コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

ポピュラー音楽

USB48フィギュア商品化、パソコンへの挿入感…AKB48

きょうは不健全な大人向けのブログをアップ。
内容は暴走気味 ⇒ ⇒ ⇒ 悪しからず。
心の濁った方のみお読みください。

Facebookの友達の建築家・デザイナー。
彼はユニークなUSBを収集し、それをFB上のアルバムに「変なUSB!」と題して公開している(「変なおじさん!」にあらず)。
これが面白い!
私はもっぱら仕事で用いる機能的なUSBしか知らないので、驚いた。
実用性がないものを含め、実に多種多様な商品が出回っている。

私はふと思った。
秋元康プロデュースによるアイドルグループ「***48」ブームにあやかり、「USB48」という48人の女の子のミニチュアの商品化はどうか。
48体のフィギュアのセット販売である。
もちろん、実用品というよりプレミアム品として…。
一体ずつ型を起こすことになるので、価格は高くなる?

しかし、「AKB48」「SKE48」「NMB48」「HKT48」などアイドルグループの熱心なファンや、珍しいものに飛びつくマニアの購入が期待できるのでなかろうか。
私はそこそこ売れると思う。
また、そうしたアイドルグループの高額商品の販促品(SPノベルティ)としてもおおいに喜ばれそう。
高額の入会金や年会費が必要となるワンランク上のファンクラブの記念品にも・・・。

さらに、コレクション意欲を刺激する商品や販促品として、48体を単体(単品)で販売・提供することも可能である。

⇒2011年10月20日「AKB48はお笑い芸人に脅威…芸能界裏事情」はこちら。

「USB48」はおそらくパッケージが開封されることなく、購入した状態で大切に保管される。
それはそれとして、プラス1セットは日常使用のために購入される。
このUSBをマイパソコンに挿入するときの合体感というか一体感が堪らないからだ。
だれだっ、涎(よだれ)を垂らしているのは!?
世間には病みつきになるファンやマニアが存在するのでは・・・。

こうした商品はつくり手の“こだわり”が大事になる。
人形のポーズやファッション(衣裳)もさることながら、つまんだときの手触り、そして差し込むときの手応えといったディテールである。
どこかの会社でぜひ商品化してほしい(アイデアの権利を主張するつもりはない)。

「USB48レクサス」はその高級バージョン。
レクサスはドアの開閉音にまでこだわる。
この商品によりUSBとあなたは抜き差しならぬ関係へ。
どうだっ、まいったかっ!

なお、私はがさつな人間なので、そうした隠微な趣味を持たない。
カチャッ!

⇒2011年6月18日「AKB48の隆盛、浅田真央の奇跡、読売巨人軍の凋落」はこちら。

◆書き加え1(12月5日)

パッケージはもちろん「AKB48劇場」のような演出を​施し、にぎやかさや楽しさを打ち出す。ファンやマニ​ア垂涎のアソート商品。

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井上真央と松本潤、紅白司会の取り合わせ

大晦日恒例「第62回NHK紅白歌合戦」の司会者が決まった。
白組司会は人気アイドルグループ「嵐」、2年連続選出。
紅組司会は朝ドラ「おひさま」でヒロイン・丸山陽子(須藤陽子)を演じた女優・井上真央、初選出。
きのう東京・渋谷のNHK放送センターで記者会見が行われた。

嵐は、2009年(第60回)に歌手として初出場を果たした。
2010年(第61回)に続く白組司会は光栄と喜びを語った。
震災復興の取り組みに協力していた。
メンバーの松本潤は井上真央とテレビドラマ「花より男子」で共演したことがある。
二人の取り合わせもファンには楽しみだろう。

井上真央は「おひさま」でやわらかな日差しのように周囲をあたたかく照らす可憐な女性を演じ、大勢の共感を得た。
そこで、白羽の矢が立ったが、本人は司会も歌手も経験していない。
NHKからの大役のオファーに、荷が重すぎるとためらった。
しかし、応援してくれた視聴者に恩返しができればとの気持ちから10月に入って決断を下した。
「おひさま」はとりわけ被災地の福島県などで高視聴率を上げていた。
その井上真央は記者会見で、6連敗中の紅組の勝利に意欲を示した。
対戦成績は紅組28勝、白組33勝。

「嵐」と朝ドラ主演の組み合わせは、「ゲゲゲの女房」でヒロイン・村井布美枝(飯田布美枝)を演じた松下奈緒に続いて・・・。

⇒2010年12月26日「松下奈緒…第61回NHK紅白歌合戦紅組司会」はこちら。

総合司会は「NHKニュース おはよう日本」のキャスターを務める阿部渉アナウンサーが3年連続で務める。
被災地の岩手県の出身だ。
第52〜55回では4年連続で白組司会を務めた。

なお、「紅白応援隊」はテリー伊藤(4年連続)とAKB48(初)に決まっている。

⇒2011年10月20日「AKB48はお笑い芸人に脅威…芸能界裏事情」はこちら。

おひさま・井上真央が紅組司会を務めるとなると、例の「白紙同盟」も応援に駆け付けるのか?

⇒2011年10月2日「マイコの真知子、満島ひかりの育子、井上真央の陽子…白紙同盟」はこちら。

                       ◇

「第62回NHK紅白歌合戦」は、東日本大震災や台風被害から復興に向かうなかで「あしたを歌おう。」をテーマに掲げている。
同局はそれにふさわしい2組を起用した。
関係者は皆、歌の力により来年に希望が持てる締め括りにしたいと口をそろえた。
どうか日本を明るく元気にしてほしい。

放送は、NHK総合とラジオ第1で歴代最長タイとなる午後7時15分から同11時45分まで。
途中、5分間のニュースをはさむ。

NHKでは“往復はがき”で紅白歌合戦観覧者を募集中。
2011年10月27日(木)必着。

                      ◇◆◇

井上真央と朝ドラ「おひさま」に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年10月14日「井上真央「おひさま」総集編は年末に再放送か」はこちら。

⇒2011年10月2日「マイコの真知子、満島ひかりの育子、井上真央の陽子…白紙同盟」はこちら。

⇒2011年10月1日「おひさま井上真央からカーネーション尾野真千子へ…視聴率20%超連発」はこちら。

⇒2011年9月24日「おひさま井上真央と純情きらり宮崎あおい…O型ライバル女優」はこちら。

⇒2011年9月18日「井上真央のおでことえくぼ、華と存在感…実力派」はこちら。

2011年8月27日「平原綾香が歌うおひさま主題歌…あなたは私の軌跡」はこちら。

⇒2011年8月25日「おいでなさんし…井上真央と高良健吾のそば屋「丸庵」」はこちら。

⇒2011年8月24日「井上真央と高良健吾の呼吸…本物の夫婦のなごみ」はこちら。

⇒2011年8月22日「おひさま脚本家・岡田惠和、庶民の幸せを描く手腕に感心」はこちら。

⇒2011年7月18日「井上真央と松下奈緒、プライド激突、視聴率一騎討ち!」はこちら。

⇒2011年6月28日「井上真央と寺脇康文、おひさまに見る昔の父と娘」はこちら。

⇒2011年6月21日「井上真央、迷いを引きずった演技、おひさまに疑問」はこちら。

⇒2011年6月6日「井上真央、おひさまの陽子、八日目の蝉の恵理菜」はこちら。

⇒2011年5月24日「井上真央は演技に集中していない…おひさまヒロイン」はこちら。

⇒2011年5月21日「斉藤由貴のやかましさ、若尾文子のあでやかさ…おひさま」はこちら。

⇒2011年5月10日「おひさま感想…井上真央の演技、岡田惠和の脚本」はこちら。

⇒2011年5月9日「おひさまオープニング、視聴率を捨てる心地よさ」はこちら。

⇒2011年5月8日「おひさま、てっぱん、ゲゲゲの女房の視聴率比較」はこちら。

⇒2011年5月7日「井上真央と若尾文子、二人の須藤陽子の演技」はこちら。

⇒2011年5月4日「井上真央・おひさま、セーラー服と庶民顔」はこちら。

⇒2011年4月16日「井上真央おひさまの安全運転…朝ドラ視聴率低下」はこちら。

⇒2011年4月11日「おひさま陽子…伊那中・西駒登山、直小・妙高登山」はこちら。

⇒2011年4月9日「井上真央、謎めいた内面…おひさまヒロイン」はこちら。

⇒2011年4月8日「瀧本美織がおひさまヒロインを演じたら・・・」はこちら。

⇒2011年4月7日「八木優希のおかっぱ頭…おひさま陽子の子役」はこちら。

⇒2011年4月5日「おひさまの舞台、安曇野の自然の美しさ」はこちら。

⇒2011年4月4日「井上真央・おひさま、日本を明るく照らす」はこちら。

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AKB48はお笑い芸人に脅威…芸能界裏事情

私はアイドルに興味がない。
いまだれが売れているか、ほとんど知らない。
それでもアイドルグループ「AKB48」はつけっ放しのテレビにしばしば登場する。
若い世代の熱烈な応援を追い風に、メディアへの露出が非常に多い。

そのAKB48がさらなる活躍の場を求め、バラエティの分野に進出を果たしている。
もちろん「お笑い番組」にも・・・。
彼女らは肝が据わっている。
男の私が驚くほど積極的であり、勇敢であり、とことんチャレンジする。
少しでも収入を増やさないと、このプロジェクトも彼女らも所属事務所もやっていけない。
大勢のアイドル(タレント)が食べていくのは絶望的なくらい大変なはずだ。
芸能界の裏事情に疎い私でも、採算を取りにくいことは察しが付く。

                       ◇

「お笑いブーム」が長く続いている。
お笑いが視聴者の支持を得たためだが、同時にテレビ局の台所事情も関わっている。
不況の長期化とメディアの増加により広告収入が大幅に減り、制作費を思い切って絞らざるをえなくなった。
要は、番組づくりにカネをかけられない。

お笑い芸人は頭がいい。
なぜなら、人を笑わせることがもっとも難しいからだ。
したがって、彼らが本気になれば大抵のことはこなせる。
例えば、さまざまな番組の司会。
彼らは職業柄、面白いトークやパフォーマンス、リアクションなどで視聴者をつなぎとめるのが実にうまい。

テレビ局は視聴率が取れるタレントを使いたい。
しかし、高額のギャランティを払えなくなった。
実際、多くの番組を掛け持ちしていた有名タレントが各局の主要なレギュラーからどんどん外されている。

テレビ局がその代役として目を付けたのが「お笑い芸人」だった。
その結果、夜間と深夜の時間帯はお笑い芸人だらけになり、バラエティ番組だらけになった。
とはいえ、皆が凄いわけでない。
見るに値しない企画と内容が急増した。
わずかな製作費で無理やり放送時間を埋めた印象が拭えない。
番組の質が年々低下し、“テレビ離れ”を加速させる悪循環に陥っている。

絶大な人気を背景にテレビを席巻するAKB48。
お笑いブームの恩恵に浴してきた芸人が出演機会を食われる可能性がある。
AKB48はライバル、いや脅威になる・・・。
しかし、ファンは移ろいやすく、飽きられるのも早いだろう。

                       ◇

作詞家・秋元康がプロデュースする「SDN48」が突然、解散を表明した。
AKB48プロジェクトの一翼を担い、大人のファン層の開拓が狙いだった。
2009年に誕生し、わずか2年ほどで消滅する。
ビジネス(儲け)にならないのだろう。

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アヴェ・マリアの美しさ…ミルージャ・ルワーズの歌唱

Andre Rieu 〜 Ave Maria

                       ◇

私はずっと仕事に追われている。
思いどおりに進められなくて頭と心、体が限界に達すると、音楽を聞きたくなる。

ユーチューブで、フランツ・シューベルト(Franz Schubert)のあまりにも有名な歌曲「アヴェ・マリア」の動画を見つけた。
正しくは、「エレンの歌第3番」。
旋律は美しく、伸びやかだ。
歌詞に「アヴェ・マリア」という言葉が入っており、宗教音楽と誤解されやすい。
ありがたみ(尊さ)とおごそかさ、気品を備えた楽曲であり、どこか神々しい(こうごうしい)ので無理もない。

「シューベルトのアヴェ・マリア」は、旋律も歌詞もきわめてゆったりとした難曲のせいか、私はだれが歌っているのを聞いても満足を得られなかった(といっても男女計十数人)。
が、この動画はなかなか見事だ。
歌っているのは、ミルージャ・ルワーズ(Mirusia Louwerse)。
1985年、オーストラリア生まれのソプラノ歌手である。
非常に若い。
私は、彼女の歌唱に、年齢に似合わない深さを感じた。
艶やか(つややか)でありながら、しっとりと聞かせてくれる。
気持ちが落ち着いた。

アンドレ・リュウ(Andre Rieu)はオランダ生まれの音楽家・指揮者・ヴァイオリニストである。
世界中で演奏活動を行い、とくに欧米で人気が高い。
大衆がクラシック音楽を気軽に楽しめるよう、コンサートではユニークな演出を積極的に取り入れている。
この動画は、アンドレ・リュウとミルージャ・ルワーズがコンサートツアーを行ったときのものか(不確か)。

ミルージャ・ルワーズが歌う「シューベルトのアヴェ・マリア」はこちら。

私がこれまでに聞いたなかでもっとも感銘を受けた。
ミルージャ・ルワーズはまだ若く、大きな伸び代を残している。
他の曲はまだまだ・・・。
ミュージカルの舞台を踏むと、さらに表現力が増すように感じた(すでに経験を有しているかもしれない)。

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ルーシー・ヘンシャル「I Dreamed A Dream」レ・ミゼラブル

Ruthie Henshall 〜 I Dreamed A Dream

                       ◇

私は仕事の締め切りに追われ、食事を取る時間さえ惜しい。
3連休にも気づかなかったほど。
せめてもの家族サービスで日曜日、夕食に「中華料理」を楽しんだ。
私はその店に「シニア割引」があることを知り、免許証を見せた。
身分証明書代わりに持っているだけで、数年前にクルマの運転をやめた。
初めてシニア割引を受けたが、うれしいような、さみしいような、複雑な気持ち・・・。
すっかり老いてしまった。

                       ◇

先だっての話。
仕事に疲れ切った明け方、ユーチューブの動画でエレイン・ペイジが歌うミュージカル「キャッツ」の「メモリー」を聞いた。

⇒2011年9月19日「エレイン・ペイジが歌うキャッツ・メモリーの感動と感銘」はこちら。

そして、オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」でスーザン・ボイルが歌い、世界中の人々に知れ渡った「I Dreamed A Dream(夢やぶれて)」を偶然見つけた。

ミュージカル「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」の劇中歌。
歌っているのは、ファンティーヌ(Fantine)を演じるルーシー・ヘンシャル(Ruthie Henshall)。
私は彼女の歌唱にただただ感動した。
言葉が出てこない・・・。
オペラに近い歌い方なのだが、ドラマチックな表現力は凄まじく、しかも完璧。
夢を追いつづけ、夢を叶えられなかった“魂”の切なさがひしひしと伝わってくる。
深い挫折と激しい悔恨の念を全身で歌いあげる。
おそらくだれもルーシー・ヘンシャルに及ばない。
世界一。

「レ・ミゼラブル」は、ヴィクトル・ユーゴーの同名小説を原作としたミュージカル。
1995年にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで初演10周年を記念したコンサートが開催された。
私が視聴した動画はそれを収録したものだ。
ルーシー・ヘンシャルはミュージカルの衣装を身につけているが歌手として歌っており、演技を見せていない。
演奏はロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団。

このコンサートには、英語圏を中心に歴代の主要キャストが一堂に会したという。
超豪華!
グランドフィナーレはジャン・バルジャン役者17人がそれぞれの国語で歌い継いだ。
そして、最後に斉唱した(不確か)。
私はこの動画もいずれ視聴するつもり…。

ルーシー・ヘンシャルが歌うレ・ミゼラブル「I Dreamed A Dream(夢やぶれて)」はこちら。

なお、スーザン・ボイル(Susan Boyle)の予選の動画は衝撃的だ。
もしまだなら視聴を勧める。
ルーシー・ヘンシャルと比較することに意味はない。
自身が歩んできた半生と重なり合うところが多いのか、とてもいい。
私は彼女がNHK紅白歌合戦に出場したことを、妻から教えられた。

スーザン・ボイルが歌うレ・ミゼラブル「I Dreamed A Dream(夢やぶれて)」はこちら。

画質も音質もよい。

スーザン・ボイルが歌うレ・ミゼラブル「I Dreamed A Dream(夢やぶれて)」はこちら。

こちらは日本語の字幕付きだ。
私は英語がさっぱりなので助かる。

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エレイン・ペイジが歌うキャッツ・メモリーの感動と感銘

CATS Memory 〜 Elaine Paige

                       ◇

土曜日、MBA(社会人大学院)で講演を行った。
私が「実践営業論」の授業を担当しているSBI大学院大学が公開講座として開催した。
会場は東京地下鉄南北線・六本木一丁目駅の真上の泉ガーデンタワー20階セミナールーム。
講演の冒頭、事務局が参加者への挨拶のなかで「3連休の初日」という言葉を用い、私はびっくり。
“仕事漬け”になっていて、まったく気づかなかった。

                       ◇

先日、コンテンツの作成に行き詰まった明け方、なぜかミュージカル「キャッツ」の「メモリー」を無性に聞きたくなった。
私は、ユーチューブで、エレイン・ペイジが演じるグリザベラが歌う動画を見つけた。
そして、ドラマチックな歌唱に大きな感動と感銘を受けた。
私がしびれたのは、圧倒的な表現力!
歌声は高いのに深く、枯れていながら響く。
ときに語るように歌い、それが心に染み入ってくる。
サビでは、空気を切り裂き、時間を突き抜けた。
演技力もなかなか。
私はすっかり魅了されてしまった。
おそらく図抜けている。
これぞミュージカル女優!

