コンサルの引き出し|和田創ブログ

だれの目の前にも可能性の地平は広がる。それを切り拓けるかどうかは自分次第である。「面白くないジョークの会」初代会長が解き明かす経営と人生の奥義とは?

アメショー・ペット

クマを飼う…アメショーブラック

思い切って徳島のクマを飼うことにしました。
生後1カ月を過ぎたばかりですが、すでに狂暴です。

01私は昨年7月にアメリカンショートヘアの♀「フウ」を亡くしました。
長く同室していましたので死後6カ月、とくに3カ月はさみしさに苦しみました。
自分の気持ちに整理をつけるのに、1年以上がかかりました。

そして、先ごろ、新しい出会いがありました。
私が50年近く前に通学していた「徳島県立城北高校」の近所の方からアメリカンショートヘアの♂を譲り受けることになりました。
深い縁を感じます。

「クマ」はフウと同じ、アメリカンショートヘア(アメショー)ブラックタビーです。
このブログでフウをアメリカンショートヘア(アメショー)ブラックスモークと記しましたが、間違いでした。

アメショーはシルバータビーなど、どの毛色もかわいいです。
私自身はブラック、なかでもブラックタビー、ブラックスモークが圧倒的にかわいいと思います。
毛色は飼い主の好みとはいえ、どうして人気がないのか不思議です。

徳島のクマは猛烈にやんちゃです。
私の書斎で暮らしますが、ベッドやイス(座面)をぼろぼろにしてくれるでしょう。
朝は顔面に容赦ないネコパンチを浴びせ、私を叩き起こしてくれるでしょう。
「M」の私は快感です。

クマはネコなのに、怪獣のように「ガオ〜」と鳴きます(画像による推察)。

ちなみに、我が家にやってくるのはしばらく後になります。

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フウの納骨を終えました

先だっての「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

先日、フウ(アメショー。♀)の納骨を終えました。

私は、久し振りにのんびりしてよかったのに、早く目が覚めてしまいました。
会いたくて会いたくて会いたくて仕方のなかった恋人にやっと会える気分でした。
再会にうきうきしました。

ペットの葬儀屋が立ち会い、箸を渡してくれようとしました。
それを断り、私は素手で骨を拾いました。
真っ先にフウの額と頭(頭蓋骨)を撫でてやりました。
のど仏も見つけました。
フウのすべての骨を墓に納めました。

我が家のペットの墓には、フウの父のクロ、母のモモ、そしてトラとチビの4匹が眠っており、そこにフウが加わりました。
互いに知っており、賑やかになりそうです。

喪失感に苦しんできた私は気持ちに区切りをつけられました。
さみしさは変わりませんが、徐々に元気を取り戻しつつあります。
「フウちゃん、頑張るからね」。

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空耳と独り言…愛猫を亡くす

先だっての「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

私は同室者(猫)を亡くし、その喪失感をいまだに引きずっています。

フウ(アメショー。♀)は生活のなかでさまざまな音を立てていたことに気づきました。
歩くときに爪が床に当たる音、窓の外を見ようとしてカーテンを払う音、トイレの砂をかく音、水を飲む音、ドライフードを砕く音、ポリ袋をかまう音…。
私がベッドで眠りにつこうとすると聞こえてくるのです。
もちろん空耳ですが、その方向の暗闇を見てしまいます。
私はこうした音により、フウと暮らしていることをつねに感じていたのでしょう。

また、私はフウにいろいろ話しかけてきました。
ところが、自分が思う以上に頻繁だったことに気づきました。
一番多かったが「フウちゃん、頑張るからね」だったようです。
もちろん、くじけそうな自分への激励です。
クライアントの受託業務で締め切りに追われるとか、教育指導のコンテンツの作成や練磨に悪戦苦闘するとか、つらいデスクワークの時間が中心でした。
だれも私の独り言を聞いてくれなくなりました。

                 ◇

私は出張から自宅(書斎)に戻ると、第一声が「フウちゃん、ただいま」でした。
当人はたいてい眠っており、反応をほどんど示しません。
尻尾を振ることも、頭を持ち上げることもありません。
無視を決め込みました。

5〜6日を超える長期出張では、フウは姿さえ見せません。
怒っていて、家具の影などに隠れているのです。
私が真剣に探さないと、フウは納得しませんでした。
目が合うと、やれやれという表情で出てきました。

出張から戻る楽しみが減りました。

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アメショーはブラックスモークが最高

先週の「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

⇒2014年7月14日「模様替えの後にフウからダメ出しを食らう」はこちら。

⇒2014年7月15日「フウの肉球…アメショー」はこちら。

⇒2014年7月16日「捨て猫が家までついてくるように・・・」はこちら。

フウはいろいろな呼び方をされることをおそらく楽しんでいました。
「フウ」「フウちゃん」「フウさん」「プウ」「プウちゃん」「プウさん」「プップー」「プップちゃん」・・・。
呼び方が変わろうと、「何ですか」と応えました。
人に働きかけられることを好むとともに、人に働きかけることを好みました。
アメショーは家族との交流志向が強いですが、フウは際立っていました。

フウは私に両手を差し出すように求めました。
そして、自分の手を私のそれぞれの手にかけて立ち上がりました。
クマが両手を開き加減で立ち上がったポーズになります。
アメショーのブラックスモークでしたので、クマそっくりです。
私は堂々たるたたずまいを絶賛してきました。
「おお〜、こわい。フウちゃん、クマさんだぁ〜。こわいねぇ〜」。

フウはとてもきれい好きで、全身や肉球から何とも香ばしい匂いがしました。
また、お尻は手入れが行き届き、汚れていた例(ためし)がありません。
毛並と同様に黒(濃いグレー)でした。
私はまばゆい光を放つ肛門を絶賛してきました。
「フウちゃん、すごいねぇ〜。ダイヤモンドヒップだよぉ〜。お尻がピカピカだねぇ〜」。
お尻がわずかに汚れたのは最後の数日でした。
気持ちが悪かろうと、死後に清浄面できれいにしました。
フウは自分でも許せなかったはずです。

