コンサルの引き出し|和田創ブログ


だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。

ラーニング

授業が素晴らしいSBI大学院大学

私が経営幹部向けの営業講座を受け持つ「SBI大学院大学」が横浜・関内から東京・丸の内に移転しました。

いわゆるMBA、社会人向けの2年制のビジネススクールです。
東京駅から至近距離という最高のロケーションになりました。
八重洲ブックセンターと道路を挟んだ正面にそびえ立つパシフィックセンチュリープレイス丸の内(地上32階建て高層ビル)の9階に事務局があります。

住所は泣く子も黙る千代田区丸の内一丁目11番1号で、いやというほど「1」が並んでいますから、これだけでも偉くなった気分に浸れます。
SBI大学院大学は通学が不要なインターネット授業を行っていますが、履修科目によってはスクーリングなどのリアル(対面)授業も開いています。

私は仕事場が銀座一丁目であり、横浜の自宅から新幹線の新横浜駅経由で東京駅に降ります。
タクシーで1メーターで行けますが、気分転換に歩くこともあります。
目の前を通るので、これからはときどき顔を出してみたいと思います。

・・・先だって出張から自宅に戻ってくると、SBI大学院大学からとても立派な教員証と名刺が届いていました。
どちらも厚みが凄く、老いた私は片手で持ちあげられません。

SBI大学院大学は、この私が講師を務めるくらいですから授業が素晴らしいのは確かですが、今回の移転を契機にたとえば「丸の内大学院大学」とかに改称してほしかった。
ならば、これでもかというくらい名刺をばらまきます。
銀座のホステスにもフレンドリー(←親密の意)に手渡します。
卒業生や在学生もどんどん名乗れるでしょう。
私は「惜しい!」と感じた次第です。

同校の運営がSBIグループ(役員・社員など)の頑張りによって支えられているのは事実ですが、それと名称は切り離すべきです。

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営業本を知るために読む人がいる

私が講師として駆け出しの頃に出した『提案営業成功の法則』に対し、読者から「自分が知っていることばかり」といった感想が寄せられた。
私は、仕事本を知るために読む人がいると分かり、衝撃を受けた。
ましてや同書は営業の実務本である。

「自分がやっていることばかり」という感想なら、私が主宰する「NPO法人営業実践大学」の月例セミナーにゲストとして招いた。
同書の内容は、トップセールスマンのなかでも突出した成績を残している人のそれである。
その2割ができていれば、私は上位3パーセントに入れると考えていた。

また、「自分がやっていることばかり」でありながら成績がよくないとしたら、私は深く反省する。
同書の内容に有効性がないということだ。

営業本だけならまだしも、事態はもっと深刻である。
実は、営業セミナーに知るために参加する。
私は成績を上げるには、営業の基本中の基本を徹底して行えば十分と考えている。
したがって、内容はどうかすると小学生が理解できる水準である。
営業本と同様、「自分が知っていることばかり」といった感想が寄せられる。

営業職のなかにも、知ることで満たされようとする人が増えた。

私は職業教育の現場において、知識偏重の学校教育の弊害と闘っている。
彼らは、教室の授業との違いが分かっていない。
受講者から寄せられる質問も行うためでなく、知るための質問が増えた。
私はたいていそれが分かってしまうので、教えていてむなしい。

今日、薬には効用だけでなく副作用があることは広く知られている。
が、案外、知識には効用だけでなく副作用があることは知られていない。
営業再建屋の私は、知識が“猛毒”になっている実態をたくさん見てきた。
例えば、高学歴者が集まるITシステムなどの先端分野に目立つ。
なかには先生顔負けの豊富な知識を持つ人もいる。

私は、とくに営業の仕事は知識に浸かると行動が鈍ると考えている。
結果を出せない人は概して「手法」に依存しすぎる。
もしも成績が伸び悩んでいるなら、あり余る知識を頭からいったん外し、営業の仕事の本質を思い切りシンプルにとらえ直すことを勧める。

私は職業柄、大勢のトップセールスマンと接してきた。
営業の手法にまつわる知識へ傾斜する人を一人も知らない。
俗にいう「頭のいい人」はおそらくゼロ。
ちなみに、私は明治大学5年中退なので「頭の悪い人」である。

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【知識と行動】戦後教育の弊害…研修・セミナー講師

プロ講師として近年とくに痛感させられるのが、知識学習・受験勉強を中心に回ってきた戦後教育の弊害である。
私が気がかりなのは、講演やセミナー、研修に行うためでなく知るために参加する人が急増していることだ。
社会人なのに学校の授業との違いがまったく分かっていない。
行動によってしか成果はもたらされないというのに…。

実は、営業成績を伸ばすうえで高度なこと、複雑なことをやる必要はない。
したがって、私は講演やセミナー、研修で基本中の基本を説いている。
知るために参加すると失望する。

営業の教育指導に携わる私がこういうことを言うとひんしゅくを買うかもしれない。
そもそも営業は本で知ったり、人から教わったりしてから行うものでなく、行いながら自ら考えるものである。
これが本筋だ。
果敢な行動を起こして壁にぶつかったり、疑問を抱えたりする人にとり、私が行う教育指導はきわめて有効と信じる。

アンケートでは、「自分が結果を出せないのは、講師の教え方が悪いからだ」といった内容が目立つ。
「講師は自分をやる気にさせてくれなかった」といった内容も…。
開いた口がふさがらない。
講師のところは社長や上司、先生や両親に置き換えられる。
また、アンケートで内容の評価を行えず、講師の好き嫌いを記す受講者が目立つ。

概して、高学歴の若手ほど「知りたがる」「教わりたがる」。
私が行う講演やセミナー、研修は、そうした人たちが不満を感じるものであってほしい。
コンテンツの作成では、彼らに「ストレス」が残るように心がけている。
すなわち、「知識汚染度」さらに「頭でっかち度」を問う。
私がMBAで受け持つ「実践営業論」の授業やテストでも同じ。

彼らはすっきりと答を出せないと面白くない。
自分の頭がよくなったという錯覚を抱けないと納得しないのだ。
仕事や人生でこれといった成果を上げられない道理である。

プロ講師の務めは問題の提起、そして解決の方向性とヒントの提供に尽きる。
具体的に掘り下げるのは受講者の務めだ。
商談の現実は多様なので、どう対応するかはその都度、自ら考えるしかない。
講演やセミナー、研修でつかんだ基本を営業現場で応用すればよい・・・。

私は職業教育の現場で戦後教育の弊害と闘っている。

◆書き加え1(8月30日)

長年の教育指導の経験では、やる前からあれこれ教わりたがる人ほど、教えてもやらない。

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MBA学生の「知識汚染度」「頭でっかち度」

私は長年、職業講師として講演や公開セミナー、企業研修などを通じて社会人に対する実務教育に携わってきた。
21世紀に入ってからひしひしと実感するのは、知識学習・受験勉強を中心に回ってきた戦後教育の弊害である。

これは高学歴の若手ほど顕著といえる。
とにかく「知りたがる」「教わりたがる」。
私が行う講演やセミナー、研修はそうした人たちが不満を感じるものであってほしい。
コンテンツの作成では、彼らに「ストレス」が残るように心がけている。
すなわち、「知識汚染度」さらに「頭でっかち度」を問う。
私がMBAで受け持つ「実践営業論」の授業やテストでも同じ。

彼らはきれいに問題を解き、すっきりと答を出せないと面白くない。
つまり、自分の頭がよくなったという錯覚を抱けないと納得しない。
成果をもたらす行動に興味がないので、授業料ばかり払わされる。
事業者の宣伝に載せられ、勉強を「自己投資」とごまかす人が後を絶たない。
それは単なる支出である。
行動へ移して成果を上げ、報酬に変えたとき、初めて自己投資と呼べる。

私にはカネを払って学ぶという発想がない。
それでは親のすねをかじる学生の意識とたいして変わらない。
カネをもらって学ぶというのが社会人の基本姿勢だろう。
すなわち、できない仕事に挑み、その経験から学ぶ。
「トリプルアクセル」でなくてよい。
「ダブルアクセル」を試みよ。

まずは壁にぶつかる。
そして、悩み、苦しみ、考え抜き、それでもどうしても分からなければ、だれかに教わったり、本で知ったりする。
「教わる」「知る」は、「行う」の後工程である。
そうした気持ちを大切にし、ときに講演やセミナーを活用するなら、よく身につくと思うのだが…。

私は職業教育の現場で戦後教育の弊害と闘っている。

                       ◇

起業にしろ、経営にしろ、営業にしろ、それらに関する知識をどんなに詰め込んだところで、無限の現実に対応できない。
勉強が好きな人ほど、知識に現実を合わせようとする。
もちろん不可能なので、いつまで経っても行動を起こせない。
起業家養成を謳うMBAの学生の起業率が低いのもうなずける。

自分の知識と外部の現実をつなぐのが「イマジネーション」である。
「クリエイション」と並び、イマジネーションが失われている。

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知識を増やすと貧乏に近づく…考えるとは何か?

私は、先日のブログ「松下幸之助、経営の神様が残した営業の名言」で取りあげた松下幸之助の言葉がずっと頭と心に引っかかっている。
「顧客が欲するものを売るな。顧客に役立つものを売れ。」。
私が知る範囲で、営業に関する屈指の名言である。
何かの機会に私の前に現れた。
ゆえに、言葉の背景も本人の意図も分からない。

⇒2011年5月23日「松下幸之助、経営の神様が残した営業の名言」はこちら。

経営と人生の名言0041私は講演などの出張があったり、そのコンテンツの作成に追われたりしており、この言葉について集中して考えているわけでない。
もしも丸6カ月が与えられたとしたら、寝ても覚めてもこの言葉を楽しむ。
つまり、自分の著作を1冊出せる。
考えるとは、そういうことだ。
私は、本は著さないが、この言葉から学んだことをコンテンツに起こし、90分の講演を行うと決めた。
早ければ今年度の下期(10月〜)に新演題としてデビューさせたい。
採用してくれるセミナー会社があれば・・・。

経営と人生の名言0045また、柳井正の「一勝九敗」、安藤忠雄の「連戦連敗」という2つの言葉、合計8文字で6カ月は楽しめる。
つまり、自分の著作を1冊出せる。
どちらも名言だが、これは二人の著作のタイトル(書名)らしい。
何かの機会に私の前に現れた。
私は本を知らない。
柳井正の言葉から学んだのは、人生で九敗を避ける人は一勝も上げられないということ。
実際そうなっている。