キャッツ(CATS)は、詩人T.S.エリオットが猫を擬人化した詩に、アンドリュー・ロイド=ウェバーが曲をつけたミュージカルである。

グリザベラ(Grizabella)は昔、美貌で売れっ子の娼婦猫だった。
いまや醜く老い、皆が忌み嫌う。
彼女が最後に登場し、自身の生まれ変わりを夢見てメモリー(Memory)を熱唱する。
先入観を持たない純真な子猫のシラバブも導くように、寄り添うように歌う。
観客は「お願い 私にさわって…」のクライマックスで、心が震える。
やがて皆がグリザベラの幸せを願いながら天上へ送り出し、永遠の命を祝福する。

エレイン・ペイジ(Elaine Paige)は、イギリスを代表するミュージカル女優、ポップシンガー。
事故に遭遇した主演の代役として、「エビータ」の主演に続いて起用された。
そして、彼女の歌うメモリーが世界的なヒットになった。
それがキャッツを一躍有名にしたといっても過言でない。

エレイン・ペイジが歌うキャッツ「メモリー」はこちら。


ユーチューブで早水小夜子の「メモリー」を見つけた。
声楽を本格的に学んだのだろう、素晴らしい。
高音も低音もよく通り、しっかりと歌い込むという印象。
触るのも汚らわしいボロのコートをまとっているのに、歌唱はもちろん全身から「気品」が溢れる。
みすぼらしさを感じさせない。
かなり立派なグリザベラだ。
違和感の残る人がいるかもしれないが、歌は見事。
シラバブは谷口あかり。
滅茶苦茶かわいい。

日本では劇団四季が1983年(昭和58年)11月11日に初演。
現在、11月11日は「キャッツの日」になっている。
私が暮らす横浜市にキャッツ専用の上演劇場「キヤノン・キャッツ・シアター」があり、家族と昨年楽しんだ。
グリザベラは佐渡寧子。
シラバブは五所真理子。
やはり滅茶苦茶かわいかった。
メイクも関係しているのか…。

早水小夜子が歌うキャッツ「メモリー」はこちら。

                       ◇

キャッツに“主役”という設定はない。
が、実質的に名曲メモリーを歌うグリザベラ。

世界でも日本でもグリザベラを務める出演者は選び抜かれている。
ダンスよりも歌唱のほうに重きが置かれる。
皆が素晴らしいはずだが、かなりの違いがあるようだ。
個性も持ち味(得手)も異なるから当然だ。
また、表情を含めた演技についても…。

メモリーは難曲でなかろうか。
深くて激しい「哀愁」を帯びたメロディー。
幸せを求めて生きてきた老いた娼婦猫が抱く複雑な思いやせめぎ合う感情を歌に塗り込めなくてならない。
華やかさと楽しさ、誇りに彩られた過去の回想。
悔いと悲しみに暮れ、孤独に苦しむ現在の境遇。
そして天上への希望・・・。

グリザベラが公演で大勢の観客の共感や納得を引き出すのは大変な苦労だろう。

                       ◇◆◇

劇団四季「キャッツ」に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年10月30日「何か変、キヤノン・キャッツ・シアターの感動」はこちら。

⇒2010年10月31日「たわいない…劇団四季『キャッツ』の感想」はこちら。

⇒2010年11月2日「ミュージカル・キャッツ・キャスト・ヒップ」はこちら。

⇒2010年11月4日「キャッツ・メモリーを歌う…佐渡寧子グリザベラ」はこちら。

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平原綾香が歌うおひさま主題歌…あなたは私の軌跡

私は疲労の蓄積が「腰」に出て、腰痛ベルトをきつく巻いている。
それでも動作はおっかなびっくり・・・。
激しい痛みと闘いながら仕事を続けている。

さて、NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」。
長野県の安曇野と松本を舞台に、太陽のような笑顔で周囲を照らしつづけた井上真央扮するヒロインの戦前・戦中・戦後の生きざまを描く。
そこには強く優しい日本の母の原点がある。
オープニングのタイトルバックで使われる「メインテーマ」は、渡辺俊幸の作曲。
このテーマ曲が土曜日の放送に限り、主題歌に変わる。
作詞は「おひさま」の脚本を手がける岡田惠和。
歌唱は平原綾香。

「メインテーマ おひさま〜大切なあなたへ」。
岡田惠和は、わが子に対する母の思いを綴った。
「あなたは私の奇跡 あなたは私の希望」。

おひさま制作陣は、歌詞によって物語のイメージが固定することを避けるために「曲」を流してきた。
ところが、東日本大震災が起こった。
おひさまで描く戦後復興と現実の震災復興が重なるところが多いことから、放送期間の途中から「歌」を流すことにした。

平原綾香は、言葉を非常に丁寧に伝える歌手だ。
ゆえに、メッセージ性が強調される。
私は横浜・港北ニュータウンに引っ越してきて十余年。
唯一(といっても2枚)購入したCDが平原綾香の「ODYSSEY」「The Voice」だった。
彼女のファーストアルバム、セカンドアルバム。

                      ◇◆◇

朝ドラ「おひさま」と主演「井上真央」に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年8月25日「おいでなさんし…井上真央と高良健吾のそば屋「丸庵」」はこちら。

⇒2011年8月24日「井上真央と高良健吾の呼吸…本物の夫婦のなごみ」はこちら。

⇒2011年8月22日「おひさま脚本家・岡田惠和、庶民の幸せを描く手腕に感心」はこちら。

⇒2011年7月18日「井上真央と松下奈緒、プライド激突、視聴率一騎討ち!」はこちら。

⇒2011年6月28日「井上真央と寺脇康文、おひさまに見る昔の父と娘」はこちら。

⇒2011年6月21日「井上真央、迷いを引きずった演技、おひさまに疑問」はこちら。

⇒2011年6月6日「井上真央、おひさまの陽子、八日目の蝉の恵理菜」はこちら。

⇒2011年5月24日「井上真央は演技に集中していない…おひさまヒロイン」はこちら。

⇒2011年5月21日「斉藤由貴のやかましさ、若尾文子のあでやかさ…おひさま」はこちら。

⇒2011年5月10日「おひさま感想…井上真央の演技、岡田惠和の脚本」はこちら。

⇒2011年5月9日「おひさまオープニング、視聴率を捨てる心地よさ」はこちら。

⇒2011年5月8日「おひさま、てっぱん、ゲゲゲの女房の視聴率比較」はこちら。

⇒2011年5月7日「井上真央と若尾文子、二人の須藤陽子の演技」はこちら。

⇒2011年5月4日「井上真央・おひさま、セーラー服と庶民顔」はこちら。

⇒2011年4月16日「井上真央おひさまの安全運転…朝ドラ視聴率低下」はこちら。

⇒2011年4月11日「おひさま陽子…伊那中・西駒登山、直小・妙高登山」はこちら。

⇒2011年4月9日「井上真央、謎めいた内面…おひさまヒロイン」はこちら。

⇒2011年4月8日「瀧本美織がおひさまヒロインを演じたら・・・」はこちら。

⇒2011年4月7日「八木優希のおかっぱ頭…おひさま陽子の子役」はこちら。

⇒2011年4月5日「おひさまの舞台、安曇野の自然の美しさ」はこちら。

⇒2011年4月4日「井上真央・おひさま、日本を明るく照らす」はこちら。

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04wadasouken-20110906-s

宮城愛・ハレルヤ、命をつなぐ山の歌姫…徳島・神山

私は先ごろ始めたFacebookの友達から徳島・山の歌姫「宮城愛」というシンガーソングライターを教えられた。
徳島県名西郡神山町に住まう。

至ってオーソドックスなギターの弾き語り。
私は音楽にうとく、ジャンルが分からない。
30年以上前に親しんだフォークのようでもある。

楽曲は、神山の自然とそれに包まれた暮らしのなかから紡ぎ出される。
大きな愛と深い感謝の気持ちがゆったりと流れている。
地球に生きるすべての命をおおらかにつなぐ。
さらっとした歌唱なのだが、情感が溢れ、メッセージ性も強い。

宮城愛は、澄みきるというよりも澄みわたる歌声であり、世界観というか宇宙観が醸し出されている。
それは彼女の存在の根っこだろう。
静かに聴き入るうちに、身も心も癒やされていく。
温かく、優しく、どこか懐かしい・・・。

私がユーチューブで最初に接したのは、「ハレルヤ」。
これが撮影されたときは高校3年生か(不確か)。
年齢不相応といっていいほど、落ち着いている。
人に聴かせようという力みがまったく感じられない。
その必要がないからだ。

宮城愛「ハレルヤ」はこちら。



顔がアップで映っている動画があった。
私は曲名が分からない。

宮城愛「EarthdayKamiyama2010.wmv」はこちら。



宮城愛はとてもチャーミングである。
目や口など、実に表情が豊かだ。
山あいの田舎で歌う彼女は、現代性や都会性を備えている。
洗練された印象を受けるのは、非常に聡明なせいだ。
が、あくまで素朴であり純朴である。

また、宮城愛は歯が特徴的だ。
やや大きく、いくらか出ており、それが彼女の声を遠く広く響かせる。
真っ白で丈夫そうな歯が、彼女の清潔感と健康性、生命力を際立たせる。

宮城愛は大勢を惹きつける魅力を持つ。
すでにオーラを放っている。
天性のものだ。
歌からも、そして佇まいからも、不思議な波動が伝わってくる。
これから楽しみ。

山の歌姫(うたひめ)か、山の歌神(かしん)か。

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AKB48の隆盛、浅田真央の奇跡、読売巨人軍の凋落

先日のブログ「原辰徳監督がサイン攻め…巨人軍はスター不在」についてFacebookにコメントが寄せられた。
私がお世話になった知人である。

⇒2011年6月13日「原辰徳監督がサイン攻め…巨人軍はスター不在」はこちら。

「スポーツといえば、野球しかなかった時代を背景として国民的スターが成立したのかと・・・。
AKB48などを見ても、物語を自らつくり出せるほどの力はなく、ファンとの絶え間ない交流でブランドを構築してゆくようです。」。

まったく同感。
私は、スターのオーラはファンのボリュームに正比例すると考えている。
スターは、ファンが多いほど、輝きが増す。
それが彼らの誇りと自信の背景であり、源泉である。
これについては、木村拓哉と石原裕次郎に関するブログで述べたことがある。

⇒2009年12月5日「スターと役者…木村拓哉に思う」はこちら。

⇒2009年12月6日「石原裕次郎と木村拓哉、孤独の宿命」はこちら。

⇒2009年11月28日「木村拓也と木村拓哉の名言に感動!」はこちら。

今は娯楽と嗜好が多様になり、しかもそれぞれの領域でタレントやアスリートが次々と登場し、国民的なスターが生まれる土壌がなくなった。
つまり、成立しない。
プロ野球とて同様だ。

また、読売巨人軍(ジャイアンツ)に関しては、昔は“アンチ”を含めてプロ野球ファンの多くが巨人ファンだった。
しかし、永久に不滅と思われた巨人人気があっけなく崩れた。
球団運営の傲慢と失態もたたった。
もはや球界の盟主でない。
ファンがセ・パ両リーグの12チームに等分されつつある。
プロ野球の長期かつ健全な発展のためには望ましい。

これにはプロサッカーのJリーグの発足と成功も大きく影響している。
地域密着のファン形成、チーム応援がすっかり定着した。

それとつながるが、ファンのなかでスターの位置づけが変化した。
間接的なメディアを通じて遠くから憧れる存在でなく、直接的なメディア(例えば、ステージやパーティなどのイベント)を通じてナマで触れる存在。
そうでないと納得しない。
一人のスターが抱えられるファンの人数は限られてしまう。
彼らのオーラはファンのボリュームに左右されるので、スターはおのずと“小粒”になる。
時代の流れだ。

私が応援するフィギュアスケート女子の浅田真央は近年まれな国民的なスターである。
彼女は「化け物」だと思うが、ファンに叱られるので「奇跡」と呼ぶことにする。
私のなかで長嶋茂雄と浅田真央は別格。
好き嫌いの次元を超越した存在といえる。
ともにB型。

⇒2009年9月25日「ONの時代…両雄並び立つ奇跡!」はこちら。

なお、隆盛の「AKB48」については1年程前に書きかけた記事があり、それを仕上げて近日中にアップしようと思っている。
が、時間を割けるかどうか・・・。

秋元康は大昔にスターとファンの関係の変化に気づき、しかもそれをいち早くビジネスとして開花させた。
例えば、「おニャン子クラブ」。
こちらは「妖怪」である。

秋元康の名言と人生「人生には好きなことしかやる時間がない。」はこちら。

秋元康の名言と人生「期待よりは責任を意識するようになった。」はこちら。

秋元康の名言と人生「魚でなく釣りざおを与えよ。」はこちら。

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ヘイリー・ウェステンラ、ボチェッリとデュエット

私の「Vivo Per Lei…ボチェッリ&ジュディ・ワイス」に関するブログにメッセージが寄せられた。
以下に紹介しよう。

突然ですが、ジュディ・ワイスも素晴らしいですが、ヘイリー・ウェステンラも大好きです。
多分聴かれたことはあると思いますが、フィギュアスケートの女性がウインクするところも気に入っています。
一番は好みによると思いますが、ベスト3位に入るのでないかと思い、メッセージを送らせていただきました。
大変失礼いたしました。

以上。
私は音楽の素人であり、自分が好きな順番を述べたにすぎない。
それ以前に、ジュディ・ワイスの魅力にノックアウトされた。
セクシーで、ぞくぞくする。
このブログは不純である。
きゃ〜。

アンドレア・ボチェッリはデュエットの達人であり、その効果を考えたうえで相手を選んでいる。
「Vivo Per Lei」についても同様で、どのコンビネーションもそれなりに素晴らしい。
メッセージの送信者の気持ちはよく分かる。

単独の歌唱力という観点では、ヘイリー・ウェステンラは二人より上かもしれない。
アイスリンクなので声が響く。
また、曲の途中で幾度もアイスダンサーに拍手が起こる。
顔に見覚えがあるが、私の勘違い?

「Andrea Bocelli & Hayley Westenra ―― Vivo Per Lei」はこちら。



コンサートとアイスショーの融合。
とても楽しい。
アクセスは1千万を超えている。

「Andrea Bocelli ft. Giorgia ―― Vivo Per Lei」はこちら。



アクセスは8百万を超えている。

久々に動画を検索して視聴したが、バリエーションがいくらか増えた。
私は音楽にうといので、映像にかなり影響されていることに気づいた。
女性のタイプで選んでいたかもしれない。
ジュディ・ワイス、万歳!

以下は、2009年9月5日の記事にいくらか手を加えた。

                       ◇

私が聴いたなかで「Vivo Per Lei」のベストを選んでみた。
それもユーチューブの動画に限られる。
「Andrea Bocelli & Judy Weiss」。
もとは分からないが、デュエットの名曲。
私は二人のコンビネーションにしびれた。
最高!