名前と異なり、こうした賛辞はフレーズもトーンもお決まりでなければ納得しません。
フウは自分がほめられていると分かっており、1日に2〜3回おねだりすることもありました。

もう一つ、フウがやってくださいとお願いしたことがあります。
私が椅子の背もたれにのけぞります(身をそらします。)。
そして、フウを高く抱え上げて後ろ足を胸につけ、手(前足)を顎に置きます。
ひげのチクチク感がたまらないらしく、エリマキトカゲみたいに前足を交互に横に持ち上げました。

フウはこうしてほしいという意思をはっきりと伝えた猫でした。
たわいのないやり取りが、デスクワークに根を詰めたがる私にちょっとした休息と活性化をもたらしました。
フウの相手をすると、また頑張れるから不思議です。

どのような毛並みのアメショーもかわいいですが、なかでもブラックスモークは愛情が濃く、茶目っ気がたっぷりだと思います。
猫なのに柴犬の気質や性格をいくらか備えています。

愛猫とじっくりと会話を交わしたい人には、アメショーブラックスモークが最高なのでは?

なお、いま述べたことは私の狭い経験に根差しており、統計などの根拠に基づくものでありません。

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捨て猫が家までついてくるように・・・

先週の「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

⇒2014年7月14日「模様替えの後にフウからダメ出しを食らう」はこちら。

⇒2014年7月15日「フウの肉球…アメショー」はこちら。

私は新潟・直江津生まれです。
小さい頃から野良猫に好かれました。
戦後十年ほどで、食生活が貧しかった時代です。
亡くなった両親によれば、私は家の外で野良猫と戯れていたようです。
2〜4匹に囲まれていた記憶がうっすらと残っています。
私が直江津小学校に通う頃から、捨て猫が家までついてくるようになりました。

私は、最初の捨て猫「太郎」に始まり、小鳥、多くの鳩、犬、猫と飼いつづけました。

私はいま横浜・港北ニュータウンの大規模団地に暮らしており、管理組合の取り決めで野良猫に餌をやることが禁じられています。
むろん、それを守っています。
しかし、母猫が2〜4匹の子猫を引き連れている姿を見てしまうと、心が揺れます。
豊かな時代といっても、親子が生き延びるのは大変です。
私はまれに団地の敷地外に野良猫を誘い、栄養価の高いドライタイプのキャットフードを与えています。
とくにやせ細っていると、放っておけなくなります。

40年ほど前に暮らしていた杉並・松庵の2階のアパートは1階が大家でした。
その屋根の上を野良猫が行き来し、やがて窓から部屋に入ってくるようになりました。
ペット禁止なので飼ったわけでありませんが、野良猫が無警戒でくつろいでいたことを思い出します。

私はこれまでに猫だけで11匹を飼いました。
そのなかでもフウは飛び切りの癒やしを与えてくれました。
深刻な更年期障害、そして書斎での過酷で孤独なデスクワークを乗り切れたのは、そのおかげです。
いつも手の届くところにいて、私の呼びかけや話しかけに応えてくれました。

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フウの肉球…アメショー

先週の「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

⇒2014年7月14日「模様替えの後にフウからダメ出しを食らう」はこちら。

私は数日、心と体の状態がすぐれません。
不思議なくらい食欲を感じません。

フウを17年近く世話した妻がやつれていますので、自分がしっかりしなければという気持ちはあります。
しかし、私は長く同室でしたので「喪失感」に苦しめられています。
フウと同じ年に生まれた息子もあまり元気がありません。
家族が皆、沈んでいます。

私が夜眠ろうとすると、フウがフローリングの床を歩くときに当たる爪の音がかすかに聞こえてきます。
また、昼ふと机や低い家具にフウの足跡(肉球)が浮かびあがります。

私の書斎に対し、とても小さいフウが占める面積はごくわずかにすぎません。
しかし、フウが消え、フウのこまごまとした生活用品がなくなり、空間の広さばかりが気になります。
人(猫)の気配が失われてがらんとしています。

私は書斎に一人でこもるのがつらく、深夜に散歩に出かけたりしましたが、気が晴れません。
時間が必要なのかなと思います。

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模様替えの後にフウからダメ出しを食らう

おとといの「フウが息を引き取りました」に続きます。

⇒2014年7月12日「フウが息を引き取りました」はこちら。

◆書き加え4(7月13日)

我が家は二世帯住宅のマンションであり、玄関のなかに玄関があります。
私の書斎です。
フウはここで暮らしていましたが、うちのなかをときどき見て回りました。

このドアが半透明のガラスなので、とくに私の出張中は妻に出してほしいとせがみました。
むろん、さみしさや退屈も一因でしょう。

しかし、フウはつねに家族を気にかけ、一人ひとりの状況や様子をつかもうとしました。
コミュニケーションとふれあいに対する希求が際立って強かったです。
ほかの猫が餌ほしさに顔を出したり、体をすり寄せたりするのと対照的でした。
(フウはそうしたときでも、はっきりと意思で示しました。こびるとか、せかすことはありませんでした。)

父のクロは食欲が旺盛でしたが、やはり家族に関心を寄せていました。
母のモモは貪欲さがなく、食べることにも淡泊でした。
だから、かつては妻の部屋でフウと一緒に暮らせたのです。
フウは、両方の血を引いています。

家族に話すこと、話しかけられることを一番の喜びにしていました。

◆書き加え5(7月13日)

私は長く同室でしたので、どうしてもフウを探してしまいます。
居場所は夏場と冬場でそれぞれいくつかありました。
当日の天候(おもに気温)と空調により変わります。
そこに目がいくのです。

