とお餅が振る舞われ、御札(おふだ)と御守が販売されます。

なお、杉山神社は横浜市だけで35ほどありますが、本家に当たる神社、御祭神については定説がありません。
どこに参拝してもよさそうです。

ちなみに、お賽銭は子が5円、妻が50円、私が5百円でした。
大学受験なので奮発してもいいのではと考えましたが、家族の意見に従いました。
いまインターネットで初詣のお賽銭の金額はいくらがいいかを調べたら、5百円はよくないとのことでした。
それと、お賽銭は祈り(祈願・祈念)を叶えてもらうためでなく、これまでの感謝のしるしとして納める(供える)という初歩的なことを知りました。
恥ずかしい・・・。

子どもが絵馬も御守も不要と言うので、私は驚きました。

◆書き加え(2月26日)

最難関とされる私立大学2校に幸先よく受かりました。
受験にも御利益はあるようです。
2017年元旦は感謝のしるしとしてお賽銭を納めます。

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肉の青木…新小岩で頑張る

私は先週、下町の中堅企業で「提案営業研修標準講座(2日×5回)」の最終回を行った。
その休憩時間に喫煙コーナーで受講者と雑談を交わし、一人の方が新小岩に住んでいることを知った。

実は、私が総武線の都内区間で唯一下車したことのない駅が新小岩だった。
7カ月弱の墨田川高校在籍時、そして魚津高校卒業を経て明治大学進学後にもっとも利用したのは、赤い電車の中央線と黄色い電車の総武線だった。

三鷹⇒吉祥寺⇒西荻窪⇒荻窪⇒阿佐ヶ谷⇒高円寺⇒中野⇒東中野⇒大久保⇒新宿⇒代々木⇒千駄ヶ谷⇒信濃町⇒四ツ谷⇒市ヶ谷⇒飯田橋⇒水道橋⇒御茶ノ水⇒秋葉原⇒浅草橋⇒両国⇒錦糸町⇒亀戸⇒平井⇒新小岩⇒小岩。

私が駅名をすらすらと言えるのは総武線(都内区間)だけである。
中野、東小金井、西荻窪、三鷹、八王子に20年以上も暮らしていたので、おもに生活と仕事などで降り立った。

私が受講者に「肉の青木」を知っているかと尋ねたところ、新小岩の肉屋がどんどん消えるなかで頑張っていると教えてくれた。

私が初めて本気で思いを寄せた相手が墨田川高校の同級生だった。
当時、本人から新小岩で精肉店を営んでいると聞かされたことがあった。

私は近年、グーグルで検索して存在を確かめた。
テレビ朝日で2011年8月1日に放送された「ちい散歩」という番組にも取りあげられていた。
「みのり商店会」でも老舗なのだろう。
また、ストリートビューで肉の青木の店頭の様子を見られた。
建て替えられたのかもしれないが、彼女がここで育ったのかと胸が熱くなった。

私は魚津高校に転校する夏休み前の墨田川高校の下駄箱で、そして明治大学進学後の電話で、自分の思いを伝える機会を逃した。
どうして勇気を出せなかったのだろうと悔やみ、半世紀近く引きずってきた。
すぱっと振られてしまえば一時的に落ち込むにしろ、心が晴れた。

・・・スーパーマーケット(GMS、SM)やコンビニエンスストア(CVS)などの大手資本による精肉と惣菜の取り扱いはいまも拡充しており、街の肉屋を巡る環境は悪化するばかりである。
娘さんなので嫁がれたはずだが、肉の青木には末永く営業を続けてほしいと心から願っている。

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クマを飼う…アメショーブラック

思い切って徳島のクマを飼うことにしました。
生後1カ月を過ぎたばかりですが、すでに狂暴です。

01私は昨年7月にアメリカンショートヘアの♀「フウ」を亡くしました。
長く同室していましたので死後6カ月、とくに3カ月はさみしさに苦しみました。
自分の気持ちに整理をつけるのに、1年以上がかかりました。

そして、先ごろ、新しい出会いがありました。
私が50年近く前に通学していた「徳島県立城北高校」の近所の方からアメリカンショートヘアの♂を譲り受けることになりました。
深い縁を感じます。

「クマ」はフウと同じ、アメリカンショートヘア(アメショー)ブラックタビーです。
このブログでフウをアメリカンショートヘア(アメショー)ブラックスモークと記しましたが、間違いでした。

アメショーはシルバータビーなど、どの毛色もかわいいです。
私自身はブラック、なかでもブラックタビー、ブラックスモークが圧倒的にかわいいと思います。
毛色は飼い主の好みとはいえ、どうして人気がないのか不思議です。