経営と人生の名言0012私が営業分野のコンサルタント(講師)として業績不振に沈む企業、成績不振に沈む社員を眺めて感じたのは、「うまくやらなければならない病」に冒されていること。
わがままで手ごわい顧客を相手にする仕事はうまくいくはずがない。
大丈夫、営業活動も人生もうまくいかない。
うまくいかないことをうまくやろうとすると、やる前にかならずブレーキを踏む。
つまり、やりもしない。
人がしくじらない理由はたった一つ、できそうなことでお茶を濁しているからだ。
日々似たことの繰り返しであり、営業なら慣れ親しんだ既存顧客への顔出しで済ませる。
成果を伸ばせるはずがない。

経営と人生の名言0196戦後教育は、失敗を恐れる人を育ててきた。
それは右肩上がりの経済(時代)に非常にマッチした。
が、いまは違う。

柳井正も安藤忠雄も失敗と成功は正比例すると断じている。
失敗が成功にもっとも近い。
8文字について集中して考えていると丸6カ月はかかりそうだ。
これも将来、90分の講演に仕立てられるかもしれない。
本代もいらない。

当然だが、授業を受けたり、図書を読んだり、他人に教わるほど自分で考える力は衰える。
最高学府に進んでもいい会社に就職することくらいしか思いつかない学生を見ればすぐに分かる。

読むのに「1」の時間を費やしたとしたら、考えるのに「10」や「百」の時間を費やすことだ。
読書とは読後である。
そして、行うのに「百」や「万」の時間を費やすことは述べるまでもない。

経営と人生の名言0168知識の時代は20世紀で終わり、行動の時代に移った。
行動しか成果をもたらさない。
ビジネス界における成功者は皆、知識の人でなく行動の人である。

知識を増やすと貧乏に近づく。
そうでないとしたら、知識そのものを仕事にしている人だ。
しかし、悠々と食べていける人は一握りにも満たない。
自分は例外と考えたら、人生はあっという間に終わる。

私は本を読まない。
それでも知ってしまったことは決して少なくない。
人生における最大の課題の一つは、知識と行動の乖離(かいり。ギャップ)の克服である。
それは弱い自分との格闘になるため、たいていは行動でなく勉強に逃げてしまう。
知識を増やすと貧乏に近づく。

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ブログ本はだれでも出せる…思考と文章の道場

ちょっと気恥ずかしいが、私はブログを思考と文章(表現)の鍛錬の場と位置づけている。
何事も練習が大事。
なるべくなら、鍛錬の場より厳しい「道場」にしたいと思っている。

ところが、仕事、それも雑用に追われ、なかなか時間を充てられない。
内容をうまく表せているかという以前に、じっくり考えられない。
たわいのない記事が続き、自分に失望している。

ブログは、続けるとなると、それなりに大変だ。
内輪への音信代わりにするとか、友人同士のメディアにするとかの場合は除き、何となく書かないことである。
貴重な時間がもったいない。
目的を明確にし、テーマを絞り込んでブログを本気で更新するなら、数年間でだれでも本くらいは出せるのでなかろうか(早晩、電子書籍に変わるかもしれない)。

ついては、ブログに知っていることを書かないことだ。
考えたことを書く。
むろん、その考えは実践や行動、体験に裏打ちされていなくてならないが…。

インターネットなどで情報は簡単に得られるので、知っていることを書いても本にならない。
無料で調べられそうな事柄を、カネを出して読む人はめったにいない。
新しい知識のほかは価値が認められない時代になった。
が、いまだに自分が持つ他人の知識の豊富さを誇りたがる人が珍しくない。

ブログには、自分が考えたことを書く。
これを守れば思考と文章(表現)の訓練を積めるだけでなく、ブログ自体が本の原稿になる。
それが1冊分の文字量に達すれば「ブログ本」になる。

私は今夏に東洋経済新報社から『起業の教科書』を刊行した。
MBAの教官12名による共著だが、私は通常の単行本で4分の1〜3分の1程度のページを執筆した。
そして、その原稿は、このブログの記事を選択して編集加工したものが中心である。

働く人は忙しく、いつもブログに全力を注げるわけでない。
しかし、本気で書いた記事が溜まってくると、少なくとも本の原稿の材料もしくは叩き台になる。

                       ◇

私はこのところブログに知っていることを書くことが多い。
つまり、調べたこと。
ネットに当たれば情報がすぐに見つかるので、更新がたやすい。
それでも、いくらかは考えたことを交えたり添えたりするように心がけている。
自分の向上にも進歩にもつながらないからだ。

もうちょっとブログに時間を割けるとよいのだけれど・・・。

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ドラッカーの言葉が持つ真理と普遍性

私は以前、テレビ番組で知った。
「マネジメントの父」「現代社会の哲人」と呼ばれるピーター・ドラッカーの関連図書がブームになっていた。

火付け役は異色のビジネス書。
書名は、もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら。
恐ろしく長い。
ドラッカーの代表作『マネジメント』を平易に解説した入門書らしく、大ヒットを記録した。
高校の野球部の女子マネージャーがドラッカーの言葉と出合い、それを教えに弱小チームを甲子園へ導く青春小説。
ドラッカーの魅力をだれにも分かりやすく伝えた。
ビジネスパーソンはもとより主婦や学生など幅広い層に読まれている。

ところで、私は先日のブログから、職業人の学び方、仕事に関わる読書などについて述べている。
厳密なシリーズでないが、一連の記事である。
きょうは第5回。

⇒第1回/2010年5月10日「因果関係の追究…職能強化の基本」はこちら。

⇒第2回/2010年5月11日「著者と出版社のカモ…ご愁傷さま」はこちら。

⇒第3回/2010年5月12日「正しい読書法…本は読後勝負である」はこちら。

⇒第4回/2010年5月13日「知識の多寡で人の価値を判断する」はこちら。

以下に、「あなたはドラッカーから学んだか?」と題する記事を収める。
NPO法人営業実践大学が発行する『月刊営業人(えいぎょうびと)』2007年7月号の巻頭言2である。
その原稿に思い切って手を加えた。

                      ◇◆◇

経営学者「ドラッカー」の著作はほとんどがベストセラーやロングセラーになっている(本人は社会生態学者と名乗る)。
世界中の経営者やエグゼクティブに愛読されてきた。
日本にも“信奉者”が少なくない。
学者の著作だから、読むには相当な理解力が必要だろう。
売れやすい本とは思えない。
にもかかわらずダイヤモンド社から刊行された単行本や選書だけで4百万部を超えるとか…。

私は不勉強だから一冊も読んでいない。
したがって、その思想・学説・人物に関して不明だ。
しかし、若い頃に頭と心に深く刻まれたドラッカーの言葉がある。
いつ頃か、何の雑誌か、まるで記憶にない。
うろ覚えなので不正確。
「企業の内部にはコストしかない。プロフィットはすべて企業の外部にある」。

ドラッカーに無知の私が一節を取りあげて言及するのは不適切かもしれない。
だが、今日に至るまでこの言葉を引きずっている。
実際、私の仕事と人生を変えた最大の教えである。

誤解が生じないように説明を補いたい。
この言葉が“気づき”のきっかけになったという意味である。
私はフリーランスのプランナーだったので、職場で上司や先輩などから教わる機会がなかった。
この言葉に照らして働き方や生き方を問い、考え、定め、律していった。
したがって、自分の解釈が妥当だと主張しているわけでない。

さて、私がこの言葉から学んだこと。
「自らは放っておけ。周りに尽くせ」。
自分や自社に向かう時間を減らし、周囲や世間、顧客に向かう時間を増やす。
とくに自らに関する堂々巡りの思考を排する。
例えば、仕事では顧客の繁栄や幸福を案じ、それを追い求めることに徹する。
私が講演などで強調する「顧客志向」とはこれ。

「得ることを考えるな。与えることを行え」。
私は昔、キャリアプランやライフプランなどをつくった。
が、まったくズレていた。
勉強でも仕事でも人生でも自分が得る目標を定め、得る計画を立てていた。
愚の骨頂。
個人も企業も周りに与える目標を定め、与える計画を立てればよい。
そしてひたすら行う。
人間社会ではどの道、得ようとしても得られない。
皆が得たいと望んでいるのだから。
得ようとして得られるなら、私たちはとっくに豊かさと幸せをつかんでいる。
自分や自社が周囲や世間、顧客に何を与えられるかを追い求めることに徹する。
私が講演などで強調する「価値提供」とはこれ。

「商談をやめよ。相談に乗れ」。
私は、顧客が欲する商品を売らない。顧客に役立つ商品を売っている。
販売や受注に興味がなく、貢献にしか関心がないのだ。
当然、顧客の要望やニーズをしばしば拒む。
自社の営業担当者の立場を離れ、顧客の購買コンサルタントの役割に徹する。
したがって、商談はやらない。相談に乗るだけだ。
それにより、大勢のなかの一業者と見なされず、かけがえのないパートナーと認められる。
営業活動の苦労が消える。

私が学んだことは際限がない。
こうした気づきの結果の一つが、1995年2月に立ちあげた「営業実践大学(後にNPO法人化)」である。
今日まで公開セミナーを継続してきた。
社長など経営層を含めた営業関係者の能力開発を通じて営業の地位向上に寄与したいとの一念だった。

私の憶測にすぎないが、この言葉は頑張っているのに恵まれない職業人、儲からない経営者に対するドラッカーの忠告でないのか。
「いい加減、目を覚ませ」。
何が凄いといって、先の短い言葉に包含された真理の大きさと深さ、そして普遍性だ。

著名な学者や経営者などの名言はすでに大勢に行き渡っている。
それを知っていても優位に立てるわけでない。
しかし、それに学べたならば豊かさや幸せに近づける。
自分の仕事や人生が一変するだろう。

私は、ドラッカーの一節と巡り合うことで百冊分は学んだ気がしている。
膨大に授かった。
運命が別物に…。
40歳からコンサルタントを目指したのも、私のどこかにドラッカーへの憧れがあったせいでないか。
そうした経験はなく、勝算はなかった…。

人は平坦な道ばかり歩めるわけでない。
わが身を顧みて、見晴らしのいい丘に立てたことはほとんどない。
たいていが谷伝いだった。
幾度かどん底を味わった。
とても苦しいとき、さらにひどくつらいときがあった。
働き方や生き方に揺れる私を支え、迷いを振り払う拠りどころとなったのが先の言葉である。

小銭を数えながら考えたことがある。
「かすみを食べて生きていけたらどんなにいいだろう」。
だが、現実には住む家、着る服、食べる物が必要になる。
これはどうにもならない。

結局、人は周りによってしか生かされない。
自分が苦しいとき、つらいときでさえ、周囲や世間、顧客の幸せと豊かさに尽くしていく気持ちを忘れないようにしたい。

それにしてもドラッカーの教えはがっかりするほどシンプルである。
だれも突けない核心をずばり突いているからだろう。
無限の知恵が込められており、それらは私たちの気づきをいまかいまかと待っているかのようだ。