私は、体の小さいフウを踏んだり傷つけたりしないよう、書斎では細心の注意を払いながら動いていました。
その習慣というか習性が抜けません。

妻が餌と水の容器、マット、トイレ、ベッド、フウが好んだ私の隣の椅子に敷いたバスタオル、爪とぎなどを片づけてくれました。

また、掃除をしてくれ、部屋のあちこちからフウの体毛が綿のように出てきました。
アメショー(猫は皆そう?)は夏にかけて抜け毛が凄いのです。

妻が掃除の手を止めました。
フウの長くて黒いひげを1本見つけ、涙ぐんでいます。

私は、書斎の家具が高齢のフウに合わせて配置されていることに気づきました。
確かにフウの暮らしやすさと快適さを、私は第一に考えていました。
とりわけ机とベッドに飛び乗りやすく、双方を行き来しやすく工夫しています。
模様替えの後にフウからダメ出しを食らい、やり直したり、元に戻したりしたことを思い出しました。
OKをもらうまでが大変でした。

また、私の大きな机の上はフウの生活や動線を妨げないように小物が並べられていることに気づきました。
ぽっかりと空いた居場所や通路に、私はたばこやファイル、筆記具などを置きました。

出張が延期になった1週間、仕事にほとんど手をつけられませんでした。

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フウが息を引き取りました

《7月5日》

huu01私は6日間の出張からくたくたの状態で自宅に戻ってきました。

私が留守にしていた9日間と6日間の出張中に、高齢のアメショー「フウ(♀)」が一気に弱り、ほとんど食べられなくなりました。
がりがりで横たわり、心臓と肺が苦しそうです。
妻によれば、トイレにふらふら歩いていくくらいで、それも回数が極端に減ったとのこと。

私が呼びかけたら尻尾を盛んに振りましたが、顔をずらすことも顔を持ちあげることも難儀そうです。

実は、9日間の出張後、6日間の出張前、フウは「介護」が必要と考え、私の書斎から妻の部屋に移しました。
私は面倒を見られません。

フウは、今年に入って「老い」による衰えが目立ちはじめました。
2〜3カ月前から私にそれほどちょっかいを出さなくなり、いやな予感がありました。

フウはとくにその頃から、出張支度をする私を「行っちゃうの」といった表情でじっと見詰めるようになりました。
私はその目が切なくて、「大丈夫、すぐに戻ってくるから」と言葉をかけてきました。

私は来週も出張です。
福岡で大型台風の直撃を受けそうです。
最期を看取りたい気持ちはありますが…。

《7月6日》

フウはきょう何も食べず、水も飲みません。
マイペースを貫いた猫ですので、妻と話し合い、栄養剤の注射などによる延命を行わないことにしました。
医者に幾度も連れていくこと自体がフウに重い負担となります。

大好物のマグロの赤身を細かく砕きましたが、それでも受け付けません。
大好きな缶詰のスープを飲ませようとしましたが、やはり受け付けません。

私が声をかけると振る尻尾の動きが小さく鈍くなっています。
ときどき目を開けても、焦点が定まらないせいか、私のほうに目玉を動かそうとしません。
人間を含め、生き物はかならず寿命が尽きます。
私と妻はフウの「死」に直面しています。

《7月8日》

私も妻も6日は観念しました。
夜を越えられないと…。

しかし、フウはこの2日間、ちょっと食べ、ちょっと飲んでいます。
かろうじて命をつないでいます。

フウが少しうんちをしたと聞き、私はうれしくなりました。
いくらかでも腸が動き、踏ん張れたという証拠です。

《7月10日》

フウは食事のリズムがほかの猫とまったく違うため、書斎で飼っていました。
とはいえ、私が出張で不在がちで、実際の世話はすべて妻がやってくれました。

私は一緒に暮らしたという事情もあり、フウのかわいさは格別です。
私に張り付くようにしていました。
また再婚後の子と同じ年に、しかも我が家、それも自室で生まれたこともフウの印象を際立たせています。
17歳を、息子は4月に迎えました。
フウは9月に迎えられるでしょうか。

フウは人が付きっきりでないと生きられないほど衰弱し、6月27日に妻の部屋に移しました。
病気でなく老衰なので、治療の施しようがありません。
心臓と肺(呼吸)がとても苦しそうです。
私はフウの厳しい現実に接するのがつらく、ぼんやりと見守るくらいです。
無力で、自分の気持ちの整理をつけられません。

妻も同じはずなのに、献身的に介護しています。
愛情の深さがそうした気持ちに勝り、妻を突き動かしているのでしょう。
女性の強さに、私は打ちのめされます。

フウは寿命が尽きようとしています。
が、それは飼い主の未練がましい言い方であって、フウ自身は天授を全うすると考えているのかもしれません。

私はフウがスプーン一杯でも食べるとうれしくなります。
スポイト一滴でも飲むとうれしくなります。
フウはほんの一瞬ですが復活します。
ひょっとしたらまだ生きられるのではという期待をどうしても捨てられません。

「もう何もいりません」。
十分に生きたフウはそう伝えたいのでないでしょうか。

                 ◇

フウは人懐っこく、茶目っ気たっぷりでした。
私は自宅にいるときはおもにクライアントの受託業務と教育コンテンツの作成に取り組んでいます。
それは過酷で孤独な作業であり、たいてい深夜や早朝に及びます。
頭が悪いくせに最高品質にこだわった結果です。

フウは仕事に追い詰められている私の邪魔ばかりしました。
私とキーボードの間に転がったり、さらにキーボードとディスプレイの間に転がったり。
それでも私が仕事の手を緩めないとキーボードに頭を載せたり、手(前足)を載せたり。
ついに私に背を向けて座り、面白くもないディスプレイを見つづけました。
これで仕事は完全に止まります。

フウは、私がデスクワークや出張帰りで疲れ切って眠ろうとすると、胸の上にのぼります。
また、自分の目が覚めると、睡眠中の私の口の周りやほおを手で執拗にちょんちょんとやります。
どちらも「起きていてください」ということです。
極端に短い睡眠時間が一段と短くなりました。

私は、そうしたフウのすべてを受け入れてきました。
どれほど癒されたことでしょう。

私は50代後半に更年期障害で苦しみ、とくに58〜59歳がどん底でした。
フウは私の独り言にずっとつきあってくれました。
私は絶望的な時期を何とか乗り切ることができました。