徳島のクマは猛烈にやんちゃです。
私の書斎で暮らしますが、ベッドやイス(座面)をぼろぼろにしてくれるでしょう。
朝は顔面に容赦ないネコパンチを浴びせ、私を叩き起こしてくれるでしょう。
「M」の私は快感です。

クマはネコなのに、怪獣のように「ガオ〜」と鳴きます(画像による推察)。

ちなみに、我が家にやってくるのはしばらく後になります。

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人間ドック入り⇒がん検査

私は、銀座移転後の無理が重なって体調を崩し、1日の「人間ドック」に入りました。
恐ろしく丈夫なはずの胃腸に相当な違和感がありましたので、「がん」かもしれないと覚悟を決めていました。
(肝臓の裏側の背中辺りもはれが引きません。)

実際、先生(医師)は私に胃カメラの画像を見せながら、「かなりダメージを受けています。これは健康診断というレベルでありませんね」とおっしゃいました。
素人目にもひどく荒れ、傷んでいるのが分かりました。
そこで、肝臓を含め、がん検査も行いました。

・・・ところが、「何の問題もない」と診断され、喜ばなければならないのに拍子抜けしてしまいました。

私は、両親の家系であるアルツハイマーを発症しなければ、まだまだ現役を続けられそうです。

幸い、講演や公開セミナー、企業研修はもちろん、クライアントの受託業務を猛烈に抱えており、自分にさらにムチを入れようと思います。
どれも日本一の高品質を目指しています。

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北陸新幹線グランクラスに父と母を!

北陸新幹線の開業が来週に迫りました。
私は新潟(現上越市)で生まれ、富山(魚津高校)を出ており、感無量です。

父が地元での就職を勧める際、「新幹線が通る」と得意気に語っていたことが鮮明に思い出されます。
私が20代、約40年前のことです。

父も母もずっと楽しみにしていましたが、まったく間に合いませんでした。
当初の開業予定は延びに延びました。

私は父と母を「グリーン車に乗せてあげたい」と思っていました。
グランクラスの設定を知ったのは最近ですが、迷わずそうしました。
北陸新幹線の開業は嬉しさと悔しさが入り混じっています・・・。

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牛すき鍋膳50円割引券が孤独を救う

7日目に突入し、さすがに横浜の自宅が恋しくなってきました。
一番堪えるのは、テレビのニュースを見られない(聞けない)ことです。
深夜はさみしさが募り、枕を濡らしています。

私は、昼間の弁当を含め、すべて外食です。
年末年始の仕事の追い込みと引っ越しの疲れも重なり、胃がしくしく痛みます。
消化器系は恐ろしく頑丈ですので、自分で気づかないストレスがあるのでしょうか。

私はつい面倒で近くのコンビニに入ってしまい、オフィス周辺の食事処の開拓が進んでいません。
実は、銀座1丁目のはずれなので、至近距離にほとんどありません。
きのう、ちょっと歩いていたら、たまたま銀座3丁目で「吉野家」を見つけました。
早速、「牛すき鍋膳(大盛)」をいただきました。
この先、かなりお世話になりそうな予感がします。
50円の割引券を握りしめて帰ってきました。
涙があふれ、止まりませんでした。

新しいノートパソコンが届いているとのことで、自宅に戻る日がとても楽しみです。
大きな画面ですので、目の負担がかなり減ります。
このところ文字がかすみ、ほとほと困っていました。

・・・たったいま判明しました。
枕を濡らしたのは涙でなくヨダレでした。

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書き初め・・・一年の始まり

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
皆さまのご健康とご多幸をお祈りします。

さて、元日は毎年恒例、姿勢を正し、心を込めて「書き初め」を行いました。
といっても、大きな「能率手帳」の見返しに、今年の「挑戦のテーマ」を筆ペンで記します。
このテーマは、昨年の成果と反省を踏まえて設定しています。
ごく短いフレーズですが、12月に入った頃から1カ月近くかけて考えます。
今年も納得のいくものになりました。
私の場合、これを経て、新しいスタートを切ることができます。
初詣と並び、絶対に欠かせないセレモニーです。

きょうとあすは楽しみな「箱根駅伝」です。
私はデスクトップパソコンのモニター画面の片隅に極小サイズで映像を流します。
仕事をずっとしていますので、音声は聞こえるか聞こえないかというボリュームに抑えています。
すべての選手と大学に頑張ってほしいと思いますが、私はとくに明治大学を応援しています。
私は世相に疎く、どこが優勝候補かも知りません。
前評判が分からないほうがわくわくします。