ボチェッリ&ジュディ・ワイス「Vivo Per Lei」はこちら。



おそらくボチェッリはイタリア語、ジュディ・ワイスはドイツ語で歌う。
何度聞いても美しい。
この曲に関しては、二人を超えるデュエットは現れないのでは…。

ベターは「Andrea Bocelli & Sandy」で、「Vivo por Ella」。
二人のコンビネーションもなかなか。

ボチェッリ&サンディ「Vivo por Ella」はこちら。



ブラジルは、2014年FIFAワールドカップと2016年リオデジャネイロ夏季五輪(オリンピック)の開催が決定し、世界でもっとも勢いのある国の一つだ。
二人のデュエットの動画はアクセスが伸びており、すでに3百万を超えている(当時の数字)。

アンドレア・ボチェッリは“包容力”が凄い。
私は呆れるばかり。
ジュディ・ワイスとサンディの歌唱は対照的。
それを難なく包み込んでしまう。
懐が広いというか…。
相手に応じて歌い方を変えているが、あくまでもボチェッリ。
それがデュエットというものなのかもしれないが、相手のよさを引き出しつつ、自分の持ち味も際立たせる。

歌のうまさなら上の女性がいるが、コンビネーションの観点では先の二組に及ばない。

ボチェッリは、デュエットの達人だ。
歌が柔らかく奥行きがあるからこそ。
自分の思いをまっすぐにぶつけるポール・ポッツとの違いである。
それは生まれ持った資質か、それとも人生経験により備わったか…。
とにかくデュエットに傑作が多い。

ただし、ルチアーノ・パバロッティ(Luciano Pavarotti)とのコンビネーションはきわめて悪い。
パバロッティのいやらしさとボチェッリの弱みが浮きあがってしまう。
これに関しては、いつかブログで述べたい。

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青春の影、歌詞の意味、求愛・結婚ソングのお墨付き

博多じまん(九州新幹線版)歌手(ミュージシャン)や役者、お笑い、タレントなど、多くの芸能人を輩出する福岡(博多)。
私がもっとも頻繁に訪れる地方都市であり、大好きだ。
単身赴任者に最大人気となっている(不確か)。
先ごろ九州新幹線が全線開通し、九州地方における一極集中にさらに拍車がかかりそうだ。

おとといのブログに続いて・・・。

⇒2011年6月10日「武田鉄矢の武勇伝…福岡出身タレント・芸能人」はこちら。

私は5日間の福岡出張の帰り、新幹線の博多駅で明月堂の「博多じまん」を買い求めた。
人気と知名度では明月堂の「博多通りもん」だが、家族がそちらを希望した。

⇒2011年3月5日「博多通りもん、福岡土産一番人気の秘密」はこちら。

⇒2011年2月18日「博多じまん、人気の福岡土産のうまさ…明月堂」はこちら。

俗っぽい味を好む私はもちろん「博多じまん」。

                       ◇

さて、その昔、福岡から勝負をかけて上京したチューリップ。
ほしくて仕方がなかった世間の注目をようやく手に入れた。
それが「心の旅」のヒットだった。
しかし、引き換えにまとわりついたアイドルグループというイメージ。
そこにリーダー・財津和夫の苦悩と葛藤、そしてメンバーの違和感があった。

おそらく、人に深さを与えるため、人生は思うとおりにならないようにできている。
財津和夫が軌道修正を図りたくて問うたのが、「青春の影」だった。
アイドルが歌う楽曲にもっとも大事なのは、大衆にとっての分かりやすさである。
皆が一度聞けば、親しみを持てること。
「心の旅」はそうだ。

ところが、一転して「青春の影」は、人の内面へ潜り込んだ。
哲学というか思想性がにじむ。
それは、チューリップとしての原点回帰だった。
ゆえに、この楽曲は最初から受け入れられたわけでない。
心を込めてライブで歌いつづけるうちに、徐々に共感と支持を広げていった。

しかし、それはチューリップがヒットを飛ばした結果、初めて持つに至った余裕の裏返しとも見なせよう。
それが「青春の影」に、若さに似合わない、堂々たる風格をもたらした。
「心の旅」と同様に愛情をテーマとしているものの、「青春の影」は人生の営みに通じる。
私は不朽の名作だと思う。

ところで、「青春の影」はなぜヒットしたか?
むろん、“別れ”を癒やしてくれる楽曲と受け止めた人がいたからだ。
自分がどう感じたか、それがすべて。
「青春の影」は、愛に留まらず人生の高揚と尊さを歌っている。
この曲名と歌詞の意味をどのように解釈するか、その答は聞く人それぞれの愛と人生のなかにあるはずだ。

とはいえ、以前、私なりに財津和夫の「青春の影」について考えたことがある。
以下に紹介しよう。

                       ◇

私は音楽にほとんど関心がないが、財津和夫の「青春の影」に惹かれてきた。
まれに耳にする機会があると、決まって胸が熱くなる。
きっかけが何か、時期がいつか思い出せないが、自分のなかに根を下ろしていた。
しかも、楽曲が先で、ミュージシャンは後だ。
井上陽水とその楽曲から浴びせられたようなインパクトはなかった。

貧乏学生だった私が授業を放り出し、楽譜取次の松沢書店の一員として飛び回っていた頃、チューリップの楽譜が急に売れはじめた。
それは3枚目のシングル「心の旅」を出した1973年だったようだ(姫野達也がリードボーカル)。
チューリップは1974年に「青春の影」と、立てつづけにヒットを飛ばした。

「心の旅」はストレートなラブソングだ。
おそらく愛する人を故郷に残し、自らの意志を貫いて上京する。
これが別れになりそうと、互いに思っている。
どこか切ない。
「青春の影」もラブソングだが、深い。
人間的な成熟が感じられる。
私は財津和夫が20代半ばで書きあげたことに驚かされる。

歌詞の1番をそのまま受け取れば、愛する女性と生涯をともにする決意を固めた男の歌である。
2番の終わりは、プロポーズに向かう途中に湧いてきた、あるいは噛み締めた大人への自覚だろう。
「青春の影」の「影」は、青春を過去に押しやるとの思い、そして惜別の念か…。
おそらく青春時代の幕を下ろし、家庭生活の扉を開ける。
愛のあり方もこれまでとは変わっていく。
二人の旅が始まるのだ。
それは途方もなく長いデコボコ道…。
ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード。

自分を振り返るなら、つきあいと同棲が長かった私と妻(前妻)は機が熟するように結婚へ進んだ。
が、挙式では、独身を手放す喪失感と所帯を構える責任感が一気に押し寄せた。
それは形容しがたい感慨だった。
二人にとり、非常に大きな区切りになった。
私はこれを境に狂ったように働きはじめた。
高校2年から虚無感に苦しんできたので、劇的な変化は自分でも不思議だった。

話を戻し、「青春の影」は「心の旅」に出た後の人生のドラマと主人公の成長を歌っているのか。
それが財津和夫自身の経験を土台にしたものかどうか、私はまったく分からない。
内容としては、ポジティブかつハッピーである。
雄々しい。

が、そうした解釈だと、どうも面白くない。
この楽曲の魅力がするりと逃げていく。
全体からにじみ出る“切なさ”もうまく説明できない。

私は、財津和夫は「謎」を残したかったのでないかと思う。
「心の旅」の歌詞と同様、「青春の影」の歌詞の1番は明快だ。
意味を取り違えようがない。
ところが、一転して2番が分かりにくい。
なかでも前半と最後の2箇所にキーフレーズが置かれている。
財津和夫は“余白”を忍ばせた。
鑑賞者への贈り物か。
曲名も謎を深めるのに一役買っている。

歌詞の1番と2番にそれなりの時間が横たわっていると考えると、違った解釈ができそうだ。
すなわち、出会い、愛、別れ…
愛の掛け替えのなさと厳しさ、まっとうの難しさ…。
それでも人はときを刻み、道を歩みつづける。
財津和夫は、愛すること、生きることへの純粋な情熱を綴った、大きな悔いさえ受け入れながら…。

作者が世の中に作品を送り出せば、独り歩きする。
鑑賞者は気ままに楽曲を楽しむ。
解釈に白黒をつける必要はなかろう。
作者といえど、作品のすべてを理解しているわけでない。
それ以前に、意図が伝わるとは限らない。
そもそも作者はヒットをつくれない。
受け手(鑑賞者)のさまざまな思いが塗り込められ、作品の世界が膨らんでいった結果である。

私自身、失恋を歌った楽曲と捉えるほうがイマジネーションは広がる。
また、一層、心に染み入る。
実際、「青春の影」に接し、人をまっすぐに愛した記憶がよみがえったり、それゆえの失恋の痛手を癒されたりする方も多いのでないか。
単に結婚に至るストーリーだったら、大ヒットはなかった。
プロポーズ(求愛)ソングやウェディング(結婚式)ソングとして多用されただろうが…。

「青春の影」の圧倒的な凄みは、人により、さらにそのときどきで異なった受け止め方を、しかも何の違和感もなくできてしまうことだ。
財津和夫の眼差しは、現実の愛にも、回想の愛にも、やさしく注がれている。
人を愛するのも自分であり、人と別れるのも自分である。
それが人生…。
この楽曲には、懸命に生きる人へのおおらかな包容力がある。
世代を超えて愛されるゆえん。

「青春の影」は、深い愛情は当然として、重い責任をともなう結婚へ踏み出そうとする心情を歌いあげた。
平凡をよしとする覚悟も…。
そうしたとき、結婚に至らなかった相手との愛がよぎるかもしれない。
私たちは人生の節目に、それまでのさまざまな出来事を喜びや幸せ、悲しみや苦しみなどの記憶とともに重ね合わせる。

なお、4タイプしかない血液型を引き合いに出すと叱られそうだが、O型のよさがいかんなく発揮されている。
楽曲の底に保守的な安心感が流れる。
それが聞く者をじんわりと揺さぶる。

                       ◇

「青春の影」には、結婚披露宴で歌うのをためらわせるような深みがある。
歌うとしたら、新郎。
ほかにぜひともというなら、新郎を見守ってきた熟年カップルの男性か。

その「青春の影」がセブン−イレブンのおでんのCMで流れた。
幸福感を強調するため、歌詞が分かりやすい個所を使っている。
CMは認知の向上、販売の促進を意図しているから当然だろう。
「青春の影」が採用されたことにより、おめでたい楽曲という“お墨付き”を頂戴した。

人々が疲弊と孤独を深め、ぬくもりの感じられる楽曲を求めている。

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松任谷由実の無防備、能天気なのか自信家なのか・・・

私は先月半ば頃から一段と仕事に追われるようになった。
それまで井上真央主演の朝ドラ「おひさま」はなるべく見てきたが、このところずっとご無沙汰している。
ストーリーがどう展開したか気になっている。
このブログにも時間をほとんど割くことができない。
書き溜め記事もだいぶ前に底を突いた。

私は来週、5日間の福岡出張であり、それまでに終えなくてならない仕事が山積みになっている。
連日、時間と壮絶な格闘を繰り広げている。
体はヘロヘロ、ときどき目が回る・・・。

ところで、ユーミンこと、松任谷由実は東日本大震災の被災地へ“歌の千羽鶴”を届けると、NHK「SONGS」とのタイアップにより「(みんなの)春よ、来い」プロジェクトをスタートさせた。
壮大なムーブメントの仕掛けだ。
大勢の巻き込みは順調に進んでいるのだろうか。
私はその後の経過を知らない。

以下に、「フォーク&ロック大全集」と題する2007年12月30日のブログを収める。
誤字の訂正も含め、記事にいくらか手を入れた。

                      ◇◆◇

たまたまBS2にチャンネルを合わせたら、「日本のフォーク&ロック大全集」という、視聴者のリクエストに応えて昔のVTRを流すナマ番組をやっていた。
一部、生演奏も…。
12月22日、土曜日、夜10時頃のこと。

私は音楽に興味が薄く、したがって知識を持たない。
そのジャンルさえ、ろくに分かっていない。
歌手もメロディも歌詞も知らない私は、カラオケをやらないのでなく、やれない。
「営業失格」といえる。
ただ、私にも「青春時代」はあったわけで、街をうろついていても、酒に溺れていても、音楽が流れてきた。
聞こうとしなくても、シャワーのように全身に降り注いだ。

さて、1951年(昭和26年)生まれの私が、音楽以前に存在自体に衝撃を受けたミュージシャンがいる。
過去最大のインパクト!

それは「荒井由実」という不可解なシンガーソングライター。
「こんな曲をつくってしまっていいのか。まして歌ってしまっていいのか・・・」。
勇気?
それとも、鈍感?
私は、荒井由実のあっけらかんとした図太さに仰天した。

当時、地方出身者がフォークを引っ張っていた。
「東京で一旗揚げる」。
「故郷に錦を飾る」。
そんな高揚した気分がまだいくらか残っていた。
実際には、若者が大学に入ったり仕事に就いたりするため、つまりサラリーマンになるため、続々と上京した。
都会に反発しながら、都会に吸い寄せられるという矛盾がせめぎ合っていたように思う。

私は「団塊の世代」を1年外れている。
それでも高校までは1クラス50名くらいで、教室の後ろに空きがなかった。
東大入試が中止になった翌年、私は明治大学に入学した。
泉キャンパスでは学生運動に冷ややかな視線が注がれ、ほどなく無関心の風が吹いた。
若者のエネルギーがはけ口を求めた結果が、フォークの隆盛でなかったか。

とはいえ、フォークは時代の空気を敏感に察知し、既成社会との「距離感」にこっけいなほどこだわっていた。
それが主張(メッセージ)となり、装い(ポーズ)となって、“かっこよさ”につながったのだから当然である。
どの歌手も「アイデンティティ」を打ち出そうと必死だった。
当時の規範や幸福観を拒む、極私的な曲まで現れる。
また、音楽を聞く側も、メッセージやポーズといった拠りどころを欲していた。

荒井由実の曲が耳に入ると、私は冷や冷やした。
「時代の空気が許さない…」。
居心地が悪いのでなく、居心地がない曲!
社会に収まり場所を見つけられない。

アルバイト先での同世代の雑談で、だれかが彼女の名前を出した。
しかし、一人も呼応せず、完全に無視されたことを覚えている。
私を含め、男は肝っ玉が小さい。
バカにされるのが怖い。
荒井由実は存在がいまわしく、話題がはばかられた。

彼女は能天気なのか自信家なのか、イデオロギーに対して“無防備”であり、まるで気負いがなかった。
都会の思春期の子女のたわいない生活のシーンやエポックを、「絵日記」みたいに切り取っただけの音楽・・・。

荒井由実は、当時のいかなる異端よりも異端だった。

反社会でぶつかるにしろ、非社会で背を向けるにしろ、それは時代への思い入れがあればこそ。
戦後の高度成長により、国民の多くが経済的な豊かさを手に入れた。
都市部で中産階級が膨張する。
同時に、社会への関心が急速に失われていく。
力んだメッセージや気取ったポーズが敬遠されはじめた。
やがて荒井由実は大衆に支持され、時代の先端を疾走するように…。
文字どおり、音楽界の頂点にのぼり詰めた。

彼女は1976年、松任谷正隆と結ばれ、「松任谷由実」にあっさり変えてしまった。
世間に認知された荒井由実という名前を捨てることに、何の躊躇も未練もなかったのだろうか。
私は愕然とした。

「恋人がサンタクロース」と歌ったのも彼女。
この頃から「彼氏や彼女がいないクリスマスはありえない」とされ、皆がイブに向けて仕込む風潮が生まれた。
また、真正の恋人同士なら、イブにホテルやマンションでエッチするルールが固まった。
若者のライフスタイルに、これほど大きな影響を与えた歌手はほかにいない。

なお、「明日へのヒント」で、松任谷由実の信じられない言葉(歌詞)を取りあげ、コメントを加えている。

「和田創 明日へのヒント 第17号 松任谷由実」はこちら。

「日本のフォーク&ロック大全集」では、番組の終わりにリクエストが一番多かった曲が披露された。
吉田拓郎の「落陽」。
初めて聞いたなぁ…。

ちなみに、私が衝撃を覚えた歌手の順番。
荒井由実、美空ひばり、山下達郎。
知ったとき、いずれも容認できなかった。
私の体というか、生理が受け付けなかったのだ。

いまはどうかって?
恥ずかしいから言わない。
うふっ。

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竹内まりやを聞く…やわらかな陽射しに包まれる幸せな気分

以前、NHKの「SONGS」に竹内まりやが登場した。
同番組は2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響により長らく休止していた。
そして、4月6日に再開した。
「歌にこめた祈り」と題して被災者へ、竹内まりや、山下達郎、森山直太朗、美輪明宏が歌を送った。

竹内まりやは「人生の扉」。
山下達郎は「希望という名の光」。
森山直太朗は「さくら」の合唱。
美輪明宏は「花(すべての人の心に花を)」。
PVの山下達郎を除く3人は同番組の過去の放送分。
竹内まりやは第1回(2007年4月11日)放送分。
それぞれが被災者へのメッセージを添えた。

ファンから選ばれた竹内まりやの曲は、3位が「元気を出して」、2位が「人生の扉」、1位が「駅」。
もともと「元気を出して」は薬師丸ひろ子に、「駅」は中森明菜に、彼女が作詞・作曲家として提供した。

竹内まりやは力みがない。
声も歌唱も明るく軽やかで、温かく優しい。
しかも華がある。
彼女の歌を聞いていると、やわらかな陽射しに包まれるような、幸せな気分になれる。
心が癒されたり、ときに心が弾んだりする。

竹内まりやは、自分の歌がファンの人生のところどころで慰めになったり、思い出になったりすることに喜びを感じ、今日まで歌いつづけてきたと語った。

                       ◇

ところで、竹内まりやは1955年、島根県出雲市(旧大社町)生まれ。
旧大社町長、出雲大社正門前の温泉旅館「竹野屋」主(あるじ)の父が世界で通用するようにとの願いを込めて「まりや」と名付けた。
なるほど、当時としては画期的な命名である。
竹野屋はいまも存在し、創業百三十年の老舗。