あやふやな記憶に基づいて書き進めてきて、ふと思った。
先の言葉がドラッカーでないとしたら、私は大バカである。
あるいは、ドラッカーの一節に接し、勝手にそう受け取っただけかもしてない。
そのときはどうか笑ってください。
そして許してください。

「ドラッカー学会」が存在するらしい。
うかつなことを書くと、大目玉を食らいそうだ。

                      ◇◆◇

なお、最初の原稿(ブログ)は以下のとおり。

⇒2007年6月11日「職業人生を変えたドラッカーの言葉」はこちら。

⇒2007年6月12日「あなたはドラッカーから学んだか?」はこちら。

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知識の多寡で人の価値を判断する

私は腰と背中の激痛に苦しんでいる。
日常の動作がままならない。
すべてが恐る恐る…。
ここまで悪化すると、ホテルの自室に呼ぶ指圧マッサージでは苦しみが和らがない。
むしろ症状を悪化させる可能性がある。
出張中とあっては医者にもかかれない。
ひたすら耐えるのみ。

いまのところ講師を務めているときは腰痛ベルトを外している。
おそらくきょうも…。
見た目が悪いのはともかく、参加者に申し訳ない。
が、あすはどうだろう。

実は昨晩、博多で新鮮な料理をいただくはずだった。
しかし、どうにもならず予約をキャンセルした。
私の頭の中にあるのは、1週間の出張を何とか乗り切ること。
主催者に迷惑をかけられない。

ところで、私は先日のブログから、職業人の学び方、仕事に関わる読書などについて述べている。
厳密なシリーズでないが、一連の記事である。
きょうは第4回。

⇒第1回/2010年5月10日「因果関係の追究…職能強化の基本」はこちら。

⇒第2回/2010年5月11日「著者と出版社のカモ…ご愁傷さま」はこちら。

⇒第3回/2010年5月12日「正しい読書法…本は読後勝負である」はこちら。

以下に、「それで本から学んだと言えるか」と題する記事を収める。
NPO法人営業実践大学が発行する『月刊営業人(えいぎょうびと)』2007年6月号の巻頭言3である。
その原稿にいくらか手を加えた。

                      ◇◆◇

私は講演などで「本は読み終えてからが勝負となる」と述べている。
仕事に関わる読書においては、読むことで満たされると、学ぶことから遠ざかりやすい。
また、読むことで満たされると、やがて読むことが学ぶことだという勘違いが起こりかねない。

きのう述べたのは私の流儀なので置いておくとして、職業人生でいくらかでも成功をつかもうとする人が肝に銘じたい読書に関する時間配分がある。
メドは、「読む」に1、「考える」に2〜3、「行う」に3〜9。

行うにはいろいろ含まれるが、ここではその一つの「まとめる」に絞り、分かりやすい話をしよう。
一冊、本を読む。
そうしたら、そのテーマなり内容なりについて引きずりつづける。
そもそも読書のきっかけは問題意識だったはずで、それを簡単に手放してならない。
なぜなら、成長の芽なので…。
そして、じっくり考える。
そのうえで、やおらまとめる。

さて、それが自分の考えをきちんと表していたら、本から学んだことになる。
著者の知識をおおよそなぞっていたら、本から知ったことになる。
知ったと学んだは次元が異なり、知ったを学んだと思うのは致命傷である。
それは、本を読んでいるわりに血にも肉にもならず、職業人生があまり代わり映えのしない人の共通項だ。

念を押したい。
本は“読後勝負”である。
考えること、まとめる(行う)ことにエネルギーを注げ。

読む、考える、行う。
このうち、もっとも楽なのは読むである。
本に逃げない。

誤解が生じないよう、説明を補いたい。
私は何も本を読むことを否定しているわけでない。
大事なのは、本とどうつきあうかだと主張している。
本をせっかく読むのだから、本からよりよく学んでほしいと願う。

ところで、本から正しく学べない人が犯しがちな最大の過ちは、持っている知識の多寡で人の価値を判断することである。
それは、持っているモノの多寡で人の価値を判断することと変わりがない。
どうです、皆さんの周りにいませんか?
そうした人はもっとも下品な部類に属する。

                      ◇◆◇

なお、最初の原稿(ブログ)は以下のとおり。

⇒2007年5月31日「それで本から学んだと言えるか」はこちら。

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正しい読書法…本は読後勝負である

私は忙しさに流されやすい。
片づけなければならないことがいっぱいあるというのは満更でもない。
貧乏性なので暇だと寂しいのだ。
が、自分で決めたことをなかなかやり遂げられない。
例えば、本を書こうと思いながら十年以上が経ってしまった。
私の最新刊は2001年3月発行の『提案営業成功の極意』。
しかし、これは月刊誌で1998年2月から1999年1月まで連載した原稿を単行本にしたものだ。

忙しいの「忙」は、心が滅ぶと書く。
漢字はうまくできている。
私は意志が弱く、周りから急き立てられたり追い詰められたりしないと、なかなか本気になれない。

今年に入り、私が「営業学」を指導するSBI大学院大学(MBA)から要請を受け、本の原稿を書くことになった。
ただし、教員12名による共著。
夏に東洋経済新報社から刊行される。
こうした機会を与えられなかったら、私は永久に本を出せなかったのでないか。
しかも、テーマは初となる「起業」。

このブログの記事を再編集するだけなのに、思うように時間を取れず、かつ頭の整理が難しく、原稿が大幅に遅れている。
恐らく私一人。
締め切りは5月6日だった。

同校の事務局から進捗の厳しいチェックが入っている。
私は、鬼みたいな形相で尻を叩いてくれる人が好きだ。
お陰で原稿のゴールがぼんやりと見えてきた。

書店に並んだ本を手に取れば、じわっと感慨が湧いてきそう。
7月中旬?
となると、59歳の誕生日の前後。
自分へのバースデープレゼント。
それを楽しみに原稿に精を出している。

ところで、私は一昨日のブログから、職業人の学び方、仕事に関わる読書などについて述べている。
厳密なシリーズでないが、一連の記事である。
きょうは第3回。

⇒第1回/2010年5月10日「因果関係の追究…職能強化の基本」はこちら。

⇒第2回/2010年5月11日「著者と出版社のカモ…ご愁傷さま」はこちら。

以下に、「本は読み終えてからが勝負となる」と題する記事を収める。
NPO法人営業実践大学が発行する『月刊営業人(えいぎょうびと)』2007年6月号の巻頭言2である。
思い切って手を加え、新たな原稿とした。

                      ◇◆◇

会社経営者、NPO法人理事長、講師、コンサルタントを兼ねる私は、人と接する機会がきわめて多い。
とりわけ公開セミナーでは休憩時間などに参加者から話しかけられる。
そのなかで感じる疑問の一つは、「本をたくさん読んでいながら、どうしてこの程度なのだろう」である。

本を読むと言うからには、学ぶ意欲はあるはずだ。
それでもたいしたことがないとしたら、本との接し方が間違っているとしか思えない。

1冊を読んで百冊分も学べる人がいる。
かたや、百冊を読んで1冊分も学べない人がいる。

両者の決定的な差はどこでつくのか。
それは「考える」要素をどれくらい大切にしているかだだろう。

当然だが、本は“読後勝負”である。
なぜなら、売れない本でも千人や2千人は読んでいる。
したがって、読むこと自体にたいした優位性はない。
本のテーマや内容についてどれくらい掘り下げて考えられるかが、身につくかどうかの分かれ道となる。

めったに本を読まない私に、絶対というこだわりがある。
それは本に関わる時間配分だ。
「読む」に1を要したら、「考える」に10をかけている。そして、その後に「行う」に 100を費やすように努めている。

私が数年間で読んだ本は1冊にすぎない。
「ベンチャー創設」をテーマとしたビジネス書である。
読後の「考える」そして「行う」に、先に述べた配分よりはるかに大きな時間を割いた。
気が遠くなるくらいだ。
その結果が、IPOを目指して設立されたベンチャーへの参画だった(結局、私の出番が回って来る前に会社が消滅した)。
もう一つは、私とIT企業が協力して立ち上げる営業支援ベンチャーの準備である。

私は他人の本を1冊読めば、例えば自分の本を1冊出すとか自分の会社を1社つくるとかする。
知ったのでなく学んだという以上は、それをかならず何らかのカタチで表現するように戒めている。

座右の銘は「一冊一行(いっさついっこう)」。
仕事に関わる読書の約束事である。
なぜなら、「行う」には「考える」しかない。

行動は成功や失敗といった成果に直結するため、頭を使う度合いが読書と桁違い。
例えば、他人の起業本を読んで自分の起業に挑もうとすれば猛烈に考える。
ときに死に物狂いで…。

結局、「本をどれくらい読んだか」でなく「本でどれくらい考えたか」により、読書を通じた学びの成果が決定づけられる。
前者では本が目的となっているのに対し、後者では本が手段となっている。
「月とすっぽん」とはこのこと。
本は読んだらお仕舞いだ。

本は、私たちが考え、そして行うための素材やきっかけを提供してくれるにすぎない。
行動を前提とした読書は学びが大きい。
加えて、行動を通じて学びが得られる。
「行動読書」はいいこと尽くめ。
ならば、それなりに豊かで幸せな職業人生を謳歌できるのでなかろうか。

私はまもなく起業本を出す。
数年前に読んだ「ベンチャー創設」をテーマとしたビジネス書を今日まで引きずっていたことになる。
読むに要した時間の数百倍は考えるにかけたご褒美だ。
この間、他人の知識が自分の気づきに変わった。
ゆえに、自分の著作。

なお、「自己投資」という都合のいい言葉がある。
読書は出費にすぎず、投資と呼べない。
行動に変換しないかぎり元手を回収できない。

世の中、学んだ気分に浸りたくて本を読む人が少なくない。
知るを学ぶという欺瞞。
が、本を読めば、本に飲まれる。
正しい読書法とは「読後法」である。
つまり、読書法でなく読後法が自己実現の決め手となる。

                      ◇◆◇

なお、最初の原稿(ブログ)は以下のとおり。

⇒2007年5月30日「本は読み終えてからが勝負となる」はこちら。

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著者と出版社のカモ…ご愁傷さま

このブログがアップする頃には、私はベッドに倒れ込んでいるかもしれない。
セミナー会場の天神ビルから宿泊先の西鉄グランドホテルまでほんの数分。
それとも終了後に参加者から質問攻めにされているか。
毎年、熱心な受講者が多い。
やり甲斐はあるが、その分、講師が使うエネルギーも大きくなる。
還暦を控えたわが身に堪える。