《7月11日》

午前2時に書斎でデスクワークをしていた私のケータイ(スマホ)に着信がありました。
妻からでした。
サイレントモードでノンバイブレーションの私は、日中でもケータイをほとんど見ません。
なのに、このときは気づきました。
私はすぐに妻の部屋に行きました。

フウは妻の部屋に移ってから、たいてい椅子に横たわっていました。
使っていない椅子が一つ、いつも妻の机(椅子)のそばに置かれています(猫用かな)。
そして、おそらく床ずれがつらくなると、床に寝ていました。
また、体調が厳しいときは、家具の影の暗い床に寝ていました。

フウは10日、食事(スープ)や水をスプーンやスポイトで何とか与えようとする妻に対し、自分の手で「もう何もいりません」という意思をはっきりと示したそうです。

死期が迫っていると感じた妻は深夜、床でフウに寄り添って寝ていました。
ところが、午前2時、フウが身を起こし、その位置から突然、妻のベッドに飛び移りました。
歩くのもやっとだったフウの大跳躍に妻は驚き、ベッドで寄り添いましたが、その様子からいよいよと悟り、私に電話をかけてきました。

私は思いました。
フウは妻のベッドで安らかになりたいと願っていたのです。
私が呼びかけても反応を示しません。
が、隣に横たわる妻に自分の手を延ばし、妻の手にかけました。
つながっていると安心できるのでしょう。
私は絆の深さと妻が流す涙の美しさに心を打たれました。

私は、熟睡していた息子を起こしました。
フウの最期をちょっとでも見てほしかったのです。

しばらくしてフウは呼吸を取り戻し、いくらか容体が落ち着きました。

午前10時20分過ぎ、フウは海で溺れるようにのたうちはじめました。
空気を吸おうともがき、見ていられません。
5分ほどで動かなくなり、おそらく肺を膨らませようとして両手を合わせて力を入れています。
祈っているようにも見えます。
午前10時30分過ぎ、フウは静かに息を引き取りました。
呼吸ができなかったので、目を開いたままです。
直後、閉じさせようとしましたが、無理でした。
目がチャーミングな猫でした。

私は幾度も「ありがとう」と伝えました。
フウと長い時間を過ごせたことは幸せでした。

私は5日間の福岡出張が台風で取り止めになりました。
全日程の延期は20年を超えるこの仕事で初めてです。
そのおかげでというとクライアントに失礼ですが、私はフウを看取ることができました。
フウが満17歳の誕生日を迎えるのは9月11日でした。
その2カ月前でした。

◆書き加え1(7月11日)

夕方5時にペットの葬儀屋にフウを運びました。
息子の帰りを待ちましたが、学校が長引いて最後のお別れをさせられませんでした。

私は、フウを改めて眺めて、何とかわいい猫なのだろうと思いました。
苦しみから解放されたおだやかな顔です。
目が開いており、生きているようでした。

私は何度か呼びかけ、話しかけました。

火葬は12日、納骨は先方の都合で月曜日以降です。
我が家のペットの墓には、フウの母のモモ(シルバータビー)、父のクロ(ブラックスモーク)、そしてトラ(ブラウンタビー)とチビ(ブラックスモーク)が眠っています。
これで、渋谷・松濤時代から飼っていたアメショー5匹はすべてこの世を去りました。
皆で仲良く暮らすことでしょう。

◆書き加え2(7月11日)

私は1996年のGWに皆で東京タワーのペットイベントに出かけ、クロを買い求めました。
再婚後、家族が一つになれる話題をつくりたいと考えたことがきっかけでした。
クロはその日から家族を虜にしました。
幸運にも、最初の一匹が大当たりでした。

私はかわいさに魅了され、アメショーを次々と買い求めました。
あっという間に4匹です。
1997年の残暑が厳しい9月11日、私が「日経ビジネススクール」で講師を務めて汗まみれで戻ると、モモが私の部屋で5匹の赤ちゃんを生んでいました。

近所に猫を大切にしてくださる方が大勢いましたので差しあげるつもりでした。
しかし、妻がせめて1匹を残さないとモモがかわいそうだと主張し、手元に置いたのがフウでした。
ついに5匹になり、私たちは1998年のGW直前に横浜・港北ニュータウンに引っ越してきました。
再婚後の子は満1歳に達し、フウは7カ月を超えていました。

猫は自分の面倒を見てくれるのがだれかをよく分かっています。
クロもモモもトラもチビもそうでした。
皆、最後は妻だけを頼りました。
しかも、安楽死のクロとトラを除き、妻の部屋で息を引き取りました。

フウが厳しくなったここ半月、とくに今週は、やれることをすべてやりました。
人から笑われそうなことを含め、とにかく試しました。
私は延命措置を取らないと誓いながら、9日に獣医で点滴を打ってもらいました。
また、10日深夜(正確には11日0時過ぎ)に自宅で妻が点滴を打つのを手伝いました。
すでにフウの反応は弱々しいものでした。

奇跡が起こることはありませんでした。

よくなついていたクロの死、そしてモモの死に、私がそれほど落ち込まなかったのはフウを残してくれたからです。
父をそのまま小柄の娘にした印象です。
クロは、とにかく人懐っこく、愛情が深かったです。
フウは、気質や性格、行動や仕草を含めて瓜二つでしたが、母の気立てと優しさも引き継いでいました。
私にとりフウを失うことは、クロとモモを失うことでもあります。

急にさみしくなりました。
心に穴が開いたようです。

◆書き加え3(7月12日)

写真は、私が書斎で2008年1月1日に撮影しました。
満10歳です。
私も妻も写真を撮る習慣がなく、ここでやらないとフウの写真が1枚も残らないと考えたのでないでしょうか。
何せ元旦です。