竹内まりやは慶應義塾大学に入学して音楽活動を始めるが、両立できずに中退した。
デビュー当初、ルックスを買われてアイドルソングを歌ったが、すぐに自分がやりたいこととのギャップに気づいた。
この頃アレンジャーとして現れた山下達郎と1982年に結婚する。
作詞・作曲家として歌手に楽曲を提供した。
彼女は育児と家庭を優先してライブ活動は控えたが、夫のサポートを得ながらシンガーソングライターとして多くのヒット曲を送り出した。

山下達郎と竹内まりやは仲のいい夫婦であり、互いにバックコーラスに回ったり、ゲストとして歌ったり、しばしばステージをともにしている。
竹内まりやは夫を尊敬している。
山下達郎も妻を尊敬しているのでなかろうか。

薬師丸ひろ子が東日本大震災の直前だったか、やはりSONGSで「元気を出して」を歌った。
ファンからいい曲ですねと言われるらしい。
しかし、とても難しい曲で、歌うのは久しぶりとのこと。
つまり、避けている。

⇒2011年3月24日「薬師丸ひろ子、セーラー服と機関銃の快感」はこちら。

竹内まりやは作詞・作曲を手がけたとはいえ、この曲をさらっと歌う。
本職の実力か。

余談だが、山下達郎の「クリスマス・イブ」はピッチを変えると竹内まりやの歌になる。
彼女が歌っている。
区別がつかない。
私は鳥肌が立った。

山下達郎は明治大学を入学直後に中退している。
二人は行動が潔い。
おそらく、自分の情熱と才能に対する自信が背景になっている。

私は明治大学に5年間ずるずる在籍した挙句、中退してしまった(実際は除籍か)。
そこに明確な目標も意思もない。
還暦近くになりツケが回ってきた。
とほほ・・・。

以下に、「山下達郎クリスマス・イブ…絶句する完成度」と題する2010年12月21日のブログを収める。
いくらか手を入れた。

                      ◇◆◇

師走になると決まって流れるのが、シンガーソングライター・山下達郎の「クリスマス・イブ」。
この曲を聞いて切ない気持ちになるうちは、どこかに青春が残っている。
いつまでもそうでありたい・・・。
以下は、ウィキペディアなどの情報を交えて記した。

「クリスマス・イブ」は、1983年リリースのアルバム「MELODIES(メロディーズ)」から1986年にシングルカットされ、ミリオンヒット。

私はかつて渋谷・松涛(松濤)に住んでいた。
1990年代半ばを過ぎた頃、渋谷・円山町の「クラブ三条(表記は不確か)」のホステスからアルバム(CD)をプレゼントされた。
なぜか紛失してしまい、それが「MELODIES」かどうか不明。
収められた曲の過半もしくは大半がクリスマスソングだったと記憶している。
幾度か聞いたが、絶句するほどの完成度!
どのようにレコーディングを行っているのか不思議だった。
山下達郎の世界が結晶したかのような美しさがあり、しびれた。

私は、初めて山下達郎の楽曲に触れたときを思い出した。
1980年、「RIDE ON TIME(ライド・オン・タイム)」。
反体制的なフォークや四畳半的なフォークをさんざん聞かされた耳に、このポップスは衝撃的だった。
リゾートソング?
何という明るさ。
何という解放感。
当時、学生や若者の間にブルジョアを忌み嫌う空気がいくらか残っていた。
時代を突き抜けており、同じ日本人がつくった楽曲とはとても思えなかった。

余談…。
山下達郎はアルバムをリリースすると同時に後悔の念にとらわれると、どこかで述べていた(不確か)。
私は次元がまったく違うが、本を出すと同時に後悔の念にとらわれる。
あの天才にしてそうなのかと、救われた気分になった。
凡人では当然である。

                       ◇

山下達郎は、私より2歳下、早生まれで1学年下。
明治大学法学部中退。
明大中退といえば、北野武を思い出す。
私は明治大学経営学部中退。
二人とどうしてこんなに差がついたのか?

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松任谷由実、春よ、来い…被災地へ届け、歌の千羽鶴

先だってNHK総合テレビの番組「SONGS」に松任谷由実が2週にわたって登場した。
代表曲「守ってあげたい」「春よ、来い」などを披露した。
私はおやっと思った。
松任谷由実がいつもより力を込めて歌っている印象を受けたからだ。

後で知ったのだが、松任谷由実は「東日本大震災チャリティー企画」をスタートさせた。
ユーミンとNHK「SONGS」のタイアップ。
題して、「(みんなの)春よ、来い」プロジェクト。
代表曲「春よ、来い」のコーラスに大勢に参加してもらい、皆が元気になる新バージョンを制作する。
それを全世界へインターネットで配信し、その収益を全額被災地に寄付するという壮大なムーブメント。

具体的には、「春よ、来い」のコーラスを歌った動画を募集する。
途中随時、新バージョンを制作する。
そして来春、投稿者全員の歌声を乗せた最終バージョンを完成させる。
だれが思いついたのか、言い出したのか、壮大なプロジェクトである。
公式サイトには、ユーミンからの歌唱アドバイス、有名人が歌ったサンプル動画などが掲載されている。

松任谷由実によれば、“歌の千羽鶴”を被災地へ届けるとのこと。
なるほど・・・。

以下に、「フォーク&ロック大全集」と題する2007年12月30日のブログを収める。
誤字の訂正も含め、記事にいくらか手を入れた。

                      ◇◆◇

たまたまBS2にチャンネルを合わせたら、「日本のフォーク&ロック大全集」という、視聴者のリクエストに応えて昔のVTRを流すナマ番組をやっていた。
一部、生演奏も…。
12月22日、土曜日、夜10時頃のこと。

私は音楽に興味が薄く、したがって知識を持たない。
そのジャンルさえ、ろくに分かっていない。
歌手もメロディも歌詞も知らない私は、カラオケをやらないのでなく、やれない。
「営業失格」といえる。
ただ、私にも「青春時代」はあったわけで、街をうろついていても、酒に溺れていても、音楽が流れてきた。
聞こうとしなくても、シャワーのように全身に降り注いだ。

さて、1951年(昭和26年)生まれの私が、音楽以前に存在自体に衝撃を受けたミュージシャンがいる。
過去最大のインパクト!

それは「荒井由実」という不可解なシンガーソングライター。
「こんな曲をつくってしまっていいのか。まして歌ってしまっていいのか・・・」。
勇気?
それとも、鈍感?
私は、荒井由実のあっけらかんとした図太さに仰天した。

当時、地方出身者がフォークを引っ張っていた。
「東京で一旗揚げる」。
「故郷に錦を飾る」。
そんな高揚した気分がまだいくらか残っていた。
実際には、若者が大学に入ったり仕事に就いたりするため、つまりサラリーマンになるため、続々と上京した。
都会に反発しながら、都会に吸い寄せられるという矛盾がせめぎ合っていたように思う。

私は「団塊の世代」を1年外れている。
それでも高校までは1クラス50名くらいで、教室の後ろに空きがなかった。
東大入試が中止になった翌年、私は明治大学に入学した。
泉キャンパスでは学生運動に冷ややかな視線が注がれ、ほどなく無関心の風が吹いた。
若者のエネルギーがはけ口を求めた結果が、フォークの隆盛でなかったか。

とはいえ、フォークは時代の空気を敏感に察知し、既成社会との「距離感」にこっけいなほどこだわっていた。
それが主張(メッセージ)となり、装い(ポーズ)となって、“かっこよさ”につながったのだから当然である。
どの歌手も「アイデンティティ」を打ち出そうと必死だった。
当時の規範や幸福観を拒む、極私的な曲まで現れる。
また、音楽を聞く側も、メッセージやポーズといった拠りどころを欲していた。

荒井由実の曲が耳に入ると、私は冷や冷やした。
「時代の空気が許さない…」。
居心地が悪いのでなく、居心地がない曲!
社会に収まり場所を見つけられない。

アルバイト先での同世代の雑談で、だれかが彼女の名前を出した。
しかし、一人も呼応せず、完全に無視されたことを覚えている。
私を含め、男は肝っ玉が小さい。
バカにされるのが怖い。
荒井由実は存在がいまわしく、話題がはばかられた。

彼女は能天気なのか自信家なのか、イデオロギーに対して“無防備”であり、まるで気負いがなかった。
都会の思春期の子女のたわいない生活のシーンやエポックを、「絵日記」みたいに切り取っただけの音楽・・・。

荒井由実は、当時のいかなる異端よりも異端だった。

反社会でぶつかるにしろ、非社会で背を向けるにしろ、それは時代への思い入れがあればこそ。
戦後の高度成長により、国民の多くが経済的な豊かさを手に入れた。
都市部で中産階級が膨張する。
同時に、社会への関心が急速に失われていく。
力んだメッセージや気取ったポーズが敬遠されはじめた。
やがて荒井由実は大衆に支持され、時代の先端を疾走するように…。
文字どおり、音楽界の頂点にのぼり詰めた。

彼女は1976年、松任谷正隆と結ばれ、「松任谷由実」にあっさり変えてしまった。
世間に認知された荒井由実という名前を捨てることに、何の躊躇も未練もなかったのだろうか。
私は愕然とした。

「恋人がサンタクロース」と歌ったのも彼女。
この頃から「彼氏や彼女がいないクリスマスはありえない」とされ、皆がイブに向けて仕込む風潮が生まれた。
また、真正の恋人同士なら、イブにホテルやマンションでエッチするルールが固まった。
若者のライフスタイルに、これほど大きな影響を与えた歌手はほかにいない。

なお、和田創「明日へのヒント」で、松任谷由実の言葉を取りあげ、コメントを加えている。

「日本のフォーク&ロック大全集」では、番組の終わりにリクエストが一番多かった曲が披露された。
吉田拓郎の「落陽」。
初めて聞いたなぁ…。

ちなみに、私が衝撃を覚えた歌手の順番。
荒井由実、美空ひばり、山下達郎。
知ったとき、いずれも容認できなかった。
私の体というか、生理が受け付けなかったのだ。

いまはどうかって?
恥ずかしいから言わない。
うふっ。

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遠距離恋愛カップルの逢瀬…バレンタインデー

私は40歳までプランナーだった。
若い頃、体がチョコレートを受け付けなかった。
記憶が曖昧だが、40代になってからいくらか食べられるように変わった。

その私がプランナーとして携わったのは、バレンタインデーのセールスプロモーション(SP)企画。
大半はプレミアムキャンペーンである。
おもに若い女性に購買を促進する。
しかし、それ以前に「バレンタインデー」そのものを日本社会に浸透させる。

私は凸版印刷(トッパンアイデアセンター)や電通などの代理店を経由し、森永製菓や明治製菓などの仕事を行った。
また、高級品のメリーチョコレートにかなり。

ヨーロッパなどでは女性から男性へ、男性から女性へ、銘々が自由にプレゼントする。
花やケーキ、カードなどさまざま。
チョコレートがアイテムに加わるのは19世紀後半以降。
やがてハート型などのギフトボックスが開発され、恋人用に使われ出した。

したがって、日本のようにホワイトデーは存在しない。
キャンディなどの販売促進のために考案された。
私は菓子メーカーの商魂に驚きながら、この企画にもいくらか関わった。

今日、女性から男性へ愛情や親しみを込めてチョコレートを贈る習慣が根づいている。
しかし、「JR東海バレンタイン・エクスプレス」は存在しない。

以下に、「JR東海クリスマス・エクスプレス赤い口紅CM」と題する2010年12月22日のブログを収める。

                      ◇◆◇

私が、クリスマスが近づくと思い出すのが、山下達郎の「クリスマス・イブ」。
それともう一つ、JR東海のクリスマスCM。
以下は、ウィキペディアなどの情報を交えて記した。

JR東海「クリスマス・エクスプレス」。
東海道新幹線のイメージCMシリーズである。
「会うのが、いちばん。」。
若者の共感を呼び、バブル崩壊の1990年を挟んだ前後各2年ほど展開された。
ターゲット世代の期間中の利用を増やしただけでなく、学生の就職人気企業ランキングを上位に押しあげた。

とはいえ、私が記憶しているのは、1988年に放映された「ホームタウン・エクスプレス」のクリスマス編。
遠距離恋愛のカップルが新幹線でクリスマスに再会を果たすドラマ仕立てだった。
翌年以降制作された「クリスマス・エクスプレス」シリーズの第1弾となった作品。

私が鮮明に覚えているのは、真っ赤な口紅を塗った、顔立ちのはっきりしたボーイッシュ(ショートカット)の女の子。
年齢不詳…。
ところは新幹線のプラットフォーム。
最終列車だろうか、待ち侘びた彼は現れなかった。
落胆した背中の向こう、柱の陰からリボンで結ばれたクリスマスプレゼントが覗く。
やがてプレゼントで顔を隠した男がムーンウォークを踊る・・・。
ストーリーも演出もよく、完成度が高かった。
ほかの作品はすべて忘れたが、赤い口紅のこの作品だけは強く印象に残っている。
名作だろう。

ネット上のCM動画を再生したら、女の子は大きなイヤリングが赤、タートルネック(マフラー? スカーフ?)が赤、マニキュアが赤、プレゼントは包装紙が赤だった。
男の子はパントマイム風。
女の子の口の動きが面白い。
当時15歳の深津絵里(高原里絵)だった。

ケータイのない時代、離れて暮らす若い男女がコミュニケーションを取ることが大変だった。
思いが募り、イマジネーションが膨らんだ。
たまに会えるとなると、心が高揚した。
不案内な場所で待ち合わせると、相手を見逃すまい、相手とすれ違いになるまいと、目を凝らした。
切ない時間だった。

いまシリーズ5作品をすべて見た。
他の作品もぼんやりと記憶がよみがえってきた。
CMは時代を映す鏡であり、世相を濃厚にまとう。
全作品が日本の絶頂期を背景にしている。
「クリスマス・エクスプレス」という提案自体がそう。
真っ赤な口紅の女の子もそうだし、ムーンウォークの男の子もそう。
ただし、この作品はどこか懐かしさを引きずっている。
逢瀬(おうせ)の普遍性を表現しているように思う。

1990年の作品はバブルそのもの。
そして、1992年の作品にかけてトーンダウン・・・。

なお、CMのテーマ曲に使われた山下達郎の「クリスマス・イブ」はクリスマスソングとしてすっかり定着した。

⇒2010年12月21日「山下達郎クリスマスソング…絶句する完成度」はこちら。

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天才・山下達郎の後悔…クリスマス・イブ

アサヒビールの「アサヒSlat(すらっと)」のCMソングに、山下達郎の「高気圧ガール」が使われている。
1983年の曲であり、懐かしい。
なお、「アサヒすらっと」は1缶 350ml当たり88kcalのフルーツチューハイ。
果実をその場でしぼったような味わいと香りが特長。
みずみずしい果汁感と果肉のほどよい甘さが楽しめる。

山下達郎オフィシャルサイトによれば、音楽活動35周年を締めくくる2011年の第1弾となるニューシングルは、前作「街物語」に引き続き、TBS日曜劇場のドラマ主題歌に決定した「愛してるって言えなくたって」。

「ドラマのために書き下ろした入魂のバラードです。」。
この入魂という言葉は、完全主義の山下達郎にピッタリ。
ドラマとは「冬のサクラ」。

山下達郎は一曲、一曲、実に丁寧につくり込んでいる。

以下に、「山下達郎クリスマス・イブ…絶句する完成度」と題する2010年12月21日のブログを収める。

                      ◇◆◇

師走になると決まって流れるのが、シンガーソングライター・山下達郎の「クリスマス・イブ」。
以下は、ウィキペディアなどの情報を交えて記した。

「クリスマス・イブ」は、1983年リリースのアルバム「MELODIES(メロディーズ)」から1986年にシングルカットされ、ミリオンヒット。

私はかつて渋谷・松涛に住んでいた。
1990年代半ばを過ぎた頃、クラブ三条のホステスからアルバム(CD)をプレゼントされた。
なぜか紛失してしまい、それが「MELODIES」かどうか不明。
曲の大半もしくは過半がクリスマスソングだったと記憶している。
幾度か聞いたが、絶句するほどの完成度!
どうやってレコーディングしているのか不思議だった。
山下達郎の世界が結晶したかのような美しさがあり、しびれた。

私は、初めて山下達郎の楽曲に触れたときを思い出した。
1980年、「RIDE ON TIME(ライド・オン・タイム)」。
反体制的なフォークや四畳半的なフォークをさんざん聞かされた耳に、このポップスは衝撃的だった。
リゾートソング?
当時、学生や若者の間にブルジョアを忌み嫌う空気がいくらか残っていた。
同じ日本人がつくった楽曲とはとても思えなかった。

余談…。
山下達郎はアルバムをリリースすると同時に後悔の念にとらわれると、どこかで述べていた(不確か)。
私は次元がまったく違うが、本を出すと同時に後悔の念にとらわれる。
あの天才にしてそうなのかと、救われた気分になった。
凡人では当然である。

                       ◇

山下達郎は、私より2歳下、早生まれで1学年下。
明治大学法学部中退。
明大中退といえば、北野武を思い出す。
私は明治大学経営学部中退。
二人とどうしてこんなに差がついたのか?