しかし、あすの夕食に新鮮な魚介を楽しめると思うと、いくらか元気が出てくる。
博多は和食に限らず、料理が概しておいしい。

以下に、「本は読むものでない」と題する記事を収める。
NPO法人営業実践大学が発行する『月刊営業人(えいぎょうびと)』2007年6月号の巻頭言1である。
その原稿にかなり手を加えた。

                      ◇◆◇

私は「本」をほとんど読まない。
自分で本を出しておいて、読者からひんしゅくを買うかもしれないが、事実である。
本に頼らず、自力で考えることを断固優先させている。

これに関しては、きのうのブログで「因果関係の追究…職能強化の基本」として述べた。
職業人が学習を進めるうえで大切にすべきポイントだ。
むろん、私自身が長らく実践してきた。
第1は、自分から学ぶ。
行動した体験を分析するのだ。
第2は、他人から学ぶ。
遭遇した事例を分析するのだ。
これらで頭のなかがいつも一杯になる。
第3は、書籍から学ぶ。
こちらへ時間をなかなか割けないでいる。

もう一つ、本を読まないのは視力も原因である。
強い近視と乱視に40代から老眼が加わった。
さらに50歳頃から利き目の右がダメになった(やがて信号が見えにくくなりクルマの運転をやめたほどだ)。
いまや本を読み切ることが難しくなり、ここでムリをすると仕事に重大な支障を来たしてしまう(新聞はもっと厳しい)。

その私がまれに本を読むことがある。
もともと本が嫌いでないようだ。
目がつらいから、ともすれば拾い読みになる。
それでも本の難易度により3時間や5時間、10時間を要する(学生時代にふけったのは小説なので単純な比較はできないが、読む速度もいやになるくらい落ちた)。

私がもっとも大切にするのは、読む時間の少なくとも10倍は頭を巡らすことである。
本のテーマや内容について数十時間や百時間は考えつづける。
期間でいえば、数週や数カ月はうだうだ引きずる。
だいぶ前から数年に1冊になり、したがって1年を超えて引きずることも…。

この間、テーマや内容が過去を含めた自分の体験や他人の事例と激しく交わる。
やがて、プラマン(簡易万年筆)の書き込みで本文が見えなくなり、本は原形を留めなくなる(製本が読む仕様になっていて、使う仕様になっていないため、たいてい壊れてしまう)。

こうしたプロセスを経て、他人の知識が自分の気づきに変わってくる。
したがって、自分の考えとして原稿や講演に仕立てられる。
あるいは、行動に移して成果を刈り取れる。
これが投資を回収した状態である。

以前、営業講師の私に対し、「営業本をたくさん読んでいる」と言ってきた人がいた。
自分は頭が悪いと、わざわざ相手に明かす必要はない。
恥ずかしいから黙っていよう。
それと、特定の分野やテーマの本をたくさん読んだら、少なくとも1冊は自分の考えを著さないとねぇ。
私は3冊も読んだら、自分の本を1冊は書くなぁ。
そんなに読むことはないが…。

実は、テレビ番組や新聞記事などについても本と同様にうだうだ引きずる。
見る時間よりも考える時間のほうがはるかに長い。
テレビはながら視聴、新聞は眺める程度なので…。
私のブログが放送日や発行日からかなり遅れて取りあげる理由の一つ。

ところで、まれに本を読むと述べた。
誤りにつき、訂正したい。
私は本を読まない、本で考える。
絶対に崩さないルールだ。
私に本を読むという発想はまったくない。

本を読む人は学びが限られ、したがって本を出せない。
著者と出版社のいいお客さん(専門用語で「餌食」と呼ぶ)になってお仕舞い。
ご愁傷さま。

極論すれば、本の中身はどうでもよく、プラマンの書き込みが大事である。
自分のものである気づきだから、当然。
学びの鉄則だ。

                      ◇◆◇

なお、最初の原稿(ブログ)は以下のとおり。

⇒2007年5月10日「本は読むものでない」はこちら。

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2010年5月公開講座

因果関係の追究…職能強化の基本

私は福岡・西鉄グランドホテルに宿泊。
地元の名門だ。
毎年10泊前後はお世話になっている。
建物は古いが、館内・室内ともに快適であり、心が休まる。

今年も九州生産性本部が主催する「提案営業セミナー」で講師を務める。
ありがたい。
が、私はすっかり老けてしまった。
自分の体調と体力と相談しながらの進行になる。

博多は食べ物がおいしい。
それも楽しみの一つ。
生まれ故郷・直江津を除き、私がもっとも好きな地方都市である。
頑張らなくては…。

以下に、「職業学習の順序と方法」と題する記事を収める。
NPO法人営業実践大学が発行する『月刊営業人(えいぎょうびと)』2007年5月号の巻頭言である。
その原稿に思い切って手を加えた。

                      ◇◆◇

年金が破たんし、職業人生はどんどん長くなりそうだ。
その職業人生も波瀾万丈になりそうだ。
終身雇用が崩れ、安定など望むべくもない。
私たちは自己防衛のためにも職能の強化に励まなくてならない。

では、職業人としてどのように学ぶことがもっとも効果的だろう。
学ぶ順序と方法の基本があるに違いない。
私が大切にしてきたやり方を述べたい。
ことさら勉強の時間を設けなくて済むところが一番のミソ。
ならば、不断に学べ、不断に伸びられる。
きのうよりわずかでも高みにいられること請け合い。
その積み重ねに人生を託すのだ。
横着で楽観的な私にぴったりのやり方。

第1は「自分」から学ぶ。
基本は行動、そして内省。
挑んだ体験から学ぶ。
身近な機会でありながら圧倒的に貴重である。
何かを試みたら、なぜうまくいったのか、なぜうまくいかなかったのかを納得できるまで振り返る。
通勤や休憩、風呂やトイレ、ながら視聴や散歩など、くつろげる時間や場所で…。
大都会では通勤は地獄だが、頭を巡らすことはできる。
あっ、ベッドに入ったら忘れよう。

私は、学ぶ場合にこれが最上位に位置すると信じる。
学ぶうえでの最大の不幸は、自分の体験から多くを気づくことのできない自分にある。
勉強に熱心なわりに仕事で成果を出せない人の共通項といえる。

第2は「他人」から学ぶ。
基本は観察、ときに比較。
観察に質問を加えるとさらに効果的だ。
優れた人から学ぶ。
劣った人を反面教師にするやり方もないわけでない。
だが、能力が要るし、効率も悪い。
劣った人からは、優れた人との比較において学ぶのが正解だろう。

私たちは人と接した瞬間に感じることがある。
例えば、「自分より豊かそう」「自分より幸せそう」。
そう思うとき、その人は相当に“上”である。
だれしも年に数回くらいは、そうした人に出会う。
名刺を交わし、懐に飛び込んで、その働き方や生き方に触れてみる。
学ぶうえでの最大の障害は、他人の優れている点に気づくことのできない自分にある。
勉強に熱心なわりに仕事で成果を出せない人の共通項といえる。

以上、私にとっての学ぶ順序と方法の基本である。
自分と他人から生きるうえで、働くうえで必要なことをほとんど学んでしまうのは、それほど容易でない。
これを実行できる人は、職業人生で多少いい思いを味わえるのでないか。
なお、自分から学ぶにしろ他人から学ぶにしろ「因果関係」を突き止める。
結果をもたらす原因を探り出すことに集中するのだ。
原因とは、意識や意欲、態度や姿勢、行動や習慣、あるいは過程である。
そして、就寝前に大学ノートに走り書きしておく。
粘り強く続けるなら、ちょっとした文章くらいは書ける。
訓練を積んでいけば、自分の本も出せよう。

私は講演やセミナー、研修で講師を務めてきたが、語っている内容(コンテンツ)は大学ノートから引っ張っている。
昨今はブログに書き留めることが多いが…。
夏に出す本(共著)はブログの記事を編集したものだ。

念を押せば、因果関係への肉薄が最重要。
そのためには、とことん考えるしかない。
しかし、それはつらく孤独な行為である。
どうしても本へ走りたくなる。
考えることから逃げてならない。
自分や他人を教材に考えることは、出来合いの教材(本)で知ることと比べて十倍や百倍は大変であり、したがって血となり肉となる。

第1と第2で精一杯のはずだが、もしも時間が余ったなら…。
第3は「書籍」から学ぶ。
ただし、よほどつきあい方に気をつけないと、考える力は確実に衰える。
第1と第2はタダということもあり、こちらを優先させるのが賢明だろう。
書籍に使うカネは、なるべく人との交流に回すのがよい。
むろん、それには家族や友人も含まれる。

これまで述べてきた趣旨は、知識よりも知恵のほうを大切にしようということ。
知識は他人のもの、知恵は自分のもの。
両者は決定的に違う。
知識は所詮、一時預かりにすぎない。
その証拠に、知識で本を書くと著作権侵害に問われやすい。

                      ◇◆◇

なお、最初の原稿(ブログ)は以下のとおり。

⇒2007年4月20日「講座/職業学習の順序と方法(1)」はこちら。

⇒2007年4月21日「講座/職業学習の順序と方法(2)」はこちら。

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2010年5月公開講座

学びとは違和感、成長とは不快

私は、嫌いなものが自分の幅を広げてくれると思うに至った。
さらに、それが自分の深みも増してくれると思うに至った。
ものとは、ヒト・コト・モノ。

それは50代に入って…。
私は何事も気づきが遅い。

好きなものに拘っていては、成長が覚束ない。
成長とは、むろん「変化」のこと。
時代が激しく変わっているからだ。

拘りは捉われに変わり、捉われは囚われに変わりやすい。
いつしか好き嫌いの感情に自分が飼い馴らされ、思考にバイアスがかかる。
つまり、好き嫌いをもって評価にかえる。

私たちにとり、囚われは安堵や安心につながる。
それは、囚われに感じる窮屈や退屈よりはるかに大きい。
好きなものに接したり囲まれたりすることは楽であり、この上なく「快適」なのだ。

かたや、嫌いなものに接したり囲まれたりすることは苦であり、この上なく「不快」なのだ。
私たちにとり、それは居心地の悪さにつながる。

しかし、この「不快」こそ人の成長に不可欠だ。
学びとは“違和感”にほかならない。

好きなものに身を置く典型が、読書や勉強である。
その最大の問題は、満ち足りた気分に浸れること。
カネと時間を注ぎ込んだわりに成果を得られていない理由は、成長が遅いからだ。

ところで、社長は好きなものを手繰り寄せ、嫌いなものを遠ざけられる立場にある。
こうした状態が続くと、人間としての成熟はとても果たせない。
若くして頂点に立ったトップなどに、ひどく子どもじみた人が少なくない。
会社の発展もそこで止まることになろう。