フウは、つねに身内を案じ、その思いを伝えようとする猫でした。
母のモモが網戸に爪が引っかかり、体が延びきったときには妻に助けを求めにいきました。
モモのガンが進み、いよいよというときには付きっきりでした。
フウは生涯一度も病気をしませんでしたが、モモの死後は精神的なショックから拒食症になり、命を落としかけました。
また、息子が病気をすると、心配そうに寄り添いました。

フウは私に対しても、自分の思いを伝えてきました。
それはたいてい相手をしてほしいという甘えでした。

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アメショーの寿命が尽きようとしている

日曜日は久し振りの青空が広がり、とても気持ちがよかったです。
私は昼近くまでゆっくりと眠ろうと思っていましたが、自室のフウ(アメショー。♀)に8時ちょうどに起こされました。
フウは私の怠惰を決して許してくれません。
目が覚めるまで、顔面を「とんとんとん」と叩きます。
北島三郎みたい。
ただし、つむっている目の周辺は叩いたりしません。

huu01フウは満16歳です。
とても長生きですが、まもなく猫の寿命が尽きようとしています。
わが家でアメショーの両親から生まれ、今日まで病気一つしません。
しかし、人間でいうとかなりの高齢に達しましたので、いつまで一緒にいられるだろうとしばしば思うようになりました。

フウは、とても賢いですよ。
出張でも長期の場合は分かるようで、その準備をしている私を切ない顔でじっと見詰めます。
ここ2〜3年、「帰ってくるから…」と声をかけても離れず、胸が痛くなります。
自分の命が短いことを察しているのかもしれません。

フウは、私が自宅に戻っているときにはデスクトップパソコンの前でたいてい眠っています。
とくに多忙なときほど、キーボードの上に顔をのせたり手をのせたりします。
人を起こしておいて、仕事の邪魔ばかりします。
あるいは、いびきをかいて熟睡しています。
かわいいものです。

私は、妻はともかくフウがいない生活は考えられません(←内緒に願います)。

◆書き加え1(10月28日)

昨晩、一人で自室の模様替えを行いました。
8月最終週からの蓄積疲労のせいか、私は行き詰まり、仕事がはかどらない状態が1週間ほど続いていました。
気持ちを活性化したかったのです。
重い家具の配置転換なので、結構大変でした。

ところが、フウが「これでは、私は落ち着かない」と訴えてきました。
執拗です。
私が無視を決め込むと、部屋のなかを猛烈な勢いで走り回りはじめました。
よほど気に入らないのでしょう。
やむをえず、すべて元通りにしました。

私は出張で留守にしていることが多く、ここで暮らすフウの意見を尊重しました。
納得したのでしょう、すぐに熟睡モードに入りました。

ふぅ〜、くたびれもうけ・・・。

                      ◇◆◇

アメリカンショートヘア(アメショー)に関するブログは以下のとおり。

⇒2011年7月25日「アメショーの火葬・納骨を行う…ペットは家族の一員」はこちら。

⇒2011年6月11日「アメショーは愛嬌たっぷり、家族の話に耳を傾ける」はこちら。

⇒2011年3月30日「愛猫アメショーのガン…創生水の効果」はこちら。

⇒2010年6月25日「アメショーならブラックスモーク(再録)」はこちら。

⇒2010年3月15日「再婚の私がアメショーを飼ったワケ」はこちら。

⇒2007年12月28日「アメショー『チビ』」はこちら。

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アメショーの火葬・納骨を行う…ペットは家族の一員

わが家のアメリカンショートヘア「チビ(♂)」が7月22日、金曜日朝6時半頃、妻のベッドで力尽きた。
チビ1997年2月16日生まれ。
14年5カ月強、生きた。
性格は至って穏やか。
犬みたいに人懐こい、ちょっと変わった猫だった。
人間に対する警戒心がまったくなく、初対面でもいきなり打ち解ける。
訪問客が戸惑うくらい・・・。

チビは立派な血統証明書付きのブラックスモーク。
毛が細かく柔らかく、全身真っ黒。
強い直射日光が当たったとき、アメリカンショートヘア特有の模様がいくらか浮かび上がる。
うちで飼った猫のなかでは一番高価だった。
渋谷・松涛の賃貸マンションに暮らしていた頃、信頼の置けるペットショップにわざわざブラックスモークと指定して探してもらった。
毛並みがいかにも高級だったが、足と尻尾が極端に短い。
どこかユーモラス。

チビは生後40日程で買ったときに小さかったのでチビ。
幼い猫という意味であり、他と比べて小さいということでない。
また、洋画に登場する黒人のチビッコギャングみたいな顔立ちだったことも名づけの理由。
すぐに、わりと大きく育った。

やがて、わが家は横浜・港北ニュータウンに引っ越してきた。
7〜8歳の頃だったか、チビは具合が悪くなり、妻が動物病院に連れていった。
そして、肥大化した脾臓の緊急手術を勧められた。
開腹したら爆発寸前の状態で手術を施せず、同時に風船のように膨らみ、何とか腹を縫い合わせた。
獣医はさじを投げた。
だが、諦められない妻は、ガンなどによく効くとされる高価な水を与えつづけ、チビは一命を取り留めた。
後日、獣医がどうしても信じられないと首を傾げた。
いつしか脾臓は周囲の内臓に取り込まれたのか、フィルム(?)上で消えていた。
とはいえ、チビは重病だったので体調が完全に戻ることはなかった。

しかし、それなりに元気に生きていた。
2年程前だったか、妻はチビが飲む水の量が急に増えたことを不審に思った。
動物病院で腎不全と判明し、寿命が短いと診断された。
妻がずっと気にかけてきた。
こまめな世話を決して怠らなかった。
が、6月下旬、容体が急変した。
私は一晩持てばと思った。

しかし、妻が付きっ切りで面倒を見た。
1日中自分のそばに置き、スプーンで幾度も流動食を与え、しばしば水分を取らせ、ときどきトイレに連れていく。
1カ月近くずっと看病・・・。
妻がグロッキー。
私はチビもつらいのでないかと思い、妻に安楽死を勧めた。
が、それを決めるのはもちろん私でない。
だれよりも深い愛情を注いできた人間だと考えていた。
妻は、チビは生きようと頑張っており、命が尽きるまで生きてほしいと言った。
ならば、私が口を挟むべきでない。