◆書き加え1(12月18日)

山下達郎の「クリスマス・イブ」。
深夜のテレビ番組で、この曲のピッチを変えると竹内マリアになることを知った。
彼女が歌っている。
区別がつかない。

私は鳥肌が立った。
二人は夫婦。
凄い。

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ポール・ポッツ来日公演…読売日響と初共演

ポール・ポッツがゴールデンウィーク(GW)に東京、横浜、大阪で行われる「読売日響グランドコンサート」に出演するため、1年ぶりに来日する。

今回はフルオーケストラをバックに、最新アルバム「ニュー・シネマ・パラダイス 〜ベスト・ムービー・ソングス」の収録曲を中心に歌う。
曲目は、「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」「ゴッドファーザー 愛のテーマ」「ジェルソミーナ」などが予定されている。
彼の代表曲「誰も寝てはならぬ」も…。
指揮は渡邊一正。

チケットの一般発売は2月6日に始まった。
日本での人気は根強いのか。

◆東京公演
日時/2011年4月28日(木)午後7時開演
会場/Bunkamuraオーチャードホール
※GW前日。

◆横浜公演
日時/2011年4月29日(金)午後2時開演
会場/横浜みなとみらいホール

◆大阪公演
日時/2011年5月1日(日)午後2時開演
会場/ザ・シンフォニーホール

問い合わせは、読売新聞東京本社文化事業部へ。
TEL:03−3561−6346
PC:info.yomiuri.co.jp/event/music/

以下に、「ポール・ポッツの歌唱レベルを問う…実力評価」と題する2010年10月11日のブログを収める。

◇◆◇

ネット上で、ポール・ポッツの歌唱は音楽大学の学生レベルという指摘があった。
私は吹き出してしまった。
もしそうなら、音大生は皆オーディションで優勝し、成功者だらけになる。

この人は、歌唱のテクニックを問題にしているのだろう。
が、それは教室内での評価である。
プロ歌手に対して的外れ。
そもそも技巧の優劣を気にしながら音楽を聴いているとしたら、気の毒。

音楽は、どれくらい感動させられるかがすべて。
この点において、ポール・ポッツは大きなエネルギーを備えている。
彼は、世間に知れ渡ったアリアを得意とするポピュラー歌手である。
オペラ歌手と横並びで比較するのは愚かしい。

ただし、ポール・ポッツがいつまで人々を魅了できるかは不明。
経済的に恵まれたので、家族の生活を守るといったモチベーションが働きにくい。
それはひとえに歌うことへの情熱、そして希求を持ちつづけられるかどうかにかかっていよう。

そうはいっても…。
ジャンルを問わず、タレントは競争が熾烈だ。
次々と登場し、あっという間に消滅する。
3年、人気を博したら凄い。
5年、注目を保てたら素晴らしい。
10年、関心をつなぎ止められたら大変なことだ。
ポール・ポッツはすでに3年の実績を有している。
聴き手に感動を与えられなくては不可能。

以下に、「ポール・ポッツに思う」と題する2009年8月22日〜23日のブログを収める。
ついては、原稿を一本にまとめ、かつ大幅に修正した。

◆◇◆

イギリスに「ブリテンズ・ゴット・タレント」という公開オーディション番組がある。
歌やパフォーマンスなどジャンルを問わず、埋もれた才能の発掘を目指す。
その模様はユーチューブの動画でも配信され、大勢の人々の目に触れる。
近年は世界中のマスメディアがこぞって取りあげるようになり、膨大なアクセスを得るものも…。

毎年決勝が行われ、2007年に優勝したのがご存知「ポール・ポッツ」である。
冴えない風貌でステージに登場したケータイショップの店員は場違いで、自信がなさそう。
私には半ベソのように映る。
ところが、「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」の曲が流れた途端、姿勢と表情が一変する。
予選会場の「ミレニアム・ホール」を埋め尽くす2千人を熱狂させた。
そして、準決勝、決勝へ進み、栄冠に輝く。

そのプロセスはとてもドラマチックだった。
ポール・ポッツは、審査員長格でありプロデューサーのサイモン・コーウェルに後押しされ、プロ歌手へ転身した。
同年、アルバム『ワン・チャンス』でデビュー。
世界で3百万枚(現在、4百万枚)を超えるセールスを記録した。
文字どおり、一夜で運命が変わった。
私は音楽に関しては素人だが、思うところがあったので述べたい。

さて、私は画質も音質も劣悪なユーチューブの動画に心を揺さ振られ、体が熱くなった。
「素晴らしい!」の一言。
大勢がポール・ポッツの歌に涙を流している。

妻思いのポール・ポッツは、これでダメなら歌を諦めるとの覚悟でオーディションに臨んだようだ。
自らの夢にきっぱりと引導を渡すつもりだったのか。
予選の「誰も寝てはならぬ」には、歌うことへの強い情熱と深い祈りがこもっている。
圧倒的な感動は、最初にして最後となるチャンスにかけた気迫が招いたのでないか。

人生の夕暮れに佇む私が言うのは気恥ずかしいが、ポール・ポッツの歌に触れておおいに勇気づけられた。
「人生の苦労にムダなことなど一つもない」。

動画に寄せられたコメントの大半は好意的であり、ポール・ポッツを誉め称えている。
だが、辛口なものもある。
予選でポール・ポッツが審査員に「オペラを歌う」と答えたせいか、ルチアーノ・パバロッティなどが引き合いに出されている。

ルチアーノ・パバロッティは幼少期からオペラに親しんで育ち、声楽の教育を受けて若くしてデビュー、テノール歌手の頂点に登り詰めたプロフェッショナルである。
かたやポール・ポッツは地方都市の聖歌隊やオペラ劇団などで歌っていたアマチュアにすぎない。
受けたとしてもボイス・トレーニングが中心である。
両者は生い立ちが違う。

私は、ポール・ポッツを彼と比べることに、ましてこき下ろすことに何の意味があるのかと思う。
実際、私はオペラ歌手では経験したことのない、大きな感銘を受けた。

ポール・ポッツは、予選で観衆を総立ちにさせ、暮らし向きが変わりはじめたようだ。
周囲から支援の手が差し延べられた?
決勝までの間にレッスンを積むことができたせいか、歌がうまくなった。
また、身だしなみが格段によくなった。

しかし、デビュー後を含め、いまだに予選を超えられないのでないか。
大勢が流した涙は、歌のうまさに対してでない。
ゆえに、ポール・ポッツが初心を忘れたとき、その歌は魅力を失うはずだ。
私は、彼の人生を貫く「愚直さ」が心を打ったのだと考えている。

とはいえ、いったんプロ歌手として歩み出した以上、容赦ない評価にさらされる。
初めは半生と重ね合わせて聴いてくれた人々も、やがては歌自体を味わいたいというふうに変わる。
あれから2年を経て動画に寄せられるコメントはどんどん厳しさを増している。

そうしたコメントのなかには、彼がつかんだ栄冠に疑問を呈するものもある。
オーディションの決勝はたいてい接戦であり、審査は困難を極める。
出場者の年齢がまちまちな場合には、将来性を加味するかどうかでも結果は違ってくる。
まして横一線では、だれが勝ったかを判定するというより、だれに勝利を与えるかを決断することになろう。

そして、勝利は幸運に恵まれない限りもたらされない。
しかし、もっと大事なのは、その幸運は努力を惜しまない人にしか訪れないこと。
歌もさることながら執念ともいえる努力に対して授けられた褒美でなかったか。
その執念が気迫となり、オーディション会場に乗り移った。

この世に懸命に頑張る人は星の数ほどいるが、その多くはこれといって報われているわけでない。
ポール・ポッツは代表選手として選ばれた。
私たちにまれに天使が舞い降りてきてもよいのでは…。
「ブリテンズ・ゴット・タレント」の審査結果に異議を唱えることもない。
ポール・ポッツの歌に目くじらを立てることもない。
私は的確なジャッジだったと思う。

ところで、私は日本語のほかは理解不能。
それでも感じるのは、ポール・ポッツの発声法が関係するのかどうか、言葉が分かりにくいのだ。
歌詞の明瞭さは大事なのでは?
やはりユーチューブで、ミュージカル出身のサラ・ブライトマンの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」を聞いて、そんな印象を持った。
彼女の歌唱の巧みさはもとより言葉の美しさに痺れた。

ポール・ポッツは、とりあえずワン・チャンスを生かし、好きな歌を仕事にしたいという夢を叶えた。
しかし、どのようなプロ歌手としてやっていくのか、今後の立ち位置が難しくなろう。
現状は中途半端だ。
アルバム『ワン・チャンス』の驚異的な売り上げは、デビューのご祝儀のようなもの。
ポール・ポッツへの、大勢の期待の表れである。
渾身のエールを送られたら、それに何とか応えたいところ…。

年齢的にも「オペラ」を究めるのは不可能?
素人の私でさえ、ポール・ポッツは声量も技量も及ばないと察しがつく。
したがって、高音を押し出すと平板になり、低音で抑えると聞こえづらい。
目一杯歌おうとするためか歌唱に深さやニュアンスが乏しく、プロ歌手としての“色気”を欠く。
オペラ歌手と張り合わなければならない理由は一つもなく、私はもっとマイクの使い方に通じるべきだと思う。
少なくとも手に持ったほうがよい。

ポール・ポッツよ。
コメントのなかには、消え去るのは時間の問題との指摘もあった。
どうか独自の世界を築いてほしい。
そして、これから先も私たちをあたたかい感動で包み込んでほしい。
それは、世界中のごくごく普通の人々に夢と希望を与えつづけること。

私はポール・ポッツの成功を切に願う。

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Vivo Per Lei…ボチェッリ&ジュディ・ワイス

年末にパソコンが破損し、データが消滅した。
書き溜め記事が中心のこのブログは実質休止。
私は仕事がパニック状態…。
頑張って仕上げてきた講演と教材のコンテンツが飛んだ。
きょうは2009年9月5日の記事にいくらか手を加えてアップ。

私が聴いたなかで「Vivo Per Lei」のベストを選んでみた。
それもユーチューブの動画に限られる。
「Andrea Bocelli & Judy Weiss」。
もとは分からないが、デュエット(duet)の名曲。
二人のコンビネーション(combination)にしびれた。
最高!

ボチェッリ&ジュディ・ワイス「Vivo Per Lei」はこちら。

おそらくボチェッリはイタリア語、ジュディ・ワイスはドイツ語で歌う。
何度聞いても美しい。
この曲に関しては、二人を超えるデュエットは現れないのでは…。

ベターは「Andrea Bocelli & Sandy」で、「Vivo por Ella」。
二人のコンビネーションもなかなか。

ボチェッリ&サンディ「Vivo por Ella」はこちら。

ブラジルは、2014年FIFAワールドカップと2016年リオデジャネイロ五輪(オリンピック)の開催が決定し、世界でもっとも勢いのある国の一つだ。
二人のデュエットの動画はアクセスが伸びており、すでに3百万を超えている(当時の数字)。

アンドレア・ボチェッリは“包容力”が凄い。
私はあきれるばかり。
ジュディ・ワイスとサンディの歌唱は対照的。
それを難なく包み込んでしまう。
懐が広いというか…。
相手に応じて歌い方を変えているが、あくまでもボチェッリ。
それがデュエットというものなのかもしれないが、相手のよさを引き出しつつ、自分の持ち味も際立たせる。

歌のうまさなら上の女性がいるが、コンビネーションの観点では先の二組に及ばない。

ボチェッリは、デュエットの達人だ。
歌が柔らかく奥行きがあるからこそ。
それは生まれ持った資質か、それとも人生経験により備わったか…。
とにかくデュエットに傑作が多い。
ただ、ルチアーノ・パバロッティ(Luciano Pavarotti)とのコンビネーションはどうだろう。
これに関しては、いつかブログで述べたい。

私は、日本語以外は理解不能、しかも音楽の素人。
長らく「ボッチェリ」と思い込んでいた。
その程度の私の評価なので、悪しからず。

余談ながら、カラオケ経験はゼロ。
私は仕事柄、顧客から接待を受けることも少なくない。
「先生はお歌いにならないのですか?」。
歌わないのでなく、歌えないのだ。

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世界の歌姫…サラ・ブライトマン

年末にパソコンが破損し、データが消滅した。
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私は仕事がパニック状態…。
頑張って仕上げてきた講演と教材のコンテンツが飛んだ。
きょうは2009年10月18日の記事にいくらか手を加えてアップ。

私が聴いたなかで「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(Time To Say Goodbye)」のベストを選んでみた。
それもユーチューブの動画に限られる。
断トツで「サラ・ブライトマン(Sarah Brightman)」。
なかでも「Time To Say Goodbye(2003Version)」。
音楽はもとより映像も、そして彼女自身も非常に美しい。

「Time To Say Goodbye(2003Version)」はこちら。

サラは「世界の歌姫」と称される。
アルバム「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」は全世界で1千5百万枚のセールスを誇る(当時の枚数)。
彼女のソロ(solo)はフジテレビ開局50周年記念作品「アマルフィ 女神の報酬」の主題歌に採用された。
邦画初、オールイタリアロケによる織田裕二主演のサスペンス大作。
外交官・黒田康作が誘拐された日本人少女を取り戻そうと苦闘するストーリー。
プロデューサーの大多亮は、イタリアロケのスケール感とゴージャス感を出したいと考えたら、サラ・ブライトマンしかいなかったと述べている。
この映画で彼女の存在を初めて知った日本人も少なくないだろう。
サラ・ブライトマンの天使のような歌声は私たちの心に深く沁み入った。

「アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)」のソロ「コン・テ・パルティロ(Con te Partiro)」も素敵だが、先のサラに及ばない。
この曲はもともと彼のためにつくられたのでないか?

アンドレア・ボチェッリ「コン・テ・パルティロ」はこちら。

なお、ボチェッリはほかの女性ともこの曲を歌っているが、サラとのデュエット(duetto)が断然よい。
しかし、先のサラのソロに及ばない。
サラはもっと抑え気味に歌ったほうがよいのでは…。

ボチェッリ&サラ「コン・テ・パルティロ」はこちら。

私は、「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(コン・テ・パルティロ)」はサラ・ブライトマンのためにある曲だと思う。

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ボチェッリ&サラのベストデュエット

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書き溜め記事が中心のこのブログは実質休止。
私は仕事がパニック状態…。
頑張って仕上げてきた講演と教材のコンテンツが飛んだ。
きょうは2009年9月6日の記事にいくらか手を加えてアップ。

私が聴いたなかで「アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)」と「サラ・ブライトマン(Sarah Brightman)」のデュエットのベストを選んでみた。
それもユーチューブの動画に限られる。
「Canto Della Terra」。

ボチェッリとサラの持ち味が、その対比を際立たせるかたちで如何なく発揮されている。
人間の切なくて激しい愛を、地球の静かで大きな優しさが包み込むような厳かさ…。
二人のコンビネーション(combination)は完璧。
何と美しい!