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直江津小学校同窓会…半世紀振り

2014年の今年は東京五輪(第18回夏季オリンピック)開催から50年が経ったということで、テレビで特集番組が組まれたり、ちまたで記念イベントなどが催されたりしている。
それにより、1951年(昭和26年)生まれの私が直江津小学校(新潟県)を卒業したのは、その東京オリンピックが行われた1964年だったことに気づいた。
自分のなかで卒業と五輪開催の年が一致しなかったのだ。
あくまで伊那中学校1年の出来事だった。

私は前日に父の転勤にともなって伊那市(長野県)に引っ越したため、卒業式に出られなかった。
このときの無念はいまだに引きずっている。

⇒2010年8月13日「直江津小学校卒業式…半世紀の無念とは?」はこちら。

という事情もあり、かねてより同級会、それが無理なら同窓会に参加したいと思っていた。
今年が卒業半世紀の節目に当たることは早くから気づいており、ひそかに期待していた。

私は直江津小学校で1〜2年は加藤先生、3〜4年は渡辺先生、5年は高山先生、6年は小林先生が担任だった。
2年単位だが、6年になるときに高山先生が他校へ移られた。

私はその後、転校と引っ越しを繰り返し、すべての卒業証書や卒業文集、卒業アルバム、そしてすべての記念写真やスナップ写真などをなくしており、半生の記憶がかなり消えた。
にもかかわらず、直江津小学校の担任だけは名前を覚えている。
よほど学校生活が楽しかったのだろう。

高等学校(高校)は同窓会や同級会が行われるところもある。
しかし、中学校はほとんど行われない。
まして、小学校は行われるところはないのか。

私は、半世紀振りの同級会でクラスメイトと再会を果たすという願いが叶わなかった。
薄情で申し訳ないが、名前を思い出せるのは1人になっている。

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フウの納骨を終えました

先だっての「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

先日、フウ(アメショー。♀)の納骨を終えました。

私は、久し振りにのんびりしてよかったのに、早く目が覚めてしまいました。
会いたくて会いたくて会いたくて仕方のなかった恋人にやっと会える気分でした。
再会にうきうきしました。

ペットの葬儀屋が立ち会い、箸を渡してくれようとしました。
それを断り、私は素手で骨を拾いました。
真っ先にフウの額と頭(頭蓋骨)を撫でてやりました。
のど仏も見つけました。
フウのすべての骨を墓に納めました。

我が家のペットの墓には、フウの父のクロ、母のモモ、そしてトラとチビの4匹が眠っており、そこにフウが加わりました。
互いに知っており、賑やかになりそうです。

喪失感に苦しんできた私は気持ちに区切りをつけられました。
さみしさは変わりませんが、徐々に元気を取り戻しつつあります。
「フウちゃん、頑張るからね」。

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空耳と独り言…愛猫を亡くす

先だっての「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

私は同室者(猫)を亡くし、その喪失感をいまだに引きずっています。

フウ(アメショー。♀)は生活のなかでさまざまな音を立てていたことに気づきました。
歩くときに爪が床に当たる音、窓の外を見ようとしてカーテンを払う音、トイレの砂をかく音、水を飲む音、ドライフードを砕く音、ポリ袋をかまう音…。
私がベッドで眠りにつこうとすると聞こえてくるのです。
もちろん空耳ですが、その方向の暗闇を見てしまいます。
私はこうした音により、フウと暮らしていることをつねに感じていたのでしょう。

また、私はフウにいろいろ話しかけてきました。
ところが、自分が思う以上に頻繁だったことに気づきました。
一番多かったが「フウちゃん、頑張るからね」だったようです。
もちろん、くじけそうな自分への激励です。
クライアントの受託業務で締め切りに追われるとか、教育指導のコンテンツの作成や練磨に悪戦苦闘するとか、つらいデスクワークの時間が中心でした。
だれも私の独り言を聞いてくれなくなりました。

                 ◇

私は出張から自宅(書斎)に戻ると、第一声が「フウちゃん、ただいま」でした。
当人はたいてい眠っており、反応をほどんど示しません。
尻尾を振ることも、頭を持ち上げることもありません。
無視を決め込みました。

5〜6日を超える長期出張では、フウは姿さえ見せません。
怒っていて、家具の影などに隠れているのです。
私が真剣に探さないと、フウは納得しませんでした。
目が合うと、やれやれという表情で出てきました。