チビ2チビはこの1カ月弱の闘病期間、たいてい横たわっていた。
幾度か人間のボケに近い状態になった。
ほとんど歩けないはずなのに、よたよたしながら部屋や廊下を歩き回った。
徘徊に当たる。
また、幻覚や幻聴だったのだろう、驚いた表情で目を開け、空中の一点をずっと見ていた。
こうしたときは、家族が話しかけても聞こえないみたいだった。

チビはもうダメかなと思うとわずかに回復するという繰り返しだった。

死ぬ2〜3日前から水さえ取れなくなった。
流動食はまったく・・・。
妻もさすがに観念した。
限界の闘病生活でやせ細り汚れきった全身を優しく拭いてやり、きれいにしてやった。

チビは毎日かならず妻のベッドで眠った。
布団のなか、そして妻の頭や顔、体に張り付くように…。
妻は暑い暑いと、満更でもなさそうだった。
猫の体温は高い。

金曜日朝6時半頃、チビは妻に付き添われ、見守られて息を引き取った。
何という幸せ者。
最後まで懸命に生きた。
私はチビを褒めてやりたい。

                       ◇

ところで、チビと一緒に暮らしていたのが、アメリカンショートヘア「キイ(♀)」である。
シルバータビー。
こちらは横浜・港北ニュータウンのペットショップで購入した。
2005年3月14日生まれ。
キイは若くて活発であり、チビが反撃しないのをいいことによく襲いかかった。
チビがいくらか元気なときは、まれに本気で怒った。

しかし、チビが明らかに衰弱し、生命がぎりぎりになってから、キイは急に静かになった。
チビとともに妻の部屋で暮らし、妻のベッドで眠っていたのに、廊下、そして玄関や洗面所の前に独りいる時間が長くなった。
元気も失った。
チビと妻に遠慮しているようだった。

私の部屋(書斎)で暮らすアメリカンショートヘア「フウ(♀)」。
チビの約7カ月後、1997年9月11日生まれ。
まもなく14歳を迎える。
ブラックスモークに近い。
生活のリズムがチビやキイと異なり、なかでも食事がごく少量で非常に高頻度なため、一緒に置いておけない。

幸い、わが家は二世帯用の広いマンションであり、チビとキイは妻と子どもがいる母屋(?)に暮らし、フウは私がいる離れ(?)に暮らす。
生活のエリアは区切られているが、曇りガラスの玄関ドアを挟んで、チビの異変を何となく感じているようだった。
この子は心が優しく、しかも繊細・敏感である。

私は講演やセミナー、研修などで長期出張が珍しくない。
この間、書斎(部屋)に閉じ込めておくのはかわいそうなので、妻がときどきフウを行き来させてやっていた。
フウは穏やかなチビと気が合った。

闘病期間、これが見納めと思い、私はフウを抱いてチビのもとに連れていったことが2度程ある。
しかし、フウはすぐに離れた。
何か耐えられないといった様子だった。

チビが死んだ後の日曜日(きのう)、フウが行き来できるように曇りガラスの玄関ドアをしばらく開放していたが、大好きな妻の部屋へ行こうとしない。
私が抱いて連れていくと、フウはきょろきょろして落ち着かない。
あぁ、懸命にチビを探しているのだ。
私はフウにショックを与えていけないと思った。
臭いが残っており、頭のいいフウはチビを覚えている・・・。
気の毒なことをした。

残ったフウはいまのところ病気一つ見つからない。
高齢だが、1日でも長く生きてほしい。

チビの火葬は金曜日、納骨は土曜日。
妻と子どもがきちんとやってくれた。

ペットは家族の一員。
わが家では横浜・港北ニュータウンにささやかなペットの墓を構えている。
アメリカンショートヘアのモモ(シルバータビー♀)とクロ(ブラックスモーク♂)、トラ(ブラウンタビー♂)が眠り、そこにチビが加わった。
4匹はあの世で思い出話に花を咲かせているのでないか・・・。

モモとクロの間に、私の渋谷・松濤の部屋で生まれた5匹の1匹がフウである。
気立ての優しさは母親譲り、顔を含めた姿格好は父親譲り。

ちなみに、妻はすべての猫の誕生日と死亡日を覚えている。

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アメショーは愛嬌たっぷり、家族の話に耳を傾ける

私は疲労困憊の状態で福岡から戻った。
出張中に気になるのが、私の部屋で暮らすアメリカンショートヘア、♀の「フウ」。

huu01渋谷・松涛に暮らしていた頃、賃貸マンションの私の部屋で生まれた。
当時「日経ビジネススクール」の講師の仕事を終え、ヘロヘロになって戻ってきたら、里芋(さといも)みたいな5匹がおっぱいを吸っていた。
父はブラックスモークの「クロ」、母はシルバータビーの「モモ」。
子猫だと油断して“去勢”が遅れたのだった。
わが家は一気にアメリカンショートヘアが9匹になった。

フウは、体毛がクロとモモの中間。
今秋14歳を迎え、猫としてはかなり高齢だ。
顔も体も頭も心も父親に瓜二つだが、優しい気立ては母親譲り。
アメショーらしく愛嬌もたっぷり。
また、家族の話に熱心に耳を傾ける。
言葉がいくらか分かるようだ。

huu02私が長く留守にすると、フウはストレスから自分の体毛を抜くことがある。
むろん、妻が愛情を注ぎ、世話をしている。
それでも以前、体のあちこちにハゲができた。

私が戻ってきて名前を呼んでも、すねて家具に身を隠していることが多い。
「フウ」「フウちゃん」「フウさん」などと呼び方を変えているうちに姿を現す。
フウはほっとした表情を見せた。