ボチェッリ&サラ「Canto Della Terra」はこちら。

私は、日本語以外は理解不能。
人間役(もしくは、動の西洋役)のアンドレア・ボチェッリが情熱を吐き出し、地球役(もしくは、静の東洋役)のサラ・ブライトマンがそれを受け止める?
しかし、私の勘違いかもしれない。

二人の「Time To Say Goodbye(Con Te Partiro)」は膨大なアクセスを得ている。
こちらも素敵だが、先のデュエットに及ばない。

ボチェッリ&サラ「Time To Say Goodbye」はこちら。

本題からそれる。
「Canto Della Terra」は、アンドレア・ボチェッリのソロもなかなか。

アンドレア・ボチェッリ「Canto Della Terra」はこちら。

映像が素晴らしい。
ユーチューブの動画で音楽を楽しむ魅力の一つ。
西洋と東洋が融合したかのようなこの曲の神秘性を、とても幻想的に表現している。

⇒2011年1月4日「サラ…タイム・トゥ・セイ・グッバイ」はこちら。

⇒2011年1月5日「ボチェッリの魅力と感動…名曲カルーソー」はこちら。

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ボチェッリの魅力と感動…名曲カルーソー

年末にパソコンが破損し、データが消滅した。
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私は仕事がパニック状態…。
頑張って仕上げてきた講演と教材のコンテンツが飛んだ。
きょうは2009年11月15日の記事にいくらか手を加えてアップ。

私が聴いたなかで「アンドレア・ボチェッリ」のベストを選んでみた。
それもユーチューブの動画に限られる。
断トツで「カルーソー」。

ボチェッリの魅力が余すところなく発揮されている。
彼が歌ったいかなる曲よりも優れている。
感動の一言。

アンドレア・ボチェッリ「カルーソー」はこちら。

「アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)」はイタリアを代表するテノール歌手である。
1958年生まれ。
6歳でピアノを習いはじめ、音楽の道を目指した。
しかし、12歳でサッカーボールを頭に受けて脳内出血を起こし、視力をまったく失った。
ハンディを乗り越えて法学博士号を取得し、弁護士として活躍しながら、夢を捨てきれずにピアノ・バーで歌っていた。
その後、「ルチアーノ・パバロッティ(Luciano Pavarotti)」とロック&ポップス歌手の「ズッケロ(Zucchero)」に見出され、1994年に念願のデビューを果たした。

「カルーソー(Caruso)」は、イタリアの音楽家「ルーチョ・ダッラ(Lucio Dalla)」が、ナポリ生まれの世界的テノール歌手「エンリコ・カルーソー(Enrico Caruso)」に捧げた名曲である。
エンリコ・カルーソーは死後30年経った1951年、ハリウッドで『歌劇王カルーソー』として半生が映画化された。
ルーチョ・ダッラは1986年、航海中の船の損傷でソレント半島に立ち寄り、エンリコ・カルーソーが昔住んでいたホテルに滞在した。
そして、バルコニーに出て、エンリコ・カルーソーに思いを馳せながら作詞・作曲を手がけた。

私は、日本語に翻訳された歌詞をインターネットでいくつか見たが、内容や意味をよくつかめなかった。
エンリコ・カルーソーが50年弱の人生の晩年に抱いたであろう感懐や心情を歌ったものだろう。
追憶なのか、現実なのか。
愛と破局、情熱と鎮静、希望と傷心、高揚と失意、絆と孤独…。
さまざまな思いが交錯している。

「カルーソー」は、世界的なオペラ歌手やポピュラー歌手がカバーしている。
しかし、曲の性格ゆえか、他の歌手と張り合おうとするためか、感情移入が過剰になりやすい。
それが大げさに感じたりいやみに感じたり…。

アンドレア・ボチェッリは曲への思い入れを抑え、力まずに歌っている。
その豊かな情感と切ない悲しさに心打たれる。
人はここまで美しく歌うことができるのかと…。
それと矛盾するようだが、きわめてゴージャス。
深さと華という対照的な要素が溶け合い、まったく違和感がない。
クラシックとポピュラーの壁を苦にしない彼ならではあり、私は歌唱の懐の大きさに驚嘆…。
エンリコ・カルーソーが眺めた、きらきら光る海がまぶたに浮かんでくる。
ボチェッリの文句なくベスト!

ちなみに、「カルーソー」のベストもアンドレア・ボチェッリで決まり。
20世紀後半を代表するテノール歌手、ルチアーノ・パバロッティのそれは及ばない。
オペラファンから異論を唱えられそうだが…。

ルチアーノ・パバロッティ「カルーソー」はこちら。

私は、「カルーソー」はアンドレア・ボチェッリのためにある曲だと思う。

⇒2011年1月4日「サラ…タイム・トゥ・セイ・グッバイ」はこちら。

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サラ…タイム・トゥ・セイ・グッバイ

年末にパソコンが破損し、データが消滅した。
書き溜め記事が中心のこのブログは実質休止。
私は仕事がパニック状態…。
頑張って仕上げてきた講演と教材のコンテンツが飛んだ。
きょうは2010年8月15日の記事にいくらか手を加えてアップ。
仕事始めにふさわしくない内容である。

昨夜、フジテレビで映画「アマルフィ 女神の報酬」が放送された。
この主題歌(テーマ曲)を歌っているのが、サラ・ブライトマン(Sarah Brightman)。
曲はあまりにも有名な「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(Time To Say Goodbye)」。
全世界で千5百万枚を超えるセールスを記録した(当時の枚数)。

⇒サラ・ブライトマン「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」はこちら。

サラ・ブライトマンの歌声はオペラ歌手のように澄み切っているというより、私たちを魅了してやまないという形容がぴったり。
すーっと体に入り、心をつかむ。

ユーチューブの動画にコメントが寄せられていた。
私は英語が分からず、こんな趣旨でなかろうかという推測。
「歌が完璧(パーフェクト)なわけでない。彼女は完全主義者にすぎない」。
ずばり限界を突いた。
しかし、歌に限らず、その道を極めようとすれば際限がない。

それでも私はサラ・ブライトマンの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」は完璧だと思う。
この曲はこの人のためにある。
この人はこの曲のためにある。
これに関しては、彼女をしのぐ歌手はなかなか現れないのでは…。

サラ・ブライトマンは歌手としてのピークを過ぎたという苦悩と闘っているのだろうか。
私は、ユーチューブの動画で聞いた何曲かは力みが気になった。
彼女は声を張りあげなくても十分に美しい。

ところで、サラ・ブライトマンはアンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)とともにクラシカル・クロスオーバーのブームを巻き起こした。

この世を去るときには「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」を聴きたいと考える人がいるかもしれない。
もっとも、別れの曲でなく旅立ちの曲らしい。
英語が分からない私は、「さよならをいうとき」と思った。
アンドレア・ボチェッリが歌った「コン・テ・パルティロ(Con Te Partiro)」が原曲(オリジナル)である。
こちらは直訳でよく、「君と旅立とう」。

                       ◇

サラ・ブライトマンは、1991年のNHK紅白歌合戦に出演していた。
『オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)』のナンバー「ミュージック・オブ・ザ・ナイト(The Music of the Night)」を歌った。
私は紅白歌合戦を40年程見ていない。

⇒2011年1月2日「松下奈緒は地味…紅白歌合戦から紅白歌番組へ」はこちら。

また、2009年から放送されているNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の主題歌「Stand Alone」を歌っている。
こちらもまったく見ていない。

サラ・ブライトマンは日本人に長く愛されていたのだ。

⇒2010年8月15日「サラ・ブライトマンが歌う、千の風になって」はこちら。

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松下奈緒は地味…紅白歌合戦から紅白歌番組へ

大みそか恒例「第61回NHK紅白歌合戦」が東京・渋谷のNHKホールで行われた。
男子プロゴルフの石川遼が開会宣言。

私は直江津小学校の高学年以来、約半世紀ぶりに紅白歌合戦を楽しんだ。
といっても書斎のテレビをつけっ放しにしているだけで、画面はめったに見ない。
番組のごく一部なら中学生か高校生くらいまで見たかもしれない。
それでも40年以上は紅白歌合戦から遠ざかっていたことになる。

私は、初めて聞く曲のほうがずっと多い。
名前を知らない歌手のほうが多い。
老いを痛感させられた。

さて、紅組司会はNHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でヒロインを務めた松下奈緒。
白組司会は嵐の5人組。
向かって右側に嵐が並び、左側に松下奈緒が立つ。
松下奈緒は端っこにたたずむようで、ステージでのバランスが悪かった。
私は嵐が交代で一人ずつ出てくるのが基本と思い込んでいた。
松下奈緒は印象が地味だ。
出演者(歌手)を引き立てるのが仕事などと考えず、思い切って目立ってほしかった。
もともと話題性で彼女を選んだのだから、企画・制作スタッフは派手な衣装や演出を志向すべき。
ヘアスタイルやメイクを含め、思い切りドレスアップした松下奈緒を期待していた。
表現が適切でないが、六本木辺りの高級キャバクラのホステスが金曜日の夜に装うイメージ…。

⇒2010年12月26日「松下奈緒…第61回NHK紅白歌合戦紅組司会」はこちら。

ところで、松下奈緒が一人で嵐と戦うのはかわいそうと、「ゲゲゲの女房」で夫を演じた向井理、実の両親を演じた大杉漣と古手川祐子が応援に駆けつけた。
「ゲゲゲの家族」の感動の再会なのに、4人がステージに突っ立っている。
何らかの演出を施せなかったか。
これでは単なる顔見せ。
ゲスト審査員にこの朝ドラの原案となった自伝「ゲゲゲの女房」を著した武良布枝(村井布美枝)が選ばれた。

⇒2010年9月20日「松下奈緒と向井理の魅力と伸び代、居場所」はこちら。

司会はどこかに映し出された原稿(?)を見ながらしゃべっているのか。
昔はそらんじていたせいか、自分の言葉としてこなれていたように思う。
したがって、司会が会場全体を見渡し、視線が自由に移動していた。
私は棒読みが気になった。

⇒2010年12月25日「松下奈緒の謎、目と表情に違和感…紅白司会」はこちら。

私は嵐をまったく知らない。
彼らが白組の出場歌手を兼ねることも…。
バランスを取る狙いがあったのか、松下奈緒が「ゲゲゲの女房」の主題歌、いきものがかりの「ありがとう」をピアノで弾いた。
演奏は得意でなく本職か。

その流れを引き継いで「いきものがかり」が登場。
ボーカルの吉岡聖恵がしっかりと歌い上げた。
歌詞が明瞭だった。

⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。

紅組の出場歌手の川中美幸。
彼女は朝ドラ「てっぱん」に出演している。
そこで、ヒロインを務める滝本美織、さらに富司純子と赤井英和が応援に駆けつけた。
私がひょっとしたらと思っていた振付師の近藤良平は登場しなかった。
てっぱんダンスのパフォーマンスもなし。

⇒2010年10月27日「てっぱん見どころは富司純子か瀧本美織か」はこちら。

北島三郎は懐かしい。
私は昔、八王子市暁町に自宅があった。
すぐそばに北島御殿。

森進一も懐かしい。
私はわりと長く渋谷区松涛(松濤)で暮らした。
自宅から徒歩1〜2分の昔ながらの喫茶店で、森進一は森昌子とお茶を飲んでいた。
当時は夫婦。
私は狭い店内でテーブルが隣だったこともある。

アイドルグループ「AKB48」は集団(?)で登場。
他の出場歌手のバックダンサー(?)も務めた。
人数を数えきれない。

私は数十年振りの紅白歌合戦だったが、拍子抜けした。
イベント的な要素が大きく、盛り上がりが凄かったように記憶している。
なのに「NHK紅白歌番組」だった。
視聴者に歌をじっくりと聞かせる狙いなのかもしれないが、ならば中途半端なゲストはいらない。
見る側はもちろん出る側もストレスが残る。
昔は勝つための作戦や工夫が楽しみの一つだった。
対決色が後退し、面白さが消えていた。
“合戦”と名乗るからには高揚や興奮がほしい。

余談…。
「ゲゲゲの女房」は総集編に適さないのでなかろうか。
この朝ドラは全体を通して見ないと、よさが分かりにくい。
回が重なるにつれて感動が膨らんでいく。
原案が半生の自伝なので…。

⇒2010年6月12日「松下奈緒『ゲゲゲの女房』人気シーン」はこちら。

かたや、「てっぱん」は総集編が適するのでなかろうか。
この朝ドラはサプライズや泣かせどころがふんだんに設けられており、凝縮すると面白さが増す。

⇒2010年10月12日「ピエロ瀧本美織…てっぱん・強引・マイウエイ」はこちら。

⇒2010年10月16日「てっぱん瀧本美織、前輪に笑顔、後輪に泣き顔」はこちら。

⇒2010年11月9日「てっぱんの息切れと名言、瀧本美織の演技」はこちら。

◆書き加え1(1月2日)

「第61回NHK紅白歌合戦」の平均視聴率が判明した(ビデオリサーチ調べ)。
関東地区は前半35.7パーセント、後半41.7パーセント。
関西地区は前半37.1パーセント、後半42.5パーセント。
名古屋地区は前半40.4パーセント、後半48.1パーセント。

まずまずの数字か…。

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大杉漣と松下奈緒、ゲゲゲの親子が紅白再会か

NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。
このドラマでヒロイン・村井布美枝(武良布枝。松下奈緒)の実の父・飯田源兵衛を演じたのが、大杉漣(おおすぎ・れん)である。
以前のブログ「大杉漣、演技への怒涛の情熱とエネルギー」に続いて…。

⇒2010年11月13日「大杉漣、演技への怒涛の情熱とエネルギー」はこちら。

大杉漣は、青林堂の長井勝一が手がけた『月刊漫画ガロ』を創刊から読んでいた世代である。
水木しげるの漫画も読んでいた。
それゆえ、「ゲゲゲの女房」への出演を光栄に感じた。

さて、「ゲゲゲの女房」の公式サイト(番組ホームページ)に大杉漣のインタビュー記事が載っていた。
役づくりへの考え、そして飯田源兵衛への思いが率直に語られており、とても興味深かった。
以下は、そこから。

役者はさまざまな役柄を演じる。
しかし、自分でも気づかないうちに、類型のようなものをインプットされている。
大杉漣は、この役柄はこう演じるはずだという観念を少しでも外そうとしている。
役柄よりも「人間」のほうを追求する。
演じる前に“素っ裸”にしてみるそうだ。

大杉漣は「ゲゲゲの女房」のシナリオを読み、飯田源兵衛の父親像に共感した。
きちんと愛して演じられる人物だと…。
彼の頑固さの裏に、家族に対する大きな“熱”を感じた。
本気で案じ、本気で怒り、本気で喜ぶ…。

昔は、なぜこんなに怒っているのだろうという人が近所にいた。
私も直江津小学校の頃(昭和30年代)を振り返り、思い当たる。
怖い大人がよその子を平気で叱った。
だから、やんちゃでも真っ直ぐに育つ。

飯田家は、家長・源兵衛を立てる妻・ミヤコがおり、それに家族が従う構図になっている。
絶大な力を持つのは源兵衛だが、ミヤコが案外、飯田家をコントロールして一つにまとめている。

⇒2010年9月22日「大杉漣に感動…松下奈緒と向井理の教育係」はこちら。

貧しいと、ぎりぎりの知恵を生み出せる。
また、人と人のつながりを大切にする。
昔は、貧しさをエネルギーに変え、たくましく生きていった。
私の結婚後の生活もそうだった。

「ゲゲゲの女房」には、どんなに苦しい状況に陥ろうと、自ら選んだ道を進んでいく力、喜びを見出す力、幸せを感じる力があふれている。

⇒2010年11月18日「倉本聰の名言『貧幸』…ゲゲゲの女房の教え」はこちら。

大杉漣は役者であるかぎり、捨てたり拾ったり、積みあげたり崩したりする作業を続けていくと語っている。
この辺りは、私がこのブログで幾度か述べた「破壊と創造」につながる。

⇒2009年12月23日「創造への挑戦、成功への失敗」はこちら。

先頃、「ゲゲゲの女房」で親と娘を演じた大杉漣と松下奈緒が「ベストフォーマリスト2010」に選出された。
蝶ネクタイにタキシードの大杉漣はツーショットに照れ臭そうだった。
私と同学年なのに若いし、かっこいい。

⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学・城北高校出身」はこちら。

大みそか恒例の「NHK紅白歌合戦」の紅組司会を務める松下奈緒。
「ゲゲゲの家族」が応援に駆けつけるらしい。
となると、大杉漣もやって来よう。
再び対面…。

⇒2010年11月7日「松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦」はこちら。

◆書き加え1(12月21日)

このブログは思い出せないくらい前に書いた。
「〜はこちら」のブログもたいていは書き溜めた原稿である。
自分でも時間の前後が分からなくなる。
申し訳ない。

いよいよ今夜は「第61回NHK紅白歌合戦」。
私は約半世紀ぶりに同番組に触れる。

⇒2010年12月25日「松下奈緒の謎、目と表情に違和感…紅白司会」はこちら。

⇒2010年12月26日「松下奈緒…第61回NHK紅白歌合戦紅組司会」はこちら。

この2本の原稿もかなり前に書いた。
しかも、いくらか時間が取れると、アップの直前に原稿を手直ししたりする。
古い記事に新しい情報が混ざるわけで、私は頭のなかがごちゃごちゃになる。

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チューリップ・青春の影…財津和夫の苦悩と葛藤

博多から勝負をかけて上京したチューリップ。
…ほしくて仕方がなかった世間の注目をようやく手に入れた。

が、「心の旅」のヒットと引き換えにまとわりついたアイドルグループというイメージ。
そこにリーダー・財津和夫の苦悩と葛藤、そしてメンバーの違和感があった。

おそらく、人に深さを与えるため、人生は思うとおりにならないようにできている。

財津和夫が軌道修正を図りたくて問うたのが、「青春の影」だった。
アイドルが歌う楽曲にもっとも大事なのは、大衆にとっての分かりやすさである。
皆が一度聞けば親しみを持てること。
「心の旅」はそうだ。

ところが、一転して「青春の影」は、人の内面へ潜り込んだ。
哲学というか思想性がにじみ出ている。
それは、チューリップとしての原点回帰だった。
ゆえに、この楽曲は最初から受け入れられたわけでない。
心を込めてライブで歌いつづけるうちに、徐々に共感と支持を広げていった。