出張から戻る楽しみが減りました。

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アメショーはブラックスモークが最高

先週の「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

⇒2014年7月14日「模様替えの後にフウからダメ出しを食らう」はこちら。

⇒2014年7月15日「フウの肉球…アメショー」はこちら。

⇒2014年7月16日「捨て猫が家までついてくるように・・・」はこちら。

フウはいろいろな呼び方をされることをおそらく楽しんでいました。
「フウ」「フウちゃん」「フウさん」「プウ」「プウちゃん」「プウさん」「プップー」「プップちゃん」・・・。
呼び方が変わろうと、「何ですか」と応えました。
人に働きかけられることを好むとともに、人に働きかけることを好みました。
アメショーは家族との交流志向が強いですが、フウは際立っていました。

フウは私に両手を差し出すように求めました。
そして、自分の手を私のそれぞれの手にかけて立ち上がりました。
クマが両手を開き加減で立ち上がったポーズになります。
アメショーのブラックスモークでしたので、クマそっくりです。
私は堂々たるたたずまいを絶賛してきました。
「おお〜、こわい。フウちゃん、クマさんだぁ〜。こわいねぇ〜」。

フウはとてもきれい好きで、全身や肉球から何とも香ばしい匂いがしました。
また、お尻は手入れが行き届き、汚れていた例(ためし)がありません。
毛並と同様に黒(濃いグレー)でした。
私はまばゆい光を放つ肛門を絶賛してきました。
「フウちゃん、すごいねぇ〜。ダイヤモンドヒップだよぉ〜。お尻がピカピカだねぇ〜」。
お尻がわずかに汚れたのは最後の数日でした。
気持ちが悪かろうと、死後に清浄面できれいにしました。
フウは自分でも許せなかったはずです。

名前と異なり、こうした賛辞はフレーズもトーンもお決まりでなければ納得しません。
フウは自分がほめられていると分かっており、1日に2〜3回おねだりすることもありました。

もう一つ、フウがやってくださいとお願いしたことがあります。
私が椅子の背もたれにのけぞります(身をそらします。)。
そして、フウを高く抱え上げて後ろ足を胸につけ、手(前足)を顎に置きます。
ひげのチクチク感がたまらないらしく、エリマキトカゲみたいに前足を交互に横に持ち上げました。

フウはこうしてほしいという意思をはっきりと伝えた猫でした。
たわいのないやり取りが、デスクワークに根を詰めたがる私にちょっとした休息と活性化をもたらしました。
フウの相手をすると、また頑張れるから不思議です。

どのような毛並みのアメショーもかわいいですが、なかでもブラックスモークは愛情が濃く、茶目っ気がたっぷりだと思います。
猫なのに柴犬の気質や性格をいくらか備えています。

愛猫とじっくりと会話を交わしたい人には、アメショーブラックスモークが最高なのでは?

なお、いま述べたことは私の狭い経験に根差しており、統計などの根拠に基づくものでありません。

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捨て猫が家までついてくるように・・・

先週の「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

⇒2014年7月14日「模様替えの後にフウからダメ出しを食らう」はこちら。

⇒2014年7月15日「フウの肉球…アメショー」はこちら。

私は新潟・直江津生まれです。
小さい頃から野良猫に好かれました。
戦後十年ほどで、食生活が貧しかった時代です。
亡くなった両親によれば、私は家の外で野良猫と戯れていたようです。
2〜4匹に囲まれていた記憶がうっすらと残っています。
私が直江津小学校に通う頃から、捨て猫が家までついてくるようになりました。

私は、最初の捨て猫「太郎」に始まり、小鳥、多くの鳩、犬、猫と飼いつづけました。

私はいま横浜・港北ニュータウンの大規模団地に暮らしており、管理組合の取り決めで野良猫に餌をやることが禁じられています。
むろん、それを守っています。
しかし、母猫が2〜4匹の子猫を引き連れている姿を見てしまうと、心が揺れます。
豊かな時代といっても、親子が生き延びるのは大変です。
私はまれに団地の敷地外に野良猫を誘い、栄養価の高いドライタイプのキャットフードを与えています。
とくにやせ細っていると、放っておけなくなります。

40年ほど前に暮らしていた杉並・松庵の2階のアパートは1階が大家でした。
その屋根の上を野良猫が行き来し、やがて窓から部屋に入ってくるようになりました。
ペット禁止なので飼ったわけでありませんが、野良猫が無警戒でくつろいでいたことを思い出します。

私はこれまでに猫だけで11匹を飼いました。
そのなかでもフウは飛び切りの癒やしを与えてくれました。
深刻な更年期障害、そして書斎での過酷で孤独なデスクワークを乗り切れたのは、そのおかげです。
いつも手の届くところにいて、私の呼びかけや話しかけに応えてくれました。