                       ◇

私は名古屋・錦でクルマ部品メーカーなど地場企業の社長を対象とした講演が迫る。
主催は三菱UFJリサーチ&コンサルティング(三菱東京UFJ銀行系列)。
その先に、東京・半蔵門で新テーマの講演が控える。
主催はSMBCコンサルティング(三井住友銀行系列)。

私はこのコンテンツの作成に取り組んできたが、終了はまだだいぶ先になる。
連日、時間との闘いである。
というわけで、ブログに手間をかけられない。

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愛猫アメショーのガン…創生水の効果

私は年末にパソコンがクラッシュしてから睡眠時間を削り、新講演のコンテンツに全力を注いできた。
自分との格闘だった。
それにともない、最大の懸案だった自分商品の開発・投入は大幅に遅れることになった。
気持ちは焦っているが、なかなか発表できない。

この先も次々と新講演を行うので、毎月のようにコンテンツのつくり込みに追われるが、一番のピークは乗り越えた。
安ど感から、3カ月の疲労がドッカーンと出ている。
ぐったり、へとへとの状態・・・。

徹夜の場合には脱水状態と塩分不足になりやすく、私はそれを防ぐために「創生水」でインスタントラーメンをつくった。
老いとともに袋麺を食べる機会がめっきり少なくなったが、この間は受験生並みに戻った。
デスクワークのときは連日だったので、さすがに飽きた。
また、昔と違って胃がもたれる。
いまどき、受験生の夜食はバラエティに富んでいるか?

きょうは2007年6月3日の記事にいくらか手を加えてアップする。
不思議な水「創生水」の話だ。

                      ◇◆◇

久し振りのわが家。
嵐のような1週間を何とか乗り切ることができた。
私は溜まりに溜まった疲れ、足・腰・首の張り、ノドの痛みなどで座っているのもつらい。
たいして使わなかったはずなのに「頭」もやられている。

無気力に横たわるしかない私を、書斎のアメリカンショートヘア「フウ」が案じ、近寄ってきた。
何せ母ネコ「モモ」が末期がんの際につきっきりで看病し、死んだらそのショックから「拒食症」になり、命を落とす寸前までいった。

フウは心がやさしく、頭がいいので、周りの家族やネコの様子が気になって仕方がないのだ。
わが子が風邪でも引こうものなら、ベッドで寄り添う。
人間の言葉もかなり分かるようで、会話に耳を傾ける。

さて、私は少し落ち着いたところで「創生水」をごくごく飲んだ。
出張中は持ち歩くことができない。
温めず冷やさず、そのままの状態で大量に飲むと、体のなかがきれいになった感じがする。
老廃物とか有害なものを、体の外へ排出してくれるからではなかろうか。

「創生水」のお陰で、私はオーバーワークにもかかわらず、かろうじて体調を回復し、ぎりぎりで健康を維持している。
ここ一月ほどの間にお会いした経営者や役員のなかに、明らかに重い疲労を引きずっている方が何人かいた。
彼らには、守るべき社員、そして家族がいる。
元気で長生きしてほしい。
私は見かねて「創生水」を飲むように強く勧めた。

ところで、モモはある日突然、普通に歩けなくなった。
その異変を最初に目撃したのは、私である。
水を飲みにいこうとして、足が進まないどころか後ずさりし、体がぐらりと大きく傾いた。
この光景を鮮明に覚えている。
だいぶ後で思ったのだが、ガンが脳に達していた。

私は大声で妻を呼んだ。
モモはやがて頭部、顔面がみるみる変形していった。
じきに眼が腐り、閉じなくなった。
耳も…。
おそらく脳が腐ったのだ。
壮絶な症状…。

フルの仕事を持つ妻の不眠不休に近い看病もむなしく、家にだれもいない昼間に妻のベッドで息を引き取った。
その姿勢から、モモは水を飲みにいこうとして力が突きたのかもしれないと、私は思った。

振り返ると、死より6〜7年前から、モモはときどき口元が歪むことがあった。
それが何ともいえない“愛嬌”に見え、家族でかわいいと笑ったものである。
実は、この時点でガンを発症していたのでないか。

逆に言えば、モモは6〜7年間も生き延びたことになる。
水が「創生水」という以外は何もしていない。
ガンの進行を大幅に遅らせてくれたのだろう。

「人は水、水は命」。
つくづくそう思う。

⇒2011年1月16日「創生水の健康回復効果を実感…運命的な出合い」はこちら。

私と「創生水」との出合いを綴っている。
実の母のガン、そして愛猫アメリカンショートヘアのガンや皮膚病についても触れた。
この水にどれくらい救われたろう。

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再婚の私がアメショーを飼ったワケ

私は先週から今週まで予定が変わり、ばたばたになった。
このブログで連載再開を明言した「新聞奨学生物語」は、約束を守れないまま…。
最近は書き溜めたブログをおもにアップしている。

1996〜97年頃だったか、ゴールデンウイークに東京タワーで「ペット」のフェアをやっていた(春休みでなかったと思う)。
多くのペットショップが出店する。
私は家族全員で出かけた。

きっかけは、再婚した妻と前妻の子どもの距離を縮められるならと思ったこと。
互いの関心が一つに向かえば、そこで会話や交流が生まれる。
初婚にもかかわらず、これから一番難しい時期を迎える3人の子持ちに嫁いでくれたことに感謝した。
苦労は私の想像が及ばないほど大きく、心の負担を少しでも和らげてあげたかった。

その場で、真っ黒なアメリカンショートヘアを買い求めた。
私がケージに近づいたら即座にすり寄ってきた。
数匹の兄弟姉妹の一匹。
小学生時代に捨てネコを飼った経験があり、ネコの性格やら飼い主との相性やらがすぐに分かった。
生後1カ月ちょっとのオス。
迷いはまったくなかった。
ブラックスモーク。
名前は「クロ」。
家族の話題を独り占めした。

チビ1皆があまりの可愛さにとりこになり、その後立てつづけにシルバータビーの「モモ」、ブラウンタビーの「トラ」、ブラックスモークの「チビ」を買い求めた。
モモとトラの順序は逆かもしれない。
わが家は一気に賑やかになり、笑い声があふれた。