しかし、それはチューリップがヒットを飛ばした結果、初めて持つに至った余裕の裏返しとも見なせよう。
それがこの楽曲に、若さに似合わない、堂々たる風格をもたらした。
「心の旅」と同様に愛情をテーマとしているものの、「青春の影」は人生の営みに通じる。

私は不朽の名作だと思う。

以下に、「財津和夫・青春の影、歌詞の意味…昭和の名曲」と題する2010年8月13日のブログを収める。

                      ◇◆◇

私は、財津和夫(ざいつ・かずお)の「青春の影」に惹かれてきた。
きっかけが何か、時期がいつか思い出せないが、自分のなかに根を下ろしていた。
しかも、楽曲が先で、ミュージシャンは後だ。
井上陽水(いのうえ・ようすい)とその楽曲から浴びせられたようなインパクトはなかった。

以前、青春の影を久し振りに聞く機会があり、自分なりの考えをまとめた。
そして、「財津和夫『青春の影』不朽の名作の謎解き」と題し、このブログにアップした。
が、読み返してみると、どこかしっくりしない。

⇒2010年8月1日「財津和夫『青春の影』不朽の名作の謎解き」はこちら。

私は例によりうだうだと考えつづけた。
楽曲の感動と向かい合いたかったのだ。
それは自分を見詰めること。
練り直した原稿をきょうアップした。

                      ◇◆◇

音楽にほとんど関心のない私が聞き惚れてしまうのは、財津和夫の「青春の影」。
かならず胸が熱くなる…。

財津和夫は、ニューミュージック系のポップスグループ「チューリップ」のリーダー。
ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がけた。
1948年、福岡市生まれ。
博多はミュージシャンや芸能人を多く輩出する土地柄だ。

貧乏学生の私が授業を放り出し、楽譜取次の松沢書店の一員として飛び回っていた頃、チューリップの楽譜が急に売れはじめた。
インターネットで調べたところでは、3枚目のシングル「心の旅」を出した1973年だったようだ(姫野達也がリードボーカル)。
1974年に「青春の影」と、立てつづけにヒットを飛ばした。

心の旅はストレートなラブソングだ。
おそらく愛する人を故郷に残し、自らの意志を貫いて上京する。
これが別れになりそうと、互いに思っている。
どこか切ない。

青春の影もラブソングだが、深い。
人間的な成熟が感じられる。
財津和夫が20代半ばで書きあげたことに驚かされる。
私は、昭和を代表する名曲だと思う。

歌詞の1番をそのまま受け取れば、愛する女性と生涯をともにする決意を固めた男の歌である。
2番の終わりは、プロポーズに向かう途中に湧いてきた、あるいは噛み締めた大人への自覚だろう。
青春の影の「影」は、青春を過去に押しやるとの思い、そして惜別の念か…。
おそらく青春時代の幕を下ろし、家庭生活の扉を開ける。
愛のあり方もこれまでとは変わっていく。
二人の旅が始まるのだ。
それは途方もなく長いデコボコ道…。

自分を振り返るなら、つきあいと同棲が長かった私と妻(前妻)は機が熟するように結婚へ進んだ。
が、挙式では、独身を手放す喪失感と所帯を構える責任感が一気に押し寄せた。
形容しがたい感慨があった。
私にも妻にも大きな区切りだった。

青春の影は「心の旅」に出た後の人生のドラマと主人公の成長を歌っているのか。
それが自らの経験を土台にしたものかどうか、私は分からない。
内容としては、ポジティブかつハッピーである。
雄々しい。

しかし、そうした解釈だと、どうも面白くない。
この楽曲の魅力がするりと逃げていく。
全体からにじみ出る“切なさ”もうまく説明できない。

私は、財津和夫は「謎」を残したかったのでないかと思う。
心の旅の歌詞と同様、青春の影の歌詞の1番は明快だ。
意味を取り違えようがない。
ところが、一転して2番が分かりにくい。
なかでも前半と最後の2箇所にキーフレーズが置かれている。
財津和夫は“余白”を忍ばせた。
鑑賞者への贈り物か。
曲名も謎を深めるのに一役買っている。

                       ◇

歌詞の1番と2番にそれなりの時間が横たわっていると考えると、違った解釈ができそうだ。
すなわち、出会い、愛、別れ…
愛のかけがえのなさと厳しさ、まっとうの難しさ…。
それでも人はときを刻み、道を歩みつづける。
財津和夫は、愛すること、生きることへの純粋な情熱を綴った、大きな悔いさえ受け入れながら…。

作者が世の中に作品を送り出せば、独り歩きする。
鑑賞者は気ままに楽曲を楽しむ。
解釈に白黒をつける必要はなかろう。
頭で音楽を聞くなど邪道…。

作者といえど、作品のすべてを理解しているわけでない。
それ以前に、意図が伝わるとは限らない。
そもそも作者はヒットをつくれない。
受け手(鑑賞者)のさまざまな思いが塗り込められ、作品の世界が膨らんでいった結果である。

私自身、失恋を歌った楽曲と捉えるほうがイマジネーションは広がる。
また、一層、心に染み入る。
実際、青春の影に接し、人をまっすぐに愛した記憶がよみがえったり、それゆえの失恋の痛手を癒されたりする方も多いのでないか。
単に結婚に至るストーリーだったら、大ヒットはなかった。
プロポーズソングやウェディングソングとして多用されただろうが…。

                       ◇

青春の影の圧倒的な凄みは、人により、さらにそのときどきで異なった受け止め方を、しかも何の違和感もなくできてしまうことだ。
財津和夫の眼差しは、現実の愛にも、回想の愛にも、やさしく注がれている。
人を愛するのも自分であり、人と別れるのも自分である。
それが人生…。
この楽曲には、懸命に生きる人へのおおらかな包容力がある。
世代を超えて愛されるゆえん。

青春の影は、深い愛情は当然として、重い責任をともなう結婚へ踏み出そうとする心情を歌いあげた。
平凡をよしとする覚悟も…。

そうしたとき、結婚に至らなかった相手との愛がよぎるかもしれない。
私たちは人生の節目に、それまでのさまざまな出来事を喜びや幸せ、悲しみや苦しみなどの記憶とともに重ね合わせる。

なお、4タイプしかない血液型を引き合いに出すと叱られそうだが、O型のよさがいかんなく発揮されている。
楽曲の底に保守的な安心感が流れる。
それが聞く者をじんわりと揺さぶる。

私は先だって、テレビで放送された財津和夫の映像をたまたま見た。
やはり詞も曲も素晴らしい。
不朽の名作。

そして、思った。
これをクラシック風にアレンジし、オーケストラをバックに「アンドレア・ボチェッリ」に歌ってもらいたいと…。
財津和夫とはまた違った感銘や感懐が得られるのでなかろうか。
とてもマッチしそう。

私は40年間、NHK紅白歌合戦をろくに見ていない。
とくに30年間はほとんど…。
ボチェッリが「青春の影」を歌う。
日本の名曲を世界中の人々に聞いてもらうきっかけになる。
大晦日に温かい涙が溢れそうだ。
終わりは始まりである。

なお、ボチェッリはクラシカル・クロスオーバーの火付け役となったイタリアのテノール歌手である。

⇒2009年11月15日「ベスト・オブ・ボチェッリ」はこちら。

◆書き加え1

この楽曲には、おめでたい席(結婚披露宴)で歌うのをためらわせるような深みがある。

歌うとしたら、新郎。
ほかにぜひともというなら、新郎を見守ってきた熟年カップルの男性か。

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松下奈緒…第61回NHK紅白歌合戦紅組司会

私は約半世紀ぶりに「NHK紅白歌合戦」を見ようと思っている。
といっても来年3月まで新講演テーマ(演題)のコンテンツの作成がピークに達しており、書斎のテレビをつけっ放しにするくくらい。
雑用のない年末年始は仕事がもっともはかどる時期であり、多忙を極める。
紅白は、ところどころ音声を聞きながら、まれに画面を眺める。

私が興味を持ったのは、紅組の司会者が「松下奈緒」に決まったから…。
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」に完全に嵌まってしまった。
過去の朝ドラで一度も経験していない。
極貧のなかで漫画に打ち込む夫とそれを支えた妻の様子は、私の結婚後の生活をそっくり再現しているようだった。
私は収入のないフリーランスのプランナーであり、狭い借家(大家とシェア)に暮らしていた。
収入は水木しげる(武良茂)よりいくらかまし、住環境はそれよりはるかにひどかった。
原案となった自伝「ゲゲゲの女房」の著者・武良布枝が長身であり、オーディションなしに松下奈緒がヒロインに起用された。
私は美しさに虜になった。

ところで、私は「第61回 NHK紅白歌合戦」の公式サイトを覗いた。
出演者は、私が曲をぼんやりと思い出すこともできない歌手のほうが多い。
名前を含めて皆目分からない歌手も…。

私がびっくりしたのは、紅白の関連番組が多いこと。
黙っていても国民が見てくれる時代はとうに終わっていた。
ネットで調べたら、私が見た直江津小学校高学年の頃は平均視聴率が80パーセントを超えていた。
現在では40パーセントを保つのが大変なようだ。
NHKは紅白歌合戦に対する関心と期待を盛りあげていくために趣向を凝らしたさまざまな番組を仕込んでいた。

12月上旬〜12月31日は「わたし&紅白歌合戦」。
著名人が記憶に残る紅白の名場面、大好きな歌手への思いを語るミニ番組。

12月19日、23日、29日、30日は「紅白フラッシュ」。
各10分〜15分で紅白の見どころを紹介する応援番組。
司会者や出場歌手へのインタビュー、NHKホールでの準備風景など。

12月21日は「もうすぐ紅白!予習スペシャル」。
紅白を存分に楽しむための生放送のバラエティー番組。
AKB48が大御所の素顔や名曲誕生の逸話などをクイズ形式で学習。

12月24日は「金曜バラエティー 紅白スペシャル」。
出場歌手が紅白にかける意気込みを語る。

12月27日は「あさイチ 大公開!あなたの知らない紅白(仮)」
視聴者が選んだ「思い出の紅白名シーン」「ここが知りたい・紅白の舞台裏」などを紹介。

12月30日は「紅白序章〜歌手たちの30日間〜」。
本番を翌日に控え、出場歌手の緊張を映し出すドキュメンタリー。
話題の歌手については、出場決定からリハーサルまで密着取材。

12月31日は「スタジオパーク 大みそかスペシャル」。
12月31日はさらに「いよいよ今夜!紅白最新情報」。
本番前のNHKホールからリハーサルなどの様子を紹介。

以上、NHK総合テレビに限った紅白関連番組。
凄まじい本数である。

余談…。
私の世代はたいてい「加山雄三」を知っている。
「若大将50年」にちなみ(?)、出場するらしい。
それと、これも驚いたが、過去に3回、白組の司会をやっていた。
坂本九も2回。

                       ◇

「NHK紅白歌合戦」について、ウィキペディアに大変興味深い事柄が記されていた。

第二次世界大戦終結直後の1945年大晦日に「紅白音楽試合」というラジオ番組が放送された。
GHQが「合戦」という表現に難色を示したため、「試合」という名称に改められた。
歌手以外も出場した。
また、戦時童謡は歌詞に変更が加えられた。
「紅白歌合戦」の事実上の第1回の放送である。

これが大好評を博し、約5年後の1951年正月に「紅白歌合戦」が放送された。
第1回。
昭和26年のことであり、私が生まれた年。
知らなかった…。

第3回(1953年)ではテレビの実験放送が行われた。
第4回は同年の12月31日に放送された。
これ以降、今日の大晦日放送が定着した。
また、第24回(1973年)以降、会場は渋谷のNHKホールに固定された。

                      ◇◆◇

「ゲゲゲの女房」と松下奈緒に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年5月8日「ゲゲゲの女房…蘇る前妻との初デート」はこちら。

⇒2010年5月19日「松下奈緒、ゲゲゲの女房を好演する」はこちら。

⇒2010年5月20日「ゲゲゲの女房、小銭入れが空っぽの極貧」はこちら。

⇒2010年5月30日「ふすま一枚の地獄…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月6日「ゲゲゲ原稿料を払ってもらえない」はこちら。

⇒2010年6月8日「松下奈緒と向井理が好演…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年6月12日「松下奈緒 ゲゲゲの女房 人気シーン」はこちら。

⇒2010年6月14日「ゲゲゲゲラが出た…私は初校で校了」はこちら。

⇒2010年6月17日「ゲゲゲ、人気ラーメン店の行列が消えた」はこちら。

⇒2010年7月5日「向井理の好演、村井茂の名言…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年7月15日「ゲゲゲ水木しげる、少年マガジンデビュー」はこちら。

⇒2010年7月17日「ゲゲゲ水木しげる、テレビくん児童漫画賞受賞」はこちら。

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⇒2010年8月12日「いじめ…有名人の子の苦悩(ゲゲゲの女房)」はこちら。

⇒2010年8月14日「妖怪いそがし、家庭を顧みない水木しげる」はこちら。

⇒2010年8月18日「漫画家・水木しげる、締め切りの地獄と天国」はこちら。

⇒2010年8月20日「職業人生に締め切りを設けよ…水木しげるの教え」はこちら。

⇒2010年8月20日「松下奈緒は号泣、向井理は手料理…ゲゲゲの女房」はこちら。

⇒2010年8月21日「芸術への憧れを捨て、フリーランスのプランナーへ」はこちら。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

⇒2010年8月22日「苦労人・水木しげる、作品づくりの姿勢と執念」はこちら。

⇒2010年8月23日「松下奈緒、偏差値39の衝撃、バスト86の疑問」はこちら。

⇒2010年8月25日「人生の教科書・ゲゲゲの女房…仕事・夫婦・家族」はこちら。

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⇒2010年8月28日「松下奈緒・ゲゲゲの女房・撮影秘話…あさイチ」はこちら。

⇒2010年8月29日「松下奈緒&向井理、ゲゲゲの女房の平均視聴率」はこちら。

⇒2010年8月30日「松下奈緒・ゲゲゲの女房、大ヒットの立役者」はこちら。

⇒2010年8月30日「職業人生、それは長いデコボコ道を行くこと」はこちら。

⇒2010年8月31日「水木しげるプロダクション倒産危機…仕事激減」はこちら。

⇒2010年9月1日「水木しげる大スランプ、自信喪失…仕事がない」はこちら。

⇒2010年9月2日「水木しげるの異変、村井布美枝(武良布枝)の苦悩」はこちら。

⇒2010年9月3日「水木しげるスランプの原因…先生商売の落とし穴」はこちら。

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⇒2010年9月4日「水木しげる作品・自宅・プロダクション…調布名物」はこちら。

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⇒2010年9月14日「ありがとう…いきものがかりゲゲゲの女房主題歌」はこちら。

⇒2010年9月15日「竹下景子・イカルと風間杜夫・イトツ…ゲゲゲの女房」はこちら。

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⇒2010年9月17日「松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた」はこちら。

⇒2010年9月18日「紅白司会は松下奈緒と福山雅治? 向井理?」はこちら。

⇒2010年9月19日「大杉漣プロフィール…小松島中学・城北高校出身」はこちら。

⇒2010年9月20日「松下奈緒と向井理の魅力と伸び代、居場所」はこちら。

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⇒2010年9月22日「大杉漣に感動…松下奈緒と向井理の教育係」はこちら。

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⇒2010年9月24日「ゲゲゲ松下奈緒から、てっぱん瀧本美織へ」はこちら。

⇒2010年9月24日「水木しげる夫妻(武良茂・布枝)の自然体」はこちら。

⇒2010年9月25日「ゲゲゲの女房エンディング…松下奈緒&向井理」はこちら。

⇒2010年9月26日「ありがとう『ゲゲゲの女房』アゲイン(全記事)」はこちら。

⇒2010年9月27日「涙にくれた一日・・・『ゲゲゲの女房』完結」はこちら。

⇒2010年9月28日「松下奈緒が『ゲゲゲの女房』を振り返った」はこちら。

⇒2010年9月29日「松下奈緒と向井理、ゲゲゲの女房の演技に思う」はこちら。

⇒2010年9月30日「松下奈緒主演『ゲゲゲの女房』完全再放送を望む」はこちら。

⇒2010年11月2日「吉岡聖恵・ありがとう…いきものがかりライブ」はこちら。

⇒2010年11月5日「松下奈緒の紅白司会、水木しげるの文化功労者」はこちら。

⇒2010年11月7日「松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦」はこちら。

⇒2010年11月11日「ずばりテレビの買い時…紅白・松下奈緒が見たい」はこちら。

⇒2010年11月13日「大杉漣、演技への怒涛の情熱とエネルギー」はこちら。

⇒2010年11月18日「倉本聰の名言『貧幸』…ゲゲゲの女房の教え」はこちら。

⇒2010年11月19日「松下奈緒が茶の間に届けた『ゲゲゲの貧幸』」はこちら。

⇒2010年12月23日「ゲゲゲの女房・総集編…大みそかは松下奈緒の日」はこちら。

⇒2010年12月25日「松下奈緒の謎、目と表情に違和感…紅白司会」はこちら。

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松下奈緒の謎、目と表情に違和感…紅白司会

「NHK歳末たすけあい」「NHK海外たすけあい」のキャンペーンの一環だろう、松下奈緒が12月上旬、義援金への協力を呼びかけていた。
私は駅頭などで行われる募金にときどき応じる。
たいてい千円、ごくまれに1万円。
が、その募金の目的、まして具体的な使い道をろくに知らない。
仕事と生活に追われ、決して熱心といえない。

私は長年、NPO法人をボランティア活動のつもりで運営してきた。
営業コンサルタントの自分にもっともふさわしい世の中への恩返しだと考えた。
凄まじい持ち出しになった。

社会貢献のあり方は、人それぞれでいい。
できれば何かで役立ちたいところ・・・。
知力や体力を差し出す方法もあろう。

                       ◇

さて、松下奈緒はカメラを見ながら話していた。
私は、彼女が真正面を向いたままの映像は初めて。
このブログで幾度か、瞳がチャームポイントになっていると述べた。
その理由がぼんやりと分かった。

目が大きいのも一因だが、向かって右側の目、松下奈緒の左目がやや内側に向いている?
わずかに斜視でなかろうか。
右目はどうだろう?