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フウの肉球…アメショー

先週の「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

⇒2014年7月14日「模様替えの後にフウからダメ出しを食らう」はこちら。

私は数日、心と体の状態がすぐれません。
不思議なくらい食欲を感じません。

フウを17年近く世話した妻がやつれていますので、自分がしっかりしなければという気持ちはあります。
しかし、私は長く同室でしたので「喪失感」に苦しめられています。
フウと同じ年に生まれた息子もあまり元気がありません。
家族が皆、沈んでいます。

私が夜眠ろうとすると、フウがフローリングの床を歩くときに当たる爪の音がかすかに聞こえてきます。
また、昼ふと机や低い家具にフウの足跡(肉球)が浮かびあがります。

私の書斎に対し、とても小さいフウが占める面積はごくわずかにすぎません。
しかし、フウが消え、フウのこまごまとした生活用品がなくなり、空間の広さばかりが気になります。
人(猫)の気配が失われてがらんとしています。

私は書斎に一人でこもるのがつらく、深夜に散歩に出かけたりしましたが、気が晴れません。
時間が必要なのかなと思います。

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模様替えの後にフウからダメ出しを食らう

おとといの「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

◆書き加え4(7月13日)

我が家は二世帯住宅のマンションであり、玄関のなかに玄関があります。
私の書斎です。
フウはここで暮らしていましたが、うちのなかをときどき見て回りました。

このドアが半透明のガラスなので、とくに私の出張中は妻に出してほしいとせがみました。
むろん、さみしさや退屈も一因でしょう。

しかし、フウはつねに家族を気にかけ、一人ひとりの状況や様子をつかもうとしました。
コミュニケーションとふれあいに対する希求が際立って強かったです。
ほかの猫が餌ほしさに顔を出したり、体をすり寄せたりするのと対照的でした。
(フウはそうしたときでも、はっきりと意思で示しました。こびるとか、せかすことはありませんでした。)

父のクロは食欲が旺盛でしたが、やはり家族に関心を寄せていました。
母のモモは貪欲さがなく、食べることにも淡泊でした。
だから、かつては妻の部屋でフウと一緒に暮らせたのです。
フウは、両方の血を引いています。

家族に話すこと、話しかけられることを一番の喜びにしていました。

◆書き加え5(7月13日)

私は長く同室でしたので、どうしてもフウを探してしまいます。
居場所は夏場と冬場でそれぞれいくつかありました。
当日の天候(おもに気温)と空調により変わります。
そこに目がいくのです。

私は、体の小さいフウを踏んだり傷つけたりしないよう、書斎では細心の注意を払いながら動いていました。
その習慣というか習性が抜けません。

妻が餌と水の容器、マット、トイレ、ベッド、フウが好んだ私の隣の椅子に敷いたバスタオル、爪とぎなどを片づけてくれました。

また、掃除をしてくれ、部屋のあちこちからフウの体毛が綿のように出てきました。
アメショー(猫は皆そう?)は夏にかけて抜け毛が凄いのです。

妻が掃除の手を止めました。
フウの長くて黒いひげを1本見つけ、涙ぐんでいます。

私は、書斎の家具が高齢のフウに合わせて配置されていることに気づきました。
確かにフウの暮らしやすさと快適さを、私は第一に考えていました。
とりわけ机とベッドに飛び乗りやすく、双方を行き来しやすく工夫しています。
模様替えの後にフウからダメ出しを食らい、やり直したり、元に戻したりしたことを思い出しました。
OKをもらうまでが大変でした。

また、私の大きな机の上はフウの生活や動線を妨げないように小物が並べられていることに気づきました。
ぽっかりと空いた居場所や通路に、私はたばこやファイル、筆記具などを置きました。

出張が延期になった1週間、仕事にほとんど手をつけられませんでした。

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しかも、私がときどき新しい記事を割り込ませています。
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なお、ブログによりぎりぎりのジョーク、成人向けの内容が含まれます。
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和田創

和田創研代表

数字がすべて、結果がすべて。
目標達成、業績向上、成長持続、社業発展など、「収益伸長」の一点に特化したコンサルタント。
プランナー時代を含めて40年を超える経験と実績、信念と情熱を土台に、多くのクライアントを優良企業に育ててきた。
近年は新商品や新事業、新会社の開発を請け負いながら、内需・地場の中小・中堅企業の短期再生に取り組む。
その一環として、年中無休、昼夜を問わず、社長の個別相談に応じる。
また、経営から管理、人事(採用)、マーケティング、事業、商品、企画まで、おもにトップを対象としたセミナーを行う。

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