                       ◇

かの大山康晴は、「将棋の駒に好き嫌いなどあってはならない」と断じた。
経営と人生において豊かさと幸せをつかむ極意だ。

⇒2009年9月14日「大山康晴の言葉と生き様」はこちら。

                       ◇

私は長らく再建系のコンサルタントとして講演やセミナーを行ってきた。
来場者のなかに業績や成績の不振から抜け出せなくてもがいている人が少なくない。
経営トップや営業幹部もやって来る。
ありがたい。

人は感謝の気持ちを抱くと、相手に優しくしたくなる。

が、私は好かれる講師になってならないと、強く戒めている。
当然ながら、結果を出せないでいる参加者が首を縦に振る内容では話にならない。
建て直しは、彼らの“否定”から始まる。

私はプロフェッショナルを自任しており、参加者に「不快」を持ち返っていただきたい。
これを真剣に追求してきたから、悠々と講師稼業を続けてこられたのでなかろうか。

言い換えれば、講師は自分にとり「快適」な講演やセミナーにしてならない。
そのためには参加者に嫌われればよい。
許されるなら、自分が会場から逃げ出したいと思うこと。
闘いの場に居心地のよさはあってならない。

大丈夫、大勢が拒絶を示しても、少数が評価を下してくれるなら、仕事に困らない。
人は全員に好かれなくても食べていける、生きていける。
世の中はうまくできている。

                      ◇◆◇

きょうのブログは、2008年2月15日「拘り、捉われ、囚われ…」に大幅な改訂を施したものである。

⇒2008年2月15日「拘り、捉われ、囚われ…」はこちら。

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新設MBA、ブランドづくりの試み

SBI大学院大学はインターネット授業のMBAだ。
志を大切にする起業家の育成を最大の目的としている。
丸2年が経過したところ。
運悪く金融危機による大不況と重なったこともあり、学生集めが大変だった。
まあ、新設の学校が例外なく味わう苦労なのだが…。
また、あちこちにMBAが登場している。

学校関係者が努力を払うのは当然である。
しかし、そもそも学校とは生徒を集めるものでなく、生徒が集まるものだ。
決め手はブランドづくり。
が、かなりの歳月がかかる。

さて、その一環としてSBI大学院大学の教授が共同執筆で単行本を刊行することになった。
テーマは「起業」。
出版社は東洋経済新報社。
時期は6月頃?

12名の著者のなかに非常勤講師の私が含まれており、しかも30ページを割り振られている。
期待の大きさを感じ、事務局の要請を受け入れた。
起業前に必要な営業力、起業後1〜3年間に必要な営業力についてまとめる。
ベンチャー系がもっとも不得手とするところだ。
恐らく前例はほとんどなく、不安とともに楽しみもある。

実は、私はこれまで出版社の依頼で単行本の執筆を行ったことはない。
何社か声をかけていただいたが、お気持ちに感謝しつつ、丁寧にお断りしてきた。

私は筆が極端に遅く(正確に述べれば、頭が非常に悪い)、また仕事に追われて執筆に割ける時間が限られる。
自分でどうしても書くべきと決めたものしか書いていない。
そのテーマと企画を“飛び込み”の営業活動で売り込んできた。

今回は、お世話になっているMBAなので二つ返事。
講師はボランティアのつもりで行っており、金銭を当てにしていない(報酬あり)。
この本も同様。

私にとり約10年振りの著書。
怠け者でもあり、こうした機会を与えられないと永久に本を出せない。
SBI大学院大学の事務局に感謝したい。

                       ◇

金曜日夕方、横浜市営地下鉄センター北駅ビルの喫茶店で事務局と執筆に関する具体的な打ち合わせを行った。
原稿の締め切りがゴールデンウイーク明けの5月7日。
「厳守」と念を押される。
休みが完全に吹き飛んだ。
この日まで猛烈な寝不足が続きそう。
私が原稿の執筆に取りかかれるのが、4月20日前後。
ただ、この辺りに公開セミナーが重なっており、地獄…。

私は共著が初経験。
自分でも意外だったが、いくらか競争心が刺激された。
「あまりみっともない原稿は書けないぞ」と…。

⇒2010年3月25日「知識と気づきの違い…MBA授業」はこちら。
⇒2010年4月6日「卒業条件が会社設立…大人気MBA」はこちら。

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卒業条件が会社設立…大人気MBA

私が「実践営業論(営業学)」の講師を務めるSBI大学院大学(MBA)で土曜日、春季(前期)の入学式が行われた。
定員は40名。
同校は横浜・関内の「横浜メディア・ビジネスセンター」に入居している。
神奈川新聞社やテレビ神奈川の本社ビル?

私は木曜日から土曜日にかけて合計4時間しか睡眠が取れず、ふらふらの状態で臨んだ。
前日に印刷会社から届いたばかりのユニークな新名刺を携えて…。

和田創の勝負名刺(3つ折り。フルカラー)はこちら。

還暦記念にサードキャリア(転職)、そして新会社2社設立に挑戦するため、気合いを入れて作成した。
コピー&デザインは自分で…。

さて、SBI大学院大学の教室に60人以上が詰めかけ、熱気が充満した。
インターネット授業なので、遠方の学生も少なくない。
なお、一部の在校生や卒業生も加わった。
凄まじい盛りあがり!
この4月で3年目に入り、学生が増えて学校らしい雰囲気が生まれてきた。
私はおもに私の授業を受けてくれた学生らと会話を交わした。
ただし、タバコを吸えずにイライラ…。
神奈川県は嫌いだ。

インターネットMBAで学ぶ社会人は仕事を抱えており、眠気と疲労、そして何よりも「孤独」と戦っている。
年に3〜4回くらいは教員・事務局と学生、学生同士の交流の機会が欲しいところ。
同じ境遇で頑張る仲間とじかに触れれば、学生は勇気が湧いてくる。
“学び”への意欲も高まろう。

ところで、MBAは実学重視。
その卒業資格を与える以上、文部科学省が定めたルールに従わざるをえない。
したがって、現実に難しいことは承知しているが、私自身はこう考えている。
各学科の評価などたいした問題でなく、一人1社の立ち上げを卒業の条件とする。
つまり、学生へ「会社設立」を義務付け。
ビジネスモデルや事業計画の策定などを含め、MBAでの学習の総評価とするのだ。

「あのMBAに入学すると起業できる!」。

悲しいかな、修了者の起業率はきわめて低い。
人は知識を得るほどブレーキを踏むので当然だ。
起業とは度胸なので、後ろから背中を押してやるべき。
ならば、全員が“社長”として巣立てる。
SBI大学院大学が先鞭をつければ、大人気になるのでなかろうか。

私は、勉強の努力に満足する学生が増加しているのが気がかり。
むろん、逃避行為。

⇒2010年3月25日「知識と気づきの違い…MBA授業」はこちら。

MBAの授業を信じる学生が多く、私は閉口する。
これでは評論家にもなれない評論家だらけになる。

幸いMBAでは会社の設立登記に関する学科があり、司法書士などに頼らず自力で進められる。
資本金は1円以上。
費用は25万円前後。
学生はそれなりの職業人のはずで、どうにか用意できる範囲だろう。

                       ◇

無策な政治に代わりMBAが起業を強力に促さないかぎり、雇用の創出も経済の成長も叶わない。
卒業生がこれからの日本経済を引っ張っていくしかない。

SBI大学院大学には、知的洗練を欠くものの野心とパワーを秘めた有為の人材が集う。
小利口な学生がほとんどいないのが何より。
そういえば、入学式で挨拶に立った教授が学生へ「全員社長になりなさい」とゲキを飛ばした。
まったく同感!

MBAは「起業」を卒業の条件にせよ。

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2010年4月公開講座

知識と気づきの違い…MBA授業

日本は衰退が進んでいる。
これが長期化すると、凋落が決定的になる。
西欧から私たちはエコノミックアニマルとからかわれながら、経済大国を築いていった。
もともと時代が右肩上がりで、企業は成長余地が大きかった。
が、いまや右肩下がり。
頑張るものの、成長が難しい。
規模の縮小を止めるのが精一杯…。

巷に優良企業がないわけでないが、それはおもに経営に長けているからだ。
先人などだれかがつくったビジネスを踏襲したり利用したりして、それをうまく回している。
昨今の環境下で黒字を実現するのは立派だ。
また、雇用に貢献しているのも事実だ。
私はこうした経営者を尊敬する。
しかし、旧来のビジネスで数字を伸ばしているとしたら、どこかの会社から社員が移っているはずだ。
雇用の確保は認められても、創造に至らない。
既存企業の好業績は、そこに革新的な取り組みがなされていようと結局、広い意味での「管理」の勝利でないか…。

日本では有望なビジネスが芽生えるとか新しい産業が育つとか、次なるうねりがなかなか湧き起こらない。
とくに世界に通用するもの。
先行きに希望を見出しにくい。

その原因として指摘されるのは、私たちが「創造」を不得手とすること。
まったくそのとおり。
しかし、それ以上に苦手なのは「破壊」である。

つくろうとすると難しい。
実際、創造らしい創造はきわめて限られる。
ところが、先に壊してしまえばつくらざるをえない。
破壊が創造をもたらす。
この認識が重要だ。
私は、破壊があるから創造があると考える。

言い換えれば、評価すべきは、挑戦による失敗である。
私が知る範囲では、天才が幸運に恵まれた場合にしか成功が先行しない。
多くの失敗の向こうにわずかな成功があるのでないか。
そして、この成功が次の社会や世代を支える。
むろん、いま手に入れている成功が次の社会や世代を支えるわけでない。

私は、とりわけ成熟社会や飽和市場において大事なのは「破壊」だと思う。
まして、行き詰まりが顕著になり、閉塞感が覆っているとしたら…。

では、なぜ破壊できないか。
教育の堕落だ。

本来有為の人材が知識を持つのと引き換えに覚悟を失ったからだ。
例えば、わざわざMBAに入り、起業コースで学んだ挙げ句、行動を起こさない学生がほとんどである。
中途半端…。
評論家になれない評論家ばかり。
それが言いすぎだとしたら、自分が携わる仕事をうまくやろうとする人ばかり。
志が低い…。

創造は凶暴であり、たいていは知性と馴染まない。
そして、成功は創造の報酬である。
正確に述べれば、成功は失敗の報酬である。
ゆえに、成績と成功の間にたいした相関関係はない。

教育の目的は、失敗する人材を社会へ送り込むことだ。
それを第一に担うべきはMBAである。

人は怖くて壊せない。
ゆえに、新しい何かを生み出せない。
経営者の集まりでさえ守りに汲々とする人ばかりで退屈極まりない。
会社が縮むわけだ。
私は、いくつかの経済団体の会合に顔を出したことがあり、化石となっている現実を思い知らされた。
この人たちはいったいいつの時代に生きているのか。