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

松下奈緒は「ゲゲゲの女房」のヒロインを演じていた頃、「あさイチ プレミアムトーク」や「スタジオパークからこんにちは」などのインタビュー番組に出たことがある。
彼女がカメラ目線になると、私は見詰められるとか吸い込まれそうな気分になる。

⇒2010年8月28日「松下奈緒・ゲゲゲの女房・撮影秘話…あさイチ」はこちら。

私は43年前を思い出した。
徳島県立城北高校から東京都立墨田川高校に転校し、クラスメートに夢中になった。
下町の中流家庭の女の子。
幼稚園時代から可愛いと思った女の子は何人かいたが、それまで味わったことのないときめきと切なさを感じた。

転校生の私に宛がわれた席の右隣とその後ろが女の子で、すぐに打ち解けた。
休憩時間に二人と話をしていて、さらに一人置いた後ろの女の子と目が合った。
はっとして視線が釘付けになった。
ほんのちょっと間があって、彼女が目を伏せた。
可愛いのは確かなのだが、うまく言い表せない違和感が残った。
その光景を鮮明に覚えている。

やがて朝の通学電車(東武亀戸線)がときどき一緒になり、間近で話すようになった。
私は、彼女の目に魅せられた。
そして、あるとき気がついた。
瞳が内側にちょっと寄っている。
ごく軽い斜視だった。

⇒2010年9月17日「松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた」はこちら。

松下奈緒は美しいうえに、とても魅力的である。
顔の向きを変えたり、笑ったりしたときなど、表情がちょっと不自然に感じるのもそのせいでなかろうか。
やはり彼女がそうだった。
どこか謎めいていて、私はすっかり虜になった。

松下奈緒は目が発する光が際立って強いので、より神秘的に映る。
魅惑の瞳といえよう。

大みそか恒例「NHK紅白歌合戦」が迫ってきた。
価値や嗜好の多様化により、かつてのような国民的な歌手がいなくなった。
今年は紅組司会者に国民的な関心が高まる異例の展開でなかろうか。

⇒2010年11月7日「松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦」はこちら。

私はどうせ年末・年始も仕事に忙殺されている。
しかし、約半世紀ぶりに紅白歌合戦をつけっ放しにする。
“ながら視聴”で申し訳ないが、松下奈緒を見たい。
「ゲゲゲの家族」も見たい。
いきものががかり・吉岡聖恵の「ありがとう」も聞きたい。
近藤良平と瀧本美織の「てっぱんダンス」も見たい(あくまで出演の予感)。

⇒2010年11月2日「吉岡聖恵・ありがとう…いきものがかりライブ」はこちら。

私は、紅組司会の松下奈緒にだれよりも一番輝いてほしいと思っている。
歌手に遠慮はいらない。

以下に、「近藤良平てっぱんダンス、あれは私です」と題する2010年11月8日のブログを収める。

                      ◇◆◇

NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」。
そのオープニングダンス。
私は公式サイトで数十回は見た。
この朝ドラの当初(おそらく)の映像が掲載されている。
視聴者、といっても番組開始前なので一般人の「てっぱんダンス(踊り)」で構成される。
振付・近藤良平の教則ビデオは当然として、これが実にいい。

私は「てっぱん」はときどき見る程度。
しかも仕事をしながら…。
まあ、聞いている。

それでも葉加瀬太郎のテーマ曲「ひまわり」が流れると、ついテレビの画面に向かってしまう。
オープニングダンスが好きなのだ。
そして、いつも踊り出したくなる。
現実には、慢性の腰痛と背筋痛を抱えており不可能。

てっぱんダンス(踊り)。
なぜ、体の奥が熱くなる?
私は、ようやく謎が解けた。
自分が純粋だった頃を思い出させるからだ。

「純粋」。
それは、人が生きていくためにどこかに置いてきたもの。
こう述べると、いまも純粋な大勢の大人たちに叱られるかもしれないが…。

懐かしく温かい「ひたむきさ」。
近藤良平の振り付けは、そこまで考えられているのだろうか。

あくまで私の場合、映像でカギを握るのは、若い男女の踊り。
腕を組んで回る二人が視聴者かどうかはどうでもよい(うますぎる)。
また、二人が学生か社会人かはどうでもよい(制服みたい)。

せいぜい2〜3秒の映像が自分を揺さ振る。
叶わなかった初恋(こんな言葉はもはや死語か)の記憶がよみがえってくる。
むろん、老若男女が登場するから、このシーンが一段と重みを増すのだ。
私の人生にだってこうした切なくて幸せな時期があった、と…。

都立墨田川高校時代、クラスメートの女の子に夢中になった。
あまりに好きで、性欲の対象にならなかったというのはこのときだけである。
いま思うに、「プラトニックラブ」。
どうだ、参ったか!

⇒2009年11月29日「親を捨てる口実…新聞奨学生物語」はこちら。

私は長らく「ピュア」と無縁。
それを忘れた自分が悲しい。

なお、オープニングダンスで映し出される視聴者は少しずつ変わっている。

二人の映像が消えるとさみしい。
「あそこで踊っている男の子は、私です」と言いたい。

実際の私は二人でも一人でも踊ったことがない。
くぅ〜。

◆書き加え1(12月27日)

松下奈緒がNHK総合テレビ「スタジオパークからこんにちは」のアンコール特集に出演していた。
再放送分に、紅白歌合戦紅組司会の大役を控えた彼女へのインタビューが加えられた。

私は仕事の手が止まり、しばし画面にくぎ付け。
やはり彼女の目に引き込まれそうになる。
謎を秘めた魅惑の瞳だ。
最大のチャームポイントか。

                      ◇◆◇

松下奈緒に関するブログは以下のとおり。

⇒2010年9月20日「松下奈緒と向井理の魅力と伸び代、居場所」はこちら。

⇒2010年11月5日「松下奈緒の紅白司会、水木しげるの文化功労者」はこちら。

⇒2010年11月18日「倉本聰の名言『貧幸』…ゲゲゲの女房の教え」はこちら。

⇒2010年11月19日「松下奈緒が茶の間に届けた『ゲゲゲの貧幸』」はこちら。

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JR東海クリスマス・エクスプレス赤い口紅CM

私が、クリスマスが近づくと思い出すのが、山下達郎の「クリスマス・イブ」。
それともう一つ、JR東海のクリスマスCM。
以下は、ウィキペディアなどの情報を交えて記した。

JR東海「クリスマス・エクスプレス」。
東海道新幹線のイメージCMシリーズである。
「会うのが、いちばん。」。
若者の共感を呼び、バブル崩壊の1990年を挟んだ前後各2年ほど展開された。
ターゲット世代の期間中の利用を増やしただけでなく、学生の就職人気企業ランキングを上位に押しあげた。

とはいえ、私が記憶しているのは、1988年に放映された「ホームタウン・エクスプレス」のクリスマス編。
遠距離恋愛のカップルが新幹線でクリスマスに再会を果たすドラマ仕立てだった。
翌年以降制作された「クリスマス・エクスプレス」シリーズの第1弾となった作品。

私が鮮明に覚えているのは、真っ赤な口紅を塗った、顔立ちのはっきりしたボーイッシュ(ショートカット)の女の子。
年齢不詳…。
ところは新幹線のプラットフォーム。
最終列車だろうか、待ち侘びた彼は現れなかった。
落胆した背中の向こう、柱の陰からリボンで結ばれたクリスマスプレゼントが覗く。
やがてプレゼントで顔を隠した男がムーンウォークを踊る・・・。
ストーリーも演出もよく、完成度が高かった。
ほかの作品はすべて忘れたが、赤い口紅のこの作品だけは強く印象に残っている。
名作だろう。

ネット上のCM動画を再生したら、女の子は大きなイヤリングが赤、タートルネック(マフラー? スカーフ?)が赤、マニキュアが赤、プレゼントは包装紙が赤だった。
男の子はパントマイム風。
女の子の口の動きが面白い。
当時15歳の深津絵里(高原里絵)だった。

ケータイのない時代、離れて暮らす若い男女がコミュニケーションを取ることが大変だった。
思いが募り、イマジネーションが膨らんだ。
たまに会えるとなると、心が高揚した。
不案内な場所で待ち合わせると、相手を見逃すまい、相手とすれ違いになるまいと、目を凝らした。
切ない時間だった。

いまシリーズ5作品をすべて見た。
他の作品もぼんやりと記憶がよみがえってきた。
CMは時代を映す鏡であり、世相を濃厚にまとう。
全作品が日本の絶頂期を背景にしている。
「クリスマス・エクスプレス」という提案自体がそう。
真っ赤な口紅の女の子もそうだし、ムーンウォークの男の子もそう。
ただし、この作品はどこか懐かしさを引きずっている。
逢瀬(おうせ)の普遍性を表現しているように思う。

1990年の作品はバブルそのもの。
そして、1992年の作品にかけてトーンダウン・・・。

なお、CMのテーマ曲に使われた山下達郎の「クリスマス・イブ」はクリスマスソングとしてすっかり定着した。

⇒2010年12月21日「山下達郎クリスマスソング…絶句する完成度」はこちら。

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山下達郎クリスマス・イブ…絶句する完成度

師走になると決まって流れるのが、シンガーソングライター・山下達郎の「クリスマス・イブ」。
以下は、ウィキペディアなどの情報を交えて記した。

「クリスマス・イブ」は、1983年リリースのアルバム「MELODIES(メロディーズ)」から1986年にシングルカットされ、ミリオンヒット。

私はかつて渋谷・松涛に住んでいた。
1990年代半ばを過ぎた頃、クラブ三条のホステスからアルバム(CD)をプレゼントされた。
なぜか紛失してしまい、それが「MELODIES」かどうか不明。
曲の大半もしくは過半がクリスマスソングだったと記憶している。
幾度か聞いたが、絶句するほどの完成度!
どうやってレコーディングしているのか不思議だった。
山下達郎の世界が結晶したかのような美しさがあり、しびれた。

私は、初めて山下達郎の楽曲に触れたときを思い出した。
1980年、「RIDE ON TIME(ライド・オン・タイム)」。
反体制的なフォークや四畳半的なフォークをさんざん聞かされた耳に、このポップスは衝撃的だった。
リゾートソング?
当時、学生や若者の間にブルジョアを忌み嫌う空気がいくらか残っていた。
同じ日本人がつくった楽曲とはとても思えなかった。

余談…。
山下達郎はアルバムをリリースすると同時に後悔の念にとらわれると、どこかで述べていた(不確か)。
私は次元がまったく違うが、本を出すと同時に後悔の念にとらわれる。
あの天才にしてそうなのかと、救われた気分になった。
凡人では当然である。

                       ◇

山下達郎は、私より2歳下、早生まれで1学年下。
明治大学法学部中退。
明大中退といえば、北野武を思い出す。
私は明治大学経営学部中退。
二人とどうしてこんなに差がついたのか?

◆書き加え1(12月18日)

山下達郎の「クリスマス・イブ」。
深夜のテレビ番組で、この曲のピッチを変えると竹内まりやになることを知った。
彼女が歌っている。
区別がつかない。

私は鳥肌が立った。
二人は夫婦。
凄い。

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松下奈緒のオーラ…だれも勝てない紅白歌合戦

大みそか恒例、NHK紅白歌合戦。
第61回の司会者が文化の日に発表された。
紅組は、うわさどおり松下奈緒に決まった。
本人は幾度か否定したが、かなり早い段階で固まっていたのでないか。
NHKからそうした打診はまったくないという発言が不自然だった。

⇒2010年9月18日「紅白司会は松下奈緒と福山雅治? 向井理?」はこちら。

松下奈緒は抜群に美しく、しかも背が高い。
さらに“華”がある。
表情が豊か、大きく笑うと非常に魅力的。
夏の紅白「思い出のメロディー」でもそうだったが、ステージ上に大輪の花が咲いた印象であり、とにかく目立つ。
ゆえに、周囲を食ってしまう。

食われたい人、この指止まれ。

⇒2010年8月21日「松下奈緒の美しさ…思い出のメロディー司会&演奏」はこちら。

私は歌を聞かず、歌手をほとんど知らないが…。
松下奈緒を上回るオーラを放つ歌手を思い浮かべられない。
国民的なイベントとはいえ、司会は引き立てる立場だ。
松下奈緒は頭がよいので、それは百も承知。
実際、会見では「司会としてできるかぎりサポートしていくことを心がけ、素敵な一夜にしたい」と抱負を語った。
出場歌手を支える役目に徹すると…。

「素敵な一夜にしたい」。
くぅ〜。

松下奈緒は、朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」のヒロインとして、村井布美枝役を演じた。
「ゲゲゲの鬼太郎」でお馴染みの人気漫画家・水木しげるの妻、武良布枝の人生をモチーフにしたドラマであり、このブログで数十回は取りあげた。

かたや、白組は「嵐」。
老いた私は嵐をまるで知らない。
メンバー5人全員で務めるというから驚き。
グループが司会に起用されるのは初めて。
松本潤は「名司会はできないが、5人ならではのチームワークで盛りあげていきたい」と意気込みを語った。

嵐の5人に1人で対抗する松下奈緒は「ゲゲゲの家族を呼ぼうかな」と、応援を頼む意向を示した。
となると、夫の向井理(村井茂役)はオーケーカード持参でかけつけよう。
いつも節約を心がけているぞ。

⇒2010年9月17日「松下奈緒が向井理への思いを打ち明けた」はこちら。

それと、実の父の大杉漣(飯田源兵衛役)もオタマ持参で駆けつけよう。
熱くなるとアドリブが増えるぞ。

⇒2010年9月22日「大杉漣に感動…松下奈緒と向井理の教育係」はこちら。

ひょっとすると、義理の母の竹下景子(村井絹代役)と義理の父の風間杜夫(村井修平役)も…。

⇒2010年9月15日「竹下景子・イカルと風間杜夫・イトツ…ゲゲゲの女房」はこちら。

すでに述べた理由で、私は松下奈緒が一人でも嵐とバランスは取れると思う。

それにしてもNHKはよく考えている。
松下奈緒と互角に張り合える個人はいないと判断したのだろう。
彼女が発するオーラに、だれも太刀打ちできない。

今年の紅白歌合戦は、司会者に一番視線が集まるという点において画期的である。
松下奈緒は衣装を含め、意図的に抑えるのでないか。

私自身はそんなことを気にする必要はないと考える。
NHKの責任だ。
松下奈緒には遠慮なく輝いてほしい。
紅白歌合戦で勝つのは、白組でも紅組でもなく、松下奈緒で決まり。

私は半世紀近くろくに番組を見ていないが、今年はどうだろう?
松下奈緒、そして吉岡聖恵が出るとなると、心は乙女のように揺れるのでした。
いきものがかりによるゲゲゲの女房の主題歌「ありがとう」を短い舌で歌うチャーミングなボーカルである。

⇒2010年11月2日「吉岡聖恵・ありがとう…いきものがかりライブ」はこちら。

司会の人選はフレッシュだ。
NHK紅白歌合戦は12月31日午後7時半から始まり、テーマは「歌で つなごう」。
松下奈緒の「ゲゲゲの女房」、そして瀧本美織の「てっぱん」もいくらか意識したフレーズか。
私は、「歌で」と「つなごう」が離れているのが気がかり。
う〜ん。

◆書き加え1(11月4日)

松下奈緒がJAバンクの新キャラクターに選出されたようで、CMに出演している。
私は、彼女に余裕のようなものを感じた。
うまくなっている。
役者は経験だなぁ。

半年に及ぶ朝ドラの主演という大役をこなし、試練を乗り越え、松下奈緒は一回りも二回りも大きくなった。

⇒2010年9月20日「松下奈緒と向井理の魅力と伸び代、居場所」はこちら。

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和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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