私はネコに関する正しい知識がなく、去勢を甘く考えていた。
まだ子どもだと思っていたのに、ふと気づくと、クロがモモのうえに覆いかぶさっていた。
H。
後の祭。
ぞろぞろ5匹が生まれた。
アメリカンショートヘアが9匹に増えた。
妊娠と分かってからは私の部屋に移した。
モモはそこで生み、育てた。
3匹はなぜかブラウンタビー。
2匹はブラックスモーク。
といってもシルバータビーをぐっと黒に近づけた感じで、真っ黒でない。

当時は渋谷・松涛住まい。
4匹は、家の近所の「ヤマザキ動物専門学校」の生徒と、子どもの友人に無料で差しあげた。
凄い人気。
大切にしてくれそうな飼い主が一瞬で見つかった。

huu01妻が全部あげてはモモが可哀想と言うので、1匹を残した。
それがいま私の部屋で暮らしている「フウ」。
メス。13歳か。
「フウちゃん」「フウさん」「プウさん」「プップ」などと呼び方は変わってきた。
グレーがかったブラックスモークなので、アメリカンショートヘア特有の縞模様(柄)はぼんやり浮かぶ。

12年前に現在の横浜・港北ニュータウンに引っ越してきた。
そして5年前にセンター北駅の「ペットエコ」でシルバータビーを買い求めた。
理由は、再婚後の子どもが大人のネコしか知らなかったこと。
キイ妻が幼いネコの愛らしさを見せてやりたいと望んだ。
「キイ」。
メス。
きのうが誕生日。
普段よりちょっぴり贅沢なマグロの缶詰に満足気。

                       ◇

私は猫、とくにアメリカンショートヘアが大好き。
人懐っこさは一番か。

それと、滅茶苦茶癒される。
再建系の営業コンサルタント・講師という仕事柄ピリピリしており、神経が高ぶっている。

出張から戻ると、へとへと。
それでも自宅では深夜まで仕事…。

家族を養うのは大変だ。
私が死に物狂いで働いているというのに、ネコは1日中寝てばかり。
気持ちよさそう。
ときどきいびきをかく。
私の努力とは無関係の世界に生きている。
起きるのはエサと水、トイレ。

私がパソコンに打ち込む傍らで、ネズミと勘違いしてか、マウスの横で眠りこけている。
仕事の邪魔が大好きだ。
癒される。
顔に尻尾を絡ませてきたり、キーボードに手足を延ばしたり…。

いまやアメリカンショートヘアのいない暮らしは想像できない。
フウは膝の上。
熱い。

私にとり、なかでも黒いアメリカンショートヘアは幸運の象徴である。
妻とも話したが、最初のクロに恵まれた。
素晴らしいネコだった。
顔が可愛く、頭がよかった。
娘のフウは父親の血を引いた。
瓜二つ。

おっ、モモもすべてが可愛かった。
心がとても優しかった。
フウは母親の血も引いた。
末期ガンのモモに付き添い、死後に拒食症になった。
フウも一時期、危なかった。

クロとモモ、そしてトラは墓のなかだ。

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アメショー「チビ」

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チビ1わが家に「チビ」という、真っ黒なアメリカンショートヘアがいる。
わりとよい血統書が付き、したがってわりと高い値段が付いていた。
私が過去に飼った猫のなかで最大である。

では、なぜ「チビ」なのか?
246沿い、桜新町の「わんにゃん倶楽部」というペットショップで買ったときは生後1カ月半に満たず、チビだったからだ。
私に落ち度はない。
わが子より2カ月ほど早い。
いわば、兄さん!

チビは、獣医がさじを投げた末期ガンを「活性水素水」で乗り切り、来年2月に満11歳を迎える。
寒さが増した頃から、私のベッドで朝も昼も夜も眠るようになった。
耳アカが溜まりやすく、それを頻繁に掻き出すので、布団がすぐに汚れてしまう。

また、深夜に突然起きて部屋を出ていき、低い声で鳴きながらネズミをくわえて戻ってくる。
私の足元にネズミを置くので頭をなでてやると、またベッドに倒れ込んで眠る。
寝ぼけているのか、老いてボケたのか…。
チビ2
なお、チビは全身が極細の上等な黒毛に被われているが、直射日光に当たるとアメショー特有の模様が浮かびあがる。
とても美しい。
ただ、難点は極端な短足。
人間で言うところの「もも」の部分がなぜか見当たらない。

話は変わる―。
冬休み、わが子をどこにも連れていくことができない。
そこで妻は、せめて映画くらいと考えている。

3年前に、新潟県中越地震が起こり、甚大な被害が出た。
その山古志村での実話に基づいた「マリと子犬の物語」が正月映画として公開されている。
原作は、全国に感動を呼び、被災者に勇気を与え、ベストセラーとなった絵本『山古志村のマリと三匹の子犬』

妻も子も、この映画が一番見たい。
しかし、妻は涙がぼろぼろ止まらなくなるのが分かっていて、それが恥ずかしいと言う。
そのうえ、まぶたがオバケみたいに腫れあがる。
さて、どうするのか…。

私はこっそりDVDで観る。

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このブログは、おもに長期出張の移動時や宿泊時などに数日分〜1月分の記事を書き溜め、それを家族に更新してもらっています。
しかも、私がときどき新しい記事を割り込ませています。
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なお、ブログによりぎりぎりのジョーク、成人向けの内容が含まれます。
ご承知おきください。
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wada01











和田創

和田創研代表
シニア起業家
和田 創(わだ・そう)

数字立て直し(伸長)一筋の経営コンサルタント。
教育と指導の年間実績は約百回。対象は社長から役員、管理者、社員まで、テーマは経営から管理、採用、事業、商品、企画まで広範。著書や教材は多数。
2017年、66歳以降はAIやロボット関連の起業に挑むとともに、おもに内需・地場企業から先端分野・成長分野の事業・商品開発を請け負う。

その他の役職
面白くないジョークの会会長 

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