破壊はエリートの特権。
MBAの学生の使命はそれ。
私がアルバイトの時給くらいで講師を引き受けた理由も、壊せる人材を育てたかったから…。
優れたリーダーに日本を救ってほしい。

学生に強調しているのは、「授業を信じるな」。
社会人大学院の基本は実学のはず。
にもかかわらず、例えば起業関連講座の教授や講師が失敗していない。
大問題!
なぜなら、教えることを仕事にしているからだ。
失敗しようがない。
大丈夫、人は行えば、しくじる。
私は断言する。

授業は、自ら考える材料かきっかけにすぎない。
ありがたがって教わっている学生を見ると、がっかりする。
「MBAを取得したい」。
大学や大学院の卒業資格の延長と考える学生も…。

「私の授業など取るに足らない」。
これを冗談と受け止められては困る。

さらに、私が辛くなるのは、自分の持つ知識や技術、手法の豊富さを誇る学生である。
悲惨極まりない。
知識や技術、手法は、そもそも頭の悪い人のためにある。
自ら考えられる人には不要の代物、無用の長物。
この程度のことは子どもでも分かるが、MBAの学生には分からない。
それらを身につけると、創造から遠ざかる。

守っていく力と壊していく力がせめぎ合わない社会は不幸である。
健全性、そして活力が失われていく。
ダイナミックな息吹が感じられない。

失敗と破壊を忌み嫌う日本は、どこまでもすたれ、どこまでも貧しくなる。
凋落は決定的だ。

私自身の生き方や働き方について述べれば、守ってうまくいくより、壊してしくじるほうがしっくりする。
前者に喜びや価値をそれほど見出せない。
もちろん、壊してうまくいくように努力を払ってきたが…。

                       ◇

先頃、私は三菱UFJ東京で「提案営業」の公開セミナーを行った。
あくまで営業強化・再建を主眼としている。

終了後、私は受講者のアンケート用紙をめくり、跳び上がりそうになった。
そこには簡潔な印象がポツンと記されていた。
「破壊と創造を感じた」。

営業セミナーなので、そうした言葉を用いていない。
これは鋭い指摘だ。
剛速球の評価を寄せてくれた。

私は、この仕事をやっていてよかったと思った。
うれしい・・・。

社会にしても企業にしても暮らしにしてもうまくいっていないのに、皆が守ろう守ろうとする。
私はせめてそうした姿勢を突き崩したい。

                       ◇

きょうのテーマと密接に関連するブログとセミナーは以下のとおり。
世界的建築家・安藤忠雄とユニクロ・柳井正を例題に引き、成功のキモを探った。

⇒2009年11月9日「安藤忠雄・柳井正、成功の条件(再録)」はこちら。

このブログに対し、社長からコメントが寄せられた。
「失敗の大切さに気づきました」。
読んでくださったことに感謝しつつ、このコメントは間違いだと思った。
正しくは、「失敗の大切さを知りました」。
私は失敗の大切さを述べており、そのまま。

「知る」と「気づく」の違いが分からない人が圧倒的大多数だ。
「気づき」の最大の特徴は、それを境にして劇的に行動が変わること。
ときに風景が変わる。
一生で0〜3回くらいか。
ごくささやかな気づきは、一年で0〜3回くらいか。
めったにないのが普通だろう。

私たちが気づきを得られるなら、それはもう目覚ましい成長を遂げる。
人の行動を変えさせるのは、気づきレベルに達した認識だけである。
知識はそうでない。
いくらか行動をよくするのが関の山。
自分の成長を遅らせたいと本気で願うなら、知識を得るのがベストだ。

「失敗しないことは努力していないことだと気づきました。あすからどんどん失敗します」。
これはOK。
私はときめく。
が、現実にはこうしたコメントは寄せられない。
それは、知識が行動と交わらないと気づきに変わりにくいこととも関係する。

私は、しくじらない人はサボっている人だと思っている。
まったく評価しない。
できそうなことに甘んじていたり、似たようなことを繰り返していたりするのだろう。

当然ながら、失敗がもっとも必要なのは社長だ。
でなくては、会社を伸ばしていけるはずがない。

今日の経営者の最大の仕事は、会社を変えることだ。
マネジメント、マーケティング、ビジネス、事業、商品、営業・販売…。
変えられない社長は、無能だ。

和田創講演TV人生編「成功の条件を考える」はこちら。
ユーチューブの数分の動画だ。

                       ◇

私はこのブログにおいて「破壊と創造」「知識と気づき」「社会人の学習法」「起業」などについて幾度も述べている。
どうか参考にしていただきたい。

ちなみに、起業とは名刺をつくることである。
気づけない人があまりに多い。

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2010年4月公開講座

知識は成功の足かせ…勉強は非効率

私たちの能力は限界へ挑戦したときにもっとも伸びる。
限界とは、例えば自分のできない業務や仕事だ。
つまり、限界とは行動の限界である。
ここが肝心。

能力を伸ばし、かつ成果を収めるうえで、勉強はきわめて非効率である。
知識は、職業人生の成功とほとんど無関係だろう。
むしろ、足かせになりやすい。
世の中、頭でっかちで行動を起こせない人が少なくない。
勉強に生き甲斐を感じたら、成長は止まっている。

挑戦が人を育てる。
本を読むとか学校で学ぶとか資格を取るとかの比でない。
社会人について述べれば、読書や学習で得た知識(技術や手法を含む)は即座に「行動」に変換すべきだ。
そうしたものだけが血となり肉となる。
周囲の評価も違ってくる。

私は、自分の能力を本気で伸ばそうとしたら、会社をつくるのが圧倒的に早いと思う。
勢いで述べれば、不満をこぼしながら職場に留まるのは、精神衛生面でも悪い。
能力が伸びないのみならず、心が腐る。
不満を感じない職場を自分でつくったらよい。

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2010年2月公開講座

「心が開く」「勇気を授かる」

学生と社会人。
どちらがより「勉強」が必要だろうか。
親の保護下を離れ、自立しなければならない社会人に決まっている。
だから、勉強することは褒められてよい。

学習教本0250しかし、懸命に勉強しているのに、成果があまり上がっていない人も少なくない。
まして、豊かさや幸せを手に入れたという実感をほとんど持てない。
それどころか、勉強するほど、世間や周囲に対して“不満”を募らせるようになる。
社会は自分を分かってくれない。会社や上司は自分を認めてくれない。
苛立ちが顔つきや言動に現れる。
学んだ結果としては最悪だろう。

勉強が目指す、最終的な姿とは何か。
私は2点に尽きると考えている。
第1は、心が開いていること。
学習教本0251第2は、勇気を授かっていること。
すなわち、よりよい人生を切り開いていくうえで根本となる積極的な精神を獲得し、それが体質に昇華した状態にほかならない。

第1について。
心が開いていなくては、人が入ってこられない。
自分の努力は、他者を呼び込み、互いに認め合ってこそ、価値を生み出す。
つまり、努力は他者を触媒として成果に変容する。
そうでなくては努力が空回りし、自分が孤立してしまう。
勉強は、生まれつき持つことのない、この「度量」をもたらすものでなくてはならない。
学習教本0252世の中、出会いや縁を生かせない人であふれ返っている。
それもこれも心が開いていないためだ。
私のような凡人は人を助け、人に助けられるべきである。
どこまで人と広く深く関われるかは、己の心のありようで決まる。

第2について。
勇気を授かっていなくては、未知の行動を起こせない。
頭に取り込んだ知識は、勇気に励まされ、体を巻き込んだ挑戦へ結びつく。
つまり、知識は勇気を触媒として成果に変容する。
そうでなくては知識の実践につきまとう恐怖心に打ち克てない。
勉強は、生まれつき持つことのない、この「覚悟」をもたらすものでなくてはならない。
学習教本0253また、知識を得るには、費用と時間という相当な投資が必要になる。
その典型が「資格」である。
勇気がないと、支出がかさんで、実入りが少ない。

心が開いていること。
勇気を授かっていること。

学習教本0254言い換えれば、勉強が人生に豊かさと幸せをもたらす条件である。
必須の態度。
自分は正しい学び方をしているか、ときおり問いかけよう。
ちなみに、学ぶとは学び方を考えること。

きょうのブログは、2007年4月16日「勉強が目指す最終的な姿とは何か?」にいくらか手を加えたものである。

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提案営業研修1日体験版20100114

社会人の学習法(講演TV)

ビジネスパーソンの仕事がどんどん細分化し、高度化している。
一昔前は、仕事の“幹”を知っていれば務まった。
現在は、そこから加速度的に“枝分かれ”が進んでいる。
ゆえに、それらをすべて習得しようとすると、年がら年中勉強するハメになる。
知識そのものを競う学者や評論家などの職種は別とし、一般の職業人はもっぱら仕事の成果によって評価される。
賢明なやり方といえない。

私は思う。
仕事を進めるなかで、疑問や壁にぶつかったときに人や本に当たってみるといった“いい加減”な気持ちでよいのでないか。
根が真面目だと、あれもこれも勉強しなくてはとの強迫観念に追い立てられるようになる。
心を患いかねず、要注意の状態。
ここに、枝分かれしたものに“横串”を通すという、ベーシックな、しかもスキルへ寄せた学習の意義と必要性がある。

業務に直結する領域は掘り下げて学ぶとしても、それ以外の分野は基礎的かつ実践的なところを学べば十分に間に合う可能性がある。
忘れてならないのは、横串となる学習が貧弱だと、枝分かれした勉強に振り回されやすいことである。
また、後者の咀嚼率、吸収率が悪くなる。

                       ◇

なお、本日のテーマについて、もう少し詳しく、あるいはもう少し掘り下げて語っている。



******************
講演TV(人生編)
社会人の学習法
******************

これは、2009年4月1日(水)の「和田創ブログ」に若干のアレンジを加えたものである。

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さっぱり分かっていない

知っていることと、気づいていることは、別次元である。
人の行動を変えさせるのは、気づきレベルに達した認識だけである。
学習教本0248知らないよりはましだが、知っているからといって行動が変わるわけでない。
そして、行動が変わらなければ、むろん成果も報酬もついてこない。

実際、自分が述べている事柄を、当人がさっぱり分かっていないケースが珍しくない。
よりによって勉強に熱心な人。
学び方を間違えているのだろう。

営業に“勝ち癖”をつける例えば、私が提案営業研修などで、商品が横並びの環境下における営業のあり方を問いかける。
すると、それなりの人は、「商品がおおよそ同じわけですから、差別化を図ります」とか「付加価値を付けます(日本語としてはおかしいが…)」などと返してくる。
差別化、付加価値…。
何と小難しい。

営業教本0108そこで、それはどういうことかと突っ込む。
彼らは複雑で曖昧な説明を繰り返す。
耳を澄まして聞いても、いま一つ腑に落ちない。
自分が述べた事柄の真意を解していないのだ。
この程度の認識では社長や管理者になったときに社員や部下に対して明確な指導を行えない。

学習教本0249私なら、「商品を売ってならない」と答える。
むろん、彼らと言っていることは同じだが、そこに知識と気づきの決定的な開きがある。
気づきに深まらないと、行動に目に見えた変化も起こらないし、職業人生で目に見えた成長も現れない。

笑い話のようだが、研修で差別化や付加価値と答えた人が、しばしば「モノ売り営業」に留まっていたりする。
つまり、横並びの商品を売ろうとしてもがき、成績が伸び悩んでいる。

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和田創 提案営業研修 1日体験版

知ると気づく、その違いとは?

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学習教本0207「知る」と「気づく」の、結果から眺めた違いとは何か。
それを境に、当人の行動がどれくらい変わったかだろう。
例えば、社会人が何かを知ったとしても、仕事の要領がいくらかよくなるくらい。
学習教本0208ところが、何かに気づくと、仕事の流儀が壊れ、築き直される。
姿勢や進め方ががらっと変わってしまう。あるいは職場を飛び出したりする。
学習教本0209
知識と異なり、気づきでは見慣れた風景が変わる。“別人”になった結果である。
それは当然、働き方や生き方の自己否定を伴う。
学習教本0210とりわけ若いときの気づきは、その後の人生を劇的に変えるきっかけとなる。

勉強は知るに留まらず、気づくに高まってこそ意味と価値がある。
学習教本0211
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和田創 提案営業研修 1日体験版

「勉強貧乏」になっていないか

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学習教本0203私はコンサルタントとして、またセミナー講師として、サラリーマンと接する機会が非常に多い。
ちょっと会話を交わしただけで、よく「本」を読んでいることが伝わってくる人がいる。
しかし、顔に自信のなさと満たされない心が表れている。イラつきが出ていることも…。
学習教本0204
概して、人は頭が重くなると、動きが鈍くなる。
したがって、たいした結果を残せず、周囲の評価を得られない。
地位も報酬もついてこない。それ以前に人望が伴わない。
学習教本0205これを「勉強貧乏」という。

なお、こうした人ほど力んで勉強の努力を訴えたがる。黙って仕事の成果を示せばよい。
それがスマートな働き方、生き方。

学習教本0206あなたが職業人生において豊かさと幸せをつかもうと望むなら、あくまで行動のための読書を心がけるべきである。

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和田創 提案営業研修 1日体験版

SWOT分析ができない!?

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営業実践大学のボランティア会員、浅田哲臣さんからメールが寄せられた。
2007年12月23日のブログで述べた「SWOT分析」に関連して…。
彼に、SWOT分析ができない知人がいると言う。
川柳20080102-03
なお、ウィキペディアを参考にすれば、「SWOT分析」とは以下のとおり。
目標を実現するために意思決定を必要としているプロジェクトやベンチャービジネスにおいて、その「強み・弱み、機会・脅威」を評価する際に用いる戦略計画ツールの一つ。
組織や個人に関する、内外の市場環境を分析する。
1960年代から70年代にかけ、スタンフォード大学で研究プロジェクトを導いた、アルバート・ハンフリーにより築かれた。
ちなみに、SWOTは、次の頭文字を取ったもの。
S=Strengths(強み)
W=Weaknesses(弱み)
O=Opportunities(機会)
T=Threats(脅威)

さて、彼の知人は、身に起こることはすべてチャンス(機会)であり、己の持っているものはすべて長所(強み)であると考えている。
SとOしか存在しないので、SWOT分析が“成立”しないそうだ。
まあ、それくらい前向きに生き、働いているということ!
頼もしい限り。

                    ◇

営業実践大学に関心をお持ちの皆さまへ―。
1月の公開講座は15日、火曜日に行う。
題して―。
アプローチの鬼が嗤う!
「顧客の断りにこそ商機あり」
マムシ営業・島田士郎氏 新春講演会

2008年の幕開けを飾るにふさわしい企画です。
どうか奮ってご参加ください。

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毛筆で味わう

1日体験版0122

本を読むとは、自分が変わること

私はこのブログで、いわゆる「読書」について、たびたび取りあげてきた。
なかには誤解する方がいて、「あなたは本が嫌いですか」「おまえは本を憎んでいるのか」。
嫌いでないし、まして憎んでいない。どちらかといえば、本は好きなほうである。学生時代、暇つぶしに重宝した。
私が言いたいことは一つ。
せっかく読むのだから、本との“つきあい方”を考えて、より多く学んでほしい。
とくに仕事や業務に関わる読書については、自分の豊かさと幸せに確実につながるものにしてほしい。
…たかが読書なのに、なぜこだわるのか?
私にとり、「本を読むとは、自分が変わること」を意味するからである。
変わる大変さ、変わるリスクは分かっているつもり。慎重、億劫、臆病になって当然だろう。
したがって、本に手を延ばせない。
私は、1冊読むと、長らく引きずりつづける。
「考え、そして行う」。
例えば、1冊本を書く。これにより、自分の仕事のステージが上がるのは許せるが、方向性が変わるのは怖い。
あるいは、読んだ本が「ベンチャー」に関する内容なら、1つ会社をつくる。
自分が“別人”になる可能性をはらむ…。
本を読むのはベッドに寝そべっていてもできるが、事を起こすのはたいがい命がけである。
実際、本に触れると、私のなかに眠っている何かが騒ぎ出す。脳に鳥肌が立ち、全身の血が逆流する感じ。
何せ世の中は、面白いことだらけ、つまらない仕事など一つもない。
いろんな世界をのぞいてしまうと、収拾がつかなくなる。
職業人生は“波乱万丈”に!
私は、読書を軽んじているわけでない。読書にストイックなのだろう。
覚悟が決まらない限り、本に手を延ばせない。
「読書とは、己の運命を揺るがす冒険である」。
…私が最近出会い、つきあっている人たちは、高学歴だ。最高邦を卒業した方が多い。
「頭がいい」ところへもってきて、まあよく本を読むこと。
でも、私がそれ以上に感心するのは、読んだらかならず考え、すぐ使う、しっかり行うこと!
「成果」への直結性に、目を見張らざるをえない。
20代、30代の社長、役員が大勢いる。しかも、ベンチャーの経営層にありがちな浮ついたところがみじんもない。
もちろん、圧巻は、彼らを見抜き、引き立て、束ねるボスであることは論を待たない。

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毛筆で味わう

学んでいるのに縁を生かせない悲劇

7日のブログで、「学んでいるのに報われたという実感を持てないのは、縁を生かせていないからではないか」と述べた。
さて、それは何ゆえか―。
自分が「得る」ことばかり考えるためである。
こうした姿勢は、周りに伝わる。
したがって、周りが避けるようになる。
となると、がんばるしかない。ますます、遠ざかる。
努力が孤立する悪循環である。出会いをとてもつくれない。
独りで懸命に回るコマを見るようで、本人より周りのほうがつらい…。
ところが、自分が「与える」ことを考えると、周りが近づいてくる。
向こうから縁が押し寄せるので、自分でがんばらなくても、周りに動かされたり運ばれたりする。
ただし、むやみに流されることはない。まして、自分を失う心配はいらない。
なぜなら、自分が周りに与えられることは限られており、そこには志や意思などが色濃く反映されている。
だから、“お返し”も自分を反映している。
出会いが自ずと深まっていく。
学んで報われないとしたら、お気の毒なことである。
…「目標設定」の大切さを知る人は多い。
だが、大半は、自分が得る目標を立てている。学習プランやキャリアプラン、ライフプランなどの類である。
しかし、周りに与える目標を立てている人は、あまりいないのではないか。

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毛筆で味わう

新学説「頭は筋肉」、本日発表!

俗に「頭がいい」というとき、乱暴な分類ながら2タイプがあるように思う。「頭が切れる」と「頭が強い」。
頭が切れる。
おもに先天的な資質による。回転の速さであり、頭の瞬発力である。
「脳」の優劣と密接に関わる。キャパシティの大きさと、思考回路の円滑さである。
持って生まれた才能がものをいう。
陸上競技にたとえれば、ハイジャンプや短距離走か…。
頭が強い。
おもに後天的な努力による。稼動の長さであり、頭の持続力である。
「心」の強弱と密接に関わる。思考回路を働かせようとする意志の固さである。
身につけた人生哲学や職業観がものをいう。
スポーツにたとえれば、長距離走やトライアスロンか…。
一握りの傑出した人を別にすれば、資質は似たり寄ったりである。それで闘える人をうらやんだところで仕方ない。
…私のように才能に恵まれなかった人間にも“救い”がある。
「資質は有限、努力は無限」。
うまく経験を積んでいくなら、だれしも少しずつ“いい頭”に変えられる。
「うまく」とは何か。
第1のキーワードは、「挑む」だ。
できることはやらない。慣れと安心の世界から離れ、違和と不安の領域に入る。つねに“高み”をうかがう。
第2のキーワードは、「考える」だ。
考えてから行う(設計)。考えながら行う(最適)。行いながら考える(改善)。行ってから考える(検証)。
言い換えよう。「挑むには考えるしかない」。
ところで、私が指導している「ソリューションセールス」は、頭の切れでは不十分で、頭の強さが不可欠となる。
顧客のベネフィットにフォーカスし、それを最大化するためにどこまでしつこく考えられるかが決め手である。
私のように生きる意欲、働く姿勢では負けないという人に向いている。
「頭は筋肉」。
頭は鍛えるほど強くなるというのが、私の結論である。
鍛えるうえで大事なのは、体と同様、これくらいでいいと妥協しないこと。
「人は限界を超えない限り、ネクストステージへ進めない」。
すなわち、ブレークスルーが必須。
頭が切れないと嘆く必要はない。鍛えれば鍛えるほど、頭は強くなる…。
土光敏夫に、氏ならではの名言がある。
ただし、うろ覚えなので、正確なところは不明である。趣旨は次の通り。
「体は外から分かるので、体を鍛えている人はたくさんいる。だが、外から見えない頭を鍛えている人はめったにいない」。
非常に耳が痛い。私は体を鍛えていないので…。
なお、どなたか出典と原文をご存知でしたら、教えてくださいませんか。

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「人の本のうえに、私の本をつくる」

学ぶ決意で「本」を読む職業人が、どうしても守るべきことがある。
心に残ったこと、頭に浮かんだことを、片っ端から走り書きしていく。後に回すと、そのときには忘れている。
目を使うより、心を動かし頭を巡らすこと、そして手を休めないことが肝要―。
そう、「読む→感じる・考える→表す」。後ろに重きを置くようにする。
私は、筆記具として、ペンテルの「プラマン」を用いている。万年筆は書き味が滑らかで、紙が破れない。
また、文字が大きくならざるをえない。
近視、乱視、老眼が同居する、私のお気に入り。
その際に、感じたり考えたりした部分のなるべく近くに書く。余白に限らず、行間や本文にどんどん記す。
書き込みが増えるにつれ、本文は見えなくなるが、それは「他人の知識」なのでまったく惜しくない。
「自分の気づき」のほうが十倍、百倍は貴重である。
著者のなかには、役に立ってほしいと思いながら真剣に書いている人がいる。
それどころか、自分を超えてほしいと願いながら死に物狂いで書いている人がいる。
自分の本がきっかけとなり、読者が多くの「気づき」を得て、それと引き換えに本文が消えたのだとしたら、苦労が報われることになる。
「この上ない喜び」。
こうした著者のためにも、メモは本文の上に容赦なく行うべきである。
「人の本のうえに、私の本をつくる」。
あなたが職業人生で成功を収めたいと考えるなら、それくらいの気迫で本とつきあっていただきたい。
実際、そうした走り書きを拾ってパソコンでまとめれば、ブログの内容、雑誌への投稿、あるいは自著の素材や原型くらいにはなるだろう。
くれぐれも古本をいつか金に換えようなどと思わないこと。いま以上にアマゾンを喜ばせる必要はない。
学ぶ決意で本を読む人は、しっかりと感じる、考える。
そして、それを表す、行うことにより、投資を十倍、百倍にして回収する。
一般に、古本を売ったところで、新本に払った金は戻ってこない。

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毛筆で味わう

「そんなことは分かっています」

提案営業の公開セミナーでの、私と参加者のやり取り―。
勉強していると言い張るわりに、話がちんぷんかんぷんだったので、私はやんわりと諭した。
「本を読む目的は、知識を得ることでない」。
すると、イラついて「そんなことは分かっています」。
ならば、もっと賢くなっていてよいのでは…。
本を読む目的が知識を得ることだとしたら、永久に本を買いつづけなければならない。
これでは著者や出版社の“思う壺”である。
こうした当然のことに気づかない人が、とくに知識系の本の上得意、いや“餌食”になる。
学者でもないのに、似たような分野やテーマの本をたくさん買う人がいる。知識を得ようとすると、かならずそうなる。愚かなことである。
本を読む目的は、本を読まなくてよくなることに尽きる。それも職業人生の、なるべく早い段階で…。
もし、そうでないとしたら、本はなんと罪つくりだろう。
世の中のたいがいのことは、自ら考えられるようになるために「本」はある。
他人の知識でなく、自分の“気づき”により、仕事で成果を伸ばし、職業人生で豊かさと幸せを手に入れる。
学習の目的は、「考えられる人間に変わること」。
私たちが一生に出くわす現実は限りない。本を膨大に読んだところで、その対処法をもれなく知ることは叶わない。
…ところで、私は営業分野の職業講師である。とくに「提案営業バカ」のインストラクターである。
だが、「教育者」の端くれという強い誇りを持っている。同時に、大きな責任を感じている。
教育の目的は、「考えられる人間を育てること」。
これ以外にないのではなかろうか。
人は考えられるようになれば、周りが放っておいても、おのずと成長していく。
私は、これを唯一の使命として演台に向かい、そして大勢へ語りかけているのである。

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毛筆で味わう

それで本から学んだと言えるか

昨日、私のブログで、「本は読み終えてからが勝負となる」と述べた。
仕事に関わる読書においては、「読む」ことで満たされると、「学ぶ」ことから遠ざかりやすい。
また、読むことで満たされると、やがて読むことが学ぶことだという勘違いが起こりかねない。
昨日明かした時間配分は、あくまでも私自身の頑固な流儀であるから、それは置いておこう。
さて、職業人生で多少なりとも成功をつかもうとする人が、肝に銘じたい本との“つきあい方”がある。
それは、「読む」が1、「考える」が2〜3、「行う」が3〜9という“黄金則”だ。
分かりやすい話をしよう。
なお、「行う」にはいろいろあるが、ここではその一つの「まとめる」に絞りたい。
1冊、本を「読む」。
そうしたら、そのテーマなり内容なりについて引きずりつづける。つまり、じっくり「考える」。
そのうえで、やおら「まとめる」。
…それが、自分の考えをきちんと表していたら、「本から学んだ」ことになる。著者の知識をおおよそなぞっていたら、「本から知った」ことになる。
「知った」と「学んだ」は次元が異なるので、「知った」ことを「学んだ」と思うのは致命傷である。
それは、本を読んでいるわりに血にも肉にもならず、仕事も職業人生もあまり“変わり映え”のしない人の共通項だ。
念を押したい。本は「読後勝負」である。考えること、まとめる(行う)ことに注力せよ。
読む、考える、行う。
この3つのうち、もっとも楽なのは「読む」である。
「本に逃げない」。
ある分野に関して、他人の本を10冊も読んだとしたら、自分の本を1冊は書かないと…。
誤解がないよう、説明を補足したい。
私は、何も本を読むことを否定しているわけでない。大事なのは、本とどうつきあうかだと主張している。
本をせっかく読むのだから、本から多く学んでほしい。
切にそう願う。
…ところで、本から正しく学べない人が犯しがちな最大の過ちは、持っている知識の多寡で人の価値を判断することである。
それは、持っているモノの多寡で人の価値を判断することと変わりがない。
どうです、皆さんの周りにいませんか?
そうした人は、もっとも下品な部類に属する。

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毛筆で味わう

本は読み終えてからが勝負となる

会社経営者、営業担当者、大学理事長、職業講師、コンサルタントを兼ねる私は、人と出会う機会が非常に多い。
そのなかで、とくに感じる疑問の一つ。
「本をたくさん読んでいるわりに、なぜこの人はこんなに頭が悪いのだろう」。
本を読むというからには、「学ぶ」意欲はあるはずだ。
それで、頭が悪いとしたら、もう本との「接し方」が間違っているとしか思えない…。
1冊読んで、百冊分も学べる人がいる。
かたや、百冊読んで、1冊分も学べない人がいる。
本との接し方により、それほどの大差がつく。
両者の決定的な違いは何だろう。
それは「考える」に尽きる。
当然だが、本は「読後勝負」になる。
なぜなら、売れない本でも、千人や2千人は読んでいる。したがって、読むこと自体にたいした優位性はない。
本のテーマや内容について、どれくらいしつこく考えつづけられるかが差別化の源泉であり、頭の良し悪しの分かれ道となる。
めったに本を読まない私に、絶対というこだわりがある。
それは、本に関わる時間配分だ。
「読む」に1を要したら、「考える」に10をかけている。そして、その後に「行う」に 100を費やすようにしている。
実際、私がここ数年間で読んだ本は1冊にすぎない。
「ベンチャー創設」をテーマとしたビジネス書であり、これに関して先ほど述べた配分より、読後にはるかに長い時間を割いている。気が遠くなるくらい…。
その結果が、超短期上場を目指す「ベンチャー」への参画である。新会社は、大安のきょう、設立登記された。
もう一つ、IT企業との折半出資により、営業支援と営業指導のベンチャーを近々立ち上げる。
他人の本を1冊読めば、例えば自分の本を1冊出すし、自分たちの会社を1社つくる。
「知った」のでなく「学んだ」という以上は、それをかならず何らかの“カタチ”で表現するように、強く戒めている。
「一冊一行(いっさついっこう)」。
私自身の座右の銘にほかならない。
本が「考える」きっかけになり、さらに「行う」きっかけになっていること―。
ならば、それなりに豊かで幸せな職業人生を“謳歌”できるのではなかろうか。
結局、頭の良し悪しは、「本をどれくらい読んだか」でなく、「本でどれくらい考えたか」で決まる。
前者では本が“目的”となっているのに対して、後者では本が“手段”となっている。
「月とすっぽん」とは、このことだ。

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毛筆で味わう

「本は読むものでない」

私は「本」をほとんど読まない。
自分で本を出しておいて、読者からひんしゅくを買うかもしれないが、事実である。
本に頼らず、自力で「考える」ことを優先させている。
これに関しては、4月20日21日のブログで「職業学習の順序と方法」として述べた。
第1に、自分から学ぶ。
第2に、他人から学ぶ。
これらで頭のなかがいつも一杯になる。
第3に、本から学ぶ。
こちらへ時間をなかなか割けないでいる。
もう一つ、私の視力も原因である。
強い近視と乱視に、40代から老眼が加わった。さらに、50歳頃から利き目の右がダメになった。
いまや本を読み切ることが難しくなり、ここでムリをすると仕事に重大な支障を来たしてしまう。
その私が、本をまれに読むことがある。もともと本が嫌いでないようだ。
目がつらいから、読み方が浅くなり、ともすれば“拾い読み”になる。それでも本の難易度により、3時間や5時間、10時間を要する。
私がもっとも大切にするのは、その時間の少なくとも10倍は、「頭」を巡らすことである。そのテーマや内容について、数十時間や百時間は考えつづける。
実際、数週や数カ月は“うだうだ”引きずる。この間、テーマや内容が、自分の経験や他人の事例と激しく交わる。
やがて、プラマンの“書き込み”で本文が見えなくなり、本は原形を留めなくなる(「製本」が読む仕様になっていて、使う仕様になっていない)。
こうしたプロセスを経て、「他人の知識」が「自分の気づき」に変わってくる。したがって、自分の考えとして書いたり述べたりできるし、行動へ移したり成果を上げたりできる。
そして、これが投資を“回収”した状態である。
私に対し、「営業本をたくさん読んでいる」と言ってきた人がいた。それがどうしたの…。
ある分野やテーマの本をたくさん読んだら、少なくとも1冊は自分の考えを著さないとダメでしょう。
私は、ある分野やテーマの本を3冊も読んだら、自分の本を1冊は書くなぁ、絶対に。
まあ、3冊も読むことはないのだが…。
それと、「テレビ番組」や「新聞記事」などについても本と同様に、うだうだ引きずる。
私のブログが、放映日や発行日からかなり遅れて取りあげる理由の一つは、それ。
和田創をやめ、「宇田創」にしようかなぁ。

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このブログは、おもに長期出張の移動時や宿泊時などに数日分〜1月分の記事を書き溜め、それを家族に更新してもらっています。
しかも、私がときどき新しい記事を割り込ませています。
内容が古かったり、順序が変だったりするのはそのためです。

なお、ブログによりぎりぎりのジョーク、成人向けの内容が含まれます。
ご承知おきください。
私は執筆に当たり全人格を投影したいと考えます。
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プロフィール
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和田創

和田創研代表
日本ロボコム代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。クライアントとともに77歳までに百社の設立を目指す(内、自ら11社)。

和田創研

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